はてなキーワード: 全身麻酔とは
【追記】
コメ色々ありがとう。そういえば手術では大量輸血が必要だったのだがそれで人格が入れ替わったのか…。
よく臓器移植でドナーの記憶が、みたいなオカルト話があるけどあながち間違いではない…のか?
推しは本当に急に変わったので加齢ではないとは思う。
変わった人格でも楽しく生きてるよ。
あと、そもそもオタクを治療するために手術した訳ではないからね!オタクは治る病気ではありません。
5年前、ある病気で入院しそこそこの規模の手術を受けた。産まれて初めての全身麻酔、そこから目覚めて入院生活とリハビリをしているうちに色々なものが自分の中で変わっていったので記録しておく。
まず前提として私はオタクなのだが、推しの傾向が180度変わった。急に。
それこそ小学生くらいから「黒髪・太眉・熱血主人公キャラ」なら無条件に好きになっていたものだったが、術後どうも食指が動かなくなったように思う。代わりに「金髪or銀髪・中性的・どっちかというと敵役」に急激にシフトチェンジしていった。コペルニクス的転回ってこういうこと?多分違うな。残念ながら頭の出来は変わらなかったらしい。
Twitterアカウントも変えた。友人からはジャンルで何か嫌なことでもあったのか、と心配されたが「手術を受けたら推しキャラが変わったんだよね〜」とは口が裂けても言えないのでなんとなくね、でお茶を濁した。正直に話したところで今度は頭の心配をされかねないので…。
術後のリハビリは「痛い・グロい・怖い」の三拍子だったが、詳しい内容は気分を悪くする可能性が多分にあるので割愛する。
病気をする前の私は所謂リョナ物が何より好きだったのだが、自分が実際痛い目にあってから全く読めなくなった。
今は多少は平気になったので楽しく購読している。嫌いになったというよりは読んでいて「イテテテテ!!」と当時の痛みを思い出してしまうからだったろう。好みが変わったからといって否定する気は全くなく、一つのフェチに特化した読み物は今でも良いものだと思う。
入院生活の間で実際に死や痛みと闘う患者さんや、それを懸命にケアする医療スタッフの方達を間近でずっと見ていたことも影響を受けたように思う。
それに以前の私はとにかく尖ったサブカル系ばかり読んでいた。流行り物なんてクソだと思っていた。
今では尖ったものも面白く読むが、流行り物も積極的に読んでいる。面白いから流行るんだよね…。
嗜好が変化したというか、受け入れる世界が広がった。
これは病気と一緒に中二病が治ったということになるのだろうか?
元気な頃はとにかく体系は細ければ細いほど美しいことに取り憑かれていた。ロリータファッションに傾倒し、毎月結構な金額が飛んでいった。軽自動車くらいなら一括で買えるくらいだっただろうが、可愛いものに囲まれた生活は本当に幸せだった。
今にしてみるとまるで他人のことのように思えるのだ。今通う店、GU。そんぐらい。バッグや靴はちょっといい物を買って、あとは周りに浮かない程度にトレンドを追い、ファストファッションを季節ごとに使い回す。
ロリータや裏原系は見るのは未だに大好きだがもう二度と袖を通すことはないだろう。これは加齢や太ったこともあるのかな。「ロリータはまず精神から!」という風潮があるが、精神がガラッと変わってしまったのが一番大きいかもしれない。
ロリータを着始めた切っ掛けにはまず私が熱狂的なバンギャルだったという事もある。
ヴィジュアル系は今でも聴く。これもやはり読書傾向と同じで、以前好きだったものも変わらず好きだが世界が広がりジャニーズや坂道系やEXILE系も好んで聴くようになった。アイドルソングはガチガチのその道のプロが創ってプロモーションしている訳で、いい曲なのは当たり前なのである。
アニメグッズなんかもそれ程買わなくなった。代わりに画集やフィギュアは一期一会なので買ってしまうが。
もし、5年前にタイムスリップが出来て、当時の私に「私は未来の貴女なんだよ」と告げたら、泡を吹いて倒れるだろう。精神的に脆い人だったので、世を儚んで命を絶ってしまうかもしれない。
だからタイムマシンが出来ても私はきっと使わないだろう。当時の私は、本当に幸せで、毎日楽しく過ごしていた。
今の私も、本当に幸せに楽しく気楽に生きている。GUの服を着て、流行りのギャグ漫画を読んで、たまにヴィジュアル系を聞きながら。
書きながら気になったのだが、もしかして知らないうちに臨死体験というものでもしたのだろうか?
とりあえず上記を50倍ほどに希釈した内容を長年の友人に話したら帰って着た言葉が、
その発想は、なかったな…
例の事件について。
URLとかめんどうだからわーっ!と思っていること書く。ただのメモ。
医療従事者でも何でも無く、ただのエンジニアなので変なところあるでしょう。
父が全身麻酔をした時は無かった。
父は高齢に入るのかな。その時は60代でした。
N=1のことなので、まあ珍しかろうといったところなのでしょうか。
でも、父だけで無く母も高齢でいつお医者さんのお世話になるかわかないし、
自分だって唐突に病気になった、事故にあったと全身麻酔うけることもあるでしょう。
その医クラの方はそこには疑問を持っていないようなのでアレ?そんなもの?と疑問。
拡散されているツイッターを見ると、ケタミンが使用されていると書いているが、どうやら間違いで
ジクロフェナク座薬の併用とのこと。(一次ソースは医療従事者しか見れない。残念。)
これ何だ?わからん(当たり前)
これがせん妄に貢献しているって考えみたい。
それとは別に訂正はあったものの元ツイートで拡散されてしまったケタミンが相当強い麻酔っぽく(副作用に淫夢があると)それでせん妄で間違いない!となっているのか、
それとも反応している人たちもケタミンではないことわかっててそう言っているんだろうかと考えている。
HUFFPOSTの記事で、今回の麻酔薬で起こる可能性は低いと思う、と麻酔医が語っている。
偽物でなければ間違いないことの一つなんだろう。
ただ、術中に使った他の薬剤でせん妄になったかもとも言っており、
これだけじゃなんともいえん!が見解なのでしょうかね。
女性の胸にある唾液を脱ぐったガーゼから抽出した液を検察が捨てたことにより
検察ってやばいね。(前から信用できなさそうなのはわかっていたけど)
ただ、その「科学的」という言葉、せん妄になったかどうかには使われないんだ、ということに疑問。
麻酔って、たくさん種類があるかと思うのですが、
それにより変わらないの?とか(これはHAFFPOSTの記事により変わることがわかった)
麻酔の量とか、性別、体重とかヘモグロビンとか知らんけどいっぱいパラメーターがありそうですが
そこで論じられないのは 何故なのか。ここも気になっている。
(判例文にはあるのかも)
雑すぎん?
ツイッターで色んな人があげている体験談、凄く貴重ですが、科学か?と言われると
「科学に付随するものだがそれ自体が科学ではない」、と言えるのでは?
前提が無いし、そもそも今回の事件だと同じ麻酔の種類を使用して初めて比較ができるのでは?
と考え出したら止まらなくなった。
せん妄を絶対条件として繰り出される仮定の社会問題とかでは無いですからね、今回。
なので科学的な証拠が必要となれば、麻酔自体にも目を向けるべきでは?と考えています。
(麻酔なんて科学じゃ無い!という感じだったらごめん。そんなことないと思うけど)
他にも今回主な争点になっているところではないけれども
女性の顔が写っている写真を数十枚撮り、警察に事情聴取される前に全部消しているとか
あとにきびを潰したり、髭触った後に手洗い、消毒をせず触診したとか
き、汚ね〜〜〜〜〜〜〜!みたいなお気持ちもある。
近所にあっても不潔かもしれんという思いはある。(注意している文くらい載せて!)(安全管理という言葉がそうってこと?)
他にもこの医院、麻酔を使用する時、患者に副作用とか説明してないの?とか考えたりもした。
それだけじゃ専門家様の言うことは絶対!という宗教感しかなかったので判例文見ないとわからないだろうな、と思いました。
あ、もう一個。
検察に残っている唾液付着したガーゼを証拠にはならないと再検査してないようだけど、これには「その通り」としているのはなぜだろう。うーむ。
疲れてしまったのでここまで。
子供が欲しくてお見合いしてまでして、好きではないけど生理的に無理ではない人と結婚した。
いざ子作りと思ったらできなくて、産婦人科言ったら男性不妊だった。
夫も泌尿器科に行ってるけど、ずっと運動率は10%前後。一向に改善してないのに主治医は、これならいつでも子供ができますよと、無責任なことを言うらしい。
だから夫も自分の責任だって思ってないし、なんならもしも子供が出来なくてもお互いさまだし仕方ないとかいう。
本当は夫要因の不妊ってわかった時点でなぜか急に夫が無理になったのでもはや妊活とかどうでもいい。
体外受精にならまだ希望はあるだろうけど、もう夫のために仕事しながら一週間病院通って、全身麻酔して、命の危険冒してまでってなってる。
30代後半で独身で同い年で同じ派遣社員で真面目で下ネタ嫌い系の女性に、
2、3回拭いてもトイレットペーパーに少し汚れるし、
その時はもう一回水洗いするか、諦めます」と言った。
僕は歩きながらやエレベーターの中でもおならをすることがある、
ただそういうことを「言わない、話題にしない」だけで。
高校生の時、全身麻酔の手術をしたとき、事前に浣腸で便を出しておかなきゃいけない。
トイレの個室で壁に手をつき、若い看護婦さんから後から浣腸された。
「ちゃんと出たか確認しなきゃいけないの。私は慣れてるから」。
こっちが慣れてないんだ。して、トイレットペーパーでちょっと隠れるようにして、
最初の優等生は、部屋に男性が居てもトイレはドアを開けたままするんだって。
先週、中絶した。
妊娠8週だった。どうしても産むことができなかった。子どもは、まだ子どもともわからないものだったけど、心拍がはじまっているところだったという。
中絶手術は、全身麻酔だから痛くないと聞いていたけど、麻酔が覚めてから今まで体験したことのない激痛に2時間ほど悶絶した(子宮が急激に収縮したせいらしい)
手術から1週間は性行為しないでください、という医師の言葉をきっちり守り、彼は1週間後に誘ってきた。
まだ血が出てるけど、まぁできなくはないかなって言ったら喜んでいて、そんなに嬉しいならよかった、と思った。
行為はやっぱりまだ痛くて、ヒリヒリとか鈍痛とかしたけど、耐えられないほどじゃなかったから、気持ちいいふりをしてあげた。
そうしたら、そうしたらですよ。まさかの中で出しやがったんですよ。
「え、だめなの。血が出ているって言うから大丈夫だと思って」って。
いや、血が出ているのは手術してまだ出血しているからで、え、聞いてたよね?隣で聞いてたよね?
生理なんてくるわけないじゃん。
見ただろ。人になりかけた赤い塊も。
なんかもう信じられなくてとっさに責めることもできず、ばかだねえ私たちって笑ってしまった。
馬鹿なのは確か。女中絶させてすぐさま中出しする馬鹿と、人ひとり殺してすぐ、そんな男を許してしまう馬鹿。
さすがに情けない。またお金もかかってしまうってこぼしたら、割り勘だからいいじゃんって、言われ。ついでにピルもらってきなよって、言われ。
は?
は?
はあああああああああああ??
毎日決まった時間に欠かさず飲んで、太ったりむくんだり吐き気したりして、それでこいつは、そんな苦労も知らないまま、気持ちよく中出しを楽しむんだなって思ったら、
ぜったい、ぜったいに飲めないと思った。
もう人殺しをしないためだとわかってる。
男女関係なんてだいたい、非対称性を孕んで維持することくらい、わかってる。
でもこれはもう、耐えられない。
正しいとか正しくないとか、知らん。平等とか不平等とか、知らん。
でもとにかく、もうこれ以上は、一歩たりとも耐えられない。耐えられなくなってしまった。
またひとりぼっちになるのだろうか。
それがやっぱり人ひとり殺した罰なんだろうか。
アラサーで結婚して1年が経ち、そろそろ子供欲しいと思っていたが生理不順でいつ子作りを考えた性生活を持てばいいかわからなかった。
最寄りの産婦人科にかかると卵巣に異常があって自然妊娠が難しいかもと言われる。
その後不妊治療の病院を紹介され、なんとか保険適用内のタイミング法で妊娠した。
もしかすると妊娠すらできないのではと思っていたので、妊娠検査薬が陽性になったときは嬉しいより安堵したって感じだった。
そして胎嚢確認し、その後もすくすく育ち心拍も確認。胎児のサイズも問題なく、母子手帳も交付。ここまでくれば流産の確率も5%くらいで大丈夫でしょうと医師が言うので安心しきっていた。
しかし妊娠3ヶ月目で急に出血があり、病院に連絡するがこの時期の出血はよくあることだから、様子見と言われる。その後1週間毎日出血が続き、量も増えているので不安になり病院でエコーを見てもらったら、赤ちゃんの心拍は止まっていた。
その前の妊婦検診ではしっかり動いていて目視でもわかった心臓の位置も、止まっていてはどこにあったのかわからず、コロンとした胎児の形をした置物が子宮内に映っているだけだった。
医師からは残念だけど…と言われて、ああ、ダメだったのか…とじわじわ実感してきた。
旦那も付き添ってきてくれていたので診察室を出たあと結果を伝えると、マジで…とそのまま無言。その後また自分だけ診察室に呼ばれ、稽留流産との診断を受けた。自然流産を待つのはリスクが高いほど成長していたから、翌日に除去手術受けることに。
会計を済ませて旦那と無言で涙を流しながら帰宅。帰宅後はもう訳が分からんぐらい喚きながら泣いた。旦那は夜勤なので泣きながら仕事へ。
自分も少し落ち着いた後、職場の本部長に経緯を話し、手術をするため数日休みを貰うことにした。妊娠は直属の部署の人には報告していたので、本部長から経緯を説明してもらうようにした。いちいち1人ずつ説明するの辛いし…。その後経緯を聞いた先輩から、来週は元気に出社してねとLINE。まあそんなもんだよね…。
翌日朝9時に再度来院し、個室に案内されて11時から手術になった。旦那はずっと個室で待機。
前処置が辛いと先人のブログ等で拝見しビビっていたけれど、点滴打って麻酔が効きやすくなる注射を尻に打たれただけで、そのまま手術室へ。全身麻酔で即寝しているうちに手術は終わっており、前後ともに痛みも何も無くて安心した。ただ、麻酔からなかなか覚めず、車椅子で個室まで運ばれたらしく、その間ひたすらウーウーと唸っていたらしい。怖…。
目が覚めると個室のベッドの上で、麻酔がまだ残っていて目眩と吐き気が強いので、3時間ゆっくりさせてもらった後、もう一度子宮のエコー見せてもらい、中が空っぽになったのを確認して退院。16時には病院を出た。
病院内にはたくさんの妊婦と、産まれたての赤ちゃんがいて、幸せそうな空気でいっぱいだった。
手術方法は掻把法(そうは)と言って匙で書き出す方法か、機械か真空の筒で吸引する吸引法が主流みたいで、私は吸引法だった。翌日から出血すら無く、痛みもなくてびっくりしているんだけど先生の腕が良かったのかな。
金額は4万ちょっとだった。手術なので保険がおりるらしく不幸中の幸い。親からは美味しい物を食べるように言われ、妊娠中食べれなかった寿司を食べた。美味しかった。辛くても食欲はあったんだよね。手術絶飲食だったし、、、
帰宅し、マタニティウェアや母子手帳、お腹に赤ちゃんがいますのストラップを見てまた泣いた。でも、妊娠すらできないと思っていたので、妊娠できることがわかっただけ良かったと思うしかなかった。
もし、また妊娠して、また流産になったらと思うと、あまりにも怖すぎるけれど、旦那と話し合ってもう一度不妊治療の病院に通院し、1から頑張ることにした。もしかすると次は妊娠すらできないかもしれないし、すぐ妊娠して何事もなく産むかもしれないし、やってみなくてはわからない。
8日
出来たかも?
喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい
検査薬 陽性
んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかないかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜
でもほんおいまらら
と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない
22日
初診
下の子を出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ
ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後の生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度
来週また診てみましょうとのこと
夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……
体がしんどいと思考がネガティブになったり普段は何てことない子どもの声にいちいちイライラしてしまう
つらい
翌月8?9?日
胎芽やっぱり確認出来ず
そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかわからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)
なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子どもの相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。
まぁまだ確定ではないんだけど
子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情
誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体に問題がっていうより精子とか卵子とかに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さない旦那がしょんぼりしてたのはちょっと切なくなった
改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた
診察だけでも数千円かかるから……
なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………
8日
9:00
昨夜22時〜絶飲食
お腹すいた
「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち
処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望
終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす
10:00
点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。
その後処置室へ
10:25
処置室へ
寒い。
処置どうこうより「全身麻酔で意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた
10:40
処置開始
全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は
「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」
知らぬ間に数十分過ぎてた
運ばれてるんだろうなー
「捕まっててくださいね」
ベッドに移動したんだろうなー
などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)
薬を嗅がされて…みたいなドラマやアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる
気付いたら個室ベッドの上だった
血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)
そしてまた眠る
11:15
初めて目を開けながら喋れたのがこの時
「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」
たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた
たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず
とにかくいろんな夢を見てた
12:47
起きる
13時過ぎ
しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー
痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む
食後診察
お腹すいた
こちらで用意するものは診断書(保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…
帰宅後の様子
1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)
でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝
翌日
再診
出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可が下りる
貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー
翌々日
寝て過ごす
昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む
翌々々日
あれー身体かるーーい!と思って朝から家事をバタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ
しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった
しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…
和歌山の特異性の根源は色々ある。
今もなお市のシンボルとしてそびえる和歌山城、また県庁脇の交差点には史実では徳川幕府を立て直し、ドラマでも「暴れん坊将軍」として名高い吉宗公の銅像とともかく徳川御三家のプライドを、特にその周辺住民の意識に深く刻みこんでいる。
高野山。
言わずと知れた日本仏教の聖地。空海が平安時代に開いたその地は世界遺産にも登録され、より一層存在価値を増し観光地としても世界的に注目されている。参拝者数日本一の寺院、成田山新勝寺も高野山真言宗の一流派、根来寺(和歌山県岩出市)の下部組織に過ぎない。
熊野古道。
神武天皇にも由来する日本サッカー協会のシンボル八咫烏、落差日本一の那智の滝などの熊野三山が平安時代からの信仰対象として貴族や朝廷でも人気があり、その参詣道としての熊野古道が世界遺産になったことで、県で最も経済的価値の無かった山間部でも経済効果を生み出している。
かつては同社の主力工場でもあったため、和歌山市には企業城下町の文化が今なお根付いている。ノーリツ鋼機や島精機をはじめとする様々な企業の発展もその恩恵に預かったと言っても過言では無い。
野球。
現在の県立桐蔭高校の前身和歌山中学が今で言う甲子園の選手権に第一回大会から出場し第7回8回の大会で優勝した。それで野球文化が広がり住金野球部の活躍からかつての箕島高校や現在の智弁和歌山などが活躍すると同時にそれら以外の学校からも今なお多くのプロ選手が輩出され続いている。
トルコとの友好。
明治時代、トルコのエルトゥールル号難破を潮岬周辺住民が救助活動したことにより日本との友好関係は現在も深く繋がっている。
生誕地。
がんばれ前畑の前畑秀子。
生誕地。
華岡青洲。
豪商。生誕地。
パンダ。
梅。
醤油。
発祥の地。
hyde生誕地。
コブクロ。
志磨遼平生誕地。
小林稔侍。
生誕地。
玉置成実生誕地。
このように、和歌山県は自慢ポイントが県内各地にあり、多岐に渡るため特異な県民性があると思う。本州最南端で山間部に囲まれ大阪や奈良からも隔離された地理的要因もあるのだろう。
そういった点では指摘された「独立国」というのもあながち的外れではないし逆に個性として主張すれば発展する要因になるかも知れない。
※深夜に思いつきで書きなぐったものなので誤字脱字などがあったりごちゃごちゃして読みづらいかもしれませんがよろしくお願いします
僕が15歳2018年年3月〜4月に精巣捻転症になりました。そのことを忘れないように書き留めておきたいなーと思いつつできていなかったし周りの学校の友達などには言えずモヤモヤしていたのでここに残しておきたいと思いました。
まずそもそも睾丸捻転症とはどのような病気かといいますと精巣内の血管がねじれて精巣に血液が行かなくなり精巣が壊死するというものです(間違ってたらすみません)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%B7%A3%E6%8D%BB%E8%BB%A2%E7%97%87 (詳しくはwiki)
もしこの病気にかかったら六時間以内に病院に行って手術をしないとそれ以降は成功率が格段に落ちます24時間をすぎるともう無理と言われています
僕がこの病気になったのが3月の中旬くらいの卒業式が終わったあたりから左の方の睾丸がいつもより腫れていておかしいな~と思いつつ親に言う恥ずかしさもあり少したてば症状も収まるだろうと思い放置してしまいました
その後一週間後くらいに中学生から高校生という間もあり春休み期間が長かったため祖父母の家に帰省することになりました。新幹線で行くことになり新幹線に乗りましたが車内で流石に痛みに耐えきれずに親に連絡して祖父母の家についてから近くの泌尿器科に行くことになりました。その時は発症してから時間が立っていたことから精巣上体炎なのでは?と言われ次の日に総合病院の方に行くことになりました。この時気づいたのですが熱は37.5くらいで普段より高い状態でした(手術するまでこの体温のまま続きました)そして次の日病院に行ったとき詳しく調べてもらい精巣捻転か精巣上体炎のどちらかと言われました。症状の重さやもう精巣捻転なら精巣がだめになっているのでとりあえず薬を飲んでみて落ち着くかどうか見てみようということになりました。そして薬を飲んで一週間後にまた行くことになりました。薬を飲み腫れは少し治まったので僕としても精巣を取らなくて済むと安心し始めていました。一週間後また病院に行き収まったことを言うとまだ完全に治ってないから家に帰ってからまたそこでまた病院に早めに行ったほうがいいといわれたので行くことになりました。前に家族の中で入院した人があった大きな病院の仙台赤十字病院に行きました。行って診察でエコーを受けて診断されたときこれは「睾丸捻転だねもうこれを残してもしょうがないので切除してもう片方も捻転しないように固定する手術を明日しよう、ここまで耐えてられたのは捻転が一回転したのではなく途中で半回転くらいだったからじゃないかな」と言われてその日のうちに入院することになりました。その診断を受けたときは一気に具合が悪くなりめまいが激しく起こったりしました。その後血液の検査などを受けて病院に入院しお風呂などなどを済まました。その日の病院食はくっそ不味かった覚えがあります。その夜は全然寝ることができず何回も嘔吐をして体調は最悪でした。そして次の日も熱を測ると38.0くらいまで上がっていて体が手術を拒んでいました。手術室の前まで行きましたがお医者さんに無理して今日手術するのはやめようということになって一週間後に手術することになりました。そして家に帰ってからは横になりながらダラダラ過ごしてリラックスすることができました。(家で過ごすと本当に落ち着きます)そして一週間後また病院に行き入院しました。相変わらず病院食は口に合わずコンビニで弁当を買ってきてもらって食べたのを覚えています。その日の夜は嘔吐などもせずにそのまま眠ることができました。そして手術の日浣腸などをして準備をしっかり整えて手術室に向かいました。手術室に入ってからは全身麻酔をすることろからだったので麻酔から始まり記憶が薄れて気がついたら手術終わった後でしたこの手術前から後までが本当に一瞬だったのでびっくりしました。
それからベッドに戻り麻酔が切れてきてからが辛くなりました。体の一部を切ったので動かなくてもすごく痛かったです。特にトイレをする時立つことすら痛くて出来ず最初は尿瓶にしていました。おむつのようなものをつけていましたがそれをずらすのだけですごく痛く大変でした。そして一日一回先生が来て菌などが入らないように絆創膏?みたいなのを取り替えてくれるのですが取り替えるときがとても痛くて耐えるのが辛かったです。二日目からは前日から動いていないのでそれを徐々に慣らすのも兼ねてトイレまで歩いて行くようになりました。体の向きを変えること体を置きあげること立つこと歩くこと全て日常的にやっていることが大変ですごい苦労しました。それを次の日も続け手術から四日目で無事退院することができました。担任してからも数日間は辛いのが続きましたが徐々に慣れていき普通の生活に戻ることができました。
僕はこの病気にかかったとき医学が進歩している今でも睾丸を片方切除しないといけないというほどの病気があるのかって最初に思いました。この病気が起こる原因ははっきりとしていなく起こる原因もわからないことが多いそうです。このような病気に自分でかかってしまったショックがすごく大きかったです。まあ片方の睾丸があれば大丈夫と言われているやおこた病気が外見で見えるところじゃなくてよかったと自分に言い聞かせて今は過ごしています。これからこの事でたびたび問題が起こると思うのですが頑張って乗り越えていきたいと思います。この病気自体4000人に一人と言われていて男性の10代から20代の人なら起こる可能性が誰でもあるのでもしこの記事を読んでくれた若い男性がいるなら頭の片隅にこのことを覚えてくれたら嬉しいです。
たまたま先日大腸カメラを初体験したタイミングで胃カメラ日記を読んだので、私も書きたくなった。
軽い気持ちで受診した大腸肛門科のレントゲンで、下行結腸が細くなっていると指摘され、カメラをやることになった。
前日用に朝昼晩のレトルト検査食セットを処方された。普通のレトルト食品と変わらない味で量も十分だった。
前日用の下剤がよく効き、深夜のうちに数回下した。
当日午前中、2リットルの下剤を飲む。コップ1杯の下剤を10分かけて飲む、もう1杯、10分かけて飲む、水を1杯、5分かけて飲む、でワンセット。これを5セット繰り返す。
寝不足のせいかなかなか効き目が現れず、ラジオ体操したりお腹をさすったりして忙しい。クリニックがポケモンジムなのにレイドに参加する暇はなかった。
13時に、尻に穴の開いた紙パンツに着替え、点滴を入れて狭い検査室に通された。血圧計や心拍計に繋がれ、横向きになってドクターを待った。
ナースが私の腰と肩に優しく手をのせて、ぼうっとする薬を点滴しているから眠くなったら寝てていいですよ、と声をかけてくれた。私もそのつもりだった。
経験したことのある友人たちからも、変な感じはするけど痛くはないと聞いていた。
ドクターは、強い近視の私には顔は確認できなかったが、声が優しく穏やかな雰囲気だった。
いよいよ始まった。
器具が肛門を通る瞬間は気持ち悪かったけど、そういうものだと思っていたので緊張もなく乗り越えられた。
そして、カメラが奥に入って、入って……?
「痛ーーあーー!」
「痛いよね、ごめんね」とドクター。
私の呼吸はハッハッと短くなり、手の先が痺れ、口はカラカラになった。目も開けていられなくて、ドクターとナースの会話だけが耳から入ってくる。
「ドキドキしてるね」「すごくドキドキしてますね」「増田さん、深呼吸して」
痛みがマシな隙にフウフウと深呼吸する。ああこの感じ、遥か昔経験したことあるわ。陣痛だ。ヒッヒッフーとかやるべきかな。それどころじゃねえわ。
「あー、これはすごいね。グニグニに曲がってる。ヨッと。うーん、進まないねー。増田さん、体勢反対向きに変えられる?」
術着がはだけるけどもそんなことを気にする余裕はなく言われた通りに体を動かす。ドクターの指示でナースが私のお腹を上へ下へ右へ左へと引っ張る。
お腹の中にカメラの存在感を強烈に感じる。痛い!痛い!力が入ると余計痛いだろうから叫んだりはしない。吐く息とともに「いたたたたたた」となんども漏らす。
お腹の中のものを早く出したい!もう産ませてくれ!やっぱり陣痛か!
痛い箇所があって、そこを過ぎれば痛くないんじゃないか、もうすぐ痛くなくなるんじゃないか、そうあってくれと祈ったが無駄だった。
ドクターが休み休みやってくれてたんだと思う。カメラが移動しないときは多少楽になる。でも、奥まで入れないわけにはいかない。
最後は仰向けにさせられて、腹を中から突き破られるような痛みと圧迫感に血の気が引くのを感じながら、ドクターの腸内実況を聞いていた。
「もう一回入れろって言われても俺ムリだわー」
おそらく本気ではなくて、痛みに共感を示してくれているのだと口調でわかった。
で、奥に到達して終わりではなくて、戻りつつ中の様子を診察するのだ。
上行結腸、横行結腸、下行結腸はスムーズに進むが、S字結腸に入ると、カメラの前をすぐに壁が塞いでしまう。
腸をまっすぐに伸ばしながらでないと、カメラに何も映らないのだ。
検査後、処置室のベッドでガスを出しながらうとうとした。腹の中のものを産ませろって気持ちが強く、ガスの大きな音も全く恥ずかしくない。
ちょっと意外なくらい、丁寧に説明してくれた。腸のことに詳しくなった。
私は子宮がない。とある病気で全摘した。その病気に関連して内膜症がびっしりとできていたため、摘出手術のときに腸側もだいぶ焼いたと聞いている。
子宮があった空間には、S字結腸が降りてきて収まる。そして癒着する。
どんな形で癒着するかは運任せで、私の場合、折り畳まれたような状態でくっついてしまった。
ほとんど完全に塞がれたようになる人に比べると運がいい方だけど、構造的に非常に便秘になりやすい。あと、腸カメラが痛い。
レントゲンに下行結腸が細く写っていたのは、S字結腸が下に溜まって引っ張られていたから。
腸の中は何も異常なくきれい。
私は以前に過敏性腸症候群の便秘型と診断されたことがあったが、今回否定的という結果が出た。こういうこともカメラで分かるとは知らなかった。
腸カメラは痛くないものと考えて、ほとんどの人は問題ないと思う。でも、何らかのお腹の手術を受けたことのある人は、私みたいな目に遭うこともあるので担当医とよく相談した方がいい。
検査結果の紙に、
3年に一度程度大腸内視鏡検査を受けることを勧めます。癒着があることを伝え、上手な先生にしてもらう事。
とメモがあった。
それ鎮静剤じゃなくて全身麻酔。
自殺って他のとくらべると「自分の意思」でやっているわけでしょう?
自己責任じゃないの?
本人が書いた遺書があって、
「こういう理由だから死にます」とか書いているなら検討の余地あるよ?
でも、普通に「今が嫌だから死にたい」というタイプも居るじゃん。
「生きがいがないから」とかその他色んな身勝手な理由で死にたいこともあるでしょう。
「死ぬ」という選択を自分でした以上、他人が文句いって良いわけではないと思う。
それを他者が勝手に「自殺の原因ガー!」とか「周囲ガー!」と言い出して
眠りにつくように楽に逝けるようなさ、そういうもの。全身麻酔と空気注s
安楽死については、まぁ、置いといて。
「ピンピンコロリ」元気で悔いが残らないような急死を誰もが望んでると思う。
病気で、(老衰含めて)元気になる見込みも無いのに延命治療するような、生存者のエゴ的なやつ。
わたしはブスだ。「ブス」と聞いてみんなどういう顔を想像するんだろう。わたしは「目や鼻だけがブスであとは普通」みたいな「のびしろのあるブス」ではなく、顔の骨格が日本人女性の平均より一回り大きく、配置がとっ散らかっていて、各パーツがこれでもかというほど醜い、何というかマジモンのブスだ。
中学は共学だったので男子生徒にかなり迫害された。わたしの顔を罵りにわざわざ別のクラスからやって来る人がいたりとか。
面と向かってブスとか死ねとか言われ続けると次第に人はおかしくなってくる。わたしはマスクで顔を隠すようになった。
ルッキズムに関する書籍を随分読んだ。わたしがぶつけられたような「ブス」「死ね」にまともに取り合う必要は無いことを学んだ。
それでも「ブス」でいるのはとても、とても苦しかった。
二十歳を過ぎた頃、整形に踏み切った。目鼻をかなり直した。それぞれのパーツはまあ整ったけれど、全体として美しい顔であるとはとても言えない仕上がりになった。上述の通り骨格がとにかくゴツいから。顔がでかすぎる。余白が多すぎる。整形では直し難い「土台」の部分がめちゃくちゃ醜い。というかパーツをちょっと直しただけで美しくなる顔は元から「ブス」ではないと思う。
次は輪郭を削るつもりだ。もう既に虚無感が凄い。どうせ大して変わらないのが分かっているのに整形がやめられない。
ほぼ整形のために生きている。やりたいことが他にない。ほんとうに空っぽな人間になってしまった。
整形を始めてすぐの頃はまだ夢を見ていて、顔が良くなったらいろんな出会いの場に行ってみたい、とか思っていた。25点の顔でも75点くらいまでにはなるんじゃないかな、と期待していた。フォトショで加工するんじゃねーんだから。実際はせいぜい35点くらいの顔になっただけだった。
整形は魔法ではない。というか根本的な問題はきっと「顔」ではないんだと思う。でもこういう生き方しかもうできない。
とにかく自分に自信がない。技術が進んで、この先もしも劇的に顔が良くなることがあってもたぶん変わらない。ずっと自信を持てないまま。ずっとマスク。
双極II型障害と診断され、あらゆる薬を試したが効果がなく、3年前に修正型電気けいれん療法(m-ECT)を受けた。
現在は別の病院に通っており、双極性障害の治療薬ではなくコンサータとデパスの頓服で凌いでいる。躁鬱なのか発達障害なのかあるいは両方なのか、結局よく分かっていない。
結果から言うと、電気けいれん療法は受けなくても良かったと思う。
当時20代で、ブルーカラーの非正規労働をしており、入院のために退職した。辛うじてギリギリ出勤できるレベルのうつ状態と希死念慮がだらだら続き、数ヶ月おきくらいで比較的マシな状態が発現するという具合だった。よくあるパターンではないかと思う。
電気けいれん療法は入院が必要で、全身麻酔下で施術される。数週間で6回くらい繰り返す。
一応効果はあった。2回目くらいで希死念慮が軽くなった。胃部不快感もなくなった。
副作用についてだが、人格が変わったり知能が落ちたり大きな記憶障害が起こるということはなかった。
ただ、施術前数ヶ月の記憶は多少曖昧になっている。もっとも、これはECTの副作用でなく単にうつ状態が酷かったからかもしれない。幼少期の記憶もしっかり残っているし、危なっかしいイメージに反して大きな副作用はないと思う。
強いて言えば、「現代医学におけるありとあらゆる治療を尽くした」という点で気持ちの区切りを付けることができ、諦めの境地に至ることはできた。