はてなキーワード: 決壊とは
実際に昔から大阪は大雨警報が出ても大した被害がなかったからだと思う。
古代からいろいろやってきて大阪の治水は優秀で俺の知る限りていぼうが決壊するようなでかい水害というのは聞かない。
さらに、ここ10年は災害級の大雨を見てさらに大雨対策に予算を使っていたりするしかなり安心感はある。
学生の通学はこのままで良い というわけではなくて、大阪の大半の人間は今までの経験からすると大雨警報で休校は「やりすぎ」感があるというだけである。
その意識も変わりつつあると思う。
死んだように寝た。
渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
第81期名人戦七番勝負第5局。18時53分、藤井聡太竜王が決め手となる一手を放つと、名人・渡辺明はすぐさま頭を下げ、駒を投じた。この瞬間、名人戦七番勝負が決着。藤井は名人位を奪取し、史上最年少名人、そして七冠を達成した。一方の渡辺は、唯一のタイトルだった名人を失冠。2004年以来、約18年半ぶりに無冠へと転落した。
重苦しい沈黙が対局室を支配した後、対局者へのインタビューが行われた。まずは勝者の藤井。いつもどおり、慎重に、丁寧に言葉が紡がれていく。一方、座して待つのは渡辺。藤井へのインタビューがひとしきり終わった後、ようやくマイクは向けられた。この将棋のこと、名人失冠のこと、そして無冠のこと。待ち続けた後に投げかけられる問いは、どこまでも厳しく、容赦がない。それでも渡辺は、こちらもいつもどおり、きっぱりと、はっきりと言葉を発していた。
対局後の儀式を、半ば虚空を見つめるように眺めていた私だが、しばらくしてニュースに現れた「渡辺九段」の文字に心は決壊した。体と心の全部がそれを拒絶した。到底受け入れられないと思った。あらゆる思考を強制的に断ち切りたいと思った。布団をかぶって、枕に顔をうずめた。そのまま、死んだように寝た。渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
翌朝になって、渡辺のツイッターを見た。なんと渡辺は、終局直後にツイートをしていた。しかもそれは、私を含む将棋ファンへの言葉だった。「長い間、タイトル保持者として充実した時間を過ごすことができたのは、将棋ファンのみなさまのおかげです。ありがとうございました」。
どうして、終局直後に当人がこれだけの発信をできるのだろうか。無冠になった夜に。ただの一ファンがショックで不貞寝していた夜に。その胆力に打ち震え、「あなたのファンでよかった」と思うとともに、無冠への転落もまた現実であることを同時に突き付けられるのだった。
2004年に、弱冠20歳で初タイトルとなる竜王を獲得した渡辺。以降現在まで、一度も無冠となることなくタイトルを守り続けてきた。渡辺の同世代に、渡辺ほど突出した棋士はいない。若き頃は、最強と呼ばれる羽生世代相手にまさしく孤軍奮闘、その剣を振るった。2015年になって、ようやく年下の棋士とタイトル戦を戦うようになるが、ここも譲らない。奪取や防衛を重ね、後輩の棋士を寄せ付けなかった。渡辺は、「たった一人」を除いて、年下の棋士にタイトル戦で敗れたことがない。竜王9連覇、棋王10連覇。圧倒的な戦績で、2つの永世称号資格を獲得。通算タイトル獲得数は31で、歴代4位を誇る。
これだけの戦績を残す渡辺だが、早い段階から、自らの立ち位置を冷静に見つめていた。「羽生と藤井の間」。つまり、時代を築く絶対王者の系譜に自らはいないということを公言して憚らなかった。時代のいわば谷間で、孤独に闘い続けた。残酷な言い方をすれば、「次の時代の到来を待っていた」そういうことになるのかもしれない。
渡辺の言葉を裏付けるように、その「たった一人」がタイトル戦の舞台に現れたのは2020年の夏だった。それから今日まで、思い返せば一瞬のように過ぎた。「すごい人が出てきた」の棋聖戦。自身初のストレート負けで散った翌年のリターンマッチ。2日制七番勝負、王将戦で並んだ4つの黒星。「冬将軍」と呼ばれ、10連覇の強さを誇った棋王の失冠。そして名人戦。この間、ただ座して死を待っていた渡辺ではない。研究を深め、自らの将棋をアップデートさせてきた。悲願の名人位を獲得し、3連覇を達成。「第二の全盛期」とも呼べるような充実ぶりだったが、たった一人、藤井がそれをあっという間に塗り替えていった。
藤井20勝、渡辺4勝。気付けば、圧倒的な星の差が付いていた。藤井と渡辺の対戦には、星の差が信じられないような名局が多い。中盤から終盤にかけての、白熱の競り合いと斬り合い。しかしそれらは、渡辺の敗局となっていった。星の差は、勝負の運で生まれたものでないこと。紙一重の差は、とてつもなく大きなものであること。不思議の勝ちはあっても、不思議の負けはないこと。そのことは、渡辺自身が一番よく分かっているはずで、だから渡辺は言い訳をしなかった。「実力不足」そうきっぱりと言い残して、名人戦の舞台を去った。
今回の名人戦、渡辺が唯一勝利した第3局が忘れられない。終盤、渡辺が勝ちの局面になり、決め手となる一手が生まれた。その手自体は一瞬で見えていた渡辺だが、なかなか盤上に手が伸びない。勝利の一手を決断するまで、実に93分を要した。これは渡辺の勝局だが、ファンにとってはまるで負けを味わわされているような、非常に重たく、苦しい時間だった。藤井という圧倒的な存在。目の前にいる「時代」。そこに一矢でも報いるのはこれ程までに過酷なことなのかと、勝利したことで逆に思い知らされる一局となった。
壮絶な戦いを終え、無冠となってしまった渡辺に、今どんな言葉がかけられるというのだろう。自分では、なかなか言葉を見つけることができなかった。しかし、しっくりくる言葉があった。今回、藤井に最年少名人の記録を破られた谷川浩司十七世名人の言葉だ。
将棋とは、対局者二人で創り上げるものである。そして、藤井に真の力を引き出させることができるのは、渡辺を含むほんの一部のトップ棋士しかいない。トップ棋士が諦めたとき、藤井は盤上で孤独になる。七冠達成とは、類まれなる偉業であり、それと同時に、プロの将棋にとって存亡の機でもあるのではないだろうか。
しっくりくる言葉とは言ったが、よく考えてみれば、こんなに残酷な言葉はなかったかもしれない。なぜなら、これまで孤独に闘い続けてきた渡辺に、これからは「藤井さんを孤独にさせてはいけない」と言っているのだから。どれだけ過酷なものを背負わせようとしているのだろうか。残酷な響きに後ろめたさを覚えつつ、それでもなお、私はこの言葉を選ぶ。「無冠になったことで将棋への向き合い方が変わるわけではない」。失冠の日、こう言い残した渡辺にすがる。
何が好きかと問われれば、その将棋の質、それに人柄と振る舞いだ。理路整然とした勝ちへの道筋。細い攻めをつなげ、厚い攻めをさらに分厚くしていく技術。「将棋は仕事」とドライに割り切りながらも、その仕事できっちりと結果を出す仕事人ぶり。本質を包み隠すことのないきっぱりとした物言い。画面の向こうにいる将棋ファンのために行われる明朗快活な感想戦やツイート。そこにある第一人者としての責任感。弱さも含めて自分をさらけ出す強さ。それらの全てだ。
将来、将棋の歴史がどう定義付けられようと構わない。渡辺明は、私にとっての「時代」だ。過去形にはしない。今はただ、渡辺の次の一手が見たい。
TRPGをやっている。
システムとかは本筋に関係ないのでは省くが、とにかくTRPGをやっている。
自陣の中にAさんという方がいる。
ご両親に愛されて育ち、この世の理不尽を嘆き、家族と幸せに暮らしている。
彼女は理解力が低く、同じことを時系列順に何度も確認し、自分が話す時も時系列順に話し、さらにすぐに枝葉に話が移るため話にまとまりもない(私も含め他のプレイヤーはだいたい状況を理解しているので、ゲームマスターが悪いわけではない)
彼女はゲームマスターが描写中であろうがお構いなしに喋り続け疑問をぶつけ理不尽な出来事には怒りを示す。
TRPGなのでダイスやシナリオの都合で、多少理不尽な場面はできてしまうがそれでもお構いなしである。
Aさん本人は「ゲームマスターを批判する気はない」と言っていた。
たとえば、長めの描写をする際は効果音とともに『描写中』という表示を出し、「これが出ている間はお静かにお願いします」とAさんにお願いするなどしていた。
Aさんは基本的には良い子なので、言われたらやめる。
一生懸命黙って、『描写中』の表示が終わると決壊したダムの如く喋り出すが、ゲームマスターとしては描写中に喋られるよりよほど良いのだろう。
ゲームマスターの話をしよう。
ゲームマスターのBさんは、よく言えば下町育ちで悪く言えば育ちが悪い。
肉親に褒められたことはなく、理不尽な扱いばかり受け、現在は独り身で心療内科に通っている。
彼は理解力が高く、人の声の機微から感情まで察知し、三人同時に質問しても正確に返答し、話を三行でまとめてくれる。
彼は自己肯定感がまるでなく、特に否定系の語句にものすごく弱い。
たとえばAさんがシナリオに対して「(ダイスの結果とはいえ)どうしてこんな酷いことするんですか!?」などと言えば、彼はひそかに傷つきつつ描写を続ける。
BさんはAさんが気持ちよくTRPGできるように色々工夫をした。
Aさんはシナリオを再開するたびにセッションの頭から現時点までの出来事や情報を何度も何度も確認する。
そのため「13時から始めます」と約束していたセッションが結局14時始まることもザラだった。先に確認しとけよと私は思うが、困ったことにAさんには遅刻癖もあるため、そもそも来るのが13時15分とかだ。
Aさんはその確認作業に対して罪悪感を覚えておらず、Bさんは時間通りに始められない自分の不甲斐なさを嘆いた。
そこでBさんは再開前にあらかじめ『ここまでのあらすじ』を三行でまとめ、それを開示することでAさんの確認作業を省くことにした。
けれど、AさんのことでBさんが心をすり減らしたりしているのはもう見たくないし、正直遅刻癖のある人とTRPGをやるのはしんどい。
Bさんは優しいからAさんを邪険に扱ったりはしないだろうし、忙しい方なので自陣以外とは卓を囲めないと言っていた。
体調がすこぶる悪い。症状は水様便、頭痛、筋肉痛、腹痛、倦怠感。
食べたものは、昼間に閑散として居酒屋のランチメニューの唐揚げ定食、夜にスーパーの半額チキンナゲットと半額ピザだ。
時間的に唐揚げ定食が疑わしい。客は俺しかおらず廃れていた店なので食材も余ってる運用に違いない。
ちなみに数日前にサムライマクドを食べてからずっと体調不良になっていて騙し騙し仕事をしていたが決壊寸前でヤバかった。
きっと相手には変な人だと思われたに違いない。
相手は長期会員らしく選考基準をしっかりとお持ちの様で会話してても面倒クセーなと思った。
きっと条件を満たす人物は現れないだろう。
誰かと話をしている時、一対一でも5、6人に対してでも、自分に関係することがその場の話題の中心になると、なんか緊張して涙が出る。
職場の飲み会とかで、年長者に自分の仕事とか結婚とかについて言及されて「これからどうすんの?」とか言われたらヤバい。
別に将来とか結婚とかについての不安はない。パートナーも普通にいるし関係も良好。でも仕事は非正規雇用で今の職場も任期付(あと一年くらい)。次の仕事は決まってない。
正規雇用の人たちから見たら若手の独身とか不安定そうに見えるだろうし、聞きたくなるのはわかる。
自分は頭は冷静に、何て返事しようか考えてるんだけど、だんだん混乱して顔がカーッと熱くなる。上手く堪える事もあるし、決壊して場の空気をヤバいことにしてしまうこともある。
一回泣き出したらなかなか泣き止めないのもつらい。
涙と鼻水がグワーーーと出て、気持ちは落ち着いてるのに、3時間くらいは余裕で止まらない。
動悸がして落ち着くのと、ぶわーーって泣くのを繰り返す。過呼吸になることもある。
長時間泣くから瞼も腫れやすい。普段は普通の二重だけど泣いた後はハム目になってしまう。ちいめろのすっぴんみたいになってしまってそれもすごい嫌。
もともと気持ちが落ち込みやすい気質ではある。病院に行ったことはない。
気分の浮き沈みはとりあえずいいとして、涙が出るトリガーが不可避(他人の話題の振り方に依存してる)なのと、泣き止みにくいところが嫌。大人なのに恥ずかしい。
https://anond.hatelabo.jp/20230115203346
『大怪獣のあとしまつ』と『シン・ウルトラマン』を見て、後者より前者の方が好きだった人間です。
なにが好きかと言われれば、内輪で社会の上層部が枝葉末節に囚われ下品なことに汲々としている中
一般人はそのしりぬぐいをさせられ辛酸をなめるという社会のひずみがちゃんと描かれていたことなんですよね。
怪獣処理のためダムを決壊させる場面でも「恐らくあの避難民の背景の家とかは巻き添えで流されたんだろうな」と想像する余地がありましたし
そもそも冒頭の怪獣退治後の場面からして徴兵された若者が犬死していることを暗示しているっぽいです。
(※「生きていてよかった」みたいに多くの若者の関係者が抱擁する→それなりに犠牲があったのでは?とにおわせる/普通の災害派遣でそうなるとは考えにくい
そもそも背景のポスターに「お前ら兵役逃れは許さんぞ」みたいなことが書かれていたし)
そういう社会のいびつさというか、社会的弱者に災禍を押し付け自分だけ安全地帯でのほほんとするというチキンホーク的価値観を揶揄していた時点でかなり満足しました。
逆に『シン・ゴジラ』なんかは政治権力(=政府与党)こそ善であるみたいな価値観丸出しで気持ち悪かったというか、はっきり言ってゴジラの看板に下痢汁ぶっかけたもんだと思っています。
『シン・ウルトラマン』も似たり寄ったりな感じです。はっきり言って土曜の朝にテレ東でやっているウルトラマンの方が何倍も物語がちゃんとしているし、なんならそれと同列に扱われること自体憤懣やるかたないです。