はてなキーワード: 尻Pとは
SF作家の野尻抱介さんがあるツイートをして話題になりました。
野尻抱介「中学になったらラノベなんか読むな、大人の本を読め。大人の本で本物の教養やセックスや暴力や愛や人生を学べ」「中高生に迎合したラノベなど消えてなくなれ」
https://togetter.com/li/1075475
ライトノベルについて悪し様に言っているかのように捉えられて話題になったのですが、一方で「これは野尻さんの主旨ではない、悪質なまとめだ」という意見も見られました。
SF作家の「中学になったらラノベなんか読むな」が文脈外れて盛り上がる 「俺TUEEE!」ばかり読んでたらダメなのか
https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-5589/
ここで野尻さんの一連の発言についてわかりやすく二点に分けると、
・ライトノベルは消えてなくなれ、大人の本を読むべきと個人的には思うが、そう言った個人の好き嫌いの感情で表現規制を論じてはならない。ライトノベルを消すか残すは読者が決めること
・権力がライトノベルを奪いにきたら守らなければならない。そのためにフィクションの沈溺から脱し、ファクトを理解しよう。サブカルを守ろう
ということを言っています。
主旨は「ファクトを理解してすべてのフィクションを守ろう」といったところでしょうか。
上述の記事でも、
もともと野尻さんは、「自分の好き嫌いにかかわらず弾圧には抵抗しなければ」という旨の文脈で発言していたが、結果として、ラノベの是非について喧々諤々の議論が盛り上がることとなってしまった。野尻さん自身「最初のほうだけ読んで噴き上がっちゃいかん」と釘を刺していたのだが……。
と触れられています。
なるほど。
それで合っていると思います。
「ある発言」を踏まえていなければ。
野尻さんがライトノベルについてツイートしたのはこれが初めてではありません。
「この素晴らしい世界に祝福を!」はコンプレックスまみれの視聴者を徹底的にいたわった作品?
https://togetter.com/li/931628
トラック転生して異世界という名の想像力のかけらもないゲーム世界に行って、なんの苦労もせず女の子がいっしょにいてくれるアニメを見たけど、コンプレックスまみれの視聴者をかくも徹底的にいたわった作品を摂取して喜んでたら自滅だよ。少しは向上心持とうよ。— 尻P(野尻抱介) (@nojiri_h) 2016年1月21日
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これは「個人の感情」ですよね。ここまではいいです。(「アニメ」と書かれていますが、アニメを見た上で原作ライトノベルへの批判をしているようです。くわしくは以後の会話を見てください)
@araki_shin 私が想定している若者とは中高生なんですが、彼らもブラックな仕事して疲弊してるんでしょうか? 中高生に悪書を避けるように言っちゃいけませんか?— 尻P(野尻抱介) (@nojiri_h) 2016年1月28日
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
悪書。辞典を引けば「読者、おもに青少年に悪影響を及ぼす本」と記されています。
ぐぐれば「悪書追放運動」などが最初の方に引っかかるでしょう。コミックは低俗で有害だから売ったり読んだりしてはいけません、といった運動です。つまり表現規制ですね。
なんと。野尻さんは個人的な感情のまま、規制を叫んでいたではありませんか。
そのひとが今度は「サブカルを守る」と「規制反対」を訴えます。
と言ったことを踏まえると、今回の発言の「主旨」はこうなるでしょうか。
何故放射性物質ばかり気にするかって、そりゃ、長年の教育の成果でしょう。
(a)「放射能は恐い」「ナガサキ・ヒロシマの悪夢を忘れるな」
一方で
3.11に(b)が引っくり返ったわけで、そりゃ一般人の考えとしては(a)に転ぶでしょう。やっと俺達の時代が来た! とか言ってる尻Pみたいな人間は例外中の例外。
そもそも「数値で判断する」あるいは「科学リテラシ」という能力が一般人に備えられているかっていうと、甚だ疑問。それを育てるべき社会の公器()マスメディアからして、永久機関を何度も記事にしては無能を晒しているわけで。細かく見ていくと、自分で取ったアンケートのデータもまともに読めない記事 (例えば母集団の偏りを無視して「東大に入る子供の母親の○○割は専業主婦!」とか言っちゃう) は山ほどあるよ。
最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去のHTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネットの王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
HTMLは、表・画像・フォーム・音楽・デザイン・フレーム・動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTMLを包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。
ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界のインターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。
80年代末にティム・バナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイルを確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前のHTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLのインターネットの王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前のHTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。
このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在のHTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。
iモードが世界のHTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本の技術が世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本はガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人が過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかしiモードは、真に日本のHTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
iモードは、ドコモのメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れた世界のHTMLファンたちは、iモードのWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。
iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外のモバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要なリレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんなiモードHTMLのバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当なディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。
正字正仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様が誕生する。
この時期、情報技術の進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様『HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。
『HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。
W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーとHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術のデザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。
この仕様『HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーとHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋の工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様『ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。
このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットでリニアな構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しのレベル分けが世界のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。
またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。
それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。
『HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様『XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。
この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業的バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3Cに還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。
M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトやモジラ・ファンデーション、オペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。
彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。
XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様『XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、第二次ブラウザ戦争の集大成ともいえるこの仕様である。
『HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTMLの歴史というものが全部分かる。
『HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアとアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様に押し出した「オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。
以上、これさえ読めばHTMLを包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、歴史的に重要な仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数の分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張に自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンのHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTMLを流行らす土壌ともなった「フラットでリニアな構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTMLを包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。
上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。
「HTMLはSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
世界がCSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字正仮名にだ。ノジタンの日記には、HTMLの本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。
これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
数日前から「岬めぐり」が脳内でヘビーローテーションしており、いささか困っている。
70年代のヒット曲だそうだが、定番というほどでもない。70年代生まれの自分にとっては、聴いたことがあるようなないような曲だなという感じだ。下の世代ではどうだろうか。
それにしてもなぜ「岬めぐり」なのだろうか。
今回の騒動を少しまとめてみたい。
「そらのおとしもの 第2話の “パンツ” が2ちゃんねるで大絶賛!!!:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´) 」
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52044960.html
多くの人がこのまとめエントリで「そらのおとしもの」第2話EDが大変なことになっている事を知った。
http://www.youtube.com/watch?v=6pgJ3K0-qpo&feature=player_embedded
は、残念ながら公式のものではないのだが、再生数はハンパない。
ニコニコ動画では、例によってMAD動画が作られたりするわけだが、過去に投稿された、
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4078495
が、「ぱんつからきました」などというコメントと共にぐんぐん再生数をのばし、「風評被害」タグがつけられた。
ニコニコ大百科には、即座に、
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B2%AC%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8A
という項目が書かれた。この記事では、「そらのおとしもの」第2話EDのテロップには間違いがあり、作詞は山上路夫(代表作「翼をください」ほか)である、という指摘がある。作詞者が「翼をください」と同じ人であったことになにがしかの意味を見いださずにはいられないだろう。
「山上路夫」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E8%B7%AF%E5%A4%AB
「山本コウタロー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%BC
ちなみにWikipediaには、現時点では「岬めぐり」の項目はない。
「そらのおとしもの」第2話EDの「岬めぐり」はカバー曲である。歌ったのは「美月そはら」こと美名(みな)という声優さん。かなりの歌唱力をお持ちのようだが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%90%8D
Wikipediaなどを見る限り、どうも出演作はあまり多くないようだ。
短い記事であり、ブクマ数も少ないが、
「大反響!そらのおとしもの第2話EDテーマ「岬めぐり」を歌った美名さんからのコメントが到着したぞ」
http://www.animecenter.jp/jp/200910/15103401.php
にて、そもそもレコーディング自体が初めてだったことを明かしている。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8528485
にて、パンツを空に飛ばせてみせた。BGMは前述の「初音ミク - 岬めぐり」である。
さらにその解説記事、
「空飛ぶパンツのようなもの」
http://d.hatena.ne.jp/nojiri_h/20091019/1255916165
において、「パンツが空を飛べば、世界が平和になると思うからだ。私は結構まじめにそう思っている。」
と書き、はてなーの心を打った。
また、この記事のブクマで、id:y_arim氏は「墜落したハインドの残骸とムジャヒディンたちの上をパンツの群れが飛ぶ映像に意味がないはずがないのであって。」と書いたが、この一言にハッとさせられた人は多かったようだ。
「そらのおとしもの」はアニメNewTypeチャンネルにて公式配信されているので、未見の方はED以外も観て欲しいと思う。
http://anime.webnt.jp/product/antc/K23/