2019-06-24

恋愛傍観者でありたい

最近、そんな気持ちが強くなっている。

自分環境における結果なのか、意志の弱さなのか、よく分からないけれど確かにある。

未婚の理由「めぐり合わない」 一方で「探していない」も | NHKニュース

丁度こんな記事も目に付いたり、最近恋愛に関する記事が目に付いたので、吐き出してみようかなと。



「いい人が居たら付き合いたい」などという意見を耳にしたりするのだけれど、自分は違うなぁと感じる。

もし本当に理想相手が目の前に居たとしたら、自分は逃げるか手を引く。

何故かと言えばその人が怖いから。

仮に奇跡的に付き合えたとしても、相手幸せに出来る自信も無い。

自分なんかが変に関わってしまって、相手人生台無しにしてしまうことに責任も取れない。

から、その人がいい相手に巡り会って、幸せになってくれたほうが良かったと思ってしまう。


以前、好きだった人から交際相手が出来たという話を聞かされたときの話。

正直内心、悲しいようなもどかしい気持ちもあった。

でも、それより目の前に居る人が幸せそうに話す姿を見て、こちらまで嬉しくなってきた。

交際相手に関する相談もされたけど、その時もどうにか役立てて欲しいと思って自分なりの意見を伝えた。

その結果があったのかは知らないけど、今も幸せそうで、ずっと続いて欲しいと願ってる。


自身好意を寄せてくれた人から逃げたこともあった。

やはり恐怖心が大きかった。

勝手に将来を思い浮かべて不安になっているだけ。

それでも、自分と関わるよりは良い可能性があるだろうと。

自分は胸を張って寄り添うことなんか到底出来ないから。


街中でカップルを見かけるときも、この人達自分の代わりに幸せになってくれるなら、それこそ自分にとっても良い環境に繋がっていくだろうとか考えてしまう。

自分にも…、という気持ちが確実に消えてしまっている。

傍観より踏み込んでるけど、そういった人達が過ごしやす環境を、自分は影から手助けしてしているくらいで丁度良い。

それで気付かれないくらいの位置に居て、他人幸せになってくれれば、それが自分にとっての幸せから

内心気持ち悪い思考であると思う反面、実は同じような人も居るのでは?という疑問も心なしか感じている。

自己主張人間関係から逃げてるだけの、社会的弱者の吐き捨てた御託なんだけれども。

それでも、この気持ちは確かにある。

努力しない」「行動しない」人間である自身根底には、こんな形で他者に華を贈りたい気持ちもあったりする。



恋愛というものは、どうしても他者が演じる劇の様に感じる。

自分が主役にはならないし、舞台に立つ勇気もない。

からこそ、客席から眺めて、そんな素敵な人の幸せを見守ろう。

それでこちらが楽しめれば、それがこそが自分幸せから

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん