はてなキーワード: 逆転現象とは
※性能が高い順
製品名 | NVIDIA公式の価格 | PCパーツ屋の価格 |
RTX3090 | ¥ 229,800 | 35万円⤴ |
RTX3080Ti | ¥ 175,800 | 18万-23万 |
RTX3080 | ¥ 109,800 | 18万円⤵ |
RTX3070Ti | ¥ 89,980 | 9万-12万 |
RTX3070 | ¥ 79,980 | 13万円⤵ |
RTX3060Ti | ¥ 59,980 | 10万円 |
RTX3060 | ¥ 49,980 | 8万円 |
・RTX3070TiとRTX3070の価格の逆転現象が起きている
・RTX3080は値下がっているものの転売ヤーor仮想通貨マイニングする奴のおかげですぐに無くなる
・ゲーマーはRTX3080Tiを買ったほうが在庫と価格の関係からも得
・RTX3070TiとRTX3080Tiは仮想通貨マイニング制限がついているものの、一部通貨のマイニングでは性能がフルで出るようなのでそのうち値上がりする可能性大
そういうのはもう、イクメンじゃないよ。
イクメンってのはあれだろ?子育てを手伝っている奴らのことだろ?
お前はどっちかというとメイン子育て人であってそういうサブキャラじゃない。
...でも、それやると、いわゆるその辺の家庭と逆転現象が起きてない?
その辺の家庭だと何かあったらお母さん、お父さんはもういいよみたいな感じだと思うけれど、お前の家では何かあったらお父さん、お母さんはあてにならないってなってそう。
わーぱぱやってるといかに女性たちが男社会に進出するのが大変だったかを身をもって理解させられるよね。
最近のオタク活動で、推し応援に協調性や周囲の評価ありき なのがよくわからん。
良くも悪くもオタクなんてのは自分勝手であり、周囲の評価なんてものを気にしないことが特徴ではなかったのか?
それ故に引かれるほど過激な活動が目立つってのはあるが、一方で目立たないとか活動したくないってのもオタクの特徴だったはずだ。
もちろん、評価されるのは嬉しいし、気が合えば協調することもあろうが、それらは結果であって目的ではないと思っていたのだが、最近どうも、むしろそれが目的になっているようなのが不思議だ。
スポーツとか、その他の、まあ一般的といわれる活動よりも、オタク活動のほうが「評価や協調が得られやすいから」オタク活動してる、みたいな逆転現象のように感じる。
SNSの登場とIT文化との親和性から、一般的な活動よりも、単にオタクカルチャーのほうが「楽」っていう、そんな雰囲気を感じる。
で、ブルーオーシャンだと思っていたのが、いつの間にかレッドオーシャンになっていて戸惑っている、って感じ。
こうなるとオタクとか関係なく、目の付け所だけで目立てるブルーオーシャンの時代は終わったんだ、ってことを自覚するしか無い。
戦後ずっとこの国は成長して来ていて(過去完了型)、そんな時代にそこから取り残された者としての障害者や老人なんかへの福祉が叫ばれた。どんどの豊かになっていく暮らしの中で、まるで戦後バラック生活みたいな悲惨な暮らしをしている人間がいるという事で、国民の理解も得やすかった(朝日訴訟とか)。
翻って、今はどうか?
失われた20年で国民の所得は下がり、しかし福祉はむしろ充実して行った。障害者の主な収入は障害者年金と障害者手当、それに生活保護だけど、これらが所得と比べて落ちてないのは周知の通り。バリアフリーも進み、生活用品の支給なんかも充実している。
要するに、弱者のはずの老人が貰う年金が、若者の収入が落ちまくってるのに変わらないのと同じで、逆転現象が起きてる。そこへ持って来て、決して待遇が良いとは言えない駅員を、コロナ禍のど真ん中に平日旅行としゃれ込んでる障害者が言論でぶん殴ったら何が起きるか?起こるべくして起きた事だと思う。
福祉ってのは経済的繁栄のおこぼれなのに、ゼロ成長で没落しつつある国で福祉だけは事前の計画に沿って(多少の減速はありながら)充実している。要するに、あの重度障害者は、不労所得で食ってる地主や年金付きの官位持ちみたいになってるわけだ。
先天障害はお気の毒だと思うが、ヘルパー派遣・補装具支給・大量の金を突っ込まれて働かずに生きている彼等が「我こそは弱者なり」と誰かを言論でぶん殴るなら、同じ拳が返ってくるくらいは覚悟するのは当たり前だろう(銃で撃たれたりないだけ日本は平和だ)。
エレベータ設置にせよ人員手当にせよ、「お前にかかった金はどこから出てると思ってる?」ってのは、給料の数割を社会保証の名のもとにふんだくられてる貧乏人から出る言葉としては、一番穏当な部類だろう。
まあそもそも、各種の「活動」で矢面に立った人間(だいたいは医療関係者と行政関係者、あとたかられる企業)はあの手の活動家や団体を大っ嫌いになるので、今までたまったもんが吹き出してるって面もあると思うけどね。
外交画面もチェックせずに戦争始めて大同盟に包囲されたようなもんで、良く言って「当てが外れて残念でしたね」悪く言えば「ざまあ」としか思えませんわ。
https://anond.hatelabo.jp/20210318185716
最初に言っておくと、“擁護”という言葉、muchonovさんこそが批判されているというフェイズにおいてその様に用いられる“擁護”という言葉は、ただの批判回避でしかありません。『「xx批判」に対する批判』を「xx擁護」という事にしておくと、あくまで批判されてるのはxxだけという事に出来て、「xx批判」こそが批判されてる事実を誤魔化せる、そういう小手先のテクニックです。これはその意図の有無に関わらず、です。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
いやいや、意味わかんないですよ、これ。
だって「発端」のブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699940658477561058/comment/muchonov)は
「好意の多寡」云々と強弁してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちが権利者の意向には簡単にゴロニャンするという構図は変わらない。自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
ですよね。
それに対してこちらが、それは“事実上の『私は「表現の自由」について全く理解していません』宣言”だよねと指摘して、そこにmuchonovさんから返ってきたブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699974732078626146/comment/muchonov)が
そうかなあ? 自分は著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える一方で、元増田は「グロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもあり」だと言ってるんですけど。
この時点で、もうだいぶ「????」なんですが、これについてこちらが『“著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える”様なmuchonovさんが“コンテンツホルダーの意向には簡単にゴロニャン”とか言っちゃうの、さすがに意味不明すぎでは。』と指摘して、それに対する応答が上の増田なわけですよね?(こちらへの応答だけのつもりではないにせよ)
日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
とか仰ってますけど、笑ったの、他ならぬmuchonovさん自身ですよね。その“笑われても構わない”って、それ「笑う側のmuchonovさん」からしたらつまりは「“表現の自由戦士”たちは、おとなしく我々に笑われてろ」の意味なわけですよね?うん、やばいですね☆
って、muchonovさんの中では、「著作権」と「表現の自由」が、かめはめ波の撃ち合いか何かみたいになっていて、「著作権」の方が勝ってる…という様なイメージなのでしょうか?
もう何度も述べてきている事ですが
「表現の自由」で最も重要なのは『価値観の自由競争(市場)』。『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つ(もちろん重要だが)。『表現の自由度』はその結果。
です。
これは、『絶対に「正しい」とされる、そんな「思想」は存在しない。だからこそ、「思想」の媒体たる「表現」は常に「自由競争」の下にあらねばならない。』事こそが、「表現の自由」の根幹である、という話です。
また、「市場」の中で自身の「効用」を最大化する事は、個々の主体が持つ権利であるべきだから、という考えに基づくものでもあります。
ですから、もしこれを否定しようとするならば、『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明しなければなりません。完全に狂気であり、全知全能の神の召喚でも試みた方が早いレベルだと思います。
つまるところ、その根幹が「自由市場」である以上、各々の「私的所有(財産)」を認める事は「表現の自由」に織り込み済みだと考えるべきです。「表現の自由」vs「著作権」、どちらの方が“優越する”か(アクセルとブレーキ、どちらの方が強いか)みたいな話とは違います。
ですから、“日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして”も、「私的所有」を認める事に“ギャップ”はありませんし、もちろん笑われる理由も存在しません。
これはmuchonovさんに限った話ではないと思いますが、恐らく『「権利がある」というのは、「その“権利”を行使した時に不評を買わない権利がある」の意味ではない』という事を理解されていないか、もしくは失念されています。
他の言い方をすれば、『「ルール」に従うか/逆らうか』と『「ルール」を肯定するか/否定するか』は、それぞれ別の事柄だという話でもあります。
(一応言っておくと、個人的には例の“お願い”について、曖昧であり「忖度学級会」を誘発するものだとして、2018年6月時点で批判的にコメントしています。)
また、「私的所有」を認めるという事は、その是非(その「大きさ」の妥当性や、そもそもの有無等)を問わないという意味ではありません。それは「表現の自由」とは別個の問題として論じる事ですし、今回の流れで言えば、もう少し著作権に関する是非は、議論の俎上に載ってもよいだろうと考えます(個人的には著作権はもっと「小さく」していくべきだと考えていますし、むしろ逆に「大きく」なる傾向のある現状については危惧しています)。
実際、話題になった「馬名のパブリシティ権」の話は、その辺りが問われた件だとも言えるかもしれません。もちろん逆に、「せやかて、やっぱ馬名については馬主が優先的ステークホルダーであるべきやろ」と主張するのも、それはそれで一つの考えでしょう。
どうであるかと、どうあるべきかは、やはりそれも別の事柄なのですから。
muchonovさんは二者の関係を「権利者と利用者の力関係」と述べており、もちろん嘘ではないのですが、それ以前にまず「供給主体と需要主体」の関係である事を忘れてはなりません。
コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。
供給側としては、コンテンツに対する需要がなくなってしまう事こそが最も恐れる事態の一つであり、つまり(馬主のご機嫌よりもよほど)需要側のご機嫌こそを気にしなければならないわけです。趣味で製作しているアートか何かではないのですから。
恐らくは、だからこそ曖昧な“お願い”なのであり、また2018年6月20日なのでしょう(せめてアニメ放映中には冷や水を浴びせたくない、夏コミが控えてる、ゲームはしばらくリリースできそうにない…というタイミング)。
そしてもし、muchonovさんが記した様な「逆転現象」が起こるのだとしたら、それこそが「惚れた弱み」であり、正に元増田が述べていた状態そのものなのです。
「お客様は神様」と「殿様商売」との間で揺れ動く、その実に「自由市場」的な動きの中で「表現」の在り方も変動するというのは、むしろとても「表現の自由」的である、とすら言えるでしょう(元増田に、そこまでの考えがあったとは思わないし、個人的にはやはり「忖度学級会」には否定的だが)。
にもかかわらず、それを“バカみたいじゃん。”と切って捨てるmuchonovさんの発言のほうが、よっぽど“バカみたい”なのではないでしょうか。
HanPanna 価値観の自由競争というのはrag_enさんの造語なので、法学だと思わないように(もし学説があれば教えて下さい)"思想の自由市場"について知りたいならコチラのブログのが良いです。https://arecolle.hatenablog.com/entry/2021/03/06/124923
“法学”ってどこから出てきたん?というか、『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つでしかないよ(大切だけどね)って話、してありますよね?ちゃんと読んでます?
なんか理解されてないようですけど、その箇所への反論は「ちゃんとできるようにしてある」んですよ。つまり『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明してみせればいいだけなんです。はい、頑張ってください。
まぁ、HanPannaさんが同じ話題でやらかすの、これで3回目ですし、間違った事でも言い続ければ押し通せるみたいなの、完全にオカルトなんで勘弁してください(HanPannaさんに許可を頂ければ、過去のやりとりも晒しますよ)。
あとリンク先、よりにもよってU.G.R.R.の人かよ…ギャグで言ってるのか?ってのが正直な感想ですけど、ぶっちゃけ謎の(マジで謎の)出禁を食らってるので(とはいえ、さすがに閲覧不可は無視するが)言及は避けておきます。やさしみ。
Silica ところでこの"価値観の自由競争"の中では寛容のパラドックスはどうなるんだろう、この人の言う"SJ"的な価値観がその競争に勝利したらどうなるの?
僕がこの文章に感じた違和感は、次の一文に象徴されていると思う。
この部分、論理的に接続していない。信頼を集めたのは「結果」だよね。信頼を集める≒女性をモノにするのが「目的」なら恋愛工学2.0だけど、元の文章はそんなことどこにも書いていない。問題なのは何でも信頼を勝ち取るゲームに違いないと思い込んでしまう読み手の増田の方。
死語だけれど、「割れ厨」と「購入厨」という言葉を思い出した。
割れ厨とはゲームや音楽などのコンテンツを違法ダウンロードする輩を揶揄する言葉。対して購入厨は、割れ厨が、コンテンツを真っ当に購入して楽しんでいる人を揶揄する言葉。「対価を払って商品を購入しろだなんて正論を言いやがって。マウントを取ってくるあいつらは"購入厨"だ」と。
「チンポ騎士団」って揶揄も結局「購入厨」と同程度の言葉だと思うんだよな。正論でマウント取ってきやがって、どうせ先生から褒められたいだけなんだろう、的な反抗期の中学生みたいな考え方。
女性を人間として丁重に扱えば女性から信頼される。そんなん当たり前のことで、何も責められる謂れはない。というか女性に限らず、男も含めて人間を人間として丁重に扱う人物が信頼と尊敬を集めるのは道理だし、何が問題なのかわからない。
真っ当に、真摯に女性ないし人間に接していたら、結果的に、周囲からの信頼を集めることになる。恋愛工学とはここが根本的に異なる。モテるのは結果であって、目的ではない。(さらにはここでいう"モテる"は単に信頼されるというだけであって、セックスできるわけではない)
なのだけれど、何でもモテるモテないで物事を考えるコンプレックスの塊みたいな人間は「セクハラをやめましょうなんて正論でマウント取ってきやがって」「人間を丁重に扱って他の人間から信頼されるのはずるい」とかよくわからない認知を構成するんだよな。どうすればいいんだろうな。まぁどうもしなくていいんだけどさ
セクハラやめようと言ったら非モテに対するマウントになるのかー。じゃあ物を盗むなと注意したら窃盗犯に対するマウントになるのかねー
彼が、ゲームの参加者であることをひた隠しにしてゲームに参加していること、そして、おそらくこれを読んだ女性の多くがそれに気づかず、むしろ筆者に信頼や感謝の気持ちを寄せること。その逆転現象も含めて違和感を強く感じたんだ。
・「彼がゲームの参加者である」=「女性からの信頼、もっと言えばセックスを獲得するために、打算的に、敢えてセクハラをやめようなどと言っている。下心があるに違いない」という意味だと思うけれど、こう思った根拠は何?
・「人を殴るのはやめよう、物を盗むのはやめよう、その他倫理的に正しいことをしましょうや、って主張には須らく下心があるに違いなくて、周囲からの信頼を得ることを目的とした打算的なものであり、信用できない」と考えている?
分かった。モヤモヤの正体が。
絶賛バズり中の安原健太さんの記事( https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899 )を読んで、どうもモヤモヤした感情が拭いきれず、僕はそれを簡単には言語化できないでいた。
あれから何度か読み返してみて、少しだけ整理できてきたことがあるので、ここに書き残しておきたい。
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僕がこの文章に感じた違和感は、次の一文に象徴されていると思う。
”結局、無理して飲まなくていいからね、気にしなくていいからねと言った俺が一番信頼を集めていた。”
そう、彼もまた、他の多くの男性と同じように、女性からの”信頼”を勝ち取るゲームに参加しているんだ。目的はなんであれ。
だから、偶然彼に女兄弟がいて、おそらく彼自身の容姿も平均以上で、青年期に女性から蔑まれた経験などもなかったがゆえに、自信をもって女性と対等に接する機会を得、何度も繰り返し接触をすることで、ほかの人よりも少し、戦略が研ぎ澄まされているというだけで、結局見ているものには大差がないように感じるんだよ。
文中にところどころ、非モテ男性にマウントをとるような表現が差し挟まれていたり、なんだか極端に被害女性の立場に寄り添う演出が見て取れたり、彼自身の自意識が漏れ出るような部分があったり、
本来は最後の2行で言いたいことは完結しているはずなのに、余計な飾りつけが多すぎるんだ。これは同じ男性だからこそ持ちうる違和感なのかもしれない。少なくとも僕にはそう感じた。
彼が、ゲームの参加者であることをひた隠しにしてゲームに参加していること、そして、おそらくこれを読んだ女性の多くがそれに気づかず、むしろ筆者に信頼や感謝の気持ちを寄せること。その逆転現象も含めて違和感を強く感じたんだ。
ただの僻みだと取られるかもしれないけれど、取られたらそれはそれで構わない。
女性に寄り添うふりをして、「どうした?話聞くよ?」と言って近づいて、自宅に上がり込んでスキを狙うような男は自分の友達の中にもいる。そしてそいつはモテるし、そいつのことを嫌いな女子もたくさんいる。
そんな生々しい事例を、同性の側からよく見てきたからこそ、言っていることの内容の正しさに、素直に共感できないのかもしれない。そして、文章の端々に、そんな彼の中にも存在する「シタゴコロ」とやらを敏感に感じ取ってしまうのだろう。
だから、この文章が、より安全にモテるための恋愛工学としてしか読めなかった。
女性を尊重する安原さんの言動はとても立派だし、良い部分は真似をして、僕も努力をしていきたいと思う。
けれどただ単に、文章の全体から僕がそう感じてたというだけの話だ。あくまでも個人的に。
程度の差はあれど、この文章を読んで、どこか言いようのない違和感を持つ男性はいるのではないかなと思う。
ただしそれは、セクハラを肯定したり、セクハラ被害者に自己責任を押し付けるような態度では決してない。
かの文章でも、tiktokや痴漢のくだりなんかは、全面的に同意だし、僕もそういう行為は本当に許せないと思う。でもどこか、そういう行為をする人の背景(あえて気持ちとは言わない)を分かってしまう自分もいる。
分かる自分もいるからこそ、安原さんのように断言口調で、セクハラ一歩手前の言動さえも含めて、全否定するような気分にはなれないのかもしれない。自分の内面に手をあてれば、きっと自分も同罪だから。
思うことと、それを口に出すことには雲泥の差があるとは思う。
けれど、個人の哲学の問題として捉えてしまえば、セクハラ的な感情を抱くことは、それはもう自分にとっては罪に近いものなんだ。
女性を容姿で判断したり、胸の大きさや足の長さに惹かれたこともある。
一方で、容姿だけでなく、性格や話しぶりも総合して、この人本当に素敵な人だなと思って、自分本意で、かわいいですね、素敵ですねと声を掛けてしまったこともある。
女性に対する信頼や愛情と、シタゴコロとの境はとても曖昧で、僕はいつもはっきりとした区別をつけられずにいる。
人は他害的な存在を排除するよりもむしろ受け入れる傾向がある。日頃増田達は「他害性」をめぐって極めて攻撃的な弁舌を振るう。例えば性加害。社会的な立場を利用した加害。そういった加害性、つまり他害的な行為についてはてなー達は大いに否定し、社会においてそれらを排除することを望む。少なくともそのような言説を頻りに持ち出している。
とは言え、実際のところ現実において人は他害性を否定するどころか、他害性を大いに受け入れている。
このような言い方はデタラメであり逆説を弄する姿勢だという誹りを受けるだろうが、事実は増田らの言説とは逆である。以下説明を行っていく。
社会において排除されるのは、他害性を持つ存在ではなく、むしろ他害的傾向を持たない存在ばかりである。
他害性はコミュニティから排斥される条件としてではなく、むしろコミュニティにおいて受容される条件として見做されているのである。例えば、会社のポストに就いている幾らかの人間を想像してみて欲しい。全く他害的な性質を持たない人間がいるだろうか? 否である。
あるいは、イジメの構造も好例となり得る。イジメは必ず多数者により少数者に向かって行われ、その逆はあり得ない。つまり、イジメという行為の構造は、「コミュニティに属する人間の多くが他害性を受容している」ことに本質を置いているのである。これは何故なのか?
ごく単純に言って、他害的傾向を持った人間を排除しようとすると、その他害性の被害に遭う可能性があるからである。他害的な性質を持った他者を排除しようとすることで、報復に遭う可能性があるからである。だからこそ人は他害的な存在を受け入れるのだ。
また、ここで逆転的現象が生じることになる。つまり、人は他害的であるからこそ他者を受け入れるようになるのである。
他害的である他者を受け入れなければ、他害性による被害に遭う可能性が生まれる。だからこそ、他害性を持った他者を人は積極的に受け入れるようになるのだ。他害性はむしろこの場合、人間関係における受容の条件にさえ当て嵌まっているのである。一方で他害性を持たない存在はコミュニティから排除される。コミュニティに受け入れられるのは他害性を備えた他者だけだからである。そのため、人間は本能的に、システマティックに他害性を持つ他者のみをコミュニティへと受容し、他害性を持たない他者のみをコミュニティから排除することになる。
多くの人間はこの逆転に気付いていない。それはシステムだからである。システムに思考は必要無く、反省も必要ないからである。
とは言え、他害的な他者を受容することは、無意識化においてストレスを人間に与えることになる。それは当然のことだ。あくまで、人は他害的な他者を、自分がその他害性の標的にならないためだけに受容するからである。では、そのストレスはどのようにして解消されるのか?
つまり、他害的ではない者に対してストレスが向けられるのである。何故ならば、そのようなストレスを他害的で無い者に向けたとしても、そのような他者は他害性を発揮しないからである。つまりは、そのような他者からの報復を受けない(受けにくい)からである。このような他害性の逆転現象は現実において大いに散見される。繰り返すように、学校や会社におけるイジメ行為などが正にそれであり、また、増田においてもそれらの傾向は如実である。ホッテントリには往々にしてこの「他害性のある他者から受けるストレスを解消するために、他害性の少ない他者をターゲットにして言説を展開する」という主旨の記事が上がる。
MTGAのランクマッチには構築とリミテッドの2つのフォーマットがあり
毎月、どちらかのランクマッチでミシック(最上位ランク)1200位以内にランクインすると翌月開催の世界大会予選の出場権が獲得できる。
これに絡んでイマイチ釈然としない現象が発生するため、増田に周知しておきたい。
ブロンズ → シルバー → ゴールド → プラチナ → ダイア → ミシック という序列になっている。
1勝すると勝ち点が1点もらえ、1敗すると1点失う。
勝ち点を規定数積み上げるとランクアップする。失点の積み重ねによるランクダウンはない。
ミシック到達後は勝ち負けによって変動する順位が付くようになる。
毎月2ランクダウンする。
MTGにおいてリミテッドとはシールド戦とドラフト戦の総称であるが
MTGA上ではシールドが常設されておらず、ドラフト戦を意味すると思って問題ない。
ドラフトでは、プレイヤー複数人がパックをもちより開封し、出たカードによりデッキ構築して対戦する。(ルールの詳細は割愛)
ランクマッチの参加費が有料(800円前後)であるため構築戦よりプレイ人口が少ない。
長々と前置きしたが、ここからが本題。
MTGAのリミテッド戦を好んでプレイしている場合、なんかやな感じの現象が発生する。
前述したようにリミテッド戦は有料であるためプレイ人口が少ない。
そのため各月の半ばにミシック到達するとその時点で300位前後にランクインでき
その後、リミテッドをプレイしなければ徐々にランクが下がるものの月末時点で1000位以内は確実である。(→世界大会予選の出場権が獲得できる。)
一方、ミシック到達後もリミテッドをプレイしていると基本的にはプレイすればするほど順位がさがる。
これは自分はミシック到達しているにも関わらず、対戦相手の大半は下位ランクのダイヤまたはプラチナであり
ゲームに勝利した際の順位上昇は小さいが下落は大きくなるためだ。
ミシック到達後もリミッテッドをプレイし続けると1200位から漏れてしまう。
参加費を払ってプレイしているにもかかわらず、放置した場合より損な部分が発生する逆転現象が起きており
プレイヤーが合理的な判断をするとリミテッド戦からミシックプレイヤーがどんどん減り、上記現象がどんどん発生しやすくなる。
これは運営・開発であるWotCにとってもマイナスなのではないだろうか。
なんかやな感じである。
逆から考えてみればいい。
つまるところ人間(生物)が持つ性質の大部分は自然淘汰に対して有利な物ばかりだ。
ここでデブ(バカ)向けに補足をすると、これらは「生き残ろうとする意思の結果」ではなくて「たまたまランダムに持った性質のうち生き残りやすいものが残った」というだけだ。
そうだな……君が無造作に粘土を捏ねて作った物体をお盆に並べてそれをグラグラと揺らしたとしよう……するとその中で球体に近いものや滑りやすいものは下に転がっていき、より摩擦を獲得しやすいものや傾きにくいものがグラグラに耐えてお盆の上に残るだろう。
しかし、それに対して、丸いものよりも角張った物が形として全面的に優れていると論じるのは暴論でしか無いことは肥満の人(頭悪い人)でもご理解頂けるだろう。
自然淘汰に対する耐久力を優劣として判断するのは、単なる物差しの一つでしかないのだ。
しかし、自然界においては子孫を残せなければそもそも存在できないので、いま地球にいる多くの生き物は、自然淘汰を乗り越えるような性質をいくつも"持ち合わせられてしまっている"のだ。
人間がカロリーが高いもの美味いと感じるのは、人類が子孫を残すのにおいて非常に有利な性質だ。
人間が甘いと感じる糖が多く含まれたものは栄養価の吸収効率が高く、それを積極的に求める生物はカロリー不足に陥って死ぬリスクが当然のように低くなる。
だが今度は逆にそういった食べ物によって肥満化しやすい連中が子孫を残すのが不利になるという逆転現象が起きている。
これもまたある種の淘汰によって獲得した性質だ。
必要以上のカロリー摂取は無意味な体重の増加という形で余計なカロリーの消費を生み出し、群れ全体にとっての餌場の効率(ナワバリの範囲と生活可能な日数の比率)を低下させることになる。
もう一度逆から考えてみよう。
つまり、人間が本能的にカロリーが高いものを美味いと感じることなど、「自然界で生き延びやすくなるにはどちらが有利なのか』という物差しを当てて考えれば、自明でしかないのだ。
このツイートで共有されているコンテンツの一部またはすべてに異議が唱えられており、選挙や他の市民行事への参加方法について誤解を招いている可能性があります。詳細はこちら
「恐らく多くの日本人は民主主義の本家・米国で大掛かりな不正が行われるとは思っていなかっただろう。しかし、現実には大量のトランプ票が破棄されていた州でご覧のような不自然な動きで逆転現象が生じた。しかも、それが予めトランプ陣営が“予告していた通り”の出来事だった。舞台は法廷へと移る。 https://t.co/RVRAcQFkXo」 / Twitter
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「修正作業でも、、、ですね。開票率1%(最大5万8000人)で、12万票がバイデンに入るのは計算が合わない。 RT @BattleShipAkagi: @daitojimari トランプ側は裁判に持ち込むことは、ほぼ確定のようですね。郵便投票は不正ができることが証明されましたね。」 / Twitter
この2人は他のツイートでもバイデン側が不正したとか投稿しまくってるのに規制受けてるのはこれだけ。他のツイートも通報は受けてるはずだと思うが、どんな基準で警告表示になってるんだろう
予算あるんだろうなぁ、と感じるゲームが多い。しっかり作っている。
あと数年で、日本のゲームは大手を除き中国製に淘汰されるのではないか。
一方でウイグルや香港、台湾に対する中国の姿勢は支持できるものではない。
かつての韓国や中国では、「日本は嫌いだけど、日本のエンタメは好き」というジレンマを大勢の若者が抱いていた。
まあ、一番興味あるのは
ネトウヨと萌えヲタを両立している人達が、中華製萌えエンタメが市場を席巻したとき、どう態度を変化させるかって所なんだけど。
ちなみにこれは、ここ数日でVtuberが台湾発言したことでBANされ元会社が中国共産党にすり寄った声明出してたり、原神にスパイウェアが入ってる等と大騒ぎしたりしてるニュースを横目で見ながら書いてる。