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2023-02-25

読経マイナンバー必要なら

いやそんなマイナンバーを読み上げるお経はないだろうな

2022-11-30

わりと幸せ日常生活を送っている創価学会2世だけど、質問ある?

最近、某襲撃事件の影響か、宗教話題ホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。

そうした記事ひとつについたブックマークコメントに、「宗教ネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。

日本人の多くは実質的無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキング事件ばかりだ。

宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。

そこで、タイトルの通り、創価学会学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメント質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。

何か書いてみようかと思ったけれど、あまり普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。

なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世4世くらいにはなる。ここでは、生まれときから学会に属しているという意味2世と称します。


以下追記

特に疑問を感じたことは無いな。生まれときからそういう環境から「受け継ぐ」っていう感覚そもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。


あんまり歴史得意じゃないか一向一揆時代に何があったのかわからないんだけど、「他者攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね


→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。


選挙前に公明党投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。

勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏学会員に誘うことを折伏と言いますしましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘ちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメ勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。


マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆ど学会員だろうからまだわかるけど、普通大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブ感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。


  • 自覚しながらのらりくらりで草」

→?どういう意味


葬式形式と居心地が若干違うかな。学会員友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀から厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いか個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。

あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。


  • 「結局、悪い部分は他人事なんだな」

→良い部分もたいがい他人事だよ。自分あんまり積極的活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。


自分あんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行マインドフルネス一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。


自分年収は300万程度。まだまだ新米社会人から薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会から家族から寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金卒業させてもらえたし、金がないか必要ものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。

2022-10-09

anond:20221009193933

ていうか

統一教会を弾いて寄付無効にしたり、刑事罰を加えたりする条件だが?

なら、なんで伝統宗教だけOKを持ち出したの?

その感覚おかしいってこっちは指摘してんだけど

ただでさえブラックボックス宗教法人を開宗や設立時期で区別しようとする感覚は何?

伝統宗教坊主読経代として100万を暗に請求しても、お前みたいなやつは問題ないって言うんだろうな

2022-09-15

anond:20220915164753

お布団屋さんで作ってもらえると思う。

あるいは仏壇の前で読経してもらうときの御前座布団なんかはしっかりしていそうだよ

2022-08-31

統一教会被害額って、、、

全国霊感商法対策弁護士連絡会に駆け込むほどの事例が、これまで3万人以上、1237億円以上あるようだけど、これって平均412万円といった規模感。一部の人は億を超えるくらいむしり取られていることからすれば、それ以外の人たちは200万円くらいなのではないだろうか。

一方、伝統宗教葬式仏教なんかだと、戒名をつけるのに数十万円、院号をつけたらプラス五十万円、あるいは墓じまいをするための念仏に諸費用を合わせて二百万円、といったところ。その他に仏壇に魂を入れるのに十万だとか、お盆読経で三万(×毎年なので何十回)とかあるから、生涯で数百万規模のお金を払っていることになる。

でも、前者の統一教会は完全にギルティで、後者伝統宗教社会的に受容されているわけだから、やっぱり一部の信者から根こそぎ収奪することが問題なんじゃないかな。ご先祖様の苦労などが脅しになっているのは伝統宗教の方でも変わらんし。

anond:20220830105009

2022-08-25

コロナ禍で祖母を亡くして思うこと

亡くなった、と病院から連絡が来た。

コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。

それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。

入院前に会った老人ホーム車椅子腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。

この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。

私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。

受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。

しかもそれも一回。

生きてるおばあちゃんに泣いて縋って抱きつきたかった。

さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教信仰している祖母はよくそ教会に私を引き連れた。

教会にいくと祖母には祖母仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。

同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。

私はその宗教信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。

それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。

母も青年部にいやいや属して、いやいや導師経験していた。

属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。

高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。

そんな宗教祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。

あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。

おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。

でもあそこトイレめちゃめちゃ寒いし、うん、嫌だな。

おばあちゃんがお墓参りときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。

おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。

祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。

なんか食べ物の話ばっかりだな。

8/25 追記

でも思い出すのはあの日差し差し込むキッチンから、まだまだ話すね。

フライパンみたいな形状のたこ焼き器でたこ焼きを作ってくれた。十五夜にはふたり白玉団子をこねて、丸めて、みたらしをかけて食べた。

今日白玉団子を作ったらあの匂いがして、懐かしい気持ちでいっぱいになった。

また書きながら泣いちゃったよ。

追記終わり

皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)

今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的祖母食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由筑前煮を作ったことがある。

「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」

これを50回位言われた。

当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。

ごめんね、お嫁には行けないかも。

内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。

妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。

言い訳はこの辺にしとく

棺桶に花を供える時に撫でた頬は芯から冷えていたね。

あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。

輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。

火葬ボタン喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。

もうおばあちゃんは私の名前を読んでくれない。

思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつ眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。

ちょっとまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。

それでもやっぱり大好きだったよ。洗脳でも刷り込みでも、大好きだった。

ありがとう

2022-07-23

仏教徒新興宗教との遭遇を語る

書いてる私の略歴 中学坐禅にはまって禅寺に通いはじめる。スピ系話が好き。ワクチンはP・P・Mで接種。年齢 中高年。

 事例1母

私が小学生の時、PTAボス存在に連れられて1946年設立された教団に通い始める。

以下、母の証言による。

信者は皆の前で反省しなければならない。家のなかのあれこれを全部話させられる。貯金の額も申告させられる。

毎日布教に行く。母に同行した支部班長は近所の不幸をあれこれ聞きだし、それを使って信者を獲得(○○で悩んでいた人が入信して良くなったみたいな)し、毎月信者獲得数トップで誉められていた。

布教の時に配る教団の冊子は信者が買う。沢山買って沢山配れば誉められる。返品不可。

ごく短期間で母ギブアップ。辞めるときにかなり揉めたらしいがなんとか脱退。

その後私が禅寺に通い始める。

事例2 親戚(女性 当時一人暮らし) 神道系教団。入信はオウム事件の遙か前。

退職後知人に誘われて入信。

日中道場に詰めて連絡が取りにくくなるも、当初は留守番電話の設置だけ薦めて我が家は静観。

その後我が家に来て自分清浄、我々は不浄な態度を露骨に見せ、他人の不幸を今まで以上に嬉しそうに話し始めたので、信者の自惚れに餌をやるタイプの碌でもない教団なのか、元々性格に難のある親戚だけがそうなって教団はまともなのか判らず我が家対応に苦慮。

 ご奉仕に身につけるエプロンは他で使うと穢れるとか、お守り袋作成の中に電話に出ると穢れるのとか、禁忌があまりにも厳しすぎ、自分達は守られているので医者に行かなくても大丈夫、薬は毒等々と言い出す。

うぬぼれはどこの宗教でも社会常識でも悪い事なのだが、それを抑えている気配が無く、禁忌によってそれを煽っているように見える。私の入門した禅寺の御老師様はこういうことにかなり厳しかったので絶句する。これはかなりまずいかもと退団の説得に乗り出す。しかし時既に遅く不浄な我が家言葉は届かず、「守られている」と大見得切っているので事故病気になったとき我が家に助けを求められず、却って事態悪化すること数えきれず。

薬は毒だとか恐怖を煽りつつ、私たちだけは救われるんですよと優越感をくすぐる、宗教というより殆どマルチ商法という気がしたので「苦情の坩堝」や「悪徳商法マニアック」の体験談を読みあさり、なんとか脱退の糸口を掴もうとするも結局力及ばず。

晩年、教団墓地管理費を長年二重取りしていたことが判ったが(お金は返ってこない)、それでも結局親戚は死ぬまで信者だった。

親戚の死後、親戚が身につけていたお守りの事で親戚を誘った女性とも初めて会ったのだが、教団墓地の話ははぐらかすのに、突然の葬式仕切りで大忙しの私を道場へ何度も何度も誘った。控えめで気が弱そうで善良そうな女性である。長年道場けが重要で世の中の事は些事と教え込まれているとこうなるのだろうか。「世の中に間借りして修行させてもらってることを忘れるな」って御老師様は言ってたから、あんまり世の中を軽く扱うのもまずいのではと思う。

また信者に口寄せさせて、その人が話したことを真に受けて皆で実行していたようなのだが、そんな心許ないものに左右されてどうするのだろう。世間に対しては一々疑いや不信を抱くのに自分達の行いに対してはあまりにも信用しすぎなのもまずいと思う。「自分を疑え」「脚下照顧」と先達も諭しているのに。

通帳など紛失しているので判らないままだが、親戚が教団に納めた金額は8桁を超えていたようである。教団の維持にお金必要なのはわかるけど、それも程度問題だと思う。

職場と家以外、人間には案外居場所がない。親戚にとって道場は第二の我が家だっただろうし、母も家とパート先以外の居場所が欲しくてあの教団に行ったと思う。でも信者獲得数やお布施の額で確保する居場所は良くないと思う。

余談だが、コロナ流行した年にこの教団の他県支部クラスターが発生したらしい。薬は毒、我々は神様に守られている、発熱好転症状と言い続けていたら、三密対策もとるにとれなかったろうとは思う。

事例3 昔の知人が突如布教に来る(数年前から)。

タイトル通り。ある日知人ともう一人が冊子をもって布教に来たので、私は中学の時に禅寺に入門して受戒していること、今も信者である事を告げてお引き取りを願ったところ、「先祖供養はお寺任せではなく、自分でやらないと。ここなら自分でできるんです」と連れの年配女性。「自分でやってますが」と私。

しか相手は怯まず他のやり方では駄目と言わんばかりに押してくる。

それなのに冊子には教団名が書かれてない。祈祷文をネットでくぐって漸く判明した。自信あるならちゃんと名乗れよ。

知人も過去自分の不幸を開陳するのだが、母の体験もあるので私は一切自分の状況を口にせず「現状に大満足(大嘘)」で押し通す。キリスト教告解神父様だけにだし、仏教は仏に懺悔する。到らぬ身の人間相手懺悔しても悪い結果にしかならないと御老師様も言っていたしね。

宗教でも自派が一番優れているといってるけれど、それは大昔の、印刷術も電話もなく、人の移動がほぼ徒歩だった時代アクセス出来る範囲にある宗教では一番と言ったわけで、色々な宗教信者が一緒に暮らす現在それをいうのは利より害の方が大きい。私の禅の師である老師様は他宗教をくさす言葉一言半句仰らなかった。

かに小学校友達教会で入信したときに「私は救われるがあんたたちは煉獄」と言い放ったし、私が禅寺で入信したときクリスチャンの友人が牧師執筆の本を貸してくれ、そこには孝行を尽くした妹よりなにもせず親の死後仏壇を買った長男が誉められる仏教は間違っていると書かれていた。

事実に基づかない批判(貧女の一灯をしらんのか)を展開する行為の方が、私にはドン引きだった。さすがにこういうのは今は少なくなっていると思う。

常識を疑う、破るのは仏教にもあるが、それは修行が進んだあと、無意識下の刷り込みを打破するためのもので、一般信者社会常識を踏みにじっていいということではない。

普遍的道徳に照らしてアウトなもの宗教でもアウトだと思う。

この二人組は本当に何度も来た。コロナになってやっと音沙汰がなくなって悪いがほっとしている。

例外 もしくはあるべき姿

20代後半のある日、家で読経中に宗教の勧誘が来た。中断させられてイラっとした私は数珠袈裟のままドアを開けた。そこに立っていた男性は、私の数珠袈裟をみて「これはお邪魔しました」と深く一礼した。近所のキリスト教会の牧師である事を名乗って、若い女で異教徒の私にもう一度お辞儀をして、信者を引き連れて帰っていった。信仰する者に出会たことが嬉しいという顔をしていた。「美味これ淡味」本当に価値のあるものは奇をてらわない普通の姿をしているのだという御老師様の言葉が浮かんだ。私も深く一礼した。

2022-05-10

anond:20220510151441

しかし「図に乗る」を「読経の転調に由来する」と説明したのは金田一春彦からで、どうもそれ以前には遡らないみたいなんだよなあ。

金田一春彦権威があったから広まってるだけで、説明自体にはそれほど信頼性が無さそうなんだけど。

「図に当たる」はどこでも「図=狙い・計画」の意味説明しているのに、

「図に乗る」のほうだけぜんぜん別の由来だということがあるかな

わざわざ迂遠説明をしなくても「物事計画どおりに進んで調子に乗る」というのが素直な解釈じゃないか

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B

一般に若年者など関係が下位にある者が、自分企図していたとおりに事が運ぶのに気をよくして、分を超えた言動をすること。

表記のゆれ:「図」に替えて「頭」を用いることがあるが、「図」はもともと「企図すること」の意なので適当用字とはいえない。

https://kotobank.jp/word/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B-539406

精選版 日本国語大辞典

自分の思うように事がはこぶ。

https://kotobank.jp/word/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B-539406

とっさの日本語便利帳

企てが思いどおりに運び、調子に乗りすぎること。つけあがる。悪乗りする。「図」は企てのこと。

2022-02-06

「墓じまい」をすることにしたのだけど

タイトルのとおりだけど、うちの墓を閉じることにした。ひいじいさんだかそれくらい前の人から5~6人のお骨が納められている。

自分の代で、それ以降この墓を管理できる人間はいない。親と相談の上で、どうせいずれ放棄されるくらいならいまのうちに、と。

ある程度調べていたけれど、墓を閉じるのってかなり面倒な手続き必要な上、それなりに費用もかかるのな。

改葬の手続きをして、お骨をまとめて、合祀墓に移す。そういう手続とか、移転先の霊場にある程度費用がかかるのはまあ仕方ない。

しかし、墓石撤去に15万も20万もかかるとは思わなかった。専門業者いわく、産業廃棄物になるので個人では勝手に捨てられないらしい。

いちおう、墓を閉じるにあたって魂を抜くとかの読経をしてもらうことにした。必要いかもしれないが、親族一同の気持ちの整理のため。

それが終わると、墓はただの石の塊なんじゃないのか。実際廃棄物って言われてるし。

こんな金のかかる石の塊の風習は、もう長くは続かないんじゃないかなあと思った、ただそれだけの話。

守る人がいなくなりそうな墓は早めに対処しといたほうがいいよマジで

2022-01-21

コロナ禍で祖母を亡くして思うこと

亡くなった、と病院から連絡が来た。

コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。

それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。

入院前に会った老人ホーム車椅子腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。

この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。

私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。

受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。

しかもそれも一回。

生きてるおばあちゃんに泣いて縋って抱きつきたかった。

さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教信仰している祖母はよくそ教会に私を引き連れた。

教会にいくと祖母には祖母仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。

同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。

私はその宗教信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。

それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。

母も青年部にいやいや属して、いやいや導師経験していた。

属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。

高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。

そんな宗教祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。

あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。

おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。

でもあそこトイレめちゃめちゃ寒いし、うん、嫌だな。

おばあちゃんがお墓参りときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。

おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。

祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。

なんか食べ物の話ばっかりだな。

皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)

今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的祖母食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由筑前煮を作ったことがある。

「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」

これを50回位言われた。

当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。

ごめんね、お嫁には行けないかも。

内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。

妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。

言い訳はこの辺にしとく

棺桶に花を供える時に撫でた頬は芯から冷えていたね。

あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。

輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。

火葬ボタン喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。

もうおばあちゃんは私の名前を読んでくれない。

思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつ眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。

ちょっとまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。

それでもやっぱり大好きだったよ。洗脳でも刷り込みでも、大好きだった。

ありがとう

2022-01-01

誰か私をボコボコにしてくれ 頼むから

以下、一般マゾ独り言です、下品ワードが飛び交っています。吐き出したかったので書きました。

不快気持ちになった人がいたらごめんね。

私は 顔のいい男にボコボコに殴られたり、蹴られたり、踏みつけられたりするのがめちゃくちゃ好きで好きで堪らなくて、

歴代彼氏にはよく殴ったり切ったり首を絞めたりしてもらっていた。

単純に誰でもいいかボコられたい、という話であればこんな悶々としないんだろうけど、私はエゴマゾなので、

かなーり相手を選んでしまう節がある。

絶対条件は顔のいい男であるということ。

色白で、筋肉が付きすぎておらず、細身。

これが私の条件だ。

ともなると全然いない。

私がまだ23歳で、あんまりにも年の離れた人は嫌だという我儘を付け加えると、

ほんとに全然いないし、そもそもに探し方がわからなかった。

男性マゾは、SMクラブ女王様にやってもらえるけど、女の子はそうもいかない。

そもそも私は異性に本気でボコされたいのだ。

SMバーや、ハプバーにも行ったりしたけど好みの人はいなくて、悩みに悩んだ結果、

女性風俗に行った。

好みの男性がいたからこの人しかいない!と思って、秒で予約した。

こういう時 ちゃんと金持ってて良かったと思った。(あ、風俗嬢ではないです)

呼んだのは、なんか、歌舞伎町トー横に屯してたり、メンチカしてそうな男の子にした。顔がメンヘラっぽくていいなと思った。通ずるなにかを感じてしまったな。

カウンセリングの時にボコボコにして欲しいって伝えたら 「いいよぉ~~~」と言われたので笑ってしまった。

ODしてるんか?ってくらい変な喋り方で泣いちゃった。

一緒にお風呂に入った後、さっそくボコって貰った。

髪の毛を掴まれたまま、ラブホのベッドに叩きつけられた。

興奮と嬉しさからふふ、と笑ってしまったら

「何笑ってんの」と冷たく言い放たれて、腹部を容赦なく踏みつけられたり、殴られたりした。

お腹じんじん痛くて気持ちよくて、最高に興奮してるところでマウントとられて首を絞められて、これ以上ない程の幸福を感じた。

首絞めされてる間も膝やもう片方の手で殴ったり蹴ったりしてもらって、

あぁもう酸欠で落ちちゃう、ってところでキスされた

あんまりキスきじゃないけど、これは脳みそが蕩けてたせいもあって、人生の中でいちばん気持ちいいキスだったと思う。

その後もボコボコにされたりなんだりして、もうズタボロになって荒い呼吸を繰り返してたら、突然ちんぽ挿入された。

※当たり前だが、女性風俗は本番禁止である

急速に脳みそが冷やされていく。

「え、ちょっとまって、」と制止しようとしたら、そいつは もうニタァ、という表現が適切としか言いようがない笑みを浮かべた後、黙れと言わんばかり私の口を手のひらでオモクソ塞いだまま、犯してきた。

最初はクソほど抵抗してたんだけど、圧倒的な体格差だし、動かせるのは足しかない。

どうにも抜け出せないし、喋れないし、もう諦めた。

ただ、めちゃくちゃムカついたのは最後ザーメン顔にぶっかけられたことです。

人に暴行を働くのって疲れるだろうし、こんな異常性癖に付き合わせてしまった手前、まんこくらい差し出して然るべきなのかもしれないが、さすがに無断でぶっかけるのは違うと私は思う。

終わったあとはたくさんハグキスしてくれたり一緒にゴロゴロしたりして、飴と鞭を実感した。でもやっぱり終始冷たくされたいし嘲笑われたいしゴミみたいに扱われたいし、恐怖で私を支配して欲しい....。甘いのは違うんだよなぁ。

ホテル出て、駅まで手を繋いで歩いたけど、

手よりも髪の毛を引っ張って歩いて欲しい派なので、微塵もキュンと出来なかった

この後このお兄さんを2回呼んだけど、結局そのどの回も無断で犯されたので、今年からはどうするか悩んでいる。

あとなんか私の好きって言ってたブランドのものをもらってしまって逆にめちゃくちゃ気まずくなって、LINE既読無視してたら

ますます鬼連絡きて怖くて開いてない。

LINEの通知音がなると心臓痛くなる。

2人目は、ハーフっぽくて童顔で、V系とかメンチカ系に居そうなお兄さんにした。

こちらのお兄さんは身長も高いし、細身の割に体もがっしりしてて、いいボコりをしてくれそうだ。

カウンセリングの時に、「ボコボコにされたい」って言ったら、普通にOKしてくれて、

1人目の時同様、一緒にお風呂に入った後、

ボコボコにしてもらう、はずだった。

なんか、催眠術かけられた。

???と思うでしょ?私もね、思った。

でも私はめちゃくちゃ催眠に掛かりやすい体質らしく、あっという間にかかった挙句、脳イキ地獄に落とされ、意識朦朧としていた。事実、この間のことは何一つ覚えていない。

意識がはっきりとしてきた頃にはまたもや犯されていた。ビビっちゃった。

もうおわかりかと思うが暴行要素は一切ない。

上にも書いたが、この日のことは、あんまり記憶が無い。

そいつのちんぽがクソでかくて子宮口がオモクソ潰されて ギィン!!って痛くて絶叫した記憶はある。帰ってる時も生理痛?みたいな痛みに襲われていた。

物証として、ベッドに普通に精液入ったコンドーム落ちてたので間違いない。

というか、いつの間にか裸だったしその人。

いつ脱いだ?!私が脳イキ キメすぎて失神してる間??それとも酸欠で落ちた瞬間.....???

ボコボコにして欲しいって言うから子宮ボコボコにしちゃった」ってニコニコしながらいわれて

「そういうことじゃねンだわ」と思ったけど、

子宮ボコボコにする、という言葉の響きエロいなと思って2割くらい許してしまった(は?)

あとその人手がおっきくて首絞めがいい感じに決まるのと、クソほど犯しながら紐みたいなやつで首絞めてくれたのが好感度高かったです。

罵りワードも私好みのキショキショヤンデレ風味だったし、子宮を抉られるような鈍痛と、恐怖と若干の興奮で泣きじゃくる私を押さえつけて犯しながら「着床しろ」って囁いてきたのがポイント高かったです。

顔も好みだし、催眠術できるの普通にすごいし、脳イキも気持ちよかったけどやっぱりsexが入ってしまうと、別の世界になってしまう気がします。

そんなわけで私のボコられ体験は1度幕を閉じたわけだが、未だに正解が見つからないままでいる。

どちらかというと、以前都内にあるSMクラブ女王様時間いっぱいボコられ続けた時の方が完成度・満足度ともに高かった。

でもやっぱり男の人に殴られたいと思ってしまう。

実際、女王様と1人目の人を比べると、圧倒的にお兄さんの方が力が強かった。あんなにモンエナしか飲んでなさそうな体型なのに。

あと多分声フェチ?みたいな部分もあるので、殴られてる時に女性の声が入ってきてしまうと冷めてしまう。

男性サンドバッグにされたいのだ。sex抜きで。

めんどくさい自覚はある。

顔のいい男はたくさんいても、なかなか理想ボコリストには出会えなくてつらい。

欲を言えば、カッティングや、スカリフィケーションと焼印と根性焼きもして欲しい。でもここまで来るとしてくれる人がほんとにいない。

こないだもようやく顔のいいサド出会えたので有頂天になってたら

電気首輪を〇〇ちゃんわたし)につけて家に軟禁して肉オナホにしたい。』という性癖の人だったので、

さようならした。

ボコボコは出来ないそうだ。

なんでだよ....

私には居場所がない。ひとりぼっちだ。苦しい。

気持ち悪い存在だという自覚もある、だからこそこんな私を〇して欲しいと、罰してほしいと思う。

ますます気持ちけが昂っていってしまう。

私はどうしたらいいんだろうか。

もう自傷行為タトゥーピアッシング、スカリフィケーション程度の痛みでは、つまらないし、オナニーにすらならなくなってしまった。

そもそも彫り師さんも ピアッサーさんも、皆お仕事真摯にやってくれてるのに、

変態要素を出すのって失礼だなとおもって、

最近施術中に邪な考えをしないよう、読経をしている(????)

ちなみに、SMパートナー探す掲示板に書き込んだらネカマ扱いされた上に、

sex目的オッサンとか、自分のことをイケメンだと自称するオッサン(よくわからん角度で取られた自撮り付き)とか、サディストではなく ただ単に女嫌いこじらせたチー牛みたいなやつしかいなくて地獄だった。

まだtinderで捕まえた カスバンドマンホストの方がマシでした。

あと、こういうことを話すと、家庭環境などを心配されるんだけど、

しろめちゃくちゃ大切に愛されて育ちました。裕福な家庭で、何不自由なく育ててもらって、今もめちゃくちゃ仲良しだ。

学生時代普通にいじめとかなく平和に楽しく過ごしてきた。

からこそなんでこうなってしまったのかは分からない。

私はマゾなので何を言われても構わないが、大切な家族に言われると悲しくなるので書いておく。

今年はいボコリストに巡り会えますように。

そして、変態の同士たちも、ノーマル性癖な人も、らみんなに幸あれと思います

2021-11-30

anond:20211130172604

10年くらい前にいたよ

営業読経つけるための訓練とか、営業先のみつけるためとかいろいろらしい

しらんけど

2021-10-09

ポクポク木魚を叩いてまんねんマウント坊主バージョン

木魚は裏打ちビートで叩いてまんねん

お経の邪魔にならないためですねん

木魚は初めは魚板だったんですねん

そのあと丸くなったんですねん

木金は眠くならないために叩いてますねん

眠気覚ましのためですねん

なんで魚かといいます

魚は寝る時も目を閉じないからですねん

眠らず修行せよという意味ですねん

木魚は作るのに3年くらいかかりますねん

木をいい感じに乾かすからですねん

でも10,000円くらいから買えますねん

中国産が増えてるからですねん

ほな今から読経させてもらいます

摩訶般若波羅蜜多心経

増田般若な腹の中見た心境)


羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。

(ギャーって、ギャーって、恨み晴らそうギャーって、まあそれもそうか、腹の中の心境)


あ、すみません。頂きます🍵

坊っちゃん、大きくなったねぇ。

何年生?小学33年生?そうかぁ、もう大人やね。

モテなくて困ってる? この煩悩の塊が!! あっ、ごめんね、素が出ちゃった。

おじさんもモテないよ。結婚してるけどね。

それじゃまたね。増田さん。

2021-08-16

読経する父親

完全にお経を読んでる自分に酔ってる

うざいうるさい

2021-04-11

anond:20210411120255

同じ動き繰り返すの精神統一になりそう。読経みたいな。

2021-01-04

正月駅伝神事である

皇居ランが宗教的な営みであることは、周知の事実であろう。

皇居は、龍脈を流れるエネルギーが吹き出す龍穴のある場所にして、祭祀王の住まうところである

その周囲をランナーがぐるぐると回ることで、マニ車を回すがごとく、スピリチュアルエネルギーが生ずるのだ。

そうでもなければ、あん排気ガスを吸うだけのランニングに人々が夢中になるはずもない。

駅伝(その名称は「易伝」に由来する)は、皇居ランで生じたエネルギーを更に高める行為である

からこそ、正月駅伝は、皇居近くの大手町から始まる。

ランナーは、タスキにエネルギーを蓄積し、箱根まで行き、また戻る。

タスキを繋げないことは、エネルギー喪失する悲劇だ。

中には、走りながら経を読む者もいる(読経大学)。

世俗的には一見無意味にも思えることこそが、宗教的意味合いが存する所以である

時には、人々に混じって山の神宇宙帝王が参加していることもあるという。

駅伝を見てもつまらないのは、ある意味で当然である

誰が葬式エンターテインメント性を求めるだろうか。

神事るか神事いかは、あなた次第です。

2020-10-06

この記事についてのブコメが坊さんへの憎悪に満ちててゲッソリする件

ブクマエントリーされてるこの記事、いつものことだが坊さんへの不信と憎悪に満ちた下郎のブコメで溢れてて気分が悪い。

カレー坊主吉田武士(休憩中)さんはTwitterを使っています毎日広告デザイン賞。イオンのこの広告が選ばれていることが悲しいですね。違和感というか、何かを冒涜しているような気分になりはしまいか。作り手も選び手も途中で踏み止まることはできなかったのだろうか。 https://t.co/RkSww7V3qo」 / Twitter https://bit.ly/36DOnZw

建前としてはお寺が葬式商売とするわけにはいかない。「読経代がいくら交通費いくら、その他間接経費が…」と労働対価として請求を上げることが本来出来ないので「御寄付ですからお気持ちで」となり、明朗会計不可能なんである

そのお寺に対して「なんだそれはボッタクリじゃねえか、ふざけるなこの生臭坊主が!」といきり立つ頭の悪い下郎がものすごく大勢居て、そういう奴は「これは商売ですから」と明朗会計でやってくれるイオンみたいな所に行けば、下郎は安く葬式が出来て幸せになり、お寺は下郎の相手をしなくていいのでやはり幸せになるのである

あの広告イオンの「うちの葬式サービス業務として実施しますよ。寄付ではなく労働対価としてお金をとっているので、お気持ち次第の請求(=寄付)とかないですよ。見積書もちゃんと出ますよ」ってアピールなんだよね。仏教一般を位牌のパックで貶めようとしたものじゃない。

もしあれが冒涜目的とするなら、最初に貶められるものは当のイオンお葬式になってしまう訳で、それじゃ広告にならないのだから

ただ問題は、金を出す気がないくせに「イオン葬式では安っぽいから嫌だ。お前ら坊主が廉売しろ」とゴネてくるクソオブクソの問題があるが、そういうウジ虫対策までイオンに求めるのは酷だろう。

ただ、イオン葬式みたいな「社会的要求に答えて出すだけの葬儀を低コスト実施する商売」が定着し、ちゃんとしたお寺に頼む葬儀は本当に信仰心のある家族や代々の檀家衆の葬儀に限られてくるようになれば「イオン葬式じゃショボい」とか言い出す虚栄心の強いクズ自然に減っていくだろうと思う。

まあ、そういう時代では僧侶として行きていける人間の数は著しく減るかも知れない。お寺で修行をしたものの専業では食えず時々葬儀屋さんに呼ばれてアルバイト的に経をあげるようになり、それもいずれは録音で… ってことになるのかもしれず、あるいは社会的には存在価値を失って、修行者の互助団体としての寺院しか存在しなくなるのかも知れない。

2020-09-03

会社宗教的行事が嫌だ

うちの会社では月に一度、社長檀家をやっている寺の坊さんを呼んで神事をやる。緊急事態宣言の頃は自粛でそれをやめたのに、宣言が明けたらコロナ禍にも関わらずまた従来通りに社員取引先の人間を集めて読経することになった。

先月は炎天下の中、屋外で神事をしたが(それはそれで良くない)明日は雨なので屋内でやるとのことだ。

台風が近づいているので窓も開けられないかもしれない中、様々な場所から来た人間差し詰めになった大会議室でノーマスクの坊さんが読経をする。

読経をする坊さん以外はマスクをするにしても、コロナリスク回避にはよろしい催しとは思えない。

もし無症状感染者がいたとして、それで感染拡大したら誰が責任取るんだろうか。

神に祈っても仏に祈ってもコロナは収まらないし、正直怠い催しなのでやめてほしい。

2020-08-24

もうすぐ俺の自殺未遂一周忌

だんだん8月も終わりみたいな空気になってくるにつれ

誰の邪魔にもならない死に場所を探して彷徨った日々の記憶が蘇って苦しくなってくる

いっそ自分自分一周忌でもやるか

何をやればいいんだろう

線香と仏花買ってきて読経動画でも流せばいいんだろうか

そんで甘くてでっかいおはぎでも食べて

正直おはぎを美味いって思ったことないけど

年齢と共に味覚は変わるっていうし

久々に買ってみようかな 近所の和菓子屋でさ

うんと苦い緑茶も用意して

よしこれで週末の予定は決まり


……はあ。

明日も頑張って生きるか。

2020-08-11

おぼんぼんぼぼん

盆帰りの夢を見た。

知らない親戚と畳に座して手を合わせた。新品の線香とは別に燃えさしが乗った皿があった。質が悪くて途中で燃え残った線香をそこに取り分けたとのことなので、そこから一本取って煙草から火をつけて灰に差した。

掃除に出かけて、近くの水場から桶に水を汲んだ。柄杓墓石の上から水を掛けると片端から蒸発してシュウシュウ音を立てた。今年は暑いのだなとぼんやり思った。

仏花と煙の匂い、蝉の鳴き声、遠くで話す男女の声と読経が聞こえていたが、それだけだった。ふと足元を見ると、濡れた墓石から垂れた水の中に胎児のような小さい生き物が丸くなって横たわっていた。

桶に入れて水場まで持っていき体に纏った膜のような滑々したものをすべて取ってやった。人の形をしていた。家に持ち帰るまでにどんどんと大きくなって、いつの間にか普通女の子みたいな形になっていた。

家に帰ると祖母叔父台所に立っていたので料理を手伝うことにした。素麺を茹でて、粗熱を取って、氷と一緒に皿に並べた。

胡瓜を薄く刻んで、胡麻を挽いて、赤味噌と和えたのに出汁醤油を加えて溶いた。

気づくと墓石のところで拾ってきた女の子が、皿の用意、揚げ物の用意であるとかを、まるで自分の家のことのようにやっていた。

祖母叔父も特段その子には構わず、各々の調理を進めていた。なにせ客が多い。

居間の横の縁側に面した応接間は2つの横長のテーブルに親戚が既に15名ほど集まっている。襖からは酒や煙草匂いやガヤガヤと騒ぐ声が漏れていた。

一頻り作り終えて給仕を終えたらどっと疲れてしまって、洋室に引っ込んだ。

ライトアップピアノがあったが、鍵盤が幾つかない。後ろの書架には医学関連の洋書がたくさん並んでいた。一つを手にとって読んでみたが、何にも分からなかった。

冷蔵庫にあったカナディアンクラブを飲んでいると、洋室にあの子が訪ねてきた。ピアノが弾けるとのことで、何か弾いてくれないかと頼むと、知らない曲を幾つか披露してくれた。

器用に軽やかに動く指を見ていると、段々と指の皮が萎びてきた。先程まで20いかない女の子だったが、いつの間にやらすっかりお婆さんになっていた。

その後は一緒にウイスキーを飲んだ。その人は洋室の机の抽斗に煙管を見つけ、吸い始めた。色々と話したがよく覚えていない。気がつくと目の前で燃えていた。

燃え残った白い骨をピアノ差し込むと、ポンと気持ちよく音がなった。

2020-07-30

シューゲイザー

好きだった音楽関係仕事をしていたが、職場人間関係に悩み、鬱で休職をし始めて数ヶ月経った。

生き甲斐だと思っていた音楽だったが、今となっては楽器に近づくのも怖くて、音楽聴くことすらも疲れてしまう。

散々寄り道しながらも、自分には音楽しかないと思い、ようやく進んだ道だったが、どうやら心が折れてしてしまったようだった。

この間の通院からカウンセリングによる治療が始まったのだが、職場で受けたストレスを振り返る場面があった。

私は周囲の期待の一方で、先輩・上司からの「指導」に精神的苦痛を覚えており、それを隠しながらも期待に応えようとしなければならないことに葛藤していた。

そのストレスを、何を支えに乗り越えていたのかと聞かれた時、私は酒を飲んで誤魔化していたとしか答えられなかった。

心理士は、例えば好きな趣味とか、ペットとか、家族恋人や友人とか、大切にしているものとか、そういったものがあったはずだろうと問う。

ワークシートに目を落とすと、人生サポート資源という欄に、いくつもの項目が書けるように設定してあったが、私が書いたのは酒、たったそれだけだった。


帰りの待合でもう一度考えるが、何も浮かんでは来なかった。

かに、私は多くの人の支援があって生きてきたし、感謝している。しかしながら、それが人生原動力であったかと言われたら、異なるように思えた。

私の勝手な我儘を、音楽勉強をさせてくれた両親には借金もある。

歳の離れた恋人とは、価値観の違いからの衝突が増えており、私はいつ別れ話をしようかと考えあぐねていた。

学生時代の友人や会社の同期とも、もう随分連絡をとっていない。特に病気になって会社を休むようになってからは、どうにも気まずく、殆どの友人と疎遠になっていた。

何より、自分自分たらしめるものと信じて疑わなかった音楽は、今では向き合うことも苦しいものになってしまった。

自分には音楽しかない、そう言い聞かせて進んできたのは、思い込んでいただけであって、音楽そもそも自分のものではなかったのだ。

私の精神的支柱なんて脆いものである。確固たるものなど、端から持ち合わせていなかったのであった。


まり専門性の高い仕事を選んでしまったために、他業種への転職の潰しは効きそうにもなかった。

コロナ禍の現在、自ら職を失うことがどれだけ馬鹿たこであるか、資格も大した職歴もない自分転職をすることが、どれだけエネルギーが要ることか、考えるだけで気が滅入ってしまった。

全てふりだしに戻ってほしい。

仕事のことも、恋人のことも、人生も、全て清算してしまいたい。

待合では、小さい子ども母親に抱きかかえられながら、どこかで覚えたのだろう読経の真似事をしていた。母親は疲れの滲んだ悲愴な表情で、やめなさい、静かにしなさいと繰り返している。

救急隊員が担架を運んでくる。毛布の隙間から、冷たい顔が見える。

しばらくして、両親らしい男女二人が処置室に案内される。

緊張感に覆われた空間に、ヒーリングミュージックアレンジされたショパンが流れ続け、別れの曲はクライマックスを迎える。



私は心臓をばくばくさせながら、焦燥を必死に隠して、薄汚れたジャックパーセルの爪先を睨みつけていた。


私の人生はまだ続くのだろうか。

2020-06-25

番町皿屋敷Okiku!

牛込御門内五番町にかつて「吉田屋敷」と呼ばれる屋敷があり、これがレッドスロープに移転して空き地になった跡に千姫サン御殿が造られたという。それも空き地になった後、その一角に火付盗賊改・青山播磨守主膳サン屋敷があった。ここにOkikuというゲジョガール奉公していた。承応二年(1653年)正月二日、Okikuは主膳が大事にしていた皿十枚のうちのワンプレートをクラッシュ!!

アイエエエ!?」怒った奥方サンはOkikuをセップク勧めさせるが、主膳はそれでは手ぬるいとワンプレートの代わりにとOkikuのフィンガーをセップクさせ、手打ちにするといって一室に監禁してしまう。Okikuは縄付きのまま部屋を抜け出して裏のオール井戸に身を投げた。まもなく夜ごとに井戸の底から「ワン……ツー……」とディッシュを数えるOkikuの声がエド中に響き渡り、身の毛もよだつスケアリーであった。

やがて奥方の産んだチルドレンには右の中指が無かった。やがてこの事件は公儀サンの耳にも入り、主膳は所領を没収された。

その後もなお屋敷内でプレートの数え声がコンティニューするというので、公儀は小石川伝通院サンの了誉上人サンに鎮魂の読経を依頼した。ある夜、上人サン読経しているところに皿を数える声が「ええと……ないん……」、そこですかさず上人サンは「テン!」と付け加えると、Okikuの亡霊は「サンキューフォーブリシング」と言って消え失せたという。

2020-06-23

私と信仰

深夜に変なスピリチュアル広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。

乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。

これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレート大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。

私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。

そこで思うことがあった。宗教信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分気持ちに整理をつけることができた。

この記事はそんな私の20ちょっと人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。

私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。

からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。

幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関マリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。

ああそう、あとメダイちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会神父だ。園長って呼んでいたけど)から新年度になるたびに名札につけてもらっていた。

そんな幼稚園キリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。

卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。

既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。

当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵インパクトは強烈だった。

洪水翻弄されるノアの方舟モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。

それから数年経って、小学校卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。

西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。

そこでもう一度聖書ストーリー絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。

この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃん勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。

こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。

父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるとき仏壇の前に座ることがある。

お盆お彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。

から私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的日本人宗教なのだけど、困ったことに、私はとある宗教3世にあたる血筋でもある。

名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗

ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。

この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。

から、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏著作が置いてあった。

自身学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。

から3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。

実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。

祖父が亡くなった後、葬儀四十九日法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。

違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族祖母が参加した七回忌の法要だ。

いわゆる法事から自分認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族食事をする」というものだった。事実父方の祖父法事はお坊さんを呼んでいる。

だが、母方の祖父の七回忌法要は様子が違った。

まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。

いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。

「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。

どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員法要読経をするということを知ったのは、さらそれから2年ほど経った頃だ。

ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。

母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。

昔はよく祖母の家にお盆正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。

同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由祖母の家にあった新聞書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。

祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。

別にこの記事批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。

「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。

いま色々な宗教の事を学び、宗教社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉同意したい。

信仰自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。

そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。

母方の祖母我が家の仲はいい。祖母はい一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。

けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。

少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。

大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。

大学の最寄駅前には某証人人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘そもそも来たりした。迷惑から帰れ、と総スルーかましたが。

去年なんか、右翼おっさん一般人に絡んで暴行しかけた事件証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。

彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。

スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。

思ってしまうだけで、それを思いっきネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。

何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。

ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章から、大した感想も求めていないのだ。

ここまで読んでくれた奇特な方には、こんな感じで生活を送ってきた学生が一人居るというのを知ってもらえれば幸いだ。

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