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2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-05-09

字書きといわれる二次創作者が苦手だ。

最近Twitter上で小説の表紙を描きたい・描いて欲しい系のタグ流行っているのを生温い目で見守っている。

私は、いわゆる「字書き」といわれる二次創作者が苦手だ。

だが、もともとそうだった訳ではない。

人をカテゴライズすることを失礼だとは思いつつも、そうせざるを得ないくらい「字書き」には苦い思い出しかない。

自戒と注意を込めて、過去出来事を下記に挙げる。

長文乱文につきご注意ください。

私は絵描きなのだが、ありがたいことに相互フォローの字書きから小説本の表紙イラストの依頼が来たことがある。

かに寄稿を頼まれたこ自体が初めてだったのでジャンルとはいえ、本当に嬉しかった。

数あるフォロワーの中から私に依頼が!と舞い上がっていたと思う。

表紙のデザインの打合せをして、「ああしたい」、「こういうのもいいよね」、なんて言い合いながら遂に表紙は完成。タイトルデザインも私。

気合を入れて制作したのが功を奏したのか、相手も気に入ってくれていたみたいだった。

賞賛言葉を頂いて、「ああ、頑張った甲斐があったな」と充実感を得ていた。

イベント直前、字書きは新刊宣伝をしていたので私自身の本ではないとはいえ、わくわくしながらチェックした。

新刊○×△△本表紙です。当日はよろしくお願いします!」

…ん?私の名前は?

Twitterpixivにも表紙画像付きであげているのに、紹介文に私の名前はどこにも無かった。

その後のツイートでも私に触れられることは無い。

通常「表紙は□□さんに描いて頂きました」とか書いてあるものだと思っていたけど、

この界隈はそんなものなのかな?と少しモヤモヤしたままその場は何も言わずスルーしていた。

そんな気持ちのまま、イベント終了後に「表紙ありがとう」と書かれた旨の手紙と共に本が届いた。

読了後に、奥付を確認して本当に驚いた。

奥付に字書きの名前はあれど、私の名前は一切無かったのだ。

字書きの名前は勿論、Twitterpixiv IDまでしっかり記載されているというのに、だ。

え?なんで?と頭に衝撃が走って、真っ白になったのを覚えている。

もしも表紙イラストを気に入って私に興味を持ってくれた人が…、なんて淡い期待を思い切り打ち砕かれた。

でかでかと表紙イラストを飾っているにも関わらず、この本に「私」は存在しないのだ。

普通ライトノベルでも文学作品でも表紙デザイン作者名は載っているもではないか

あんなに打合せしたのに。装丁相談だって受けたのに。睡眠時間を削って描いたのに。

全てがショックで心が張り裂けそうだった。

普通の人なら「奥付に名前記載が無いんだけど!」と抗議しそうだが生来、人の顔色を窺って生きてきた私にとっては困難だった。

この一件で嫌われたらどうしよう…。

噂を広められて活動できなくなったらどうしよう…。

そんな考えが頭を巡って、結局どうすることもできなかった。あたしって、ほんとバカ

聞いた話によると、この本の売り上げが字書きにとって過去最高の頒布数だったそうだ。

クソが。

残念なことにまだまだ続く。

上記の件もあり、すっかり疑心暗鬼になった私は表紙依頼を受ける時は、奥付に必ず私の名前を明記することを約束したうえで引き受けることにした。

今度は同ジャンルの字書きから新刊の表紙イラストの依頼があった。

奥付の件も納得してもらえたので、表紙イラストタイトルデザイン制作

問題なく入稿し、相手イベントを楽しんでいたようで本当に良かったと思った。

イベントも終わって落ち着いた頃に、新刊を送りたい旨の連絡があったので私は快く承諾。

すると字書きは

「本代○○円 送料○○円 合計○○円です。」

?????????????????????????????????

目玉が飛び出るかと思った。新手の押し売りかよ。

今まで表紙を手掛けてイベントに不参加の場合には、献本という形で送ってもらっていたので本当に驚いた。

一万歩譲って「私が表紙を描きたいと字書きにお願いした」のなら、上記の内容も分かる。

しかし、「字書きが私に表紙を描いて欲しいとお願いした」のにこの有様。

字書きは更に「振込はこちらにお願いします」と続けた。どうやら振込手数料も私持ちらしい。

印刷費厳しいのかな?と思い込むことで怒りを抑えて、支払った。

ええ、支払いましたよ。あたしって、ほんとバカ

その後、奥付だけ確認して読まずに捨てた。高い勉強代だと思った。

クソが。

そんなことがありつつも、中には好きな字書きもいた。

支部作品を読んで、その精巧な話の組み立て方、キャラクターの心情表現の緻密さに魅了された。

本職なのでは?と疑うくらいに、作品クオリティが桁違いだったと思う。

Twitter作品を紹介させて頂いたところ、ちょうどTwitterを開設したばかりの字書きの目に留まり相互フォローになって仲良くなっていった。

字書きの作品投稿されれば熟読し、いつも感想を伝えていた。

本当に好きだった。崇拝していた。

前述したとおり、私は絵描きなのでTwitterイラスト投稿する。

字書きもそれに反応して、よく感想をくれていた。

しかし、徐々に感想は私のイラストとは関係ない字書きの宣伝にすり替わっていった。

イラスト投稿すれば「イラスト素敵ですね!そういえば、支部作品投稿しました。(支部URL)○○が××する話なのですが、△△も出てきます」という具合に。

私のイラストに該当するキャラ一人も居ないんですけど…。

隙あらば日常の会話も中でも宣伝されることがあった。

最初こそわざわざ教えてくれてありがたいな、と思っていたが8割方宣伝ツイート

感想はおまけ程度、感想クレクレが滲み出た会話内容だんだん疲れてきた。

字書きにも徐々にフォロワーが増えていき、私に構うことも減ってたまに会話する程度になった。それはそれで楽だった。

ある時、字書きは「○○はこんなこと言わないw」とツイートした。

私の新刊の内容であることは明らかでそれに派生して界隈を巻き込むプチ論争になっていたようだったが、私も納得する部分があるため傍観していた。

しかし、字書きの

「私の○○はこう!誰にも批判させない!」

この発言を、私は許せなかった。

撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、とどこかの皇帝も言っている通り批判たからには批判される覚悟を持たなければならないだろうと私は考える。

しかし字書きは、批判はするけど私のことは批判しないでね☆彡ときものだ。

もう許せなかった。その思想が。神経が。

今まで積もり積もった鬱憤もあり、全てをブロックした。全てを。字書きの作品が目に入る全てを。

愛情の裏返しとは凄いもので、今まで敬愛していた作品も全部汚物のように思えてブクマを外した。

ここまでする自分の行動に自分が一番驚いた。

ぶっちゃけ最後は字書き関係ないけど、上記の以外にもいろいろあって字書きが苦手だ。

あと、字書きって聞いてもいないのに何で自分語りばかりするの?承認欲求の塊なの?

○○さんに私の作品が好きって言われました!××さんに新刊渡せた!とか、わざわざDMで送ってくる。聞いちゃいねぇ。

最近も、頼んでもいないのに字書きに新刊の紹介をされて押し売りされた。

イラスト等と一緒で絵柄の好みがあるように、小説だって文体の好みってものがある。

あと、ある字書きは奥付の記載には自分名前Twitterpixiv IDや連絡先を載せてるのに、表紙担当の私は名前だけなのは何故なの?Twitter宣伝でも頑なに私のID載せないけどなんなの?そういうものなの?これが普通なの?絵描き情報開示したら死んでしま病気にでも罹っているの?頼む治療してくれ。

絵描きだってアレな奴居るじゃん!と思われる方がいるだろうが、少なくとも私は絵描きに今までそういったことを受けたことはない。

中には良識的で素敵な作品を書き上げる字書きが居ることも知っている。

しかし、それさえも掻き消してしまうような特殊な字書き共が私の周りには多すぎた。

こうも複数人数にしてやられると、苦手にもなるというもの

いや、苦手という言葉では生温い。

私は「モラル常識が無い字書き」が嫌いだ。大嫌いだ。消えてしまえばいい。

当初述べた表紙タグ良心的な絵描きが、私のような目に遭わないことを切に祈る。

私は今請け負っている表紙イラスト小説本のお手伝いは今後一切もうやめる。

まだやってんのかよ!、と思われた方もいるだろうが断れない性格って本当に損するので今から矯正できる人は矯正した方が絶対にいい。

あたしって、ほんとバカ

もう疲れた

全てフィクションです。

2019-05-08

ゲームに出てきたことがない乗り物ってある?

キックボードが出てくるゲームってある?」とするつもりでしたが良心から検索を試みたところあるようでしたのでタイトルを改めた経緯があります

ヒモッケル駆動のエンュン゠ッ・マォォ とかはダメです(ベヒモッケル駆動トロリーバス電気で動くエンュン゠ッ・マォォ もダメです)(トロリーバスが出てくるゲームはあります

anond:20190508175122

諸葛亮の強さの秘密は知謀よりも非情さにあると私は思う。凡人が道徳的にためらうような手段を平気でとり、良心の呵責を感じることはない。

言うほど悪魔的な所業ってなんかあったっけ?

別の人と間違えてない?

それでも、君主武将、後の世の人々から絶大な支持を得ているのは、自分が属する集団の役に立っているかである。このことは古今東西の実力者にも当てはまる。

諸葛亮道徳的人格フィクションによるねつ造や誇張含む)込みで親しまれてるのであって

そんなマキャベリスト的な人気じゃないぞ

やっぱりなんか別の人と間違ってるんじゃね?

諸葛亮という悪魔

諸葛亮自分がどのような状況に置かれようと感情に流されれず、数手先を読み、敵対する相手に罠を仕掛ける。彼が感情的な態度を取るのは誰かを騙すときであり、全ては計略の一つである

諸葛亮の強さの秘密は知謀よりも非情さにあると私は思う。凡人が道徳的にためらうような手段を平気でとり、良心の呵責を感じることはない。

それでも、君主武将、後の世の人々から絶大な支持を得ているのは、自分が属する集団の役に立っているかである。このことは古今東西の実力者にも当てはまる。

何者であろうと全ての人を幸せにすることはできない。それならば敵対する相手を叩き、自分の周りにいる人を幸せにした方が良いのではないだろうか。

私は無能な善人より、有能な悪人でありたい。

anond:20190508164051

それが良心というやつだよ。両親だけに。

2019-05-07

anond:20190507102529

その「政策」を批判するのに「自衛隊員らを戦死させようとしている」と意思邪推したり

安倍総理の知性は小学2年生以下、良心幼稚園児以下だろう。」と人格否定する必要は?

anond:20190507101512

おまえの見た某かはおまえと同類品性下劣人間だったんだろうなとは思うけど

少なくとも野党議員になれる程度の品性は持ってたぞ?

小西とか言うんだが。

2019-05-06

店に売ってる腐葉土が怖い

除染で集めた葉から作った腐葉土を売る事に何も良心の呵責を感じない銭ゲバが居るから

生産地では判別できないからどうすればいいのか本当にわからない

安全な土はどうすれば手に入れられるのだろうか

2019-05-04

自治体指定水道業者でも..

実家キッチン蛇口が水漏れするということで、自治体指定水道業者見積もりを依頼したら蛇口交換で5万円だったらしい

世帯には少し高額なので、依頼をする前に見に来てほしいって言われたので見てきた

ちょっと見てみたらシングルレバー水栓のあるあるトラブル「吐水口回転部から水が漏れる」だった

某AにUパッキンを注文して交換したらピタッと止まるじゃん

工賃は別にしたって200円ちょっとのパッキン2枚だぜ

出張工賃を2万円取ったとしても半額以下じゃん

それで済むものをわざわざ新しい蛇口に交換させるのってなんなの?

老人の無知につけ込んでるの?

実際に蛇口を交換したら、ここもあそこもといろいろリフォームさせる気なの?

ネットでは良心的と書かれていることの多い自治体指定水道業者でさえこなのだったら、ネットではお高いと書かれる某クとかに依頼したらいくら取られるんだ?

もしかして指定給水装置工事事業者って自治体でボッタクリのお墨付きを与えられているってことなの?

地元自治体指定看板掲げていてもやってることは軽トラで回ってくるさおだけ屋レベルなの?

2019-05-03

本当に好きなアーティストを思うなら

本当に好きなアーティスト(以下Aと表す)のためになる結論を出すなら、他の好きなものを捨てた方が良いのではと思った。

事務所の先輩で、同じジャンル音楽をやっていて、しかもそのジャンルは売れている人がAとアーティストB(以下Bと表す)しかいない。

なのでポジション的には被るのだが、AがBのライブを観に行ったとツイートしたとき、Aのファンが「Bのライブに行きました!」とリプしたり、「AのライブはBを意識しているのかなと思っていた」というリプがあった一方、「AはAのままで」とリプする人もいて、本人宛にB寄りの路線好きな人と、そうではない人の声が同時に投稿される事態になった。

それで、集客のことだけを考えると、B寄りの路線になってもあまりファンが増えたわけではないので、B寄りの路線をやらないほうが正解。

とはいえ、AとBどっちも好きな人ある意味Bへの好きを人質に取られているようなものから、そんな結論は思いついても良心邪魔をする。

あと、この前アーティストC(以下、Cとする)がAの曲名に被せてきたのではとAの界隈で話題になっていた。

CはAと同期であるが、Cのほうが売れている。だからAのファンからすれば、格上のアーティスト自分たちアイデンティティを奪ってきたように思えたようで、それをつぶやいたツイートへのいいねがそれなりに

ついていたので、結構怒っている様子だった。

AもCも好きなファンはというと全く怒っていなかったし、この問題ガチ議論を交わすとなると、たぶんそういうファンはまぁまぁとなだめる方向に行くと思う。

でも、Aのことを考えると怒るほうがより良い道に導ける。

Bの事例でも、Cの事例でも、批判するべきものに対する情が邪魔をして、批判できなくなってしまっている。だから本当にプラスになる結論を導き出すなら、情は捨てた方が良いと思った。

悲しいけれど。

私はBは大好きだし、B寄りの路線は好き。だから好きになった部分もあるけれど、そういうファンはいくら同じAを応援しているファンとはいえ、敵意を向けられると思うと、悲しくなった。

Cは好きでも嫌いでもない。ただしこの騒動ではAのファンはめったに明確に敵意をむき出しにしないので、恐怖を覚えた。

2019-04-27

anond:20190427032635

それな。佐川理財局長も結局詰め腹を切らされたわけだし、日本自己犠牲文化はあるとは思うんだよね。ただ、それが殿様のための自己犠牲なのか、自分良心のための自己犠牲なのかってところで。殿様のための自己犠牲しかないシステムはぜい弱だよね。

日本正義の国じゃないよね

毎日新聞公文書クライシスっていう特集、読めば読むほど笑えてくる。

http://b.hatena.ne.jp/search/text?q=%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B9

情報公開法では立派な理念が定められているけど、やっぱり情報開示はしたくないから、大臣の面会や会合の出席などを記録する日程表をその日のうちに廃棄する、それを防ぐためにNPO毎日開示請求する、って関係者がみんな真面目に無駄なことにエネルギー使っている感じがとてもよい。どちらも法律を守りつつ法の穴をつこうと攻防しているのが、生真面目な日本人らしい感じがよく出てる。

今の法制度はだいたい政府はまともなことをやるっていう前提になっているから、内閣法制局長官を挿げ替えたり、公文書偽造したり、下っ端公務員自殺に追い込んだりする政府と闘ったらまあNPOその他市民社会は負けるよね。中選挙区制下でうまく働いていた自民党内のチェックアンドバランス崩壊しているのに、それに代わるシステムがないんだから


残念だけど、日本アメリカみたいな正義の国じゃなくて、暴走を止めるシステムが弱いのだな、というのを再確認している。アメリカには日本よりずっと悪い人もいるし、国のトップとしては、今のところトランプさんは安倍さんよりずっとひどいとは思うけど、アメリカには自分良心に誠実な人も多い。

大統領周辺の人間大統領命令遂行することを拒んだので、特別検察官捜査に影響を及ぼそうという大統領努力は、おおむね不成功に終わった。(ミュラー特別検察官報告書)

The President’s efforts to influence the investigation were mostly unsuccessful, but that is largely because the persons who surrounded the President declined to carry out orders or accede to his requests.

https://www.ft.com/content/0cbf2628-61d5-11e9-a27a-fdd51850994c



安倍さんトランプさんより今のところまともとはいえ北方領土で変な妥協をしたら、神武天皇以来2600年の日本史上初めての、私利私欲自分名誉)のために領土を売り渡した日本トップとして燦然と名を遺すと思う。過去日本領土を失ったのは、白村江の戦い三国干渉第二次大戦くらいだけど、どれも戦争大敗したとか、到底勝てない列強から要求を断り切れなかったとか、やむを得ない事情があったときだけだからな。ちょっとした景気後退リーマンショック級(百年に一回レベル)と呼ぶ政府から、今のロシア政府からプレッシャーも、三国干渉並みの圧力だ、とか言うのかもね。

2019-04-26

anond:20190426100604

スコ兄:朝鮮ネトウヨなので知性が全部台無し

イカ丸:周りに褒められたいだけのキョロ充 最もくだらないタイプ人間

yas-mal:隠そうとするいじましい偽装ダサい朝鮮ネトウヨ

法華狼:まあまあ知性を感じる

クイックパスト:まだらぼけみたいにたまに良心を感じさせる

名前忘れた:日本語が苦手すぎて文章で嘲けりを表現出来ず淫夢みたいに()感情書く奴 雑魚だけどなんか面白い


まだいるだろうけどなんか思い出せない

まともな人ももっといるだろけどまともな人は印象に残らないから変なのだらけみたいなリストになるね

誰も非表示にしてません

集団塾はマジでブラック(上場してても)

大学生の頃に集団塾でバイトしたことがあるんだけど、

・授業時間しか時給が出ないため前後の準備時間合わせたら実質時給500~600円

(生徒思いな先生ほど時給が安くなるシステム)

勝手シフトを組まれ

(事前に大学があるから出られないと伝えた日も、パワハラ正社員の「お前の学業なんかどうでもいいんだよ!」とのお言葉とともに無慈悲シフトを入れられる)

・ロクに研修も引継も無いまま突然クラスを持たされる

・生徒、保護者の前で社員の振りをさせられる

(パワハラ正社員に「お前は生徒と保護者の前では社員からな?」と怒鳴られたことも)

・つまりアルバイトなのに社員と同じ仕事をさせられる

(クラス主任面談保護者会、保護者連絡など。合格実績もアルバイト責任)

カリキュラムをガン無視しても、生徒や親から慕われてれば許される

アルバイト講師(男)が在籍中のJC普通にLINE交換してる

(もちろん規則上は禁止)

という職場でほんとにキツかった。

授業手抜いても良心の痛まないような、賢いサイコパスに向いてる職場だった。

生徒は可愛いし最善を尽くしてあげたかったけど、正社員からパワハラが酷いし、社員と同じ責任仕事して雀の涙ほどの賃金しかもらえないので心が壊れる前に退職した。

まあ退職の時もすごい引き止められて半ば引継資料作って飛ぶみたいな形になったけど…

パワハラ正社員はすぐ怒鳴るから嫌いだったけど、彼は彼で常に14連勤くらいしてそうだったのでその点に関しては同情してる。今も。

自分子供が生まれたら、講師は全員社員採用してる塾に入れたいな。

2019-04-23

名古屋駅駐輪場

正気か?

夜九時に閉まる駐輪場誰が使うと思ってんの?

キッテスカスカロードもっと有効活用してくれよ

こっちは路駐せずに金払って停めてんだから

キッテ前の道に路駐するよりも良い点をちょっとでもいいから作ってくれよ

犯罪を犯したくないっていう良心だけじゃもう無理だよ

2019-04-20

anond:20190420180637

まだ無敵じゃないならなんかの力を受けてるんだよ 

良心かお天道様か国家権力とかの見えないなんかを

2019-04-14

平成31年東京大学大学院入学式 人文社会研究科長式辞

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_06.html

学問学説にも流行りがあります。主流の学説に乗って論を進めると、批判リスクは減らせるかもしれません。流れに乗るのは楽なことです。しかしそれでは本当の意味での学力は身に付きません。ブレイクスルーも生まれません。たとえ一般に受け入れられている考え方であったとしても、絶えず自分の目でその拠り所を検証し、納得できなければ受け入れない勇気必要です。乗るか乗らないか自分学問良心に依り、責任を以て判断する、それが「知のプロフェッショナル」としての矜持ではないでしょうか。これは学問だけではなく、世の中の全てについて言えることだと私は思います

これ例えば世の中の大半の学識者が褒め称えているような学説でも、統計的計算方法や論拠の細部におかしいところがあると感じれば即座に受け入れなくともよく、検証対象としてもよいという意味なのだろうか?

もしそうだとすれば、さすが東京大学人文学は懐が深いと言わざるをえない。

2019-04-11

anond:20190411205232

そもそもサイコパスソシオパス俗語にすぎず、医学的には区別されていないんだけど、「精神病」と混同されやすい「サイコパス精神病質」と違って、「ソシオパス社会病質」という言葉は「社会的に作られたもの(つまり後天的もの)」とか「社会生活を営むことができる」といった印象を与えるので、そういう側面を強調したい人たちがサイコパスソシオパスと言い換えることが多かったらしい。そこから転じて、現在では「先天的なのがサイコパス後天的なのがソシオパス」とか「良心が全く残ってないのがサイコパス、少しは残ってるのがソシオパス」みたいな説明がされることもあるようだ。でも、繰り返すけど医学的には区別されてない。

anond:20190410224200

そんなノウハウ本に手を出すやつが男性に尽くしたら、大概は勘違いしてダメ男に貢ぎ倒して破滅するのがオチ。そういう意味では良心的な本なのでは。

2019-04-09

anond:20190409103515

学生だって分かるってことは、制服で来てるってことか。

随分と良心的な値段で提供してるんだな。

2019-04-08

なぜかわからないけど、ネット上で知り合いを見つけることができる

正確に言うと、知り合いの知り合い。(同僚の婚約者友達彼氏等)

主にTwitterで見つけることができる

自分はいわゆる、リアルアカウントは持っていない。

アニメ関係の呟きしかしない、フォロワー5人程度のアカウントだ。

基本的にはフォローしてる人がするRTで見つける。

でも毎回、後悔する。

なぜなら、大体、良心的なアカウントではないからだ。

同僚の婚約者が、同僚の下着を売っていたり

友達婚約者が、友達とのハメ撮りを投稿していたり

知り合いの恋人が、ナンパ師をしていたり

部署の人が、アナニー動画投稿していたり

まあ上記のようなツイートが流れてくるということは、変態アカウントしかフォローしていないということでもあるんだが。

どのアカウントも、顔出しはしていない。

でも、細かい映り込みと、会話の中で知る住んでるところ、働いてる場所でわかる。

服、カバンスマホケース、髪型食事お酒写真に添付された、居場所ツイート

なぜこんなに、さくさくと見つけてしまうのか自分でも謎だ。

なんの変哲も無いたまごアイコンアカウントでも、なんとなく気になって、遡ると知り合いだったりする。

残念ながらこの不思議能力は、日常では全く役に立たない。

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