はてなキーワード: にしんとは
よく「家の中にストーカーがいます」のやつで話題になる精神科Q&Aってあるじゃん。林先生(今でしょの方じゃない)のやってるやつね。
あれ暇なときによく読んでるんだけどさ、昔の投稿にいくつか「親が精神病の子ども」からの投稿があるのね
これが読んでるとほんとにしんどくなる。特に糖質のシングル親の子ども。
いわゆるヤングケアラーってやつなんだけど、ずっと他の兄弟の面倒みたり、急に発狂する親の対処したりしてて本当に心が痛くなる
これ見てるとやっぱり異常者が子供残すのどうなんだと思ってしまうんだよな。たとえ病気だとしてもさ
小学生くらいの子が昔投稿してきていたんだけど、お母さんたぶん糖質だったんだよね。でも薬飲まなくなって悪化しちゃってね。
ある日突然おかしくなった母親が警察に捕まってしまい、親戚の家に引き取られることになったって書いてて、
あの子はあの後、お母さんに会えたのだろうかと今でも時々思い出す。続報がないからわからないんだけどね。
どんな人でも子どもを残す権利はあるけど、あれを読むと自分含めて頭おかしくなるタイプの人間は子どもなんか残すべきじゃないと思ってしまう
正確に言うと化合物データ収集が終わらないからもうやだ退学したい
専門用語ゴリゴリに使って、事情もあんまり説明せずに書くね。有機合成専攻だよ。愚痴だよ。
身バレしないよね。大丈夫だよね。きっと日本に自分と同じような人は今現在沢山いるよね
修士論文本文自体は大体書いた。冬休みは会社の研修用のビデオ視聴と勉強で潰れたので(この愚痴も後述したい)、1月末から2月前半にかけての2-3週間で、毎日朝2時間早く来て修論を書いて、土日にも一日中書いて、コアタイム中も化合物データをゆっくり集めつつ16-20時くらいは「ごめんなさい」と思いながらひたすら修論を書いて、ようやっと大体仕上がった。本文約100ページ、実験項約60ページ、NMR約30ページ。
あとは抜けているところの修正と体裁を整えるだけだ。まあ自分はそういうの苦手なので心配なのだけど。
修論発表は来週だが、まあ問題ないだろう。もう修論発表対策はほぼしないと決めた。前日にもう一回暗唱とレーザーポインターの練習をすれば十分だろう。前日の17時から2-3時間練習の時間を取れば十分かな。
修士論文には、本文のほかに化合物データを添付する必要がある。私のテーマはうまくいってしまったから、学術論文用にきれいなNMRデータやその他分析データを用意する必要がある。(うまくいかなかったテーマで研究室内部データ用だと適当な化合物データで許される)これが全然終わらない(本愚痴の趣旨)。
うまくいったテーマのだけでも、数えたら30個くらい化合物データがあって、私化合物データなんて集めた経験が無い中、急に12月くらいから「論文用にデータを集めてください」と言われ、普通に研究も進めながらデータ収集を行い、1月末にもう3つくらい新しい化合物を作って、先生はもっと進めろとおっしゃったが、いやいや無理ですと心の中で反発してこっそり研究の進捗自体は終わらせた。
化合物データ収集って思ったよりうまくいかないし、こんな後始末みたいなのでうまくいかないと徒労感がすごいし、私研究向いてないっすわ、改めて思う。もしこの作業を研究室入ってすぐのB4の時にひたすらやらされたら病むわ。研究の楽しさを知らずに病んでしまう。
化合物データの何がしんどいって、本当にきれいにしなくちゃいけないんですね。溶媒含む不純物が3%以下が目安と言われております。化合物によってはこれが非常に難しい。特に
・量が少ない
最後の方のステップで、量が10mg未満とかしかないやつ。特にNMRチューブや溶媒のコンタミ(混入)を受けやすいのが本当にしんどい。
・溶解性が悪い
溶解性が悪いと必然的に少しの量しかとかせないので、上記と同じ問題が発生する。あとこういうのは大体溶けないから精製もしんどい。
溶媒が飛ばない
・金属錯体
精製がしんどい。あと往々にして溶解性が悪い。
この辺がめちゃくちゃしんどい。
私あといくつデータを集めなければならないんだ?
・溶媒が飛ばない大事な最終生成物(アモルファス)が3つ。正直NMR溶媒のコンタミだと思っている。
これが本当に病む原因。もう無理。やりたくない。もうやだ。もうやだ。やむ。投げ出したい。
正直溶媒を飛ばせばOKで諦めて提出しようかな。そうすれば終わりが見える。
・精製しなければならない大事な最終生成物(アモルファス)が一つ。カラムしてGPCして、丸一日あれば終わるだろう。
・精製しなければならないその他化合物が2つ。一つは今日精製していて、もう一つもいつかやらねば。
・合成しなければならないのが1つ。不安定なのできれいなデータが取れるか非常に心配な化合物。
・あとなんだかきれいに合成できなくなってどうしようか困っている金属錯体が一つ。これほんまどうしよ。クロロホルムでろ過してみるか、、、
こんなもんか?目標2月中、最悪3/12、本当に最悪3月中に揃えればいい。終わるかな、、、
べらべら語った。
今日はせっせと休日出勤してovernightでカーボンを取って、これが思いっきり溶媒が入っていてやり直しだということが分かって激激なえなえで
あと一つ精製してもう疲れたから帰る。3時には帰る。そして寝る。
お昼にはマックを食べる。ずっと食べたかったポテトLサイズで買ってやる
疲れた。単純に忙しいのと、プレッシャーと、プレッシャーとにつかれた。
困難で社会人なんてやっていけるのだろうか。
知識経験が豊富なので色々教えてくれるのはありがたい一方で、さすがにしんどくなってきた。
例えばバナナの色を聞いたとすると、
休校と言ったら在宅勤務
在宅勤務と言ったらお昼
お昼と言ったら冷凍食品
スーパーと言ったら外出
外出と言ったら出社
出社と言ったら課長
納期と言ったら休暇
休暇と言ったらワクチン休暇
この客と言ったら東京
お金と言ったら受注
受注と言ったら部長
……
話題を膨らませずに終わらせようとしてるけど、
「そういえばあの件だけど」と別の話が始まる。手強い。
同僚との雑談に夢中になって打ち合わせの予定を忘れたり、
並行して進めているすべての案件の書類を一度に机に広げて作業しながら「デスクが狭い」と不満を言ってたり。
たぶん頭の中はマジカルバナナ状態で次々と考えが巡っている一方で、
マジカルバナナで思いついたことを条件反射的にポンポン話している。
基本的に優しいし、お金が発生している仕事だけの関係と割り切れば大丈夫。
この長話だって給料が発生してるし、と言い聞かせて接していたけど、
つい最近、〆切が近い業務を抱えてた時に上司に捕まってしまい、
いつも以上にあの手この手を使ってなんとか話を切り上げて戻ってきた。
バイト先の高校生の子たちと話してるとしょっちゅう休校とか一斉下校になってるらしい。まじで羨ましい。
自分が中高生の頃なんか冗談抜きで毎日部活があって、周りの目もあって、休んで好きなことしたいと思ってもできなくて家に帰ってから勉強そっちのけで趣味(読書)してたから国語以外はめちゃくちゃ成績低くて親とか先生に怒られまくってた。
ここまで読んでそんなにしんどいならやめれば?って思った人もいるかもしれないけど中学生の頃は部活辞めるなんてもってのほかだったし一応文化部だったから運動部みたいに怪我して転部みたいなこともできなかった。
高校では強烈なスクールカーストみたいなのがあって、コミュ障でオタクでブスでスクールカースト最底辺だった私は友達が本当に少なくて部活以外に友達がいなかったから部活やめたら友達もやめられちゃうかもしれないと思ってそれがすごく怖かった。
同じクラスにも一応お弁当を一緒に食べてくれる子はいたけど、誰が可愛い、誰がブスとかそういう話ばっかりで高校3年間彼氏がいない、可愛くない女は価値がないんだという歪んだ価値観を持ち続けてものすごく悲観的な性格になってしまった。
大学受験だけはちょっと頑張って、私の高校からはあまり進学する人がいないそれなりに有名な大学に入ることができた。
大学生になった今も彼氏はいないしそんなに欲しいとも思わなくなったけど、同性も異性もたくさん友達ができてとても楽しい。頭が良くて真面目な人が多いからか、異性の見た目をジャッジするような人は少なくとも私の周りにはいない。1人でいても後ろ指さされることもないし、そもそも広い大学内なんて単独行動してる人の方が多い。
大学の友達と話してても恋愛の話もあまり出ないから、彼氏いない歴=年齢のカミングアウトもしなくていいしもうちょっと頑張りなよー!とも言われないしとても気楽に過ごしている。
今、中高生でブスで友達がいなくて異性からも相手にされなくて悩んでる子がいても、人生を悲観しないでほしい。中学高校の人間関係だけが人生の全てじゃないし、頑張って勉強すれば人間的にすごいと思う人と関わる機会が得られる可能性が高くなるし、ルッキズムはびこる人間関係からも飛び出すことができる。と思っている。運が良かっただけかもしれないけど。
それにお金があれば留学とかで外国に行くこともできる。人生の選択肢が増える。中高生の頃は勉強する意味なんてわからなかったけど、今なら人生の選択肢を増やすためだとわかる。
それにしても今の中高生はいいなあ。勉強はもちろんだけど、本読みまくってもいいし、アマプラとかネトフリで映画見まくってもいいし、高校生ならコロナに気をつければバイトして金を貯めたっていいし、学校以外のところで課外活動してもいいし。授業時間以外で勉強しないなら、本当に自分のやりたいこと、好きなこと、そのために必要なことを目一杯するべきだと思う。その方が将来やりたいことも見つかりやすいだろう。
もちろん電話して「休ませてください」って言った。理由は言ってないけども。
なんだか精神的にしんどくておなか痛くて、駐車場に着いても車から降りられなかった(田舎だから自動車通勤)。
帰ると家族に詰られる(うちの家系は「平日に休む」ことに異様に過敏)から帰れない。仕方ないから車を公園の駐車場に停めて、夕方まで車で寝ていた。
そもそも、どこかへ行くとか買い物をするとか、そんな元気はなかった。
18時くらいに帰ったら、時間が早すぎると怪しまれた。定時は17時だけど、いつもの帰宅時間は23時くらいだから。
23時のほうがどうかしてるのに、18時で早いって、いったい何を言ってるんだ。
早く終わらねーかな何もかも。
2日前の夕方、仕事から帰宅中の相方から「喉が痛い」という連絡。発熱はなく、ごく普通の風邪のような感じらしい。たが、このご時世なので念のためPCR検査を受けようということに。
こちらは急遽、家庭内感染を防ぐための準備に走る。もう遅いかもしれないが。消毒グッズを揃えて生活動線を整えた。この晩から食事の準備、片付け、洗濯、諸々全てを私がすることに。相方はトイレと入浴以外は自室から出ないようにする。
次の日、相方は近所でPCR検査をしてくれる病院を電話で探し出し、即日受診。ちなみに、自治体が開設しているコロナ相談窓口の電話は繋がらなかったらしい。検査結果は通常翌日に出るものだが、今は検査が殺到しているので結果が出るまで2-3日かかるとのこと。
さて、結果が出るまでどうしようね…という時。
コロナ感染の可能性が否定できないのだから、外出しない(=出勤しない)ものだと思っていた。
しかし相方の会社はそれを許さないらしい。今日から元気に(喉の痛みはもう良くなった?らしい)会社に行った相方。
一方家庭内では感染予防モードが続いている。相方がトイレ等で自室から出る時は、私は部屋から動けないし、その度に触れた場所はアルコールで消毒する(消毒は相方もしてくれるが、心配なので自分でもする)。意思疎通はLINEで。込み入った話は数分の電話。家事は全て私。こちとら働いているわけなので地味にしんどい。在宅勤務なのがせめてもの救い。
なんで相方は電車で通勤して会社で働いて社食で昼ご飯食べて帰ってくるのに、家庭内ではバリバリ感染予防モードなのか。頭が追いつかない。
初回のお見合いで9割自分の話しかしない、相手の話を聞かない大阪のおばちゃんタイプ
終わった後ぐったりしてしまった
個人的な事情として母親がこのタイプなので、余計にしんどみを感じてしまう面がある
2例目 全く話さない
心の中で接待と呼んでいました
3例目 当たりが強い
ちょっと仕事の話を振っても、なんか断定口調で軽くキレられたりする
俺が気に入らんのかもしれんが、せめて気分良く終わらせようという気がねぇのかてめーには
非協力的で困りましたって報告してた
うーーーーーーーん
個人的に言いたいのは、こういう相談所の話題が出るたびに相談所は売れ残りの難ありしかいないという人が居るが、全くそんなことはないという事。
そりゃ会う合わないはあるんだが、おおむね普通の人たちですよ。
1例目は慣れの問題な気がするし、俺とテンションが違ってたというだけかもしれん。
3例目もシンプルに合わなかっただけかもしれん。
読んでくれてありがとう。本当にしんどいときはとても読めないような冗長な文章になって申し訳ないけど、そのうち振り返ってもらえれば。
いつも、24時間、頭の中には自分を責める言葉が浮かんでるんです。言葉が浮かぶのを止める方法はなさそうだから、別の言葉に置換できるといいな。
いまだに私もひどければ数分置きに自分を責める言葉が浮かびます。偉そうに書いてはいるけれど、何か問題が起きた時「私が馬鹿だからうまくいかないのだ」という、思考の第一声は必ずあります。しかし、それを真に受けず聞き流すことは少しずつできるようになりました。
浮かんでくる言葉の対処もカウンセラー、主治医等に相談してみてください。
考えの棄却は脳の活動の中ではエネルギー負荷が比較的大きいけれど、種になる脳信号が最初に発火してから行動するまで0.5秒の猶予があるそうです。その猶予期間であれば小さい負荷で止められます。
置換する場合は、ラベリング("後悔"、"消耗"、"恐怖"など簡単な1語のラベルをつけ、良い意味での単純化をしてしまう)と再評価(問題が先に分かってかえってよかったのではないか、などと見方を変える)も試してみてください。これも悪い思考が雪だるま式に膨らむ前にできるようになると楽です。
役に立った本を挙げます。
2021夏、世間はコロナで医療崩壊の真っただ中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
半年経って当時の日記を発掘したので、正月休みで暇な今せっかくなので当時の日記を日記を増田に供養する。
経緯を言うと、膀胱炎を放置していたために、血中に細菌が侵入し、敗血症性ショックになり、生死の境をさまよったのである。
コロナワクチン接種とタイミングが重なってしまったため、副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまいました。
本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。
膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。女性に多い病気で、自覚症状は排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。
おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。
そして膀胱炎は放っておくと菌が尿管から腎臓に上がり、腎盂腎炎を発症する。すると発熱や下腹部の痛みが起こる。
さらに放置すると血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、血圧が低下し、ショック症状を起こす。これが敗血症性ショックである。
膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。
今回身をもって実感しました。
8/13 (金)
膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。
3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。
もう一回くらいかかったことがあるような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。
この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りて無かったな・・・、と考える。
という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。
この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。
8/19 (木)
あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く
8/20 (金)
発熱はなし。
思い返せばこの日の夜下腹部痛があり、今思えば腎臓が痛かったのかもしれない。
腎盂腎炎になると逆におしっこが出なくなるので、排尿時の痛みはあったが、排尿の頻度が下がったのでこのあたりから膀胱炎のことを忘れはじめ、薬を飲むのを忘れ始める。
8/21 (土)
夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。
8/22 (日)
翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。
帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。
最大で40°C台まで上がった。
ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。
8/23(月)
この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。
頭を動かすたびにガンガンとなる頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。
水を飲んでも胃液を吐いてしまう。水分補給が出来ないのがしんどい。
薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。
熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。
インターネットを参考に薬をバファリンルナiに変えたら効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。
薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。
「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。
そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。
8/24(火)
症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。
#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。
友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。
病院では栄養剤の点滴をしてもらい、コロナに効く解熱剤(カロナール)を頂く。
今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。
もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに、、、
ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。
あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。初診の外来患者なんて後回しよね。
吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA。吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。
カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。
薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。
薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。
おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?
夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…
親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。
タクシー(8000円)で帰りたかったがなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。
しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。
(別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)
私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。
8/25(水)
友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。
これは薬のオーバードーズによる奇行だと思った彼は、とりあえず私を引きはがした。
すると私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。
これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。
すると「それは救急車呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。
ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。
救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。
熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。
最終的に、最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらったらしく(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。
病院到着が午前4時。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。
点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。
最初は医者も原因が分からず、とりあえず白血球の数値が異常に高いことが分かったので、適当に抗生剤を打っていたらしい。
培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。
原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。
8/26(木)
私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。
そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。
両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。
あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。
とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。
8/27(金)
この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。
8/28(土)
この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。
8/29(日)
8/30(月)
食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。
8/31(火)
抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
9/1(水)
退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。
私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。
あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。そしたら原因にワクチンは全く関係ないがワクチン副反応で死んだ人扱いされただろう。
繰り返すが、今回得た教訓は、膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべきだということである。
それから2021年の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。
2021年冬は少し落ち着いていましたが、冬休みにかけてじわじわ感染者が増えてきていますね。また当時のような惨状になると医療機関がまた悲鳴を上げてしまいます。我々は基本的な感染対策を怠らず、淡々と過ごしたいですね。
あとそれから友人に本当に感謝。私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。
それから家族にも本当に感謝。だいぶ心労をかけてしまいました。楽しく労働することで恩返しするね!
ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。
確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日から新学期なので頑張らねば!
以上です。皆様も体にはお気をつけて、、、。
表題のとおり、2021年末のコミケ(C99)で初めてサークル参加して1冊も売れなかったので、その気持ちと反省点の整理のために書いておきます。
◎経緯
あるアニメが好きで、その二次創作本を作りたくなった。作るのは小説。
・2020年冬
二次創作の小説が完成した後、とりあえず某サイトに投稿してみたが、せっかくだしということで、コミケにサークル参加しようと思った(ちなみに某サイトに投稿したやつはいまだにそんなにPVを得ていない。)。
コミケの参加申込書は、その前のコミケで配布されていたような気がしていたので、12月ごろが次のコミケの申込みの時期かなと思って待ち構えていたら、いつの間にかその期間を過ぎており、あえなく断念。
5月のC99が延期されて(今年の冬はどうかなぁ)と思いつつ、前回の失敗を活かし、コミケの開催情報に注意していたら、どうも2021年末には開催されるらしいことと、申込開始時期が判明。
ひとまず、8月中頃にcircle.msに登録して、それでコミケの申込みを完了した。
なんやかんやでサークル参加の抽選?に当たり、コミケにサークル参加にできることになった。
サークル参加の人のための封筒もたぶんこのときくらいに届いて、コミケにサークル参加する実感が湧いてきたし、とてもうれしかった。
ただ、本の内容自体は(微修正は繰り返していたけど、)完成していたこともあって、かなり余裕がある気持ちでいた。
そろそろ印刷会社を探さないとやばいのでは、と思っていたら、表紙を作っていないことに気づいて、クリエイティブコモンズの絵を拝借して慌てて作成。
ワードのサイズの設定とか、表紙のサイズの設定とか、かなり苦労して、いつの間にか入稿ギリギリになり、サンプル(有料)も見ることができないまま、コミケ会場へ直送してもらうことになった。
発注部数については、ネットに「たくさん刷るな」と書いてあったので、最初はそれを受けて50部を考えていたけど、もっと控えめに20部にした(10部でもよかった。)。
コミケが近づくにつれて、とてもわくわくして興奮してきて、周りの友人に「サークル参加するから(ドヤ顔」と言いまくり、「やっぱり初参加だし、1冊も売れないと思うんだよね~(ドヤ顔」と話していた。
それから、「たぶんたくさん余るから買ってよね」と、もしかしたら売り切れるんじゃないかと思いながら友人に話していた。
一週間前に、サークル参加するのに必要なものをネットで調べて買いそろえ、参加日の前日に東京へ出陣した。
また、必要なものを調べているときに、「コミケットアピールを必ず読め」と記載されており、慌てて確認した(「○○する場合には○○日までに連絡してください」などと書かれていたので、私にはあまり縁のなさそうな事項でしたが、読んでいなかったことを反省しました。)。
自分が発注した本がどんなふうになっているのか、サンプルを見ていないので、不安と期待が入り混じっていた(売れるのかどうかとは別に)。
・コミケ当日
準備に時間がかかるかもしれないと思い、8時くらいに会場入りする予定が、ふつうに寝坊して9時前くらいに到着した。検温等あったので、もう少し余裕があった方がよかったけれど、結局、それでも準備自体にはそんなに時間はかからなかった(10分くらいで終わった。)。
隣のスペースの人に挨拶したら、2人で来ていて、周りも複数人で来ているっぽくて、ふつうはそうなのかなと思った(一人での参加なので、トイレ行くときとかどうしようかと思った。)
自分のスペースに着くと、椅子と見本誌を入れる封筒が置いてあって、サークル参加することにドキドキしてきた。
頒布価格を500円として考えていたが、当日自分のスペースに搬入されていた本(80頁)の薄さを見てびびり、300円に変更した。見本誌票を出すときは、これを出す前でよかったーと思ったけど、よくよく考えたら、用意していた500円玉の意味がなくなり、つり銭がなくなった。
(どうしようもなくなり、ファミマで水を購入させていただき、400円×2を錬成した。ちなみに1冊も売れてないので、つり銭がない!という不安は杞憂でした。)
100均で買ったテーブルクロス(消毒液っぽい匂いがする。)を敷き、一応、場所名と新刊300円と書いた(オレンジのペンでアンダーラインを引いた)画用紙を、100均で買ったイーゼルっぽい何かに立てかけ、1部に「見本」と書いた付箋を貼って、見本の隣に10部だけ平積みした(人を迎え入れる準備が整った瞬間、わくわくは最高点に達しました。)。
友人(コミケに来ない)とツイッターでやりとりし、再度「今日1冊も売れないと思うんだよね~(ドヤ顔」という趣旨のリプライを送ったりした。
・開催後
拍手が鳴り響く中、コミケC99の開催が宣言され、次第に人が入ってきた。
まず、右隣りのサークルの新刊が1部売れた。そのうち左隣のサークルの新刊も1部売れた。これを見ていて、自分もいつか1冊売れるかなと期待していた。
通路を挟んで反対側のサークル(同ジャンル)も本が売れているようだった。
周囲のサークルは、人が入ってくるにつれ、1部、また1部と売れていった。
人が少ないな~とは思いつつも、ネットでは、「午前は事前に検討していたサークルを回り、調べていないところは午後から」みたいなことが書いてあったので、自分のところをすべて素通りされても、「午後になったら1冊くらいはね…」と思っていた。ただ、周りでは、「見せてもらってもいいですか」と見本を手にとる人もいる中で、自分のところだけ、素通りされていて(少し表紙を見る程度)、そんな事象が起こる予感すらなく、少しずつ不安になった。
周りをきょろきょろし、本を読み、ぼーっとし、ということを繰り返していた。
ネットで「初心者 売れない」みたいなことを検索し、「コミケは事前に検討していたものを買うと時間がなくなり、新規開拓する時間がない」みたいなことが書いてあって、今日は売れないんだと思った。
午後になって、周りでは「見せてもらってもいいですか」という人が増える中で、自分の前にはそんな人は一向に現れる気配がなかった。
それで、まずは「見本」と書いた付箋に「手に取って読んでみてください」という一言を添えてみたが、字が下手なこともあってか、あまり効果はなかった。
次に、あらすじを書いた画用紙を設置した。すると、1人か2人が、そのあらすじを読んでくれていたようだった。ただ、結局、見本も手に取ることはなく、そのまま去っていった。
このころ、前日にあいぽんの充電を忘れていたため、ツイッターで「売れない実況」をできなくなり、さらに不安とみじめさが募っていった。
また、このころから、精神的にしんどくなり始め、「ああ」とか少し声が漏れた。
(ただ、今回はあまり一般参加者が少なかったこともありますが、あまりにも本が売れる気配がなく、盗まれる心配がないので、(お釣りは持っておくとしても)本を放置してふつうにトイレに行くことができました。本が盗まれたら、それはそれでよかったのですが……。)
売れる気配がないので、周りのサークルがどんな本を売っているのか、少し見て回った。
14時頃から周りのサークル参加者が撤退し始め、会場にいる人も少なくなってきた気がしたので、15時になったら撤退しようと決めた(あまりに辛すぎたのと、時間が経つのがあまりに遅く、1時間を耐えられなかったため。)。
「もしかしたら15時くらいまでに買う人が来るかも!」という期待は見事に打ち砕かれ、全く人は来なかった。
最後に、右隣りの人の本(もともと興味があった。)を1冊買って帰宅した。
帰る途中、周りがコミケに参加できてよかったという晴れやかな顔(だと思う)をしながら帰っているのを横目に、一人、うな垂れて、重い荷物を持って帰宅した。とてもみじめな気持ちになりました。
◎コミケを終えて
心は折れたものの、「いきなりコミケに参加したのがよくなかったのでは?(ジャンルオンリーのイベントから参加した方がよかったのでは?)」という思いと、昼頃にした「売れない」みたいなツイートをリツイートしていた人が、応援してくれるツイートをしていたので、もう少し頑張ろうと思いました(在庫も残っていますので)。それに、1部でも売れるまではあきらめきれないところです。
ちなみに、「全く売れないかも」と想像できても、実際に全く売れない(素通りされるだけ)ときのみじめさは、想像できておらず、耐えがたかったです(初参加を目指している人向けにフォローすると、たぶん後で笑い話にできる系の失敗談なので、果敢にチャレンジしてほしいです。)。
◎反省点
反省点1: そもそも最初にコミケに参加することがよくなかったのではないか。
二次創作を作って同人誌即売会に参加しようと思ったときに、真っ先に思い浮かんだのがコミケだったのでコミケに参加したけれど、まずはジャンルオンリーのイベントに参加して、それを通じて知り合いを増やすところから始めた方がよかったのではないかと思いました(ネットの受け売り。ジャンルオンリーのイベントがあるのは知っていたが参加したことはない。)。
実際には、C99は参加者の人数が制限されていたので、単純にこのジャンルの参加者も減ったからその分買ってくれる人が現れる可能性が減ったという可能性もありますが、今後どうなるか分からないので、コミケに一般参加者の人数制限があることを前提に考える必要がありそうです。
とりあえず、私はジャンルのオンリーのイベントに一般参加するところから始めます。
反省点2: 表紙に、そのアニメのイラストが描かれていなかったのがよくないのではないか。
周りのサークルの新刊等を見ていると、表紙にアニメのキャラが描かれており、ひとまず手に取ってもらえていたように思います。そうでなくても、素通りしようとしたときに、一瞬目に留まっていたように思います。
確かに、自分としても、ほかのサークルを見ているときに、表紙にアニメのキャラが描いてあると、「どんな内容の本なんだろう」と思って手に取ってみたくなる感じはありました。
しかし、この点は、私の主義思想に反する(アニメのキャラのイラストを描くと著作権に真正面から抵触してしまう。)ので、利用許諾を受ける道筋や実際の取扱いが分からない限り、自分にとって今後も採ることが難しい作戦です(本作品の内容とは異なる物語の小説を書く場合、著作権法上の複製権や翻案権に違反しない場合があるようで、今回の私の二次創作小説も、著作権を侵害していないのではないかなと思っています。)
なかなか難しい思想を持ってしまいましたが、この点について自分の中での折り合いのつけ方は今後要検討です。
たぶんディスプレイの仕方などほかにも反省すべき点はあるのでしょうが……。
なんやかんや言って、(今度は売れるようになった上で、)もう一度サークル参加したいですね。
以上
20代後半長女、手に職系の仕事。社会人経験5年目。平均身長、ブス。
仕事はだいぶ慣れてきて、めちゃくちゃできるわけではないけどぼちぼちやれる人でいたいし、人間関係は良好で時々同期先輩後輩などとご飯に行けるような関係を築きたかった。
恋愛も普通の男性と付き合ってて、しょうもないこと話して笑ったり時々喧嘩したりして後数年で結婚できるかなー?くらい思えるような生活がしたかった。
貯金もそこそこ貯まってきてて、通帳眺めてニヤニヤしたり、兄妹・友達と会って愚痴やしょうもない話や恋バナをして盛り上がって明け方まで飲み明かしたりしたかった。
ここまでが理想の話。
現実は最初の職場で人間関係拗らせて先輩からは睨まれるし、後輩に近付かないように言われたし、怒られる恐怖で学習した事はできないしミスばっか繰り返すし、挙げ句の果てにコロナ直撃で不眠過食空吐きが止まらなくなり休職。復帰しても雑用しかさせてもらえず、上司と話し合いすら取り合ってもらえず退職。
貯金は度重なるストレスで散財してばかりでここ一年でやっと少しずつ貯金できるようになったので雀の涙しかない。趣味すらままならなくなった。
転職して今の職場は人間関係こそ良好だが、仕事内容が緩すぎてやりがいを見出せず一年足らずで転職を決意。新卒の頃に落ちた会社を再度受けたら正採用をもう一度受けてもいいと言う期限付きの非常勤で働かせてもらえることになった。
恋愛は周りはどんどん彼氏ができて、結婚する人すらも出てきた。しかし私は新しい人間関係を受け入れるキャパシティがなくお誘いがあっても全て自分でシャットダウンしてしまった。恋愛したい気持ちはあったがもうなんか無理だった。
友人とは時間的な都合が合わなくなりなかなか会えなくなった。
社会に出て思い描いていた理想の人生と全然違っていた。私がメンタルをやってた時には「理解のある彼くん」はいなかったので嘔吐しながらも自分で立ち上がるしかなかったし、社会人は親に甘えないというプライドだけで立っていたし今も立っている。
現状を周りの人は「少し遠回りしてるだけだよ」と言ってくれるが遠回りどころか体感全身複雑骨折なんだが?というか兄妹は普通に最初の職場で上手くやってるじゃん!
兄妹や友人が人生のステップを確実に踏んでいっているのに対して、一人職歴はボロボロだし、彼氏もいない寂しい喪女のできあがりである。
正直若さを失い、ろくな恋愛経験もなく、特別秀でた美貌もステータスも才能もない女が今後、結婚どころか恋愛すら望めるとは思わないし、それでもそれなりに長く生きなくてはならないと思うと一人で生きる覚悟をしなくてはならないだろうが、なかなか覚悟が決まらない。
誰かに頼られることもないし、誰かに選ばれて愛されることもない。かと言って自殺する勇気もない。
隣の芝を羨んでも仕方がないのはわかっている。自分なりに一生懸命生きてきた結果が現状で、それでも届かないのも現状で。周りの人だって努力して裏で泣いたりしているのもきっとある。
ただ、現状私は何も持っていなくて、他の人は何かしら持っている。私が欲しいもの全部持っている人もいる。勝手に人と比較して隣の芝が青くて青くて仕方がなくて妬ましく思っているのは私だ。このままだと最後に私が持っている家族や友人のカードすら無くしてしまうのは時間の問題になってしまう。そんな浅ましい自分の現状が本当に嫌だ。
もうアラサーの女が何を泣き言言ってんだ、という感じだが、私は幸せになりたいだけでどんどんそこからかけ離れていっている現状が本当にしんどい。人間年を取ると持ち物が重くなるはずなのにだんだん持ち物が軽くなっている自分が辛い。ここからどうすれば起死回生できるか毎日考えてしまう。
なんで幸せになりたいだけなのに、こんなに生きるのが苦しいんだ。
PMS持ちだけど妊活のためにと低容量ピルをやめたら毎月が地獄
こんな地獄みたいな時間に耐えながら低容量ピルやめるのがんばってるのにいざ排卵のタイミングかなって日に夫がセックスしてくれないのがPMSの精神直撃して一気に抑鬱入ってボロボロ泣いてしまった
体調とか仕事とかタイミングとか色々とあるのは理解したいんだけどさ
PMSの精神状態もあって、はぁ!?じゃあ私のこの3週間ぐらいのしんどい思いはなんのために!?みたいな気持ちになる
身体の造りの違いなんだから夫だってそんなこと言われても困るだろう
そもそも私は子供すごく欲しいわけじゃないのに!!て思ってしまってもうだめ
大体こんな最悪の精神状態の時にセックスしないと子供ができない仕組みとか人体おかしくない!?
そもそも私は子供なんてもってはいけないタイプの人間じゃない!?もう死ぬか!?みたいに精神が飛躍する(PMSで精神バランスがいかれているので)
夫のことは好きなのに
ちゃんといっぱいサポートもしてくれて大事にしてくれてるのわかってるのに
なんかもうPMSで精神バランスがいかれてそういうのなにもかもすっとばしてイライラしてしまって、愛してくれてる夫にもこんな気持ちになる私には生きている価値はないのでは死ぬべきでは?のループ
そこへ踏み出すだけの覚悟もない
でもここ2ヶ月は仕事に支障をきたすレベルだったし、でも夫は子供たぶん欲しいんだよ、なんでその希望に私はうまく答えられないんだ!?ていうのと、私のこのつらさはなんで夫にうまく伝わってないように思えるんだ!?ていうのがループ
私だっていつもにこにことまではいかなくても穏やかでいたい、つらくてイライラしてるんだけど、それで夫に心配かけるのだっていやなんだよ、うまく伝わってない…て思う気持ちと矛盾してるけど…
はーーーーーーーーーー消えたい
今日みたいな日に宝石の話をすると思い出されるのがお互いを思い合う夫婦がお互いが欲しがってそうなプレゼントを買ったら、お互いに欲しがっていたものではあったけれどそれを買うまでにお互いの大事なものを売ってプレゼントを買う為の資金にしてしまった為に不要になってしまった。っていうお話ですね。
たとえ間抜けな結果になっても良いからお互いを思い合ってプレゼントを買う事に意味があるんだぜっていうのをそのプレゼントが不要になるという結果付きで持ってくる奴です。
その行動こそが尊いんだよ!って奴ですね、ガンガルでもザクでもなくちゃんとガンダムを買ってきたけど子供は逆に親が派遣バイトの仕事中にしんどくないようにガンダムのDVDを売って、その金で手編みのマフラーでもゴワゴワした手袋でもなくヒートテックを買いに行くみたいな感じでしょうね多分、現代で改変するなら。
まぁ、何買うかぐらい相談しなさいよ、下手なサプライズが一番盛り上がりづれえよって話ですよね。いくら尊いとはいえ。