はてなキーワード: 売れっ子とは
#MeTooっていうか、YouTooなんだけども、以前、漫画家と編集者ばかりが集まる飲み会で聞いた話。つまり伝聞ですがね。
とある男性のベテラン大人気漫画家さんが、その場にはいない名物編集長A氏の名前をあげて、一緒にやった仕事のおもしろエピソードなんかを披露していたんですね。
A氏は、ちょっと詳しい人なら名前知ってるぐらいの知名度もあって実績もたくさんある実力者。
自分は、わくわくしてその話を聞いていたんですが、そしたら、その場にいた人気女性漫画家さんが、途端に口が重くなって何も喋らなくなってしまったんですよ。
で、変な空気になったのを察したベテラン漫画家さんが女性漫画家さんに話をふると、ぽつぽつ…と告白してくれたんです。
新人のころ、A氏の雑誌で初めての連載をやっと持てる、という立場の時。
A氏との打ち合わせ後、帰宅しようとタクシーに乗った瞬間にA氏に乗り込まれ、手を握られてキスされそうになりホテルに連れ込まれそうになったことがある、と。
その女性漫画家さんは慌てて逃げて、後日連載の話も断ったという。
一瞬、えー?あのAさんがそんなことするわけないじゃん!?みたいな感じになったんですが、別の女性編集者が「実は私も…」と言い出して、その場は修羅場となった。
ベテラン漫画家さんが「あいつそんなことやってんのか!!!アホか!!!」と激怒し、女性陣は「A氏あるあるですよねー」と暴露大会となり…。
自分は、この業界の半分を敵に回しながら、なお権力者の位置に居座っていられるA氏ってスゲーなとか思ってしまい、呆然としていた。
編集者と新人漫画家の関係はとかくモメがちで、あからさまな上下関係も利害関係もある。そりゃセクハラなんかもたくさんあるんだろう。
しかし、どの新人さんが突然売れっ子になるかわからない漫画の世界で、よくそんなこと出来るものだ。
実際、その女性漫画家さん(漫画賞をとったこともあるくらいの人)は、A氏とは金輪際仕事しないと言っていたし。
いま、このブームを前にしてA氏は眠れぬ夜を過ごしているのだろうか。
ネットを見ていると時々、売れない漫画家のインタビューをみることがある。かつてはそれなりに稼いでいたが次第に誰からも求められなくなり現在はアルバイトで生計を立てているという内容だ。
そこで決まって始まるのが出版社に対する愚痴である。出版社が求めるのは売れっ子のベテラン作家かこれから伸びる若い作家であり自分のようなヒット作もないベテラン作家に仕事の依頼は来ない。デビューが同時期の知り合いはみんな辞めていった。自分もどうなるかわからない。将来が不安だ。などと言い自分の身の上を嘆くのである。
漫画家に限らず小説家や音楽家などもそうだが、このような発言をする人にはひとつの共通点がある。金を稼ぐ努力を一切しないのである。芸術家を気取り良いものを作れば売れると考え作品の制作すること以外は他人に丸投げしているのである。
彼らに自分が個人事業主であるという意識はない。経営の勉強をしてどうすれば利益が出るか考えようとしない。市場の動きにも無関心で「良い作品」にこだわり続ける。そのような人物はよほど幸運でない限り売れ続けることはない。
彼らはなるべくして不幸になったのだ。
「朝比奈みくるになりたい」
「うっちーになりたい」
「七転福音になりたくない」
「滝本ひふみになりたい」
車を買って青葉ちゃんとデートしていたら、青葉ちゃんが漏らしそうになるも新車を汚すわけにはいかないから口で受け止めるシーンなんてないが、あってほしいという気持ちは否定したくないから
「神林しおりになりたい」
喜多村英梨の相手役を演じるということはすなわちそういうことであるという都市伝説を今作ろうと思ったことのぜひは問わないで欲しくないから
「フウゲツになりたい」
今年中に戻ってくると言った冨樫先生の気持ちを肯定する気持ちが今こうして二次創作を描きたい気持ちに繋がっているのだから
「紅守黒湖になりたい」
あわーちゅーぶって単行本未掲載分あるよね? ああいう4コマ雑誌の未収録を救う会を作って欲しい。
「森田さんになりたい」
「阿澄佳奈になりたい」
この場合はヤマノススメの話をしたいが、ヤマノススメ以外においても阿澄佳奈になりたいという願いは、最早全人類が毎晩寝る前に星に祈りを捧げる共通的な願いでもあることを忘れないでくださいね
「喜多川真衣になりたい」
あえて未登場キャラの話をすることで、ワールドトリガーへの興味をもう一度持とうとしているのです、帰りを待ってるよ!
「ちょっと待って! もうとっちらかりすぎだし、なにより途中からキンドルライブラリーの上から選んでいることがバレバレよ!」
こ、この声は! 最近、再放送をされることも決まったメダロットのメインヒロイン!
「イッキのママです」
いやわかる、これは那須めぐみと勘違いしていたんだよ、仙台エリと那須めぐみを混合するのはあるあるだから。
「絶対そんなことないけど、間違えたことは事実だから否定しきれないよ」
「ほうほう、イワノイくんのエピソードよかったですよねえ」
いや、ドギーの方。
「りんたろうかー」
洲崎綾はラジオパーソナリティだしね
「時系列、メダロット関わったことへ時系列がガバガバすぎるよ」
うるせーーーー!
こちとら、もう三十歳なんじゃ!
「いや、あんた、昔から時系列ダメな人でしょ、なんだっけ、押井守は?」
押井守は小学生の頃犬と脳みそを交換したから、ワンしか言えない。
「えええええええええ!? あんなの買うやつは犬だ! 四足歩行のやつだけが買う、二足歩行のやつは買ってはいけない、と言ってたくせに?」
言ってない…… こともないかもしれないけど、買うは買うよ
オチ……
あじすあべば先生のすけべブックで未だに月に一度はオナニーしています!
「もういいよ」
アホか
そういう風に見えるのは、別に評価する仕組みがないからでも、男社会の価値観のせいでもない
現に今でもジャニーズもいるし、売れっ子のホストだっているだろうが
でもジャニーズjr.の大半がデビューなんかできないように、そこまで上がれる絶対数が少ない
女の評価も視線も金も全部、勝ち残った本当にごく一部の存在だけに集中するからそうなるんだ
勝手に男や男社会のせいにするんじゃねえよ、女の選り好みのせいなんだから
女の美しさに普遍的な価値があると認められているのは、それに金を出す男がいるからだよ
大抵の若い女なら、自分の美しさのおかげで得をするという経験がカジュアルにある
もちろんそのせいで損することだってあるし、おばさんや下位10%クラスのブスには無縁なので
全員というわけではないが、とにかくちょっと得をする場面というのがあるわけだ
だが男にはそれがない、せいぜいブ男が余計に金を払わないといけない程度だ
駅にあるpixivの広告に「安く受けるのはやめましょう」的なPRが書いてあるのを見た。
よくベテランと思わしき絵師も安く仕事を引き受けるなという感じの主張をしている。
(ここでいうベテランとは売れっ子という意味ではなくキャリアだけは長いという意味である。)
そんなの人の勝手で、安いので描かないというのであれば受注しなければ良いだけの話じゃないか。
絵を描くのは大変だししんどいのは自分も描くのでよく分かる。だからって他人の価格にまでどうこう言うのっておかしい。
そんな空気があるみたいだが、そんな業界は他にないと思う。建築業界でそんな事言ったら下手したら逮捕されてしまう。
絵師業界は資本主義の日本では驚くべき閉鎖社会主義的な世界なのか。
時代とズレはじめた絵師が競争したくない、今以上のサービスを提供したくない、作風は変えられない、だからみんなもサービスと品質をあんまり上げないでね。
って言ってるようにしか見えない。絵師の人全員がそんな人ではないと思うが、そういう害悪な絵師が絵も描かずにネットでトレパク発見をに命をかけているように思う。
追記:
いやー、一時期とはいえあれだけ売れっ子だったのに、芸能界にすらポジションを得られてないのが、なんでなんだろなーと思って。
ブラック化が指摘されている業界が、遊園地やブランド品の店舗のようなどうでもいいものではなく、国民の日常や社会を成り立たせるるうえで必要不可欠なものばかりなのが気になる。だって鉄道なければ人が都市に住めなくなるし、銀行がだめじゃ大金の管理が大変になる。
地元の駅前にいくらでもあるスーパーマーケットのうち1店舗がレジ打ちを用意できなくなって休業しても誰も困らないが、警察署が警察官を失えば、学生の自転車の修理をする人間がいなくなれば、社会人のオートバイや自動車を整備する人がいなくなれば、それだけで現代人の生活にかなり支障が出ると思う。
ブラック化が炎上しまくっている最大の原因は、昔のように閉鎖的だからではなく、むしろ逆。社会があまりに厳格過ぎて、その割に理想が現実と乖離しているため、誰もが不満を許せなくなっているということである。つまり適切な解決方法は、「社会にゆとり」を構築するしかない。
かつては退屈そうに本当に客を運ぶだけだった鉄道が、今はぜいたく品販売でもなんでもやってくれるし、私鉄の駅では旅行代理店業務もある。便利にはなったが、客層の質は昔と変わらず、不満要素もそのままならそりゃあ誰も使わなくなる。
そんな社会の現実を魅力に思う人はどこにもいないわけで、たまに運よく鉄道が好きな人がいても、年齢や身分に見合わないくらい張りきれる者(前者)ではなく、耐えがたきを耐えて村八分になるまで地元にしがみつく後者でもないなら、末期のソビエトや東ドイツみたいな勢いの環境についてこれなくなる。
彼らがそのペースについてこれなければ、ただでさえ仕事を背負いながら子育てだってやらなければいけない大人たちもストレスをぶつけ、暴力まみれになるだろう。そうするとどちらも疲弊することになる。それで、消える。誰かが消えると増えたストレスの量を残ったメンツが背負う。これが繰り返されると、最終的には鉄道の商売そのものが疲弊するんじゃないか。膨大な収入をいっぺんに稼げる会社もけっきょくは公共交通なのでどこかで不満が爆発して潰されてしまう。自分よりもずっと貧しい客層に「邪魔だ!」と言われながらも観光列車にのるお得意様やオタクももちろん潰れる。そういう風な突然死が今後各地で起きる気がする。
景気が特別よくなってないのに公務員希望者が企業に流れているのは、試験ではねられるわけではなく、職場の現状に耐えられないからだろう。エリート大学からのエリート公務員を目指す人に貧乏人出身者が多いのも同じことだろうし、若者が娯楽を離れていること、大都会の社会人が二輪車や自転車を日用品として持っている理由も同じかと。
ブラック問題のキモは、つまりそういう社会空間の機能不全にあって、仕組みが成り立たなければやがては産業そのものが突然死する(どこかの先進国の専門学校がある日突然、若者の専門学校離れなどをきっかけに、ある学校は潰れ、ある学校は大学になったように)。運よくどんな理想的な現状であっても、この論理のままでは行き着く先は死だ。
専門学校はまだいい。なくても世の中成り立つから。大学や短大で代用できるし、学費は大学のほうが安いから。でも、この構造問題がもし出版業界で起きたら誰が作家の面倒を見るの?もしある日突然どこかの街の公共交通が破綻したら、市民の生活はどうなるのか。
ブラック社会の最大のリスクは疲弊による「文明社会そのものの突然死」。改めて多くの人が認識してほしい。公共に大きな影響を与えている仕事であれば、官業でもサービス業でも関係なく、一律に現状改善のための策を講ずるのが政治の役割だと思うのだが、何もしてなくね?
あるとすれば決まりを変えるというやり方だ。これからは知的障碍者や精神障碍者でも公務員になれる流れだという。地方公務員はすでに身体障碍者の採用が進んでいる。このままいけばいずれは学歴や中小企業に入れるくらいのスキルがなくても「ブラック企業レベルの雇用環境で」公務員として働けるようになるんじゃないか。人を選ばないなら誰でもできるようにすれば本当にいいのか?
そんなことをすれば、あらゆる人を選ばない職場は機能不全に陥るだけではないかと思う。最近相次いでいるベストセラー書籍の電波化は、売れっ子でありながら出版社にその利益が還元されていないことが指摘されている。ブラック系の出版社から、世間で時をきらめく有名人のドル箱作品が世に出たのだよ。
このままいけば、高卒以上の日本人かつ筆記試験と面接に受かるだけでエスタブリシュメントになれるようになって、街のそこら中で役人がタメ口で市民に応対する事件が頻発するようになるだろうし、現役の役人がサイコ野郎で横領とかやりまくって自治体そのものを潰すことだってありえる。これじゃあ、まずいよ。
そうするとまともな人は支配層になることがバカバカしくなってしまう。バカバカしすぎてエリート層が民間に流れてしまう。あらゆるセクターで同時多発的にそうなって、文明全体の質が一気に低下し、以前は考えられなかったトンデモな事件が頻発し、文明社会が突然死することは絵空事ではないだろうね。
今日は、爆サイすらも知らないようなはてなーが知らないであろう現代のマルチ自己啓発な世界を紹介したいと思う。
現実主義のはてなーとは絶対に交わらない世界であることは間違いない。
私はいつも面白がってヲチしていて、この界隈を解説した記事があれば是非とも読みたかったのだが、
残念ながら探せども探せども無かったので、不十分ではあるだろうが自分で書くことにした。
慣れてないので文章下手ですまん。
妖怪男ウォッチのぱぷりこさん辺りなら、もっと詳しく書いてくれるかも?と期待。
さて、本題。
私がいつもヲチしているamebloでは、どうやらセッションというのが流行っているらしい。
「セッション」という言葉ではなく、「コンサル」という言葉を使っている人も多い。
特に何の特技もない女(ameblo利用者は女が多い)が、「○○〜な自分になれるセッションやります☆」なんて言って、
「継続コンサル」なんかだと、2ヶ月フルサポート付き30万円!!だったりする。
誰が買うの?って感じのも多いけど、なぜか知らんが買うカモがいる。
セッションを受けた人は、強制ではないがほぼ100%、自分のブログで「レポ」なるものを書く。
売り手は、「自分のセッションはこんなに人気ですよ」というアピールになるし、
セッションを受けた人は、リンクしてもらうことで、売り手が人気のあるブロガーなら、自分のブログのアクセスを増やすことができる。
で、セッションを受けた人も、何らかのセッションを販売する→ 以下無限ループ。
一つのセミナーに参加するだけでは飽き足らず、次から次へと色んな人に教えを請いに行く「セミナージプシー」も多い。
もちろん、売れっ子はそれだけで食っていけるぐらい稼いでいるのだろう。
が、大多数の弱小ブロガーは、全世界に本名で自分の恥ずかしい姿を晒して終わりだ。
セッションのテーマは、「お金のブロック解除しましょう!」とか、「引き寄せ体質になるコツ教えます☆」とか、
「女性性を高める」とか、「ブログの影響力の作り方」とか、そんなのが多い。
初めてセミナー行く→気付きを得る→Facebookとブログ連携
→少人数シェア会してお金もらう楽しみを味わう
→セミナーを主催して目立ちたくなる、顔を売る
→貯金なくなるとワサワサして値上げする
→値上げで客がついたら権威が高まったと満足
→仕事辞めて好きな事だけして稼いでいこう!
→楽して稼いでいくためのセミナーに参加……
ちなみに私は子宮系女子のヲチも大好きだが、子宮系はヲチしてる人が多いので、
上手いことまとめてくれる人がいて、全体像を理解するのが容易い。
それに比べて、amebloセッション界隈は実態がまだまだよく分からない…。
子宮系もセミナー、コンサル、セッションとかするけど、あっちは女性性?なるものを特に強調するのが特徴。
アメブロセッション界隈の細分化されたカテゴリとして、子宮系があるっていうイメージかな。
私が見てるセッション界隈ってのは、こーいうサイト。誰かもっと上手く解説してくれませんか??
https://ameblo.jp/ayatanyumetan/entry-12261142375.html
http://ameblo.jp/soulkaiwayoga/entry-12190243187.html
https://ameblo.jp/yuriiiiiisan/
今日、応援している声優さんがお誕生日を迎えられたので、初めてTwitterでリプを飛ばしてみた。
できるだけ目立たないよう、当たり障りのない言葉を選ぶのに一生懸命になっていたら30文字程度なのに10分もかかってしまった。
けど、送れた。緊張した。
沢山のリプが来ているから、きっと埋もれてしまうだろう。表示数の上限とかに引っかかって見れないかもしれない。
けど、それでいいと思う。
それでいい、という事にしたい。
私は、その声優さんに関してはライトなファンでいたいと考えているからだ。
私がその声優さんのファンになってから、まだ1年も経っていない。
中高生の頃はアニメをよく見ていたけれど、2次元は随分とご無沙汰だった。
ジャンルはぼかすが、お笑い・舞台・アイドル・バンドなどの「ステージを観に行く」系のものだと思ってほしい。
元々高校生の頃からそのジャンルのファンではあったのだが、大学生の頃にとある人に興味を持ち、その人を目当てに見に行く回数が増えていった。
Aの規模は決して大きくない。
「若手」とか「マイナー」とか「インディーズ」とか、そんな感じだと思ってほしい。
aさんと出会うまでは同じジャンルでももっと規模の大きなところに通っていた私は、Aでカルチャーショックを受けることになる。
距離の近さだ。
小さな会場だと、一番後ろでも表情がわかる。目が合う。
Twitterでリプを送ると反応が返ってくることがある。
そしてそういう事を繰り返していくうちに、相手に自分を覚えてもらえる。
自分の存在が相手に影響を与えているということがあんなに嬉しいとは知らなかった。
そして、そういった体験は私をどんどんaさんに夢中にさせていくことになった。
当時を振り返って、私がaさんという「沼」の深みにはまってしまった原因はなんだったんだろう?と最近考えることがあったのだけれど、決定打(致命傷というべきか)を与えたのは「チケット」かもしれない。
私は、チケットを取るのが上手かった。
なのでいつ買っても良いのだが、同じ席種のチケットでも優劣があるのは良く知られている事だと思う。
座席が決まっているものでも整理番号入場で自由席でも、基本的には先着順で良いチケットは無くなっていく。
そしてそれは運の要素ももちろんあるのだが、先着順で先頭になるテクニックというものが存在する。
決して特別なことではないのだが、私はそれをするのがどうも一般的な人よりは上手かったらしい。
Aの公演に通い始めてしばらくして、初めてチケットの発売日にチケ発をしたら最前列でみれるチケットが取れた。
本当に特別な事はしていないので驚くと共に、私は不安に襲われる。
どんなジャンルでもそうだと思うのだけれど、最前列は熱心なファン、「強火」なファンが多いものである。
そんなファンの中に、まだにわかな私が入っていっていいものなのだろうか。
いじわるをされたりしないだろうか。
遮るもののない視界。
手を伸ばせば届きそうな距離。
やっべちょうたのしい。
こうして私は、だんだんと公演を見に行く回数が増え、「前方で見ること」にこだわるようにもなっていったのだった。
それから1~2ヵ月経つ頃には、一般的に「追っかけ」というレベルになっていた。
公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。
地方の公演にも行くようになった。
出待ちも毎回するようになった。
そうするうちに、aさんもAに所属する他の演者も私の事を覚えてくれて、お互い軽口を叩ける位の関係性になっていった。
そうなるともうやめられない。
結果として私は、1年間に70~80公演、イベントも含めると100回近く、それくらいのペースでaさんに会いに行くようになった。
どんなに時間や体力や懐が厳しくても、会いに行くことをやめられなかった。
1~3年目は大学生だったので、公演がない日は隙間なくバイトのシフトを入れ、単位を落とさない程度に授業に出ていた。
キャリーバッグを持ってバイトに行き、終わり次第夜行バスに乗って地方公演に行ったり、
地方公演に行った後空港で徹夜して、始発の飛行機で戻りそのまま大荷物で大学に行ったりとなかなかアグレッシブだったと思う。
しかし、結局就職先が決まらずにフリーターをしながら資格の勉強をする道を選ぶことになる。
名前が書ければ入れるような大学ではなかったことと、その年の就活事情が「氷河期よりひどい」と言われるレベルだったことを一応言い訳させてほしい……首都圏で大卒初任給額面15万(残業代出ない)の求人を蹴ったのは間違いではないと思うんだ……。勿論私が追っかけにかまけて就活を真面目にしていなかったことが一番の原因なのだけれど。
何となく察していらっしゃるかと思うが、フリーターになったことで追っかけはとてもしやすくなった。
よく働いた。そして給料は全てaさんのために。
2年後にようやく就職するまで、私は大学生の時以上に追っかけに精を出すことになってしまったのであった。
なお、資格は3ヶ月で諦めている。費用は全て自分持ちだったので勿体ないことをした。どうせならその費用を追っかけに使えばよかったと未だに思っている。
aさんの追っかけをしていたのは正味5年間くらいだと思うのだけれど、その内4年間くらいはずっと「強火」だったんじゃないだろうか。
さっき、「公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。」と書いたが、前方数列以内では基本的に満足せず、最前列をいつも狙っていた。
理由は色々ある。
誰よりも近くで見たかったし、他のファンが目に入るのが嫌だった。
それに、最前列にいると「誰よりも近くにいる」という優越感も出てくる。
中にはAの他のファンと結託してチケットを取っている人たちもいたから、その戦争に打ち勝ち最前列を勝ち取るのは大変だったし、自力で良いチケットを取って最前列でみれたはいいものの、他のファンから嫌がらせを受けて楽しめなかったりもした。
それでも、私はaさんを近くでみたかったし、元来勝ち気で負けず嫌いな性格なので嫌がらせなんぞに屈する訳もない。
むしろ火がついてより一層チケット取りに力を入れることになる。
テクニックで取れる先着順のチケットも、万全を期すために代行業者に頼んだりした。
手売りのチケットで順番がランダムになっていた時は30枚、50枚、100枚と良席が出るまで買い続けた。(流石に毎回は出来ないが。)
余ったチケットは定価か定価以下で譲りに出していたけど、譲り先が決まらなくて手元に結局残ってしまったことも少なくない。
今でも実家を掃除するともぎられていないチケットの束が出てきたりするのはそのせいだ。
私が100枚買ってもチケットが完売しないような状態だったから、きっとAにとっては良いお客さんだったろう。
おかげでAの演者たちから、私はそれなりに気に入られていたと感じている。
まあ、客だから悪く扱われないのは当たり前なのだけれど、他の「強火」のファンの中には割と問題児もいたりしたので「相対的に」ということだと思ってもらえればいい。
その問題児についても沢山書きたいことがあるのだが(なんせ面白い話が沢山あるのだ)、長い話になるため、まだ本題にも辿り着けていない今回は自重したい。
「詐欺」と「下肢静脈瘤」と「亀によく似ている」いうキーワードだけ置いておくのでもし増田でいつかそんな記事を見かけたらその時は宜しくお願いします。
話を戻す。
私はaさんから、他のaさんファンと比較して1番良い扱いを受けていたと思う。
「相対的に見てまとも」
「他のファンと揉めない」
「毎回来てくれる」
「チケットを沢山買ってくれる」
これなら気に入られるのは当たり前なんだけれども。
当時の私も、その事は理解していた。
やめてしまえば、今の「特別扱い」は無くなるとわかっていたからである。
私はそのポジションを守るために必死だったから、やってみて評判が良かったことは続けるようになってしまった。
チケットは、もう良いチケットを確保していてもまだ沢山残っていたら追加で買った。
差し入れは、たまにaさんだけではなく他のAの人にもさり気なく配って他の演者達からの評価も下げないように気をつけた。
出待ちで自分が話す時間が無くなっても、他のaさんのファンの子を「話しに行っておいで」と送り出した。
全部、最初は打算なくやっていたこと。
たまたま、友人を誘う予定ができたから追加でチケットを買っただけ。
たまたま、お礼をしたいことがあったから他の人にも差し入れを渡しただけ。
私が他のaさんファンから嫌がらせを受けたことがあったから、私はaさんファンに優しくしてaさんファンを増やしたかっただけ。
でも、それに「ありがとう」と言われてしまうと、やめるのが怖くなり自分をどんどん追い詰めていくようになる。
それでも、自分が特別だと思っていたし、自分が好きでやっている事だから何も気にならなかった。
けれど、
例えば、自分がどうしても譲れないと思っていた公演で最前列を取れなかった時。
例えば、自分はされたことのないファンサービスを他の人にしているのを見た時。
例えば、相手の機嫌が悪くて冷たくされた時。
_______辛かった。苦しかった。しんどかった。
Aの、aさんの熱心なファンが増えていくほど、そういう事は増えていった。
違うか。
私が、そういう事を前より気にするようになってしまっただけだ。
(だってAの客は5年間で殆ど増えなかったんだもの)(新顔が増えるのと同じくらい前からのファンが離れていったから)
自分が強火になればなるほど、その火力は沢山の利益をもたらしたけど、それと同時に私の精神は焼け爛れていった。
幸いにも、5年間の間にAの他の演者のファンで、私と同じようなスタンスで応援している信頼できる仲間ができて、その子達と相談したり協力しあっていたから孤独ではなかった。
これが辛いと愚痴を零せば「わかる、私もね……」と話をしてくれ、お互い慰め合い励ましあって。
1人でないことがどれだけ心強かったことか!
けれど、aさんはAで一番人気で一番ファンに問題児が多くて一番気分屋だったから、他のみんなより私は苦労することが多かった。
事実はどうあれ、少なくとも私はそう思っていたので、その結果
「みんなはいいよね、私なんか……」
と思う事も一度や二度ではなかった。
その頃にはもう、お金を稼ぐ時間とaさんに会いに行く時間以外はなくなっていったし、稼いだお金はいくらつぎ込んでも足りなかったから、友人からの誘いも断ることばかり。
元々私は多趣味で他にやりたいことも沢山あったけどそんな余裕はどこにもなくて、私の世界はどんどん狭くなっていく。
そしてそうなればなるほど、「私にはaさんしかいない」という盲信は強くなる一方……
「舞台の上のaさんをこれからもずっと見ていたい、応援していたい」
そう思って走り始めたはずだった。
それだけならそんなに苦しい道では無かったかもしれない。
けれど、道の途中で美味しい果物を見つけてしまって、気が付けばそれを探さずにはいられなくなってしまった。
道端に落ちていたりたまたま貰えたりすることもあったけれど、いざ探し求めるとその果物は高い木の上や険しい崖の上にあった。
手の届く所にあるものだけでは我慢できなくて、傷だらけになりながらそれを取りに行った。
同じaさんのファンを妬み、仲間を羨み、時にaさん本人すら呪い、正解も終わりもない「特別扱い」を求めて自分を追い詰めていった。
そんな日々の終わりは、意外とあっけないもので。
他のファンに、私が取った最前列の一番いい場所を理不尽に横取りされたというだけのことだったんだけど、そこで「あ、もういいや」となってしまった。
普段ならそれくらいのことで折れたりめげたりしないのにあの日はなんだったんだろう。
まあ、そんなこんなで私は頑張るのをやめた訳です。
徐々に公演に行く回数も減らして、就職をすることにした。
完全にファンをやめた訳ではなかったけれど、頑張らないというだけでとても気持ちは楽になった。
そうなると公演ものんびりと楽しめるようになる。
どういう訳だか、頑張っていた時のような興奮と感動を味わうことはなくなってしまったのだけれど、穏やかな気持ちでaさんを見られることは悪くなかった、と思う。
特別扱いは無くなるだろうと思っていたけれど、意外なことにそんな事はなかった。
たまに公演に顔を出せばいつもファンサービスをくれたし、たまに話す機会があっても今まで通り。
「そんな事をしても、もう前のようには頑張らないよ」
と言ったことがある。
しかし、そんなつもりはないと返ってきた。
それも含めて営業かもしれないが、私の5年間は一応何かしらの成果を出したのかも知れなかった。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎた頃、aさんは突然Aをやめた。そのジャンルからいなくなり、普通の人になった。
最後の公演を観に行くことはなんとなくしなかった。その必要はないと思った。
そういえばその時、aさん宛にメッセージを集めたいとaさんファンの子に言われたけれど、それは断ったのを覚えている。断った理由は忘れてしまったけれど。
こうして、私とaさんの5年間は終わった。
随分と長い昔話になってしまったが、最初の話に戻ろう。
去年、友人に勧められて見たアニメで好きになったキャラクターの声を担当していたのがその人だった。
その当時、中の人に興味がなかったので、本来であればそこで終わる話だったのかもしれない。
なのだが、そのアニメがきっかけで2次元に出戻り、色々なアニメを見たりアプリゲーをするようになって、その声優さんのキャラに惹かれることが多いことに気付いた。
あまりにもその人が声を当てている子ばかり好きになるものだから、その人の他の出演作を見てみたくなった。
その人本人にも興味が出た。
そんな感じでなんとなくその声優さんを気にかけるようになって、やがて
と思うようになる。
出演作を追えば追うほど、ラジオやなんかで人となりを知れば知るほど、その人を応援したい気持ちは増していって、
ついに自分がその声優さんのファンだと認めざるを得なくなった。
(そう、なんとここまで全て前置きなのである)
けれど、もう私はどんなジャンルであれ「強火」にはなりたくないのだ。
aさんを追いかけていた頃より歳をとってしまった今の私には、あの頃のような体力も行動力もない。
嫌な思いをしてもその人に会いに行くために全力を尽くすという気概もない。
更に、もし今その声優さんをあの頃の私の温度で追いかけようとした場合、時間も費用も体力もあの頃とは比べ物にならないだろう。
300人キャパの会場が埋まらなかったAと、売れっ子の若手声優さんでは色々な規模が違いすぎる。
イベントのチケットを取ろうとしたってあの頃のようにほいほい最前列が取れるわけもないし、そもそもチケット自体激戦で取れないことだってある。
リプを返してもらえたり、出待ちやなんかで直接話す機会が沢山あったaさんとは違うのだ。
この先その声優さんのファンをやってて、果たして直接話せる機会なんて来るんだろうか。
理解しているのだが。
では、どうやってファンをしたらいいのだろう。
ファンであると自覚してから、最初に興味を持ったのは声優イベントだった。
元々「見に行く」ジャンルにいたせいだろうか、直接本人が見れるイベントに行きたくてたまらなくなったのである。
正直悩んだ。
イベントに行く=ガチ勢、というような印象があったし、aさんを追いかけていた頃の悪い癖が出そうで嫌だった。
間違いなく、行けば深入りするきっかけになってしまいそうだと思った。
けれど、誘惑にはめっぽう弱い私なので、結局、とあるイベントに行ってしまった。
悩んだが、行ってよかったと思っている。後悔はしていない。
「うわーーー生きて動いて喋ってるーーーキャーー」
というクソみたいな感想しか出てこなかったが、実際に生で喋っているその人を見れて嬉しかったし、話し方や表情の動きを見ているだけで本当に楽しかった。
その人の服装、持ち物、連れと来ていればその関係性と会話の内容、
どの程度必死なファンなのか、人間性はどうか、マナー違反をしていないか、ファンサービスをされているか……など。
つまりは、
「あっ、今あの人わかりやすくファンサされた。最前列にいるし言動からして熱心なファンのようだし、もしかしたらあの声優さんから認知されている常連のファンなのかもしれない。やだなー、あの人さっき友達割り込ませてたじゃん、そんな人がファンサ受けるなんて……」
Aを見に行っていた当時は、
見ない顔があれば観察して、誰のファンなのか、aさんに認知されているのか、どの程度の頻度で来ているのか、最前列を狙うようなファンだろうか、迷惑行為をしたりするような人ではないだろうか……
と、毎回そんな感じで他のファンを観察していた。
観察する理由は色々だが、「知らない人がいるのが嫌」ということにまとめられる。
aさんのことはなんでも知りたくて、それは「どんなファンがいるか、そのファンにどんな対応をしているか」という点についても同様だったのである。
そして、観察対象と自分を比較して不安になったり安心したりするのが常であった。
その癖は対象がかわっても治らなかったようで、私はその日、他のファンを観察しては一喜一憂していた。
その声優さんのファン層やファンサの仕方を知りたい、という好奇心だけならよかった。
けれど、自分よりも熱心で、沢山その人に会いに行っていて、更に自分より前列で見ている相手がいると勝手に妬み、勝手に自分を卑下して、勝手に傷ついてしまう。
「好き」という感情を他人と比較することも自分の定規で他人のものまで測るのも、無意味で無様で失礼なことだ。
またマウンティングゴリラになってクソの役にも立たない優越感を味わいたいのかもしれない。マウンティングする力なんてもうないのに。
こういう気持ちを打ち明けられて、相談できる同じ趣味の仲間がいたら、と思う時がある。
けれど、同じ人のファンとは表面上の付き合いしかできる気がしないし、例えば違う声優さんのファンだったとしても、過去の私は違う人のファンにまで嫉妬をしてしまっている。
そもそも、こんな面倒臭くて考え方が危ない人間であることを受け入れてくれる人がどこにいるんだろう。
なので、声優ファンの友人を作るのがとても怖い。
先日、同じ声優さんのファンの方からTwitterで声をかけられ相互フォローになったが、とても窮屈な気持ちになっている。
私の不用意な発言でその人を傷つけてしまうかもしれない。嫌な思いをさせたくない。
私のこんな澱んだ感情は隠し通さねばならないと思い、息が詰まる。
もうひとつ厄介なのが、Aを追いかけていた頃に培った技術がどうもこのジャンルでも多少有用らしいこと。
最近は二回連続イベントで最前列を取ることができたし(これは指定席や抽選ではないやつ)、ちょっと取りにくいチケットも普通に取れた。
その見出しは
有村に
というものだった。
「今回の現場に入ったとき“ご一緒だったの覚えていますか?”って。これだけ売れっ子なのに、そういうことを忘れないで声かけてくれたり、撮影で使ったジャガイモを持ち帰ってポテサラを作ってきてくれたり。可愛くて料理もできて、何なんだよ! って(笑)」
ここの部分から「何なんだよ」を抜き出し
悪意ある見出しにしている。
朝出社する前にふとこの記事を見て、
悪意ある見出しって嫌だなーと思った。
出社して短い会議を終えた後、弊社の作業場に行ってみるとパートのおばちゃん達が世間話をしていた。
おばちゃんA「増田さん!有村架純が朝ドラの女優さんに怒られたらしいわよ!」
増田「……それはなんかで見たんですか?」
このおばちゃん達はもうなんでもいいんだなって思った。