はてなキーワード: マラソン大会とは
その友人たち視点だけど、近い状況に出くわしたことがあるよ
違うのは、結婚報告をしてきた友人とは今も普通に付き合っていることかな
私の友人の場合は結婚願望が強くて常に「結婚したいよ~」「さびしいよ~」「誰かいないかな~」と言って毎週毎週独身の友人(全員腐女子)を集めてはお泊り会を開くというタイプだった
毎週誰かしらその子と会っているのに、誰も彼氏がいることを知らなかったし、状況と発言からして、私は「いないのかな」と思っていた
まあ腐女子の、つまり趣味で集まっている仲間なので、誰に彼氏がいるとかいないとかはいちいち聞きもしないし話もしなかったから知らなくても当然だとは思っていたけど、上記のように自分から「ひとりでさびしい」アピールを散々してきた友人から、突然「学生のころから付き合っている人がいて結婚します」宣言をされたときは結構腹が立ったかな
私たちはそのことをよそで話題にしたことがないので、他の友人たちがどう思ったのかは判らない
趣味仲間という集まりである我々における「既婚」か「未婚」かは「学生」とか「社会人」とか「実家住まい」などと同様の扱いで、遊びに誘う際に考慮する必要があるというだけの属性なのでどうでもいいことなんだけど、さびしい独り身アピールを続けて独身の友人ばかりを集めて毎週遊んでいた子が喪女じゃなかったというのは衝撃だったね
なんで言わないのかなーと思ったよ
もちろん彼氏や旦那さんがいる子もいるけど、そういう子はあんまり呼ばれなかったみたい
オタクコミュニティの交流ツールとしてのツイッターで報告する必要あるか? と思ったし、自分の結婚指輪の写真を載せて「指輪をしていないと落ち着かない~手を軽く感じる~」とか「結婚写真撮りました! 欲しい人は言ってね~」とか、舞い上がってトチ狂ったことを言い出したときは「こいつやべーな、しばらく遊びたくないな」と思った
別にツイッターに載せるのは構わないけど、オタクアカウントでそれするか? ってね
直接会うメンバーならともかく、オタクの話題しかない、本名も住所も年齢も判らない相手ばかりの世界なのに
例えるなら「板違い」「該当スレでやれ」みたいな
腐女子はよくジャンルごとにツイッターのアカウントを分けるけど、そういう風にプライベート用のアカウントを作ればいいじゃんと思った
アニメや漫画の話が並ぶ中で、プライベートの話題ばかりを口にしているのは浮いていた
私は直接会って結婚報告を受けたメンバーだったのでその場ではすごくめでたいことだと思ってお祝いもしたけど、その日はオタクの遊び予定で集まったので元増田のように15分も話題を続けなかった
聞いて欲しそうにしていたけど、これから映画を見に行くのにその話ばっかりしててもしょうがない
報告があるから集まって~って話だったら違ったよ
だから後日あらためてパーティもしてあげて、ご祝儀だってあげた
でもやっぱりプライベートの話をオタクコミュニティに垂れ流し続けることに対しては、なんだコイツ感があった
しばらくしたら目が覚めたのか、彼女はネットで結婚生活を話題にすることはほとんどなくなった
彼女の「旦那さん」は、自慢をするツールとしての旦那ではなく、生活の一部としての旦那になった
数年経った今では普通に友人として遊んでいるよ
だけど、あの時はスッゲー腹が立ったね
長い付き合いの中、喧嘩することもあれば距離が近くなることもある
そういう波の中のひとつだったと思っている
20代のころ、合コンで自分だけが後日相手の男性と付き合うことになったことがあるんだけど、そのときの女メンバーには無視されたし、その男性とはとっくに別れた今でも遊んでくれないよ
向こうからしたら「一番年下でたいして美人でもない喪女を人数合わせで誘ってやったのにひとりだけ彼氏作りやがって」って感じだったのかな
自分以外の女性は30代後半~40代で、言いかたは悪いけど私よりも焦っていて独身コンプも強かったのかもしれない
非モテアピールの女芸人が結婚すると、他の女芸人がふざけて責めるような発言をするというネタがあるけど、そういうのと同じじゃないかな
マラソン大会で「一緒に走ろうね!」と言っておきながら最後に追い抜くとか、テスト前に「やべー全然勉強してねー」と言いながらめっちゃしてて高得点取るとか、そういう感じ
http://anond.hatelabo.jp/20160609151641
これを読んで思い出したので書く。
T君はおとなしい子どもだった。
とても。
今になって思えば、T君は何らかの障害があったのだと思う。
小学校高学年になっても親指を吸い、しばしば涎が見られ、発する言葉は不明瞭で、図工は幼児のような絵を描いていた。
私たちが通っていた保育園と小学校は学区の中では最大の規模だったため、
小学校の新入生のうちの過半数、中学校でも新入生の過半数があらかじめT君のことを了解していた。
他の男の子たちは小学校に上がると名前+君づけ、中学校では苗字+君づけで呼ばれたが、T君は「Tちゃん」のままだった。
私もTちゃんとしか呼んだことがないので、以下Tちゃんとする。
昔の小学校にあった謎の慣習、連帯責任によって、同じ班の人は忘れ物をした人と同じ罰を受けた。
なので、Tちゃんには特例が用いられた。
誰が言い出したわけでもなく自然とそうなって、学年が上がってもそれは引き継がれた。
ただ、「終わりの会で忘れ物をした理由を全員の前で話す」というミッションは免れず、
理由と言っても、「うっかり忘れました」と言うだけなのだが、Tちゃんにはそれさえ難しかった。
あの頃の男子の遊びの最上位はキックボールで、終わりの会が長引いたら
その間に他のクラスの奴らに校庭のコートが取られてしまうことが一大事だった。
しかしそのことでTちゃんを責める子はいなかった。誰も思いつかなかったのだと思う。
マラソン大会のとき歩いている子がいると「不真面目!」「さぼっている!」と糾弾されたが、Tちゃんには誰も言わなかった。
みんな、そういうものだと思っていた。
しかしあるとき、Tちゃんの体操服の背中にくっきり上履きの跡が残っていたことがあった。
複数の目撃者によると、同じクラスのY君が突然Tちゃんの背中を強く蹴ったとのことだった。
これも今になって思えば、Y君にも何らかの事情があったのかもしれない。
いつの時代も嫌われ者で、たとえば男子にはへいこらしたりホラを吹いたりして馬鹿にされ、
その鬱憤を女子や下級生に暴力を振るうことで晴らしていたので、本当に誰からも嫌われていた。
その日はいつものようにY君と女子の間で諍いが起こり、いつものようにY君が言い負かされていたところに
偶然Tちゃんが通りかかり、Y君が何の脈絡もなく飛び掛って蹴りつけたらしい。
これはクラス全員が怒った。
怒った理由は一致していたと思う。
「Yが卑怯なことをした!」
だったと思う。
このことで、クラス内に「Yはいじめてもいいよね」という空気が出来た。
しかし、うずくまるY君に数人の男子が蹴りつけたところで、誰もこの状態に慣れていないことに気づいた。
一対一、あるいは複数対複数のケンカなら見たことがあるが、一人を寄ってたかってという光景はなかなかショッキングだった。
女子は「ちょっと、男子ぃー、それくらいにしといたら?」と言い出すし、
俺たちにとって大事なことは何だ、キックボール、そうだ、キックボールだ!
今こうしている間にも他のクラスの奴らが……ああ、こんなことしてる場合じゃねえ!
と我先に校庭に飛び出した。
Tちゃんが暴力を振るわれたと聞いたのは、保育園から中学校の11年間でその1件だけだった。
誰もTちゃんをいじめようとは思わなかったけど、庇ってあげようとか親切にしてあげようという気も無かったと思う。
高校生になってから、母にTちゃんが隣町の高校の分校に進学したと聞いた。
なんでまたそんな遠い学校に?っていうかそんな学校聞いた事ないけど?
と当時は思っていたけど、ずいぶん後になって、障碍者学級のあるところなのだと知った。
また最近になり、甥の小学校の撮影係として母校に駆り出されたときに用務員として働いているTちゃんの母親と偶然会い、
まだ20代で大学生という身分ではあるが、正直自分としてはそう感じていない。
「大学」自体に憧れなんてなかったし、結局は高校の教師や家族から口酸っぱく言われてやってきただけだった。
小学校5年生まで勉強は普通にやれていた。だが、学校に行くことが当たり前としていた自分の中では、学校そのものが苦痛に感じていた。
生徒であっても担任から人格を否定され、同級生達が馬鹿にしてくる理由が分からない。
その頃から生きる意味さえも見失い、毎晩コンクリートの壁に何度も頭突きをし、5メートル程の高さのあるベランダで真下を見るようになった。
親に勝手に入らされた習い事も相当のストレスだったが、それ以上に平日の朝を迎えることが自分にとっては絶望に感じていた。
その日記帳には指定された字数を書かなければならなかったが、当時の自分は家族と一緒じゃないと出掛けられなかったし、ゴールデンウィークの休日はずっと家にいてもおかしくない生活だった。
そんな自分はだんだん書かなくなり、当然怒られるのと同時に頭部を殴られる。あの時は苦痛でしかなかった。毎朝出るにも吐き気が増し、何の理由もなく夜更かしすることが多かった。
そんなことがあったが無事に小学校は卒業し、中学に入ってリセットはされる筈だった。
馬鹿にされることは変わらない。「そんなことの何がおかしいんだ!」と言っても結局はあいつらの暇な玩具みたいな存在でしか見られてなかった。
救いとしては今でも飲み交わしている文系部活の友人達だ。もし彼らに会っていなければ、自分は本当の孤独になっていたのかもしれない。
それは「受験」というものを理解していなかった自分のツケが回ってきたのと当時の学校教育のシステムに疑問を持たなかったことだ。
私立の高校だったが最終的に思い出すのは「まるで監獄のような所」という印象でしかない。
教員の中には授業の途中で変更された人もいたので名前すら覚えることがなかったからだ。
部活は運動部に所属してみたが、大して記憶には残らなかった。それよりかは自分が好きでやり通していた趣味の方に力を入れていたのかもしれない。
結局自らのねじ曲がってしまった人格を変えることはできなかったが、中学時代に戻りたいという後悔が残っている。
後悔の一つとして親友ではないが、ある女子生徒が自分を褒めてくれたことを今でも時々思い出す。
ただの思い違いではあるが、別の意味で緊張して頭の中でおかしいと思うくらいのレベルだった。
恋煩いとは認めたくないが、その頃見ていた夢にはある女性が映り続けていた。
少々ぼやけてはいたが、話しかけてくれた彼女の容姿に似ていたのだ。
ある時は連絡先を交換、またある時はマラソン大会の応援席から見える姿、同級生からアプローチを掛けられている彼女をずっと凝視、田舎の駅で二人揃って話し合っていたりしていた。
それまではB級スプラッター映画のワンシーンみたくグロテスクな夢しか見ていなかった自分としては何故か寒気がした。
もし彼女に会えるとしたらあの時できなかった「普通の会話」をしたい。叶わないただの願望ではあるが、ただそれだけである。
そして、現在は派遣のバイトで多少の小銭を稼ぎ、好きなことに投資している。
強制ではないので休めるし、少し金銭的に余裕が持てるようになれたと実感している。
ただ、問題視されるのは就職先の事だろう。大学生としてなったからにはモラトリアムを金で買ったも当然である。
自分は不器用な人間だからそれ以上に他人に認めてもらう力がないといけない。日本社会は学歴や新卒制度によって決定することは変わりない。
世の中には高卒でもある程度の地位や幸福を持っている人がいることを知ったし、共依存までとはいかないが、協調社会の中で生きる為には自分を営業として売る術がないといけないと思う。
若い人達は学校に行くことが当たり前であるかどうかまでは分からないが、これだけは譲れないというプライドの持てるモノを一つでも身につけてほしいと願っている。
俺25歳でゆとりど真ん中なんだけど、あれみんな勘違いしてると思うんだ。
徒競走で手を繋いで一斉にゴールというものを”競争をしない、好まない”ことの象徴とする人が多いけど、
本当は競争がなかったわけではなく競争が表面に出なくなって何をやっているのかわからなくなっていったんだと思う。
徒競走って全員参加じゃないのよ。各々どの種目に出るのか事前に決めておく。
運動会のなかで徒競走は目玉の一つであり、おのずと志望者と定員の倍率は高くなる。
体育の授業を使っての選考会や学級会で割り振りを決めるわけだけど、
当然でそこで強い権限をもつのは運動神経の良い者やクラスの中心人物である。
徒競走なんて皆に注目される場には綺麗なスター級しかでてこないの。徒競走に参加していることそのものが勝利だった。
そして旧世代では徒競走のビリになっていただろうタイプといえば、校庭の隅で走り幅跳びか砲丸投げを行っているんだよ。当然誰も見ていない。
配点にも競技で偏りがあって、走り幅跳びや砲丸投げなんて勝っても微々たるもので全く存在感なんてない。
めちゃめちゃ練習して体育でいい成績残したって、学級会で支持を得られなければ結局選ばれない。
運動会そのものが一つの競技で、それは他人に自分を認めさせるという頑張り所がよくわからない戦いなんだよ。
旧世代での敗者はそれでも注目はされた。マラソン大会のハイライトにビリの巨漢がくるように。
ゆとり世代の敗者は黙殺されてたんだよね。いじめなんかで騒がれることあるけど村八分になって不登校ってパターンがやはり多かったと思うよ。
本当に能力ある人は、クソみたいな会社でも自分の居場所くらいは確保出来てるし実績を出してる可能性が高いです。
もちろん例外はあって、本当にクソみたいな環境で腐ってたけどブログやアフィリエイトで成功する人はいますが、それはあくまで例外です。
9割以上の確率で会社の文句をブログで書いているにもかかわらず実績を示せない奴は無能です。
会社の文句は有能な人でも無能な人でもいえます。大事なことはその人が本当に有能なのかどうかです。
だから「俺の言ってほしいことを言ってくれている=会社の文句を言ってるから信じる」ではなくその人が実際にどんな成果を上げているかに注目しましょう。
ミソジニーやネトウヨにハマる人というのはそういう判断もできず、自分が気持ち良いことを言ってくれる人についていってるということにはやく気づけ。
ミニマリストやブログアフィリエイトはMLMとたいして変わらず、上位種が下位種を食いものにすることで成り立つビジネスです。
自分が上位種になれる自信があって食いものにすることにためらいがないならやればいいですが大抵の人はそうなれません。
イケダハヤト師ですら言っているのだから、1年やって食えるようになってない奴は向いてないので諦めろ。あなた達は下位種です。
勘違いしてるけどみんなで仲良くしあわせになろうって思ってるなら会社のほうが良いです。なぜなら会社とはそういう思想で出来ているシステムだからです。
自分が今いる会社がダメだからブログアフィリエイト、と考えるよりはより良い会社に入るための努力をしたほうがいいです。
そういうことがわからないアホはブログアフィリエイトも向いてません。
ミニマリストやらアフィリエイトでキャッキャウフフしながらお金も稼ごうみたいな脳みそ空っぽな人間たちの空間を見ているとこんなやりとりを思いだします。
小学生はまだマラソンを走るだけマシだけれどアフィリエイト界隈は人気の人間にタカってるだけで金が入ってくると勘違いしてそうなアホも多いから辟易させられます。
いつもエサになってくれてありがとう。お前らの手前表のブログじゃ言えないけど心の底からお前らのことアホだと思って愛してる。小学生じゃないんだからいい加減学習しろカスども。
元気でビビりで一生懸命で最高にかわいくて売れてほしすぎるのでみんなも天才てれびくんを見て赤崎月香ちゃんを応援しよう!レッツ!
「脱原発」を唱える細川護熙元首相が○○県知事選への立候補を表明した。国の原子力政策は間違いなく主要な争点となる。
県のリーダー選びを日々の暮らしを足元から見つめ直す契機としたい。
細川氏は、同じく「脱原発」を主張する小泉純一郎元首相に協力を仰ぎ、全面支援の約束を取りつけた。
「原発の問題は、国の存亡に関わる問題だという危機感を持っている」と決意を述べた。
核廃棄物の最終処分場を欠いたまま、安倍晋三政権は相変わらずの原発政策を推進しようとしている。
二人の元首相はそこに危うさを覚えている。
「原発ゼロでも日本は発展できるというグループと、原発なくして日本は発展できないというグループの争いだ」。
小泉氏の言葉は、県民を超えて国民全体に投げ掛けられた問いといえよう。
日本は資源小国だ。安倍政権は原発を「重要なベース電源」と位置づけ、成長戦略の一環として再稼働のみならず海外輸出に前向きの姿勢を見せている。
その半面、○○電力の福島原発事故の収束作業、さらに廃炉作業の先行きは見通せない。避難生活を強いられている被災者が救われる日もおぼつかない。
○○県は国内有数の電力消費地として原発の恩恵にあずかってきた。県は東電の取引先としてそれを間接的に支えてもきた。
県民は原発政策にどんな態度を示すのか。グローバル経済の中で飽くなき成長を目指すのか、原発のない新しい国づくりを目指すのか。
本紙の県民世論調査では、「すぐに原発ゼロにする」と答えた人と「ある程度時間をかけて原発ゼロにする」と答えた人の割合を合わせると、65%近くに上った。
すでに共産、社民両党が推す宇県宮健児前日本弁護士連合会会長も、同様に「脱原発」を公約に掲げる。
十四日の出馬表明で「原発に頼らない社会」を打ち出した舛添要一元厚生労働相は、自民、公明両党が支援する見込みだ。
県知事選は二十三日の告示、二月九日の投開票。県政には国体・マラソン大会の準備や地震対策、高齢化対応などの課題も山積みだ。
虎グループから五千万円を受け取った狸前県知事の辞職に伴う選挙である。細川氏は二十年前、自らの金銭問題で退陣した。県の信頼を取り戻せるかどうかも争点だ。
引用:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014011502000176.html
首都ってすごい。
風邪で家に閉じこもっていたが、お昼時なので、久しぶりに外で弁当屋に行くことにした。そこの弁当屋は、本来外で待つタイプなのだが、「寒いでしょう」と、中にまで入れてくれた。素晴らしいサービス精神。
気分よく家に帰ろうとした帰り道、突然、「信号赤ですよ!」と呼び止められた。交番の目の前の警官だった。一応、横断歩道ではあるが、住宅街からの一方通行の出口。明らかに車の気配はない。お陰で、飯もちょっと冷めてしまったし、寒い中しばらく待たされた。
風邪の自分をあたためてくれた弁当屋と、風邪の私を苦しめて喜ぶ警官。
自分は、子供の頃から身体が弱かった。ひ弱だとか言われ、マラソン大会とかを体調不良で欠席すると、ズル休みだと叩かれた。だから、勉強で食っていけるように、いい大学に入って、今の学歴を手に入れたのだ。身体の強い人間とは、上手く住み分けできたと思っていた。それなのに、なんだ。公僕たる警官は、この歳になってもなお、私を迫害するのか。
都会人と地方民が田舎に言及してるので、人口千人あちこちの山間で育った土人も便乗しようと思う。
なんというかね、都会が汚いってのはまあ仕方がないことで、そりゃああんだけ人と物とが溢れてれば相応に汚くなるだろうなとは思いました。
国道が突っ切ってるだけで、田舎の草地にも空き缶やら粗大ごみやら糞にまみれたオムツやらが捨てられているのだからね。しょうがないね。
また田舎がイベントと絶縁状態にあることは事実ですよ。コミケとかコミティアとか、サイン会とかライブイベントとか、美術展とかマラソン大会とか、なにそれすごい状態だからね。
一度も行ったことがないんだよ! 行こうとも思わないけどね!
ただね、機会があるってことは本当に素晴らしいことだと思うよ。人にしろ出来事にしろ、仕事にしろ何にしろね。
触れ合えるって凄いよ。心のふれあい。温もりの交差。化学反応が起きてしまうかもしれないしね。すごいね!
なんたって、こちらと学校が終わったら友だちとも明日までバイバイだったからね。遊戯王なんて手を出せなかったし、ポケモンも戦う相手がいなかったよ。
子供の頃は何して過ごしてたんだろうね! 訳もなく自分ちの敷地を自転車で乗り回していたような気がする。
でも全然寂しくはなかったよ! 姉と二人でごっこ遊びにはまってたしね!
知らないって幸せなのかもしれない、なんて言うつもりはないけれどもさ、中途半端にコンビニとかマックとかがあると、それらが溢れている地域を僻んでしまうのかもしれないね。
コミュニティ云々については、たぶん自分の中で真っ当な感覚が培われていないので言及はしない。
そんなに神経質にならなくてもいいんじゃないかなあとは思うんだけど、人それぞれだし、しょうがないよね。
でもいいところだよ、田舎。なんにもないけど。冬場は三時には陽が差さなくなるけど。それでもたぶん、いいところなんだと思うよ。きっとね。人、随分と減ってる気がするけど。
http://anond.hatelabo.jp/20130102204841
まずさあ
高3でたかだか4km6kmで苦しいとか膝痛いとか死ぬとか言うのは
特別な劣等なのでそこは間違えないで欲しいな。
気持よく走れるレベルを超えた息苦しさや腹痛や膝痛も、いつでも歩いてもいいようにするべきだったと思う。
お前みたいな特殊劣等の「気持ちよく走れるレベル」ってどういう速度だ?
そもそも体力ないやつは距離も減らすべき。
4km6kmで長いって言いだしたらいくらならいいんだよw
既に体力ない奴に配慮してその距離なんだろうが。
マケにマケてその距離になってんだ。
長距離走の距離の下限だろ。
特に膝は、専門家ではないからアレかもだけど、痛いまま走っていいことなんてあるのかな。実際自分は痛みながら走ったら、たった3kmで膝を痛めた。
おかげで今でもちょっと無理すると痛み出す。
すげーなマジで。
その距離をチンタラ走っただけで一生もんの障害を負ったと申すか。
中学生にも負けるような速度でヨタヨタジョギングしただけでだろ?
キャシャリンかお前は。
体育ってなんなんだろうな。
体育ってのはフツーにそこに繋がっていくんだが。
そこに繋げるためのお試しコースみたいなもんだよ。
お前が特別すぎる劣等・虚弱なせいでそこに行き着けなかっただけでさ。
お試しコースで大破するようなポンコツマシーンのことまで教師が関知できるか。
みんなもってる体力も筋力も肺活量も違うんだしね。そう考えるとストレッチはもっとやってもいいと思うし、基礎的な体幹トレとかもいいと思うんだよな。
「体幹トレ」とか大好きだよねーお前みたいな奴。
ネチネチダラダラ体捻って「ふぅ~ 鍛えた~」とか言うあれだよね。
まあ絶対嫌がるんだけどなお前みたいな奴はさ。
ちょっとでもキツそうに見えると全力で逃げるよな。わかってる。
そもそも、何で能力別にしないんだろうな。ストレッチもやっとのやつと、部活や外のクラブでガンガンやってるやつが一緒にいたら、教える方も大変だろうと思う。
だから下の方のゴミ虫にあわせて「マラソン大会」がたったの4km6kmなんだろ。
そこから更に零れ落ちるようなスーパーゴミ虫のことまで知らんて。さすがに。
ジムみたいになればいいのになあ。
あのな、金を賭けて請合ってもいいけどな、
お前みたいな虚弱クソ雑魚な上に自分に甘い奴がジムでやってる”自主トレ”なんて
よくいるんだお前みたいな奴。
健常者だって自分に厳しいとか普通より客観性がある奴じゃないと
トレーナーを頼んでるとしても、お前みたいな文句多いモヤシ相手に効果的なメニューは組めない。
人が成長する環境ってのはやっぱり
「他人の中に(出来れば自分より上の人間の中に)乱暴に叩き込まれた時」なんだ。
お前の体がそれに耐えられないのはわかったけど、
そんなことを他人のせいにするべきじゃあないし、
お前はもう身体的なことは諦めて生きたほうがいい。
強制参加のマラソン大会もあって、高3の時には女子4km、男子6km走る感じだった。
あの頃は文化部で運動も苦手で、マラソンがまじで死ぬほど嫌いで苦手だった。息が苦しいし、お腹痛くなるし、膝も痛くなった。
いま、健康のためにランニングをはじめて、あの頃のマラソン教育って全く意味がなかったんじゃないかって思い始めた。
初心者で運動を全くしないタイプこそ、走るときってフォームが大事なんだよな。運動してないから身体も堅くて、ただでさえ膝や腰を痛めやすい。
だから生徒をてきとーに走らせとけばいいってのは全く違くて、トロいやつにはフォームやストレッチをしっかり指導するべきだったと思う。
気持よく走れるレベルを超えた息苦しさや腹痛や膝痛も、いつでも歩いてもいいようにするべきだったと思う。そもそも体力ないやつは距離も減らすべき。
特に膝は、専門家ではないからアレかもだけど、痛いまま走っていいことなんてあるのかな。実際自分は痛みながら走ったら、たった3kmで膝を痛めた。
おかげで今でもちょっと無理すると痛み出す。
体育ってなんなんだろうな。
生涯にわたって自分で体作りができるようにするってのも、大事だと思うんだよ。
この年令で○km走れるとか、○段の跳び箱とべるとかじゃなくて、走るためにどうするか、飛ぶためにどうするかってのも大事だと思うんだよ。
みんなもってる体力も筋力も肺活量も違うんだしね。そう考えるとストレッチはもっとやってもいいと思うし、基礎的な体幹トレとかもいいと思うんだよな。
そもそも、何で能力別にしないんだろうな。ストレッチもやっとのやつと、部活や外のクラブでガンガンやってるやつが一緒にいたら、教える方も大変だろうと思う。
ジムみたいになればいいのになあ。
現実の男の人が恐ろしい、という感情を、いつから抱くようになったのだろう。
小学校以前、男子と女子の境は、これといってなかったような気がする。
むしろ三人のいとこと共に育った私は、どちらかといえば男の子のほうが、近しい生きものだと思っていた。かけっこや木登りもしたし、保育園の休み時間には活発に遊んだ。おえかきも好きだったけれど、おゆうぎしつが使える時には、そちらへ行った。ずっと教室にこもって遊ぶ女の子たちのことは、少し軽蔑さえしていた。
小学校に入学すると、少し雰囲気が変わった。男子と女子がふたりきりで帰ることは、おかしいことになった。あからさまにおかしい、と明言することは誰もしなかったけれど、やはり、少しだけ雰囲気は変わっていたのだ。
私にとって、小学校低学年の男子と女子の性差なんてないも同然だった。プールの時間に、全員が一緒の教室で着替えていた。ませた女子はきゃあきゃあと騒いでいたけれど、私はやはり、そういった女子を軽蔑していた。休み時間は男子とも遊んだ。体育館でくだらない遊びをするなら、断然男子相手だった。けれど一緒に帰るのは女子だった。放課後に遊ぶのは、女子のほうが多かった。男女一緒に遊ぶことも、確か、あった。
小学校中学年には、あまり外で遊ばなくなった気がする。それは眼鏡を掛け始めたからだったかもしれないし、絵を描くことの楽しみのほうが大きくなっていったからかもしれなかった。あ、それと、木登りをしていて、虫に遭遇したのがトラウマになったのもある。それから、自分の体力のなさを自覚していったから、というのも。平均よりも重い体重は、運動をするにはあまりにも不利だった。
それでも四年生からはソフトボールを始めた。理由はよく遊ぶ友達が始めていたから、という単純な理由だった。私よりも先に始めていた子が、ソフトの練習があるから、と遊びを断るようになって、淋しかったのだ。私はその子のことが、だいぶ好きだったのだろう、と今になって思う。その子の影響で、手話を始めたりもしていた。
さて、愚鈍なる小学生の私は、ソフトボールを卒業まで続けた。俊敏性はなかったけれど、それほど落ちこぼれていたわけではなかった。と思いたい。マラソン大会では決まってドベのほうにいたけれど、ソフトボールはずっと走っているわけではない。練習はまあ楽しかったし、上の学年の人はいい人たちばかりで、下の学年の子たちはかわいい子ばかりだった。と思う。思い出は美化されているので、確かではない。
小学校高学年くらいから、男女は「おつきあい」をするようになった。私は蚊帳の外の人間であった。クラスの中のヒエラルキー上位層の人間たちが、数日や数週間でつきあったり別れたりを繰り返してバレンタインに盛り上がったりするのを、私は少し近いところで見ていた。私が告白することはなかったし、告白されることも当然ながら有り得なかった。私はクラスで二番目に太っていた。私のことを「女子」とカテゴライズすること自体がおかしい。そうだ、そういえば当時の私は、「俺」という一人称であったのだった。
中学校に入学しても愚鈍な私は「俺女」であった。そういった一人称の女子は何人かいた。
入学してすぐに、私は担任に目をつけられる。すなわちいじめの主犯格として。
これについて弁明をするならば、それは「いじめ」ではなく「喧嘩」であった。私が小学校の頃から仲の悪い女子がいて、それは中学校に上がってからも続いていた。私はとにかくそいつがいることが嫌で、それはそいつにとっても同様であるはずだった。すれ違えば舌打ちをした。私はそいつにぶつかった。そういった陰湿な喧嘩の一部を、そいつは教師に告げ口をした。そう、私の行為についてばかりを、切り取った「一部」を。
私が何を言っても私が悪いことには変わりない。それは絶望的な事実であった。事実として、私はそいつの靴を隠したし、そいつにぶつかったし、そいつのことが頭に大を何個つけても足りないくらいに嫌いだった。事実として私はそいつをいじめていたのだろう。そう、つまり私が悪いのだ。私がかつてそいつに幾度となく泣かされていたという事実など、中学校の教師は知らないのだから。
加えて絶望的だったのは、そいつはかわいらしい容姿をしていたことだ。愛想のない根暗な豚と、かあいらしい人間と、どちらの言い分を信じるだろうか。後者だろう。豚は人間を妬み、そして一方的な暴力を振るったのだ。
何も知らないくせに、と豚は叫んだ。同じような豚の教師は、ああ知らないさ、と開き直った。そうか、と私は絶望した。教師は男だった。そうか、何も知らないのに、そいつのほうを信じるのか。私たちのことなんて、何も知らないくせに、知ろうともしないくせに。教師ってそういうものか。中学校ってそういうものか。男って、そういうものか。かわいいほうの言うことを、信じるんでしょう?
男子生徒とは、まあ普通に接していた。おつきあいなどの色っぽい話にはならなくて、ただ、珍獣としてうまくやっていたのではないか、と思う。珍妙な渾名で面白がられたり、怖がられたりしていた、気がする。記憶は薄ぼんやりとしていて不鮮明だ。ただ、ある日いきなり特定の男子から嫌がらせをされるようになって、それだけが、どうしても意味がわからなかった。女子は私にそうした嫌がらせをしてこなかったから、男子のそういった女々しさのようなものがさっぱりわからなくて、見えない悪意が怖くて、怯えた。
高校に入ると男子は別の生きものだった。私は一人称を改めた。女子の側で、女子の振りをすることにした。男子は恐ろしい生きものだった。中学からの友人と一緒にお昼ごはんを食べるために、その子の近くの席を借りた。男子の席だった。昼休みが終わると、その男子は先程まで私が座っていた椅子を、別の席の椅子と換えた。その事実は、友人から聞かされた。知りたくもない事実だった。
友人の話だけを聞いていると、その男子は友人に惚れているようだった。友人は気持ち悪いと言っていたけれど、ばいきん扱いされるよりも好意を寄せられるほうがよっぽど良いはずだった。
高校三年生になった私は、ひとりの女の子とおつきあいをするようになった。それはその子から頼まれてのことだった。それはばかげた話だったけれど、私はかわいいその子のことが嫌いではなかったし、失いがたい友人であったので、それを失うくらいならと、おつきあいを承諾した。その子の他に私を好きになるような人間は生涯現れないだろうという気持ちもあった。私のファーストキスはその子のものだった。性器に指を入れられた。気持ちよくはなかった。
私とおつきあいをした子には、何人かの彼氏がいた。そのことは知っていたけれど、まあ、良かった。いや、良くはなかったか。他の人と別れて、というようなことは、言った気がする。けれど色々あって、その子は結局、一人の男を選んだのだった。
私はただただ道化であった。ばかばかしい話だ。男も女も面倒だ。どうせ誰にも愛されない。ひとりでいるのが正解だ。でも、でもさあ、私だって、まっとうに、愛されたいんだよ。
高校を卒業し、眼鏡をやめ、ダイエットをした。髪を明るく染めた。ナンパをされるようになった。私はすぐに股を開いた。そうする以外に男の人とのつきあい方を知らなかった。好きな人ができた。それでも、きちんと段階を踏んでのおつきあいはできなかった。まずは酔った振りで相手を誘って、セックスをした。そんなことしかできなかった。そうするしか知らなかった。
セックスをすると、男の人は私をかわいいと言った。豚を、ばいきんを、かわいいと言うのだった。そんなことは言われたことはなかった。声を上げてエロマンガよろしく喘げば男の人は喜んだ。きもちいい、と言うと良い気分になるようだった。私の価値は性器と乳にはあるようだった。顔面には、まあ、ないんじゃないかと思う。
男友達を作るといいよ、と、幼馴染が言った。しかし、男の人と何を話したらいいのかわからない。男の人と、セックス以外に、することがあるのだろうか?
男の人は私を豚やばいきんにしてしまう。私だって、いちおう人間なのに。そんな人たちばかりではないとわかっている。けれど、私はやっぱり、男の人が恐ろしいのだ。