はてなキーワード: その男とは
私は多分レズだと思う。多分というのはまだレズだと認めたくないからだ。
私は今高校生だ。自分がレズかもしれないと思ったのは中学生の時。彼氏ができたが、どうしても恋愛的なこと(ハグとかキスとか)ができなかった。代わりに私がそういうことをしたいと思ったのは、英語担当の女性教師だった。
その時から自分はおかしいのではないか?と思い続けていたが誰にも言えないまま高校生になった。中学の時の彼氏とはとっくに別れていて、また新しい彼氏ができた。しかし、その彼氏も人としては好きだったが、恋愛的なことはどうしてもできなかった。やっぱり私は別の女性に恋をしていた。
この年頃の女子が大好きな恋バナが私には苦痛だった。一人ずつ好きな男子言ってこう!って流れで、好きな人をでっち上げて好きな所を話すのが辛かった。
身近に人として好きな男子がいなかったわけではないから、その男子の人として好きな所をあげれば、皆私がその人のことを好きだと信じてくれた。
でもそのたびに私は疑問に思ってしまうのだ。どうして異性のことを褒めると恋愛対象として好きになるのに、同性は褒めてもそういう好きだと思われないのだろうか。
最近、LGBTというような言葉をよく聞く。LGBTの人々を偏見の目で見てはいけない!とかいう授業も今は保健の授業でやると思う。
ただ、本当にLGBTに対する理解が広がっているなら、どうして"異性を好きになるのは当たり前"という考えが未だに無くならないのか。
とはいえ私は孤独だとは思っていない。少ないとはいえ、私がそういう人間だということを受け入れてくれた友達もいる。身近に認めてくれている人がいる私は恵まれている方なのかもしれない。
でも、私は世間の目がやっぱり怖いのだ。
私がレズならなぜ彼氏ができるの?と考える人もいると思う。本当の本当にレズの人なら、彼氏が作れる時点でレズじゃないよとも思うかもしれない。
タイトルとは言っていることが違くなるが、正確に言えば私はレズよりのバイなのだと思う。男の人と付き合えなくはないが、それは私にとっては苦痛であるのだ。だから、自分でもレズかバイかの判断ができない。でも、やっぱり私は女の人と付き合いたい。
世間の常識から外れることは私にとっては恐怖でしかなくて、我慢して普通でいられるなら、私が我慢すれば、隠れて交際しなくて済んで、皆に祝福される結婚ができて、親に孫に会わせることができるのだから、私が我慢すればいい。
そういう考えを捨てられないから、私は男の人と付き合うのをやめられないし、多分男の人と結婚すると思う。親の理解もないし。
私がもし結婚する人を見つけて、その人との子供産む日がきたら、母親としてその子に、誰を好きになっても良いんだよって育てるのが今の私の夢だ。
昨日有吉が出てる番組をたまたま見た(普段テレビ見ないから番組名はわからない)
「ゲームばかりしてたから」彼氏いない歴=年齢って説明してたんだよね。
本人も、番組もそんな感じにいってた。
三度の飯よりゲーム、年に6回くらいある学校のテストよりゲーム。
そんな感じだけど男に困ったことがないんだよね。
ゲームやってて、ある程度知識とか実力がついてきたら自然と男は寄ってくる。
まあ、女だったら下手なうちでも男は寄ってくるけど、
自分的に普通以上に上手くなったくらいの方がゲーマー男が寄ってきた感じがする。
別に私自身が男漁るつもりまったくなくても(彼氏がいて周りにまったく興味がなくても)
男は捨てるくらい寄ってきてた。
ネトゲでもRPGでもゲーセンでも、むしろ趣味があること自体、男の人に好かれるポイントなんじゃない?
発言とか見てて、ゲームに熱中しすぎて恋愛に興味がまったくなかったわけじゃなさそうだし。
仮に作るとしても、周りの男の人とか新しくゲーム関係とかで知り合い増やしたらいいだけなのに。
ゲーマー男が嫌だったのかな。
女「あ、ごめん。これなら良い?」
男「ごめん。……(イラッ」って感じある
痴漢を見かけたときに一番トラブルが少ない声のかけ方が秀逸…「喧嘩をする必要はない」「女性は遠慮しがちなので痴漢に直接言う」など - Togetter
こういう、冤罪を恐れる無関係の男性に対しても協力を求める穏当な意見に対しての馬鹿のコメントがこちら。
anmin7 いやいかんでしょ見逃しちゃ。無理強いはできないけどさ……
kosrei これでは本当の痴漢を捕まえられないリスクがあります。
はっきり言えば、たとえ痴漢をしようともしてない相手であっても通報するレベルでなければ痴漢を撲滅させることはできないのではないでしょうか。
個人融資のオプションで債権者のオヤジと関係を持ってたバカ女の第二段階の話
最後の返済のときに私は先方の提案を受け入れることにした。特に指定の日を決めるではなく日数だけ月に五日と定め、時間は昼前からだいたい夕方まで。彼が望んだときと私の都合が合致したときに限り泊まりもあり。ただし泊まりのときは昼前ではなく夜からで、その際は二日間にカウントされ、外泊手当を別途。金額は当初の提示通りで、日割りでその都度手渡し。
当初彼は全額月初に振り込みを提案してきたのだが、それは私が断った。理由は二つ。
通帳にこの男の名前を残したくないこと(もちろん向こうの通帳に私の名前も)と、毎回手渡しで受け取らないと、自分がやってることから我に返ることができなくなりそうだったから。まるで仲睦まじいパートナー同士のようにではなく、ビジネスライクな気持ちのままでホテルに入りたいと思ったから。本職の風俗勤務の女性(不特定の一見客と契約相手の違いはあるだろうが)のような割り切った気持ちでいたかったから私は毎回手渡しを望んだ。
先週末に元夫と会わざるを得ない用事があって、約束の場所に私は息子を連れて行かず独りで行った。久々に会った元夫はひげなどたくわえて、いささか若作りが過ぎるようなTシャツ姿だった、今の仕事を尋ねると目を泳がせながら「まあ、いろいろ」と答えたあたり、きっと今も実家であの両親に甘やかされながら無職なのだろうと私は確信した。
本来なら自分が全額返すべき借金を一方的に、半分(しかも親に出させて)私に押し付けて逃げた男。能力に見合わない自尊心と壮大な夢を語るわりに努力を嫌い、言い訳ばかりで社会人としての能力はゼロでウソばかりの弱々しい男。そして私は世間知らずにもこんな男と夫婦だった。要するに私も私で愚かだったのだ。そして子供と生きるために一線を踏み越えてしまい、さらに深みに足を踏み入れ始めた。現在進行形で愚かなことをしている。
事務的に用事を済ませ私は元夫と別れ、その足でホテルへ向かった。一年余り私の債権者であり現在はクライアントである50男との契約を履行するため、初めての泊まりに。元夫にもしなかったことをして、させなかったことをさせ、聞かせたこともない声をあげ、夜更けまで何度も搾り取り、少し眠って朝方目覚めに最後の一回。シャワーを浴びて報酬を受け取ると、その男と朝食すら共にすることなく別れて帰宅すると疲れがどっと出て、軽く横になったつもりが夕方まで眠ってしまった。
毎月の蓄えを少しでも増やすために私がこんなことまで始めたことを知ったら、元夫は(そんな資格はないくせに)さぞかし顔をしかめるだろう。そしてそんな能力もないくせに支援を申し出るかもしれない。もっとも養育費すら出してないんだから当然口だけだ。あの男はそういう恰好だけの男だ。息子に知られるのだけが怖い。まだ何もわかっていない歳だが、いつどのタイミングで知られるのかわからないから細心の注意が必要だ。
男の子が女の子を助けたときにそのお礼がキスという描写が漫画アニメ等にあるけど、自分のキスが報酬としての価値があると自覚できるのってすごい自信だな。
「気持ち悪いからやめろ」と拒絶される可能性など考えもしない。
「ファーストキスは好きな人と」とか考えてる純情ボーイがもしいるとしたら、お礼のキスを口にした場合その男の子のファーストキスを強奪することになるんじゃないだろうか。困ってる女の子をたまたま助けただけでそれ以上の感情がないことはあり得るわけだしさ。
夜浴衣でみんなでお酒飲んで、ダラダラしてたらそのまま眠くなって寝ちゃったんだけど、ふと起きたら、みんなあられもない格好で寝てた。
その時、一人の男友達が仰向けで大の字で寝てたんだけど、下着出して寝てて、アレがあるところがすっごく盛り上がってて、少し毛も出てた。
大きくなったアレ見るのは初めてじゃないけど、下着脱がして直に見てみたい誘惑にかられた。
でも、それしちゃったら、絶対触りたくなるし、触ったら友達起きちゃうし、その状態で起きたら変なことになりそうだから我慢した。我慢したというより、初めから触る気ないけど。
別にセックスしたいわけじゃなくて、ただ触りたいだけだから、求められても困るし。
ただ後で思ったんだけど、寝てる時にアレって大きくなるんかな?他の女の子たちも脚出て寝てた子もいたし、私が起きるまで、その男友達起きてて、女子の寝てるとこ見てたんじゃないかな?
風俗店を利用する同級生あるいは同僚を、心の中で「俗物」と罵っていた。先輩社員の奢りでピンクサロンへと吸い込まれていく同期を、心の底から軽蔑していた。私は今日、その男根への承認という勲章を求めて風俗店を利用する許されざる「俗物」となった。最もなりたくなかった存在へと身を落としてしまった。それだけではない。下らない自尊心と間違った配慮、そして醜い自意識によって、正常に風俗店を利用する彼らよりも程度の低い存在へと成り下がったのだ。そして、自分の汚れた心の言い訳にこのような俗物的な文章を書き残すことが、さらに私自身を俗物へと貶めるのだ。
私は鬱病だった。毎日のように精神的発作を起こし、衝動的な自傷行為――主に私が許し難いと感じている非道徳的な行為を私自身が行うこと――に明け暮れ、一人孤独に単調な日々を過ごしていた。それでも、他者を私の精神的安定の材料として利用しない、という規範を自分に課していた。それが今日、あろうことか破られたのだ。気づいたときには風俗街にいた。私は自身が脳内で散々に罵倒していたあの「大学生」あるいは「社会人」達と同じ線の上に立っていた。ここ数ヶ月の見窄らしい自らの行いを、許されざる粗相の数々を精算するため、最も忌み嫌う場所へとこの脚が無意識に私の身体を運んだのだ。私は鞄から精神安定剤を取り出し、僅かに残っていた飲料水でそれを胃の中へと流し込んだ。
何度も嘔吐しそうになりながら、それまで未来永劫に自分とは関係のない場所だと思っていた欲望の通りを歩いていく。私はこれから、今まで見下してきたあの俗物達と同じ存在となる。価値のない私にはそれくらいの地位が相応しい。しかし、ああ、なんということだろう! 真面目に労働として性交を提供している女性が、そんな卑俗な目的のためにこれから私と交わるという悍ましき状況が発生しているのだ。なんと失礼なことだろう。なんと不誠実なことだろう。彼女らはその吐き気を催すような目的に協力するため労働時間とその身体を提供することに同意するだろうか? ――するはずがない! もしそうでないのであれば、同意しないことを強く勧める! 性産業に従事するということ自体が――その産業構造が現実的に女性への搾取を含まざるを得ないという事情こそあれど――世間一般で言われているような尊厳を切り売りする行為だとは思わない。しかし、私のこの悪意に満ちた目的を拒絶せず性交に応じることは人間の尊厳を切り売りする行為だと言っていいだろう。根源的な悪人である私は、黙ってその目的を達成しようとしているのだ。他者を利用してまで!
最も店舗の密集する地帯に入ってから入店まではそう時間を要さなかった。雨が降っていたこともあってか、休日の夜にしては人通りがかなり少なかった。私は「これ以上ここを歩くのは耐えられない」と感じた地点で歩みを止め、二、三歩戻って完全に初めての領域へと足を踏み入れた。目に映った中で一番美しいと感じた風俗嬢を選び、直後にはその行為が行われる部屋へと導かれていた。他者の外見を値踏みするようなことをしてしまった自分がいやになった。自分は最低の人間であるという自覚が床板を踏みしめる毎に強くなっていった。
部屋に入ると彼女は料金表を提示した。風俗を利用したことのない私には躊躇いの気持ちが生まれるような数字が並んでいた。しかし、高ストレスな仕事には高額な給与が支払われるべきであるから、私はちょっとした電化製品を買うくらいの紙幣を財布から取り出して嬢に渡した。報酬をどこかへと持って行った後に戻ってきた彼女は「じゃあ、脱ごうか」と言った。私は大袈裟に恥じらうような態度を見せ、服をすべて脱ぎ、私の小柄で貧相な身体を露出させた。嬢の身体は今までに見たこともないほど整った曲線を描いていた。乳房も乳首も、腰のくびれも、肌の質感も、すべてがお手本のように綺麗だった。陰毛が除去されているのも相まって、その造形は芸術的ですらあった(後から考えると、このことも私の陰茎の勃起を妨げる一因だったのかもしれない)。
彼女は私に寝転ぶよう促し、乳首を舐めた。あまり気持ち良いと感じなかったが、私は童貞のごとく過剰に喘ぎ声を捻り出した。ある程度ペニスの固さが保たれてきた頃に避妊具を装着し、口淫を施した。口淫にも少し物足りなさを感じたが、私は情けない声で喘ぎ続け、呼吸を速くした。嬢は私の童貞的な反応を楽しんでいるように見えた。不誠実な利用客である私ができるせめてもの償いは、彼女が仕事に伴い感じるであろうストレスを少しでも減らすことだった。私が彼女にリードしてもらう形で性交が行われた。仰向けになった私の九割ほどの固さになった陰茎の上に、彼女の女性器が乗った。騎乗位である。性交が始まってしまったのだ。私はだんだんと罪悪感に侵食されていった。実際、何度も中折れし、心配する嬢に謝罪を繰り返した。「なんだか、とても悪いことをしているような気がしてくるのです」と私は言った。嬢は相変わらず整った顔で、ふふっと笑った。嬢に導かれるがままに体位を変え、騎乗位、正常位、後背位、そしてまた正常位で必死に腰を動かした。彼女の顔は何年も前に別れた元恋人に少し似ていた。正確には、元恋人の加工に加工を重ねたセルフィに似ていた。嬢はそれほど美しかった。しかし、中折れは何度も繰り返された。そうこうしているうちに制限時間は迫り、残り時間が少ないことを告げるベルが鳴った。嬢は残り少ない時間でもう一度挿入をして射精させようとしてくれたが、陰茎の固さを保つために実施された手淫の間に射精してしまった。私は「すみません」と謝った。嬢は数十分間ずっと私の童貞的な反応を楽しみ、時間内に射精できるよう最大限協力してくれた。とても申し訳ない気持ちになった。
性交を終え、受付の中年女性との短い談笑を済ませ、来た道とは別の経路で自宅へと急ぎ気味に歩みを進めた。身体を人通りの多い道へと近づけながら、私は自分の心にあいた穴がまったく埋まっていないことに気がついた。自罰的行為と、それに伴う射精は私の心の問題を解決する方法ではなかったのだ。家に着いた頃には、嬢の顔も思い出せなくなるほど記憶が曖昧になっていた。ここまで書いた文章以上のこと、すなわち映像的な記憶は綺麗に脳内から消し去られていた。ただ、彼女の容姿が美しかったこと、私が情けない姿を他者に見せてしまったことだけが今日の出来事の象徴としてぼんやりと頭に浮かぶだけだった。私は本当に風俗店を利用したのだろうか? それすら疑問に思うほど、私の体験の密度は急速に小さくなっていった。確かなのは、財布の中身が随分と減っているということと、私が以前より私自身を嫌っているということだけだ。
今年の夏、友達みんなで海に行った。男友達の一人の股間がもりあがってて、女友達みんなで鑑賞して、エッチー、とか、変態っ、とか言ってからかった。しばらくして治ったみたいだったけど、やたらと一人の女の子がその男子に絡んでで、また立っちゃった?、とか、ムラムラしても我慢しないとダメだよ、とか言ってたら、また立っちゃったみたいで、だんだん女子達は知らん顔してたけど、絡んでた女子は、きゃー、とか言ってはしゃいでた。後で聞いたんだけど、その二人は結局帰った後にやっちゃったらしい。でも付き合ってないらしい。その話聞いて、なんかモヤモヤが消えない。
ほぼその男版なので正直嫁に来てほしい
談笑しながらこっちに来る男女がいて、その男側に話しかけた人がいた。
失礼を承知で書くと、話しかけた人は顔が崩れてて呂律も怪しく、障害者とわかった。
バス停前だし普通の外着だし路線とかわからんのかな、って最初は思ったんだけど、よく見るとクーポンみたいなものを手に「やきとりやきとり」って話しかけてた。
障害者は普通の格好でぱっと見客引きとはわかんないはずなんだ。
だけど、男は話しかけられても談笑した半笑いの顔のまま横を向いて歩いていくんだ。
口は動いてないし声も聞こえないから談笑は止まってるはずなのに、半笑いのまま視線も顔も向けないんだ。
一度目の前に立たれて足を一瞬止めたんだから気づいてないはずはない。
でも、半笑いで横を向いて談笑している顔のまま避けて行ったんだ。
その男はどこにでもいそうないわゆる普通の男で、スーツも着ておらず、忙しそうな気配も見えなかった。
(スーツ着てたら忙しいわけじゃないだろうけど)
その普通の男が障害者をいないものとして歩いていくことに、なんとも言えない気分になった。
面倒だとかを理由に、障害者にか関わりたくない人間がいるだろうことはなんとなく想像してた。
でも、そこらへんを歩いてる普通の人が、障害者を完全にいないものとして振る舞うとは思わなかった。
もしかして世の中の普通の人は障害者を居ないものとして扱うのが大半なのか?
誰か教えてくれ。
フェミニストがま~んに対抗してち~んと言い出した、というストーリーが既に馬鹿丸だしだ。
何故かってもともとち~んの方が先にあったから。
正確には「ち〜ん(笑)」。
そもそもを言うとち〜ん(笑)もま〜ん(笑)も野球雑談掲示板の造語だ。
そこでは仲良く罵りあうのが作法で極端に口汚い。
贔屓チームが違う同士あらゆる造語を作って罵っている。
例えばそれぞれの贔屓チームに蔑称と「カス」をつけて呼ぶのが基本的な呼び方で、
ケロは何なのかというとケロイドのことで、つまり被爆者にからめて広島ファンを罵っている。
阪神タイガースファンは日頃から「珍カス」、つまり陰茎に溜まる恥垢に絡めた蔑称を受けていて、
その阪神が優勝目前にして歴史的連敗で優勝を逃したときに立った煽りスレがこういうものだった。
くっさいくっさい珍カスの葬式会場はこちら(笑)」
ち〜ん(笑)
これが初出で、2008年秋頃。
このあと阪神ファンにはち~ん(笑)が繰り返されるようになり、彼らの正式な蔑称に。
そして語源であるちんこや男も蔑称としてち~ん(笑)になった。
わかるだろうか。
元増田の嘘松が言わんとすることは要するに「ち~んていわれたらどう思うんだ!」だが、
そもそもま~んよりち~んの方が先だ。
以前、この言葉に対して怒ったフェミニストの人が、対抗して男性のことを「ち〜ん」と表現しているのを見たことがある。確かTwitterか何かだった。
まずそういう話ならログぐらい提示して具体的に論じたらどうか。
あり得ない話だと思うわけではないが総合的に言ってあなたの話は作り話臭いのでソースを見たい。
上述のとおり元々ち~ん(笑)ま~ん(笑)は幼稚なギャグである。
これって、
「自分は今までの人生で女に冷たくされたから」を理由に暴言を正当な権利だと言い張るミソジニー男そっくりである。
ち~んを見て怒る人がいたとして、その人はま~んと関係があるのか?
関係ない人を特定の性だというだけで罵って不快な思いをさせていいのか?
こういう八つ当たりの性差別をして溜飲を下げる意気地なしの男女に言いたいのは
の一言に尽きる。
本当に女にいじめられて人生が狂ったならその女に復讐すれば良い。
父親やクラスメートの男子に酷いことをされて人生が狂ったならその男達に復讐すれば良い。
本来の遺恨の相手に復讐することは怖くて出来ないという根性のかけらもないヘタレが
「女はクソ」とか「私は男嫌いだから」とか言いながら八つ当たりの性差別をチャージして
無関係かつ殴り返してこなさそうな無防備な人間に延々攻撃をしてるのだ。
私はま~んもち~んも言ってる奴は阿呆だと思うが、
彼らはその、きちんと問い詰められれば1ミリも自分の立場を説明できない行いについて、
先日体験した怖い話なんですけど、串カツチェーン店に一人で入ったんですよ。
7席あるカウンターにお好きな席にどうぞって通されたんですけど、両端に二人ずつ先客がいたので距離を取る形で真ん中の席に座ったんです。
だけど先客はすでに出来上がっていて、僕が入ったあと皆早々に店を出て、カウンターは僕一人になったんです。
僕は注文したビールとおつまみでちびちびやって、店内テレビのニュースを見ながら串カツを待ってたんですよ。
そしたらなんか男の人が入店したんです。
そこでなぜか、その男の人、僕の隣に座ったんです。
なんか話しかけられるのかな〜怖いな〜って思ってたら、その男の人、ipadで漫画読み始めたんです。
いやたしかに何をしようとその人の勝手だしいいんですけど、それなら漫画をゆったり読めて僕のことが気にならないような端の席とか行った方がいいじゃないですか。
店員は混乱して彼を僕の連れだと勘違いして串カツを二人の間に置こうとするし、向こうはなにも気にしていないようだったし、訳がわからなくて。
そのことで変なスイッチが入ってしまったのが、ある女性の派遣さん。
いつもその男性の陰口を言うようになった。
でも男性は仕事ができる人(だから正社員になった)だし、みんな取り合わなかった。
仕事の段取りが悪い(メールですむのに電話してるとか)とか性格が悪い(意味不明)とかの言いがかりばかりだったし。
そもそもその派遣さんはまったく仕事できないし、陰口言いまくる性格なのに・・・。
でもしばらくしてパワハラオヤジが男性に「あなたのせいで派遣社員が困っているんだよ!」と怒鳴り散らすのを聞いた。
パラハラオヤジはフロア中に聞こえる大きな怒鳴り声で有名な人で男性の上司のさらに上司だった。
派遣さんが言うには男性の「問題」をパワハラオヤジに「相談」するようにしたって。
相談って・・・、告げ口じゃん。問題っていつもの言いがかりでしょ、と喉まで出かかった。
その後も告げ口派遣さんはパワハラオヤジに相談という名の告げ口を繰り返した。
告げ口と言っても男性が仕事の失敗とかをしてるわけじゃないから、結局仕事の段取りとか性格とかで言いがかりつけるだけ。
でもパワハラオヤジに告げ口すると男性に「あなたに派遣社員が困っている」と怒鳴り散らす。
男性が「何が問題なんですか?」と聞いても答えは「あなたは自分でわからないのか?」だよ。
普通、そういう場合って双方の言い分を聞くのが当然だと思うけど、パワハラオヤジは絶対に男性の言い分を聞かなかったし、当事者同士で話をすることは許さなかった。
これ、当事者の男性が一番つらいと思うけど、まわりでパワハラを聞くのもつらい。
仕事は成功しているのに「そういう段取りはおかしいでしょう!」と怒鳴り、問題は起こってないのに「あなたの性格だと問題が起こる可能性があるんですよ!」と怒鳴る。
このパワハラの原因が告げ口派遣さんだとだと知っていた私はその醜悪さに聞いていて吐き気がしたこともある。
入ってきた新入社員は「あれ何なんですか?僕には無理です。」と言ってすぐに辞めた。
男性はパワハラオヤジにも自分を守ってくれない直属の上司にも見切りをつけたみたいで、仕事以外のプライベートな話は一切しなくなった、そりゃそうだよね。。。
そして告げ口派遣さんは切られた。
SNSに近況書いていたら、絶縁していた両親と姉に刹されかけた
SNSに近況書いていたらそれを見た両親と姉に刹されかけた。
両親、姉、私、弟の五人家族だったけど私は「美形揃いで優秀な一家」の癌だった。気が付いたときには存在をシカトされるようになった。
具体的には家族旅行に私は含まれていなかったり、「ブス、デブ、バカが移るから一緒にご飯を食うな」と中学に入る頃には部屋でぼっち飯を命じられたりした。
自分で作って食べようにもキッチンは母の城だったから、勝手に材料を消費すると「一丁前に食べるのね。出来損ないのくせに」と心底冷たい目で暴 言を吐かれるので作れなかった。
私と家族の溝を気にかけていた祖父母が間に入って連絡先だけは控えるように言ってくれたけど、かけたこともかかって来たこともない。
どっちも都内に住んでいるから会おうと思えば会える距離だけど、会う必要がなかった。
私はといえば、高校を出た後に学費を捻出するために二年ほど今でいう地方の期間工のようなところで働き、二年遅れで進学した大学を出た後は普通に社会人やって、それなりに独身生活を謳歌している。
その頃SNSに、日常のちょっとした嬉しかったこととか、趣味のツーリング中に撮った写真や、友人たちと飲んだりランチしたりした時の写真をupしていた。お猫様二匹にお仕えしている光景とか。
没交渉が十年以上続いたある日のこと、突然母から連絡が入った。
上に書いたようなほかほか家族なので、正直反応に困った。とりあえず出てみたら金策だった。
事情も言わずに3億都合しろと言ってきた。そんな大金あるわけないし、理由を聞いても答えず、話しにならないからこちらから通話を切った。
その数日後に夜道を歩いていたら車に轢かれそうになった。
幸い狭い路地に飛び込んで足を擦りむいた程度で済んだし、その時は荒っぽい運転をする人もいるんだなと思ったくらいなんだけど、それから妙にアクシデントが増えた。
階段から突き飛ばされそうになったり、ツーリング中にやけに煽られて転倒しそうになったり、背後に誰かいるような気がして振り向いたら誰もいなかったりと気持ち悪い日が続いた。
警察に相談したら、心当たりがないか聞かれたけどその時点では思い浮かばず、結局不審者がいるからと夜間の見回りを強化すると言ってくれた。
外出の際は用心してできるだけ人通りの多い場所を通るようにした。
一度断ってからも金策命令は何度か来た。通話に出たのは一度きりだけど、留守電に毎度「育ててやった恩を返せ」と入っていた。
部屋に侵入しようとした痕跡があったことから警察に再度相談し、物件側の立ち合いで防犯カメラをチェックしたら、玄関の鍵を壊そうとしている見知らぬ男が映っていたためこの男を割り出すことになった。
この時点では私には見知らぬ男でしかなかったが、後日これが弟だとわかった。
その男に仕事帰りに車に連れ込まれそうになり、偶然通りかかった二人連れのサラリーマンに助けられ、その男は取り押さえられたものの車は逃走した。
暴 れる男をサラリーマンが押さえつけてくれている間に通報したんだけど、その男が泡を吹きそうな口調でまくし立てた言葉から、「こいつ、もしかして弟か?」と思い至った。
我ながら鈍いんだけど私が家を出た時、弟はまだ中学生。十年以上会っていなかったから面差しも体型も変わっていてわからなかった。
逃げた車はレンタカーだったけど、弟が逃げたのは父と姉だと自白。
何でも、私を誘拐して山にでも連れて行って、金品を強奪後にコロそうとしていたそうだ。
私を轢こうとした車や、ツーリング中に煽った車も、この人たち。事故に見せかけようとしたけどうまくいかなかったし、仕方ないから誘拐してヤろうって考え。
芋づる式に全員逮捕。
コロされるほど恨まれる覚えもなかったんで、檻に入った三人の元に弁護士を雇って事情を聴きに行ってもらったけど、実家は相当カネコマだったようだ。
実家が財政難になった要因は、姉が結婚詐欺に引っかかったこと。
婚約中に詐欺師から持ちかけられた投資の話に乗った父は、言われるまま退職金を含むかなりの大金を投じたそうだ。結果、多額の負債だけが残った。
姉自身、詐欺師の連帯保証人か何かになったらしく結構な金額が伸し掛かった。
大学院生だった弟は大学を続けられず就職も決まらず、父はすでに定年退職し母は優雅な専業主婦だったはずなのに貧困に喘ぐ生活を余儀なくされた。
お風呂屋さんで働いていた姉が、何かの拍子に私の書き込みをみたらしく、そこに書かれていた「宝くじで3000円あたったw」という書き込みを3億もっていると勘違い。
家族は自分たちがこんなに惨めな思いをしている時に私が幸せに暮らしているのが許せなかったそうだ。
直接話を聞いたわけじゃないから推察でしかないけど、借金返済に追われている時に、物の数に入っていなかった出来損ないが幸せに暮らしていれば逆恨みもされるだろうな。「三重苦の分際で」って。
高校まではデブだったけど、大学進学前の生活がが働きながら有酸素運動していたようなものだったからスリムになったし、社会に出ている女として化粧もしているから、当時を知っている友人たちは「整形したみたい」だって言うし。
「宝くじの当選金で全身整形した」って思いこんだのかもしれない。
事態が飲み込めた時、さすがにショックで病んだ。
その弁護士に彼らが持っている負債が私に向かないようにしてもらった(両親のタヒ後の負の相続も含めて)り、住民票をブロックしたり、変なところで冷静だった。
独身なんでお猫様さえ養える暮らしさえ確保できれば所在地はどこでもいいんで、会社に異動願を出して遠方に引っ越し、病院通いしながら平凡に暮らしている。
【辛い描写が出てくるので閲覧ご注意ください】
京アニの事件があった。あれから、友人に連絡が取れない。既読のつかないライン、夢に出てくる彼の顔、10分置きに被害者リストと検索をかけている。
多くの人が、今日アニのために祈っている。多くの人が、募金箱にお金を入れる。多くの人が、「生きて真相解明を、生きて罰を」と望んでいる。多くの人が失われてしまった京アニの財産を悼み、多くの人が有名な監督の安否を気遣う。それは当然のことで、現実的なことで、そしてとても尊いことだと思う。
そのうえで、僕はこの文章を綴る。
なお僕はこの事件のずっと前に、人を焼死というかたちで失くしている。最後の吐息を、苦しむ様を、肌を、僕は知っている。それがどれほど凄惨なものであるかを、知りたくもないのに、僕は知っている。
僕は彼が好きだった。彼が夢を叶えるためのあの場所に、どれほど頑張ってたどり着いたか、どれほどの夢を見ていたかを僕は知っていたし、彼の仕事への姿勢を、僕はとても尊敬していた。一緒に作り上げてきたものがとても素晴らしいものであったことを、僕は誇りに思っている。
こんなことを言うと怒られるかもしれない。でも、僕は、彼が「著名な人間」ではなくても彼を愛していたし、彼が彼の仕事をしていなくても彼のことが大好きだった。
多くのアニメーターさんの命が失われた。文化の消失であり、文明への許せない反逆だ。
多くの人が僕と同じように苦しんでいる。34人の方々の、怪我をされた方々の近しい人たちが、みんな苦しんでいる。直接に関わりのなかった人も、心を寄せ、その無事を祈っている。だから僕は、決して僕が僕と分かる場所で、この言葉を吐きだすことはしない。だってそれは、「35人の方々の、怪我をされた方々の」近しい人への暴言になるかもしれないからだ。
でも、ここでだけ言わせてほしい。
文化や資料の損失、それに思いが至らないくらい、僕はただ、個人でしかない、僕の友人のことが、ただ心配している。その無事を祈っている。
有名な監督の安否を心配する声が流れるなかで、僕はただ、「一個人」であった、まだ名前も出ていない彼の安否を願って夜をすごしている。優秀な技術者だったから、彼を、彼たちを、彼女たちを心配しているわけじゃない。名付けられないスタッフひとりひとりに、その無事を祈る人間がいる。そのことを、どうかだれかひとりにでも知ってほしい。
多くの人が京アニのために募金をし、その再建を祈り、願い、思いをはせている。とても尊いことだと思う。多くの人が「お金では何も戻らない、でも何かせずにはいられない」と考えて、お金を入れている。僕ももちろん入れた。
だけど、多くの人が言っているように、京アニが復活しても、そこには34人の姿はない。
これは決して、「募金をするのが無駄だ」とか「偽善だ」とかじゃない。入れている人達の多くが、戻ってこないことを承知で、それでも自分にできることを探して、大切なお金を入れている。それが前を向くための力になることも知っている。
だからこれはただのやるせなさとどうしようもなさと無念さで言うのだけれど、人の命はお金では買えない。戻ってこない。決して。それにどうやって折り合いをつけたらいいのだろう。
今まで何度もこの言葉を聞いた。僕はそれをわかっているつもりだった。でも、全然わかっていなかった。被災地に、犯罪被害者の方々に届けと入れてきた多くの募金は、それでも僕にとっては「他人事」だったことに気づく。本当にごめんなさい。
選挙のこともほかの芸能ニュースも、申し訳ないけれど、僕にはどうでもいい。だって彼らは生きている。選挙には行ったけれど、世の中のあらゆる動きは、僕にとってはどうでもいい。それらにもとても大切な意味があるということを、今の僕は「知って」はいても、どうしてもクリアには「感じ」られないのだ。
犯人について
犯人の話も出ている。よく見るのは
1.犯人の背景の話
2.生きて償え、生きて真相を語れ
3.これから二度とそんなことが起きないようにするために、対策が必要
という3つだと思う。
1については正直、どうでもいい。犯人の背景にどのようなものがあろうと、その男が全き加害者で、京アニの人達が全き被害者であることは間違いがないからだ。精神障害があった? 苦しんでいた? それがなんだというのか。それによって差別がうんぬん、という話すらどうでもいい。
その男の背景に思いを馳せてその男を許そうとすると考える人がいたとして、そしてそれが今回の件のご家族なのだとしたら、僕はそのご家族の勇気に敬意を表したいと思う。
そうでなければ黙ってろ。その男の背景を持ってその男を擁護する人には、夢を希望を奪われ、苦悶と壮絶な痛みのなかでもがき苦しみ、喉がやけて息ができなくなって、「なぜ」の声も届かないまま死んでいく己の家族を見ても言えるのかと聞きたい。
こういうことを言うと、「仮定の話をしても無意味だ」と言う人もいるだろう。だが、「仮定の話」を考えることができないのであれば、その人は想像力と共感力の欠けた化け物なのだと僕は思う。
2はよく見る意見だし、僕にも分かる部分がある。僕と同じ立場の人でも、このように望んでいる人もいるだろう。ただ、それでも、僕はあくまで僕だけの考えで言いたい。今まで一度も言わなかった言葉で、僕ははっきりとこう言いたい。「死ねばいいのに」ではなくて、心の底から言いたい。
「どうか、死んでいてくれ」。
「刑罰を受けなければならない」「神格化されてはならない」「真相を究明しなければならない」という意見は本当にその通りなのだけれど、僕はあの男がたとえ生きていたとしても、僕たちが望むような刑罰も、僕たちが望むような真相も、齎されることはないと思っている。
日本は法治国家だ。だから僕は、その男が拷問によって死ぬべきだとは決して言わないし、その男の家族に累が及んではいけないと考える。だが、そうである以上、あの男に下されるのはたとえ死刑判決であっても安寧に満ちた「首吊り」という終わり方に過ぎないのだろうし、そしてそれが実行されるのは何十年も後のことになるだろう。
真相などない。狂人に真相などない。そしてたとえ真相が語られたとしても、亡くなった方が生きて帰るわけじゃない。亡くなった方は声をあげることもできずに命を引き取ったのに、なぜあの男にだけ法廷で声を挙げる権利が許されるというのか。なぜ、自らの、けったくその悪い最低最悪の言葉を、「真相」という言葉で語ることが許されるのか。死刑廃止論とかそういう議論に使われるのもごめんだ。私怨で構わない。
死んでくれ。死んでいてくれ。死んでいてくれ。どうか、死んでいてくれ。
これから二度とそんなことが起きないようにするために、対策が必要
3の意見もよく見る。たしかに正しい話だし、二度と同じことが繰り返されてはならない。再発があってはならない。
でも、この言葉を語る人に、反論ではなくて、ただ本当に純粋に聞きたいのだ。
「セーフティーネットや孤独を感じる人へのフォロー、世界が裕福になったとして、本当に『狂人』が現れないと思いますか?」と。
孤独が人を狂わせることはたしかにある。セーフティーネットがあれば防げていた事件もあるだろうし、実際に防がれたこともあると思う。そういう意味では、これは有効だ。
だけれど、どのようなきめ細やかなネットであっても、そこから漏れる人は必ず出てくる。ネットに引っかかっていたとしても、犯罪を起こす人間はいる。
今回の事件は、「社会が悪かったから」起こったんじゃない。社会がよくなっても、事件を起こす人間はいなくならない。
それに、亡くなった人は、「次の事件が起こらない布石になるために」死んだわけじゃない。このような発言をする人も、決してこんな意味で言っているのではないと推測はできる。
歌の歌詞ではないけれど「意味のない悲しみはないと思う」と僕も願いたいし、今までずっとそう思って生きてきた。そしてそうすることが、この痛ましい事件から立ち直る方法のひとつだとしても、それでも僕は、「対策」から外れる人間がいることも知っているし、このような事件がまったく起こらなくなるわけではないと知っている。
「今回の事件から学ぶ」「二度と同じ思いをしない世界へ」これはたしかに意味のあることだ。
だけれど、「今」亡くなった人は、二度とかえってこない。
その言葉をネットに流す意味を、「今」亡くなった人がいた・その人を愛しく思う人達がいるネットに流す意味を、どうかお願いだから考えてほしい。
残された人のこと
未来を夢を希望を一方的に奪われた犠牲者の悲しみを、僕は決して「分かる」なんて言えない。言える筈がない。僕が思いを馳せられるとしたら、「残された人のこと」だけだ。
楽しく語り合った時間、一緒にとった写真、ともに作り上げた作品。それらはすべて優しくて面白い思い出の筈なのに、一番つらい記憶と重なることの残酷さを僕は思う。思い出となるものが、一番苦しい記憶に重なって、そしてそれは決してなくなることはない。思い出が鮮やかであれば鮮やかであるほど、夢と希望と命を奪われた愛する人の胸を苦しみを思い出してしまう。
僕は人の死を何度も見てきた。だけれど、「だれかに、理不尽に、奪われた命」は、また違う意味を持つ。命の尊さやご家族の苦しみに優劣や軽重はない。それはわかったうえで(僕自身も、それの経験者だ)言う。故意に、だれかの手によって、理不尽に、身勝手に、苦しみを持って愛する人を奪われたことの慟哭は、その人と紡いだ楽しい記憶さえ蹂躙してしまうものだと。
もうひとつ。
僕は彼と、随分「大人」になってから知り合った。子どもの頃からの付き合いとは異なり、多分彼の交友関係もまた、彼の家族はそれほど明確に把握はしていなかったと思う。
だから、彼の名前が公式で発表されない限り、僕は彼の安否を直接的に知る方法はほとんどない。あらゆる方法で連絡をとったけれど、ご家族がそれを目にして、そしてご返信をされない限りは(当たり前のことだけれど、それを強制するわけではないです)、僕は彼の本当の安否を状態を、知ることができないのだ。
これはとても難しい問題だと思う。「被害者の名前を公開するな」という気持ちはもちろんあるだろうし、それは責められるべきではない。被害者のプライバシーは守られるべきだ。だから僕は、僕のところに連絡がなくても、それを批判はしない。
ただ、心配なだけだ。ただ、安否が知りたいだけだ。そして、「それがしれない環境」をどう打破していいのか分からず、毎日夜を過ごすことしかできないでいる。
これからのこと
「本当に友人だったらこんなことを書ける精神状態じゃないはずだ」「事件にカコつけてみてもらいたいだけ」「自分に酔っている」と思う人もいるかもしれない(たとえ匿名であっても)。ただ僕は彼のプライバシーを書く気はないし、また僕も「僕」としてここに綴るつもりもない。酔っていると言うのならそうなんだろう、こんなつらい話、いつもの精神状態で、いつもの語り言葉で話せるわけがない。ただ、書いていて、吐き出して、それでいい。僕は僕自身が落ち着かないということで、これを書いているだけだ。
僕は彼からの連絡を待つ。それ以外にできることはない。ただ、そうはわかっていても、僕は何度も被害者名を調べる。身勝手なことだ。ほかのご家族やご友人だって同じ気持ちでいるのに、僕はその「被害者名」のなかに彼がいないことを願って、ずっと調べているのだから。
ただ知りたい。彼がどうしているのか。彼が今何をしているのか。「覚悟を決めなさい」と言われたけれど、それでも彼の無事を祈り、僕は彼の連絡を待っている。
京アニを、なかにいた人を愛していた人たちの「心配」「何かできることを」の気持ちを、この吐露によって傷つけてしまったとしたらごめんなさい。「心配」「祈ること」「自分達ができること」をやりとげる人達に、心から敬意を表します。僕はまだ、現地にいけません。心が追い付きません。まだ安寧を祈るところにまでたどり着けていません。僕自身の未熟さゆえの話です。「安らかな旅路を」とさえ、まだ祈ることもできない。あまりにもむごい事件だったから。
僕はこの事件を、政治的な解釈と結びつけたくはないし、陰謀論も知りたくありません。ほかの犯罪や事故との比較もいりません。僕がこの事件に、今まで接してきた事件のどれよりも深くショックを受けているのは、社会的道義や主義主張などの話ではなく、ただただ身勝手に、僕個人として、僕の友人が心配だからです。僕は僕の怒りを憤りをやるせなさを、社会的道義や社会的倫理観に代えることはしません。犯人の背景や思想もどうでもいいです。ただ友人の無事を祈ります。
僕は仕事をします。彼は僕の仕事のやり方を好きだと言ってくれていたから。だけれど、日常に戻れない人にも僕は寄り添いたいし、寄り添われたいと思います。
「被害者のなかに、実際の知人・友人・家族がいる人」と、「京アニという会社を、なかのスタッフを画面を通して心から愛していた人」と、「痛ましい事故に心を寄せ、自分ができる限りのことをしようとしている人」との間には、たしかにどうしても、どうしても、どうしたって越えることのない、仕切りはあると思います。あります。
その仕切りがあっても、だれもが祈り、願い、心を馳せることの尊さは、決して変わりません。喜びは分け合うことができても、悲しみは分け合うことはできない。でもそれでも、僕は人が持つ人の可塑性を、人の持つ人への愛情を信じたいと思います。その可塑性が亡くなった人にはもうないのだとしても。残された人間にしか感じられないものだとしても。
(また、これはあくまで「人間」を対象としているので、人間ではないあの男に対しての言葉ではありません)
読んでくれてありがとう。