はてなキーワード: あやふやとは
村田パンマンについてはずっと前から気に食わなかったけど、今回最新話でのタツマキとブラストの邂逅のシーンで完全にキレたわ
まずこのブラストの登場シーンが背景ホワイトになってるのが気に食わねえ。ここは、村田が意図的に原作との方向性を変えた部分だと思う。
原作においてブラストは趣味でヒーローとしての役割を貫徹する一種の異常者として描かれており、一種のダークヒーローとしての役割を持っている。一方で村田パンマンにおいて、ブラストはヒーローの化身として全てを救済する完全な理想図、言わばヒーローの青写真として描かれているのだけれど、はっきり言えばこれは村田の解釈の逸脱である上に、「とりあえず原作とは方針逆にして攻めてみました」くらいの浅い作品理解が見え見えになってて辛い
まず原作ワンパンマン106話におけるブラストのセリフ「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはならない」を、村田は、「強者の心得として」という(余計な)一言を付けてダウングレードした解釈を行っている。
ちがう。全然違う。
第一に、原作ワンパンマンにおいてブラストは純粋に異常者なのである。主人公サイタマがそうであるように、ブラストは一介の人間が趣味でヒーロー活動をしているに過ぎず、その精神の根本には「趣味で楽しいからやってる」という以上の信念が存在していないことは、原作最新話に至るまでのサイタマの発言を見れば一目瞭然である。そして、ポイントはサイタマにせよブラストにせよ、自身が一種の異常者であることを自覚しているところだ。そう、普通の人間はヒーローに憧れて自分を血反吐ぶちまけるまでに鍛え上げて怪人とタイマンで戦ったりしないのである。誰かを助けるためにスタコラ駆けつけたりしないのである。じゃあ何でそんなことをするのか、ヒーローとしての義務感があるのか? 誰かを助けなければならないという強迫的な使命感に促されているのか? 違う。「趣味」なのである。
そんなあやふやな精神条件において何年もの間ヒーロー活動を行い続けることができているブラストとサイタマは根本的に異常者なのであり、また、サイタマ自身が述べているように、そのような常軌を逸した行動の反動として、そもそもサイタマは自分自身の空虚さを日々感じているのだ。強くなりすぎてしまった、と。
その辺の解釈が全く村田パンマンに通っていないことに俺は以前からかなりの怒りを抱いていた。勿論、村田のイラストレーターとしての技術や画力が業界随一のものであることは確かなのだけれど、彼はそもそもジャンプ編集部から何故自身が原作と作画双方を担当する漫画を任せてもらえなかったのかを根本的に理解していない気がする。そう、作品理解や構成が根本的に浅いのだ!
多分村田雄介という漫画家は努力と才能の二本の柱によって自己をブラッシュアップしてきた人間だから、ある種の才能の無い人間の葛藤とかそういうものに無理解なんだろうなと思う。ある種の人間の心の動きとか細かい心の機微といったものに無知なんだろうなと思わざるを得ない。才能がある人間に特有の浅薄さが彼のアイディアからは漂ってしまう。彼にはそういう意味で編集から仕事を受け渡しづらかったんではないかと思う。ハァーーーーーーーーーー。
とりあえず一番最初に違和感を抱いたのは「海人族編」である。同編のクライマックス、自分の腕の中に倒れ込んだ無免ライダーに対して、サイタマがポツリと言うシーン。
村田版と原作ONE版においてそのシーンの描き方の差は顕著である。
村田版:サイタマは笑顔で無免ライダーを受け止める。まるで部活のコーチが選手を褒めるかのように。
ONE版:サイタマは無表情に無免ライダーを受け止める。感情の動きは伺えない。
この時点で二人の作品の理解の深度が全く異なっていることは明らかである(ONEは原作者なのだから当然なんだけど)、そう、先に述べた通りサイタマは日常に空虚を抱えているのでそもそも根本的には無免ライダーの奮闘に感動していないのである。それは、同編ラストシーンにおける「つまんねえな、今回は期待したんだけど」というセリフからも明らかである。
村田に対して言いたいのは、何でそんな感情豊かやねん、という話である。勿論、これと同趣旨のツッコミは散々浴びせられてるだろうから村田にとってはこういう意見は今更なんだろうけれど。でも、それにしても作品の解釈が雑すぎんかね? という話なんです。
他にも、同場面において、背後から一撃を加えたにも関わらず何らダメージを受けたようには見えないサイタマに対して、海人王が沈黙の後に名乗りを上げるシーン。ここも明らかに原作の意図を掴み切れていない浅薄な描写となっている。本編において海人王はサイタマの生物としてのポテンシャルの高さを如実に感じ取っており、やや苦戦したジェノスと比較してさえなお「今までのゴミとは明らかに違う」と述べている。このことからして、海人王はこの時点で自身の敗北を些か覚悟していた可能性が高い。その上で、これまでどのヒーローと相対した時にも発さなかった「名乗り」を上げるのである。
つまりこの名乗りは、自身の敗北の予感を覚えつつも、目の前の強者(推定)に対して敬意を表した「名乗り」だと言えるのだ。自分と同等かそれ以上の生命体を目の前にして、戦闘を開始する前に礼儀を尽くそうとしたのである。敵役ながら天晴な心理描写に俺は感動してしまっていた。でも、当然ながら村田パンマンにおいてはそのような感情の機微が捉えられている様子はない。ガッカリ。
そういった村田パンマンと原作との齟齬は全体的にはそれほど多くないものの、時折というペースで伺えてしまうのである。
例えば地獄のフブキとサイタマが最初に邂逅するシーン。フブキは戦闘においてナイフを取り出しサイタマに切り掛かる。その目尻には涙が浮かんでいる。
この涙は、フブキのナイーヴさの表現であることは明らかなのだけれど、その解釈がONEと村田では幾分異なっているように見える。
村田版:子供が自分の願いを聞き届けられなかったかのような悔しさを滲ませた涙
ONE版:目の前の相手に対する恐怖、そしてナイフという直接相手を傷つける武器によって相手を殺傷することへのストレスを含んだ涙
やはりこの描写からも二人の作品に対する深度の違いが現れているようでならない。村田は普段の仕事はきちんとしてるんだけれど、こういう見せ場みたいなシーンでしょうもない解釈をドヤ顔でブツけてくるからホント辛い。上記の通り、フブキはナイーヴであるため根本的に他者を傷つけることにストレスを感じていることが前後の流れから読み取れる。更には、相手を武器で傷つけてまで自分の地位を守ろうとすることへの葛藤さえもその表情から伺える。一方で村田……ヘイ村田
上記の通りフブキの涙についての解釈が、その表情に関する解釈が、村田パンマンには希薄であるように思われるのだ。
というわけで作品の解釈がところどころ浅いっつーか、キャラクターの人格の根本の部分について村田は読み違えているように思えてならないのだ。いやまあ大体は大丈夫なんだけど、原作ファンとしては「ここが見せ場!」ってなってる場面でやらかすのが村田って感じなんだよな。例えば無免ライダーをナイーヴなファンボーイ的なキャラクターとして描写してるきらいが村田にはあるけれど、無免ライダーはヒーローに対して明るい観念ばかりを持ってるファンボーイじゃなくて、ヒーローとしての自分への失望とか周囲の人間が自分に向ける視線への恐怖(タンクトップタイガーの発言「C級1位の座寄越せ!」などに代表される)と日頃戦っているキャラクターの筈なのだ。つまり、根本的に暗くて弱い人間の筈なのだ。それでも、信念に従って倒されても立ち上がって戦い続けているから彼は魅力的なのだ。
なのに村田ときたら無免ライダーのことを「スパイダーマンに憧れたのでとりあえずスパイダーマンのコスプレしてみた」的なファンボーイとして描いている。ハァー、バカチンが。
まあ勿論繰り返すように全体は丁寧で、仮に褒めるとすればボロス編とかは全面的に良かったと思うんだけど。でもところどころやらかしてんだよなあ村田は。
長くなったけど今回の最新話での蛇足描写もそうで、「強者の心得として」っていうセリフはいらなかったの。
これは俺の作品解釈なのでONEの想像と合ってるかどうか分からないけれど……、恐らく「いざという時に誰かが助けてくれると思ってはならない」というセリフは、根本的にブラストの優しさと厳しさの混じったセリフっていうところは当然村田が解釈しているのと同じなんだけど、根本的にそこには齟齬があるようでならない。
つまりあのセリフは「人を助けるってことは普通の人間にはできない」という意味が籠もってると思うんだよな。
だから、普通の人間にはできないことを期待しちゃいけない、って意味なんだと思う。そしてここで述べた解釈もまた表面的な解釈に過ぎず、裏を返してみればブラストが言いたかったのは次のことだろう。
「人を助ける人間は異常者だ」
ってこと。
繰り返すように、ブラストは趣味でヒーロー活動をしている自分の異常性について幾分自覚的である。「普段は働いていて、これは趣味なんだけどね」と原作において付け足している部分からも明らかであるように、「自分はこんな異常者じみた活動をしてるけど、普段は普通の社会人なんだ」という、既に解消され消化されたであろう葛藤の、単なる痕跡としての「後ろめたさ」を匂わせているのである。そう、ヒーロー活動なんて本来は異常者の行うことなのである。サイタマしかりガロウしかり、本当にヒーロー活動に真面目に取り組んでいる連中なんて皆まとめて異常者なのだ。
そしてブラストは自己意識においてもソフィスティケートされているので自身の異常性を認識している。彼はこう言う。「(自分はちょっとおかしいから趣味の一環で君を助けたりはするけれど、そうじゃない普通の人が君を助けることなんてまずないのだから、)いざという時に誰かが助けてくれると思ってはいけない」と。そしてここには更に裏の意図が込められていて、つまり「誰かを助けるなんてことを考えるのは、誰かに助けてもらいたいという弱者の望みを叶えようとするのは、根本的には異常者の仕事だ。君が、そういう弱者の望みを叶えたり、あるいは、『誰も助けになんて来てくれないのが普通の世の中』に対して忸怩たる感情を抱いているなら、君自身が異常者になって、つまりはただ助けを待ち望むだけで誰かを助けることのない普通の人間から抜け出して、誰かを助ける側に回るしかないんだよ」と。
ブラストはそういうヒーローなのだ。異常者としての、しかしサイタマやガロウと同じく善なる傾向を持つと同時に、冷徹な感情をも持ち合わせるダークヒーローであるのだ。その辺のしっかりとした解釈を、村田は自分の仕事に持ち込んでもらいたい。以上一読者からの意見でした。
少し前に話題になった性的同意年齢の事、暫く考えてた、じゃあ何歳にすべきなのだろうか、と
13歳は確かに低過ぎる気がする、じゃあ、18歳とか?20歳まで行っちゃう?とか考えていたんだけど
20歳以上は無いな、って思った後に、本当にそうか?って思ったんだよね
俺は性的同意年齢が20歳より上とか30歳とかに成る事を最初から想定から外していたけど、本当にそうか?
今俺は30代だが、俺は性的同意が出来るだろうか?どうやって?何を根拠に?
そう思った時にこのブクマが目に入った
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20201220/k10012773871000.html
読んでいてふと思ったんだが、そもそも、俺達大人は本当に性的同意出来ていたのか?
現状、人類の大半は性交の前に性交同意書にサインする等の習慣は無い
非常にあやふやな同意形成を良しとし、その結果様々なトラブルが起きており、それを止める事も出来ていない
俺だけが馬鹿?でも、だとしたら年齢で区切る事がおかしい、俺は30代だ、こんな馬鹿を「セーフ」にしちゃう性的同意年齢という基準はどうなんだ?
13歳以下に性的同意が適切にできない馬鹿が一杯居る事は想像に難くない
しかし俺という実例がある限り、30代にも馬鹿は居る、俺が40代50代になっても馬鹿は治らないだろう
つまり少なくとも俺が死ぬ年齢までは性的同意年齢は引き上げなくてはならない
俺は100歳まで生きるつもりだ
芸も見た目も中身もドンピシャな人と30年ちょっと出会わず、しかもここ数年は家にテレビもない状態で平気で生きてきた
でも初めて、ついに、心から「好きだ……」と思える芸能人の手がける音楽と出合ったのは1年前のこと
日常でずっと音楽を聴いていたところ、アルバム発売をきっかけにSNSを追いかけ始めたらまんまとベタ惚れするに至る
今日はついにライブに行ってきて、終了直後に鼻息荒く(萌え語りを聞くのを趣味とする、稀少な)友人に語りまくって帰ってきた
ライブは長い長いMCから始まった アー写のポーズをとっておどけるKanさんからは高揚感が伝わってきた
Kanさんは前衛的な作曲スタイルやクールな外見、何かが乗り移ったかのようなパワフルな演奏から考えつかないくらい中身が「普通の37歳男子」(あえて「男子」と呼びたい)なところが人の心を掴むんだと思う
直前までの不安、ライブができる喜び、オーディエンスの表情が見える喜び、インスタでファンと交流した時の笑い話を「早く直接伝えたかったんだよ」という気持ちとともに話してくれた
そしてflavorから始まる本編 弾けるようにキーボードを叩く姿にただただ体を揺らすしかできなかった
Ash Blownのアレンジはかっこ良すぎたし、On My Way Homeは黄昏時の街並みが強く頭に浮かぶピアノで渋谷から幽体離脱した気持ちになった
私がKanさんを好きになるきっかけになったSit At The Pianoは私の居るエリア前に置かれたキーボードでとても楽しそうに演奏してた 人間が極限まで楽しんでいる姿はハッとするほど美しいということを知った そしてミキシングやサンプリングを一切行わない素の旋律の美しさは心に強く響いて息を呑んだし、感動で涙が滲んだ
そして、アルバムで一番好きなShe's Goneは独唱から始まった
フィジカルのものを手にしていないので歌詞の記憶にあやふやなところがあるわけだけど、今日は歌にあまりエフェクトがかかってなかったから歌詞がとてもはっきり聞こえて、泣いてしまった 私が思っていた以上に切ない歌詞だったのだ
こんなに軽やかなアップチューンに山崎まさよしばりの未練がましい歌詞を乗せちゃうKanさんの感性には敬服してしまう
どんなに辛くても、体を揺らして音楽に身を任せればいつのまに気持ちは上がってる……のかもしれない
そんなポジティブな気持ちを勝手に受け取って、そして楽しそうに演奏するKanさんを見て、また少し泣いてしまった
ときに森川さんと担当楽器を交換し、ときに颯さんのドラムに乱入し、かと思えば真っ赤なトランペットを吹いて、いい感じに好き勝手やってるKanさんは無邪気で尊い
無邪気に超絶技巧を披露するってそうそうできることではないと思うんだけど、やってのけるのがKanさんのすごいところなんだと思う
努力の結晶、無邪気さ、クールさ、荒々しさ、全部が同居していて、それを惜しげもなく表現できる人はとっても稀有だ
内面にどんなにすごいものを持ち合わせていても、ある程度表に出さないと人には判別できないことがほとんどだ
世の中のディスコミュニケーションは「情報量不足」がほとんどの原因だと思うんだけど、Kanさんはライブという限られた場所で全部出し切ってしまう 自分の内面と常日頃向き合い、丁寧にアウトプットしているからできることなんだろう
表現に向き合うことはイコール自分と向き合うことであって、常に向き合い、問いを重ねる心の強さがある人がすごいパフォーマンスに到達できる
あの無邪気なステージにKanさんのすごいところをたくさん見た気がする
どこのメディアもつーか国からも同じようにbotなの?ってレベルで勝負の3週間勝負の3週間
うぜえええええええええ!!
にも関わらずこれが終わればコロナがまるで無くなりますかのようになんの意味もない勝負の3週間という言葉
キャッチーな言葉使って人集めたいのは分かるよでも今そんな場合じゃないよね
もうずぅぅぅぅぅっと勝負なんだわ
それこそコロナがこの国に入ってきたときから今までそんでこれからも
お前らがまたそんなあやふやな言葉作ったらあ、この3週間終わったら出かけてもいいんだ
ってなってまた感染者増えるぞ
コロナの新しい感染者が完全にいなくなって数週間様子見ましょうねってときに勝負の○週間なら分かるんだわ
もう国の舵取りが全て最悪の方向に進んでるの笑うしかないわ
元々働くつもりもなかったから、遊びの予定を入れた
つうか、当選するとも思ってなかったリアルイベントに当選した。
見切れ席。どうせコロナでキャンセルになるに決まってる。それに行かなければ、週5残業ありの仕事が待ってるだけ。交通費が出るのが救いだけど、そんなの正直当たり前だ。
離婚も予定してるから携帯電話会社を変えたいけど反対の声もあり、プランを変更したらまた馬鹿高い金請求されるに決まってる。
何から離れて、何を捨てりゃ良いんだよ。何を行動したら損しなくなるんだよ。
動いたら動いただけ苦しくなって、どうせまた手放す事になるのに。
(https://anond.hatelabo.jp/20201206212309 の続き)
父さんもいつも苦言を呈している件ですね。
そこは私も共感できる点があります。私も外で人との距離が2m以上とれるような状況ではマスクは外してます。かなりの人が、外の開かれた空間でもマスクをして歩いているのを見ると「なんでこれが常識になっちゃったんだろう…」とげんなりします。意味のない対策なら油断につながるぶん、やらないほうがマシだと思います。
そういうときにマスコミには「何が効果があって、何が意味がないのか」をちゃんと発信してくれる役割が求められるのに、テレビ見ててもフェイスシールドや次亜塩素酸水噴霧のような効果の薄い対策で予防してる感を出してるのが目に入ることがあり、嫌な気分になります。
過激化して、実効性を考えずに自粛を押しつけてくるような自粛警察は嫌ですね。もし店の営業を自粛してて資金が底をついたら、100%首が回らなくて死ぬよりは、クラスターにならない可能性も高い営業のほうを選ぶのは当然です。そこで責めるべきは店ではなくて、7兆円の予備費があるのに補償しようとしないし財政出動もしようとしない政府です。
感染発生を責めるような輩も百害あって一利なしだと思います。経路の隠蔽に繋がるのでコロナの解決を遠ざけるだけです。
ただ、そういう自粛警察のような過激な輩に取り合っててもあまり実のある話はできないと思います。
コロナに対して慎重/大胆の派閥グラデーションがあったとして、ざっくりとわけて私は慎重派、父さんは大胆派にいると思います。慎重側の過激派に自粛警察がいるのと同じように、大胆派の過激派にはコロナパーティーをやるような連中がいますが、そういう人のことを話題にしたり怒ったりしたところでなんにもならないですよね。それと同じです。
極端な人たちのことは無視して、もうちょっと実のあるところで意見を交わしたいです。
父さんは、「自粛警察が目に余る」から「コロナは煽りすぎだ」という立場を取っているんでしょうか? もしそういう心の動きがあるとしたら、それは逆張りに足を踏み入れてしまっていると思います。
恐怖を煽って注目を集める偽予言者がいる一方、逆張りも注目を集める手法のひとつです。先日のメールで貼ってくれた小浜逸郎はまさに逆張り論客の典型でした。もしあのようなデマまみれの意見にうっかり共感してしまったとしたら、それは「逆張りに心を引っ張られてしまっている」というサインだと思います。だから私は先日のメールで、「自分の歓迎したい情報かという観点で受け入れるか決めているのではないかと心配しています」と書きました。
受け入れにくい意見だとは思うけど、本当に、これは真剣に考えてほしいです。
新型コロナは未曾有のパンデミックだから、今までの人生の知識の延長や直感では見誤ることもたくさんあります。情報から耳を塞いで自分の知ってることだけで判断してたら、鰯の頭を掴んでしまいます。かといって、慎重派も大胆派も怪しい情報をもっともらしく叫んでいて、油断するとそういう情報で間違った判断をしてしまう。身を守るには、信頼できる情報源を選り分けて、検証できないような流言飛語や思い込みを排除して、慎重に自分自身の知見をアップデートしていくしかないと思います。そういうプロセスが、科学と呼ばれています。今のコロナ禍というのは、我々ひとりひとりの科学的な態度を試されている状況ではないでしょうか。
もちろん、私も自分が物事を正しく見れるとは限らないし、うっかりあやふやな知識で間違ったことを言っちゃうこともあるとは思います。でも、その不安を持っているから尚更、今述べたような「思い込みを排して、信頼できる情報源で知識をアップデートする」科学的な態度を意識しようと思ってます。
たとえばなにか知らない情報があったら、厚労省の公式情報や、出自のはっきりした感染症の専門家の言及を確かめています。西浦先生・忽那先生あたりは経歴・実績が確認できているので、彼らが言っていることならそうそう間違いはないはず。あるいはよく知らない人だとしたら、科学者として弁えた伝え方をしている人か? Twitterで他の専門家も受け入れられる反応をしているか? といったことを見ています。今回たくさん紹介したリンクも、なるべく「これなら信じてもいいだろう」と考えられるものを慎重に選びました。
父さんにも、是非そういう注意深い検証をしてほしいと思います。
もしそういう検証作業の気力が起きなかったら、言ってください。「こうなんじゃないか」と聞いてくれたら、判断に足る材料探しを手伝います。
わからないことが多い現状、リスクをどう判断するかは人によるし、私が口を挟むことではないので、そうしたいならそうすればいいと思います。ただ先程書いたとおり、今の父さんは逆張り側に振れすぎているように見えるので、判断基準は本当にそれでいいの?というのは心配です。
率直に私の考えを述べると、「知り合いの知り合いに感染者が出たら深刻に考える」というのは、「真夜中のいろは坂で、並走している車がガードレールにぶつかる音がしたらブレーキを踏み始める」と言ってるのと似たように聞こえます。第3波がどれだけ大きくなるかは世界中の誰もわからない。発症までは2週間を見ておくので、「感染者が出たら」というのは2週間後にならないと判明しない。ブレーキを踏んでから崖に飛び出すまでの制動距離に、そこまでの余裕はないんじゃないかな…というのが私の意見です。
以上です。
長いメールだけど読んでくれてありがとう。いろいろ飲み込みづらい話もしたけれど、適切な情報源をもとに考えて持った信条なら文句は言いません。思い込みではなく事実と科学的知見に基づいた判断というのは全ての基本だと思うので、そこだけはわかってもらえると嬉しいです。
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送ったメールは以上。
父からの返事までは期待しないけど、心を閉ざさず読んでくれるといいのだけれど。
まず、これはただひたすらにオタクの長い愚痴であって推しは一切悪くない。個人的意見として公式はゴミだがオタクも推しも悪くないし、今後これが原因で推しのアンチになることはないことだけ断言しておく。推しは今日も顔面が天才だし才能はすごい。
(それから、この件にご尽力してくださった全てのファンの方を心の底から敬意を表します。わざわざ公式に問い合わせてくれたフォロワニムも、本当にありがとう)
私には俳優の推しがいる。今Twitterではちょこちょこ名前を目にする某国の某界隈の俳優で、出会いは2年前。リアルの友人にオススメされたドラマでその国のドラマ界隈を知り、わからない言語と戦いながら色々と検索していくうちに推しのことを知った。そのドラマには英語字幕も日本語字幕もなく、ノリと唯一わかるYesNO返答だけで見切ったが、ストーリーがあやふやでも分かるほど顔も演技も完璧(主観)で、めちゃくちゃに自分好みの表情を作るところに完全に惚れた。もうこれは全人類推すしかないと思うほど天才だった。(この時はTwitterで所々英訳してくださっている諸先輩方に大変にお世話になりました)
そのまま密かにインスタライブに行ったり現地のオタクの方々が撮ってくださる写真などで推し続けているうちに、推しを取り巻く環境にある変化があった。今まで女の子としか絡みがなかったのがなんとBL界隈に進出したのである。
そのドラマのトレーラーが出て少しする頃にはバズツイによって某国BL界隈は日本BL愛好家たちの中でかなり知名度が上がっていた。ドラマが始まってからはこちらが置いていかれそうになる程人気が上がり、界隈の空気も一変。TLはいつでも賑やかでみんな推しのことを褒めている。
私は積極的にTwitterで発信していく方ではなかったので友達をたくさん作って〜という様にはならなかったが、絵師さんも文字書きさんも、翻訳してくださる方も面白い呟きをなされる方もどんどん増えていき、幸せな気持ちでいっぱいだった。
そんな幸せ絶頂にいた私がブチギレている理由はただ一つ、個人アパレル公式の対応である。
もしかしたら、というかかなりの確率で降りることになるかもしれない。そんなことで、と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、ただでさえBL作品以外に出演することになったAさんへのバッシングなどで疲れ始めていた私にとってこれは致命的だった。
①推しが個人アパレルを立ち上げ、その日本販売を日本在住の公式スタッフの方(日本語は完璧ではないがかなり話せる)が一括輸入の形で引き受けてくださった。
②しかしコロナの問題から一部商品が届かなくなる。→返金か代替品で対応。
③とある大変優しいファンの方(日本語も現地の言葉も話せる)が対応フォームを作ってくださる。その後公式スタッフが該当フォームを告知。→代替品を選択
⑤着払いという記載はないので狼狽えていたら、同じく商品が届いたフォロワーさんが問い合わせてくださる。その後公式から「今回は全て着払いです」と告知。
いや確かに公式はコロナの中精一杯の対応をしてくれたかもしれない。というかしてくれたのだとは思う。国としての文化は違うのはわかっているのでこちらの「こうしてほしい」が通じるとは全く思っていない。向こうのほうが良い面も、日本の方が良い面も当然ある。だからって…だからってと思うのだ。
今回の件、「対応」そのものは一切間違ってないと思う。届けられないのでフォームを作って返金と代替品発送。着払いも仕方ないとする人もいるだろう。ただしそれは全て「事前に告知してくれていれば」の話である。
というか、着払いなんて聞いてねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
なんで私らが言われてもいないお金払うんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ふざけんな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
何もかもが一歩遅い。そもそもフォームの時点で着払いのことを補足すべきだ(これは作ってくださったファンの方への批判ではなく公式への非難なことだけはわかってほしい。)
だって発送元は同じ日本国内だし。もしも日本語訳が問題なら現地の言葉で書いてくれたら私は翻訳しながら読んだ。私たちに選択の権利はないのか?
お金でどうこういうなっていう人もいるかもしれないけど、私は正直ブチギレている。これは友達同士でのなんちゃらとかではない(たとえ友達同士でもキレるけど)私たちは販売者と消費者の関係である。意味がわからない。追加のお金を勝手に発生させられてキレるなという方が無理だ。
じゃあ例えば私が受取拒否したらどうなるんだろう。というか、私は実は受取拒否しようとしたのだ(中身に気がついてやめたけど)。受け取り拒否したら、公式へ戻るんだろう。その後お金の返金の話に……いや、私は代替品は欲しいんだけど?なんで?
玄関先でどうしたらいいか分からず立ち尽くす私に優しく対応してくれた佐川急便のお兄さんは本当にありがとう。今日ほど佐川のお兄さんに感謝した日はありません。
兎にも角にも「話が違う」ので私は疲れた。自分勝手かもしれないけど、そもそも公式が自分勝手すぎるので許せこんにゃろ。届いた代替品には罪はないのに今すぐぶん投げて捨ててやりたい。推しは画面の向こうで今日も変わらない笑顔で笑っている。推しの作ったアパレル。愛情がないわけがない。なんでこんなことになってしまったんだろう。
冷静になるために昼間推しのドラマを見たが、もう思い出さずにはいられずに普通に腹が立って死にそうになってしまった。今後推していくならこのアパレル問題は一生付き纏ってくるんだろう。推しがプロデュースして着てる服、買えるなら私も買いたい。しかもこの服はチャリティー要素を含んでいるのだ。(ところで着払いのお金はチャリティーになりますか?なりませんよね?)代行ではなく公式から直なら尚更買いたい。正直私は着払いだと言われたとしても買ったと思う。でも言われてないのだ。
これを書きながら、苦しすぎて泣けてきた。推しはこんなにいい人なのになんでこんなに公式がクソなんだろう。もう信用できないし信頼なんてどこかへ消えた。今すぐ返金して欲しいけど、こんな公式に新たに口座番号なんて渡したくない。(買うときは自分の口座からではなく外部から振り込んだ)
降りたくはない、きっとドラマは見続けていくと思う。彼の演技が好きだから。でも多分、もう「推せない」と思う。
公式へ あなたたちの対応はタレントの全てに関わります。どうか冷静で正しい対応をしてください。推しがもっと人気になって幸せになれますように。
卒論締切まであと1ヶ月を切った。が、まだ一文字も書けていない。書けてないどころか、先行研究も資料だけ集めて読んでないし、決めたテーマもあやふやで何を調べていいかも分からない。
ほんとうにヤバい。締切までに卒論が提出できなければ、留年確定だ。年間130万円もの授業料だって余分にかかるし、同棲中の彼氏にも見限られて捨てられてしまう。内定はゼロなので、そこは安心。安心することじゃないけど…。
そのヤバさは理解できるのに、卒論に取り掛かることはできない。頭では焦燥感に駆られながら、体は全く動かせない。
ヤバいと分かりつつ、何処かで提出を諦めているせいだろうか?どうしようもなくなったら自殺すればいいやと普段から思っているせいだろうか?危機感も向上心も無さすぎる。自己肯定感が無いせいか?
こんなことダラダラ書いてる暇があったら、論文のひとつでも読めただろうに。ほんとバカ。
発達障害の診断は降りなかったし、ただの怠惰なクズ人間だった。
こうやって言い訳ばかりして、自虐で感傷に浸って、何もせず流されるまま、ゴミみたいな人生を終えそうだ。でも、それがお似合いだし仕方ない、当然の結果だろう、と考えてしまうせいで、すぐにでも行動して未来を変えてやる!とか思えない。
卒論を書くってことだけなのに、自信がどうだ、性格がどうだ、環境が、って現実逃避してるにすぎない。さっさと、資料を読んで、考えて、文章を書く、これだけなのに、これだけの事ができない。
最近AIだとか、ビッグデータだとか、そういう統計の延長線上にあるものがすごい盛り上がってて、IT革命だとかなんだとか言っていた辺りから理系の天下になった。
ただ、これは理系が優れている、文系が劣っている、というのではなく、そもそも数学の上に成り立っているコンピュータと理系という進路の相性がいいだけだ。
もうちょっと言うなれば、数学の式にできないことはコンピュータにはできない。
最近よくあるマッチングアプリは、要は数学の計算をしたときにこの二人の相性が最高得点を出しました、というだけであり、そのための計算式は業者の都合によって決められている。
当然いろんな研究者の助力のもと出来上がった式を使っていて、一見すると真実味もあるし、実際あたっていることが多いのかもしれないんだが、結局「あなた方二人がくっつくのがこの計算式に一番マッチしていますよ」ということでしか無い。
よくよく考えると、これって結構怖い話で、ディストピア系の物語にある巨大コンピュータに抽出された二人が結婚するというあれを地で行っている。
ただ、IT革命、2000年位かな、これから20年が経過し、デジタルネイティブが結婚とかをリアルに考えるようになったこの時期にこういうサービスが出るようになったのは興味深い。いや、昔からあったんだろうけど、こういった計算式で相性出されて、という感じの人間関係の作り方、っていう意味ね。
昔は親の言うこと、神様の言うこと、偉い人の言うこと、を聞いて結婚していたのが、昭和くらいになると自由恋愛で結婚スべきっていう時期があっだけど、こんな時でもこういう男はモテる、とかそういったものの言うことを聞いていた。今は神様、親、偉い人、ノウハウ本の代わりに業者が提供するアルゴリズムに従っている。当然目指すゴールも結婚、恋愛、その場限りのお茶飲み友達まで様々だろう。
当然どれにも得手不得手はあるだろう。もしかしたら短期的な成功率は親の言うことを聞くと低いが、長期的には幸せかもしれない、コンピュータのアルゴリズムもそうかもしれない。どの方法論がいいかとかではなく、過去の人々が直感とか、勘と経験とか言っていたものが数式に置き換えられる時代になった。
俺は、同じ結果になっても計算式で出されたものよりは勘と経験で出されたもののほうがなんか人情味があっていい、と思うが、デジタルネイティブは勘と経験みたいなあやふやなものよりも、多くのものに適合する数式で導かれた結果のほうがブレが少なくていいと思うのかもしれない。
当初は何がITだ、計算式で出された人間関係に血なんか通うかボケとか言いたくて始めたんだが、書いているうちにまぁ大差ないかなとか思うようになっていった。これだから文章を書くのは苦手だ。小論文じゃ0点だ。
今の所、それほど面白くもないが、ジャンプのテッパン作品という感じがする。誰でも見られる。
ここまで人気を博すのだから、きっともっと何か強烈な惹きがこれから出てくるのだろう。
MAPPAだなあ…という感じはあまりしないが、EDとかMAPPA感ある。好き。
あと、OP曲は「たぶん歌い手の作品だろう」と思ったらラストダンスの人の曲か。似た感じがするもんな。
ところで同ジャンプ人気作品である鬼滅の刃だが、アニメのリアルタイム放送時はAbemaで流れるcmが非常に煩くて嫌悪していた。
あの曲のサビとともに「がんばれおれ!がんばれ!」と繰り返されて非常に神経に触った
(あのcmを全く見ておらず、ufotable作品だと知っていれば普通に全話終了後に視聴したものと思われる)
そんな状態だったのに何故アニメを見て漫画も読むことになったのか記憶があやふやなのだが、多分他に何も見るものが無かったからだと思う。
見てみたら、冒頭の竈門炭治郎のポニテがとても可愛いと思ったから視聴を続けることになった様に思う。
あと、テレビ放送分では鬼舞辻無惨のパワハラ会議が一番好きな場面なので、あそこで一気に気分が上がった(最終回かよ)
あのビジュアルでイルカ先生の声で酷いことを言うとか最高だなと思った。