2018-01-07

華がない人間

http://tenro-in.com/articles/team/22192

たまたま見つけたこの内容、自分とほぼ同じだった。

こどものからいわゆる「優等生タイプ

何でもそつなくこなす、学級委員タイプ

保育園お遊戯会で主役を演じたのも同じ。

叱られることは滅多になく、むしろ先生や親たちからは「いい子」で通っていた。

自分意思で、地元ではトップクラスといわれる進学校に進学し、国内でも難関といわれる国立大に進学・卒業した。

大袈裟かもしれないが「それこそが自分に課せられた使命だ」と考えていた。

からは「自慢の息子だ」的なことをいわれ続け、今日まで生きてきた。

しかし何かが足りない。

何を、どれだけやっても、達成しても、達成感も満足感も得られない。

仕事いくら褒められても、評価がよくて昇給賞与がよくても、何かが足りない感覚が残る。

その正体が「華」だったのだ。

「華」は生まれもったものであって後天的にはどうにもならないのか。

これまで必死でもがいてきたことは何1つ報われないのか。

「お前が今までやってきたことは全部無意味だったんだよ」と突き付けられたわけで、生きる意味を失いそうだ。

華はなくとも「自分役割」を果たし続ければ、いずれそこに芽が出るのか?

いくら役割を果たし続けても永遠に日の目を見ることはなさそうだ、これまでそうだったように。

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