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はてなキーワード: イコールとは

2015-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20150110125556

×文字式を導入している

×当たり前のように式変形してるが小学生にとってのイコールは式に対する答

ぷっぷーw残念でしたーw

2015-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20150103185516

「知識」は別にいらないと思うけどね。「知識がある」と「賢い」はイコールじゃないから

それよりオレは、たとえば連続で確固たる理由なく投票しなかった人間参政権剥奪してもいいと思うから参政権行使する「意欲」のない人間の「権利」は、失われても仕方ないと思う。「権利の上に眠る者はその権利を奪われる」というやつ。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.07 『フロレアール~両極を繋ぐ物語

■本文。

 うう……今回こそちゃんとゲームレビューをやろうと思っているんだけども、とりあえず、前回の思考の続きから入ります。いや、書かないとイライラして、安心して本題に入れないんですよ……。

 まず、美少女ゲームの主流が、オブジェクト嗜好による「萌え至上主義に至った理由を考えると、前にも書いたけども、次のステップとなるべき目標不明瞭になっているからだろう。社会的成功といったもの価値を見いだせない世界であるために、細分化された個人主義……拡散という現象になるのだろう。もっとも、求心力のある価値観を求める動きが無かった訳ではないのだけど、それは、エヴァンゲリオンで暴発した結果、衰退し、その後は保守反動的な状況がずっと続いている。

 これは、過去においてもそうで、アニメを取り巻く言論は、『うる星やつらビューティフルドリーマー』など、問題作が次々と出現した、1984年を頂点に、アニメ情報誌として特化されたニュータイプが台頭してくる80年代後半にかけて、急激な反動化が起こっている。以後、閉塞に伴う縮小再生産を繰り返しながら、消費スピードは加速していく。また、ゲームという媒体が台頭し、それが大量消費に適した媒体だったことも、更に状況を加速した。

 結局、そんな閉塞が行き着いた状況で現れた、エヴァンゲリオンという暴発の反動で、何も考えたくないという心境に陥った人々は、萌えという言葉思考を止めて、大量消費を自己肯定する事で精神の安定を求めているのだと思う。現在は「閉塞による安定の状態」と考えてもいいだろう。だけども、極端な状態には変わりはない。

 おそらく、創作しろ批評しろ、これから商品という手段をもって、極端な両者の格差を埋める作業が必要になってくるだろう。また、そうでなければ肝心な人々には届かないと思う。そのためには、バランスの取れた商品必要になってくる……やべ、今回こそきちんとゲームレビューをやらなくては……。

 さて、いきなりあからさまな発言なのだが、『フロレアール~好き好き大好き』というゲームを買う動機は、メルンに萌えるか、前作『好き好き大好き』の続編(?)だから、のどちらかだと思う。メイドで、妹(的キャラ)で、ロリという、現在美少女ゲームにおいての最大公約数的な設定のキャラクターであるメルンに、ヒロインを一本化したことは、『好き好き~』に比べて、牙を突き立てる対象……もとい、購買層の狙いを絞ったことを伺わせる。だが、『好き好き大好き』をプレイした人にとっては、『フロレアール』には別の期待があったはずだ。

 実は、筆者も後者に属していたのだが……結論から先に書いてしまうと、どちらの期待も最終的には超越してしまった感があるのだ。

 『好き好き~』が、自己内面とひたすら対峙する内容……ヒロイン存在はあっても、ヒロイン像は自己内面にの存在しており、その内面現実との摩擦で生じるギャップ物語としての強度を求めた……いわば、変化球的なアプローチだったのに対し、『フロレアール』の場合は、メルンとのコミュニケーションから生じるギャップから自己内面を浮き彫りにする手法を採っている。言ってみれば、正統派ストレート演出を行っている訳だ。そして、その演出を反復することで、物語の強度を上げているし、あくまでメルンという中心軸を崩さないあたりは、非常に慎重でもある。

 まあ、筆者も某誌のレビューでは『好き好き~』を「プレイする人を選ぶゲーム」と書いたのだけど、今回はむしろ、「こんなに分かりやすくしていいのか?」という感想を持った。確かに、平気で会話の中に「ハイデガー」とか「象徴交換と死」なんていう固有名詞が出てくるので、敷居が高い印象を受けがなのだが、そういう単語に頼っている訳ではなく……シナリオの中で、普遍化する作業がきちんと行われているので、意識しなくても意味のものは把握できるだろうし、作り手の思考が一貫しているため、むしろ分かりやす作品になっている。

 そして、この認識を間違えると食わず嫌いもったいないことになる……というか、『フロレアール』は、結果として、両者の中間を行ってしまったのだ。これは、どちらの期待をしていた人にとっても、予想外の事態だったと思うし、ニーズ意識した上での意外性には、商品としての誠実さも感じられた。

 だけども、物語としての強度が、商品としての強度とは必ずしもイコールにならないという状況がある。完結する物語や、密度の高い物語ユーザーが興味を示さないというか、ユーザーバランスの取れた作品より、歪んだ構造作品に惹かれるのが、現在の状況である

 確かに、物語を楽しむということは、「自分人生と違う人生を体験する」ことだけども、それは、「何も考えたくない」「楽しいことだけ考えたい」という意志肯定するものではない。そういう態度は、あまりにも想像力に欠けた姿勢だと思う。基本的創作批評という行為は、想像力限界を拡げるような意外性と強度を持つ必要があると筆者は考えている。それは、「萌え」とか「泣き」という、偏向した一つの感情ではなく、喜・怒・哀・楽、全ての感情を刺激して、初めて成立するものだと思う。何故なら、想像力の欠けた世界は、縮小再生産へ向かうだけだからだ。……まあ、青臭い理想ではあるのだが。

 偏向したニーズに合わせて、偏向した物語が生み出され、大量消費されていくという、最初から意外性を排除した状況からは、当然、意外なものは生まれないし、想像力限界は決して拡がらないだろう。

 だけども、巨大な意志集合体としての「市場」を無視しては、届く訳もないし、商業的にも成立しない。作家性と商業性の相克という問題は、本来、作り手と呼ばれる人々が抱える基本的テーマだったはずなのだが、オブジェクト嗜好による極端な記号化という、個人主義の究極的な所まで解体されてしまった世界では、作家性や意味といったものは、ノイズしか扱われないので、意味の伝達そのものが困難で、作家自体意味が見いだせなくなってくる。従って、慎重なバランス取りを行った『フロレアール』の誠実さが、単なる徒労に終わる可能性は高いと言わざるを得ないのだが……。

 そして、批評が追いつけないのは「個人」による創作ではなく、巨大な意志集合体としての「市場なのだ。深く閉塞し、肥大拡散していく状況に追いつけないのだ。

 結局、物語記号はどちらも極端な……両極と言える位置に離れてしまった。しかし、その両者はコインの裏表でもある。そして、両者を繋ぐものの可能性はどこにあるのだろうか……と、ぼやけた頭で考えているのだけども。

■新マシン購入で金欠な総括。

 確かに、新マシンを買ったこと自体は嬉しいんだけども、鬱の症状は悪化の一途で、あと何回この連載が続けられるか分からないし、自分がどうなるかも分からない。本文ではああいうことを書いても、自分に関しては、批評する意義とかは既に分からないし、実際、だんだん書けなくなってきているし……考えていると、際限なく落ちていきそうで……とにかく、このコラム自分への認知療法なのだと割り切って書くしかないんだろうなあ……新マシン貯金ゼロになってしまったし。いや、実は、うかつに貯金があったりすると、逃亡の旅に出てしまいそうだったんで……という訳で、来月は本当に未定です。どうしよう……。

Natural Color Phantasm Vol.5 『すべての愛情消耗品である

■その1。

 「やばい太平洋だ!」……プレイした感想は、まさにこれだった。休業しているとはいえ、商業誌編集者である筆者は、ゲームの題材として同人誌を扱うのは、やはり抵抗があったし、おたくである自分の状況を俯瞰的に扱うということを、美少女ゲーム表現するとは……という気持ちもあった。まあ、ありがちな先入観を抱いていたのだ。

 で、実際にプレイしてみたら、「ゲームとして良くできている」のだ。確かに、題材の違和感は拭えないのだけど、『こみっくパーティー』はゲームだ。ゲームとして面白ければそれでいいのだ。その驚きが冒頭の台詞に現れているんだけど、まあ、元ネタは分かるまい(笑)

 さて、『こみっくパーティー』というゲームは、特別思想性を見いだすことはできないけど、最大公約数の娯楽性を持った作品だと思う。実際、主人公に関する事柄以外は、かなりのバランス意識を持ってテキストが作られており、現在同人誌状況のプラスマイナスの両極を無難に取り込んでいる。これは、正月オールスター映画を作るようなもので、それ故に「無難」というのは、この場合、最大限の褒め言葉なのだ

 そして、最大公約数故に、どのような批評も内部に取り込んでしまうというか、あらかじめ批評予測された構造になっている。だからユーザーゲーム中の事象にいちいちツッコミを入れつつ楽しんでいるし、批評にしても、思想的な根幹は特に存在しないので、どうしても些細な設定に帰着してしまう。そういう意味ではライター泣かせというか、誰もが批評家然として語ることで楽しむ作品でもあるし、このゲームを語るのは、筆者の場合自分の半生を語るようなものでもあり、正直言って、気が重い。つまり、このゲームを語る事は、ユーザー自身同人誌観を語るのと同じなのだ。これは非常に恥ずかしい。

■その2。

 前号の「美少女絵師列伝」での、リーフ東京開発室インタビューにもあったけど、同人誌即売会という現象がそれほど普遍的ものになったのかと思うと、正直言って、また別の感情もある。筆者は同人誌世界に足を踏み入れて8年、その半分はまんが雑誌編集者として、絵に描いたように、おたくメディアと密着した生活を送ってきたけど、こうした俯瞰的自己言及するメディアが発生するあたりは、言葉は悪いが、同人誌世界成熟し、おたくイニシアチブを取る=経済的に勝利した状況になりつつあるのだな、と思い知らされた感がある。

 あと、『こみっくパーティー』には思想性が無いと書いたが、特定思想があったら、こんな広範な題材は取り扱わないし、結果として、一つの市場をめぐる噂話(都市伝説)の集合体という構成になるのも当然の事だろう。そして、このゲームは、善悪全てごちゃまぜにして、同人誌をめぐる状況を極力そのまま取り込んでいるし、登場人物がどれも清濁併せ呑む存在であることにも気づくだろう。特に、前半に関しては、主人公視点あくま素人として設定されているので、出会う人々がどれも過剰な存在に見えるのだ。また、冒頭で「主人公に関する事柄以外は~」と書いたのは、同人作家として成長するスピード素人視点が、後半になるにつれ、やや噛み合わなくなってくる為で、この辺で違和感を感じた人はいると思う。

 ところが、みつみ美里氏や甘露樹氏といった作画陣の流麗な絵柄のフィルターを通すと、清濁併せ呑んだ部分が届かなくなるという現象が起こってしまう。最近ユーザーの傾向として、ビジュアル的な構成要素だけで全体を判断するので、本来皮肉になるべき箇所が皮肉として通じないのだ。ユーザーフィルター上の表層(ビジュアルしか見ないので、キャラクター内面まで踏み込むことはない。この微妙なズレというか、奇妙な皮膜が形成された結果として、特に何の問題もなく『こみっくパーティー』は、美少女ゲームという商品として成立している。本当は、もう少し微妙立場にあるはずのゲームなのだけど。

 古参ユーザーは、シナリオも含めたトータルを見た結果として、自分同人誌観を語るのだが、最近ユーザービジュアル的な要素だけで判断するので、必然的に「キャラ萌え」といったベクトルへ向かう事になる。まさに、パソコン用語の「オブジェクト指向」ならぬ、「オブジェクト嗜好」といった所か。また、このタイプユーザーには、全肯定全否定という二つの判断しかない為、批評という概念自体が成立しなくなる傾向もある。

 批評の介在しない、言論一定化という状況で、他人との差異を何処に求めるかとなると、信仰心の強さを競う、という一点に帰着していく。信仰対象への愛情イコールで消費した金額に換算される為に、トレーディングカード流行したりもする。けれども、その信仰の強さが物語性を妨げる弊害も起きる。物語信仰対象を疑うことからまれものというか、強烈な信仰は、自己内面を相対化する心理機制を内包していないので、内面葛藤の結果としての物語は生まれにくいのだ。

 そして、信仰対象を次々と消費する現在おたく産業に於ける経済システムは、物語よりも情報を重視している為、物語需要は失われていく傾向にある。

 【ネコミミ】【ロリぷに】【眼鏡っ娘】【妹】【メイド】といった、快楽原則に忠実な根本要素に、作画技術画力技法)や、ブランド(描き手のネームバリュー)が絡みあった結果、萌えられるかどうかを判断する……このように、価値基準情報単位で捉えていくパターンが、先に述べた「オブジェクト嗜好」なのだが、そういった表層的な要素のみで判断すると、物語思想性は余計な要素=ノイズ以外の何物でもなくなってしまう。

 例えば、とあるゲームタイアップまんがで、元々、オリジナル作品を描いていた作家を起用したりすると、アンケートは絶好調で、単行本バカ売れしているのに、巷にはそのまんがに対するブーイングが溢れるという、パラドックスな状況が起こったりもする。

 これは、「ゲームの関連商品」として単行本を買ったんだけど、描いている作家作家性がノイズ判断されたからだろう。いわく「ゲームイメージを壊す」と。この場合、その作家の絵柄(ビジュアル)だけで起用するから、そんな事態になるのであって、ゲームアニメが主導する形でタイアップまんがを作るときは、キャラクターグッズに徹する、思想性の無い作家を選ぶ必要があるだろう。実際、最近のまんが業界周辺にはこういった、メディアミックス悲劇といえる現象が、日常茶飯事になりつつあるのだが……話がずれた。

 筆者は古いユーザーなので、エロの含有率で美少女ゲーム判断する癖がどうも抜けないのだが、現在美少女ゲームユーザーは大きく二つの属性に分けられると思う。「キャラ萌えできるか」「心の琴線に触れられるか」……しかし、両者は結局、コインの裏表で、どちらも表層の情報、つまり、あらかじめメディアによって価値判断処理が施された情報だけを消費しているという点では五十歩百歩に過ぎない。

 おそらく『こみっくパーティー』は、前者に属するのだろう。だが、萌え~なキャラいるかプレイする、感動できないからプレイしない、というレベルでは割り切れない懐の広さも、このゲームが持っていることは知っておいて欲しい。

 ……筆者は、ゲーム物語)の内部と自分の内部を相対化できるゲームが、良いゲームと考えているのだが、『こみっくパーティー』は十分、その条件を満たしている。題材が良いのか悪いのかに関しては、未だに判断し難いのだけど、ゲームとしては、まさに予想外というか、嬉しい誤算だったと言えよう。

2014-12-24

Qiitaのkenokabe氏の文章を真面目に考える

Qiitaで騒がせている彼の量子論文章を読んでの感想だが,まず彼の文章には,特徴がある.それは,彼が考えた独自の前提が,何も断りも無しに出てくるということだ.

例えば,まず一つに「数学事実」と「物質世界」という区分けなのだが,ここで「数学事実」とは何か,「物質世界」とは何か,というのが読んでいて全く要領が得ない.

この区分け自体は珍しいことではない(例としてポパー世界1,世界2,世界3という3論を参照せよ).

少なくとも理論構成されるような何かと,私たちが接している「花が咲いている」とか,あるいは「鳥が飛んでいる」という風に分かるということを区別する,という考え方は珍しくない.ただし,この二元論は,哲学的歴史からすると,余りにも「素朴」すぎる.少なくとも,この二つを構成する「意識」の問題というのは出てくるし,だからこそ「人工知能」を考えるときに,厄介な問題をはらんでいる.そして,この問題は決してプラトン自体は解決していない問題である

例えば,プラトンイデアを「実は数学事実のことです」と言っている.これはプラトン思想解釈の一つとして,このように仮説を唱えることは悪いことではない.しかし,現実問題として,例えば「1 + 1 = 2」ということ,つまり「1に対して1を足したら2になる」ということを「数学事実」と呼ぶ場合数学史的には体系的に矛盾が出るためにルールが調整されていっているわけだから,実際のところ「1 + 1」という式自体が,彼の言う所の「物質世界」の現れに過ぎない.

もちろん,これに対しても反論は出来る.「1 + 1はそれこそ数学事実物質世界に置き換えたに過ぎない.だから,『1 + 1』が表わそうとする数学事実を変換しているだけである」と.そうすると今度は実は彼が語っている「数学事実」というわけではなく,「物質世界」と「物質世界」の変換であるという風に考えることだって出来る.

あとから精神世界という問題が出てきていて,では上のような「何が・何を持ってして,数学事実物質世界に変換しているのか」という問題,これが上手く扱えないのは,このような曖昧さ故だと思う.彼は心脳モデルとして,精神世界イデアの影だとしている.この立場哲学的問題としてありうる.しかし,ポイントとしては,そのように退けた「精神世界」というもの100%イデアの影だとして,そうすればすべては「イデア」の現れにすぎない,と解決できたかもしれないが,そうすると,物質世界に住んでいる我々がなんで「イデア」のことがわかるのか,というよりそもそも数学イデアとして理解できるのか,という問題は出てくる.

ポイントとして,彼の文章問題世界がそのようになっているということと,世界をそのように理解できるのは何故なのかということをイコールにしているか,あるいは曖昧であるが故に,この種の混合がたびたび出てくる事だ.そして他のプログラミング記事に関しても,この種の混合が見受けられる.このような解決を行うためには,結果として形而上学的な理性というものを何処かで誤魔化して入れないといけない.

彼の文章を読むポイントとしては,恰も歴史的な経路を経て結論しているように見えて,細かく見れば全くそれらの歴史を参考にしていないため,凡ミス結構多発している,という一点だけを理解しておけばよい..

ちなみに哲学史的には,基本的にはこのような「意識」「精神世界」というものを,あたかも「物質世界」に担保させるような哲学的な営みは何度も繰り返されて,そのたびに失敗しているか(唐突に神を持ち出さないと始原がわからなくなる),あるいは「それはそれとして,それを説明したことにはならない」ということが繰り返されていて,どうも切り分けたほうが良さそうだということにはなっているようだ[独自研究].彼も同じ二の轍を踏んでいるので,頑張って下さい.

2014-12-17

愛されたい、甘やかされたい

母はわたしを生まなければよかったと言った。わたしが中学一年の春だった。私立中学に入り、馴染めなくてすぐ不登校になって、逃げ出したわたし。逃げた先は玄関で、ドアの前、押し倒されて、ぐっと絞められた。頭がチカチカして目の前が白くなる。もがいてようやく放してもらえたとき、わたしも母も泣いていた。

わたしの人生はたぶんあそこで終わったのだと思う。

まず、どうにも生きている実感がない。

わたしはいゆるオタクで、しか喪女に分類される。オタク喪女だ、とバカにする人は数多くとも、それなりに楽しいことができていると思う。ツイッターでアホのようなことを垂れ流しているときは頭を使わなくてすむし、ばか笑いができる。楽しいと思う。

ただ、実感がない。本当にこれがわたしなんだろうか、という感覚がある。普段から猫を被っているせいもあり、ツイッターとのギャップが激しい、とは言われるが、果たしてSNSでばかな話をするわたしとは一体誰なんだろうか。それは本当にわたしなんだろうか?では、現実のわたしも同じわたしなのか?実感がない。

色々あって大学に行くことはできた。奨学金を借りて通っている。そこそこ裕福な家庭で、色々な習い事をさせられ、常識と呼ばれるものを詰め込まれてわたしは作られた。

けれど生まなければよかったと言われた。言われたのはもう10年近く前のことなのに、わたしはまだあの言葉を引きずっているし、ここまで作ってもらったけれど、たったひとつのあの言葉を思い出すだけで、結局終わっている人生なのだ、と思ってしまう。

母はわたしを生まなければよかったと言ったが、5つ下の弟に対しては生んでよかった、と言う。前述のとおりわたしは猫を被っていて、現実でもSNSでも実感というものがわかないから、周りから何を言われても「どうせ嘘なんだろうな」「どうせ自分なんて」と思ってしまう。だからせめて、わたしを生んだひとであって、どう向き合っても本当のことを言わざるを得ない親からぐらいは肯定されたかったのだと思う。弟のように。同じ親からまれたのに、わたしはでき損ないで、弟は優秀なのだと言う。わたしのように歪むこともなく弟は健康的に育っていて、みんなから愛されている、とわたしは見ていて思う。わたしは人に恵まれているけれど、それがイコール愛されていることだとは思えない。

誰でもいいから愛されたいし、誰かに肯定がされたい。わたしの終わってしまった人生はきっとまだやり直しがきくはずで、けれど他人に何かを求めないとはじめられない、と思っている現状が変えられなければ、終わったままで死ぬんだろう。

愛されたいし、甘やかされたい。許されたい。生きていてもいいのだと肯定してほしい。誰でもいいから

2014-12-08

んだけど

http://anond.hatelabo.jp/20141208003341

人生意味理由なんて無い」ことと「適当に生きる」ことはイコールではないと思うよ。

(この場合適当」=「いいかげん」と言う意味ととらえました。)

2014-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20141112153732

続きです。

こちらに一連の話の元となった安彦良和の「虹色のトロツキー」の格闘シーンの画像があったので、これを元に解説を試みてみます

http://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/archive/2013/09/11

なお自分はてな安彦良和あとがき引用を読んだだけで、作品虹色のトロツキー」は読んでおらず前後のページとのつながりもわからないので、的はずれなことを言っている可能性が大いにありますご了承ください。題材とするのは、上記リンク先の安彦良和一枚目、老柔術師範青年道場破り?を投げ飛ばす見開きです。

これがいしかわが指摘したシーンそのものかは知りませんが、ぶっちゃけて言うと、すごくギクシャクしていて、動きがないというか重みがないように見えます

この見開きでは、以下の様な心理的な動きと物理的な動きの両方が示されています

1:心理表現) 老師範が青年の力量を測るために組手に誘い、組んだ感触で何らかの判断を下した後に投げ飛ばした。

2:物理表現) 老師範が青年を組手に誘い、青年は勢いをつけて組みに行ったが達人技でいなされ、投げ飛ばされた。

左ページ2コマ目の二人が見つめ合っているコマを中心に、この見開きで老師範の心理的な動きを表現しているのですが、これがなんというか工夫のない書き方で、物語の心理的な動きを表現する一方で、物理的な動きの表現の妨げとなっています

その原因は、大きく分けて2つあります

まず右ページ最終コマ青年は画面左上から右下に突っ込んでいます。背景に流線を入れてスピード表現しているにも関わらず、勢いを感じさせることに失敗しています。なぜなら、読者の視線の動きと一致していないからです。特に右ページの左下最後コマというのは、左ページの頭に戻るための視線の動きが強く働くため、左上に向けた動きを読者に暗黙に想定させます

もっというと、右ページの他のコマ無視して「このコマ青年が腹に前蹴りを食らって後ろ向きに吹っ飛んでいるところだ」と言われれば、そう見えてもしまうのではないでしょうか?

そして次のコマで、青年老師範に組み付くのですが、このコマの画がすごく止まってます。もし青年がそれなりの勢いで組み付いたのなら、老師範はこの勢いを受け止めるために力を入れて押し返す(重心が前に出る)か、力を受け流す(重心が横か後ろに下がる)かをするはずですが、老師範はほぼ直立したままで受け止めています。読者はこのコマだけを見て、青年が勢い良くぶつかってきたと理解できるでしょうか?

もっと言うと、青年が勢いをつけたにも関わらず自分より小柄な相手になんの工夫もなく受け止められていて、なんというかこの人、体重ないのかな、という印象すら受けます

おそらく安彦良和意図としては、このコマ出来事は一連の運動のほんの一瞬であって、実時間上の次のフレームでは老師範が達人技で勢いをいなして投げ飛ばす、という流れを想定しているものと思います。ですが、一連の運動の流れの中から切り取るべきフレームはこの老師範が直立したままの瞬間ではなく、数フレーム後、投げ飛ばす技の初動の体重移動が入った場面を、デフォルメを入れてでも運動の方向をわかりやすく描くほうが、より伝わりやすいのではないでしょうか。

そして、この組み付いた瞬間から最後の投げ飛ばされるコマまでの時間経過がわからない、ということが二つ目問題点となります

組み付いたコマから青年が投げ飛ばされる左ページの最後コマまでの間に、二人が見つめ合っているコマと、老師範が力をいなすために体を沈めるコマの2コマが入っています

もし一連の流れが一瞬のうちに起こったことだとしたら、読者がそのスピード体感する、言い換えると読みのスピード事象スピードを一致させるためには、この2コマをすごい勢いで読み飛ばす必要があります。(もし事象として数秒間組んだまま止まって見つめあっているのだとしたら、前述のとおり青年の勢いをどうやって受け止めたかが謎になり、やはり運動表現としてはおかしいという結論になります。以降、一瞬のうちに投げ飛ばされた説を取ることにします。)

前稿でも書いたとおり、マンガにおいては一枚の平面の中に、空間時間の両方が並列に表現されています。それぞれのコマや間白がどのくらいの時間経過を表しているかについて、基本的ルールはありません。読者がコマ構成文脈から自由に読み取ることになります。そのため作家は、どのコマどの間白がどのくらいの時間分節になっているのかを読者に伝えるために様々な工夫をする必要があります

これには単純な方法があります。短い時間出来事コマを小さくすることと、視線の流れの中で並行になるようにコマを並べて、同時に起きた事象として表現する方法です。

この例では、これらのいずれもとらず、なぜか組み付いた瞬間のコマが大きく描かれていますさらに追い打ちをかけるように、二人が見つめ合うコマを重ねています。心理的な表現としては機能しているのですが、多分普通に読むと、この見つめ合うコマで読者は1秒弱くらい止まりますイコール、組み合った瞬間から投げ飛ばされるまでに1秒止まっていた、と読み取られる事になります。読者がそう読んでしまうと、一瞬で投げ飛ばされたという説得力をかなり失うことになります

まとめると、この2ページの間に、どのくらいの体重人間がどのくらいのスピードで跳びかかって、組み付いた瞬間の衝撃はどのくらいで、どのくらいの時間組んだ状態でいた、もしくはほとんど組んでいなかったか、どのくらいの勢いで投げられたか。そういった運動的な情報マンガという手法を使って表現することには、まあ控えめに言ってあまりうまく行っていないな、とこの見開きを見た限りでは感じます

おまけ

この見開きを動きのあるマンガに直すなら、以下のようになるかなという妄想

2014-11-12

いしかわじゅんの言う「動き」とは何なのか

絵における「動き」とは一体何なのか?という話 - pal-9999の日記

http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1

について。

まず、マンガにおける「動いてない絵」については、BSマンガ夜話スラムダンクの回で一条ゆかりいしかわじゅんが指摘した言い方が一番わかり易いと思う。曰く、「スラムダンクの絵はどちら向きに動いているのかわからない時がある」と。

自分も、ルカワがスピンターンをするような場面で、右回りに回っているのか左回りに回っているのかわからず、前のページと往復しながら位置関係を把握しようとした記憶がある。

それを、デフォルメコマ割りの創意工夫で読者に伝える、というのがいしかわのいう「動き」なのだと思う。

マンガのページはただの静止画で、本来そこには時間の動きはない。一方、読者は基本的に右上から左下に向けて読んでいくという意味で、仮想的な時間の流れがある。

この相反する要素の組み合わせを使い、止まっている絵を動かしてみせる、読者に動いていると思い込ませるという技術こそが、写真映画アニメにもできない、マンガだけにしかできない「動き」だ、というのがいしかわの主張なのではないかと思う。

それといしかわじゅん関連の話しておくと、「動きと画質の間のトレードオフ」に関して、AKIRA大友センセは画質重視の作画をしており、動きの情報を示すモーションブラーはあまり使ってません。なんで、あの漫画場合、1コマ内では、動きはそれほどありません。僕は、AKIRA作画を見て、「動きのある漫画」とは呼びません。画質は素晴らしいですが、動きの情報は極端に切り捨てた漫画になっています

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1

単純な一枚絵について言えば指摘通り「動き」と「画質」はトレードオフ関係にあるのだろう。だが、マンガにおいては前述のとおり、静止画であることと時間が動いていることが共存している。

AKIRAのシーンでは、右のコマの背景の流線の方向と視線の(イコール読者の時間の)方向を使って、パンチの動きを表現している。どちらのコマも画自体はピントがはっきりしている(写真としては止まっている)のに、右から左に向けてパンチの力が働いたということが表現されている。

しかわはこれを、「動き」と「画質」をトレードオフ関係から開放し、両立させたものとして見ているのだと思う。ブラーがないから動いていないのではなく、ブラーがないのに動いていることが凄いのだ。

デフォルメについても重要で、AKIRAのシーンでの、殴られた側の派手な首の伸び方、ねじれ方が殴られた感を出している。元記事で対比に使われているドラゴンボールコマも、着目すべきなのは殴られたピッコロの描き方で、非常にデフォルメが効いている。触覚の残された感など感動すら覚える。

大友以前のマンガでは、こういった動きを表現するために多くの記号を使っていた。動きを表す流線(ブラーと似ているが同じではない)や、よくわからないトゲトゲ → Σ(゚Д゚) 、オノマトペなど。

記事で動きがある画の例として挙げているワンピースはじめの一歩のシーンに、余計なものがたくさん書かれていることに気づく。ワンピースは言うに及ばず、一歩のシーンでもパンチの撃ち出しの軌道上、会長のミットに向かって突き抜けている"気"のような何かが描かれている。単純にシャッタースピードを長くしてもあの軌道をあの距離動いているものはないはずで、あれはブラーではなく記号なのだ

これらの記号に頼らず、純粋画力コマ割りの力で動きを表現した、というところに大友凄さがあるのだと、いしかわは評しているのではないだろうか。

いしかわじゅんマンガを見る目は確かだと思うが口が悪い(失礼)ので本当に主張を汲み取れているかは分からないが。

追記

id:kanose 大友克洋氏は漫画独自記号を使わずに動きを表現するのがすごいというのがいしかわじゅん氏の主張だと解説。ただ大友氏は流線を多用しているよね

そうですね。流線や集中線をつかったコマが異常に多いです。が、あれ背景なんですよね。従来だったらモノ(例のパンチシーンなら、アゴの右手)についていただろう流線が、背景全面に置き換わってます。そうやって、モノよりも読者の視線意識の方向をコマごとにコントロールしてるのだと思います

また逆に、複雑な流線を使って説明的になってしまい、失敗したようなコマも多かったりしますね。

勘違い

ミソジニーって「典型的な30代独身男」のことかと思ってた。女性蔑視のことだったのか。

イコールでもいっか。

2014-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20141108123438

黒人アラブ人などの移民」の書き方が問題ありそうな記事だな。

黒人アラブ人などの移民」を、「無能な人や要領が悪い人」にイコールで結んでいるように読める

2014-11-07

電磁波過敏症について

【2825】 妻が不治の病で自殺を考えています | Dr林のこころと脳の相談室

上記サイトでは、電磁波過敏症などないから統合失調症か何かだろう的に書かれている。

俺も電磁波過敏症存在結構怪しいものだと思ってはいるのだけれど、電磁波過敏症だと思っている人の何割かは、

電化製品コイル鳴きなどに反応しているのではないだろうか。

まり電磁波ではなく音である。音は可聴域かもしれないし、非可聴域かもしれないけれど。

なので、電磁波過敏症だと主張する イコール 精神疾患とするのは早合点な気がするのだけれどもどうだろうか。

東都大学総長選に関する一考察

大学からしてそうですがもちろんフィクションです。

東都大学中の人です。

今日総長選の候補者の発表だったんですけどね、あまり驚愕する状況だったんで大声で叫びたい反面、SNSに書くのもさすがに気が引けるんで、増田フィクションならまあセーフかと思って書くわけなんですが。

候補者

東都大学サイトにも載っているとおり、以下の5名。

江山さん降臨

まず驚きだったのが江山さんが候補に出てるってことですよ。

代議員会で選出された10人(が結局誰だったのかわからないというのも若干意味不明なんだけど)のうち、この人はいなかったと思われるので、経営協議会からの推薦枠と想定される。

むろん代議員会の構成員意向投票有権者とはイコールではないから、江山さんが総長になる可能性だって皆無ではないわけだけど、第2次候補にも残すとは、総長選考会議、なかなか思い切ったことをするな、と。

女性活用という昨今の政権の時流にうまく乗っているという側面はあるかもね。江山さんの場合は、はっきり言って何票くらい入るのかが注目される。

有力候補の脱落

次にびっくりなのが、「誰が選ばれなかったか」ということ。

公式発表はされてないからよくわからないんだけど、どうやら現執行から長谷山さんの他にも名前が挙がっていたらしい。

大番頭と目されてるあの人とか、その人と同じく執行部で6年付き合ってきたあの人とか、今年執行部入りして総長の目もあるかもと思われていたあの人とか。

1番目の人が選ばれなかったのは、KO大学の岸先生あたりが今頃ニンマリしてんじゃないのかなあ…

(わからない人はググってみよう! ただ、今日記事は〆切上しょうがないけど、ちょっと最新の情報を盛り込めなくて残念でした、って感じだね!)

各候補の所信

各候補の所信的な文書が学内限定で公開されているけど、2ページしかないこともあり、トピックとしてはおおよそ同じようなことを書いているなあ、という印象(さすがにくわしく書くのは気が引ける)。

京大は山極先生以外学生のことに触れてなかったとかいう噂だけど、こちらはそもそも「教育について」という章を書くのがノルマだったみたいで、そのおかげもあるのかそんなに恥ずかしい状況にはなっていないようだった。

しかしこうなると、「選ばれなかったみなさん」が所信でどんなことを書いていたのか気になるなあ。中の人がやるとさすがに気が引けるので、誰か総長選終わったあとにでも情報公開請求してくださいw

あと、複数人が共通して書いていたトピックからひとつだけ。何人かがProvostの必要性について言及していたのは興味深い。

やっぱり総長仕事ぶりを見ていると、そう思わされるのもむべなるかなと思うところではあるけどさ。

Provostに権限委譲するのはそれとして、それでもなお多忙であろう総長儀礼的なものを任せるのは申し訳ないので、そういう時に対応できる理事長みたいな存在がいるといいのかもなあ、とも思うんだけどね。

さて、これくらいならフィクションはいえ個人攻撃にもなってないと思うし、いいかな?

もし質問があれば非公開情報を公開したと言われない範囲で答えたいと思う。

せっかくなので個人的な予想を書いておこう。

  • 江山さん 
  • 六ツ神さん ◎
  • 長谷山さん ○
  • 公園さん  ×
  • 陸奥さん  ▲

2014-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20141106142545

お前の頭ん中では

自分のことを他人にそのまま適用させるのは駄目=自分と反対のことを他人にそのまま適用させるのは妥当

なの?

イコールなの?

2014-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20141101052623

ぱっと見なんだけどスカトロとか自意識規制基準を設定したり抑制できたりするもので不可欠でないものと、

法律などでまぬがれぬ抑制からストレスに苛まれものとわけてるようにみえた。

自分でなんともできない外的要因などによる抑圧にさらされるストレスの原因となるものは疾患とみなすような雰囲気かな。

その疾患によって発露する問題や障害の具体的な損失は、キレる癇による第三者などへの問題行動とかストレスによる身体異常とかになって

それを予防するためなどの対策を考えてみるべきとかそういう感じ?

そこで不思議におもったんだけど、自分でどうしようもない外的要因って法律とか世間体とかだけじゃないもあるよね?

たとえば親友だとおもってたに裏切られたとか、姑にカレーを捨てられたとか、好きなアイドル後追い自殺とか、小さなブラックホールができるかもってニュース絶望するとかみたいな。

法律とか生きていく上で生死に関わる判断に大きく関わる抑制って、個人での大小が大きくない?

◯◯できたら死んでもいい、◯◯でなければ殺す、みたいなのってどこで発生するかわかんないよね。

ある程度予知できる範囲危険として分けるのもいいけどさ、結婚生活何十年目かで同性愛だったことを告白して離婚するとかって例もないわけじゃないじゃない?

スカトロ好きで三度の飯ほど大好きな人がいたとして、その人の嗜好に沿う発言をしたつもりがTPO逆鱗に触れ事件を起こしたとしたら、何からどこを問題性として司法関係者環境への対策に取り上げるべきかわからないよね。

そのまったく逆で、一般人だとおもっていた人間が嗜好に傾倒し、その結果それに関係する行為から事件をおこしたとしたら、嗜好は感染性の精神疾患であるかい見解も示してくる人がでてくるかもしれない。

すると存在するだけで悪みたいな見方をする人もでてくるかもしないし、嗜好は同意のある人間けが集まる空間で消費されるべきものとかが理想とされるかもしれない。

ファンの女の子デートしちゃったら未成年だったロリコンロリコン病気治療しなきゃ、じゃあ治療の結果はどう発露するんだろうかといえばそんなものはない、一生保護観察イコール一生ロリコン治療中、とかありえるかも。

みたいな感じで、個人のリミットを広い義にあてはめると、今度は広義が個人に分けて定義されなきゃいけなくなるようなパラドクスを含んでいるようなきがするんだけど。

別段、こいつは悪いとおもった事に石をなげつけろ!とか提案してみたり、こういう部類はこう分けることができると判断してみたりするのはいいとおもうんだ。

そう思考することで仮想の庭にあるべきものと、破綻矛盾しているところ、組み立てているうちに完成するものもあるよね。

まとめて「人の限界って趣味とかの程度でもブチ切れて反社会的行動にでる場合も可能性ゼロじゃないよね。これは病気に含まない?」なんだけどどうかな?

可逆的な話じゃなくて、あくま性的でかつ社会的に救済の余地がせまい事に関してのみだったら、むしろその趣味がその人の人生の何割を占めているのか、またはその嗜好で犠牲になる社会的要因は規模として各個人の嗜好を抑圧したり社会への直接関与に何らかの干渉をもつべきって話なら別にいいんだ。

実際ロリータはどんな価値が今現在にあるかは問題外として、ロリコンになってしまったおっさんの命よりは確実に重くて年収千万おっさんでもロリコンだったら社会的価値がないしみんなから病気だとか死ねって言われる、は健全社会学的な知識人見解だったとしたらそれはそうなんだろう。

それはそういう話題についてのみ深く考察したくなったって時のものもあるだろうし。

時間があったら一度考えてみてほしい。

2014-10-13

日常会話程度ならスマホで充分だけど

フリック入力予測入力?できるようになった。タッチタイピングっていうの?ブラインドタッチ?なんか単語あるならごめんなさいむちで…)

プログラミングデータ解析のような作業をする気は起こらん。

スマホタブレットが21インチぐらいになったら可能かな?

でもマルチディスプレイじゃないとやる気起きないだろうなあー。

(え?炎上ネタなんだからのっかっとけって?フェイクの情報で盛り上がれるほど裕福じゃないのです…)

メールLINEなんかのチャット形式と比べたらたしかに面倒臭いように見えるけど、件名がないと、内容のフィルタリングが面倒くさいような気がするんだけど。

スマホPC代替するっていうのは、コミュニケーション手段の主なものがそれになる可能性もあるだろう、ってことで、

PCがなくなるんじゃなくて、デジタルディバイドという単語形骸化していくんじゃないかな。と、あくまでも私見及び勝手憶測にすぎませんが。

今、キーボードを使いこなせる層は、キーボードを使わないとできない仕事への競合が減るという事とイコールなのだからもっとその先を追いかければよいのでは。

両方つかいこなせばいーじゃん!

2014-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20141006200742

共犯者だよ、あったりまえじゃないか。

かつて植民地主義時代、富裕国の快適な生活植民地が支えていたように、今現在だって先進国平和文明的な生活給与水準の低い開発途上国が支えているんだよ。増田だって安い牛丼食ったりしてるでしょ? そういう社会構造に今まで胡坐かいて座ってきたのに、今更気が付いたように被害者面するのはまずいだろ。

別段社会を変革しろとか清廉に生きろというつもりはないよ。日本人に生まれたってだけで世界経済の中では勝ち組だし得している。ラッキーでしょ。こんなに社会インフラが整った国土は、地球上の面積でみれば10%もない。でも、ここでいう勝ち組ってのはイコール搾取側なんだから、その自覚はあるべきだろ。

日本人に生まれただけで(違法性はない、合法的だと思うが)搾取側なのに、国内では非搾取なのだ(=俺はまじめに仕事してきた、ブラック労働側だ、雇用されているだけだ)みたいな話を見ると「こいつなに言ってんだ」とおもう。

2014-10-06

台風のために前泊させる会社ブラックなのか?

ツイッターやらまとめブログでは前泊させる会社ブラックで、それに従う会社員社畜だという意見が多いが、本当にそんなに批判されることなのだろうか。

世の中の八割以上の人は台風が来ているのなら午後から出社でも大丈夫な人だとは思うが、

銀行の窓口やインフラ企業などに勤める一部の人たちは「なんとしてでも職場に行かなくてはいけない人たち」だ。

中にはその日は絶対に外せない大事な打ち合わせがある人だっているだろう。

そのような人たちに手当と宿泊費を出したうえで前泊を命じることはごく一般的事業継続管理だと思われるのだが…

しろそのような重要な人たちに前泊などさせず、当日電車が止まっていようとなんであろうと自宅から這ってでも来い!という方がよっぽどブラックであろう。

手当も宿泊費も出さず自腹で前泊しろというのならブラックと言っても致し方ないが、そうでない人までブラックだの社畜だの騒いでいる感がある。

普通に考えて早起きダイヤが乱れまくって超混雑の中出勤するよりも、職場近くで前泊したほうがゆっくり寝られるしもみくちゃにならないのでよっぽど楽だと思うのだが。

特に女性陣には満員電車に乗らなくて良いということで前泊はわりと好評だったりもする。

なぜ前泊イコールブラック安易に結びつけるのか。

事業継続のためには必要な業務なのになぁと感じる台風の一日である

2014-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20140831220652

どこをどう読んだらそうなるのか。。。

 

ネット以外にも知識があって、ネットにはない知識があるなら

家にネット回線がないことがイコール知識欲がない事にはならんだろ。

 

故に、ネットが細いから知識欲がないというのなら、

増田ネット以外には知識がないと思っているという事だ。

2014-08-28

「その異性を恋愛対象にしない」という事と

「話もしない、挨拶すら返さずに完全無視する」って全然違うと思うんだけど

男はそれがイコールになってる人が多いんだなと知った

笑顔挨拶されただけでこいつ俺に気があるなとか思っちゃうタイプだろうな

普通に社交辞令を発揮して同僚として付き合うって事が出来ないんだろうか…

2014-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20140825154123

欧米政教分離されてるから政治的な罪≠宗教的な罪」だけど、

イスラム(というかIS)ではそこがイコールなんじゃないのかな。

あー、もちろん「異教徒は罪人だから殺してもいい」という話ではないんだろうけど。

あと、

イスラーム戦争法 - Wikipedia

イスラーム戦争法の下では、健康な成人男子であればたとえ全く戦闘にかかわっていなくとも戦闘員として捕虜にされうる。

2014-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20140812040147

で?wお前が横だって事どうやって証明すんの?w

証明できなくてもいいよ。ウソ横だったらってのも書いてあるんだから。むしろそっちがメインだし。

訊かれたから答えた、答えを求めていないなら質問するなと返すと、“何を言うのも自由でしょ?”と権利を訴える(もはやただのコミュ障

これはイコールこれ↓

他人エントリに噛み付いてくる

「何を言おうと自由」というのが君の「噛み付き」の定義ならばループしかならんよな。

君はこの2つをイコールで結んでいるとみているんだが違う?

でも、↓のようなこともあるから

自分の都合のいいように相手の言動を解釈する」これは詭弁のガイドラインに該当するのがあったかな。

「相手を自分と同じであるとムリヤリ定義する」これも加えようか。

加えといてよ。ただのレスでも「噛み付いてきた」とムリヤリ定義する人もいるんだから


あと、今回の論旨とは関係ないんだけど、

指摘されたそれは100%些細な問題なので、エントリ主が反論すると、必ず“顔真っ赤だな”と言う(顔が真っ赤なのは、誰よりも感情的になっている自分自身の方なのに)

勝手に議論吹っかけてきて、普通に返答された事に対して、顔真っ赤にして怒るからパターン入るんだぞ?

罵倒、噛み付きしてるよね<顔真っ赤にして怒るから

ループからはずれそうになると、こうやって自分が行動してループを元に戻すんだね。

2014-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20140811104311

反論とかじゃないんだけど、たまに批判に対してだったらお前が作ってみろという反論をしているのを見ると、ちょっと残念な気分になる。

批判も称賛も批評の一形態に過ぎず、私は称賛しか受け付けませんというのはあまりにムシが良すぎる。

批判に対して「お前が~」という言を投げつけるのは、自分からすると同時に称賛に対しても投げつけることをも意味する。

批評を否定するのであれば、表現をすること自体意味性が失われることとイコールなので、表現者としては自殺だろう、と。

同業者だけを相手にするのであれば、本来意味での「同人誌」を刊行したほうがいい。

具体名を挙げると差し支えるので伏せるが、最近漫画実写映画化された人が文庫本あとがきでそのようなことを書いててぐんにょりした。

離職率低いイコール優良企業とは限らない

転職考えられない位激務で時間が取れなくて半ば諦めてるとか会社都合と自己都合とで切り替えて発表してるとかがある。

その結果、ブラック企業でも離職率が低い、あたかも安定した新卒定着率の高い会社になってしまう。

特に自己都合退職は徹底して会社が無理強いしてくるので泣き寝入りする形で辞めていくのが現状。

実質、離職率の高低がブラック企業かどうかを量る基準になってるから離職率の高さ低さだけでは判断しない方がいい。

世の中には激務高級とかまったり薄給などといった会社も少なからずある。

結局の所、どう見極めるかはOBOG訪問ネットの評判以外に頼る他ない。

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