2016-09-17

遠い日の物語

もしもし

 電話口の向こうから聞こえる声には、少し不安とためらいを感じた。時計はもうすぐ23時を指そうとしている。こんな時間になんだろう。今日何かあったっけ。それとも–– 。というのも、僕には心当たりがなかった。確かにかわいい子ではあるし、好きな子ではあるんだけれど、どうして今日、今の時間電話がかかってきたのか僕には全然見当がつかなかった。

 彼女出会ったのは、僕がバイトを初めてすぐの頃だった。青と白のボーダーの服をきて、唐揚げを揚げている最中に表れたのが彼女だった。なんでも、今日シフトが「たまたま」一緒だった。(彼女曰く、「たまたま」なんてのがあるとすればだけらしいけど、それはまた別の話)。展開早いけど、僕は彼女のことがすぐに好きになった。それは彼女も同じだった。彼女彼女のことがすぐに好きになった –– というふうにはもちろん解釈して欲しくない。彼女も僕のことが好きになったってことだ。それ以来、僕と彼女は良く出かけるようになった。デイリーポータルZエスカレーターの話を読んだら、名古屋にいって実際に見てみたりといった、行動的だけどどこか籠もった感じの生活をしてた。バリアだって一緒につくった。

 彼女と僕がいったい何歳かって…?それは僕にもわからない。16進数だったらまだ10代だよ、なんていったところで意味は無いか。僕にわからないなんてとぼけてるけど、本当はしってる。僕のことは、だけどね。彼女のことは相変わらずわからない。推測できるとすれば、それは、彼女は、「君の名は。」を3年前に見たって言ってた。さぁ何歳だと思う?答えは、何歳でもない。彼女はどうせ何も答えない。そして、彼女を前にしては生物学的な肉体の年齢など意味のない数字の組み合わせにしかすぎない。

 なら教えてくれよ、と僕は彼女に一度だけ言ったことがある。彼女はこう言った。「かき氷って高くない?」はぐらかされた。

 校舎の裏にいると、時間感覚が狂ったように思える。それは実感であったり、ときには、願いであったりもする。9月ごろ。夏が去ろうとして、秋がやってこようとする、ちょうど間の時期。長袖を着ていけばいいか、半袖を着ていけばいいかなんて、気温より周りの目の温度感が気になる年頃にとっては、とくに。僕と彼女がであったのもそういう季節だった。バイト帰りはいつも一緒で、僕は彼女と途中でわかれる。彼女の家と僕の家、どっちがバイト先に近い方が嬉しい?彼女の家の方が遠くて、僕はいつも彼女と家の前で別れて、そのまま彼女がその後何をしているかはさっぱりわからない、なんて展開だったら物語的には何か起こる気配がするけど(だってその後彼女に何かあったら不安じゃん)、ここでは事実を述べようと思う。彼女の家のほうが僕の家よりバイトからは遠い。結局そうなんだけど、ただ、僕は遠回りして彼女彼女の家まで送ってから帰ってたから、不安物語は生まれなかった。

 僕は彼女のことが好きだった。それは今でも変わらない。なぜ僕が過去形をつかったのか考えてみると、それはもう、もう片思いになったからだと思う。彼女は僕の前から消えてしまった。

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