はてなキーワード: きな子とは
物心がついた頃には、すでに文字が読めていたらしい。というのはさすがに大げさだろうけど、それでもひとよりは、読み書きの習得が早かったのだろう。
とにかく絵本を読むのが好きな子供だったようだ。家にある絵本を片っ端から読んで、新しい絵本を沢山強請ったらしい。おかげで実家には、本棚いっぱいに絵本が置いてある。
小学校に入学する頃には、簡単な漢字の読み書きも出来ていた。それ故に、ひらがなのなぞり書きを何十回もさせられる国語の授業と宿題が、ものすごく苦痛だったことをなんとなく覚えている。
小学校には当然、図書室があった。片っ端から、というわけでは無いが、よく本を借りて読んでいた。児童文学を中心に読んでいたと思う。それ以外の本はあまり好きではなかった。
自分は物語が好きなんだ、小説が好きなんだ。と、漠然と思っていた。
中学生ぐらいになると、読む楽しさに加えて、書く楽しさを覚えた。読書感想文を書くのが好きだった。こっそり小説なんかも書いたりしていた。
二十歳を過ぎた今でも、小説を中心に、本をよく読んでいる。自分でも書いてみたりしている。
なんとなく素敵な気持ちになる。
なんとなく安心する。
だけど、今になってやっと、自分は別に、小説が好きだったわけじゃないんだと、気づき始めた。
どこかの誰か、知らない人が書いたブログの記事だったり、小説投稿サイトに投稿された作品だったり。増田だったり。大きな本屋さんや、図書館よりも、何倍も多くの文章を読むことができる。
そうやって沢山の文章に触れていると、時折、ものすごく好みの文章と出会うことがある。一文読んだだけで、心が奪われる文章。次々と読み進めてしまい、止まらなくなる文章。読んでいるだけで酷く安心感が得られる文章。
理由はわからないけど、「なんとなく大好きな文章」と出会うことがあるのだ。そういう文章の中には、意味すら理解できないものもある。何が言いたいのかわからない、内容が伝わってこない、それなのに、なぜか溜まらなく好き。そういう文章と出会う。
絵画とか、現代アートとかに近いのかもしれない。理屈じゃなく、素晴らしいと感じるのだ。
きっと自分は、工夫された文章が好きなのだろう。その工夫が、自分の好みと合致したとき、幸せに感じるのだ。
小説が好きなわけじゃなかった。物語を伝えるために、表現豊かに工夫された文章が好きだったのだ。
反対に、誰にでも誤解なく正確に伝わるよう書かれたような文章は、あまり好きにはなれなかったのだ。
文章を読むとき、芸術先品を鑑賞するようなつもりで文章を読んでいるのかもしれない。さながら、絵画を見るような、音楽を聴くようなつもりで。自分にとって文章というのは、ずっとそういうものだったのだろう。
それに気が付いてから、より文章を「書く」ことに注力した。とにかくいい文章を書きたい、自分が好きな文章を書きたい、と思うようになった。誰のためでもなく、自分のために。
消費者として好きだったものを、今度は自分が生産者となって作ろうと考えるのは、ごく自然なことだろう。しかし、それは当然簡単ではない。
絵を見るのが好きだからと言って、絵を描くが上手いわけでは無いように。音楽を聞くのが好きだからと言って、作曲が出来るわけでは無いように。
自分は文章を読むのが好きだが、ご覧の通り、「書く」方はこんな状態である。基本がなってない上に、センスもなく、なまじ変なこだわりが強いばっかりに、ぎこちなさが目立つ読みにくい文章。はっきり言って下手くそな文章。
文章が好きで好きでたまらなくて、ネット上に転がっているどこかの誰かの殴り書きすらも、芸術作品としてとらえている人間の書く文章が「それ」である。
結局消費者はどこまで行っても消費者でしか無くて、生産者とは相いれないのだろうな、と。まあ、自分で書いていて悲しくなるけど、そういう現実も、あるにはあるのだろう。
不覚。
とにかくガッキーが可愛い、それでいてエロスの世界観ではないので、爽やかにドギマギヤキモキするという、よく分からない解説を何度も聞かされて、とりあえず見てみることにした。
今時の人気アイドルというのがどんなものなのか、少しは知っても良いだろうと思って。
学生時代に好きな子ができて感じる胸の痛み、ドキドキ感、焦燥感、あの感覚が怒涛の如く襲ってきた。
PEAが全身を駆け巡り夜も眠れない。
テレビを見ないわたしだが、はてなやまとめサイトでたまに話題になるためか、新垣結衣さんは以前から知っていて、数多いる可愛らしい芸能人の一人という認識だった。
憂いの目、少し小ぶりな乳、長い腕、指。
たまらずYouTubeなどでポッキーのCMから貪るように眺めた。
ウィキペディアで基本情報を掴んだ上で、ゴシップ的な恋愛遍歴や過去のインタビューなど調べてしまう私がいた。
この何も実を結ぶことのないことに時間と思考を奪われて一日を過ごす。
どうすれば実を結ぶのだろうかと、無駄なことを考えずにいられない。
ああ、そうだ。これは恋なんだ。懐かしい気持ち。自然な気持ち。
清濁混ざった心の目であなたを見つめる。
いや、だめだ、汚れを払いのけ、真の愛であなたを見つめよう。
いつか夜明けがきてあなたのことを忘れても、わたしの幻影が作り出すひと時の幸せと安らぎを忘れない。
***
理性が私に何度も無為な時間を過ごすな、冷静になり不毛を避けよと伝えてきます。
しかし理性以上に強い感情に囚われてしまい思考が言うことを聞きません。
どうか心が弱く、罪深いわたしを憐れんでください。
この言葉をよく味わい、もう逃げ恥を見ることを止めようと思います。
どうかお力をお与えください。
この祈りを主イエスキリストの御名において。
昨日、映画の感想と愚痴を言いたくて友達とこんな話に、映画の世界観を説明する時に「僕のオナネタの設定を説明する」という事態に発展した。
オナネタということで…
・現実ではなかなか厳しい合理的にハーレムや二股を実現してみたい
・伊東ライフ作品のように、ただ「ヌク」という行為そのものが褒められる世界。
・それらがありながらも、自分が一番好きな子が悲しまない精神構造または行動原則を持ってること
・親近感が湧くように、主人公はブログがもっと稼げて基本的に家にいる俺
その結果、ちょっと人に言うのが恥ずかしいぐらいひどい設定ができていた。
一応、大まかなプロットを話していくと
・若くして世襲という形で経営者になったせいで、お金には余裕のある奥さんがいる。
・特にブログをやりたかったわけではないが、はみ出し者にブログを教えるか、寄稿するかアフィリエイトするかでお金を得てる俺の変な生活を面白がって(若くして家業を背負った自分にはできない面白さがあって)繋がる。
・「仕事が好きでかつ、勤務時間前後はきちっとしたい」という理由から通勤時間1時間前〜(仕事中)〜家に帰って来てスーツやYシャツを着ている時は一切の行為・いたずらは禁止。
ただ、僕が求める頻度が多くなった時に、「この設定だと、奥さん大変だし、大変なことを考慮してできない日の妄想をしてたらおかずにならない」ということで、妄想した時にいつもちゃんと濡れ場が来る設定に変えるためにテコ入れをする。
・仕事に差し支えがある時や生理など奥さん側が「できない・したくない」時に申し訳なさと煩わしさから、俺に愛人作りを推奨される。
・とは言え、カネがかかったり、貢ぐ方向に暴走されても困るから、その手のお店は禁止。奥さんか公認の人としか抜けない。
・俺にそんな度胸も当てもなく、なおかつ「別れる口実」だと疑って愛人を作らない日々が続くと、彼女の方から「メイドを雇う」という話が出て、なおかつその子と一緒に3人で夜を過ごすことが続く。
・奥さん、軽度のレズ/射精管理/他人のセックス鑑賞/AV的なエキセントリックなシチュエーションの再現に目覚める。(その結果、色んな子が通い婚的にローテーションしたり、「そういうツテがないかみんなで秘密を共有できる子を探す」という話に発展すると同時に、俺も俺の愛人も奥さんのおもちゃとなった結果として、やるという行為に発展してる状況ができあがった)
・それでも、一緒に住むことになったメイドが「抜いてあげられる、求められる自分が好き」というめちゃくちゃ自己肯定欲の低い従順すぎる子で、結果的には彼女とたくさんすることが大半。また、奥さんとスケジュールが会わない時に押しかけてきた女の子としてる時は彼女が見張ってる(という体の彼女への放置プレー焦らしプレイ)が実現する。
・結果、「奥さんか公認の誰かとしかやってはいけないが、家にいる時には(奥さんの仕事・通勤の邪魔にならない範囲で)どんだけ女の子にがっついてもいい」。
・関係を持った女の子が増えた結果として、「家計に入れなくていいから、稼いだお金は全部ブログと交際費に使うこと。男の子がお金を出してるという体裁の方がメンツが立つし、やらせることへの抵抗感が減るから」
・浮気や愛人を公認する代わりに、一人で独占したり、関係性をぶち壊すような誘いを、他の女の子に禁止する。破った場合は離婚&訴訟。(という決まりを作った途端に、奥さんよりカワイイ女の子が思いついても、奥さんより妄想の頻度にメイドの登場数が増えても、奥さんほどの度量の大きい女性が他にいないことを知らしめられたため、俺は奥さんに足を向けて寝られないし、俺自身も奥さんが一番だと念押しする形になる。)
…我ながら「合理的だし、実際に聞いた女の子自身の発言や趣向に配慮したやりたい放題の男像」を作ってみた。
だが同時に、「いくら合理的といってもこんなことをOKする女性はいないし、法律のことはよく知らないけどきっと何かしらの法律に抵触するだろう」と思って、このオナネタを人前で話したことはなかった。
少なくとも、邦画でこれを上映したら「歪んだ関係」みたいに言われるだろうし、アニメではこんな強度の高い設定のハーレム萌えアニメを俺はそんなに知らない。(しいて言うなら、彼女がいてなおかつハーレムな化物語、落第騎士の英雄譚、境界線上のホライゾン辺りぐらいだと思う。)
ところが、友人に「奥さんができすぎててなおかつ、歪んでる結果として、奥さん公認・管理のもとでハーレムができてる状況だよ」という概要を説明して言われたのは「戯言シリーズがそんな感じの描写・人間関係あるで?」と言われた。
驚いたことに西尾維新は10年以上前にそんな作品を作っていたらしい。だとしたらそれはすげーわ。
僕は
・ガッチャマンクラウズ(人に優しすぎて結果的に都合のいい人みたいになってる一ノ瀬はじめ)を奥さんの元ネタに、
・伊東ライフ作品的な「射精管理が趣味または自己承認のための行動と化してる」という概念
・桂井よしあき作品のあるヤリチン的な人の話の「お嬢様学校の女の子達が、ヤリチンの用務員に好き放題させることで、恋人を学園単位で共有してる設定」
・境界線上のホライゾンみたいに「恋人がいるのに、幼なじみも、姉も、親友もそれぞれ違う立場で全員がトーリが大好きという形のハーレムができてる」
辺りを元ネタにしてミックスして作った妄想だから、西尾維新の影響ではない。つうか、西尾維新の作品はめだかボックスの2期と化物語を人並みにしか見てない。
そして、その友人は戯言シリーズを勧めたいがあまり、僕のブログに戯言シリーズの難解な寄稿を2つも書いてくれている。(あまりにも難しすぎて、まともに読めたという評判を聞かないのが悩みだけどね)
前編 http://www.tm2501.com/entry/Contributions-from-the-ghost_i
後編 http://www.tm2501.com/entry/Contributions-from-the-ghost_i_introduction
でも、僕は僕が彼とは全く違う元ネタや実体験の末に編み出したものが、彼に話すと「それ、フィクションで見たよ」「哲学者がツイートしてたよ」と言われて、考えていることが合流していくことがすごく多いんだ。
そのことの面白さというか、妙を語りたかったんだけど、青二才ブログで俺のオナネタの設定を語るとGoogle AdSenseに抵触する危険があるし、なによりも女性ファンが減りそうで怖くなったから、左手がイカ臭いおっさんしかいない増田に書かせてもらった。
なんか…ごめん。
好きな子に嫌われた
そのショックで死んでしまいそうなくらいに悩んでいる
他の人から見ればくだらないと思う
友達と一緒に遅れて打ち合わせが無くなったことだ
試作と言うのは料理のことで僕をはじめとする計5名が料理の試作をして学校に持ってきていた。
そんなことをして作った料理を食べ評価を受ける大事な機会を僕と友達の2名が遅れてその日の打ち合わせは中止になり
彼女とほかの女子計3名に怒られたのでその日のうちに頭を下げて謝った。
正直それで解決したと思っていた。
あからさまに無視をされている…他の人とはいつものように話してるだけに会話の頻度が極端に減った、
というか0になったのを痛いほど実感した。
彼女に何でまだ怒っているのか聞いた、どうやら月曜の打ち合わせの後に
「班の打ち合わせに遅刻して彼女やほかの班員や先生に怒られたので、班の打ち合わせがある時は皆で時間を決めていった方がいい」
というような自分の失敗談からの教訓が間違って彼女に伝わり彼女の怒らせる原因となったようなのだ。
その内容について間違いであることを説明と彼女やほかの班員に「作ったものとその作った時間は無駄になってしまったがせめてお金だけでも弁償させてほしい。」とも言った。
それで翌日からまた前のように話してもらえるかと思った。
来週から実習が始まる。
彼女に許してもらえないまま明日一日を過ごすと思うと具合が悪くなる。
21歳になっても情けない男だ、先週に戻りたい
また一緒に学校行くような仲に戻りたい
余りにも気まずいので学校を辞めようか考える始末だ
元からそんなに好かれていなかったのかもしれない
明日は話してもらえるだろうか、多分そんなことはない
彼女は綺麗で可愛い上に性格も明るくクラスでも社交的なので僕と話せなくても何ともないだろう
短い間の幸福だった
死にたい。とんでもなく死にたい。ファッションメンヘラでもなんでもなく、本気で死にたいというか消えたいというか、人生をやり直したいような気がしなくもないというか、とにかくこの人生を続けたくない!
17年間、わりと死にたいと思いながら生きてきた。みんな死にたいというと親身になって話を聞くよと言い、ある子はいつでもLINEしてよと言い、ある子はわたしはいつでも〇〇の味方だよと言った。ぜーーーーーんぶ口だけ!!!!!ていうかあたしはそんなんじゃなくて誰かに、わたしの好きな友だちに、「〇〇が一番だよ!〇〇がいないとさみしいよ!〇〇、だから生きて!」的なことを言われたい。わたしのために生きてとか言われたい。〇〇、心配だよ(;;)と言ってくれたあの子は翌日にはたのしそうに同じ部活の子とディズニーランドに行っていたし。みーーーーーーんなあたしよりも大事な子がいて、仲良しな子がいて、あたしははてさて友だちランキング何位なんだかわからない。最下位じゃね?たぶんあたしのだいすきな「友だち」たちは、あたしが今日死んでも一日泣いて次の日にはケロッとしてて、2週間後とかには楽しく友だちと溺れるナイフとか見ちゃってプリとか撮っちゃうと思う。あたしにはそんな価値しかない。あたしの大好きな子に
同じようにあたしを大好きでいてほしい。みんなあたし→→→→→→←友だちみたいな感じで、あーーーーーしんどい!!!!!えっぐ!!人生えぐいわ!!!!!みんなそんな感じで需要と供給がまったく釣り合ってないのであたしばかり損をしているし、あたしばかり与えている。あたしはそうやって友だちに大好き大好きしながら良いように使われてることに気づかないふりして、誘われないほんとの仲良し同士の女子会とかに行くために終わらせなきゃいけない課題とかをちょっと見せてあげたりしている。まあいいんだけどね!!!!!メンバーその子以外知らないし(笑)(笑)
なんにも考えずにあたしを愛してくれ!!!!!うざいくらいでいいから!!!!!うざいなんて思わないから!!!!!LINEなんてグループLINEと聞かれたことに答える事務的LINEと、若干のすぐ終わるであろう会話LINEしかなくて、返すのめんどくさいとか言ってクソみたいにたまった画面無視してる子が羨ましくて吐きそうだし、プリなんて年に数回しかとる人いないし、気軽に遊ぼ!
帰り〇〇寄ろ!とかいう人もいなくて、あーーーーーさみしいやつだなあ。あたし!!!!!優しすぎるだいすきな友だちがいるんだけど、同情からたぶんあたしと話してくれてるだけでほんとは同じ部活のあの細い子と一緒にいたいんだろうな。
寂しいやつ全員友だちになろうぜ。LINE荒らしていいよ。リプバカみたいにしていいよ。そのかわり、あたしを好きでいてくれ。
おわり。
「年賀状、ください。だってもらうとうれしいんです。」池袋駅近くの郵便局で、アイドルグループ『嵐』の5人が、年賀状片手に写るポスターが目に入った。
私が中学生くらいの頃までは、友達と年末前にお互いの住所を教え合い、年賀状を送り合っていた。
パソコンの年賀状作成ソフトが使えなかったので、表の住所から裏の挨拶文まですべて手書き。
友達に漫画やアニメが好きな子が多かったので、年賀状に相手が好きなキャラクターのイラストを、ガラケーで画像検索して描いたのはいい思い出である。時間がたつと画面が消えるのでその度ボタン押すのが面倒だった。ハガレンとか、銀魂とか。あとDグレだったかな。年代がばれそう。
受け取るのも楽しみだった。朝寒い中ポストを開け、自分あての年賀状を探す。友達も自分の絵柄でイラストを描いてくれたりしていて、一つの作品を受け取ったようで嬉しかった。
(凝りすぎて新年間に合わんかった!と冬休み明けに手渡しで年賀状を渡してきた友達には笑った)
現在新年の挨拶はメールやLINEアプリで一言メッセージを送るのみ。こちらの都合もあるが、それよりこちらが送ると、向こうに送り返す負担が生じることを避ける気持ちが大きい。
「年賀状お互いめんどいし送らなくていいからー」と事前に伝えてくれる人も多い。
ネット通信によって相手に言葉を送ることは簡単になった。技術の進歩ありがとう。
でも、自分のため、誰かが手間をかけて作ってくれたものを受け取る喜びを感じる機会が減ったことは、ちょっと寂しいことなのかもしれない。
ブログ上のこととは言え何であそこまで強く明るく振る舞えるのか。
まあそれも間違いではないだろう。
ただ、誰かに支えられてこその強さというより自分の内側から沸き上がってくる強さの気がする。
多分小林麻央って人生を通して(特に思春期や学生時代)家族や友人から常に愛されながら生きてきたんじゃないだろうか。
顔中にニキビができてちょっとブサイクになってしまったときも、リレーでバトンを落として自分のせいでクラスが最下位になったときも
責め立てる人間などいなくて、周りの人みんなに(特に男から)相当優しくされてきたんだろう。
そんな中でどんな状況でも自分を嫌いにならない精神が形成されたんだろう。
人ってなかなかこういう自分と向き合って素直に愛したりできないものだけど
それはあえて悪い言い方をすれば悲劇のヒロインに堕ちてしまったその状況さえ楽しんでいるのかもしれない。
いや、ガンで余命いくばくもない状況を楽しんでいるってのは失言だった。
ネット上じゃブログは小遣い稼ぎなんて言ってる人もいる。死後書籍化で稼ぐんだろうという意見もある。
だけど普通に考えて、もうすぐ死ぬ人間が(もちろん回復を祈ってはいるが)小銭のために髪が抜け落ちた自分の写メなんか晒せないよ。
叱り方がおかしい
我が子を好きなようには見えない。
それでも子どもは夫が好き。多分好き。多分私よりも好き。
上から文句を言えるほどしっかりした子育てをしてる訳ではないけれど、そんな夫に子どもが甘えにいくのが見ていて苛立つ。
あんガルがリニューアルされた。こっちは3年間ひたすら好きな子や他の子も愛して細々楽しんで、そんで待ちに待ったリニューアル。
うるっせえなうしおの口癖は「ぷか」じゃなくて「なの」だ、ちゃんと調べてから言えよ。兄貴外国にいるって言われてんだろが
それを調べもゲームプレイもせず、自分のジャンルのキャラにこじつけてキャラageしようとしやがって
こっちが大切にしてきたキャラたちはお前らスタのキャラにとって都合のいい駒じゃねえんだよ 引っ込んでろ
クロスオーバーといえばるかもだ。ルカたんじゃねえし一人称は「私」でもない。
おまけに旧アプリの時るか掲示板で散々スタの話して荒らして帰った挙句、ガル勢は過激派が多いから無理~><って脳みそ半分ねえのかよ原因お前らだよもっかい行動見直せ
るかが悪いわけではないし人気が一定数あるのも事実だが、スタ勢がとりあえずの姿勢で入れた票のせいで投票イベ狂わせやがって
今回のリニュでも予想通り「ガルはスタと似すぎ」だの「スタの方がいい」だの好き勝手言いやがって、ガキか?
なんでお前らスタ勢の「スタ最高」って気持ちを満たす道具にされなきゃなんねえんだ
こっちだって女の子たちを楽しんでたところに男どもとの関係性仄めかされてファンに荒らされて迷惑してんだよ、被害者面してんじゃねえ
一昨日の夜、衝動的に「手のひらに乗るマッチョが欲しい」と思って
これを注文した
届いた。
開封した。
触ってみた。
まさしく手のひらにマッチョが乗っている。
俺の手のひらにマッチョがいる。
筋骨隆々という言葉があてはまる体躯は、しかししっとりと吸い付くように柔らかい。
良い筋肉は柔らかいって言うもんな、と思った。自然にそんな風に思うくらいには、生々しい。
大胸筋、腹斜筋、手のひらと足だけはパーツの問題だろう、硬いプラスチックなのが妙な違和感だ。あと、重たい。骨組みがステンレスなのだから当然なのだが、ずっしりと重量がある。
背骨はどうなっているんだろう、柔らかく反り、うねる動きも、確かにそこに肉があり、骨があり、内部で筋肉が撓んでいるように見えた。
写真ではわからなかった部分もこうして手に取ると、当たり前だがッ見えてくる。
二の腕や、首筋を走る血管。その隆起を再現する皮膚の張り。なんてことない蛍光灯に照らされているだけで、その刻み込まれた陰影が彫刻のような美しさを演出していた。
俺の、手の中に、マッチョがいる。
おもえば、マッチョに率直な憧れを抱いていたのはいつまでだっただろうか。
テレビの中に写るマッチョは力強く、俺はSASUKEが好きな子供だった。
いつか僕もあんなふうに強くなって、幾多の困難を乗り越え、いや乗り越えられなくても、あんな風に太い二の腕をシャツからにょっきり生やしてみたい。
けれど、マッチョへの道は険しかった。肉の付きづらい体質の俺が「いやマッチョとか見掛け倒しっしょ」とヒョロヒョロの男がマッチョをパンチ一つで倒す厨二漫画にのめり込んでいったのは、仕方のないことだったと思いたい。
いや、そんな俺のつまらない自分語りはどうだっていい。今、俺の手のなかにはマッチョが居る。俺の、俺だけのマッチョだ。
俺が好きなように、好きにしていいマッチョだ。
固く握りしめているマッチョの手のひらをそっと解く(開いた手のバージョンもオプションでついていた)
長い指、大きな手、浮いた骨と、血管。マッチョは指先まで力強く、男らしい。そんなマッチョが今や俺の思うがままだ。
そっとマッチョの股間を見やる。もうマッチョの息子はとっくに臨戦態勢になっていた(これもオプションで着いてきた。ちなみに通常、半勃ち、臨戦と三段階ある)
俺はそんなマッチョを見下ろして笑ったんだと思う。マッチョと言えど、好きに体を触られればこんなもんか。どんなに筋肉という鎧で己を守っていたって、ちょっとすればこんなに浅ましい。
そんなになっても頑なに背筋を伸ばして立ち続けるマッチョに手を伸ばし、そっとその背を丸めさせる。力ない胸筋は柔らかく、そこを柔らかく揉むとマッチョは少し震えているように見えた。
膨らんだ下腹を抑える。ここも柔らかい。爪を立てたら傷つけてしまいそうだ。今度からはマッチョのために爪を整えなきゃな、と思いながら足へ手を伸ばす。
マッチョの表情は読めない(ヘッドはついてこない)もしかしたら俺に何か思うところがあるのかもしれないが、マッチョに主張する方法は一つもない(ヘッドはついてこないから)
固く閉じられていたマッチョの膝を割り開く。ほんの少し、他の関節よりも硬かったような気がしたけれど、マッチョの抵抗はそんなものだ。俺がほんのすこし力を籠めれば滑らかな手ごたえと共にマッチョは股を開いた。
今これを注文した
私はその原因をこう仮定している。
”心から嫌いだと感じる家族と暮らしているという環境が原因で、人生に肯定感を得られない”
家族関係は今までの人生の中で一番、ストレスのコーピングに大きなリソースを費やした。この家族はお互い仲が悪く、本当に居心地のいいものではない。小学校高学年の頃から夫婦間・そして兄弟間のトークは皆無。そんな状態がおよそ10年続いただろうか。しかし外部に対する体面だけはとても良くて、この10年間家族仲が悪いことは近所や学校関係の人々、また近しい親戚に対しても露呈することはなかった(ちなみにその親戚が後にそれを知ることになるが、それを知ったのは私が耐えきれずに相談を持ちかけたためである)。でも私の性格・気質上”そのような環境に耐えなくてはならない”という考えが、大学の2年次程度まで抜けなかった。
中学の頃は、バドミントン部に所属していたことと、好きな子を眺めていられたという環境があったので、家族関係の悪さというストレスを対処することができた。高校の頃は、周りに趣味の合う友人ができたこととTwitterで好きなことを呟きまくることによって、なんとかコーピングできた。受験シーズンになり私は、”材料工学に興味を持ったのでその研究をしたい”というでっち上げ的考えを持ち出すことで、その分野に強い地方の大学に一人暮らししながら通いたいという旨を両親に伝え、その受験資格を得た。実際のところ、”家族が嫌でそんな環境に身を置きたくないから一人暮らしをしたい”という気持ちが大きかった。
しかし、一浪して二度の受験を重ねたにもかかわらずそれはことごとく失敗してしまい、地元の大学に通うことになった。偏差値的には充分合格圏内にいたので、これはかなりショックであった。
そして大学でもやはり思うような生活はできなかった。心機一転変わったサークルに入ろう!とか思っていたものの時期外れなおたふく風邪に罹ってしまい、様々なサークルを見学する時期も過ぎ、最終的には高校の時の趣味の延長上にあったサークルを選んだ。まぁとりあえずどこかに入っとけばいっか。と言わぬばかりである。これはこれで楽しかったこともあったけれどやはり心の底から休めるかというとそうではなかった。
日々の生活に進歩もクソもない、むしろ停滞、むしろ衰退していくうちの家庭環境に嫌気が増すスピードは一向に上昇していく。ある日思い切って母親に切り出してみた。
「どうして親父と仲良くしないの?」
この人がどのような思考回路を持っているのか理解できなかった。赤の他人が意味のわからないことを言うのならそれはそれで心理学の調査対象みたいなものだと思えるが、身内でこうとなれば話は違う。また、親父も親父で汗水流しながらこんな家庭を支えようとする意味がわからない。もしも自分が親になったことを想像したら、もっと子供の幸せのことを考えてあげたいなと思った。
ところでこんな環境で真面目に大学卒業できるのだろうか。もし大学を卒業したとしてもそれで自分で納得のいく社会人になれるのか。満足ゆく大人になれるのだろうか。そして、大学を卒業する意味があるのだろうか?という疑問に当たった。現時点で大学を卒業するメリットは、
・親が子供自慢することができる
これくらいだろう。バイト先の先輩や近所の飲み屋、近しい親戚、親しい友人などなど相談可能な人には相談しまくったけれど、9割方は「大学は卒業した方がいい。」と言った。一部少数派でやりたいことをやるのがいいという意見だった。留年は甘えというが正直今の環境では卒業というプロジェクトを完遂することはかなり高いハードルのように感じていた。
そのような環境に心折れ、私は一時期学校を休んだ。優先順位が(大学で学ぶという行為)<<<<(家族からくるストレス対処)だったため、この環境をなんとかしたいと強く思っていた。そこで休学してIT系のアルバイトに明け暮れる生活をしていた。お金を稼いで一人暮らしすればいいかなと思っていた。この時点でもっと他にも方法はあったのかもしれないが視野が狭くてこうするしかないとしか思えなかった。案の定それは無理な話で惰性でお金を稼いでは一時的な快楽に溶かす、という日を繰り返していた。そんなこんなで復学がやってくるのだが、ここまで来てようやく確信を得たのであった。やはり自分自身が弱かったのだと。井の中の蛙であったのだと。正直これを認識せざるを得なくなった時は鬱であった。
それでもやはり「生活環境が人間に及ぼす影響は大きい」という命題を私は強く信じたいし、どうすれば安らかな生活を送ることができるのか今後も模索し続けるのだろう。本当にこれでいいのかな。
もしもし。
電話口の向こうから聞こえる声には、少し不安とためらいを感じた。時計はもうすぐ23時を指そうとしている。こんな時間になんだろう。今日何かあったっけ。それとも–– 。というのも、僕には心当たりがなかった。確かにかわいい子ではあるし、好きな子ではあるんだけれど、どうして今日、今の時間に電話がかかってきたのか僕には全然見当がつかなかった。
彼女と出会ったのは、僕がバイトを初めてすぐの頃だった。青と白のボーダーの服をきて、唐揚げを揚げている最中に表れたのが彼女だった。なんでも、今日はシフトが「たまたま」一緒だった。(彼女曰く、「たまたま」なんてのがあるとすればだけらしいけど、それはまた別の話)。展開早いけど、僕は彼女のことがすぐに好きになった。それは彼女も同じだった。彼女も彼女のことがすぐに好きになった –– というふうにはもちろん解釈して欲しくない。彼女も僕のことが好きになったってことだ。それ以来、僕と彼女は良く出かけるようになった。デイリーポータルZでエスカレーターの話を読んだら、名古屋にいって実際に見てみたりといった、行動的だけどどこか籠もった感じの生活をしてた。バリアだって一緒につくった。
彼女と僕がいったい何歳かって…?それは僕にもわからない。16進数だったらまだ10代だよ、なんていったところで意味は無いか。僕にわからないなんてとぼけてるけど、本当はしってる。僕のことは、だけどね。彼女のことは相変わらずわからない。推測できるとすれば、それは、彼女は、「君の名は。」を3年前に見たって言ってた。さぁ何歳だと思う?答えは、何歳でもない。彼女はどうせ何も答えない。そして、彼女を前にしては生物学的な肉体の年齢など意味のない数字の組み合わせにしかすぎない。
なら教えてくれよ、と僕は彼女に一度だけ言ったことがある。彼女はこう言った。「かき氷って高くない?」はぐらかされた。
校舎の裏にいると、時間の感覚が狂ったように思える。それは実感であったり、ときには、願いであったりもする。9月ごろ。夏が去ろうとして、秋がやってこようとする、ちょうど間の時期。長袖を着ていけばいいか、半袖を着ていけばいいかなんて、気温より周りの目の温度感が気になる年頃にとっては、とくに。僕と彼女がであったのもそういう季節だった。バイト帰りはいつも一緒で、僕は彼女と途中でわかれる。彼女の家と僕の家、どっちがバイト先に近い方が嬉しい?彼女の家の方が遠くて、僕はいつも彼女と家の前で別れて、そのまま彼女がその後何をしているかはさっぱりわからない、なんて展開だったら物語的には何か起こる気配がするけど(だってその後彼女に何かあったら不安じゃん)、ここでは事実を述べようと思う。彼女の家のほうが僕の家よりバイト先からは遠い。結局そうなんだけど、ただ、僕は遠回りして彼女を彼女の家まで送ってから帰ってたから、不安な物語は生まれなかった。
僕は彼女のことが好きだった。それは今でも変わらない。なぜ僕が過去形をつかったのか考えてみると、それはもう、もう片思いになったからだと思う。彼女は僕の前から消えてしまった。
※被害妄想とかがもう色々と酷いです。長いです。大昔のことを引きずりすぎてます。途中で嫌気が刺したら即ブラウザバックで!
私は女子として生まれてきて、女子の恩恵を全くと言っていいほど受けてきてない気がするし、受ける努力もしてこなかったなあと思う。
私は幼い頃から容姿はお世辞でも可愛くないし、昔は背が高かった(今は女子の平均身長)ためその分体重もあった。でもよくテレビのおデブ特集で出てくるようなデブではなかった。昔の写真とか見てても体格の良い小学生みたいな感じ。でも決して細くはない。そんな体型をしていた。
でも細くてガリッガリの子に比べたらそりゃ太っているわけで、小学校低学年の頃は男子に「デブ」「豚」っていじめのように言われ続けた。小3の時が1番酷かった。私がいるという理由で係りの仕事を他の男子から押し付けられたり、終いには席替えで隣になった男子が、隣が好きな女の子じゃない上に男子からデブと言われている私になってしまった事が嫌という理由で泣かれたことがあった。何が辛いって向こうはこの事絶対覚えてないし、どのような形であれ異性に拒絶されたことがある事実が出来てしまったことだった。
でも小学校高学年や中学校の間はそのような罵倒は減ってきた。この頃は普通に男子と喋ったり、休み時間は一緒にドッチボールやケイドロとかしてた。まあ放課後遊ぶとかはなかったけどね。
小学校高学年の頃は普通に好きな人もいたけど、私は友達に恋話とか出来なかった。細くない可愛くない自分の恋心がバレて、相手に伝わったら迷惑をかけてしまうしこんなやつに好かれてる…と相手が嫌な思いをしてしまうのではないかと思ったからだ。だから必死に隠した。もしばれそうになっても全力で否定した。嫌だ、間違っても相手にばれたくない、どうせ振られるのだから、そんな恥ずかしいことにはなりたくない、と思った。
そして昔から決まって自分が好きな人達は他に好きな子がいて、しかもその人達は軒並み可愛い人ばかりだった。
デブと罵倒されおまけにお世辞でも可愛くない私は「世の中の男子は可愛い女の子が好きなんだ、私は男子と喋ることは出来ても、男子と付き合う資格なんてないんだ」と思ってしまった。そして、ここで私は「いいや、自分は可愛くなくても人よりは勉強出来るし、特技だってあるし、女友達がいればそれで充分」と幼心ながらに開き直ってしまったのだ。
でもそれが通じるのは中学の間までだった。高校は市内で1番頭が良い学校に入った。察しの良い人はもう先の展開は読めているだろう。高校に入ると自分より可愛くて頭の良い人なんて山ほどいた。一応成績は中〜上位はキープしてたと思うけど中学の時みたいに学年で上から10番以内に入るなんてのはもう無理だった。
自分の持ち駒が減ったからこのままじゃダメだと思ってコンタクトにしたり、髪の毛のアレンジとか勉強したりした。同じ部活の友達に教えてもらったりもした。
部活の友達が前髪を上げて可愛くアレンジしていた。私もそれを真似してやってみたけど、後から同じクラスの男子に「落武者みたい」と言われているのを人づてに聞いて、私の中の何かがプツンと切れた。
その時のクラスの男子は、あるあるだと思うけど、クラス替え直後にクラスの女子をコッソリ格付けしてたりとかしてた。クラスで目立つ可愛い女の子とそうじゃない人達とで、あからさまに違う態度を取る同じ高校の男子達に苦手意識を抱いたし、喋る気にもならなかった。部活同じ同級生の男子や男の先輩後輩は普通に喋ってたけど。
今思えば、中学の頃普通に男子と喋ることが出来てたのは小学校一緒の人が多くて自分のこと知ってた人が多かったから、向こうも話しかけやすいし普通に喋れただけなんだって思った。
そして今思えばなんで落武者て言われた時に見返してやろう精神で可愛くなって痩せようとしなかったのかなあ………あまりのことにショック受けすぎてたからだと思うんだけども。あとは部活と勉強のことで精一杯だったからかな…?まあ1番は諦めてしまったからかな。この高校で恋愛なんてもう無理だと自分で限界を決めちゃったからだと思う。
大学は、小中高同じ人が一切いない大学を選んだ。昔の自分を知っている人はいないはずなのに、男子とどのように喋ったらいいのか、どう仲良くしたらいいのか全然分からなかった。
結論を言えば大学の4年間は、男子と普通に会話できるレベルにリハビリするので精一杯だった。所属したサークルの男子はいい人ばかりで良かったな〜〜で終わった。喪女万歳!(笑えない)
でもここで気づいたのは、男子と接する事を避けてた時期があったり自分の感情を抑えたりしてきたことで、異性への恋心が何処かへ行ってしまったことだった。ほんと、彼氏欲しいじゃなくて好きな人欲しいってところから始まらないといけなくなった。誰かと接していても恋愛感情を抱く事もなかった。異性と仲良くするの怖い。気持ち悪いとか思われてそう。相手も他の女子と喋った方が楽しいに決まってるという思いが邪魔をした。
先日所属していたサークルの合宿に行ってきた。順調に付き合いを続けている人達、付き合っていた先輩に一方的に別れを告げられた同期、いつの間にか後輩といい感じになっていた同期、合コンに行くけど、「学生時代に片思いをしていた人と一緒にいる時じゃないとときめきを感じない」と言った先輩……皆は人生に一度しかない学生時代に、かけがえのない思い出を作ってる。デートしたり、それ以上のことをしたり。恋愛によって生まれる繋がりもある。確かに異性と付き合って辛い思いをしたりもあるけど、そういうのを何も出来なかった私にとっては羨ましいと思ってしまう。
私も異性にときめきを感じたいよ〜〜!!「好きな人にときめく」とかいうワードを言ってみたいわ!!でもな、自分はデブスだし面白くないし、友達も少ないという劣等感とか、自分ごときが恋愛だなんて、という気持ちが根強く残ってることとか、自分の感情が漏れることによる影響を考えると、なかなか一歩を踏み出せないんだ。
でもやっぱり恋愛感情を持てない大きな理由は「自分に自信がないから」だった。
ブスを少しでも抑えるつもりで化粧してきたし、成人式後の中学の同窓会では生徒会長してた男子に変わったねって社交辞令でも褒めてもらえたけど、まだまだ美への努力が足りなかった。(気づくの遅すぎ)あと、理系の学部に入ったおかげで課題に追われてダイエットどころじゃなかった。でもこれ、全部忙しさにかまけて自分に言い訳してただけだなって思った。現在は就職活動が落ち着いたので、ジムに通っている。痩せてやる。化粧だって服だっていいの買ってやる。
スペック:大学時代月1で登山する(登山系の中では)ゆるめのサークルに所属。
富士山登ったことない。テン泊で65リットルくらい?のザック背負って北アルプス登ったくらいの山にわか。高校の体力テストDだったのでそれでもきつかった。
ぱっと見思ったのは「健常者の大人ですら登山はしんどいのに、それを1合目から、大雨の中子供に歩かせるのはどうなの」ということだ。
「天候」
まず気になったのは天候である。大雨で登山はまず足元が滑りやすくなるため危ない。プラスして長時間は低体温症で動けなくなる…なんてこともあるだろうし危険である。
そして何より楽しくない。ウチなんかは緩いサークルだったので登山で綺麗な景色が見たいーって思う人が殆どで、雨が降って景色が見れないと「最早修行だなwww」と笑っていた。自分もそう思う。そんな修行を子供に体験させるというのはあんまりにもな所業である。
また、自分たちのサークルでは夏登山は8月前半、遅くても中盤までに終わらせるようにしていた。理由は後半になると台風先生にやられる確率が上がるからである。まあ早くても運が悪いとやられてたんだけど。ひどい大雨なら中止…なんてことも良くあったが、テレビが関わっている企画で果たして中止が易々と出来たのだろうか
「難易度」
あと気になったのは難易度の高さである。富士山はサークルの女性の先輩曰く「酸素ボンベがなければやられていたぜ…!」だったという。酸素が他の山よりも薄いことがダイレクトに体力を奪ったらしい。「ヤマノススメ」という登山漫画でも女の子が富士登山中に高山病に罹患し泣く泣く富士登山を諦めるというエピソードがあった。(まあ漫画だからって言われたらそれまでだけど)そんな大人、十代の少女でも苦労する山を恐らくそんなに体力のない子供に登らせて大丈夫だったのだろうか。
下山の問題もある。登山は山頂登って終わりではない。下山も結構な体力を使うのでけして楽ではない。体力ない奴だと足がガクガクになる。また下山は登りの方がやって来たら端に避けて、登山者が通過するまで待たないといけないのだがこれも何回もやられると足がやられるし、下るのに時間がかかってしまう。自分が北アルプスを1日で一気に下った時に最後の方で尻餅をついてしまったのだが、足に力が入らずしばらく立ち上がれなくなってしまったという感じだ。足が弱くて座ったら立ち上がれなくなってしまった祖母を介護したことがあるが、その時の祖母の気持ちが分かったような気分になった。本当に力が入らなかった。
「安全」
さらに山には「救急車」を気軽に迅速に呼べない。例えばしんどくなったとしても、サークルの登山とかで尚且つまだ歩けそうなら車道がある道までとか歩かないといけない。最悪ヘリコプターのお世話になる。24時間マラソンは辛くなったら即辞めれるし救急車も呼べるからあまり死の危険はないが、山だとそういう救援がすぐにやってこられないので死の危険度は上がっている。子供なんて大人より体力なくて体調崩しやすいのに救急車呼べない状況に落とすのはヤバイ気がする。
因みに体力テストDだった自分は下山してからだが、疲労で38度の熱を出したことがある。
24時間の子供が心の底から富士山大好き!制覇したい!という子供だったら救いはあったのかもしれないが…ていうか思ってもそんなん安全面考慮して止めろよとも思う。
そもそも24時間で子供にハードなことさせる企画自体やるのに良い気分はしない。もしそれでも24時間で登山を子供にやらせたいなら、「登山が好きな子供に、もっと低い山で、天候の良い日に(台風の来ない時期に)登らせる。そしてその録画を本放送で流すべき」だろう。天気の良い日に登らせた方が登山好きな子供だったら景色見れて喜ぶかもしれないし、大雨真っ白な画面よりはテレビ映えもするだろう。
…しかし大菩薩の下山ですら大学時代足がガックガックになった身としては、やっぱテレビの企画という失敗があまり許されない奴で子供に登山させるのなんてやめた方がいいと思わざるをえない。まあ何言ってもやめなさそうだけど。
余談だが北アルプスとかでも親子でイキイキと歩いてる登山者とかいて、後ろで死にかけてた自分はいやあ子供って体力ある子はほんとすげーなと尊敬しました。
自分は中学卒業して自分はテニスしかないと思ったので推薦もある工業高校へ推薦をもらい高校へ通った。
高校ではほぼ男子校だし、学科があるので3年間同じクラスメート。
気の合う友達は部活で2人いて、それ以外は今はもうあまり連絡をとっていない。
辛かったことは、
女子がいないこと。
自分はパソコン系の科で同じ学科の子とはそれほど仲良くなれなかったこと。
けれど唯一テニスでは地区大会の高体連では優勝することができすごく嬉しかった。
けれど下手な顧問と3年間は辛かった。
教育が始まって10人部屋に押し入れられ、ホームシックで辛い日々を味わいながらも必死でこらえ現在に至る。
久しぶりにラインで中学の同窓会ラインのプロフィールを見てみるとみんな楽しそうだしすごく輝いてる!
なんかそれを見て普通科の高校に通い普通に大学生になりたかったと思う。
サークルとか入ってみんなと楽しくやりたいなと思った。
働いているからお金も少しはあるし、休みもあるけど21歳として何か足りない気がする。
俺は高校を間違ったのか?
大学生でただ遊びたいだけなのか?
彼女が欲しいだけなのか?
辛い思いから逃げ出したいのか?
我慢が足りないのか?
贅沢してるのか?