はてなキーワード: ヨーロッパ人とは
例えば日本語なら動詞は目的語の後,英語なら動詞は目的語の前に発声することで
次第に思考も目的語と動詞の関係を覚えていく(もちろん例外はあるが)
どちらが正しいっていうのは無いが中途半端に両方を幼児期に覚えてしまうと
どちらの言語でも中途半端な話し方しかできないし思考も中途半端になる
大学の知り合いで何人か幼少期から海外で過ごした帰国子女を知っているが
「帰国子女=エリート」っていう考え方は日本が海外進出を狙うのに英語交渉力が足りないときに必要とされたから広がった考え方で
それこそ中国やインドやヨーロッパ人ですらネイティブ並みの英語力なんてもってない(そもそもネイティブって何よ)
継続的に英語が使われるような環境にならないといくら早く教育しても無駄になるだけ
https://anond.hatelabo.jp/20170626192037
こんばんは、id:sugimurasaburo さんからIDコールをいただきました。ありがとうございます。船橋海神(id:cj3029412)です。本職はねこちゃんの保護、趣味はブログで嘆くこと、在野で中世古文(特に助詞助動詞)研究を行っております。キャッチフレーズは「(´;ω;`)」「でかいです」。将棋も大の好物です。
以下は私の私淑する大野晋先生およびその決定的名著/集大成であらせられますところの(敬語の誤用)「岩波古語辞典増補版」(2016/1/12補訂版第23刷)に依ります。
よろしくお願いします。
(A)~(D)は上の引用解説を便宜的に分類した符号。【訳】は私のもの(一部、戯れ)です。
元増田氏の理解(「加藤一二三という男がいたそうだ」)(「伝聞の過去」になるんじゃないだろうか?)とは少うし違いますけれど、私も第一感、失礼…というか、そんなに遠い昔の話だっけ、という印象です。端的にいえばアホバカクズ受信料払わねえぞと申し上げています。
(ちょっと一休みしましょう)ちなみに、この日記に私が付けたタイトル「強いんだっけ」の「け」がそうです。「けり」の「り」が落ちました。
米長邦雄永世棋聖くらいでしょう。米長先生が戯れに「加藤一二三という男、ありけり」とおっしゃる、これはありえます。「君たちは知らないだろうが、私もいま思い出したのだが、加藤一二三という男がいましてね」あるいは「あら、こんなところに加藤さん、(ずっと)い(らっしゃっ)たんですね(気づきませんでした)」。しかしこれも(ジョーク以外では)無理がありますね。ありえるとしたらかなり特殊な状況ということです。
(参考) https://www.youtube.com/watch?v=pr6-Bv3RVTw
https://anond.hatelabo.jp/20170626193212
トラバの増田氏、慧眼です。古文研究をやっていてよかったなあと思う瞬間です。筋違いながら御礼を。
ネットスラングの【場合によるんだ(よ)なあ】で訳すのが一番しっくりくると思います。(過去)回想/気づきの原義は退き、(自分も気づいた)から同意/強意/念押しのニュアンスが全面に出てくる、その変化点が味わい深いですね。ちなみに、この線でお題の「加藤一二三という男、ありけり」の出るような状況を無理やり設定するとしたら、棒銀のことを話題にしているのにスレのだれも加藤先生のことを話題に出さない。そんなときに【加藤一二三という漢がいたんだよなあ】と、誰かがきっと書き込むでしょう。例えば、そんな感じです。これも、やっぱり例外的ですね。
「けり」は、幅の広い、陰影に富む助動詞です。それを、おそらく伊勢物語から(あるいは、伊勢であることすら忘れて何となく)「昔、男ありけり。」をただ引っ張ってきてNHKは使ったのではないかと想像します。ここからは物語論の範疇ですが「昔、~けり」とやると、一気に作品世界が遠い昔/架空の物語に飛ぶ。その効果を古人はよほど気に入ったのでしょう。いろんな作品が「昔、~けり」を使っています。NHKはさすがに「昔、」とやるのはおかしいということまでは感じた。ならば、もう一歩、脚を止めて考えるべきだったと思います。
お粗末さまでございました。
「けり」の思い出し(回想)効果は、いちど忘れていたことが前提になります。いま、加藤一二三先生のことを忘れてしまっている人はいませんね。ですから失礼というのは正しい直観だと僕は思います。
「けり」を使うくらいですから、7/1のNHKは「神武以来の」と形容されたデビュー当時の、みんなが直接体験過去としては忘れてしまっていたところにフォーカスするのでしょうか。あるいは第19期名人戦で大山康晴先生にこてんぱんにやられたことを加藤先生に述懐していただき、秘話を発掘するといった「気づき」があるのでしょうか。よもや、升田幸三/米長邦雄を冥土の鷺宮から召喚するのか。期待しないで待ちたいと思います。
いずれにせよ、今回、元増田氏が感じたような、現代人の古語の扱い方に対する「もやもや」は、古語研究のもっとも大切な礎の1つです。ぜひ今後とも大切になさってください。楽しかった\(^o^)/
アメリカのカーリーなんたらいうモデルが和服を来たら「人種差別!」と怒られたとのこと。えっ???
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1779780.html
なにを謝罪?
いや、まあ、アメリカのリベラルの文脈があるのだと思うけど、日刊スポーツ記者だってあきらかに僕らと一緒でそういう文脈の中に生きてないでしょ?「はぁ?」って思ったでしょ?説明無しでこういう記事書くのってアホなの?
redditとスラドには記事なくて、アメリカのYahooにあって、読者コメントがついていたので読んでみたぞ。
https://www.yahoo.com/style/vogue-dressed-karlie-kloss-as-a-geisha-050850853.html
いわく
「日本人モデルがカウボーイの服着たら、人種差別主義者だと考えないといけないの?」
「これがトランプが勝利した理由についての完璧な例の一つだな」
「私に見えるのは、誰かさんが東洋の伝統的衣装をまとった可愛い写真で、アジアに対するなんの攻撃的なところもないと思うけど。これでアジア人が悪く見える何かがあるの?」
「てことは次は黒人モデルは裸で胸をさらけ出してライオンと一緒にアフリカの風景の前で写真撮らないといけないな、じゃないとヨーロッパ人に「人種差別だ」と言われちゃうからな」
「私は、何も謝ることがないことについて謝罪したい...私はまた前に誤ったことについて謝罪します...あと、次に私が何か謝るべきことが起きることについて謝罪したいです...」
「もしあなたが白人なら、その日やることについて謝罪を投稿してから家を出たほうがいいな。はいはい。」
1ページ目、長大な一人を除いて訳しましたが、ぜんいん我々と同じように「はぁ?」って思ってるように感じました。
とりあえず私自身は、いまだにこの「cultural appropriation」という非難が意味不明なので、わからないうちは否定するよりは学習するつもりでいますが、しかしそれにしてもこのヤフコメとニュース記事との乖離。いまのアメリカの言論界を動かしているのはいったい誰なんだろうか。。。。。トランプ当選についていろいろな憶測があったが、インテリ層と一般人層との深刻な溝というものを、われわれにも身近な「和服を着たアメリカ人」という題材によって、私にも実感を持って経験できたような気がする。
タイ人の知人は日本のお好み焼きが好きらしく、盛んに誘われるので
以前訪れた事のある広島焼き屋を訪れた。
店に入って店内を見渡すと3人組と1人で来ている人がいた。
この瞬間ちょっと嫌な感じがした。
実はこの店はそれほど広くない。
2グループがいると3グループ目の会話はどちらかに聞こえてしまう。
とりあえずメニューを見て
注文してしばらく経つと変なことが起こった。
店主のような日本人がやってきて変な会話になった。
多分店主「実は広島焼きはすごく大きくてライスまで注文すると食べきれないんです。
自分「食べきれない分は持って帰って食べるのでライスもお願いしたいです。」
多分店主「でもものすごく大きいですし、食べきれないと思いますよ。」
実は前回も同様のオーダーだったが特に何も言われなかった。
なんか変だなと思いつつ考えていると店主のような人が続ける
多分店主「実はライスを切らしてまして、買いに行かないといけないので・・」
多分店主「大一個分ならOKです。」
自分「ではそれを2個に分けてください。」
なるほど、実はライスがなくてオーダーに応じきれないものを多分色々理由をつけて
断りたかったんだなと思った。
でもタイの文化的には「材料切らしてるし今日はできません」でたいてい片付く話だし、
日本でも「材料切らしてるので、申し訳有りません。」一言ですむとおもうのだが
店主っぽい人はなぜこんな回りにくい上に嘘がバレた場合怒られる可能性もある
その後トイレに席を離れ帰ってきてからしばらく経つと隣からの会話が聞こえてきた。
集中してなかったので一部しか聞こえなかったが明らかに自分か知人、もしくは両方が
批判されてる内容の会話だ。
英語を話している人は今は他にいない。
しばらく聞き耳を立ててみるとどうやらこの批判している人物が中心人物らしく
多分ボスザル的な人で残りの2人は付き合わされている感じだろうか。
しかし隣の席から批判してくるとは非常識にもほどがあると思った。
嫌な気分になったのでそのあとしばらくして店を出た。
家に帰って考えてみると以前行った事のある沖縄料理の店は日本人だけでなく
だから「材料切らしている。ごめんなさい」の一言で済んだのかもしれないが
この広島焼き屋はいつも日本人しかいない、さらに喧嘩ふっかけてくるような日本人もいるわけだから
「材料切らしている。ごめんなさい」とは言えず、面倒な理屈を色々考えなければなかったのかもしれない。
海外で日本料理店を開くときは一定数外国人も集まるようにしないと変な日本人が
店主っぽい人が変な質問をしてきた理由はわかりモヤモヤが解消したが、
隣の席から批判してきたボスザルっぽい人に「失礼だろ。謝れ。」とでも言うべきだったのか。
デジタル塗りのような均一な塗りが可能なうえに、デジタル塗りのようなグラデーションも作れる。
正しくは、塗るのではなく摺るということが大きく影響する。
擦り重ねでわかったと思うけど、浮世絵の場合、赤の上に青を摺ることで、紫になるし、黄色の上に青を摺ることで緑になる。
赤の上に青を重ねれば青、黄色の上に青を重ねても青。
しかし、版画になると違う。
"ばれん"という道具に秘密があり、不透明なはずのポスターカラーを使って同じことをしても、かなり同じように透明な性質が再現される。
小学校で使う偽物なんかじゃなく、本物のばれんの話だ。
ヨーロッパ人が「こんな青色みたことねぇ!絵具なに使ってんだ!?」
とビックリしたのは、ヨーロッパで発明された顔料、プルシャンブルーでしたというのは、有名な話。
ところで、本物の"ばれん"って、一枚7万とか10万とかするんだぜ?信じられるか?見た目はただの鍋敷きなのに。
均一な塗り、均一なグラデーション、レイヤーの乗算、言ってみればイラレに近い。
「君の名は」よろしく、空気や風、雨、空、水、そういう形のないものを積極的に絵の中心にもってこようとしたのもそのころの浮世絵が元祖だね。
人物が主で背景が従ではなくて、まったく逆に雨が主で、人物は従、空が主で人物は従、そういう絵がわんさと発明された。
北斎という努力型の超人と、広重という天才の働きは大きいことは認めるが、デジタル塗りに近い木版画の特性によるものが大きいと俺は思う。
あとアニメ映画が今一般にももてはやされてるのはぶっちゃけ一般人にとって
「アニメってなんだっけ??」
なぜならゴールデンタイムにはアニメなんか流れてなくて一般人が観るのはクッソつまらないバラエティ番組だからだ。
もしくはクソドラマ。
そんなのと比べるとアニメ映画も微妙だったり雑かったりする内容でもとても新鮮で面白く見える。
君の名の雑さが特に言及されることがなく一般層に大いに受け入れられたのも、
普段みてるクソバラエティの雑さに比べたら何倍もマシだから気になるわけがない。
ちょうど胡椒を知らないヨーロッパ人が胡椒食った瞬間のような状態。
単に味に免疫がないから珍しくてもっと欲しい欲しいとなっている。
一般層が持つ「定期的にアニメコンテンツを楽しみたい」という欲求を宮崎駿のポストたちが満たしているのが現状。
あとはオタク層に映画を何回も見にいかせるという風潮が流行らせることができたマーケティングのおかげ。
でも何度も見に行かせて豚どもに数字に興味を持たせるのはCDを大量に買わせてランキング気にさせる手法の1種なので、
いずれ飽きがきて狙った効果が得られなくなるのは目に見えてる。
世界の片隅とかも同じノリでやろうとしたけど既に効果が落ちてきている。
財布が無限にあるわけじゃないんだからこんな立て続けに消費させようとしても無理です。
シンゴジラ→君の名→声の形ときて、さすがに学習しはじめたやつが「またか」となってしまう頃、
まあ時期が悪かったね、としか。
コディアック(英語:Kodiak、ロシア語:Кадьяк)はアメリカ合衆国アラスカ州コディアックアイランド郡にある市。
現在はアメリカ合衆国沿岸警備隊最大の基地やロケット打上げ基地が存在する。
ヨーロッパ人が到来する以前のコディアックの主な住民は、ユピク系のアルティイク人であった。
現在でもコディアックには多くのアルティイク人が居住している。1740年代頃からは現在のアラスカにロシア人が多く訪れるように
なり、現在のコディアック周辺にもロシア人が到達した。1784年にはグリゴリイ・シェリホフ率いる探検隊がコディアック島を訪れ、
スリー・セインツ湾(Three Saints Bay)沿岸に最初の入植地を建設した。さらに1790年にアレクサンドル・バラノフが島の北東に
居住地を建設したが、これが後のコディアック市の原型となった。 1867年にアラスカがロシアからアメリカ合衆国に売却されると、
コディアックにもアメリカ合衆国からの入植者が居住するようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AF
当時、合奏のグループメンバーにクリスチャンがいて、そこから教会のご厚意で、ミサが終わった午後に練習することが何度かあった。
その時、たまたま合奏を聴いていたドイツ人の信者さんから「あなたのモーツァルトはおかしい」と言われ、後でそれを楽器の先生に話した所
「ヨーロッパ人の言うことはあんまり気にしないほうがいいよ」と言われた。
そこから「現代ヨーロッパ人にとってのクラシック音楽の受容」という話になって、先生から出てきたのが以下の喩え話。
個人的にはかなり納得した。
※ この文章は筆者の伝聞に基づいて構成されているので偏りがあると想われる。
ちなみに以下のふたつのことを教えてくれた人は音楽科の先生に教えてもらったことを
自分に教えたようだ。
以前、自分に、日本の音楽と西欧の音楽について、こう教えてくれた人がいた。
曰く、
と。
どういうこと?と聞いてみたら、
「ヨーロッパ人は、歌い始めに必ず四分休符とか八分休符をいれてから歌い出す。」
はぁ、そうなんだ。そういえば、そうかも。と納得。
その人が言ってたことで、もう一つ気になること。
曰く、
「日本で売れる曲は、カラオケで歌える曲。歌いにくい曲は売れない」
と。
これはSMAPの世界に一つだけの花が売れた時期に言われたことで、
音楽にほとんど興味なくて(アニメのサントラばかり聞いてた)、
へぇ、そうなの。
と流していた。
確かに洋楽では歌える曲と歌うのには適さない、聞く専の曲も売れてる作品あるなぁ
と感じた。
売れてるかどうか知らないけどキングクリムゾンとか。
歌いにくい曲がぱっと見思いつかない。
カラオケで歌うことを想定していない日本の音楽もあると思うんだけど、
なかなか見えないかな、って思う。(最近話題のD.A.Nとかはどうなんだろ?)
歌詞の意味重視メロディアスな曲調重視(要は歌謡曲)の日本の音楽をdisってるわけではない。
鼻歌楽しいし。やっぱそういうのが好きっていうのが自分も日本人だなあって思うし。
それに、ヨーロッパでもRadiohead歌うためにカラオケ行ってる人いるかもしれないし。
でも、
結構気になるのだよね。
もちろん、これに当てはまらない人も多かろうが。
声をサウンドとして聞いてる人、創ってる人、日本にどれくらいいるんだろう?
あと実はマスターキートンのマスターと言うのはこのエピソードから来ている。
やめておけ。拳銃の方がないフリ早いと思っているんだろう長健二はデリケートな道具出玉が出ないかもしれないし思い通り的に当たるとは限らないおまけに健二は抜き構引き金を引く前に3動作いるその点ナイフはワンアクションで終わるこの距離なら絶対に俺が勝どうするそれでもやってみるかね?
やめておけ。拳銃の方がないフリ早いと思っているんだろう流健二はデリケートな道具出玉が出ないかもしれないし思い通り的に当たるとは限らないおまけに健二は抜き構引き金を引く前に3動作いるその点ナイフはワンアクションで終わるこの距離なら絶対に俺が勝どうするそれでもやってみるかね?
ウサギはすばしっこいくせにいきなり半田頭に入ってくるとすくんで動けなくなる。おれも詐欺と同じだいずれ駆られる。
お前は助かりたいのかほんとに助かりたいのか?だったら助けてやる。俺がこの町で最後の仕事を済ませたら無事に連れ出してやる。嫁だけ言っておく。自分をしてるだと思ってそこから早かろうとするヤツほしきらとは言わない。それは人間だ。
これに似たようなセリフをまゆで聞いたことがあると思うんですけれどもまゆと違って良い方がかっこいいですよね。というかもう勇猛もしかしてここからインスピレーションを得てたのかもしんないね。
ヘロインのヨーロッパの密輸ルートはアフガニスタンとパキスタンです。そこで黒片を栽培製造しているのは現地のゲリラ達なんですよ。武器弾薬と物々交換でね。元軍人は向きの闇ルートについてるから異変に気を冷めやすいってわけです。プロ編はトルコで生成されて拾いになる。ヒロインは国会を経由して市場シシリー島20コスタの裏の手によってイタリアと運ばれます。外はブルガリアルーマニアを経てハンガリーポーランドに白い杖また和葉子オーストリアそして西ドイツいと流される。問題は我が英国のルートですが、こいつは、トルコから南フランスのマルセイユを経ていると言われています。これはマフィアの手によってではなくて殺すの体によっているもの。イギリスのヒロイン三井は特殊でなんと貴族やお金持ちの子がやっとで運ばれてるって言うんだから税関はフリーパスのわけです。奴ら上了解際株式を市場のより麻薬に投資している彼の姿なんです。
太一さんは、SNSの時代にファイティング様神と言う2つ名をもらってたらしいちょっと恥ずかしい。
いいか、1番かられやすいうさぎでさえ、追い詰められると料金を後ろ足で切り殺す。諦めてはいけない絶対に。
コルシカマフィアはいじりイタリアマフィア以上に厄介である。その成立は謎だが1節にはこれしかお潮の流れをくむ山宝館によって作られたと言われている。殺し方は複雑の人種政治状況にある現在のフランスに属してるが200年前まではイタリアの1部だった。立石にも神の黒い機体アフリカ系でヨーロッパ人とは異なる。越川10発赤紅対物独立運動が絶えず多くの血が流された。その中で殺すは次第に犯罪シンジケートえと8成長していったのだ。反戦を秘密のマークとする身体組織の結束沈黙の掟は極めて硬くイタリアマフィア以上に世間の目に触れる事はなかった。しかし近年イタリア政府のマフィア借りが本格化しイタリアシンジケートが力を小竹につれて、各国政府はコルシカマフィアの恐ろしさに改めて気づき始めたのだ。
スワンに捕らえられた女を助け出してやらなければならない初めての狩りの時のあの答えが出そうなんだよ。
右くれるものでは無い殺すはあんたを許さないあなたはまるでウサギだあなたが子供の頃気をつけたまま逃した尾崎そっくりだ。あなたには手当てが必要なんだ。
私顔詐欺だとユニークな発想だ君は実にユニークな男だユニークすぎるプロフェッサーにはなれないな戦闘のプロとしては甘過ぎるせいぜいマスター止まりだ。
「戦争反対」のムーブメントが起きているわけだが(もう下火?出遅れてすいません)、なんだか重大な矛盾があるように見えるし指摘もされてる。アメリカにくっついちゃうと戦争しちゃうよ(この70年でアメリカは何度か軍事同盟国を動員して戦争してる)、それはやだ、ってわけだけど、アメリカにくっつかないと中国に戦争しかけられちゃうかもよ(この70年で中国は自分より弱い国に何度か戦争しかけたり侵攻してる)、それいいの?ってとこがどうも無視されてる。
いや、無視してんじゃないと思う。そこ、本質じゃないと思うんだよね。
いろいろな考えを持ったいろいろな人が参加してる。それは当然だと思う。大きなムーブメントにおいてすべての人の意思が統一されてる、なんてのはフィクションであり北朝鮮だ。いろいろな考えを持ってるのは当然。戦争しちゃうかもを最重要視してる人もいれば、違憲性を最重要視してる人もいるだろう(個人的には後者の立場の人には共感する思いが強い)。
でも、そういう人たちを結びつける何かがないとムーブメントにはならない。それはなにか?このムーブメントの本質とは?なんだか戦争反対・平和主義っていうのは語感がいいからスローガン化してるように見えるが、冒頭に挙げたようにそれが本質であるように思えない。もちろん、単に騙されてる(あるいは暴走してる)人も多いだろうが、頭のいい人達もかなり動員されてるので、みんながみんなそうではない。
何が彼らを結びつけているのか?
結局、反米じゃね?
って思った。
証明手段はない。個人の感想。すまんね。しかし、過去の日本のムーブメントを観察し、それで今のムーブメントについても同じ特徴をもつ蓋然性が高いだろう議論は可能だと思う。ちょっと言葉を変えると、尤度ベースで考えてみよう、みたいな感じのことだ。専門家からバカにされるだろけどね。だから増田に書いてるわけさ。
さてどうだろうか。戦争については、起こしたかったり起こしたくなかったりいろいろだ。護憲主義かどうかについては、冒頭の明治維新がすでに国体をひっくり返してる。しかしどれも明確に同じであるのは、反欧米の姿勢じゃないですかね。過去の大きなムーブメントはどれも反欧米の姿勢であって、それが過去の3つの大ムーブメントのどれにおいても起こっていることから、ベイズの定理によって反欧米姿勢があるために大きなムーブメントが起こったのだとする仮説の事後確率が高いのだと思えますね。問題点:観察したイベントが3つしかねぇ。超事前分布を置こう。めんどくさいからやんない。
他に日露戦争後の三国干渉への強い反発・日比谷焼き討ちだとか、湾岸戦争・イラク戦争時のアメポチ批判とかは、強いか弱いかにかかわらずやはり反欧米的姿勢に見える。太平洋戦争の本とかよむと、国際連盟脱退して帰国した時、松岡洋右は非常な非難を覚悟したのに、大歓迎されて却ってとまどったとかいうのがあったが、それもこれかもだ。太平洋戦争時には他に、満州事変から日中戦争の時には日本国民はあきらかに戸惑っていたが、太平洋戦争開戦時にはだれもが意気揚々として喜んだというのも読んだ。
さて、まともな議論のような皮を被った確証バイアスだらけのようにも思われる話はここまでで終わり。みんな批判的思考を持ちましょう。
あとは完全に個人の感想。
逆に親欧米にはどういうのがあるかっていうと、
ってとこでしょうか。
さて単純にどう思うかって話なのだ。
私がどう思ったかは、もうわかっていただけたと思うけど、日本国民を感情的に動かしてムーブメントを作りやすいのは反欧米的姿勢だけど、日本国を繁栄させてるのは常にアングロサクソンにくっついてる時じゃないのってことです。明治維新なんて説明するまでもなく、ムーブメント自体は尊皇攘夷運動だったはずが、最終的に親欧米政権つくって西郷さんと大久保死んじゃったみたいな話なわけで。
さてこういう話をするとき、明治維新のときから続く歴史の長いレッテル貼りがあって、それは今で言う「アメポチ」ってやつだ。言ってみれば、アメポチ初号機は井伊直弼であったともいえよう。戦時中には、鬼畜米英とか言ってる人を非難するような人は「非国民」とか言われていた。もちろん逆方面に対してはチョンとかなんとか言ってたわけで、究極的には自分最高って思ってるだけだろうけど。
で、アメポチ。アメポチ悪いの?ってこと。ていうか犬バカにしてね?まあそれはいい。
「情けない」とか帝国軍人みたいなこという人もあろう。でもさ。国家がアメポチであってそれが情けないなら、個人でアメリカいって勝負すればいいだけじゃないか。本当にアメポチにならなくて済むような有能な人は、当然アメリカで全くやっていけるし、あの国は人種や国籍にかかわらず、能力だけで天下を取れる、そういう国だ。ヨーロッパ人だってそうしてるよ。われわれ極東の日本人が「あれはアメリカ人」と思ってる人たちの中の相当数に、元ヨーロッパ人が相当隠れてる。ドイツ・オーストリア系とか特にね。敗戦国ですし。日本もだよ。
それだけの能力がない人は?そうやって能力もないのにこの冷酷な世界の中で平和を望む・・・そんならアメポチになれってことなわけ。自分一人で世界の中でアメポチにならずに立ち回れる能力がないくせに、日本国家に守られてアメポチではない立場になりたい、でも日本国家は嫌いだ、とかそんな都合の良い話はあるめえよ。
この世の中はローマ帝国と漢王朝の時代からまったく変わっていないと僕は思う。コーカソイドと東アジアに2つの帝国が出現するところまで変わらない(たぶん、20世紀のある一時期には日本がそれになりうる可能性を考えられていたかもしれないが、今は誰もそう思ってないっちゃ、ライジングサン)。
「戦争法案反対」論者の中には一定数、「すぐに中国が世界最強になるから敵にするのはまずい」と思ってる人がいるかもしれない。こういう人とは酒は飲める。まあわたしはそんなの数十年先以降なんじゃねーのって思うけど(だって科学力が違うからね〜)。
元増田です。すみません、ブコメ見てて思ったのですがどうも「道がつむ」は名古屋の方言ではないようです
勝手にそう思い込んでました
適当な所でコメ返ししようと思っていたのですが、予想以上にブクマがあったので気になったものと代表的なものだけ返事します
小学生の頃、三重は近畿と習い、地図帳にも近畿で境界線が引いてあったので、三重は近畿かと
・標準関西弁
何を基準に標準と言っていいのか分かりませんが、伊勢弁っぽいところを京都弁風にして、少し大阪弁を混ぜるような感じで話してます
しかし、伊勢弁と似てるとは言っても、関西弁話すのは外国語話してるような気分になります
ヨーロッパ人がイギリス英語を学びつつアメリカ英語を混ぜたような感じでしょうか
・方言を失うのは悲しい
もう失ってしまいました…
今、伊勢弁を話すと、よそ者が無理して使っているように聞こえるかもしれません
標準語だと思ってました…
あれはめんどくさいっすね
・バカにされた
バカにされたというよりも、単に面白がってからかわれただけですが
・やんやん
美少女の方言は可愛いです。特に、方言を恥ずかしがって、もじもじしながら話すのがたまらなくいい
しかし、私は美少女じゃなく、ただのおっさんなので可愛くありません
id:doksensei 俺の観測範囲では、三重県人はムカつく奴が多いな
id:littleumbrellas 気にしやんだらええやん
id:ivory_rene 「やん」と「に」は用途が異なるのでは。/でも別にやんやん言ったってええやんー。
「できやんに」っていうのは、むしろ「できへんやろ」に近いかな~
id:AKIT 愛知県人が中途半端に使う関西弁も大概にして欲しい(個人の感想です
分かります。同調してくれてるんやろうけど、バカにされたような気分になります
id:hisaka0228 三重を近畿に含む場合は、愛知岐阜は中部地方だよ。東海地方って言い方はまた別だよね…。道がつむは三重弁やにー。なんかこれ読んで三重県民としてはイライラしたw別に田舎っぽくてもえーやん
三重県民と思われるブコメが意外と少ないのは、イライラさせてしまったからだろうか…
id:as3187 中途半端な関西弁ではなく、立派な伊勢弁(三重弁)です。胸を張ってしゃべりなさいよ。私は他県で暮らしてたときも伊勢弁を貫き通して 友人達に訛りをうつしてやったぞ。
「できやんとか、えらいとか言わんといてくれ。うつるねん。」っていうのはよく言われました
id:sabacurry 三重県の方言が個人的にとても好き。女の子が話すと最強にかわいい。
id:oldriver 和歌山・奈良もやんやん言う
奈良県民にも「できやん」をからかわれました。奈良市内はまた違うんかな
しかし、色々と地元愛あふれるブコメ見てて、なんか情けなくなってきた
別に三重県嫌いというわけではないんだが、少し煽り気味に書いてしまった…
これからは地元にいるときくらいは、三重の方言で話してみるかな
とんでもないものに出会ってしまったとしか言えない、凄い衝撃であったことは間違いない。
科学技術については日本は西洋に劣っているが、アートについてはヨーロッパは日本が上だと言ったのは誰だったろう。
ヨーロッパ人が土人に敗北宣言するというのは凄いことだ。
もう、周回差つけるくらいぶっちぎってたということだ。
絵とか興味なかった俺でもわかる。
北斎、広重に比べたら、ダヴィンチもフェルメールもレンブラントもぜんぜん勝負にならない。
そんな浮世絵が、茶碗の包み紙として新聞紙みたいな使われ方をしてたのだもの、ヨーロッパ人は驚くわな。
版画だよ?木版画。
それが、油絵をぶっちぎった。
さて、それがさ、今でも復刻版が1〜2万で買える。
破格に安い。
わかりやすく例えると、川瀬巴水の大正昭和の作品を買うと100万する。
ところが、版木が残ってるので、本人の死後に最近摺ったものもある。
これは超安い。
2万くらい。
色褪せがないし、大正昭和の染料顔料は今でもだいたい調達出来るし。
初期のほうが版木がへたってないからなんとやら、というけど、あれは嘘。
新版画は1000枚以上摺ることを前提の浮世絵の技術で作ってるんだ。
そう簡単には版木へたらん。
オリジナルの100万と後摺りの2万の差額の98万は、歴史ロマンの差が97万くらい。
まず版木をつくるのが高い。
職人が一カ月かけて彫らないといけない。
摺りも当然職人。
そこまで手間暇とお金をかけて、巴水なんかよりずっと安い。
超お買い得だし、買ってあげることが、彫りの職人を後世に残すことにつながる。
江戸時代当時の作品なんか集めたって、職人の技術の継承には伝わらない。
買いまくるしかないだろう。
フェルメールもレンブラントも過去の人にしてしまった、浮世絵という芸術の頂点を、手元に置くことが出来る素晴らしさ!
と、いろんなところで熱弁をふるってみたんだが、なかなか伝わらない。
そうそう、こないだ、
「(国立新美術館に)いっしょにルーブル美術館展観に行きませんか?」
って誘われたんだ。
フェルメールの有名な絵がきてるとかで。
おい、女、こないだ印象派が好きとか言ってたじゃないか。
なんで今更フェルメールなんだよ。
iPhone6ユーザーが今更ブラックベリーみにいくようなもんじゃん。
と言いたかったが抑えた。
それから、浮世絵の摺りの実演会と、CLAMPの原画展が隣接して催されていて、CLAMPの原画展のほうに行きたいとかいう女もいた。
目、大丈夫か?
と思ったんだが、その時も抑えた。
どうしてみんなわかんないの?
横ですが、「イシキヒクイクン」に「イシキタカイクン」が嬉しそうに教え与えてる感じで微笑ましく思えます。
どちらもそのままでは大変な事になるでしょうけど。
理論科学的、って意味が分からない。バイオなんて理論もクソもないだろ?
も
どちらも取り敢えずやってみるんだろ?
技術的な背景を大切にする。まず、やってみる。
と、
は別に相反しない。
間違った結果が出てるのにどこかの理研研究員みたいに途中から虚偽の報告を混ぜたら論外だけど、
アタリをつけて突っ走る、ったって突っ走ってる間、正しい手続きを踏み続けないといけないし踏み続けるだろ?
その辺理解せずに、なんとなく上手く言ってる人見て、あいつは上手いことやってるな、俺はこんなに地道にやってるのに結果でないのに、
とかほざいてるからそんななんだよ。
だから、もう一人の増田みたいなインチキイシキタカイ野郎にハマってくんだよ。ネットワークビジネスとかに簡単に引っかかるわ。
もし仮に、何らか正しい手続きを踏んでないなら、不正があるなら指摘すれば良い、というか同じ研究室なら指摘するのが義務だ。
そうでないならただ指くわえて僕ちゃん僕ちゃん言ってるだけの雑魚。
研究室とかさっさとやめて働けよ。