はてなキーワード: ナンダとは
元々すぐ人を好きになる性格で、しかし基本非モテだったのでしょっちゅう「はー恋心つれーわー」となっていた。
それが色々あってよい人に巡り逢って結婚し、「ヒャッハーこれで会いたくて会いたくて震えることはもう無い!!ワタシ幸せになります!!」と思ってた。
本当にそう思ってた。
なのに、めちゃくちゃナチュラルに性懲りも無くまた人のことを好きになった。
もうピタゴラスイッチみたいにコロコロ、ストン、カツン、ポン!!みたいな感じで恋に落ちた。
念のためにいっておくけど、配偶者以外の人ね。
べつに今の配偶者が嫌いになったわけではないし、結婚生活にはおおよそ何の不満も無い。
配偶者を愛しているし(しかし愛してるってナンダ?)、一緒にいると心の底から幸福を感じる(しかし幸福ってナンダ?)。
ただ、もしこれが結婚する前だったら、今の配偶者とは別れて、好きになった人に突撃していたと、絶対の確信をもって断言できる。
そういう感じ。
とはいえ離婚するような度胸もないし、かといって浮気するような狡猾さも持ち合わせていない。
じゃあどうするの?
この何処にも辿り着かない感情を切り裂いて心の奥底の古井戸に放り込んでおくしかないじゃない。
そしてテンポ正しく日々の生活を送りながら、時々長いタメ息をついて井戸の底で腐って沸き出たガスを吐き出すしかないじゃない。
何より怖いのは、これからの人生でもこうしたインシデントが定期的に起きるんだろうなという予感がすること。
そう考えると、軽く眩暈がする。
はー恋心つれーわー
差別への批判の主題に対して反論ができなかった際によく用いられる手法。
一度始まるとそれが呼び水となり、永遠に鳴り止むことが無くなる。まさに遁走曲(フーガ)
(例)
本来関係のない主張者自信の過去の発言や生い立ちや憶測などを絡めて攻撃することを言う。
ただ、若干古くから使われているので手の内がバレないように慎重になることが必要。
(例)
人種や出身国や所得などで線引きをして自分の主張に都合の良いようなクラスタを作ること。
(例)
本来対立関係にない属性をもつ人たちが受けるメリット・デメリットなどをあたかもトレードオフのように嘯いたりすること。
結果的に根本原因から目をそらさせてしまうので比較的効果は高い。
(例)
まとめてみました。
以下、私の意見です。
クリエイターさんは、「情報を無料にするな!」と叫ぶことに時間を割くのではなく、その時間を使って、情報が無料化される時代を読んで、高品質の作品を作り出すべきだと僕は思う。
多くのクリエイターは、あなたのように絶大な知名度を得るまでに、莫大な時間をかけているのです……。
この意見と、
糞ダセー。
……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
自分のやってる仕事を「お金もらってるから糞ダセー」と言うのか……?
おそらく、西野さん的には「最終的には『恩』で世界を回したい、だけどいきなりは無理だから、まずは絵本業界から手を付けてみました」ってところなのだと思います。
そう思うのは勝手ですが、そう思ってない他の絵本作家にとってはいい迷惑です。
西野さんにとっての「お金を貰わないと回らない仕事」が絵本作家にとっての「絵本創り」だったりするのですから。
絵本業界でこういう前例ができてしまったことを好ましく思わない人も当然いるでしょう。
西野さんのやったことは、確かにマーケティングでは多々行われている事だし、これからの情報化社会を考えれば正しい選択です。
しかしながら問題なのは、有名人にしかできないことを、さもすべて一般のユーザーがすべき事のように説いたことだと、私は考えています。
…てなワケで俺は無料にするけど、その代わり他のクリエイターに「西野はタダにしたんだからおまえもしろ」なんて絶対言っちゃダメよ。
西野さんはこう言っていますが、問題は「タダにする/した」ではなく、「無料商法」を時代の波だ、と論じているところです。
世の中にはそう思わない「職人」も沢山いるってわけです。
自分が精魂込めて作った作品を「無料です!」という文句に釣られて寄ってきた、作品の価値・努力をわかろうともしないユーザーに扱ってほしくはないのです。
そういう点にも少し気を使ってもらいたかったなぁ、と私は思っている次第です。
ここまで私の駄文にお付き合いしていただいた方、本当にありがとうございました。
ちょっと解説しとく。書いてみたら日産を擁護する論調になったけどまあいいや。
■おまえ誰だよ
少なくとも、今回の検査問題と商品の品質には関連がない。「完成検査」と「品質」をごっちゃにしている論調が散見されるので、そこを修正したく増田を書いている。
いま話題の「完成検査」は、安全に走るための最低基準をクリアしているかどうかを判定する工程であるが、現在の技術水準でこの基準を下回る車両が発生することはゼロに等しい(10/22追記:だから完成検査がなくても良い、にはならない)。「品質」は、承前の完成検査をクリアした上で、さらにその上の次元の、塗装が綺麗とか、耐久性が高いとか、ドアとボディの隙間が何ミリ以下だとか、そういう各社の独自基準の話。
例えばブレーキ検査。できたての車両を、ローラー台という地面がくるくるまわる台に載せて、車両を擬似的に走らせる。ブレーキペダルの踏む量と、減速具合(負の加速度)が既定どおりに相関していれば完成検査合格、ということになる。で、このブレーキの踏む量と減速具合はどちらもコンピュータが計測していて、自動的に判定が出る。認定検査員だろうと、補助検査員だろうと、ネコが踏んでいたとしても、判定にゆらぎは出ない。検査はコンピュータが判定しますということを国交省に届け出て、国交省もOKを出している。
■じゃあ何が問題なの
10月18日の出荷停止の前と後ろで問題を2つにわける必要がある。
■まず、前の問題。
既報の通り、検査は各企業で所定の講習を受けた認定検査員がやらないといけないということになっている。この検査員は国家資格の自動車整備士と違い、社内認定制度にすぎない。で、この制度のいい加減なところは、認定検査員になるための難易度が企業でかなりばらつきがあることだ。個人的予想だが、日産はこの認定検査員になるための講習の難易度が無駄に高く、検査員の確保に苦労していたのではないか。そうでなければ日産だけで問題が起きた背景の説明にならない。この予想が正しければ、日産の自爆ということになる。
翻って。せっかく苦労して取得した認定検査員の資格でも、やることはブレーキを踏む、ハンドルを回す、それだけだ。判定はコンピューターが下す。じゃあ何のための認定検査員制度なのか、ということになるが、正直私にはわからない。だから、この制度のない海外向け日産車については今日も問題なく出荷されている。
上記の事情を知るジャーナリストは、日産ではなく本制度に批判の矛先を向けていた。国交省もその自覚があり、問題の早期収束を狙っていたと思われる。
■後の問題
しかし、10/18の「その後も認定検査員以外が完成検査に紛れてました」は承前の「100%大丈夫です」という会見に対する裏切りになってしまった。
超トップダウン型経営の日産で、なぜ最高経営者の指示が徹底されなかったのか?社長は会見で「課長と係長のコミュニケーションのギャップが原因」と言っていたが、その人的ミスが本質ではなく、そのミスを呼ぶ物理的or人員配置的な要因が存在していたと推測する。報道されている内容を整理すると、こうだ。
一般に車両は、「プレス→溶接→塗装→内装→エンジン組み付け→検査」の順に進んでいく。当然、完成検査は最後の検査工程で行われていると思うだろう。しかし、生産効率を極限まで引き上げた結果、検査工程の一部が、各工程の間に挟まって飛び地状態になることがある。この飛び地の部分の対策が漏れていたということらしい。これは国交省も気がついていなかったために、問題の表面化が遅れる要因になった。実際のラインは「完成検査」で定められた項目以外にも、多数の社内基準の「品質検査」が入り込み「完成検査」と「品質検査」は複雑なまだら状態になっている。このうち「完成検査」は「認定検査員」が実行しないとアウト(でも海外向けならセーフ)、ということになる。マインスイーパかよ!
なので、現場の社員が確信犯的に完成検査を蔑ろにしていたわけではなく、
社員「えーと、エアコンスイッチの検査OK・・・と、じゃあ次はウインカーのスイッチっと・・・」
国交省「あ、いまおまえウインカーのスイッチ触ったな!ここは検査ラインじゃないけど、実はそれ完成検査の一部で、おまえは違反の幇助をしている!」
社員「ナ ナンダッテー!! Ω ΩΩ」
という感じなんだと予想する。初手で工場を止めてでも飛び地になった検査ラインの調査と集約をすべきだったし、経営陣は問題の大きさを見誤った。
*繰り返しになるが、それで検査ラインを集約し認定検査員を揃えたところで検査精度は集約前と変わらない。
■じゃあどうしたらいいの?
うーん、どうしたらいいんでしょうね。。。
某知事の「安心」と「安全」は違うんです!に通ずるものを感じている。
■10/21追記
誰も幸せにしないガラパゴスな制度の問題を指摘してきたので、翻って日産を擁護する論調に聞こえるが、この論理展開ではなぜ日産"だけ"で問題がおきたのかの説明ができない。既に個人的推測は書いたものの、真相はわからない。第三者調査の結果待ち。
■10/22追記
私が推論した検査員養成について、日経テクノロジーオンラインに言及がある。10/23までは無料閲覧できる。
http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/feature/15/122200045/102000180/?P=2
養成期間は2ヶ月。私の知る限りでは長いほうに入る。だだ、それをもって日産で問題が起きた(日産以外で問題が起きなかった)原因とするには論拠が乏しい。
はてなにマイナスブクマ・マイナススターがあったなら、と思う。
昨今の流れで、明らかにはてなに広告界隈の人達がなだれ込んでいる。
それがわるいわけではない、が、ホッテントリに上げることをマーケティング手法のひとつになっているのは、
どうにもいただけない。
本当にホッテントリに上がっていてほしいものが上がってこない。
乱れている。
悩ましい。
ホッテントリにはいってきたけど、ナンダコレ?というものにマイナスブクマがつけれたら。
ブクマひとつ数百円払って(800円という増田がいたが、これはあながちありえない話ではないのだ)数で攻めてくる広告業界に、
おれが欲しいのはこの記事じゃない、というマイナス表明することで、
このおかしくなっているホッテントリ界隈がマシになるんじゃないかとおもうのですよ。
agreeだけでなくdisagreeを表明できたら
そんなことを考えていました。
AI翻訳で確かにこの手の文章が苦手なやつ多いし、もっといえば産業翻訳でこの構文苦手による人間誤訳を見かける。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
★ セルロースは( )と形が違う。
2ch書きだったら
「アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するんだ。しかし、セルロースは同じグルコースからできていても形が違うのだ。
だからアミラーゼはセルロースは分解できないんだ!(ナンダッテー)」
「アミラーゼという酵素はグルコースの連鎖したデンプンを分解(ディスアセンブリー)する。しかしセルロースは同じ原料でも形が違う・・・
まるで将棋じゃないか!」(すまんネタに走ったしこれはテレビ版だった)
くらいまでかみ砕いてやったほうがいい(と編集にも言われるだろう)。
でもそれ以外がかなり微妙だった。
やっぱり書く。
当日、
めちゃくちゃ楽しみにしてたんだ。
それ以来大好きだった。
今回13年ぶりの復活で武道館。
すげー楽しみにしてた。
偶然にもアリーナ席。
超ラッキーで楽しみにしてた。
18:30開演。
始まった瞬間、新アルバムの曲でめちゃくちゃテンションが上がった。
「これから盛り上がるぜいー!」と思っていたらいきなりキックが
「はいー。どうもキックですー。続いてのアーティストはこちらー!」
とか言って司会を初めて。
まぁわかる。キックと仲良いし。
歌ったのが5曲。いや長くね?
「続いてはこちらですー!」ってキックが司会して、謎の藤井隆。
それ以外は申し訳ない知らん。
藤井隆も出てきた瞬間からずっと「なんかキック待ってるのにごめんー!」ってずっと言ってた。
藤井隆がまさかの5曲。このあたりで雲行きが怪しくなってきた。
まぁいい加減キック歌うだろと思ったら、
5曲歌う。いや知らんし1曲も。
その次、倖田來未。
倖田來未の時が本当に可愛そうだった。
2階席は座ってるし、
その瞬間周囲が「あ、アリーナでも座っていいんだ」って空気になって、
ど真ん中みんな座ってた。武道館アリーナでみんな座ってるのはじめてみた。
倖田來未もMCで「キック待ってたのにごめんなー!」って言ってて藤井隆も倖田來未も、
みんなかわいそうだった。この時点で開始から1時間45分経過。
倖田來未の時、アリーナで寝てる人いたからね。ビビるわまじで。
その後、キックは出てきて歌ったんだけど、
それはそれで最高だった。
キックさん。
私はすごくすごく楽しみにしてたんだぞ
私の周りもすごくすごく楽しみにして上京してきたんだぞ
なのに「テレビの前のみなさんは〜」
「今度ツアーに来るみなさんは〜」
お前たちの一番のファンは 今!目の前に!いるんだよ!!!カネ出して!!!!
それを無視して!!!!倖田來未を!!!聞かせて!!!どうする!!!!!
いやー嫌な予感はしたんだよなー
しかも発券前後にいきなり「本アプリは終了しました。今後は〜」みたいなアナウンスでていきなりアプリの運用終わるし。
楽しみにしてたんだよーーー!!!
あれだけ誰も聞いてない場所にでたくないだろうに
だから来たのかな
無理だって。
ライブがひどすぎた。
そんなことないよね?
めちゃくちゃつまんなかったぞー!もう一回やってほしいレベルだぞー!!
もう一度ちゃんとしたライブをやってほしい人はシェアおねがいします
それが無理でも運営まで届いてくれ〜
悲しかったんだよー!
垢抜けたいんだけど、なんかイマイチ垢抜けない。
こう……石原さとみさんや橋本マナミさんや磯山さやかさん、麻生久美子さんとか…!
みなさんもともとの顔も良いんでしょうけど、
いやでも、特に石原さとみさんのここ数年の垢抜けっぷりは何なの!!
というぐらい、とってもキレイになっているし。
オタクとは言えないけれど、美容もオシャレもそれなりに好きだ。
百貨店でメイク用品を買うときは必ずアドバイスも聞いたりして参考にしている。
休日や余裕がある平日は巻いたりもするし、最近はつや出しに力を入れている。
きたる30代に備えて痩せたり体を鍛えたりもしはじめた。
素敵な人の日常生活をのぞかせていただいたりもしているけれど……
どうすれば“艶やかさ”とか大人の魅力が手に入るんだ??
多分、今のままじゃダメなことだけは分かる。
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まず、私は西野氏のファンじゃないので特に肩入れはしていません。
むしろ、氏の作品はまさに商業主義のラッセンを彷彿とさせるので好んで鑑賞はしないと思います。
ただ、氏の発言の一部(の切り取り)が沢山の方々の逆鱗に触れたようなので、こういう考えかただったんじゃないかな?という別の視点の提案をする記事です。
まず、問題のURL(http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html)をどうぞ。
そこまで長くないのでサッと読めるはずです。
>糞ダセー。
ここが特にみんなの堪忍袋の緒専用カッターとなっているようですね。
西野氏が2000円で絵本『えんとつ町のプペル』を販売してしばらく経った頃、小学生に高くて買えんわと意見を貰ったらしいところから本題ですね。
確かに、2000円は小学生にとってはお高めの値段設定。
そこで氏はこう思うわけです。
>《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》
せやな。
>双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。
>お金を持っている人は見ることができて、
>お金を持っていない人は見ることができない。
うーん?「ちょっと待った!」はこっちがかけたいもんですがもう少し。
>「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
>そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。
>糞ダセー。
あ、ダメだこの人。自分が伝えたいことを伝える能力が完全に欠如してる。
その理由の大きなところがこの引用した文章からハッキリと見えますね。
>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
この一文もなんだかハッキリせず、微妙な印象。
噛み砕かず要約するとこう。
うーん。チープ。
お金は労働の対価の一つで、生活に必要不可欠、そして評価基準です。
しかし、これは西野氏目線なのです。そう思えば彼の考えるところが伝わりやすくなります。
「クリエイター・生産者が生活がかかってるから無料にできないよ〜」
これは至極当たり前で、西野氏も(言いかたが悪すぎてそう読めるだけで直接)ダサいとは言ってませんね。
そこが、
>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
ここから読み取れるはずです。
西野氏は、お金持ってます。本業は芸人です。しかも売れてます。そして、絵本界からすれば外様です。絵本がなくても生活できます。
そんな氏が、「小供にも届けたい」絵本を出して、お金がなくて子供が買えない!と訴えを目の当たりにしたわけです。
氏からすると、生活もかかってないのに「お金が無い人には、見せませーん」はこの上なくダサく見えるんでしょう。自分が。
つまり、これは西野氏が西野氏に対する発言ではないか。叱咤激励なのでは?
私にはそう読めました。
「お金じゃなくて、恩で回る人生があっても良いのでは?本ならそれができる可能性がある。この本を無料化してお金は貰えなくなるけどみんなに読んでほしいからやるで!お金の奴隷解放宣言や!」
「恩で回る」というのは、消費側が生産側に対して自分の払いたい価値を払うということだよね?
>それに、「西野君、こないだはありがとね」と夜ご飯ぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。
結局、氏が言いたいことは『お金だけ』の社会の否定であって、『対価』の否定ではないんですね。
西野さんアンタけっこうかっこいいよ。労力かかってるものを相手に委ねるっていうのはお金持ってても中々できないことだと思います。超口下手で誤解させまくってるけど。
あとできれば2000円という選択肢だけじゃなくて、サイトで自分で値段を決めて支払えたら便利だしもっといいと思いました。
>…てなワケで俺は無料にするけど、その代わり他のクリエイターに「西野はタダにしたんだからおまえもしろ」なんて絶対言っちゃダメよ。
2年前の3月。自分は就職が決まらないまま卒業式に臨み、そのままフリータールートへ突入した。
就職課をはじめとする大学関係者には「某生命保険会社の営業に内定が出た」と嘘をつくことで、表向きは「社会人生活へ向けて巣立ちを迎えるフレッシュな若者」になりきった。
就職が決まらないということが何より恥ずかしかったし、周りには心配をかけたくなかった。
今思えばそんなクソみたいなプライドで嘘をついた自分の方が恥ずかしいのだけれども。
早くこんなつまらない地方都市から抜け出して、レインボーブリッジでシーマ転がす業界人になってやる。
なんて時代錯誤でクソダサい動機を孕みつつ、鼻息荒く就活がスタートした。おったまげ。
エントリーシートは通る。筆記試験も通る。しかし面接でことごとく玉砕。
気づけば残り弾数はゼロ。そして静かにマスコミの就活シーズンは収束。
就活の良い思い出?履歴書の文字が綺麗って褒められたことくらいかな。ファック。
「まあそれでも?どこかには決まるし?ドンウォーリービーハッピー的な?」と楽観的に考えていたのと、内定承諾までの返答期限という事情から、他企業は内定を辞退してしまっていた。
その後は流石に「転がすのはライトエースでも小型セダンでも、なんでもいいから、もうシーマなんて言いませんから…助けて…」と、ブットビまくってた理想をかなぐり捨てた。
どこでもいいから拾ってくれと地元の中小企業などを血眼で受け続けたが、軒並みお祈り。
自分はシーマどころか社用車にも乗れない人間。この事実を認めざるを得なかった。
冬ごろには就活をする気力も、今までの根拠のないプライドも、全て灰燼と化した。ぼくの心を就活は奪い去った。俺は空洞。でかい空洞。
全て残らず就活は奪い去った。
俺は空洞。面白い。
さすがにYami Yami Day(※病み病みの日のこと)を送って震えるのは嫌だったので、バイトを詰め込みまくり、卒論を夢中で執筆することで現実逃避をしていたら、春なんてすぐだった。瞼閉じればそこに。
こうしてひとり、職無しのまま社会へ放流された死んだ目の若者が完成した。
卒業式後の飲み会で友人とフジファブリックの「若者のすべて」のサビを肩組んで歌った辛すぎる思い出。何年経っても思い出してしまうなあ。
毎晩内定のない人が見るまとめ速報を見て「自分マヂクズだゎ…ッラィ…」とか思いつつ、マンマのご飯はススムくんな、ナンダカンダ健やかなニート生活を続けていたある日。
「金を入れられない人間はこの家を出て行け。とりあえず働け。」
と母に某アルバイト情報誌でアタマをシバかれ、ぱみゅぱみゅしてしまった私。渋々実家から激近の某企業でアルバイトを始めた。
そこにいた先輩アルバイトのK氏は、大学を中退後、様々なバイトを転々として、今に至るらしい。「条件がかなり難しいから正社員にはなれないだろうけど、ずっと別にこのままでいい」と言っていた。
確かに仕事は楽だし、地元にしては時給もいいし、定時でしっかり帰れるし、人は優しいし、社食はおいしいし、福利厚生や社割もあるしで、バイト先にしてはマチャアキも文句なしの星3つだった。
しかし、そんなK氏を見ていると「自分はずっとアルバイトという立場でいいのだろうか?」という疑問が首をもたげてきた。
パン酵母か?というくらいに、その疑問は日に日に膨らみ、(マンマのご飯と社食で体重も膨らみ)ついにバイトを始めてそう日が経っていない初夏のある日、母にこう言った。
「は?東京?行ってどうすんの。」
「どうしましょ、どうしましょ、どうしましょったらどうしましょ」
[2]に続かせてください。
毎度お騒がせしております。
ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、僕は増田活動の傍ら、増田作家としても増田しておりまして、3ヶ月前に発表した『現象学から見る"なぜうんこは口から漏れないのか?"』という増田が23万ブクマ突破というマグレ当たり。
本当に皆様のおかげです。
いつも本当にありがとうございます。
twitterやはてなハイク、ホッテントリや痛いニュースや国会で、取り上げていただくようになり、連日、色々なブコメが僕のもとに届きます。
その中で一通、とても気になったブコメがありました。
それは、
「公共の場で脱糞するのは難しい。自分はできない。こんな私はブクマをもらえないのでしょうか?」
という意見。
クソを綺麗に出す為に特殊な薬物を使っていて、使用しているおむつの数も一般的な赤ん坊より多く、そして排便回数も多いので、脱糞という行為はギリギリまで頑張ったのですが、それでも脱糞。
たしかに、女子中学生からしてみると困難で、自分の意思でクソを漏らすことは難しいです。
実は、ここ数日、このことがずっと気にかかっていました。
《自分は脱糞のよろこびを子供にも届けたいのに、たった「クソを守らせない」という理由で、漏らしたくても漏らせない子がいる。》
双方が求めているのに、『肛門』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。
「なんで、みんなが幸せになる為に発明した『脱糞』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
そして、『脱糞』にブクマを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。
糞すいすいすいようび〜。
……いや、おなかの調子によっては、そういう日があってもいいのかもしれません(←ここ大事!ねとらぼになるとwwwのつく部分ね)。
しかし、はたして全てのブクマが『脱糞』を介さないといけないのでしょうか?
SNSで誰とでもオフパコできるようになり、『国民総穴兄弟時代』となりました。
ならば、ブコメなど介さずとも、昔の田舎の集落のように、野糞やポットン便所的に回るモノがあってもおかしくないんじゃないか。
「うんこ」という《糞》で回る人生があってもいいのではないか。
そんなことを思い、
そして、
一度思ってしまったら、行動せずにはいられないタチなので、行動します。
腸内サイドの理由になるのですが、実はこの決断には勇気が要りました。
僕の社会的立場はすでにこのまえの東京駅大脱糞事件で内も同然ですが、増田やはてなは増田の脱糞(おもらし)告白投稿で生活しているからです。
「脱糞を公開してしまうと、食いっぱくれてしまうのではないか?」
しかし僕は、『10万ブクマつくコト』よりも、『1億人が他人が漏らすところを見るコト』の方が遥かに価値があると考えます。
1億人に見せることができたら、その瞬間は1ブクマにもならなくても、後から何とでもなると思っていますし、なんとかします。
それに、「増田君、こないだはありがとね」とはてなスターぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。
だったら、もう『増田』なんて要らないです。