2019-09-11

生きづらいレズの話

私は多分レズだと思う。多分というのはまだレズだと認めたくないからだ。

私は今高校生だ。自分レズかもしれないと思ったのは中学生の時。彼氏ができたが、どうしても恋愛的なこと(ハグとかキスとか)ができなかった。代わりに私がそういうことをしたいと思ったのは、英語担当女性教師だった。

その時から自分おかしいのではないか?と思い続けていたが誰にも言えないまま高校生になった。中学の時の彼氏とはとっくに別れていて、また新しい彼氏ができた。しかし、その彼氏も人としては好きだったが、恋愛的なことはどうしてもできなかった。やっぱり私は別の女性に恋をしていた。

この年頃の女子が大好きな恋バナが私には苦痛だった。一人ずつ好きな男子言ってこう!って流れで、好きな人でっち上げて好きな所を話すのが辛かった。

身近に人として好きな男子がいなかったわけではないから、その男子の人として好きな所をあげれば、皆私がその人のことを好きだと信じてくれた。

でもそのたびに私は疑問に思ってしまうのだ。どうして異性のことを褒めると恋愛対象として好きになるのに、同性は褒めてもそういう好きだと思われないのだろうか。

最近LGBTというような言葉をよく聞く。LGBTの人々を偏見の目で見てはいけない!とかいう授業も今は保健の授業でやると思う。

ただ、本当にLGBTに対する理解が広がっているなら、どうして"異性を好きになるのは当たり前"という考えが未だに無くならないのか。

とはいえ私は孤独だとは思っていない。少ないとはいえ、私がそういう人間だということを受け入れてくれた友達もいる。身近に認めてくれている人がいる私は恵まれている方なのかもしれない。

でも、私は世間の目がやっぱり怖いのだ。

私がレズならなぜ彼氏ができるの?と考える人もいると思う。本当の本当にレズの人なら、彼氏が作れる時点でレズじゃないよとも思うかもしれない。

タイトルとは言っていることが違くなるが、正確に言えば私はレズよりのバイなのだと思う。男の人と付き合えなくはないが、それは私にとっては苦痛であるのだ。だから自分でもレズバイかの判断ができない。でも、やっぱり私は女の人と付き合いたい。

世間常識から外れることは私にとっては恐怖でしかなくて、我慢して普通でいられるなら、私が我慢すれば、隠れて交際しなくて済んで、皆に祝福される結婚ができて、親に孫に会わせることができるのだから、私が我慢すればいい。

そういう考えを捨てられないから、私は男の人と付き合うのをやめられないし、多分男の人と結婚すると思う。親の理解もないし。

私がもし結婚する人を見つけて、その人との子供産む日がきたら、母親としてその子に、誰を好きになっても良いんだよって育てるのが今の私の夢だ。

私が子供産む時が来たら。その子大人になる頃には。(本当は産まれた時がいいけれど)

LGBTの人が生きやすい世の中になっていればいいな。

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