50歳目前になって、自分の人生を生きてこなかった、ということに気がついた。自分のやりたいことがわからない。けど何かしなければならない気がしてアレコレ考えるけど堂々巡りになってしまい気疲ればかりしてしまう。
小さい頃から、頭は良いけど運動はできない頭でっかちな人間だった。学校の成績は良い方だったけれど、親にほめられた記憶はない。ほめられるどころか「お前は運動がダメだ」「お前は友達付き合いがダメだ」「お前は甘えが強くてダメだ」とにかく、ダメだダメだばかり言われて育った。反論しようとすると、何故か自動的に涙が出てきて何も喋れなくなってしまうので、反論しようとは思わないようにして、「そうだね、俺はダメだね」と同調するようにしていた。
中学まではそれなりの成績だったけれど、当然のように進学校に進んだら周囲がもっと出来る奴らばっかりで成績は下の方になった。ショックだった。周囲は皆遊んでばかりいるように見えるのに、何故か自分より成績が良かった。自分はダメな人間なんだと思い知った。勉強する意味がわからなくなり、不登校になった。
2年の引きこもり生活のあと、たまたま会社に勤めるようになり、仕事も色々任されるようになった。「自分はダメだけど頑張る」というサクセスストーリーに見えた。けれど、意識の奥底には「自分はダメ人間だから成功しない」という考えがあって、重要な役割からは言い訳をして逃げていた。自分が役職につくと周囲の人間に迷惑がかかるので、調整役に徹するようにした。
父親からは何かの折に「お前の教育には失敗した」と面と向かって言われた。出来損ないだというわけだ。数年前にも言われた。法事で親戚が集まっているところで、わざわざ「○○の教育には失敗したんだ」と宣言された。その場にいた人たちがドン引きしているような気がした。こっちはもう50目前、父親だって80目前だというのに、何故こんなことを皆に向かって宣言するのかわからない。反論しようとすると自動的に涙が出てきて反論できなくなるし、場をぶち壊すわけにも行かないので黙っていた。
けっきょく親から刷り込まれた「お前はダメ人間だ」という認識を超えることができなかった。ダメ人間なのだから何事も無難であることを優先した。360度全方位に対して遠慮し、自分の意見を出さず、意見が食い違ったときは相手方を立てる、自分が我慢することでその場をやり過ごすことを50年間ずっと続けてきた。自分を殺して生きるのが、自分の生存戦略だと思っていた。
だけどもう、そんなやり方も通用しなくなった。そんな自分の意見を持たずに言われたことをやるだけの高齢社員には居場所はなかった。最近は状況も悪くなり会社の余裕もなくなってきて、いつクビを切られるかビクビクしながら生活している。田舎なので転職先はない。結婚して子供も作り持ち家も買ったので金ばかりかかる状況なのに、人生詰んでしまった。死ねば住宅ローンはチャラになる(はず)。保険金も下りる(はず)。ダメ人間に残された最後の手段を考えながら今日も終わろうとしている。
途中まで、うんうん、分かるよ。俺もそうだったよ。 と同情的に読んでいたが、「結婚して子供も作り持ち家も買ったので」の一言でどうでもよくなった。
失敗したのは親だろう 子供ではない