俺25歳でゆとりど真ん中なんだけど、あれみんな勘違いしてると思うんだ。
徒競走で手を繋いで一斉にゴールというものを”競争をしない、好まない”ことの象徴とする人が多いけど、
本当は競争がなかったわけではなく競争が表面に出なくなって何をやっているのかわからなくなっていったんだと思う。
徒競走って全員参加じゃないのよ。各々どの種目に出るのか事前に決めておく。
運動会のなかで徒競走は目玉の一つであり、おのずと志望者と定員の倍率は高くなる。
体育の授業を使っての選考会や学級会で割り振りを決めるわけだけど、
当然でそこで強い権限をもつのは運動神経の良い者やクラスの中心人物である。
徒競走なんて皆に注目される場には綺麗なスター級しかでてこないの。徒競走に参加していることそのものが勝利だった。
そして旧世代では徒競走のビリになっていただろうタイプといえば、校庭の隅で走り幅跳びか砲丸投げを行っているんだよ。当然誰も見ていない。
配点にも競技で偏りがあって、走り幅跳びや砲丸投げなんて勝っても微々たるもので全く存在感なんてない。
めちゃめちゃ練習して体育でいい成績残したって、学級会で支持を得られなければ結局選ばれない。
運動会そのものが一つの競技で、それは他人に自分を認めさせるという頑張り所がよくわからない戦いなんだよ。
旧世代での敗者はそれでも注目はされた。マラソン大会のハイライトにビリの巨漢がくるように。
ゆとり世代の敗者は黙殺されてたんだよね。いじめなんかで騒がれることあるけど村八分になって不登校ってパターンがやはり多かったと思うよ。