はてなキーワード: もどかしいとは
完結したアニメを見て、嬉しいやら悲しいやら苦しいやらもどかしい気持ちになって。ちょっともう流行を過ぎた作品だから、そんな頻繁に話してる人もいなくて。ていうか嗜好が違いすぎてそもそも読めねえ。
マジで気持ちの行き場がなくてどうしようもなくてフラフラしてたんだけど、二次創作を書くことで救われた。
書く。書くことで作品に対する自分の気持ちが整理され、しかも広がっていく。新しい発見をすることもある。そしてpixivに投げる。一週間後くらいに確認すると、誰かがブックマークしてくれてる。他の人と繋がれた感じ。泣く。そしてまた作品と自分だけの世界で押し問答する。この繰り返し。二次創作は魂の救済だよ
手では書けない漢字でも、コンピューターならタイプして変換して表示することができる。便利な機能だが漢字をたくさん勉強してきた人間からすると面白くないこともある。
七夕の短冊では小学校程度の漢字も満足に書けないやつが、自由研究で提出した印刷物には難しい漢字がずらずらと並んでいたりする。そうするとなんとなく内容も立派に見えてくる。冷静にぎん味すれば調べた内容がら列してあるだけで、考察も意見もないというつまらないものだが、文字の分量が多いのでなんとなく、本当になんとなくなのだが、しっかりやっているなという印象を抱かせる。
外国人についても同じようなことがいえる。知り合いのブラジル生まれのやつは、ことばは割と流ちょうな日本語を話すが、文字が仮名と簡単な漢字しか読めない。だから彼女はノートは仮名(とポルトガル語らしいのだがよくわからない)でとるし、彼女のために室内の掲示物も全てルビが振られている。そんな彼女も、Instagramでは漢字混じりで投稿しているのである(もう投稿後には自分で読めないのではないか?と密かに疑っている)。無論スマホの漢字変換機能を使っているからだ。ともあれ、そうするとが然イケてる感じになるわけだ。
私は割と漢字は得意な方だ。常用漢字は全て読めるし書けると思う。簡体字も結構分かる。漢字が好きで勉強した部分もあるが、それなりに努力というか時間を費やして覚えたわけで、そこへ前述のような漢字変換を使い苦もなく書かれた整った文を見ると、何ともいえずもどかしいような気持ちになる。漢字変換がずるって訳じゃないと思ってはいても、ちょっと悔しいわけだ。
いっそのこと、皆が身の丈にあった漢字変換しかできなくなったらどうだろうかと妄想する。新聞やテレビは、十分知識のある人たちが作っているのでほとんど変化はないだろう。では例えばTwitterやFacebookはどうか。政治談義をしていても立けん民主党になっちゃったり、アイドルの欅坂は本当に欅って読めなくて話がかみ合わなくなったり、阿鼻きょう喚だ。選挙だって大変だ。人名にも結構難しい漢字が出てくる。石破茂なんて、石ばしげるになってしまう。そうしたら、石ばし までが名字なのか?じゃあ下の名前はゲルなのか?みたいな誤解がきっとあちこちで起きてくる。混とんだ。
今度また投票があるようで、街角に候補ポスターが貼られている。そのポスターでは不自然に平仮名まじりで名前が書かれていたりすることから着想し、そんなことを考えてみました。
きのうも同じように会社に電話して、すみません、体調が、ええ、ご迷惑おかけしますけど、はい、すみません、とか言うて。
きのうはなんとも言えず心細い気分で参ったけど、今日はちょっとリラックスしている。
旅に出たときと似ている気がする。
マー普段行かないところへ行くというのは旅みたいなもんやね。
遊牧民は動かない。
仕事は次の異動までの待ち時間みたいな時期で、学ぶことはあるが概ね退屈。その異動もはっきり決まってなくてもどかしい。
しばらく自営業でやっていた自分が、ふとした時に一流の技術を見たいと思いついて入った会社で、蓄積された技術はたしかに一流、しかしながら大きくて古い会社特有なんかな、独特のゆったりしたムードにまだ慣れない。
会社勤めってこんな感じなんか?
別に慣れてええ気がせいでもない。仕事の量は前と比べて圧倒的に少ない。そして売上は圧倒的に大きい。生産性とはこういうことかと唖然とする。
でもはじめの新鮮な気持ちとかはどこかへ行ってしまって、なんか退屈で灰色の感じでしょうがないから、昨日、今日と個人的働き方改革の実施。
その色あせた理由を心に探してみても、具体的にはなくて、事務所と自分のペースが合わずもどかしさへの自家中毒かなと漠然と思ったりしていた。
上司と先輩との関係は、どうなんかな、特に問題ないと思ってたけど、家でこうして思ってみるとじんわりやりづらさを感じているかもしれない。互いに興味がない?
自営業で独りのときに孤独でなかったのに、人といると孤独になるのか。
へーんなの。
おっちゃんは優しくて、買った豆もうまかった。
自分の環境における結果なのか、意志の弱さなのか、よく分からないけれど確かにある。
■未婚の理由「めぐり合わない」 一方で「探していない」も | NHKニュース
丁度こんな記事も目に付いたり、最近恋愛に関する記事が目に付いたので、吐き出してみようかなと。
「いい人が居たら付き合いたい」などという意見を耳にしたりするのだけれど、自分は違うなぁと感じる。
もし本当に理想の相手が目の前に居たとしたら、自分は逃げるか手を引く。
何故かと言えばその人が怖いから。
仮に奇跡的に付き合えたとしても、相手を幸せに出来る自信も無い。
自分なんかが変に関わってしまって、相手の人生を台無しにしてしまうことに責任も取れない。
だから、その人がいい相手に巡り会って、幸せになってくれたほうが良かったと思ってしまう。
以前、好きだった人から交際相手が出来たという話を聞かされたときの話。
でも、それより目の前に居る人が幸せそうに話す姿を見て、こちらまで嬉しくなってきた。
交際相手に関する相談もされたけど、その時もどうにか役立てて欲しいと思って自分なりの意見を伝えた。
その結果があったのかは知らないけど、今も幸せそうで、ずっと続いて欲しいと願ってる。
やはり恐怖心が大きかった。
街中でカップルを見かけるときも、この人達が自分の代わりに幸せになってくれるなら、それこそ自分にとっても良い環境に繋がっていくだろうとか考えてしまう。
傍観より踏み込んでるけど、そういった人達が過ごしやすい環境を、自分は影から手助けしてしているくらいで丁度良い。
それで気付かれないくらいの位置に居て、他人が幸せになってくれれば、それが自分にとっての幸せだから。
内心気持ち悪い思考であると思う反面、実は同じような人も居るのでは?という疑問も心なしか感じている。
自己主張や人間関係から逃げてるだけの、社会的弱者の吐き捨てた御託なんだけれども。
「努力しない」「行動しない」人間である自身の根底には、こんな形で他者に華を贈りたい気持ちもあったりする。
寝れない。
明日は用事もないし、ひとり暮らしだし、寝なくても何ら困らないんだが
一般的にはこの時間は寝るもんだとされていると思うと、この時間に寝て、朝起きて、寝るべきだろうと思う。
が、寝られない。
安定剤も、眠剤も飲んで、3,40分目を閉じてみても寝られない。
寝られないと、考えなくてもいいことや、どうにもならない事を思い出したりして、不安やわびしさがこみ上げてきてより寝られない。
医者は、昼間に睡眠がとれてるなら、今は夜寝られないことを気にする必要はない。と言ってたけど…
ためしに、夜寝ずに昼間予定をいれて、夜帰ってくるようにして、見たこともあるけど、それでも寝られない。
寝られないことを考えると。より寝られない。
女の子がおしっこを我慢しているときに見せる表情はどうしてあんなに魅力的なのだろうか。
結目ユイは今、バーチャルタレントとして活動している。ユイのいるバーチャル界隈では、おしっこを我慢しながら配信する「おしっこ我慢配信」が流行っていた。ユイは清純派美少女バーチャルタレントだ。だから自らそのような配信に参加するつもりはなかった。だが密かに、企画があるたびに視聴者として見に行っていた。自分が推している配信者がその企画をやったときは喜び勇んで見に行って画面に張り付いていたのだ。残念ながら、「決壊」することはなかったが、それでも配信は十分に満足できるものだった。
その配信者の次回企画の日が収録の日に被ったのを知ったとき、ユイはとてもがっかりした。だが今日になって、収録が早めに終わったときは心の中でガッツポーズをしたのだ。時計を見ると、すぐにスタジオを出れば配信が見れそうだった。おしっこ我慢企画はリアルタイムで見るに限る。"どうなるのかわからない"からこそ、そこに「リアリティ」を感じることができるからだ。電車に乗ってしまえば配信に集中できないと判断したユイは、周囲にある奥まった席のあるカフェを思い浮かべる。そうしてユイは駅近くにあるスターバックスに入ることにした。
いつもは甘いフラペチーノを頼むのだが、今日は眠気覚ましを兼ねてアイスコーヒーを頼む。画面をのぞき込まれない奥の席を確保し、イヤホンをして開始が迫った配信の待機画面に入る。配信が始まると、推しの2人がクイズを間違えるたびに水を飲んでいく。クイズに答える二人の声に徐々に震えが混じってくる。時折吐息やうめき声が漏れ聞こえてくる。2人の頭の動きが大きくなる。2Dだから細かい表情や動きは読み取れないが、ユイの脳内で補完することは容易だった。その情景をありありと想像して、ユイの顔も上気してくるが、その熱を鎮めるために冷たいアイスコーヒーを飲んだ。
配信も終盤に入ると、配信する2人の声も明らかに尿意を我慢しているものに変わってきた。ユイの机にあるカップはもう空になっている。2人の熱のこもった声と共振するように、ユイの体も熱を持ってくる。2人の尿意が自分のもののように感じられる。ユイはこの感覚を知っている。出せば得られる大きな快感も。もう楽になってしまいたいという気持ちも。それでも、出すわけにはいかないという意思も。社会的な死を避けるために、体からのシグナルを無視する苦痛も。彼女たちの細かい表情が見れないのがもどかしい。声の震えだけがはっきりとわかる。きっと彼女たちの表情は苦痛に歪んでいる。手はせわしなく動いているだろう。内股気味になって、脚は細かく震えているだろう。まさしくこんな風に。
企画の終わりの時間が来る。今日は見ていただきありがとうございました、お疲れさまでした。そう早口で言うと、すぐに放送は切れてしまった。もはやゆっくり挨拶をしている余裕などないのだ。あるのは解放に向かえる喜びと、少しでも早くと自分をせかす気持ちだけだ。その様子を余すことなく想像して、ユイは満足そうに顔を上げた。今日の配信は一段と彼女たちの気持ちをリアルに感じることができた。現にこうして尿意を我慢する感覚が放送が終わった今でも残っている。「現にこうして」?
この尿意は私のものだ。ユイはようやくそう気づく。いつから尿意を感じていたのか。いつから我慢していたのか。配信中のどこかから始まったそれらが、いったいいつ始まったのかユイにはわからなかった。わかることは、もう限界が近いことだ。尿意を自覚してから、膀胱からの命令は暴力的と言えるまでに強くなっている。急いで店内のトイレに向かうと、そこには無慈悲にも「清掃中」の札が下がっていた。
飲食店で働いていた経験から、掃除が終わるのはそう長くはかからないことはわかってはいた。それでも、最悪の場合があり得るほど長くなる可能性もある。それにもはや体を動かさずに平静を装うことが難しくなっているのだ。待つことを選んだら、我慢していることは周囲に筒抜けになってしまうだろう。ユイはそう考えると急いで駅のトイレに向かうことにした。一番近く、確実にトイレがあるのが駅だったのだ。それに、歩いているときは体の動きを誤魔化せる。
ユイは足早に店を出る。あくまで普通に、急いでいる人のように歩かなければならない。額に汗がにじむのは、急いで歩いているからか、それともほかの理由からか。階段を一段降りるたびに衝撃が体に響く。急いでいるはずの足の動きが段々と鈍くなる。駅に入ってトイレの標識を探すと、トイレへの矢印は改札内に向いている。急いで改札を通ろうとカードをかざすと、残高不足で改札が閉じた。その驚きには何とか耐えたが、もはや冷静を装うことなどできず、頭にあるのはただ一つの欲望だけだった。わずかに残る理性をかき集め、券売機でカードの残高を補充する。カードを差し入れる手は震えていた。財布を取り出すのにやけに時間がかかる。パネルを操作する手が液晶を連打する。逆の手では人差し指がトントンと券売機のある壁を叩く。一つ一つの動作が、やけに、長い。
ユイの手にカードが戻ってくる。歩幅は普段の半分ほどだ。やっとの思いで改札にたどり着く。カードをかざす。もしも何かのエラーでまた改札が閉まったら、もうユイに為す術はなかっただろう。幸いなことに今度は改札はユイを拒絶しなかった。改札をくぐると、後ろの人が改札に引っかかる音がした。その驚きもなんとか飲み込む。背負っているものの重さがまた増えた気がした。トイレまではあと50メートルほどだ。もはやなりふり構わず、正確にはその余裕もなく、体に余計な刺激が加わらないよう、人の流れを避けて、目指す先へと慎重に進んでいく。
トイレに清掃中の看板はなかった。あっても無理やり入っていただろうが、今はそんなことは気にならなかった。あと少し。あと少しでこの苦役から解放される。緩みそうになる気を再び引き締め、慎重に、歩を進める。先ほどまでうるさく鳴っていた頭が今はやけに静かだ。トイレに足を踏み入れる。最短距離で個室に向かう。洗面台の前を通り過ぎるとき、ふと視線を横に向けた。
鏡に映っているのは、おしっこを我慢している美少女だ。整った顔立ちは、苦痛に耐えるために大きく歪んでいる。毛先に行くにつれて白からピンクに変わる髪と、赤みが差して火照っている顔の中で、涙をたたえて青く澄んだ瞳がことさら美しく映えていた。左手はもう感覚がないが、無意識に毛先をいじっている。内股気味に歩く姿は急いでいるようにも、動けないでいるようにも見える。膝頭をこすらせながら一歩ずつ足を進める姿はかすかにふるえている。急いでいるにも関わらず、頭の中の妙に冷静な部分が、自分の姿を捉え続ける。配信に足りなかったものがすべてここにあった。おしっこを我慢する美少女の表情と動きが無限の解像度で目の前にある。おしっこを我慢する美少女の恥じらいと苦しみが余すことなく自分の中にある。自分の中の冷静な部分が他人事のように思う。もっと見ていたい。あるいは、もう我慢なんてやめてしまえ。
トイレを済ませ、身だしなみを整えたユイは帰路についていた。店を出てからトイレを済ますまでの記憶はもはやおぼろげだ。それでもユイの心にはあの一瞬が残り続けていた。女の子がおしっこを我慢しているときに見せる表情はやっぱり魅力的だ。中学時代から続くこの性癖は、いまだにユイを捉えて離さないらしい。もしつぶやきのネタに困ったら、今日のことを…そのまま載せるわけにはいかないが、この性癖の暴露くらいならいいかもしれない。なにせおしっこを我慢する女の子はいいものだ。帰ったらもう一度、今日の配信のアーカイブを見直そう、そう考えながら、ユイは電車に揺られていくのだった。
1〜2年ごとに全国転勤を繰り返す人と結婚して2年が経つ。
結婚する直前、夫に転勤辞令がおりた。私は当時好きな仕事を正社員でしていて、すぐには辞めたくないなーと言ったら「じゃあ別居で」ってことで、一応2人が住める程度の家だけ構えて夫は単身赴任という体にし、別居婚で2年間すごすことになった。
でも、同棲0の別居婚、覚悟はしていたが結婚の実感はなかなか湧いてこなかった。夫もそれは同じだったらしい。
過ごす空間も時間もバラバラ。夫婦っていうより、貯蓄口座に毎月入金するATM2台になってた。なんで結婚したのか訳わからんなって感じ。
私のキャリアとか世帯年収とか天秤にかけて考えたけど、やっぱ一緒に住むかって結論に至って、夫の次の転勤に合わせて先月から一緒に暮らしてる。まぁ今いる土地は、私が住んでた所から飛行機じゃないと行けないくらい離れてしまったので、ちょうど良い機会だったと思う。
仕事を辞めたから当然今は専業主婦。パートは前職からの紹介でなんとかありつけた。専門性が高く、なり手も少ない仕事なので時給が高い。扶養枠を越えない為に週2日しか働けないのがもどかしい。正社員は夫の転勤があるし絶対無理。フルタイム5日働いたら働き損になるんだなぁ…。
夫は朝活人間なので朝4時半に出て行って、19時に帰ってくる。
朝ご飯は早すぎてお腹空いてないし会社近くで食べるからいらない、お弁当は好きなものを食べたいからいらないらしい。その分晩御飯はちゃんと作ってる。
掃除洗濯くらいは2時間もあれば終わってしまう。あとは本当に、やることがない。
夫が帰ってくるまでにそれなりに家が整っていればいいので、今私は12時に起きダラダラ14時までYouTubeを見ながらご飯を食べ、掃除洗濯と買い出し、ご飯を作って、ぼーっとまたYouTubeを見る生活を繰り返している。こんなんだから夜もちゃんと眠れない。いつものそのそベッドから出て、3時までゲームをして、またベッドに戻って無理やり寝てる。
夫は何も気づいてないっぽい。もし気づいたとしても何も言わないと思う。彼は良くも悪くも人に無関心だから。
専業主婦だからそんなに自由にお金は使えないし、週末に夫とやってる共通の趣味でかなりお金が飛んでいくので、こづかいも節約しなければならない。
週2日のパートもフルタイムじゃないし、家から10分のところで1人黙々と作業して帰ってくるだけだから、環境的には殆ど家と変わらない。
こんな感じでずーっと生きていくのかと思うと辛い。
時間は腐るほどある。生活費もそこまで困ってないし、貯金もある。義実家も今は近く、仲良しだし何も困ることはない。こっちに住んでる友達もいる。
夫は家事好きで週末はせっせと掃除をしてくれる。これだけ恵まれてるのに、何もすることがなくて、ただなんか最近虚しい。
子無しの専業主婦は皆んなどうやってこの虚しさを埋めてるんだろう。
今は老後の生活の見通しが厳しい実家の脛をかじって職探しをしているふりをしているが、スーツを着て出かけて夜遅くに帰るだけ。パートでも派遣でも選ばなければ世の中に仕事はなんでもあるのに、こなせる自信がないのとこの期に及んでくだらないプライドがせめぎ合っている。ほんとゴミクズ。
人は思春期、青年期を経て色々な経験を通して社会でやっていく能力を身につけていくのだろうけど自分は12,3歳の頃から思考や人格に悪癖が付いたままダラダラ日々を重ね、全く何も身についていないことにいてしまった。
外に対して、ガワだけ意識高そうなフリをしてちっぽけなプライドを守ってきたが、実行力や実現力がないので虚像でしかなく、いよいよ社会に出れないままいい歳になってしまった。
思考の偏りや歪んだ自己愛、強すぎる恥の感情など人格障害の線も勝手に自己診断で疑っているが、過去にかかっていてあまり意味のなかった心療内科から切り替えた大学病院の診察は2週に一度や1ヶ月に一度という進捗がもどかしい。
感知している症状としては、とにかく頭が働かない。頭に何か詰まっているような感覚が日々強くなり、思考力と判断力はゴミカス。常に負の自動思考が脳の容量を食っている。どこにいても自意識が肥大化して、人の目が気になり何も手がつかない。身体は何もしていないのにいつも疲れて首背中が常にシクシク痛い。
自分の母親が洋裁好きで、お洋服とかカバンとか、学芸会の衣装とか作ってくれてた。お母さんの手作りすごいね!って褒めてもらえるのが嬉しくて誇らしかったのを覚えてる。
いずれは子供の服なんかを作れたらいいな…と思いつつまずは身近にあるもののリメイクを始めた。
大学のときに自分の服を作ろうと一念発起したこともあったんだけど、布を断ったところでやめてしまった。
無心で手を動かすのが楽しい。
まだ思い通りに手が動かず、ぎこちないけど、針と糸を使って縫い進めるのに、手の全体や指先をくまなく使う感覚が気持ちいい。
料理でもここまで細かな手の動きはしないし、普段はキーボードを叩くかスマホで親指をぽちぽち動かしてるだけなので、指ってこんなに動くんだなあと妙な感動を覚えたりした。
しばらく使っていなかった脳みその領域を使ってるような気がする。
そういえば工作も好きだったなあ。
ウェブデザイナーをやってるんだけど、結局成果物はデジタル上にしか存在せず手ざわりが無いので、こうして触れるものを作るのが新鮮で楽しい。やっぱ人間って現実世界に生きてるんだな。
んで、棒針で編み物をやろうと思って毛糸玉と編み棒100均で買ってきた。
編み方全く覚えてない…!
一時停止や巻き戻し、スロー再生を繰り返して編み方を学んでる。こういうのって動画学習と相性がいいよなーって思う。
でも他の角度からも見れたらいいのにって時々すごくもどかしい。360度動画?VRなんかで他の角度からも観れたら一定の需要無いかな。
好きとか推すとか担当とかファンとかガチャとかいろいろ支離滅裂に考えてしまった。
私は好きな推しがいる。
その”好き”はファンとか推しって感じじゃなくて、彼のアイドルではない側面を知っている者としての”好き”。
たぶんアイドルだけだったら正直そんなに好きじゃない。彼の理由を知っているから、アイドルをしているときの差異を知っているから好きになれたんだと思う。
コンテンツの世界観においてアイドルの私的な側面がファンから見てどれだけ露出するものなのか分かりかねるが、Pとしての立ち位置に入れ込みすぎてしまったといいますかゲームをしているとファンとプロデューサーの境界が分からなくなってしまった。
私たちはコンテンツに触れる際にPという立場が与えられる。そうすることによりアイドルたちの私的な側面を見ることができて時には悩みを共有したり立ち向かって成長していくことができる。(Pよりもユニット内で成長してる間が強いしそこが売りポイントだけど)でも私たちが彼らを知っていくには画面を介して金と運が重要ですよね!金を注いでカチャを引く!!ありったけの運でアピールタイムをぶち当てる!!できない分は金でカバーする!!寝る間も惜しんで休憩時間も使ってランキング報酬を勝ち取る!!!
この行為はファンとしての側面が強いなと感じる。プロデュースとはちょっと違う。その世界ではそれがプロデュースなのかもしれない。
だけども私にはそんな立派なP業ができない。休むときは休みたいし、そこそこの食事がとりたい。さっぱりした部屋が好きだからグッズもそんなに買わない。仕事をしてるし資格の勉強に時間を割いたりする。ほかのPさん方のように器用に平行してできるタイプではなかった。
どっちかっていうと「かっこいい(ハート)」ってより「今回の仕事反響やばかったな!やったじゃん!やっぱお前最高だわ!!」って背中バシバシしたい人生だった。完。
しかもヤバイやつの担当になりたがったのが不味かった。少し憎しみをこめて言わせてもらおう、ボーダー破壊顔面兵器。いやおかしいでしょ。しかも声帯を代わりにやってくださっている方の顔も良いときた。
事実として私には彼をプロデュースできる熱量は無かった。ほかのPさんとの熱量で負けた。金もそんなにつぎ込めなかった。運も悪かったし時間も割いてあげられなかった。私よりこのキャラクターどう?って進めた友達のほうが狂ってるぐらい金つぎ込んでるよ。幸せにな。
じゃあゲームライト勢になれば?とは思うがそこまで割り切れなかった。引けないガチャがあったら苦しいしガチャ煽りされたら殺意やばいし周りのグッズ集めてあたりまえみたいな雰囲気もツライ。こうして改めてつらいところを挙げてみると他者との比較に対しての嫌悪を感じられる。そもそもソシャゲ向いてないね。そういえば私買い切りゲーとかが好きで、オンラインゲーもソロプレイだったわ。
てかこんなの書き出してる時点で諦め切れてないのが分かってしまって苦しい。自分の熱量じゃどうしようもなくて逃げ出したのに諦めきれない。どうしよう。ライビュも申し込むか迷ってしまう。というか申し込む気力が無い。ボタン押して申し込むだけなのにね。こんな文章を書くより簡単なのにね。ほんともう潮時かしら。担当()を知ったのはウェディングのときからなんだけどさ突前のあどけなさから突後の頼もしさがほんとに好きでさぁ!対等でいようとしてくれてるのも好き。でもファンとしての活動も包括されたプロデュースでは彼が高いところに行ってしまっていて、その彼の態度とのギャップを感じてしまうんじゃ。俺様ならいっそ割り切れるのだろうか。倒れたやつらに同情するほど甘くないもんな。そういえば歌ったね、なるほどなぁ。
イベ何やってるかは知ってる。気になっちゃって。
もどかしいかなとは思ったけど案外気にならない。精神も安定している。
フリフリも似合うんだなぁという事実で満足した。
にしても次はいつくるんだろうね。みんな頑張ってね・・・曲は買うはず・・・。
しばらくは距離をおいてみようかなとおもう。
わたしはグランブルーファンタジーをプレイしている
引退して1年経った今、当時を振り返った話をブログに書いていた
(匿名の場でリンクを張るのは晒しみたいになってかえって失礼な気がするので自粛する)
>グラブルはプラスではあったが、よりよい時間の使い方のために引退は免れなかった
とのことだった
それを読んで、グラブルを続けるのは自分の人生においてプラスなのか考えた
わたしは元々中世ヨーロッパ風王道ファンタジーRPGが好きで、
大量にあるシナリオイベントやフェイトエピソードのすべてが面白いとは言わないが、
ストーリーやら音楽やら、なんだかんだ楽しませてもらっているし、
そのたびに、やっぱりグラブルが好きだなあと改めて思う
課金で補える範囲は少なく、ソシャゲーよりもMMORPGに近いと表現するプレイヤーも多い
流行っているゲームは一般ファンの二次創作絵が描かれることも増えるが、
グラブルは真面目にゲームをプレイしている人ほど絵を描く時間が取れなくなってしまう、なんて話もある
強くなるにつれ素材要求量も多くなり、プレイ時間はますます増え、
しかし労力に見合うほどの戦力アップは見込めないケースも多い
わたしは200近いランクのわりには弱いほうのプレイヤーだと思うが
ストーリーを読む分には現状の戦力で全く困らないし、
攻略情報を見ての後追いではあるものの、特別苦労することもなくクリア出来る
他プレイヤーと争わないならもう十分な戦力があるのだ
膨大な時間に加えて、他人に気を使う要素まで増えて辟易しているし
そろそろこれ以上の戦力強化はお休みして
同じ団で長く一緒にやっていると、初めは見知らぬ他人だった団員達にも仲間意識がわいてくる
タイトルで既に明かしてしまっているが、ゲーム内で知り合った人を好きになってしまったのだ
しかし、隠居するからと団を抜ければ、おそらくそれっきりで縁も切れてしまうだろう
我が団では、ツイッター団のような、団を離れても友人関係を維持出来るほど密な交流は行っていないのだ
グラブルから離れた場合を想像した時、一番残念に思うのがそこなのに自分でも驚いた
冒頭の1年前に引退した元有名プレイヤーの方はこんな話もしていた
>いつまでグラブルの近くにおるんやって思ってる人もいると思うけど
>グラブルにはすでにあまり興味ないけど、グラブルで知り合った人たちへの興味は尽きることなし
私も3年以上同じ団にいる
うちの団長は有能だ
古戦場では細かく貢献度や時速を見比べ、的確な突撃・撤退指示を出し、拾える勝ちはおさめ
寄生となってしまった団員は古参だろうと容赦なく切り、汚れ役もきっちりこなす
リアル仕事も忙しいだろうに、ゲームでもリーダーとして誠実に頑張っている団長に、いつしか好意を持つようになっていた
会う前は、リアルで会ったらより一層好きになるかスッと冷めるか、どちらかに偏る可能性も想像していたが、
外見も声も特別好きでも嫌いでもなく、言動もゲーム上での人物像と差異は感じない
良くも悪くも、気持ちに大きな変化はなかった
人柄で好きになったのだと考えると好ましい傾向と思う
ただ、大きな問題が判明した
団長はとても若く、自分より10歳以上年下でもおかしくなさそうだった
社会人団なのでそこまで大きな差は無いのを期待していたのだが、
ここ最近は今後の身の振り方を悩んでいる
期間限定グッズショップやコラボカフェ等も頻繁に開催されているため
そうそうお誘いには応じてもらえず、もどかしい気分で過ごしている
やっぱりこの人が好きだと改めて思う
しかもおそらく一回り以上年上の人間から告白されても迷惑がられる可能性は高い
下手に行動して気まずくなりたくはないし、相手の心に負担をかけたくもない
ゲームの中では書かないだけで、リアルで恋人がいる可能性だってある
我が団は4000位以内の中堅なので、高い時速を求められることはない
新武器制作をサボっても、時間をかければ古戦場で求められる働きは十分に出来るだろう
メジャーゲーなのでそこら辺のマイナーゲーと比べたら相当遠い未来の話だろうが、
それでも終わりは避けられない
何らかの理由で団が解散して縁が切れるか、グラブルがサービス終了するか
あるいは自分の気持ちが無くなったり、他の好きな人が出来る可能性もあるし、
しかし、おそらくは
それなりに仲は良いけれど、それ以上の進展もない、戦友としての関係を維持するのだと思う
ただ、もしもこの気持ちが冷めないうちに縁が切れそうになったなら
何も伝えないでそのままお別れするのも寂しいな、とも思っている
VR元年とは、HMDの民生品発売はもちろんやが、エポックはGTXが出たことで、最低限のVRインフラが民生品として出現したからこそと、UnityやUnRealというゲーミングフレームワークが速攻で対応したからこそやでな。
それからのVRは、一般人が目に見えるとこでは、PC方面はSteamがガバガバの開発窓口開放で、中国始めIT後進国がゴールドラッシュよろしくクソVRゲー(とも言えないデモにも及ばんレベル)を大量生産したことで、VR体験が最低最悪ならまだしも起動すらしなかった体験できない惨状が状態化したのと、PSVRはVRの必要の無いゲームかどうかも分からんコンテンツをクソ高い金払う罰ゲームやったからなあ。w
ほんまここ数年は俺も含めてご愁傷様としか言いようが無い被害状況が残念。
しかしVRというインフラ自体は、その間にもビジネスシーンにおいては高付加価値方面では開発現場でのコストや手間の削減、ひいては予算削減やリモート作業の完備として普及して行ってるし、低コスト方面ではVR動画での社員教育やコンセプト体験という体感コンテンツとして活用されて行ってるでな。
個人的にはVRはそもゲームで普及するには時期尚早、無理が多すぎると思ってる。ゲームっちゅうのはどこまでも日進月歩でパフォーマンスを必要としてるし。RTXが出てすらリアルタイムレイトレーシングとか新技術でそのパフォーマンスもあっというまに食い潰されてるからな。
しかしVRとはCGでありインタラクションであり、分かりやすいニーズとしてVR元年当初からゲームこそが最適解であったし、それで認知を高めていくしか無い程に「あー、VRね、知ってる」という認識が実際のVR体験と大きく乖離しているという現実こそ問題であり、現状その問題を解消できないままだからこその「オワコン扱い」というのがもどかしい訳でな。
まあまだまだCPUもGPUも、デバイスの解像度も重量もサイズも必要に不足しすぎてるし、5年前のゲームクオリティレベルですらパフォーマンス求めりゃあ現在の最高級ゲーミングPCでも足りん、何作るにしても360度きっちり作り込まんとあかんし、金&技術バカ食いインフラやからなあ。
現状はまだまだ知識&スキル&創意工夫が必要やが、それさえセルフでなんとかできるんやったなら、仕事もゲームも気分転換も、人類史上全くの未経験を日常的に楽しめるようになってる現在はほんま素晴らしく未来やで。
そうした苦労をせずにお気軽に楽しむには残念ながらまだ数年を要するっぽいが、それまでは過渡期のAR、MRの方が楽しめたりするからまあそれらで遊びながら気を長くして待っとけばいいと思うで。
もちろん金積んでその筋の人探して頼めば現時点でも叶うやでな。
「人間に似た外見を持つ人工的なものがまるで人間のように振る舞おうとする姿」が好きだ。
有名どころだとスター・ウォーズにおけるC-3POだったりL3-37(泣いた)だったり。
HUGっと!プリキュアのルールー・アムール/キュアアムールはアンドロイドでありながらプリキュアに変身することができた。泣いた。
この前たまたま日本科学未来館に行く機会があって、全くノーチェックだったけどオトナロイドとオルタを見た。オトナロイドは椅子に座った女性型遠隔操作ロボットで、声は実際の人間をボイチェンで出してるだけ。オルタは上半身だけ、しかも半分機械がむき出しで、センサーによって前を通る人とかを認識して顔や手が動くけどそこまでインタラクティブ感はない。でも泣いた。
もう10年以上前になるけど初音ミクの登場も衝撃的だった。イラストがついたシンセサイザーが自分自身や愛や有象無象を歌っている。泣いた。(Todo: 週末はM3とニコニコ超会議に行くぞ)
で、
いわゆる四天王とかそういう呼び名があるのは知ってる。その人達の動画はそれぞれ数個見た。親分はたぶん10個くらい見た。
でもそれ以上なかなか続かない。
これまでの自分の趣味から理論的に(?)考えると絶対ハマりそうなのに、ちょっと動画見ただけで満足というか、もうこれ以上はいいかな...と思ってしまう。
自分は未だVTuberというものに対する本質的な何かを見抜けてないのか。もしかして自分に刺さるVTuber(、が誰だかわからないけど)を見つけてないだけなのか。もどかしい。