2016-05-29

とりあえず今を生きている

まだ20代大学生という身分ではあるが、正直自分としてはそう感じていない。

大学自体に憧れなんてなかったし、結局は高校教師家族から口酸っぱく言われてやってきただけだった。

本当の自分なんて理解してもらえてなかった。

小学校5年生まで勉強普通にやれていた。だが、学校に行くことが当たり前としていた自分の中では、学校のもの苦痛に感じていた。

生徒であっても担任から人格否定され、同級生達が馬鹿にしてくる理由が分からない。

その頃から生きる意味さえも見失い、毎晩コンクリートの壁に何度も頭突きをし、5メートル程の高さのあるベランダ真下を見るようになった。

親に勝手に入らされた習い事も相当のストレスだったが、それ以上に平日の朝を迎えることが自分にとっては絶望に感じていた。

大きな理由が「日記帳」だった。

その日記帳には指定された字数を書かなければならなかったが、当時の自分家族と一緒じゃないと出掛けられなかったし、ゴールデンウィーク休日はずっと家にいてもおかしくない生活だった。

そんな自分だんだん書かなくなり、当然怒られるのと同時に頭部を殴られる。あの時は苦痛しかなかった。毎朝出るにも吐き気が増し、何の理由もなく夜更かしすることが多かった。

そんなことがあったが無事に小学校卒業し、中学に入ってリセットはされる筈だった。

馬鹿にされることは変わらない。「そんなことの何がおかしいんだ!」と言っても結局はあいつらの暇な玩具みたいな存在しか見られてなかった。

救いとしては今でも飲み交わしている文系部活の友人達だ。もし彼らに会っていなければ、自分は本当の孤独になっていたのかもしれない。

高校時代は正直思い出すことがない。

それは「受験」というもの理解していなかった自分のツケが回ってきたのと当時の学校教育システムに疑問を持たなかったことだ。

私立高校だったが最終的に思い出すのは「まるで監獄のような所」という印象でしかない。

教員の中には授業の途中で変更された人もいたので名前すら覚えることがなかったからだ。

部活運動部所属してみたが、大して記憶には残らなかった。それよりかは自分が好きでやり通していた趣味の方に力を入れていたのかもしれない。

結局自らのねじ曲がってしまった人格を変えることはできなかったが、中学時代に戻りたいという後悔が残っている。

後悔の一つとして親友ではないが、ある女子生徒が自分を褒めてくれたことを今でも時々思い出す。

ただの思い違いではあるが、別の意味で緊張して頭の中でおかしいと思うくらいのレベルだった。

恋煩いとは認めたくないが、その頃見ていた夢にはある女性が映り続けていた。

少々ぼやけてはいたが、話しかけてくれた彼女容姿に似ていたのだ。

ある時は連絡先を交換、またある時はマラソン大会応援から見える姿、同級生からアプローチを掛けられている彼女をずっと凝視田舎の駅で二人揃って話し合っていたりしていた。

それまではB級スプラッター映画のワンシーンみたくグロテスクな夢しか見ていなかった自分としては何故か寒気がした。

もし彼女に会えるとしたらあの時できなかった「普通の会話」をしたい。叶わないただの願望ではあるが、ただそれだけである

そして、現在派遣バイトで多少の小銭を稼ぎ、好きなことに投資している。

強制ではないので休めるし、少し金銭的に余裕が持てるようになれたと実感している。

ただ、問題視されるのは就職先の事だろう。大学生としてなったからにはモラトリアムを金で買ったも当然である

自分不器用人間からそれ以上に他人に認めてもらう力がないといけない。日本社会学歴新卒制度によって決定することは変わりない。

世の中には高卒でもある程度の地位幸福を持っている人がいることを知ったし、共依存までとはいかないが、協調社会の中で生きる為には自分営業として売る術がないといけないと思う。

若い人達学校に行くことが当たり前であるかどうかまでは分からないが、これだけは譲れないというプライドの持てるモノを一つでも身につけてほしいと願っている。

こんな長々とした支離滅裂文章を見て共感する者なんていないと思うので個人的に好き勝手で書かせてもらった。

とりあえずつまらなくなってしまった現代で生き続けていきたい。

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