はてなキーワード: 時代錯誤とは
夜這いを期待してるだったり、スカートめくりだったりの設定は正直時代錯誤だし、そりゃ不快な人にとっては不快だろうなと思うけど、
「こんなものが置いてあったんだけど!キー!」ってキレてたら今までのこともあるしそりゃ反発食らうわな。
特に村おこし系のコンテンツが好きな奴ってオタクの中でもアクティブな奴らが多いし、村の中で関わってる人も思い入れが強いんだよな。
村(町)が好きで、そこにいる人も好きで、どうにかしてその場所を存続させたいって思いがある中で色々やってることの一つなんだから、それを「こんなもん置くな!」みたいな反応されたらな・・・
「こういう設定や描写が好きな人がいるのかもしれないが、自分は少しいやな気持になった。もうちょっと丸い表現なら気持ちよく温泉に入れたので、文面を修正して欲しい」
くらいのレベルならそこまで炎上したり反発されたりしなかったと思うんだけどな。
これを見てほしい(見なくてもいい)
https://www.youtube.com/watch?v=4viE2RYAwok
abemaTVの看板番組で若年層を中心にそこそこ人気がある。
昨今のひろゆき人気も、その一端はこの番組のおかげといわれていて、そこそこ影響力のある番組だ。
#アベプラ では過度な演出や切り取りを完全排除。たっぷり時間をかけて、ニュースの本質を探る報道リアリティーショーです。伝えることだけに満足せず、社会課題を解決するには何が必要なのか?出演者や視聴者の皆さんと一緒に考えます。番組には、芸人からジャーナリスト、社会起業家、AV女優まで、幅広いジャンルで活躍する論客がレギュラー出演、カタガキ抜きのリアルな言葉でニュースを斬ります。ほかのメディアでは見られないアベマならではの尖った特集にもご期待下さい。
まあ要するにキー局のワイドショーにありがちな過剰演出、偏向報道をやめて、「まともな」報道番組をやりますよ、とのことだ。
そんなアベプラの新コーナーが冒頭の動画なんだが、これがひどい。
バズリたい素人を募集して、ひろゆきの前でプレゼンさせ、内容が良ければひろゆきがフォロワー130万人のツイッターで拡散する、って企画。
コンセプトからしてマネーの虎を彷彿とさせる時代錯誤感があるんだが、実際放送された中身はもっと酷いものだった。
記念すべき第1回の挑戦者として自称ラッパーアラサー元ニート美大卒の弱者男性が登場。
若いころに画家やバンドなど色々挑戦したが芽が出ず、30代を前にしてラッパーに転向、自身の失敗や苦難、挫折をライムにすると海外で火が付きインドやフィリピンで1000万回再生された、との経歴。
そんな彼はひろゆきのツイッターを通して自分のように報われず希望を持てない若い男性に希望を与えたい、と語る。
彼はまな板の上のサンドバッグとして終始なじられ、笑われ、自尊心をズタズタに引き裂かれていた。
何を言ってもニヤニヤされる。周りが鼻で笑う声が聞こえる。ヤジられる。
一対一なら勝負かもしれないが一対多ならイジメである。さらにいえば彼は喧嘩する気などさらさらなく、ただ誠実に言葉を尽くしているのに、返ってくるのは圧倒的な量の嘲笑なのだ。やるせない。
これが「ニュースの本質を探る報道リアリティーショー」なのか?
これが「ほかのメディアでは見られないアベマならではの尖った特集」なのか?
(たしかに昨今のテレビはコンプラに厳しいので、こんな時代錯誤の素人をコケにして笑い者にする番組はつくらないかもしれない。)
現状こうなっているって物事に対して
自分に都合の良い場合には「社会規範が浸透して変化した」って言って
めちゃくちゃ自分に都合いいだけの世界認識、フェミの特徴的な思考だよね。
ビールのポスターの論法で言うなら、現代でも公共物にオタクコンテンツが同じように使われ続けているならそれは社会規範に認められているってことになるのでは?
昔はビールと言えば水着のおねーちゃんで、居酒屋に流行ってる女性タレントの水着がデカデカと印刷された飲料メーカーポスターとかいっぱい貼ってあったよね。
いつしか無くなったのは男達の中で自浄作用が働いたのか、女性の社会進出に連れてお酒のターゲットが拡がったのか分からんけど、少なくとも意味もなく肌を露出しビールを持たされる女性は居なくなった訳だ。
でもオタクの世界は変わらない、相変わらず身体のラインを強調した服を着せられた女が販促に使われる。
それはオタクに自浄作用が無いまま飛びつくからか、二次元の絵が物言わぬ存在だからか、でもまぁ時代錯誤って言われるのは仕方がないんでねーの。
金銭的なコストもそうだし、精神的なコストにおいてもかなり高いものを必要とされるので、今のフレキシブルな時代に明らかに不向きだなって思った。
乱暴な言い方をするとライフスタイルの多様化に家族というユニットが全く適応できてない。
価値観も流行もそれはそれは目まぐるしく変わっていく中で、家族というユニットはタイムカプセル見たく時間を止めないといけなくなる。
例えば昔見たく趣味といえばいくつかの選択肢しかないような時代だったら、ワンチャン家族内でみんなの趣味が揃うってことはあると思う。
でも、今の時代はあまりにも趣味が多様化しすぎて、例えば親の趣味を押し付けるとかもはや虐待レベルなんだよね。
だって、学校で友達が当たり前にゲームやってるのに、親の判断でゲーム禁止で野球だけしかやらせないなんていったらすでに虐待でしょ。
親子もそうだけど、夫婦もそうで、最初は意気投合したかもしれないけど、10年もすればお互い趣味が変わってて当然で、それなのに同じ趣味じゃないと不仲みたいな空気があるのは本当に不健全。(どちらかというと、同じ趣味だと幸せという同調圧力みたいなもの)
これも情報量の話だけど、昔は出会い(恋愛的なものを含まず)そのものが今と比べれば全然少なくて、それってイコール価値観が刺激される回数も少なかってことで、人の好みとかが変わる確率も今と比べれば全然低かった。
ところが、SNSがこれだけ流行った今、少し情報を追いかけただけで人生観ががらりと変わってしまうことだってありえなくないわけじゃない。
それなのに、生涯添い遂げるが美徳というのは、すでに足かせだし重荷でしかないよね。
浮気の肯定ではなくて、価値観が変わってしまったことに目を背けて、美徳に縛られていることは不幸以外の何物でもないよって話。
今はまだ美徳って言われるかもしれないけど、あと20年もしたら生涯添い遂げたカップルが幸せそうにしている姿を見て、可哀想って言われる時代になるんじゃないかな。割と真面目な話。
子供なんかも、いつまでも親の古い情報や価値観に縛られているより、中学卒業と同時に親元離れて独り立ちしたほうがその後の時代に取り残されなくてよいと思うんだよ。
ぶっちゃけ、最近の少子化対策って、家族というユニット単位で支援しようとしてるけど、はっきり言って時代錯誤もよいところで、本当は、早い段階で子供が自立できる方向で支援すべきだよね。
結婚のネックって、離婚がリスクになってることで家族の自由を奪う結果になってる点に集約されると思うんだよ。
それよりも、例えば中学生まで集中的に子育てしたら、子供の自立支援が手厚くて、夫婦はその後の人生を個別に好きに選ぶことができるって言われたら、どう?結婚してもいいかなって思えない?
離婚したら子供が不幸って言われるより、両親の幸せを考えたら子育てが終わったら離婚は自由って言われたほうが良くない?
その結果、生涯添い遂げたというならそこで始めて美徳があるわけで、離婚が悪っていう呪いのまま生涯我慢したからってそれは別に美しくもなんともない、不幸な話だよ。
本当に少子化対策したいなら、家族というユニットを維持するためのコスト負担を下げて、短期集中で切り抜けられるような仕組みづくりが必要です。
結局、今の結婚の制度って、過去に自由恋愛が禁止されていた時代から自由恋愛による結婚が許されたときに作られたシステムでしかないんだよね。
自由恋愛が当たり前になって、むしろそのほうが結婚率を下げてる結果になっている以上、次に必要なのは子孫繁栄だけを目的にした結婚システムだよ。
嫌だと感じてしまった相手と無理やりセックスレスを解消するより、子育てが終わればパートナーチェンジが許容される世の中のほうが絶対に幸せ。
少なくとも俺はもう限界。抱かれようともしない妻を子供が自立したあとも養おうとは思えないし、それで離婚したら子供が不幸だと言われて、不倫でもしようものなら世間から冷たい目で見られるのは、少なからずおかしい。
「時代錯誤」ってなに?
教育的指導としてボコボコ殴っても時代に沿っていればセーフってこと?
マジで?
自分が下の立場になったら黙って殴られる覚悟があるからセーフだっての?
アホか?
eliot3 現代の皇族なんて基本的人権すら認められておらず、日本国民のための生贄みたいなもんだ。かわいそうなので解放して、やりたい人が天皇やればいいよ。
hase0510 強制的にやらせるのはほんと良くないと思うね。いきなりガラッと制度を変えると抵抗があるだろうから、手始めに「18歳になった時点で皇族を続けるか選択する」ようにしてはどうかな。
y-mat2006 皇室典範を改正して天皇を公選制にすればええんとちゃうの?イスラエルとかドイツの大統領みたいなポジションみたいに。 増田ネタ
lady_joker 私は陛下が世界の叡智とともにAIを開発して象徴的な振る舞いをする人工知能に天皇を引き継ぐべきだと思っている。AIが神様なんて文明的で最高にクールだ
senbuu 暴論のようでいて正論。同意。制限選挙でもいいからさ。ローマ教皇がすでにそういう仕組みでしょ。現状の制度だと、最悪、反社会的人物が即位したらどうすんだよ。そいつが死ぬまでどうにもできないんだぞ。 これはひどくない
readmemo 天皇家、人権がかなり制限されてるのに左寄りのはてなでもあまり問題にならないのが謎だと思ってる。かなり問題の多い仕組みでしょう。選挙すべきとかではなくそもそも不要だと思ってる。
アメリカ留学した日本人が「アメリカに先輩後輩がなくて」と遠慮がちに言う。
実際は「兄と弟」「姉と妹」「先生」「年上と年下」「目上と目下」の差別が全部ない。
欧米露に「教皇」「大統領」「大臣」「長官」なんて偉そうな言葉もない。謙虚な語はある。
欧米露に「国民(だけの権利平等)」「市民>町民>村民」の差別用語もない。
アメリカは部活がなく、シーズンごとに色んなジャンルを選び多様性を身につける。
おまけに中国に「(筋肉ムキムキの)オニ」「鬼門」「陰陽道」もない。
本物の仏教は牛三つ刻の聖なる時を避けない。
お兄ちゃんが刀振り回してゴータマを斬って妹を守る物語じゃダメさ。
リアルもフィクションもファンタジーも兄弟姉妹や年上年下なんかないよ。
刀もオニも兄も妹も姉も弟も民も臣も帝も全部捨てなよ。
ジャパン古すぎだぜ。
今日も、何かをしなかったことによる違法行為をしてしまっているかもしれない。
それはあなたも私も同じこと。
法の不知はなんとやらと言うがそれは古代ローマだかのことわざであって、それよりも遥かに法律が込み入ってしまっている現代日本にまでこのことわざが法の原理の一要素になっているのは時代錯誤的な不条理ですらある。
違法だから犯罪というわけではないということは、裏を返せば犯罪ではなくても違法ではあったということはあるということ。
児童福祉法によれば虐待を見て見ぬふりするのは違法だし、災害対策基本法によれば災害の兆候があるのを発見したにも関わらず通報を怠った場合も違法とされる。
これは俺が知ってる限りの例を挙げただけで、他にも何かをしないことが怠慢とみなされ違法となる例はあることだろう。
しかしそうした怠慢による違法行為を避けるにはあらゆる法律を知っていなければならない。
罰則がないんだからいいじゃないかという考えもあるが、それはソクラテスに言わせれば善く生きるという態度に背くことではないか。
犯罪として責任を問われることだけに気をつけるとかじゃなく、あらゆる違法行為を慎まなけば善く生きたことにはならないと思う。
罰もない違法行為を自覚なく破ったって誰にもついぞその違法行為をした事実を認識されることはないのかもしれない。
でもそういう話じゃなくて。罰を受けないのから実害がないんだから、とかでもなくて。
自己満足かもしれないけど、違法行為をしたところでそれを定める法すらも私の悪性を認識することはないかもしれないけども、やっぱり清く生きたい。
ホイールがツルッツルの金属で指が滑る。普通にラバーとかでよかったろこれ。ユーザーの間では旧タイプへのホイール交換が常識らしい。あほらし。
後から発売された無線式502では改善されてるらしい。ラバーぽくなってる。でも有線式はそのまま。あほらし。
そしてグリップ問題が解決したとしても、この無限スクロール機構がゴミofゴミ。
無限⇔普通のスクロールモードを物理的にガコッと切り替えるせいでホイール下ボタンが切り替え専用で役割固定だし、無限状態だとスルスル回りすぎる上に精度が悪い。
たくさん動かすときにはいいけど1,2回分だけ動かしたいときに、下がったあとまた上に戻ってしまうことが多発する。
どうにもならんから無限じゃないモードで使おうとすると、物理的になんか引っ掛けて回転悪くしてるせいで動作感が一般的なホイールより重い。これとツルツルホイールが組み合わさって普通より力を込めて撫でないと回らない。
あと親指や小指があたるラバー部分が臭くなりやすい。定期的にアルコール脱脂綿かなんかで拭けばいいけど、前使ってたRazer NagaやG300sはそんなことしなくても気にならなかった。気がする。
で、重量。やっぱ重いわ。持ち上げるとき明らかに負担を感じる。これでさらにウェイトつけれるよ!とかやってんだから時代錯誤ですわ。
それから専用アプリG HUBで使用中のアプリ検出して自動的にプロファイル切り替える機能があるからロジかRazerの二択と思ってるんだけど、ゲームによっては一発で切り替わってくれんのがダメ。
あとG HUBだと単純なキーコンビネーションですら簡単に登録できず、検索にヒットした項目からD&Dする方式だからリストにない組み合わせはマクロで作らんとならん。正気か?
それ以外はだいたい良いっす。特に左クリック脇にボタンが2個あるのがいいっすね。欲を言えばG300みたいに右クリック脇にもボタンつけてくれてもいいっすよ。サイドボタンより押しやすいし。
そんな感じです。
まあそうなるよね・・・
完全に時代錯誤だし現代的な意味での人権にかかわってくるところだと思う
日本ボクシング連盟は11日、8日放送のTBS系「サンデーモーニング」に出演した張本勲氏が女性ボクサーをからかう発言をしたとして、抗議文を同社に提出したことを明らかにした。抗議文は10日付。
東京オリンピック(五輪)ボクシング女子フェザー級で入江聖奈(せな)(20)が金メダルを獲得したことについて、張本氏は番組の中で「女性でも殴り合い好きな人、いるんだね。見ててどうするのかな。嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合って、こんな競技好きな人、いるんだ」などと発言していた。
日本連盟はこの日、過去最多の三つのメダルを獲得した東京五輪の報告会を開催した。内田貞信会長は「ボクシングを愛している方々のために、女性のボクサーのために誤解されたくないという意味で抗議文を出した。当連盟は、競技の女性進出と役員の女性登用に積極的に取り組んでいる。もう少し理解をもって女性ボクサーを見てもらいたい」と話した。
入江は「メダルをきっかけに小さな子でも、主婦の方でも、少しでも女子ボクシングに興味を持ってもらえたら、がんばってよかったなと思う。競技人口拡大にもがんばっていきたい」と話した。(塩谷耕吾)
氏の発言を表現や作品そのものが許されべきか否かを語った"批判"として読むなら、なには許されて(BLレイプ)なには許されない(勇次郎のレイプ)かの基準が恣意的過ぎて話にならない。
バキ世界の価値観が時代錯誤であることも、見る人によっては呪いになる可能性も否定はできないけど、バキはそれでもそういう価値観に殉じて生きる人達の物語なんだよ。
そして、そういうリアルの価値観で言えば不正義にあたる行為が当然のように存在する世界観の作品なんていうのは、バキに限らず、またBLも含めて、なんら珍しくない。
そうした創作全般に対してフェアな視点である程度の明示的な基準を示して「ポリティカル・コレクトネスではない作品全てを許すべきではない」とまで言えるのなら、賛否はともかくスジの通った意見として認められただろうけど、氏の発言はどこまで言っても「勇次郎だから気に入らない」「レイプ描写だから気にくわない」の域を出ていないんだよ。
でその一方、氏の発言を"批判"ではなく、あくまで個人の好嫌でしかない"感想"として読もうにも、氏の発言には氏自身の考える善悪に基づいたジャッジと受け取れる内容が多すぎて、こちらもやはりスジが通らない。
「個人的に嫌だ」というレベルの話がしたいだけなら、もっと言葉を選ぶべきだった。
フェミニストは今まで表現の善悪に対して善悪に対してジャッジをするような振る舞いを積極的に行い、またそのジャッジは少なからず人々への価値観への影響や圧力という形で力を持つようになってきた。
だからこそ、フェミニストという看板を掲げるなら、キッチリと個人の好嫌と善悪を分けて語らないと、大上段から正義の刃を振り下ろすようなジャッジとして受け止められるということをしっかりと意識しないといけない。
それは、政治家が個人的な話をしても政治的意見と受け止められるのと同じで、社会に対して影響力を行使する者が負う責任だろう。
なんかブコメがいっぱいついてるけど、この記述はいただけませんね…。これはほとんど偽史・歴史改竄の類ですよ。
それはすべてアニメやゲームやライトノベルを筆頭とするおたくカルチャーに付随して流行したものだ。
https://anond.hatelabo.jp/20210710124113
そもそもvaporwave〜future funkで参照される日本のシティポップ楽曲の代表(たとえば『Plastic Love』、山下達郎『甘く危険な香り』『Sparkle』、杏里『Remember Summer Days』など)とオタク文化との接点の薄さを考えれば、元増田の主張の信憑性が乏しいことはすぐわかると思います。
まずシティポップの再評価についてです。日本のシティポップは、海外の一部AOR好事家には20世紀から注目されていました。特に山下達郎・吉田美奈子・竹内まりや・角松敏生-杏里ほかは、リズムセクションの黒さがエアプレイ向きな上に、和物ならではの楽曲の構築感(複雑な進行)に独特のエキゾチシズムがあって、2000年頃からJ boogieとかJ rare grooveって名前がついて評価されるようになりました。これはvaporwave云々の流れとは別の話です。日本のGS(グループサウンズ)にも昔からマニアがいて、海外では結構高値で取引されてるけど、それと同じような現象ですね。
次に、そもそもvaporwaveとは何なのか、ですが。以下の記事にあるこの要約は、端的だけどとてもわかりやすいと思います。
存在しない夢想のバブル時代、1980年代ネタをとにかくサンプリングとカットアップや回転数を落として、ありえない1980年代を表現した音楽ジャンル
https://note.com/myumafkd/n/nab12db7e40ca
この「存在しない夢想の」とか「ありえない1980年代」とかって感覚は、vaporwave系をリアルタイムで聞いてた人以外にはなかなか伝わらなくていつもモヤモヤするんだけど、vaporwaveは決して「埋もれてしまった良質な音楽を取り上げて、もう一度光を当てました」みたいな単純な再評価のムーブメントではなかったんです。あえて言うなら、皮肉っぽさ、諧謔性、メタ性、対象を突き放しながら愛でる感じ、などがvaporwaveの肝でした。たとえば東芝EMIやEmotionのビデオのオープニングロゴもSparkleの輝かしいイントロも2010年代には壮大な冗談にしかならないけど、でもこの時代錯誤感がいいんだよね…というような複雑な味わい方ですね。
そういう捻りを加えたミックスが、redditや4chanのマニアックな裏路地で、人知れず生産され、密かに鑑賞されていたわけです。この頃は、そもそも著作権関係が真っ黒だったので、vaporwaveは決してメジャーシーンには出られないだろうと思っているリスナーが多かったと思います。そういうアングラなムーブメントが、一部がFuture Funkに移行したり、アーティストとしてオリジナル曲を出すようになったりして毒気が抜けていくのと歩調を揃えて、徐々にオーバーグラウンド文化になっていったんですけど。
で、vaporwaveとその後継たるfuture funkでシティポップがよく取り上げられてたのは、シティポップがvaporwaveのレトロフューチャー的な世界観とリンクしてたからなんですね。だから、単にサンプリングするだけじゃなくて、何らかの形で批評的・破壊的な引用をされていた。具体的には、リヴァーブをガンガンかけたり、コンプをかけたり、ノイズを入れたり、回転数を引き延ばしたりして、その喪失性や虚飾性が際立つような音響処理がされてました。エキゾチシズムと回顧と皮肉こそがvaporwaveの真骨頂で、そこにぴたりとはまるパーツがシティポップだったんです。だからvaporwave=シティポップ再評価みたいな雑な認識を読むと「結局日本スゴイかよ」と言いたくなる人の気持ちもわかります。
vaporwaveの前身といえるseapunkでも、2011年頃の初期vaporwaveでも、アニメネタは主流じゃなかったです。一番使われてたのはメガデモ、windows95、amiga、ラインアート、粗いポリゴン、椰子の木、TVCM、RGB情報が潰れたVHSビデオ動画などのコラージュ、(多くの制作者・消費者には読めないエキゾチックな言語としての)日本語表記などなどじゃないかな。つまりオタク文化を参照してはいたけど、その多くは、アニメよりもコンピュータやゲームなどの方に寄ってました。こういう経緯は、木澤佐登志氏が何度かvaporwave小史を書いていて、vaporwaveを理解するには一番バランスが取れた内容だと思っています。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59738
で、vaporwave界隈の映像にアニメからの引用が増えていくのは、後期〜Future Funk以降の話なので、シティポップへの参照の方がアニメの参照よりも先行しています。その点で、以下の増田と自分の認識は一致してます。
おそらくvaporwaveから派生したfuture funkに対する影響のことを言ってるんだろうけど
future funkにおいてもジャンル内から有名になったアーティスト(Night Tempo、ミカヅキBIGWAVEとかのピンクネオン東京周辺etc.)
が多用しただけであって元々ジャンルとしてはシティーポップと呼ばれる音楽のほうがアニメよりも先にモチーフとして使われている。
https://anond.hatelabo.jp/20210711135919
しいて言えば「東京は夜の7時」か。
あれはシティだわな。でも、日本人はあまりシティであることを売り物に音楽活動はやってないと思うよ。
「有楽町で逢いましょう」とかは、ポップじゃない。
https://anond.hatelabo.jp/20210710192009
70年代末から80年代初頭のシティポップ(ス)って言われてた音楽は「街」のことばっかり歌ってました。山下達郎も吉田美奈子も荒井/松任谷由実も竹内まりやも大貫妙子もEPOも、みんな消費文化の極みともいえる当時の東京で生きる事への自負と強迫観念と焦燥と疎外感があったんでしょう。彼らの歌には、具体的地名を伴わない、抽象化された「街」「この街」「都会」「ダウンタウン」などの言葉が歌詞の中にバカスカ出てきますが、これはほぼ全部東京のことなんです(海外行って本格ファンク/RandB路線に転じた後の吉田美奈子は除きます)。シティポップ(ス)の名前は伊達じゃないですね。
『オレたちひょうきん族』がオープニング・エンディングにシティポップを盛んに使っていたのも、今にして思えば、テレビ業界・芸能界の内輪の目線を悪ふざけしながら曝露するという切り口が、虚飾の栄華に満ちた消費都市としての「東京」を象徴しているようで、まさにvaporwave的な世界観を体現する繋がりだなと思います。