まさにそういう話ですね。
文化的な習慣や倫理というのは、それなりの根拠や(主に集団の)利益に資するところがあって成立しているわけですが、
一旦文化として確立してしまうとその根拠と関わりなく「それが自然で正しい」という思い込みを生み、場合によっては
法制化されたりもするわけです。
実際にその習慣の根拠が成立している間はそれで構わないわけですが、それが失われて別の利益を損なっていても
その思い込みはなかなか払拭されないわけです。
近親相姦タブーの場合は「人的交流の閉鎖性」が失われて「個人の自由意志の尊重」という価値が認められてきた、
という社会変化をどう反映するかで扱いを考えるべき問題でしょう。