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2011-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20110625092603

何故放射性物質ばかり気にするかって、そりゃ、長年の教育の成果でしょう。

(a)「放射能は恐い」「ナガサキヒロシマ悪夢を忘れるな」

一方で

(b)「原子炉の核は安全な核」「原発は絶対に事故らない」

という矛盾した情報に長年晒されてきたのが3.11前。

3.11に(b)が引っくり返ったわけで、そりゃ一般人の考えとしては(a)に転ぶでしょう。やっと俺達の時代が来た! とか言ってる尻Pみたいな人間は例外中の例外。

そもそも「数値で判断する」あるいは「科学リテラシ」という能力一般人に備えられているかっていうと、甚だ疑問。それを育てるべき社会の公器()マスメディアからして、永久機関を何度も記事にしては無能晒しているわけで。細かく見ていくと、自分で取ったアンケートデータもまともに読めない記事 (例えば母集団の偏りを無視して「東大に入る子供母親の○○割は専業主婦!」とか言っちゃう) は山ほどあるよ。

2011-06-13

傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。

至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。

あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。

家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまたかのようだった。

なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。

梅雨空の下、わたしは沈黙たまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。

それは先生子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。

わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。

声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中押し出ししまった。

よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。

本当に、その程度の思いつきだったのに。

わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。

それも、そうだな。

ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。

わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。

今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。

にっ、とAが笑った。

何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。

絶対だぞ。

念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。

蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。

かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしか水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。

ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。

十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。

狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。

それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。

わたしは右手に傘を左手水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。

雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。

どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。

Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルー長靴けが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。

たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。

やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。

がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。

点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。

わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。

やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。

シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。

口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。

乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。

べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。

べちゃり。

わたしは隣に佇むAに眼を向けた。

彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。

ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。

ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。

蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。

途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。

惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。

わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。

水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。

とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。

その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。

わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。

その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。

翌日。Aはどこにもいなくなっていた。

あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。

けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。

梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。

そうでもしなければ、わたしは何時まで経っても悪夢から解放されないのだ。

傘に遮られた視界の端には、今でもスカイブルー長靴が立ち続けている。

2011-06-11

最近悪夢をよく見る

幻覚だとは分かっていても、休んでいたのに疲れてしまうという逆効果が発生して日中のパフォーマンスに支障を来たしている。

夢の内容は、具体的には延々と侮辱されたりというもので肉体的であったり生命の危機に関するものは少ない。

トラウマというと大げさだが、過去に同じような経験をしたせいもあってあまり気分の良いものではなく、強制的に回想に耽ってしまって集中力が削がれる。

別の件で精神科に通院しているが、この事も話そうか迷っている。他人にとってはどうしようもない、或いはどうでもいい事で相談しても無意味なのかもしれないから。

おすすめ小説漫画

最近読んだおすすめを挙げていくよー。

まずは小説から。名作二冊と趣味一冊でセレクトしてみたよー。

夏への扉

この作品は言わずと知れた海外SF小説の名作だねー。最近自分の中でSFがブームなんだけど、読んでみてすごく良かったと思った。

はっきり言って始めは退屈だったけど、中盤以降の盛り返しがすごい。最後は爽快な気分に慣れたから、エンターテイメントとして高得点だった。

ピート可愛い。リッキィも素敵な人だ。ただ主人公の精神的というか、即物的なロリコンへの耐性はどうなのよって思うなあ。

兼ねてよりそう見ていなかったとしても、やっぱりねえ。ダニィさん、そこんところどうなのよ、ねえ。

・隣の家の少女

かわってこちら。イギリス絞首刑行人が書いた、悪夢のような一冊だねー。まとめブログで欝になるとか後悔するとかの一冊としてよく上がってる。本当にそのとおりだと思った。

正直言って、この本のレーティングはR18クラスなんじゃないかな。ホラー小説というよりも、もっとグロテスクで内蔵抉るような嫌悪感に満ちていたよ。

始めの方こそ牧歌的青春ものって感じの内容なんだけど、臆面も無く表現された凄惨への伏線がいい意味で嫌な感じだったなあ。

実際嫌な後味が残ったし。

でも、一度は読んでみるといいと思う。邪悪を具現化したようなかの女子高生コンクリート詰め殺人事件の捉え方も、ちょっとだけ変わるかもしれないね

古道具 中野商店

最後はこれ。完璧趣味で選んでみた。川上弘美の文章はときどきすごく読みたくなる。あの空気感が素敵なのです

まあホラーSFラノベとを読んで、少し文学っぽい物語に触れたかっただけってのもあるんだけど。

落ち着いたレディースコミックって感じで、安心して読めるよー。唐草模様物語って感じなんだな、これが。

うん。すごく伝わりづらい。なんていうかね、綺麗な水がひたひたと満ちていくような読後感があるんだー。

この他にも小川一水とか貴志祐介とか恒川光太郎とか中村航とかの著書もいいよー。

黒野伸一とか五十嵐貴久とか有川浩とか梨木香歩とか加納朋子なんかも素敵だと思うなあ。

雨の休日読書に最適だよ。湿っぽい匂いと紙をめくる音とが心地いいだねー。

さて、次は漫画の紹介だよー。手軽に楽しめるのが漫画のいいところだと思うんだけど、どうなんだろう。

ナナマルサンバ

まだ一巻しか出てないクイズ漫画だよー。ゴールデンタイムにやってるような奴じゃなく、競技としてのクイズテーマに据えた作品だよ。

この作品の面白いところは、その焦点もさることながら漫画としての構成にもあると思うんだ。

王道的なストーリーテリングを無理なく無駄なく簡潔に描ききってるからすごく読みやすいんだよねー。この上手さは夢喰いメリーにも通ずるところがあると思うよ。

続刊に期待が持てる、熱いクイズ漫画になんだよねー。この作者のもえタイも一巻完結ものでおすすめだよ。

ウサギルリカラクサ

昨日二巻が出たみたいで、なんか完結してた漫画。なんとなく目についたから一巻と合わせて買ったんだけど、すごく良かったよー。

はっきりいって表紙を見て安易な萌えものかと思っちゃったんだけど、どっこいかなりシリアスで温かな作品だった。

独特な世界観はもとより、その絵柄もいい味出してるからいろんな人に読んでみてほしいなあ。

作者はイラストレーターさんみたいだけど、内容も骨太でしっかりしてた。

・繕い裁つ人

本との出会いって不思議だねー。ぱっと手が伸びてしまうんだから。この作品もそんな一冊だった。続き物で、こちらもまだ一巻しか発刊されてないけど、すごいんだよねー。

正直なところ、絵柄はすごく人を選ぶと思う。人物の顔なんて下手だって表する人がいるかも知れない。加えて余白の多さを指摘する人もいると思う。手抜きだとなんとか、無粋なことをさ。

でもねー、この作品はそう言った朴訥としたところとか簡素なところが最大の魅力だと思うんだよね。

読み取りにくい表情や、何も描かれていない空間に、とてもたくさんの情報が詰まってる。読んでるとね、だんだんその距離感とか漂ってる空気みたいなものが、濃密に溢れてくるんだー。

こいつはすごい作品ですぜぃ。静謐で穏やかな読書感に浸れると思うよー。

・午前3時の危険地帯

現在三巻まで発刊されてる。恋に仕事にって感じのレディースコミックで、でもどろどろした絡みだとか鬱々とした展開のない、変にカラッと乾いた漫画になってるよー。

この人、表紙が素敵なんだよねー。もちろん内容もいいけど、髪の毛とかすごい好きな描き方してる。

なんていうか、働きマンみたいにちょっと元気をもらえる作品になってると思うんだー。まあ結構毛色は違うんだけど、本質的に力をもらえるって言うか。

コミカルな描写も多くて、読んでて楽しいのもグッド。同作者の少年少女っていう短編集もおすすめだねー。

ばらかもん

この漫画も元気になれるよー。よつばとみたいな感じだけど、また違った良さがあるんだよねー。よつばは元気を発散する中心だけど、先生は元気を周囲と分かち合ってる。

のどか田舎暮らし、なんて内容じゃないんだけど、すっごく懐かしくて、もう帰れない夏休みのことを思い出さずにはいられない、かと言って切なくもならない、そんな作品なんだなー。

ぼくのなつやすみってゲームを、思いっきり濃口にしたような内容って言えばいいのかな。ぼくのなつやすみやったことないかわからんけども。

すっごく胸が軽くなる作品なんだねー。いや、すっごくってのは言いすぎかもしれんけども。なんとなく笑えてしま楽しい漫画なんだなー、きっと。

なんかいっぱい挙げたら疲れてしまった。アホだなー。でもまあ自己満足にはなったからよしといたしましょうや。うん、そうしよう。

世の中にはたくさんの本があって、面白い物語が隠れていて、到底全てを網羅することなんてできなくて、そもそも本意外にも呆れてしまうほどにたくさんの娯楽があるんだけれども、そういったことを考えるといつもスゲェって圧倒されてしまう。本屋とか行くだけで、すごくワクワクする。

もうね、どうなってるのこの島は、状態ですよまったく。

他にもいろんな本を知りたいなあ(チラッチラッ

そんなことよりミスドに行きたい。

2011-06-09

郵便局バイトしてるんだが

六月に入ってからこっち、かもめーるの販売目標を達成しろとうるさい

社員を集めて毎日毎日

こちとら時給で働くアルバイトなんだよ。

権利も権限もないのに暑中見舞いを何百枚も売る義理があるか!ボケが。

売る相手もいねえよ

まあ自腹で買いますけどね

毎日毎日遠回しに脅されてるから

気も滅入ってきた

俺はバイトからまだいいが営業下手の正社員なんかマジで悪夢だと思う

毎年売れてるかもめーる年賀状の何割が社員の買ったものなんでしょうかねえ

社員にはがき買わせて目標達成

おめでとうごいま

郵便会社栄光あれ!

2011-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20110601223044

要するにドラッカーの言いたいことは、

「利潤動機で企業が動いてるって考えると生々しいから、その辺はオブラートに包もうよ?ね?」

っていう話ですよね。

大間違い。

あんたのような経済至上主義に人々が走った結果第二次世界大戦全体主義引き起こした。

二度とあの悪夢を引き起こさないためにどのようなものが必要かと考えたのがドラッカー

からそういう言い方になる。

2011-05-07

死にながら生きる事について

http://anond.hatelabo.jp/20110507004611

こうやって生きていると、殆ど毎日死にたい気持ちになってくる

それはそうだ、辛いのだから、苦しいのだから

自分を壊して、破壊して、消し去って、削りさって、傷つけて、、抹消して、捨てて、切り裂いて

死がとても綺麗なものに見える

魅入られていると言っても間違いじゃない

「こんな辛い思いをするのならいっその事死んでしまえば良いんだ」と思うのだ

自分への攻撃、自殺

毒をもって毒を制す言葉通り、自分がしんどさを感じるのなら、感じている自分を殺そうとする

それはつまり、生きる方法の1つだと思う

しいのは嫌だ、痛いのは嫌だ、寂しいのは嫌だ、辛いのは嫌だ

嫌だから、何とかしようと思う

何とかしようとする方法で、自殺を選んでいる

あまりにも大きな感情の流れを持ってしまった為に、途方にくれて、解決の検討も付かなくなってしまった状態

自分だけでは抱え切れなくなった時に、誰かに頼るのでなく、それでも一人で何とかする事を選んでしまった結果

自殺という方法しか、残されなかったのだと思う

自分破壊しながら、それでも生きようとしている

死にながら生きる事

それは本当に深刻な事だと思う

逃げ場を失ってしまったのだと思う

こうして匿名で書き続けているのも、生きようとしているからなのだと思う

書いて、抱え切れない荷物を少しずつ下ろしていく

他の人の言葉を得れば、またそれだけ軽くなっていく

本当に、しんどい時期だ

えっちら、おっち

山を登るように、本当に少しずつ生きていく

そして、ふとした瞬間にまた転げ落ちてしま

繰り返す過程で、いつしか二度と登れなくなってしまう事もあるのだと思う

自殺は本当に、近くにあるのだろう

ちょっとした拍子で、死んでしまう事もあると思う

危なげだからこそ、それを支援する専門家が生まれるのだろう


願わくば、空けない夜が無いように、覚めない悪夢が無いように

この苦しみも辛さも、満足に生きていける程度には軽くなりますように

2011-04-01

何もうまくいっていない。

連日悪夢ばかり見ている。

特に今見た夢がなかなか寝覚めの悪い夢だった。

惚けた祖父(現実)に羽交い締めにされ、「やめてください!やめてください!」と叫ばれ続けている。

私は抵抗するけどうまくほどくことができずそんな中、父が泣きながら飛び込んできて祖父を止める。

我々家族は何もうまくいっていないとひしひしと感じている。

祖父が惚けてしまったときに悲しんだのは父だけだったと思うし、祖母が入院してやつれていく様をみても私や母は何の感情も持ち得ていない。

母と姉に関してはむしろ祖父母を恨んでさえいる。

と、書くということはつまり私は現状を悲しむべきことである認識しているのだと思う。

本当は祖父母達と笑い悲しみあう当たり前の関係(社会一般的な)を築いていたかった。

私が幼少の頃には母姉と祖父母の関係は決定的に崩壊しており、家族従順に育った私はそういう対立状況にいかんともすることができなかった。

母に関しては嫁という立場上、祖父母達と必要最低限のコミュニケーションをとってはいるが、姉はもう十五年は真っ当なコミュニケーションはとっていないだろう。

さらに問題なのはその姉は数年前に大きな癇癪を起こして家庭内引き蘢りになってしまった。

つまり数年前から姉と家族という対立も生じてしまった。

これだけ客観的に家族の状況を書いている私は何の問題にも直接的には加担せず、家族歯車としての役割をうまく果たすこともできていない。

現在の私がいなくなったところで我々の状況はよくも悪くもならない。

こんなことを書こうと思ったのは現在は父と母の仲もうまくいっていないようだからである

けんかをすることはたまにあったことだけれど、現在とこれまでが決定的に違っているのは父が今は家にいない祖父母の部屋を使っていることである

それぞれがそれぞれの場所を持ってしまったことによって我々は誰も積極的なコミュニケーションをとる必要を失ってしまった。

また誰も本当に信頼できていないのではないかという現実を再確認してしまった。

本当はもっと笑い合っている家族を見ていたかったし、心から対話のできる人間関係を築きたかった。

2011-03-31

忘れる前に君に伝えたい2011年3月11日金曜日に起こったこと

君にはどうか、忘れないでいて欲しいんだ。

2011年3月11日金曜日に起こったこと。

そしてその後に起こったことたちについて。

君はちょうど小学校下駄箱にいて、下校する直前だったらしいね。

ママはその時、会社会議室にいたよ。

揺れ始まってまず見たのは、時計だった。君が学校にいる時間なのか確かめたかたから。

だけど運悪くそれはちょうど君が下校するくらいの時間だったね。ママ不安不安で、揺れの恐怖よりも君のことばかり考えていた。

幸いにも君は学校を出る前だったみたいだけど。本当に、君が一人で道路の真ん中で怯えていなくて良かったよ。

揺れは、長かった。

建物はきしみ、壁にかかっていたものが落ち始め、天井プロジェクターは私の頭上で振り子のように揺れていた。

そして最後蛍光灯がジジジと不気味な音を立てて消え、とうとう揺れは収まった。

とにかく、長かったよ。

ママはこりゃ大ごとだなと思ってね。だって電気が消えちゃったんだもの。

ライフラインが断ち切られるなんて、初めての体験だったから。

揺れたこと自体はママはそんなに恐怖じゃ無かったよ。ずっと、見てた。

どんな風にどれくらい揺れるのか。

「いいから机の下にもぐれ」って、隣の先輩に怒られたんだけどね。

でも、見たかったんだ。世界を確かめなくちゃって思った。くっきりとそう考えたことを覚えてる。

目をこじ開けて、全部を、見たかった。

会議室にはその時職場の人全員がいて、誰からともなくみんなが声を出していたよ。

「まだ揺れてるから、動かないで」「上注意だよ。プロジェクターが危ない」「揺れ強いよ。まだまだしっかり」「続いてるよ。まだみんな隠れて」「みんな、大丈夫?怪我してる人はいないよね?」って

あちこちで声が上がっていた。ママは一番下っ端だから、じっと黙っているだけだったけれどね。

良い職場だな、と思ったよ。世の中の人たちはどんな感じであの揺れを耐えたんだろう。

君はお友達と一緒だったんだよね。良かった、一人じゃなくて。

お友達が「バスたい!」って喜んだそうだね。良かったよ、頼もしいお友達を持って。

あんなこと、きっと君が生きている間にはもう二度と起きないと思う。と、信じたい

から、覚えていて欲しいよ。大事な記憶になるはずだから

ママ会社から退社の許可が出て、一番最初会社を飛び出したんだよ。

ママ会社って何百人もの人が働いている工場なんだけど、一等賞だったんだよ。すごいでしょう?

だって、君が心配だったからね。

車に飛び乗って、車のナビでNHKチャンネルを回したんだ。どんな状態なんだろう、と思って。

その時に見たのは、街が海に飲み込まれていく映像だった。ハリウッド映画じゃないよ。生中継だ。

大津波警報って、なんだ?大津波?この映像は?現実なの?一体、どこなの?どこの海で津波が起こってるの?

さっぱり訳が分からなかったよ。だって、信じられるかい?街が海に浸かるなんてことを。

そしてそこは、君も知っている場所なんだよ。

一旦車を家に置き、自転車立ちこぎで猛スピード小学校に着いた。

最初ママも顔見知りの君の友だちに会ったんだけど、その子は顔を真っ赤にして泣いていたよ。当然だね。不安だっただろう。

でも君は不思議と泣いていなかったね。

硬い顔で

「さむさが限界だよ」

とぽつりと言った。ワンワンと泣いたのはママの方だった。

帰り道には冷たい雪が降ってきて、街がどんどん暗くなってきた。

街は不安に包まれていた。

あの時、不安は形になって、色になって、私たちの住む街に降りていていたと思うよ。少なくとも、ママにはそう見えた。

君の手を、痛くなるくらいぎゅうっと何度も握り返したよ。

これは大ごとだ、って。確かめるように何回も考えた。

かに大ごとだったんだよ。

ママテレビも見れず、知らない間に、津波宮城県の全ての沿岸部を根こそぎ持っていってしまった。

岩手も、福島も、青森も、茨城も海に浸かった。

でもママはそれを知る手段がなかったんだよね。

唯一手元にあったのはラジオだけで、でもラジオでは津波がどれだけの陸地を飲み込んだのかは想像できなかった。

君と一緒に何度も行った公園も、なくなったよ。

君と一緒に飛行機を見た空港も、ぐちゃぐちゃになったよ。

君と一緒に行ったことのあるショッピングモールも、水に浸かったそうだよ。

君と一緒に遊んだサイクリングできるあの場所も、なくなったよ。

君と一緒に船に乗ったあの港も、君と一緒に買い物をした市場も、みんな、みんな、波が持っていってしまった。

私がそれを知ることができたのは、それから何日も経って家に電気が来てからだったけど。

本当はね、3月12日土曜日には

君を仙台空港の近くの海のそばにある公園に連れて行くつもりだったんだ。

からもしもあの地震が一日ずれていたら、私たちは死んでいたかもしれないね

だってあの場所に、あん津波が来るなんて全く想像つかないよ。正直、今でも信じられない。

そしてその場所に私たちがいる可能だって大いにある。

そこは確かに、私たちの日常だった。

それが、一瞬でなくなってしまうなんて。

どうやって信じたらいいのだろう。

もう、あそこにはすべり台はないの?って君は訊いたね。

ないよ、ってママは答えた。

もう、あそこには公園作らないの?って君は訊いたね。

どうかな、ってママは答えた。

あの公園お気に入りだったのにって君は言ったね。

ママお気に入りだったんだよ。

でも、誰も悪くないんだ。あの公園がなくなったことも、何もかも、全部。

どうか、君には忘れないでしい

あの日あの時、起こったこと。

そしてこれから起こるであろう全てのこと。

ママたちは津波の影響がなかったから、家を片付けて、ライフラインが復旧すれば

とりあえず身近な日常に帰ることができる予定だった。はずだった。

でもそれを壊したのは、あの原発ニュースだった。

真っ暗な家の中で、唯一の情報源ラジオだった。

掌に収まるほどの小さなラジオが、大事な大事な全ての情報源だったんだ。

いや、新聞もあったか

こうやって考えると皮肉なものだね。

ママは普段からパソコンだの携帯だのって、デジタル漬けになって生きていたのに

結局あんな時に頼ることができたのはアナログだけだったんだものね。

ラジオから貰える情報は限定的だった。音声のみのデータでは、余りにも物足りなかった。

でもNHKアナウンサーは繰り返し、福島原発が良くないということを伝えていた。

最初は、電源が使えなくなって冷却ができない状態に陥ったこと。

次は、核燃料が溶けているかもしれないこと。

そして、爆発したこと。

ママ新聞ラジオしか、知ることができなかった。

情報が圧倒的に不足していた。

から、とにかく怖かった。不安だった。

からないっていうことは、不安ということなんだと、今回とくと思い知ったよ。

情報と知識があれば、何事にもそれほど恐れずにすむことを。

からやっぱり君にはしっかりと勉強することを勧めるよ。

知識は人を強くするから

知らないってことは怖いことなだって、気付いた時には遅いこともたくさんあるだろうから

何が起こっているか、分からないこと。これから先、どうなるか分からないこと。

それらがママをどんどん蝕んでいった。

不安は日を追うごとにどんどん大きくなった。

ラジオから枝野さんの声が流れてくるのが、怖かった。

彼が出てきて話すことといえば、やれ爆発しただの、やれ退避しろだの、やれ念のため家の中にいろだの、

そもそも原発事故ってだけでもとてつもなく恐ろしいことなのに、

その内容たるや、時間が経てば経つほどに悪化して行っている。

ママはね、自分が生きてる間に戦争が起こることって想像したことがなくて、

でもこれは、戦争だと思ったね。

その時はちょうど電気も無くて、買い物するにも屋外に商品をとりあえず並べたものを何時間も並んでちょっと買うしかなくて、

そして津波で被災した地域はそれはまるで焼け野原の様で、

ラジオからは日に日に悪くなる原発の様子を聴かされる。

ママは思ったよ。

これは戦争だ。ここは戦中なんだ、と。

そして、まだそれは続いている。

うちに電気がきて、ママはいつも通りにインターネットを使えるようになって、

スーパーも徐々に開いてきて、でも、

まだ何も解決はしていない。

日本は、混沌不安に覆われたままだ。

もうね、原発の悪いニュースが続いてばかりで

ママはある日泣いてしまったのだよ。

ラジオから二号機の核燃料棒が全て露出して、炉心が溶けたかもしれないってニュースが流れた時に

限界が来て泣いてしまった。

その時は、ママには君を守ることができないかもしれないって、本気でそう思ったんだ。

何があっても、ママは君を守り抜くって思って生きてきていたんだけれど、

うちにはパパって人がいないから、絶対に絶対にママが君をどうやったって守ろうって思っていたのだけれど、

どうも、ママにでもどうすることもできないのかもしれないって

その瞬間、身体の奥底から本気で絶望したんだ。

うちから原発まではたったの80キロほどしか離れていないからね。

原発に重大な何事かがあったら、多分我々も駄目になるだろうからね。チェルノブイリのようなことがあったらね。

すぐには死なないかもしれない。

でも、身体に影響はあるかもしれない。

君は子どもが産めない身体になるかもしれない。

いや、産めないわけじゃないかもしれないけれど

でも宮城県出身からっていう理由で差別されて結婚できなくなるかもしれない。

それ以前に病気になってしまうかもしれない。

病気で死んでしまうかもしれない。

君はたったの7年しか生きていなくてこれから先何十年も生きて幸せになるはずで、

ママ今日まで君に全ての愛情を注いで育ててきて、

でもその全てを原発に奪われるのかもしれない。

2011年3月11日まで、当たり前のようにこの先ずっと生きていくんだと思ってた。

ママ毎日会社に行って、君は学校に行って、

そうしてどんどん君は大きくなって、運動して勉強して、そのうち反抗期になったり恋したりして、

当たり前のように大人になるんだと思ってた。

でもそれは簡単に手に入るものじゃなくなった。

訳の分からないうちに。

福島原発の一連の事故に対して最初に抱いた感情は、絶望だった。悲しみだった。

次に浮かんだのは怒りだった。そして不信感だった。

ラジオ新聞情報のみの電気が無い状態では、自ら調べることはできない。焦燥感が募った。

そして、憎かった。原発が。東電が。政府が。そして、東京の人すら。

君はさ、まだ7歳で

今ここで何が起こっているかなんてことは、到底理解できないと思うんだ。

でもママには君に対して責任がある。

君の未来を守るという、責任があるんだよ。

多分君の未来には、日本未来も含まれているんだろうと思う。ひょっとした外国に永住するかもしれなけどさ。でも故郷は必要だろう?

からママ日本未来について考えなくてはいけないと思ったんだ。

調べたよ。たくさん。原発ことなんて、今まで気にも留めてなかったからね。

放射能放射線の違いすら知らなかったし、同位体って何のことだかもすっかり忘れていたくらいだったけれど、とりあえずいっぱい調べた。

ああ、余談だけど、やっぱり勉強は大事だよ。ママも昔、ちょっとはしたんだよ。化学物理もやった。そのベースがなかったら、ちょっとしんどかったかもしれない。まあそれはいいんだけど。

調べたからって正答を得られるわけじゃないんだよ、勿論。

考えなくてはいけない。どんなに困難でも、逃げるという選択肢はない。自分たちの問題だからね。

どこかで誰かが解決してくれるだろう、ってわけにはいかないんだよ。

から考えなくてはいけないよ。諦めずに、信念を持って、考える必要があるんだ。

でも一つだけ、ママには確かに分かったことがある。

人の命よりも大事なことなんてないんだってこと。

ましてや人の命よりも大事な電力なんてものもないんだってこと。

原発がなくなったら、確かにしんどいことが起こるだろうと思うよ。

とんでもなく不便で、そして貧乏になる。私が貧乏なのはまあ、いいけど、日本という国の全てが貧乏になるだろうね。

不便もどれくらい我慢できるんだろうね。今まで無尽蔵に電気を使ってきたからね。

とてもとても、想像つかないけど、どうにかできないこともないはずだと思うよ。

でも、仕方ないよ。

だって変わり始めはしんどいもんだよ。当たり前だよ。

ママ離婚したての頃はしんどかった。する前は不安だった。でも、どうにかなったよ。どうにか、したんだ。

でもこれは日本という国全ての話だからね。ママ離婚比較するのはおかしいだろうね。

国の全てがしんどくなるって分かってる方向に向かって、舵を切るのが困難だってことも分かる。

勇気がいる。痛みも伴う。そして、犠牲も。変化は怖いものだよ。いつだって、どんなことだって、そうだ。

だけど私たちは、ずっと先のことを見なくちゃいけない。これから先の、未来のことを。

今この瞬間が辛くてもいいんじゃないかな。十年後、二十年後、五十年後、百年後、いやそれよりもっと先でもいい。未来幸せになれるんなら、いいと思うんだ。

でも、原発を使い続けて、明るい未来はやってくるのかな。何百年後かの君の子ども子ども子どもだって、困るんじゃないのかな。

人間はさ、失敗するもんだよね。

でも失敗は成功のもとだよね。君にもいつも教えてるよね。

今回の失敗はさ、繰り返してはいけないことなんだよ。絶対に。

勿論、国だって馬鹿じゃないから、津波対策とかはするだろうよ。

だけど永久に絶対に安全な原発って作れるのかな。

多分、無理だよね。だって人間は失敗するんだもの。いつかは必ず、何かが起きるよね。

ママは何かが起こったときに、誰かが命張ってじゃないと止められない仕組みなんてあっちゃいけないと思うんだよね。

今もどこかの誰かが命掛けで、どうにもなんない原発をなだめようと頑張ってる。

どこかの誰かにそれを押し付けてる。

でもそれが、家族だったら?君だったら?

日本は変わるよ。変わらなくてはいけないんだ。ママにはそれがはっきりと分かったよ。

こんなこと考えたのは生まれて初めてだよ。でも必ずどうにかしなくてはいけない。

強く強く、そう思ってる。ママはなにができるのかな。きっと、何にもできないとは思うよ。

だってママ東北の片隅の工場でチマチマ働いてるだけの人だからね。政治家でも学者でもないからね。

だけど考えることはできる。そんなに賢くはなちゃらんぽらんで頼りないママだけど、君のためなら必死に考えるよ。

どうしたら、日本は良くなるのかってことをね。

2011年3月11日は、日本にとって重大な日になるはずだと思う。

君もママもこの瞬間に立ち会えたこと、そしてその渦中にいたこと、これはとてもとても貴重な経験だと思うよ。

人によっては運が悪かったって思うかもしれない。

でも、違うんだよ。

私たちはね、歴史の変わり目に立ち会えたんだよ。

2011年3月11日に始まった悪夢を、一つも無駄にしてはいけない。

私たちはそれを見てしまった。知ってしまった。

これを二度と繰り返さないために、未来に伝えていかなくてはいけないんだ。

私は君に伝えたいと思うよ。

から、どうか忘れないで

この全てのことを、忘れないで

2011-03-17

不謹慎だけど経済かについて

    /|
    |/     >ハーイ
     ヽノ~~~\
 ,,,,,,/´・ω・` \,,,,,,,,,,
  富士山

べつにこんな広範囲に停電とかやらないでも被害のすくないうえに電気をくう23区を1つづつ落としていけばいいんじゃがの。

千葉とか意外と震災被害ひどいらしいぜ? あっちも津波あったんだよ。コンテナとかゴロゴロなんだよ。液状化してるところもあるし、ガスタンク火災とかもあったのに何スルーして停電させてんだよと。

まずは千代田区から電気を落とせって、率先してやらないで民を切り捨てるとかどうかしてますぜ。

国会とか、どうせおまえら役にたたないんだから福島原発の30キロ近辺に本拠地をおけばいい。

真剣にやるだろうし、奴らが逃げ出したら、あ、やべぇんだなとわかるしね。

経済への影響

首都地震発生時の被害想定をもとに今回の経済的被害額を推論してみるよ。

http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/tmg/assumption.html

http://www.bousai.go.jp/syuto_higaisoutei/pdf/higai_gaiyou.pdf

東京湾北部地震M7.3想定予想

・死者想定が11000

経済被害想定が112兆円

建物被害が85万棟 55兆円

これを今回の東北関東大震災に直さなきゃいけない。

今回の地震の人的被害の把握もまだできないのだけど、行方不明者をあわせて勘案するにワーストケースを考えて人的被害:16,000~18,000人ぐらいかしら

地震の規模はM7.3からM9.0、規模にして約360

また群発地震になっていて建物被害は北アメリカプレート上にの東日本まるまる広範囲に及ぶ。

建物倒壊件数は津波の被害を考えなければいけないし、500年に1回の頻度の地震でも大丈夫なように防災アセスメントをとっていたガスタンクは見事に燃えちゃっているしな。

あーー

あれ?役にたたんぞえ!?

仙台石油コンビナート消失だけで数千億ぐらいいっちゃうだろうし、千葉の関連の施設だけで同額いきそうだっての。他の施設も点検や修繕などを合わせると巨大設備だけで1兆円いくんじゃないかな。

太平洋側の漁業関係の設備漁船などは壊滅状態だし・・・

交通インフラの被害も甚大で道路などはこれらの復旧は幹線道路はともかくとして、生活道路などをあわせると戻すのに3年ぐらいはかかるだろう。考えれば考えるほど途方にくれる。

別の角度から推論しよう。

日本GDP現在550兆円程度。

都道府県別にみると今回被害の大きかった岩手宮城福島茨木を合計すると約32兆円

全部が被害を受けるわけではないとおもうので、今後3年間に平均して稼働率が60%に落ちるとすると、58兆円。

今回は関東地方停電などの影響で被害をうけており、電力の逼迫は夏ごろまで続くと予想されている。

関東地方のDGPは大きく、東京神奈川栃木埼玉千葉の合計値が162兆円

今後3ヶ月で正常にもどるとしてその間の稼働率が平均して80%落ちるとすると、8.1兆円。

東北電力での計画停電で影響があるであろう、同じく被災地秋田青森、また震度6などを記録している静岡新潟長野などは考慮外。これらを合計すると機会損失的な合計が66兆円ぐらい。

人的損失を考えると、想定した16000人のうち生産人口を4割と低めに設定して、生涯獲得賃金を3億円として計算すると、まあだいたい2兆。あって4兆円ぐらいか価値創出を勘案して3倍にしても12兆円。こちらはそれほどでもないかもしれない。仮に8兆円にしておこうか。

原子力関連

これは被害額が大きそうだ。世論暴走して将来日本原子力が使えないとなると、相当なハンデを国際社会たいして背負わなければいけなくなる。もしかしたひょうたんから駒でクリーンエネルギーに転化して+に働くこともあるかもしれないので将来損失についてはあえて計算しないこととする。

建築被害

NHKが被害地域への受信料免除を設定したのは現在で56万件。まあ倍ぐらいにまでは増えるだろうから、仮に120万件として、東京都場合85万件の被害で55兆円なので78兆円ぐらいか

東京都建物東北建物建築物的評価は異なると思うけど、その分護岸とか、漁船とかも壊れているので妥当でしょ。

ここまでで210兆円!

うわー

誤差を1/4とかとっても50兆超すな。場合によっては国のGDPが消えて飛ぶ可能性もあらぁな。

こっから先はそっから予想される関連被害ですね。

リーマンショックショック並みに下げた相場は一応もどしてはいるけど、今後被害がまとまるとこれらの経済停滞、低下をうけて世界的な経済的なインパクトを持つ可能性がある。そうなると1000兆円とかがまた泡と消えるレベルだけど、正直そこまではいかないと思うので、世界的にはまあいま膨らんでいるので400兆ぐらいのインパクトで収まるかな?

アラブドミノから予想されるコモディ市場の急上昇が懸念されているので、もう勘弁してくれという感じや。

日銀はいままでで15兆円ぐらいオペしたという話しを聞いたけど、どうでしょうね。一応効果はあったみたいですがどこまで耐えられるかが気になるところ。単純被害だけで200兆円レベルとなると、日本GDPの半分、国の税収30兆の7倍ぐらいなので臨時国債発行は続くでしょう。そうなるとまた別の問題が出てくる。新潟中越地震激甚災害と同様の補償をすると国がもたないレベルだね。それを押してとおすためには相当刷らないとだめだ。

数百兆レベルが水増しされるとなると、それだけ保有資産バリュエーションは目減りするわけで、いままで資産ネットワークを持って囲い込んでいたプレイヤーの交代が日本でも起きるかもしれない。小さい会社も多くつぶれるだろう。新陳代謝が進むので歓迎すべきことだけど、急激すぎておっかねえわ。権力層にいる人たちには悪夢団塊世代との世代交代はこれを期にいっきにおこるかもしれない。

そう考えると経済地震はこれからというところか。

生活環境医療環境が急速に悪化することで高齢者の延命を図ることが難しくなるとおもう。

逆に若いひとは停電でやることなくて戦後たいに、一段落した出生率増えたりしてね。

思わぬところで少子高齢社会が解決するかもしれないと淡い期待を持って見る。

不幸の次には幸福を。

経済的に失われた20年をあきらめて創生の1年にしようや。

やれるって。きみならできる。

2011-03-15

震災

夫の精神状態がヤバイ。

特に原発関連ニュースを見ては「政府情報を隠してる!」「もうヤバイ、日本終わりだ!」とかぶつぶつ言ってる。

被災地からは遠い地方に住んでるから、もうちょっと落ち着いててもいいような気がするのに、エラい落ち方をしている。

理系脳で普段はもうちょっと数字とかシステムとか客観的に判断出来る人なのに、今回に限り反応がおかしい

これはどうやら「放射能恐怖症」なのではないかと思い始めた。

プチパニックになっていて、「ニュース政府発表なんて全部ウソだ!」といいつつ毎日テレビネットにかじりつく。

自分も昔そうだった。

年代の夫同様、もっとも教育熱心で洗脳熱心だった日教組教師に反核反戦反米をたたき込まれた。

原爆関連の映画とか写真とかドキュメントとか見せられまくり修学旅行ではお決まりの広島。資料館から出てきたときには立派なPTSD当時そんな言葉しらなかったし、診断されたわけでもないけど)。

ちょうどそのころ地元原発建設問題で揺れたり、米ソ冷戦核戦争間近とか言われたりしてたから、無駄想像力のたくましかった私なんぞ夜中に窓の外が火の海になる悪夢何度見た事か。小学生時代に不眠症になり。担任の先生にどうやったら眠れるか相談したした。今考えると矛盾している気もする。

もういい加減大丈夫になったかと思った高校時代に、やっぱりそっち系社会科教師に原子力爆弾の威力とかのビデオを鑑賞させられ、一人教室貧血起こしてぶっ倒れて恥ずかしい思いもした

あの当時こんな事故が起こってたら、本当に恐怖で心を病んでいたかもしれない。

職業柄(医者だ)いつまでも怖い怖いといってられず、勉強して知識もある程度身につけ、仕事普通に放射線扱うようになって私の場合は「放射能怖い」は自然にある程度は克服されたんだけど。知識が付いた分、そして夫が先にパニクった分、ある程度客観的に情報収集できている気がするけど。

災害なんてそれが自然災害だろうと人災だろうと防ぎきれるもんじゃない。

孫を抱えて地震倒壊家屋から逃げ出したおばあさんが、向こうから迫り来る津波絶望的に眺めたのと同様、私達が精神に異常をきたしかねないほどニュースを見て原発の事を心配しても、現時点で私達がそれに対して出来る事なんてほとんどない。何かあったらあったときにその対策を考えるのが関の山で、先回りして心配しても心を病むぐらいで良い事は一つもないんだよ。

そう言って夫をテレビネットから引きはがし、庭仕事なぞをさせたりしている。

2011-03-13

京都市民が感じた2011年東北地方太平洋沖地震

はてなという会社が存続し続ける限りはこの匿名ダイアリーの記事も残るはずで、あるいは、はてながつぶれてももしかした匿名ダイアリーログは残り続けるかもしれないから、後世のためにこの二日間、京都に住む普通大学生(若干だめな感じだけど)が何を感じたのかを書こうと思う。原発放射能漏れがほぼないと分かり安心したのもつかの間(犠牲となった方がいたのはショックだったが)、3/12、22時ごろに南三陸町で1万人の安否不明という見出しヤフーJapanニュースのトップに載った今の心境は、はっきり言って最悪だ。


注意:当時の心情をありのままに晒そう(それでも抑えているつもりですが)と思っているため、かなり配慮に欠けた表現うつる言葉かいをしていると思います。もし、このダイアリーを見てくださった方でお気を悪くされた方がいたら本当にごめんなさい。けれども、書き残す必要があると思って書いています。


3/11 15:00

今回の地震において、僕はちょうど図書館の地下に行っており、揺れを感じることがなかった。というより、その場に居合わせ人間5,6人も揺れを感じたそぶりを見せることもなく、僕がこの大地震が起こったことを知るのはこの3時間後、18:00頃だった。


16:00

近くのユニクロヴィンテージクラシックノータックチノを買いに行こうとする。恐らく本田圭佑が履いていたそれは品切れを起こしていたらしく入手することは出来なかった。ちょっと客が少ないし、従業員もそわそわしているかなとは感じたが、気のせいレベルのはずだった。


18:00

サークル棟に入ると、出会った知人に開口一番、地震すごかったねと言われた。「いや、何のことだよ(笑)?」と返したら、普通にどんびかれた。「揺れ感じなかったの?京都もすごかったんだよ。」と返されて、まず、しらねーと思ったし、後、「も」というのが気になった。そして、何やら東北大地震が起きたことを知った(今のところ自分の周りで京都において揺れを感じなかった人間はいない)。けど、東北大地震なんかよくあることだし、ま、今回もその異常耐震・免震っぷりが発揮されるのだろうと思っていた。ただ、死亡者がこの時点で30人を超えていたと聞き、普通東北大地震(通常はその規模に関わらず殆ど犠牲者が出ないので)ではないとは分かった。


19:00

ネットから遮断された状態の僕は、むしろ東北いか耐震大国である布教する宣教師となっていた。部室に来る人間には、東北いかに凄まじい耐震・免震ぷりを発揮するかを力説し、死亡者が3ケタ行ったらとんでもないことだと今となっては糞虫のような推察を披露していた。


20:00

中国人留学生本国の友達から心配されると話してくれて、同じく、東北耐震免震大国っぷりを話していた自分がいた。ベルセルクブリーチを読みながら、やっぱ蝕すげーとか思っていた。そして、帰宅。シャワー浴びて、ご飯を食べて、翌日河原町に行こうと思っていたので、ネットで靴みたり、雑誌とか読んでたら、あっという間に24:00になっていた。


24:00

事態がただ事じゃないことが分かったのは、23:57に、15:23に送信された母から自分の安否を気遣うメールが届いてから。なんで今頃?届くの?と思った。そして、yahooニュース見出し見出し自体は帰ってからちらっとはみたもののあまり衝撃的な見出しはなかったので流していた)を開いてみると、まず仙台空港が水没していた。ちょっと半狂乱になって、いろいろ見ていたらtelegraphに津波が家を飲み、田んぼを飲み、猛烈な勢いで海岸線を超えて陸地を飲み込もうとしている動画があり戦慄した。後は、3:00まで、いろいろな2chのまとめ記事を真剣に見るだけ(3か月くらいテレビ壊れたまま)。これは日本でおこっているのか?と思った。そして、この時点で死亡者の数が4桁を超えることがほぼ確実となっており、未曾有の大災害であることを認識した。知り合いで被災地の近くの人間は特におらず、不義理なことをしていないことも含めて少し安心した


3/12 12:00

朝起きて、yahooニュースを確認したら、実家群馬)の近くでも地震が起きていることが判明し、慌てて母に電話したメールでの返信は前日済み)。どうやら実家の周りでは被害がないらしく、一安心したが、改めて死亡者がこの段階で1000人を超えることが確実な中、今度はこの地震いかにとんでもない規模の災害であるか、耐震・免震大国である東北でこれだけの被害が出ており、津波がどれほど想定外で、規格外であったかを伝えなければならないと思い、部室へ向かった。


13:00

まず、話した全ての人に身の回りの人が無事かどうか聞き(幸い不幸なことは聞かなかった)、ショックを受けていることを伝えた。そして、これがいかにとんでもないことか伝えた。そして、今度は原子力発電所が危ないことを聞かされた。けど、このときもまた、馬鹿を露呈することになり、チェルノブイリたい原子力発電所事故は起こる可能性がかなり低いだろうこと、中越の時のような場合と違い、原子力発電所天災によって問題になることはそうそうあることじゃないことを力説した


16:00

メルトダウンと聞いた時も、ま、そうでもないと思っていた。(図書館にて勉強中)

17:00~22:00

帰宅して直後、原子力発電所が爆発と見て唖然した。これは悪夢しか言いようがないと思った。本が頭に入らない。後は、ぼんやりと事態をyahooニュースとしょぼんあんてなで確認するのみ。そして、犠牲になった従業員の方がいるというニュースを聞き最悪があるのかと脳裏をよぎり、22時手前位で最悪は防げそうと聞き安心したのもつかの間、南三陸町で1万人の安否不明という見出しヤフーJapanニュースのトップに載っていた。


もう何も起こってほしくない。

2011-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20110222020221

日本でいう世代間闘争は、年功序列終身雇用制による悪夢であって、賦課方式に起因するものではあるまい。

2011-02-20

から女房は顔じゃなく性格で決めろと何度

それも学生時代から知ってるような猫被りようも無い本当の性格を知ってる女をな

切実な問題として半世紀単位で一緒にいる女の性格が悪いとか悪夢以外の何者でもない

本当に顔なんざどうでもいい

2011-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20110207201645

言いたいことはわかる気がするけどさ。

でもやっぱり面白いし、子ども相手にアレやらかしちゃう大人は叩かれるべきだと思うのね。

そりゃ、正直に言えばはるかぜちゃんはかなり早熟な子で、

コドモであることの特権と便利さを120%意識していて、しかも周囲の気持ち悪いヲタの目線や自分の立ち居地まで理解して

発言してると思うよ。イノセントぶりっこした悪意の塊の悪夢のようなクソガキだと思うよ。そりゃそうよ。

でも、それは確定できないし子ども相手に言わないのがオトナですよ。大人は辛いものですよ。

から、俺ははるかぜちゃんを叩かない。賢い、偉い、君はスゴイと褒め称える。

大人であることを自認する以上、それ以外は何やっても負けるからな。どこをどう叩いても叩いた方が痛いじゃんこれ。

ゴーストライターの可能性もあるけど、本当に子どもだったらとても素晴らしい

多分幸せ人生は歩めないだろうなー、と思うけど。トルーマンカポーティたいじゃないか

2011-01-18

1995年1月18日ストレッチマン

その日、私は39℃の熱を出して寝込んでいた。

テレビではどの局も前日に発生した阪神淡路大震災報道特番だったが

その悲惨な光景直視できず、NHK教育チャンネルをあわせたところ、

ストレッチマンと名乗る奇妙な人物が登場した

かたや地震で壊滅的な被害を受けた街、かたや全身タイツストレッチマン

無性に恐かった。この世の終わりを感じた。

阪神淡路大震災の話題になったとき

私が翌日のテレビで見たストレッチマンが恐かったという話をすると

教育テレビでも報道特番やってたでしょ。ストレッチマンなんてやってるわけがない」

と皆に言われてしまう。

あの日見たストレッチマンは、熱にうなされた私が見たただの悪夢だったのだろうか…。

2011-01-13

zeroの悲劇?

http://bit.ly/gKyOWN

日本場合都市という都市戦争による爆撃の振動のダメージを受けて

 まだ100年も経ってない。ヨーロッパにしてもそうだ。

 ダメージ

 中国にしてもそうだ。世界はま報道やおおやけにされてない場所もありそうだ。

 ダメージ

 だから表面的な出来不出来では、育ちの良し悪しではわからない。

 こういうダメージは±0 zeroにされているのだ。

 葦(よし・あし)とは、稲穂やガマと同じ形だが実りがない。」

フリーターとは/主さまという仕事/あ、土を触ると気持ちいい。土の毒素抜き療法って本当だね。~

zeroの悲劇?

tax freeの恩恵の差引だとした悪夢のような。calorie free(生産0)

2011-01-06

ほんの40年くらい前に戦争に行ったことがある。

日本人では珍しい経験かもしれない。

親が海外赴任の時に生まれたので、僕は合衆国市民権を持ってた。

当時は大学に入りたてだったけど、市民権を持っていたかアルバイトなどがしやすく、ラッキーくらいに思っていた。

した徴兵された。

そのあと2か月訓練を受けてすぐにダナンに送られて、戦争を体験した

と言っても僕にとって人を殺したことも毎日吹き荒れる銃声も、あまり感受性を刺激するものではなかった。

かに怖かった。生まれて初めての実戦では歯を食いしばりすぎて奥歯が欠けたし、小便を漏らした

でもそれだけだ。

戦友の死も、自分の薬指と小指が吹っ飛んだ瞬間も、まるで映画の中の出来事だった。

ただ、熱いのと汚いのが嫌だった。

人間は簡単に死ぬけど、別にどうってことなかった。

それにうなされることもない。

あんなのは映画の見すぎだと思う。

それかマスコミに影響されてるんじゃないだろうか。

考えても見てくれ、戦争人類誕生したころから繰り返し行われてるのに、PTSDになるような兵隊が出てきたのはここ半世紀ほどだ。

僕が指を吹っ飛ばして国に帰ると、地獄が待っていた。

世間だ。

軍隊では各々が役割を持って、助け合って生きていたのに、国に帰ってみたら騙し合い、裏切りあい連続だった。

彼女反戦集会に行くというから付いていってみたら、大麻をやりながら戦場に行った奴がどんな悪いことをしてるか話してくれと言われた。

自分の罪を告白しろと強制された。

嫌になって途中で抜けだしたら次の日に彼女は長髪無職に男に乗り換えた。集会にいた奴だ。

当時、大学キャンパスには身体障害者になった大学生が大勢いた。

あいつらは片っ端から彼らに自己否定させた。

まるで魔女狩りだ。

偽善者にこびへつらうか、後ろ指さされるかしかベテランの生きる道が無かった。

社会に受け皿が無かった。

でも、ケネディ投票したのは奴らなんだ。

ケネディ投票して、僕らを戦場に無理やり連れて行ったのは奴らなんだ。

僕は戦争の夢はあまり見ない。

みてもどちらかというと良い夢が多い。

あの頃は仲間が居て、死ぬ危険性はあったけどビール飲んで女を買って、ポーカーやってそれなりに楽しかった。

でも悪夢を見るんだ。

帰国した当時のおどろおどろしい社会悪夢

あれで人間が信じられなくなった。

戦争から帰ってきた人間が心的外傷を負うんじゃないんだ。

帰ってきた時、受け皿の社会が無いことで精神を病むのさ。

2010-12-25

自動車の危うい行く末

私が末席を汚す自動車自動二輪業界に、巨大な地殻変動が訪れようとしている。

電気自動車だ。

もしこの技術が熟成期を迎えコモディティ化してしまったら、日本の強みは殆んど発揮されず、日本世界に誇った内燃機関自動車文明唐突終焉を迎えるだろう。

既に終焉を見た、かの伝説日の丸半導体文明の様に。


戦後65年で今の日本をここまで発展させた中心は、内燃機関自動車とそれに纏わる周辺産業を基幹に据えた重工業だった。

内燃機関自動車というのは、部品点数が多く、現代の技術を持ってしても量産管理が難しい

そして設計の最適解は未だ存在しない。

そんなジャンルであったからこそ、たまたま良質な責任感とこだわりを持ち合わせていた日本人の得意ジャンルとなった。

そしてその成功に牽引されて、機械や電機などの関連産業も発展した

しい事に、すぐ天狗(或いはキリギリス)になってしま努力を怠る日本人にしては、内燃機関自動車は長いこと世界のトップ水準を防衛する事が出来た。


だが電気自動車は違う。

これは別物だ。

部品点数が圧倒的に少なく、スケールメリットを発揮すればまだまだどこまでも廉価になる。

そして超えなければならない技術の壁が未だ何枚もある。

まだまだ日本にとっても世界にとっても未開拓のジャンルだ。


かつての日本であれば、優秀な研究者と熱心な研究機関と潤沢な研究資金があったが、今の日本にはその全てが無い。

かつての日本には、高校どころか中学校小学校しか出ていなくても、創意工夫で様々なモノを作り出した発明家が沢山居たが、今の中卒・高卒コンプレックスの塊で向上心が無く、社会奴隷お荷物しかない。

かつての日本産業界指導者は引き際の重要さと業界繁栄のための後継者育成の必要性をよく理解していたが、団塊からこっちは全くその自覚がない。

そして戦後日本経済発展という成功体験は、日本国民に驕り癖を植えつけ、今もなお経済戦争で敗退を繰り返す中であっても、現実と向き合わない人間の逃げ込み先として持てはやされる、有害極まりないおとぎ話と成り果てた。


ト○タもホ○ダも、内燃機関自動車での成功体験業界の存続要望に足をひっぱられ、電気自動車には非積極的だ。

そんな日本という国が、果たして今後生き馬の目を抜く戦国時代になるであろう電気自動車業界世界のトップを走行出来るだろうか?

このままでは、10年後には都内をサムスンヒュンダイやLGの電気自動車が走り回る悪夢世界へようこそ!となるかもしれない。

2010-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20101117001742

疲れてるのかな?

病院に行ってみるのもいいと思うよ。

「とにかくぐっすり寝るために」導入剤系をもらうのも手かも。


自分も寝汗がひどくて悪夢ばかりで泣いて起きることが多くて、

病院に行ったら結局鬱病だって診断された。

原因が分かってほっとしたのか、寝汗は止んだ。

悪夢は見るけど、現実にはありえないので(職場で部分的癖毛をののしられる夢とか)

最近はすっかり楽しんでいる。

2010-10-25

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1287973852/

【話題】悪夢大学卒業生の3割が就職できない!早慶一橋、中央、上智法政明治青山学院学習院など一流大学でも就職

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1287960776/l50

社会センター入試、難易度別に2種類 2016年導入を検討

どっちも無能な私立大学、とりわけニッコマ以下を潰すだけで解決するじゃない。何ちんたらしてんだろ。無能が無能の位置に落ちるだけなのに、ためらう理由もないでしょ。

ていうか、大学を潰す必要がないって論調もたまに見るけど、なんなのあいつら。大学内部関係者

2010-10-19

NEC VALUESTAR VW500をリカバリ領域のみで再セットアップするまでのまとめ

自分用および同様の症状で困っている方用ログ

当初の目的ブートエラーからの復帰

友人から起動しなくなったとヘルプが来たので急行

電源ボタンを押し、BIOS起動後、ブート中にこんなエラー

A disk read error occurred

Press Ctrl+Alt+Del to restart

帰省中1ヶ月ほど放置し、久しぶりに電源を押すとエラーが出るようになったらしい。

変なソフトインストールBIOSアップデート等はしていないとのこと。

エラー復旧に1週間も無駄にした挙句挫折

当初はF8キーを押して[詳細ブートオプション]を開ければ、すぐに直せると思っていたけど、

ブートから進まないのだからF8キーを押しても同じエラーが出るだけ。

一応、F2キーBIOS設定画面を開き、[Load Setup Defaults]を試すも症状変わらず。

 

また、VISTAにはXPの[回復コンソール]がなく、[システム回復オプション]という復旧手段が用意されている。

しかし、このマシンプリインストール版なので、ディスクからの起動できない。

この場合はF8キーを押して[詳細ブートオプション]を開いて、そこから起動できるようだ。

・・・・・・\(^o^)/オワタ

 

その後、試行錯誤を繰り返した結果、再セットアップするしかないという結論に至った。

KNOPPIXデータバックアップを取っておこう

バックアップするにもWindowsが起動しないので、こんな時はいつもLinuxOS Knoppixに頼っている。

公式サイトhttp://www.rcis.aist.go.jp/project/knoppix/)ではDVD版とCD版がiso形式で配布されており、DVDなりCDなりに焼けばOSディスク起動できる優れもの

さらにCD版をUSBインストールしたUSB版も作成できるので、非常用に1つ作っておくと便利。

以下、USBKnoppixの作り方。

こちらのサイトUSB-Knoppixではじめよう http://yumenohako.jp/cgi-bin/knoppix/wiki.cgi)を参考に簡単に解説。

【本題】リカバリディスク(再セットアップディスク)をどうやって作る?

このマシンは前述の通りプリインストール版なのでインストールディスク(再セットアップディスク)が付属していない。

では、どうやって再セットアップするかというと、

しかし、今回はF11キーを押してもエラーが表示されるのみ。それにわざわざリカバリディスク作成しているはずもなく手詰まり

リカバリディスクはこちら(http://nx-media.ssnet.co.jp/から購入できるけど価格は1万円。自作するしかない。

そもそも本来はリカバリディスク作成できるのだからHDD内のどこかにリカバリディスク用のデータが入っているはず。

そこで再びKNOPPIXを起動してみると、[NEC-RESTORE]という名前リカバリ領域が隠しパーティションとして用意されていた。

以下、リカバリ領域を使ったリカバリディスクの作り方。

こちらのサイトLaVieレストア顛末記 http://deme.jp/wing/vol019/demeshin/NEC.htm)が大変参考になった。感謝

以上の作業によりHDD故障していない限りはリカバリディスク作成して再セットアップ可能。

ただし、当初のエラーの原因がHDDにある可能性もあるので、HDDを交換してからリカバリディスクを使用した方がいいかもしれない。

今後はCrystalDiskInfoなどのソフトを使用してHDD監視をするつもり。

【失敗】再セットアップ時のエラー

再セットアップが進むと、シマンテック社の「Norton Ghost」というバックアップツールが起動し、1%2%3%...と作業が進行する。

最初にやった時は、50%ほど作業が完了したところでこんなエラーが出現。

Cannot open GHOSTERR.TXT - insert diskette (434)

File Name ? (546)

Output error file to the following location

A:\GHOSTERR.TXT

[OK] [Cancel]

おそらくGHOSTERR.TXTというファイルの出力先が見つからないのだろうとあたりを付けて、

フォーマット済みCD-RWを挿入後、A:をCDドライブのF:に書き換えてOKを押すと

Application Error 19235

Ghost has detected corruption in the image file.

Please perform an integrity check on the image.

if this program persists, please contact Symantec support center

or contact systematec support

どうやらイメージファイルが壊れているらしい。

このイメージファイルとは、前述リカバリディスク作成手順6以降の[拡張子GHSファイル]。GHSGHOSTの略か?

そこで、Disk4,5,6をNERO9体験版太陽誘電製のTHE日本製DVD-Rを使用し、

念のためディスク1枚あたり4GBを超えないようにし、4倍速で焼き直してみたところ、今度は正常に再セットアップが完了。

最初Windowsに標準装備されている[ディスクへの書き込み]+台湾製の安物DVD-Rを使用したのだが、

どこかで焼きミスしたことがエラーの原因だったらしい。

これを教訓に次からは絶対にライティングソフト国産ディスクを使うことにしよう。

(追記10/22)HDD健康状態は「注意」レベル

CrystalDiskInfoを使用してHDDの状態を調べたところ、案の定「注意」レベルだった。

注意項目生の値 
代替処理保留中のセクタB(11
回復不可能セクタ25(37)

※[生の値]の数値はデフォルトが16進数表記。括弧内は10進数に変換した数値。

やっぱり当初のエラーHDD故障とまではいかなくとも寿命が近いということだったのか。

使用時間は17000時間HDDの交換を検討した方が良いけど、一体型の交換は難しいような。

まずはWestern DigitalHDDからData Lifeguard Diagnosticsでゼロフィルをやってみる予定。

エラーチェックで完全に逝くかもしれないけど、バックアップもしてるし、リカバリディスクもあるし。

あと、VistaのバーションはSP1だと思っていたけど、まだ更新していなかった模様。

そこで更新プログラムインストールしてみると途中で止まってしまい、修復スタートアップする羽目に。

(追記10/24WD Data LifeGuard Diagnosticsのゼロフィルで「正常」に回復

Vista SP1の導入に失敗し、修復スタートアップを行ったものの、12時間経っても終わらず。

そこでいっそのことHDDデータを完全に消去して、再セットアップすることにした(7時間ほどかかる)。

方法としては先日のとおり、Western DigitalHDDの診断ツール「Data Lifeguard Diagnostics」を使用する。

このツールはFDD版とCDしかないので、いつものようにUSB版の作成を試みる。以下作り方と使用方法

再セットアップ後、CrystalDiskInfoを実行すると見事に「正常」レベルに回復。

前回注意項目だった「代替処理保留中のセクタ」と「回復不可能セクタ数」の生の値は0に変化。

なぜか使用時間が14000時間に減少していたものの、とりあえずはHDD故障心配はしなくていいかな。

ちなみにSP1の導入は成功。今後はCrystalDiskInfoを常駐させ、監視を続けることにする。

 

(追記11/8/18)そろそろ限界

あれから10か月後、悪夢ブルースクリーン降臨したので、またクリーンインストールを行った。

CrystalDiskInfoを使用してHDDの状態を調べたところ、「注意」レベルに逆戻り。

注意項目生の値 
代替処理保留中のセクタ2D9(729)
回復不可能セクタ70(112)

※[生の値]の数値はデフォルトが16進数表記。括弧内は10進数に変換した数値。

以前のエラー時よりさらに状況が悪化しており、HDD寿命がかなり迫っている模様。

いつ突然死を迎えてもおかしくないので、重要データバックアップのうえHDDの交換を予定。

 

ブログがないので、増田ログ残し。ツッコミや質問はid:frsattiまで。

2010-09-03

情弱 VS チキン~ある2ちゃんねらー達の遠吠え~」

「敵は我々の動きを知らない…」

それだけが唯一の防御であり、最大の攻撃。

リアル社会では何一つ叶わない「敵」への容赦ない攻撃を

ネット上で繰り広げていた数名の若者達。

それは血も痛みも伴わない仮想現実での”落書き”以上の

何物でもなかったはずだった。

意外な落とし穴から起訴される仲間。

信じていた仲間の裏切り

唯一の武器であったはずのネットが、彼らを破滅へと導いていく。

次々と訪れる悪夢と不信に壊れてゆく彼らの運命は…!

http://anond.hatelabo.jp/20100903232505

2010-08-31

ヘルニア舐めてた。

ほんの一ヶ月前にいきなり腰椎椎間板ヘルニアになってしまいました。

つまりは腰の骨と骨の間にある椎間板という組織が飛び出して、神経を圧迫することによりさまざまな症状が出るらしいのだが、

私の場合、腰は発症時も今も特に痛くなく、片足に強烈な痛みと痺れがいきなり出てきた。

緊急入院で約3週間入院生活を送り、今は自宅療養中の身。

今まで腰を痛めてぎっくり腰になったこともなかったし、

腰痛はまったくなかったってわけでもないが中腰とかつづけてその時だけ痛い程度で

特にそれらしい前兆は何もなかった。

で、発症と入院までの経緯なのだが。

一ヶ月前普通に仕事をしてる最中の昼前に

いきなり片足のふくらはぎが張り出したと思ってたら、痛みが同じ箇所に出てきて痺れが出るようになった。

そして2時間ぐらいで歩くのがやっとという痛みになった。

その後は悪化する一方で、片足全体に痛みが走り、痺れがひざ下全体に及んでいた。もう片足にはまったく症状なし。健康そのもの。

座ってても何してても痛い。

ストレッチとか、シップとか試してみたけれど、ただただ猛烈に痛い。

昔足の指を3本骨折したことがあったが、それと比較にならないくらい痛い。

バファリンを飲んでみたけれど、まったく効果なし。

なんぞこれ状態。

その日はどうしても仕事場にいないとまずい日だったので、なんとか自分をだまして定時の18時まで居て退社して、

即効で街の何でも屋的な医院にいった。

遅い時間なので専門的な病院や大きい病院はやってないし、整形外科も診療に含まれてたので急場しのぎととりあえずの意味で行ってみた。

診察してもらうととりあえず神経症状なのは間違いないが、原因は今の段階では不明とのこと。

痛み止め(ロキソニン)とビタミン剤出しとくから、1週間後また来てといわれて帰宅

で、寝違いとかかもしんないし寝たら治るだろうと若干淡い期待を持って就寝。

いつも5秒で爆睡して一度も目が覚めずに朝遅刻ぎりぎりに目が覚める私が

ロキソニン飲んでるはずなのに痛みで眠れない、寝れても浅い眠りで1時間もしないうちにすぐに目が覚めるという悪夢時間を過ごして不眠状態。

朝いつもの時間よりかなり早く目が覚めて起きるとすごく眠いはずなのだが痛みが圧倒してて不眠とかどうでもいいになってた。

猛烈に痛い。昨日より猛烈に痛い。トイレもつらくなって出が悪くなってました。

でも会社行かないといけないと自分を追い込みながらだましだまし出社の準備をしてたが、

その間も激痛が走り、食欲も出ない。歩くのも困難になりつつあった。

本気で救急車呼ぼうか悩んだけれど痛み止めを飲んで、ほんの少しだけ会社に出社して最低限の引継ぎだけしたら病院にいこうと決めて無理やり駅まで歩いた。

正直いつもはなんてことのない10分程度の道のりに3倍以上の時間をかけて、痛みを無理やり我慢して歩いた。

うそのときにこれ、会社ってレベルじゃないとやっと決心がついて電話して休んでそのまま電車乗って大きめの総合病院に。

整形外科で診察してもらったのだが、問診と足の反応を調べてもらってたぶんヘルニアでしょうといわれて唖然・・・。

そういえばこのときに気づいたのだが、足にぜんぜん力が入らなくなっていて先生の手に完全負ける状態に。

えっ、腰は痛くなくて足が痛いのになぜヘルニア?状態。軽く話してもらって納得。神経圧迫してるのが足の神経で足に症状が出てるとのこと。

腰が痛くなる場合もあるらしいが個人によって同じように圧迫されているように見えても症状が若干違うらしい・・・。

検査中大丈夫なようにキツい痛み止めの座薬(後に知ったがボルタレンサポの50mg)を入れてもらって、MRIレントゲンを撮ってもらって腰椎椎間板ヘルニアと確定。

ただ、痛み止めが無意味なぐらい効かない。MRI中も足が震えるぐらい痛い。

で、確定診断後の診察中もずっと痛くて耐えられない中、先生にこれ以上強いのだと麻薬みたいな薬しかないし、外来でできるのはさっきみたいな痛み止め出すだけしかできないけど、会社休めますか?とのこと。

「こんな痛みじゃ会社どころじゃないので休むしかないだろ、常識的に考えて・・・。」

と思いながら会社事情話して休みますといって無理してもらってベッド確保してもらって即入院決定orz

まさか緊急入院するとは思わなかった・・・。

楽観的に診察してもらってる最中注射とか点滴とかで帰れるものだと思ってましたorz

その上、まだ決定はしてないけど手術が必要になるかもしれないとのことでした。

とりあえず、かなり症状もでてるので痛み止めがてら神経ブロックを試してみてから決めましょうとのことでした。

ほかにもいろいろ言ってもらってたんですけど、正直痛みで話の7割ぐらいは通り過ぎるだけでしたよ・・・。

そんな感じで入院したんですがその外来で診てくださった主治医先生がいい人で、

神経根ブロックを無理して本来してない日に早めてしてくれたり(痛みが耐えられないから)、

手術しないといけないと勝手に思い悩んで手術に決めた後も手術か保存療法(手術しないでブロック注射などを使いながら自然治癒で治す方法)で悩む時間をくれたり。

結局手術は回避できて(どちらかというと回避した?みたいな)、神経根ブロック3回コースで退院できるレベルにはなりました。

ただ神経根ブロックが超絶痛い・・・。痛いのを抑えるための治療なんですけど、整形で一番痛い治療法だと先生に言われましたよ。


まぁ、今も若干麻痺が残ってはいるんですが痛みは安静にしてればほぼないのでいいんですが、

5分ぐらい歩くと痛みと痺れがカムバックしてきてしまうんですよね・・・。

これぐらいですんでるのも痛み止め(朝晩ボルタレン37.5mg)のおかげではありますがorz

先生も言ってたんですが、日常生活に戻るのはそれほど難しくないけれど社会復帰が大変な病気だと・・・。

直会社に迷惑かけてるので早く戻りたいんですが、無理すると麻痺が進行して取り返しつかなくなるといわれてるので

家で安静にしてる日々です・・・。

早く仕事がしたいなんて思えることに感謝しながら、復帰に向けてゴロゴロしてる日々です。

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