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2021-01-28

鬼滅やエヴァ主人公子どもでなければならない理由

フィクション内の設定について疑問を持っているわけではなく、なぜそのような設定(戦士子ども)で物語を描いたのか」が疑問ということなのでそこに絞って回答する。

 

エヴァ簡単イニシエーション物語から

当初の碇シンジファザコンでありエヴァに乗ることからも逃げていたが、他者と接する内に成長し、父親に認められるためではなく自分がどうしたいかという意志に基づいて行動するようになる。それは子ども大人になるということであり、エヴァンゲリオンという物語アクション要素とわけわからん用語の羅列を除けばおよそそういうイニシエーションを描くことで成立している。

また同時に、碇シンジの周囲にいる大人たちは大人に見えて対して大人ではないということも並行して描かれる。ゲンドウをはじめとしてその誰もが未成熟で、言ってしまえば幼稚な欲望に振り回されている。子ども大人になる物語でありつつ、周囲の大人もだましだまし大人をやってるにすぎないという身も蓋もなさがエヴァという物語でもある(そもそも人類補完計画からして他者が怖いか同化しようという幼稚な思想産物であるし)。

 

鬼滅は複数の要素によって成立しているので一言ではまとまらないのだがひとつ特徴的な要素を挙げるとすると「継承」になろう。竈門家は木こり家系だが、呼吸の始祖と関わりがあったため、竈門炭治郎は父祖から「日の呼吸」を受け継いでいる。それと同じように鱗滝左近からは鬼殺隊の一員として戦うための基礎と水の呼吸を、煉獄杏寿郎からは心構えを受け継いだ。そうやって受け継ぐ度に炭治郎は肉体的にも精神的にも練り上げられ強くなっていく。これが大人主人公であれば受け継ぐことができないのでそういった成長を描けない。

この「大人主人公だと受け継ぐことができない」は歴代ジャンプ大人だった主人公を補助線にするとわかりやすい。北斗の拳ケンシロウシティーハンター冴羽獠るろうに剣心緋村剣心。いずれも道を極めし者であり、子ども大人に教えてもらうような形で何かを受け継いだり成長したりすることはできない。彼らの場合は肉体的にも精神的にも練達しているがどこか欠けたところがあって、その恢復物語の主軸となる(ことが多い)。このように子ども主人公大人主人公では描ける物語が違うのである

鬼滅に話を戻すと、炭治郎たちの敵である鬼舞辻無惨は自らを天災になぞらえる怪物であり1人の人間どころか1つの時代ですら手に余る。ゆえに産屋敷家は何世代にも亘って呼吸の使い手を育ててきた。鬼舞辻無惨という怪物を倒したのは過去から現在現在から未来へと連綿と受け継がれてきた呼吸や想いであり、炭治郎たちはその連なりの終端にいただけにすぎない。つまり鬼滅は天災のような存在と、それと戦う先人から技や心構えを受け継ぎし少年少女物語だと言える。

ちなみに大正という時代設定も、人の命が現代よりはるかに軽かったがゆえに鬼殺隊のような人権無視甚だしい組織が描きやすかったというのもあろうが、大正で勝ち得た平和現代で当たり前のように享受するラストシーンを描きたかたからという面もあるだろう。それが当たり前であればあるほど忘れがちだけど、その当たり前を勝ち取るためにかつて戦った人たちがいるのだ。

 

話を簡単にまとめると、子ども大人になる過程しか描けない物語があって、鬼滅もエヴァもそういうタイプ物語だ、ということ。以上。

2020-12-16

anond:20201216163157

それってほんとに富野主義の話か?

富野キャラクター没入型の作品作りをしないから一つの作品に強い女だったり昭和少年だったり多様な人物像が混在して描かれることが多いと思うが

たとえばあるキャラクター男尊女卑発言をして物語内で咎められないというだけで作家の男女観や家族観を判定するといったタイプの間違いを犯しているというわけではないんだよな?

その上で、主人公格のキャラクター一貫性が感じられないという話ならば、富野アニメ時代においてはアニメ主人公として選ばれる年代である思春期少年少女にアンビバレントさが盛り込まれているというのはごく「自然」なことのように思われる

というのは物語志向されていた時代においては、特に富野のような作家がめざしていそうな「現実に即した」少年少女たちというのは、常に変化し続ける生き物として描かれるからで、そこに現代にみられるような少年少女が特定の「キャラ」という固定化した役割を担うことで状況をシミュレーションするタイプの作劇を念頭に置いたキレイで一貫した解釈を当てはめても一面的になりすぎてうまくいかなくなるのが当たり前な気がする

こういう時代物語においては、女に対して苦手意識の表出をするような少年が「キャラ」変のイニシエーションシークエンスを挟まずにいつのまにかだんだん女と仲良くなっているというのはかなり素朴な描写として「自然」で「現実的」なものであり、少年が女嫌いのような言動をとるのはそれがそういった主義や「キャラ」を持っているからではなくて、たまたまある期間そのような過程にあるということが「現実」の少年によくあるという時代了解のもとに表れているものだと思う

逆に女に対して永遠に拒絶的であるというような描写があるとしたらむしろそれはなにがしかの強い主義のもとに描かれていて「不自然な」少年像として提示されていて、それならばのちの時代に「キャラ」として表出するフレームと同じものとして解釈するのはうまくいくかもしれない

富野アニメに出てくる少年少女の人物像がそうした「キャラ」としての造形であるという解釈をするにはかなり強い根拠となる描写検討必要になると思うが、そういうのはあげられるだろうか?

一般登場人物言動が作者の主義の純然たる反映だという解釈はかなり危なっかしいのと、富野主義厭世主義や反出生主である表現から読み取れることと物語登場人物物語においてそれに違反した言動をとることは両立するということがあり、たとえば時代要請する規範がどれだけ描写に影響を与えるかということとかもそうだし、逆に違反してみえ言動が読み取った厭世主義や反出生主義のアンチであるという解釈にもどれくらい正当性があるのか考えるとというあたりに議論必要になる話題だと思う

2020-10-12

anond:20201012190739

昔は、イニシエーションといって、大人になるときに必ずマンモス狩りの試験があったんだよ。

そいう通過儀礼合格した人だけが部族の中で大人扱いされる。

から若者でも大人マンモス狩りができるのであった。

2020-06-25

anond:20200625213449

アベ批判イニシエーションを受ければ、違法天下りあっせん官僚を辞めさせられたのに退職金は貰った恥ずべき人間と、違法少女売春理由知事を辞めさせられた恥ずべき人間の罪がチャラになって「アベとは違う約束を守る正直な人間!」と持ち上げられるんだから、本当にチョロい。

2020-02-29

セックスをやってない人間は一生人間として垢ぬけない

「裸で互いの粘膜を擦る」というのは究極の愛情表現で、ある意味最大の変態行為である

それを経験してるかしてないかでは自己肯定感他人との接し方に大きな壁がある。

多くの人とそういった事を経験すると、誰か他の人間に会うたびに「愛される可能性」を感じ

人間として強く接することができるし、堂々とふるまえるし考え方もしっかりする。

対して経験してない人間は、キスはおろかそういった変態行為をしてない訳で

イニシエーションに伴う「人間としての文脈」を形成しておらず、愛される事も想像できず、振る舞いも嫌われないように挙動不審になる。

自己解放しておらず、他人を考えることが出来ず、そして幼稚。

他人との人間関係も「自分好きな人だけと付き合う」という他人主導の関係で、惨めにしがみつき

キョロ充存在に落ちる。

2020-02-15

8年ぶりに目が見えるようになったので再起を誓いたい

夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。

8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分メガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるとき姿勢が悪かったのが原因かもしれない

ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。

しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまたこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。

そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネ割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。

ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。

そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格さらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。

それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代写真ほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラス友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分長所勉強しかないのが嫌だった。

から高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力視力回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。

そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色もっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスさら肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。

大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト大学1年の秋には学内自然孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである

今度はさら孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種パニック症である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間思い込みというのも一つの病だと思う。

そして2019年5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。

しかしそこで一つの衝撃的な事実がわかった。

オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである

オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである

中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単解決したのである

8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。

目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さら家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである

8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。

学生時代ほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。

カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。

ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはい人生を歩みたい。

2020-02-06

anond:20200206110955

青年期に入るまではセックスって禁忌あくま古典的社会規範としてな)じゃん。そこから大人としての自由、という時期を経て、結婚して子を成す上での日常になる。そこの遷移がスムースになされているかどうか、イニシエーションを通過しているか、っていうのが童貞とそうじゃない奴との境目だろ。だから、そこにレベルなんてないんじゃないのか。

繰り返すけど、これは古典的な話な。今の世の中、俺は30過ぎで童貞って奴がいても何も悪くないと思うけどな。

2019-10-09

anond:20190626224519

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百三日目

最近わかったこと:「お前の意見を言え」→「~~」→「お前の意見なんて聞いてねえよ」→「??」→「お前の意見をさっさと言えよ」→「~~」→「お前の意見を聞いてないって何度いえば分かるんだ」→「……」→「お前の意見をさっさと言えと言ってるのが分からねえのか!」ってパターンを食らうと脳がバグってブチ切れてしまう。

結局の所は単純なダブルバインドに過ぎないのだが、こういうシンプル精神攻撃に意外と弱いらしい。

コミュニケーションという行為に対して元々高い負荷を感じている自分にとっては、こんなどうでもいいようなダブルバインド方式コミュニケーションエラーがある種のバッファオーバーフロー攻撃のようなものになってしまい脳が完全にバグる。

対処法としては、相手がこのような「無礼コミュニケーション」を行ってきていると気づいた段階で真摯対応するモードから適当に応対するモードに切り替える、ないしは上っ面だけ真面目に聞いてる風に見せかけて実際は単に「うんうんそうだね」「言えたじゃねえか」と女子会のような中身空っぽトークで乗り切るという回路を脳に形成していくのが有効だろう。

コミュニケーションにおけるバッファオーバーフロー攻撃を狙って実行しているパターン典型例が宗教における洗脳行為である

相手精神に対して高い負荷をかけて一度パニックを起こさせてから精神に生まれたスキに新たな価値観を入れていく、いわゆるイニシエーションと呼ばれる洗脳の初期段階である

なるほど、改めて考えてみるとその原理は高負荷をかけることで管理者権限を乗っ取ろうとするタイプハッキング行為のものではないか

逆を言えば、このようなコミュニケーション無自覚に行ってくる人間は、自分に都合よく状況をすすめるために目の前の人間洗脳しながら今日まで生きてきたということだ。

それが自覚的にせよ無自覚にせよ、錯覚を起こさせる段階を通り越し相手洗脳して自分に都合がいいコミュニケーション結果を生み出すことを生存戦略としてきた人間など『まともに相手にしてはいけない』のは間違いない。

2019-09-08

それは踏み絵(イニシエーション)です

オタクは周囲の人間を全部敵(エネミー)だと思っているから敢えて拒否られそうな絵(イラスト)を提示することで周囲の人間を試(テスト)しているのである

2019-08-27

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

2019-06-07

anond:20190607001113

おっアルコールイニシエーションドラッグにして次の「キク」ドラッグを探してしま肝臓か脳のアレで死んじゃう人かな

脳のストレスを体におしつけても体がそこそこ耐えられてしまタイプだな

酒が酩酊できないから次タバコとやると肺にもいくぞ

酔わないなら体にも酒があってるんだろうけど強さを過信して中島らも吾妻ひでおみたいにならないようにな

とある厨は自分で酔ってないとおもうだけで他人からみると酔ってるぞ

気分良さそうではないだけ

ふだんこない増田で管まきだすなども、やっぱり酔って人格かわってるせいだったりしてね

2019-04-15

anond:20190415142250

そうまでして男と友情築きたい理由分からん

別にそういう趣味をもった女同士を見つければよくねえか?

好みの思考回路パターンがあるならそういう女を見つければ?

俺も女性が好むようなアニメで好きなものがあるけど、じゃあその話でわいわいやれそうかって言ったら無理だなあって気持ちしかいね

そもそもコミュニケーション能力問題があるって話もあるけど、下心あるようにも見られるだろうし。

というか男側から友情を求められてない以上、女側が恋愛感情を求めていないってのと同じく齟齬がある状況なわけで

元増田自身がなんかなあって思う気持ちも当然だけど、私は男友達が作れる、みたいな試練とかイニシエーションの一環として使われる男の気持ちも考えてみては。

2019-02-06

anond:20190206001045

本当にコメ欄終わってんな。

赤福もちの醍醐味は、伊勢神宮に行って早朝の五十鈴川を見ながら温かいお茶と一緒に飲むというユーザエクスペリエンスにある。

それから毎月1日には朔餅という年に一度しか売らない餅を朝4時45分とかから売り始める。これに地元の人たちは夜通し並んで食う。平日休日関係なく食う。三重県中の大学生サークル部活の仲間とこれに並ぶことを青春イニシエーションとして経験する。

人は食べ物を食うんじゃない、食べ物ごと情報を食うんだ。そうした体験から得られる情報を取り外して赤福を食べても、ただのおにぎりせんべい原材料しかない。

2018-10-24

anond:20181024084738

一言突っ込むけど

こういう女性人間として見れていない、女性と付き合ったことがない童貞的なメンタル

という非難の仕方は失礼でしょう。童貞であろうがなかろうが女性人間としてみれてない人はいるし、童貞自体を一つの属性シンボルとする(つまり童貞的」と言った言い方をする)ことは、むしろ体験を「人間人間の関わり方の一つ」でなくある種の聖的なイニシエーションシンボル(たとえばトロフィーのような)とする考え方に容易に結びつきます。それもまた形を変えた人間性への蔑視に過ぎないし、その発想のいきつくところがMeTooのあとで随分批判さらされた某ライターの歪み方みたいな地点だと思います

分かりやすく言えば、「あい童貞臭いよね」という批判と、「肉食系千人斬り」を自慢する思考は、表と裏で大して違いはないでしょう。性体験をしていない「からマイナスだ、という言説は、性体験をしている「からプラスだ、という発想を導きますが、それはどちらも間違っています。それとも増田さんの中で、後者発言批判対象ではないのでしょうか? 私は後者だって女性を同じ人間と見ていない」点では大差ないと思うのですが。


揚げ足取りたいわけではありませんが、他者言動に対して「(女性の)人間性への配慮を欠く」という趣旨批判を行うなら、せめてわずか数行の文章に同じ人間性への蔑視がにじむようではいけないと思います

2018-09-21

anond:20180921090508

なんで0か1なんだよ

詰め込んでもゲロ吐くからダメなんだろ

ちゃんと食って鍛えてウソコ出すからデカい体ができる

そりゃ食わない奴はでかくなれんわ

でも入れるだけで吐く奴もでかくなれんわ

あと鍛えろ

ウソコ(消化不可物)が出るのはしゃーない

再利用を期待して撒いとけ

イニシエーションはいらん。アホかとさえ思う

2018-08-19

anond:20180819042119

マスメディアや先達からイニシエーションで、「かわいい」と思う「べき」容姿性格は狭い範囲固定化される。

雑談の中では、「かわいい」と言っても良い相手は限られるので、みなそのような価値観を持っているように感じるが、特に男性の好みは多様、というよりも幅広い。

君が「雰囲気可愛い」、と言っているその子は、たぶん単純に可愛く、しかし男同士のマウント合戦のなかでは「可愛い」といえない範囲にある可愛さであるというだけの話だ。

君はその可愛さに気づいているのは自分だけだと思っているかもしれないが、そんなことは全然ないので行動は早くおこしなさい。

2018-07-14

僕とタントライニシエーションしてください!!!

これは次なるステージへ進むために必要過程です!

性感帯は乳首です

2018-07-08

anond:20180707235447

神秘体験で一発やぞ

お茶ドラッグ混ぜて修行させればいいだけ

後は高い役職に組み込むだけで、アホには高学歴の人も信じてるんだから集客にもなる

んで、後はイニシエーションで女抱かせとけば、たとえ疑いがあっても誰もおかしいと追求したりしない

カルト宗教なんて全部この構造やぞ

2018-05-28

anond:20180527212910

イニシエーション

くだらないブラック企業常套手段小学生がやってるってなると

つくづくこの国の労働問題は根が深いな

まぁこ上級生のクソガキは伝統だとかくだらない建前で

後輩が言うこと聞くのを面白がってるゴミ

ゴミを作る伝統がある学校なんだな

anond:20180527212910

イニシエーションてやつさね。

意図的認知的不協和を起こさせて、愛校心を植え付けるわけだ。

こんなにひどいことをされたのに学校に来ているのだから、私はこの学校が好きに違いない、ってね。

2018-05-16

少年ジャンプ主人公に、両親を亡くしている者が多いのは

両親の死を、イニシエーション役割として媒介させているためか!

2018-05-13

仕事におけるつらさって

仕事において生じる苦心やつらさなどは、文明生活を営む現代人における「大人」へのイニシエーション行為であると思う。

からこそ、今まで平々凡々と楽にしか生きてこなかった人間には仕事のつらさが必要であり、

仕事死ぬほどつらいけど、辞められない」って言う状況は疲労による意識混濁とともに、

これまでの人生イニシエーション経験することがなかったためにその存在意味が掴めず、そしてその存在認識しなかったために生ずる事態ではないだろうか?

あとはそうした精神イニシエーション行為と、肉体的イニシエーション行為共通性と違いについてわかれば、より精神的な概念は広がりそうな気がする。

2018-03-29

anond:20180329162705

ちっげーよ!

いくらナイスエンジンを積んだ車だったとしても、車体に「藤原とうふ店」って書いてあったらドライバーテンションはダウンしちゃうでしょ?

PC物理的なスペックなんて金を掛ければいくらだってあげられる。

ケース一つに拘ったところで、スコアが上がるわけではない。況してやライバルに一歩先んじることができるわけではない。

ケースを変な形にするということは、つまりスペック面ではなくメンタル面でPC自分人格とを融合させるためのイニシエーションであるんだよ。

高校野球スポーツなどのシーンにおいて、ファン応援勝負を分けることなんてデイリーティイベントじゃん。

なんだかんだで最後気合なんだよ。何とかの一念岩をも通すという諺があるだろう?

物理的にできないことでも気合物理を超越することは珍しくないんだよ!

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