2021-09-05

今日も、何かをしなかったことによる違法行為をしてしまっているかもしれない。

それはあなたも私も同じこと。

法の不知はなんとやらと言うがそれは古代ローマかのことわざであって、それよりも遥かに法律が込み入ってしまっている現代日本にまでこのことわざが法の原理の一要素になっているのは時代錯誤的な不条理ですらある。

違法から犯罪というわけではないということは、裏を返せば犯罪ではなくても違法ではあったということはあるということ。

児童福祉法によれば虐待を見て見ぬふりするのは違法だし、災害対策基本法によれば災害兆候があるのを発見したにも関わらず通報を怠った場合違法とされる。

これは俺が知ってる限りの例を挙げただけで、他にも何かをしないことが怠慢とみなされ違法となる例はあることだろう。

しかしそうした怠慢による違法行為を避けるにはあらゆる法律を知っていなければならない。

罰則がないんだからいいじゃないかという考えもあるが、それはソクラテスに言わせれば善く生きるという態度に背くことではないか

犯罪として責任を問われることだけに気をつけるとかじゃなく、あらゆる違法行為を慎まなけば善く生きたことにはならないと思う。

罰もない違法行為自覚なく破ったって誰にもついぞその違法行為をした事実認識されることはないのかもしれない。

でもそういう話じゃなくて。罰を受けないのから実害がないんだから、とかでもなくて。

自己満足かもしれないけど、違法行為をしたところでそれを定める法すらも私の悪性を認識することはないかもしれないけども、やっぱり清く生きたい。

俺はもう完全な潔白じゃないと思う。最期まで一度も法に触れず清く死ねた人にはあこがれる。

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