はてなキーワード: 自由度とは
産休に入る。予定日まで一カ月ほどあり、出産に向けた準備はおおむね完了している。腹がめっぽう重くあまり動くと具合が悪くなることもあり、できれば家でゲームをして過ごしたい。思考力が落ちているので、他人のおすすめを知りたい。
自分は盆などの連休時にのみ据え置きゲームをプレイするライト層。日頃はソシャゲメイン。家族(夫)が任天堂ヘビーユーザー。
ハードはSwitch希望。PCは所有しているが残念スペックなのであまりゲームには向かない。アクションゲームはあまり得意ではない(先日、ゼルダの伝説夢をみる島(リメイク版)をクリアし大いに楽しんだが、ボス戦はほとんど夫に代わってもらっていた)。ゲーム画面で長文を読むのが苦手なので、ノベルゲームや物語重視のアドベンチャーゲームは好きではない。
ちょうどセール中。中毒性が高いのでハマれば一カ月をゆうに潰せそう。初プレイ難易度が高そうなのと、世界史に疎いと楽しめるかどうかわからないのが不安。
ちょうどセール中。何をやるゲームなのかはよく知らないが、アクション控えめでオープンワールドというとこれが最適解な気がしている。ハリポタは別にファンとかではない。
中毒性が高いらしい。Fワールド的見どころはX(Twitter)でおおむねネタバレを見尽くしたのでプレイしても答え合わせになる気がしている。カイロゲームのドット絵は個人的にはやや好みではない。
ゼルダの伝説夢をみる島が好きだったので、同じグラフィックの本作も気になっているが、このグラフィックなのに夢じゃないんかいというツッコミをまだ飲み込みきれていない。アクション面が不安。
エロい女の子がいっぱい出てくる本格派タワーディフェンスゲーム。ゲーム内セオリーを習得していくことで徐々に高難易度ステージをクリアできるようになって達成感があり、楽しかった。最ハマり期は5~10時間/日やっていた。寝室がある。ドット絵が好き。
戦略シミュレーションゲーム。エロい女の子は出てこない。難易度NORMALでも相当苦戦したが、試行錯誤がうまくいくと楽しかった。Switchで一番長時間プレイしたゲーム。ドット風絵が好き。CV中村悠一。
読み物系ゲームは苦手だがこのくらいのボリュームなら楽しくプレイできる。これ以上のボリュームはムリ。ドット絵が好き。
なぜあんなにハマったのか今から思い返せばよくわからないがとにかくハマった。狂ったようにプレイし気が付くと辞めていた。MODの自由度が面白かったのかな。曲とドット絵が好き。
フィールド移動とトレーナー戦が個人的には面白さを感じにくく、キャラにもハマりきれず序盤で挫折。ハネッコ(推しポケ)がフヨフヨ飛んでるのが可愛かったのは満足。
プリンセスピーチShowtime!、ピノキオ隊長、ヨッシーのクラフトワールド。グラフィックが素晴らしく、感動したが、自分は3Dアクションを楽しむ感性が他人より劣っているためかうまく楽しめなかった。どれも良いゲームだと思う。
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「王立穴ポコ学園」「ロマサガ2リベンジオブザセブン」「ゼルダの伝説知恵の借り物」の3作を検討したいと思います。産後はたぶん増田やる時間ないしプレイレビューまでは書けないかもしれないのでこの場で感謝申し上げる。おすすめ書いてくれた皆さんありがとう。
今、ゲーム作っている。
『アンダーテイル』って、知ってるだろ?
俺みたいにゲームをあんまりしない人でも名前は聞いたことあるぐらいに有名だ。
しかもあれを一人で作ったゲームって知ったときの衝撃と言ったら、もう!正直、それだけでやる気に火がついたわけ。
それで、俺もやってみようって思って、ユニティでゲームを作り始めた。最初は難しくて何度も「無理だろこれ…」って思ったけど、やり始めたら止まらなかった。
アセットも使いながらだけど、自分で一から組み立てていく感じがおもしろいんだよ。テストプレイして動くたびに「これ、俺が作ったやつなんだぞ!」って気分になるもいい。
内容は今までにない斬新なものっていうか、簡単に言えば「タクシー乗り回しゲーム」だ。
なんだそれ?って思うかもしれないけど、聞いてくれよ。
普通のタクシーじゃないんだ。車道なんて気にせずにどこでも走れるタクシーで、ガンガン加速して、制限時間内にできるだけ多くの乗客を拾って目的地に届けるって感じのゲーム!
「どこでも走れる」ってのがポイントで、普通の道路だけじゃなくて、例えば広場とか丘とか、ありえない場所でも走れるんだ。
自由度がめっちゃ高いから、自分の好きなルートを見つけ出すのもこのゲームの楽しみ方の一つだし、スピードも出し放題!
でっかい坂をドリフトで駆け上がるとか、道なき道を突っ走る爽快感っていうのかな、そんな爽快感を味わえるゲームにしたかったんだ。
それに、乗客が出現する場所もランダムに設定してるから、毎回違うプレイが楽しめる。
俺が考えたのは、どんなにプレイしても飽きがこない、繰り返し楽しめる構造にすることなんだ。
それに自分で言うのもなんだけどセンスあると思ってるんだ。まぁ、根拠もないわけじゃないぞ。
それで「俺ってもしかして才能あるんじゃない?」とか思っちゃったわけ。
毎日少しずつ作って、それでようやく完成が見えてきたから、宣伝も兼ねて言うんだけど、マジで面白いと思うんだよ、このゲーム!!
作ってる俺が言うんだから、信じてくれ!
暇つぶしに見るXでは、よく弱者男性と売春婦が争っている。働きながら、あるいは働かずに子どもと向き合った。それが正しかったかどうかは、何十年か経ってみないと分からない。以下は、平成初期に弱者男性に育てられた私の事例である。
私の父親は、いわゆる「弱者男性」と呼ばれる部類の人だった。特定の職に就くことはなく、収入も安定していなかったが、何かに対して強く反抗するわけでもなく、静かに自分の人生を受け入れていた。しかし、その生き様は、周囲からは「頼りない」や「社会のはみ出し者」という視線で見られることも多かった。そんな彼が私をどう育て、私はどのように成長してきたのか、その実体験を通して「弱者男性に育てられた子供」の実像に迫ってみたいと思う。
父の教育方針は、決して画一的なものではなかった。むしろ、他の家庭の親と比べてもかなり自由度が高かったと思う。学校の成績や将来の進路についても、父は何も言わなかったし、毎日の生活でも無理にあれこれと教えられることはなかった。勉強をするのも、何かを身につけるのも、すべて私自身の選択に委ねられていた。
しかし、父が何もしなかったかというと、そうではなかった。彼は私と向き合い、ただ「一人の人間」として存在してくれていた。時には、悩みを聞いてくれ、愚痴を言っても無理に解決策を示すわけではなく、「そうか」と静かに頷くだけだった。それが子ども心にとってどれだけ大きな支えだったかは、年を重ねるごとに感じるようになった。
子供時代、友人の家庭を見ては、父と他の親たちの違いに複雑な感情を抱いたこともあった。多くの家庭では、親が積極的に関わり、進学や将来の方向性についても熱心に指導していたが、私にはそれがなかった。友人から「お前の父さんは何してるの?」と聞かれると、答えに困った記憶がある。特に、弱者男性の特徴として「自分が何者であるか」を誇示しないため、父の職業や社会的な立場についても話す機会がなかった。
しかし、今考えてみると、社会が求める「父親像」に囚われず、自由な生き方を貫く父の姿は、自分にとって一つの理想像だったのかもしれない。彼の生き方からは、「社会の枠組みに縛られる必要はない」というメッセージが無意識のうちに伝わってきていたのだと思う。私自身が将来の進路を決める際、父の姿勢を思い出して自分の選択を尊重することができたのも、彼のおかげだろう。
弱者男性に育てられた子供は「かわいそう」と言われることがあるかもしれない。しかし、果たしてそれは本当だろうか。弱者男性の親に育てられたからといって、子どもが必ずしも苦しむわけではない。むしろ、周囲の偏見や社会的なプレッシャーにさらされる中で、自分の価値観を形成し、他者と異なる視点を持つ強さが育まれることもある。
父は私に対して「強くあれ」とは言わなかったが、弱くてもいいと教えてくれた。日々の生活の中で少しずつ身についたこの価値観は、私が社会に出てからも貴重な指針となり、自分の居場所を見つけるための礎となっている。
今振り返ってみると、父がくれた自由さや、独自の視点は私にとってかけがえのないものだと感じる。彼の育児方針は、決して一般的ではなかったかもしれないが、その自由さの中で私は自分らしさを発見することができた。
弱者男性の親に育てられたことが、必ずしも「かわいそう」という一面的な評価に収まるものではないことを伝えたいと思う。彼らの中には、表面に見えにくい形で子どもたちを支え、人生に豊かさをもたらしてくれる存在もいるのだ。社会の「普通」から少し外れた彼らだからこそ、伝えられるものがあると感じる。それは他の親では決して教えられない、大切な人生の一部である。
M理論は、弦理論の進化形であり、最終理論の候補として位置づけられている。
特に、M理論は11次元の時空を基盤としており、5種類の超弦理論がこの11次元時空で統合される特性を持つ。
これらの理論には、M2膜と呼ばれる2次元膜や、M5膜と呼ばれる5次元膜が含まれる。
M2膜とM5膜上の場の理論の自由度は、それぞれ膜の枚数 N に依存し、具体的には:
この関係は、特に行列模型の解析において重要であり、自由エネルギーの評価にも影響を与える。例えば、M2膜の場合、自由エネルギー F は次のように表される:
F ∝ N^(3/2)
ABJM理論は、M2膜を記述するための3次元理論であり、超対称チャーン・サイモンズ理論を基盤としている。
この理論では行列模型が用いられ、分配関数の計算が行われる。ABJM行列模型における分配関数 Z は以下の形をとる:
Z = ∫ ∏(i=1 to N) dμ_i ∏(j=1 to N) dν_j (∏(i < j) sinh^2((μ_i - μ_j)/2) sinh^2((ν_i - ν_j)/2)) / (∏(i,j) cosh((μ_i - ν_j)/2))
さらに、インスタントン効果と呼ばれる非摂動的な効果にも焦点が当てられている。
これらは膜インスタントンと弦インスタントンとして分類され、特定のパラメータ空間で発散が相殺されることが示されている。
膜インスタントンと弦インスタントンの寄与は次のように表される:
e^(-S_膜) + e^(-S_弦)
最終理論とは、自然界のすべての相互作用を高エネルギー領域も含めて正確に記述する理論である。
素粒子物理学は、原子から陽子、中性子、クォーク、レプトンへと進化してきたが、その探求はいつか終わるのだろうか。
現在の研究では、ゲージ群や超対称性による統一が見られ、これらは無限に続くものではなく、打ち止めになる構造を持つと考えられている。
暫定的な答えは超弦理論であり、これが最終理論ならば一意的であることが望ましい。10次元時空における超弦理論は5種類存在し、これらは11次元時空上のM理論を通じて互いに等価である。
M理論は超重力理論と関連し、M2膜とM5膜が存在することがわかっている。
しかし、このM理論は超重力理論から得られる知見以外は謎に包まれている。
N枚のM2膜やM5膜上の場の理論はそれぞれN^{3/2}やN^3に比例する自由度を持つが、その具体的な内容は不明である。
最近、M2膜を記述する場の理論が超対称チャーン・サイモンズ理論であることが発見され、この自由エネルギーもN^{3/2}に比例し、超重力理論の予言を再現する。
高い超対称性により経路積分は行列模型に帰着し、著者らの研究ではM2膜の行列モデルが詳しく調べられた。
非摂動項の展開係数には無数の発散点があるが、それらは格子状に相殺されている。
この結果は、「弦理論は弦のみではなく様々な膜も含む」を実現していると解釈できる。
この行列模型が位相的弦理論や可積分非線形微分方程式と同様の構造を持つことが確認されており、それに基づいてM理論の全容が解明されつつある。
- 6次元のAモデルとBモデル(トポロジカルストリング理論)。
- Ω = ρ + i · ŕ
- V_S(σ) = ∫_M √(384^{-1} · σ^{a₁a₂b₁b₂}σ^{a₃a₄b₃b₄}σ^{a₅a₆b₅b₆} · ε_{a₁a₂a₃a₄a₅a₆} · ε_{b₁b₂b₃b₄b₅b₆})
- ここで、ε_{a₁...a₆} は6次元のレヴィ・チヴィタテンソルです。
- V₇(Φ) = ∫_X √(det(B))
- ここで、計量 g は次のように3-フォーム Φ から導かれます:
- g_{ij} = B_{ij} · det(B)^{-1/9}
- B_{jk} = - (1/144) Φ^{ji₁i₂} Φ^{ki₃i₄} Φ^{i₅i₆i₇} ε_{i₁...i₇}
- V₇(G) = ∫_X G ∧ *G
24種類ジャムを売るよりも、6種類のジャムを並べるほうが購買率が高くなるという結果が出た。
人間には選択肢が多くなりすぎると選べなくなるという習性がある。
「サブウェイ」の商品の販売方法にもそのような傾向があったのではないか?
あまりにもオプションが多すぎてどうしたらいいのかわからなくなってしまうのだ。
マクドナルドで考えて欲しい。
例えばチーズバーガーという商品があったとして、ソースや野菜が好きなものに選べて、さらに好きなパンズが選べて、そしてパンズを焼くかどうかとかも選べる。
一見、いいことのように思えるが、人間は自由度が高くなればなるほど頭が混乱してくる。
チーズバーガーという商品があってビッグマックという商品があってテリヤキバーガーという商品があって、
それに個々人が自由にカスタマイズできる、新しい新作ソースを試してみませんか?とか広告や店員が勧めてくる、
テリヤキバーガーにチキンを挟んでみたりとかも出来たりなんかして
ものすごく自由度が高かったりすると、だんだんと目がくらむような気持ちになってくる。
でも牛丼のタレが何種類もあって、牛丼の牛も種類があって、さらに牛じゃなくて唐揚げにも出来るし、牛と唐揚げにも出来るし、ごはんは白飯、麦飯、焼き飯にも出来て、
さらにさらに牛丼だけじゃなくてカルビ丼も焼肉丼も唐揚げ丼もあってそれをまたそれぞれカスタマイズできて、、、とかなると頭がくらくらしてくる。
なんかね、たくさんの選択肢がある事自体が駄目なんだよ、きっと。
いくつか案を考えたやで。
もし「子供は欲しい、でも自由に恋愛もしたい」って気持ちが強いんやったら、シングルマザーになる道を選ぶのもひとつの方法やで。たとえば、精子バンクとか、協力的な友達を頼る形で子供を持つこともできるし、その後、自由に恋愛を楽しむってスタイルもありや。
• メリット: 自分の恋愛スタイルを維持しつつ、子供を持てる。
• デメリット: シングルマザーとしての生活が大変になるかもしれんけど、サポート体制がしっかりしてれば乗り越えられるで。
恋愛相手を見つけて、結婚はするけど子供を作らんっていう「DINKs」スタイルも考えられる。
結婚してもお互いの自由を大事にする関係なら、増田の恋愛体質もある程度満たされるかもしれん。
• メリット: 安定したパートナーがいる安心感+自由がある程度保たれる。
• デメリット: 年齢を重ねたときに、「やっぱり子供が欲しい」と感じた場合に、後戻りが難しいかも。そこが少し心配やな。
これやったら結婚という形に縛られずに、パートナーと自由な関係を築ける。
子供を持つことも可能やし、恋愛の自由度も保たれる場合が多い。
結婚に伴う法律的な制約は避けたいけど、安定した関係は欲しい人向けや
• メリット: 法的な束縛が少ない分、自由度が高い。子供も持てる可能性がある。
• デメリット: パートナーとのコミュニケーションやルール作りが重要やな。相手との信頼関係がしっかりしてないと、この形もうまくいかんことがある。
シングルマザーでも、恋愛を続けたいなら、育児サポート体制をしっかり整えることが鍵や。
例えば、親や友達、ベビーシッターの助けを借りながら、自分の時間を作るっていうスタイル。
• メリット: 子供を持ちながらも、恋愛や自分の時間を楽しめる。ちゃんとしたサポートがあれば精神的にも楽や。
• デメリット: サポートがない場合、子育てと恋愛のバランスを取るのが難しくなるかもしれん。しっかり計画を立てることが大事や。
もし結婚をすることになっても、「恋愛自由にしたい」という気持ちをお互い尊重できるようなオープンな関係を築くことも考えられる。これも最近少しずつ認知され始めとるんや。
• メリット: 結婚しても、恋愛の自由が保たれる可能性がある。あんたの欲求を満たせる可能性が高い。
• デメリット: これはほんまにパートナーとの信頼が大前提やし、相手が同意してくれるかどうかも大事やな。
この意見にはいくつかの問題点や矛盾点が含まれています。それぞれの点を分析し、考察します。
• 問題点: この意見は、選択肢を増やすことが常に危険であるかのように一般化しています。しかし、「安楽死」と「選択的夫婦別姓」はまったく異なる状況や文脈であり、それぞれに伴う選択肢の影響も異なります。安楽死に関しては、生命の終結に関わるため、その選択がプレッシャーになることは深刻な問題ですが、選択的夫婦別姓は個人のアイデンティティや家族の在り方に関するもので、生命に関わる選択とは異なります。
• 改善策: 各問題について、その背景や影響を慎重に分析し、それぞれの状況に応じた議論を行うべきです。一つの例をもとに異なる問題に対して同様の主張を適用することは避け、文脈に合わせた議論を心掛ける必要があります。
2. 「選択肢が提示されると強制される」という過度な決めつけ
• 問題点: 「選択肢を提示されたら飛び込むしかない」という主張は、選択肢が存在すること自体を圧力と捉えています。しかし、選択肢が存在することは基本的に個人にとって自由度が増すことを意味し、強制的な選択を強いるものではありません。選択肢が存在することは必ずしもその選択肢を取ることを意味せず、むしろ自分の状況や価値観に応じた最良の選択をすることを可能にします。
• 改善策: 選択肢の提供がすべてのケースで圧力になるわけではないことを理解し、選択肢が提供される際の条件やサポート体制についても考慮するべきです。選択肢が存在することと、その選択肢が強制されることの違いを認識することが重要です。
• 問題点: 選択的夫婦別姓と安楽死の導入を同列に論じることは、議論を混同させる要因となっています。安楽死は生命の終結という非常に重大な決定であるのに対して、選択的夫婦別姓は結婚後の姓に関する選択の自由を提供するものであり、その影響の質や範囲が異なります。両者を同じ基準で比較するのは適切ではありません。
• 改善策: 各問題をその特異な文脈で捉え、同じフレームワークで扱うのではなく、問題の性質や影響に基づいて異なる議論を行うことが重要です。
• 問題点: 「選択肢が存在することが圧力になる」という主張は、個人の選択の自由を否定するものであり、選択肢を増やすことが必ずしも個人にとって有害であるという前提を暗に含んでいます。選択肢を増やすことは、個人がより多くの可能性の中から自分に最適な決定を下せるようにするもので、圧力として捉えるのは偏った見方です。
• 改善策: 選択肢の提供が人々に与える自由と、その選択肢を取ることに対する社会的圧力の区別を明確にし、適切なサポート体制や情報提供を通じて、真に自由な意思決定を支援する方法を模索するべきです。
この意見の主な問題点は、異なる事例(安楽死と選択的夫婦別姓)を同じ議論の枠組みで扱い、選択肢の提供が常に圧力になるとする過度な決めつけにあります。改善策としては、各事例を個別に分析し、選択肢の提供が自由な意思決定をサポートするものとして理解されるよう、文脈に応じたアプローチを採ることが重要です。
RX-7(マツダのスポーツカー)からRX-78(ガンダム)までどういう変遷を辿ったのか。
ふとこんなことを思いついたけど自分で考える知識も想像力もなかったのでChatGPTに考えてもらいました。
最初に全然違うものだから〜って言われて「あれ、これ答えてもらえないかな」と思わせつつちゃんと答えてくれたので優しい。
RX-50で飛躍があったのでもうちょっと詳しく知りたかったけどあんまり掘り下げられていない。
誰かやってみてください。
RX-7はロータリーエンジンを搭載した軽量ボディと高回転エンジンによる優れたハンドリングが特徴のスポーツカーです。
RX-8はRX-7の後継車でロータリーエンジンを搭載し、後部の観音開きドアを採用して実用性を向上させて家族でも使える4人乗りになったスポーツカーです。
RX-78は地球連邦が開発した人が搭乗して操作するモビルスーツと呼ばれる人型ロボットです。上半身、胴体となる飛行機であるコアファイター、下半身に分離し、人はコアファイターに搭乗します。
RX-7からどのような変遷を辿ってRX-78へ至ったかを推測して、RX-9からRX-77までそれぞれの特徴を説明してください。
RX-7からRX-78ガンダムに至る変遷を想像することはユニークで面白いですが、現実のマツダのRX-シリーズ(RX-7やRX-8)とアニメのガンダムシリーズ(RX-78)は全く異なるフィクションの領域にあるため、直接的なつながりはありません。しかし、ここではあくまで架空の進化の物語を考え、RX-7からRX-78へ至るまでに開発された「RX-9」から「RX-77」の特徴を推測して説明してみます。
RX-9は、RX-8の後継車として開発された新世代スポーツカーです。ロータリーエンジンの革新により、環境性能を大幅に向上させつつも、軽量なボディと高回転エンジンによる走行性能がさらに進化しています。また、4ドアデザインを維持しながら、さらに家族向けの利便性が向上しており、より多様なドライバー層に対応しています。電動化技術も取り入れ、ハイブリッドパワートレインを搭載しているモデルも展開されています。
RX-10は、ロータリーエンジンの伝統を残しながらも、完全電動化が進んだモデルです。軽量素材と次世代バッテリーテクノロジーを使用し、従来のエンジンを超える加速性能と静粛性を実現しました。デザインも未来的で、空力性能を意識したエッジの効いたフォルムが特徴です。スポーツカーの楽しさを維持しつつ、地球環境に配慮したモデルとなっています。
RX-11は、空陸両用車両への技術移行が始まったモデルです。地上での走行はもちろん、限られた距離での短時間飛行機能を搭載し、モビリティの自由度を大幅に向上させました。空力特性とロータリーエンジン技術を進化させた、非常に軽量かつ高機能なハイブリッドドローン車として活躍します。
RX-12は、地上走行の役割を大きく縮小し、完全な空飛ぶスポーツビークルとして登場しました。人々が都市部の空を移動する未来を見据えたモデルで、従来のロータリーエンジン技術が姿を消し、代わりにジェットエンジンや電動ローター技術が使用されています。コンパクトで機動力に優れ、都市間移動を革新する未来のモビリティとして高い評価を得ています。
RX-50は、地上走行や飛行を超えて、二足歩行ロボット技術を本格的に取り入れた機体です。この時点で車両の概念は完全に人型ロボットに移行しており、ドライバーはコックピットに搭乗して操作します。主に工業用途での大規模作業や特殊環境での作業を行うために開発されたものですが、これが後のモビルスーツ技術に繋がる重要なステップとなります。
RX-60は、RX-50をベースに軍事用の戦闘モビルスーツとして改良されました。この時点で戦闘用の武装が搭載され、地上や空中での戦闘行動を遂行できるようになっています。武器としてビームライフルのような光学兵器やミサイルが搭載され、戦闘に適した装甲も強化されています。
RX-70は、地球上の戦闘を超えて、宇宙空間での使用を想定したモビルスーツです。宇宙での推進システムや軌道上での長期間の活動が可能なように設計され、さまざまな極限環境に対応します。このモデルは、人型でありながらも非常に高い機動力を持ち、地上と宇宙の両方での戦闘が可能です。
RX-77は、地球連邦軍が開発した初期型の汎用モビルスーツで、RX-78ガンダムの直接的な前身とされています。このモデルでは、重装甲と火力に重点を置き、従来の車両型兵器と比べて非常に高い防御力を発揮しますが、機動力はそれほど高くありません。大型キャノンを装備し、敵の機動兵器との対戦に活躍しました。
そして、RX-78ガンダムが完成形です。高度な汎用性、強力な武装、ビーム兵器などを備え、アムロ・レイによって運用される最強のモビルスーツとして、地球連邦軍に勝利をもたらしました。
刑務所に入るとしたら、なるべく快適で安全な場所を選びたいよね。
いくつか「悪くない」とされる刑務所を挙げてくね。
この刑務所は「オープン刑務所」として自然に囲まれた環境が特徴だよ。
受刑者は自由に動き回り、農業や漁業などの仕事に従事しながらリハビリをするよ。
こちらもノルウェー同様、福祉と教育に力を入れており、比較的自由な生活環境が整えられているよ。
ちょっとユニークな刑務所だよ。事実上、受刑者が刑務所内でコミュニティを作り、店を経営したり、家族と一緒に暮らしたりできます。
自由度が高いけど、秩序が自分たちに任されているため、ある意味リスキーでもあるよ。
「クラブフェッド」と呼ばれる軽犯罪者向けの刑務所は、特に白襟犯罪者が多く、比較的快適な施設で過ごせるよ。
テニスコートや図書館などのアメニティが充実していることで知られているよ。
まあでも一番は捕まらないことだよね。お互い悪いことをするのはやめておこうね。
子どもが生まれて、奥さんは「全治1か月の事故にあったと思え」と言われつつ、その中で、2-3時間おきの授乳が昼夜問わず必要だったりで、男性側はどうしていったらいいのかな?何か優しさとか精神論とかではなく実効性のある詳細マニュアルみたいなものがあればいいのになと思って過ごした。
ミルクか母乳か、男性の育休の有無、赤ちゃんの個体差など、変数が多くて、何が正解というのも一概には言えないけど、あくまで一例として、もし生まれる前に戻れるのなら、自分自身にマニュアルとして渡すとしたらどんなものになるかな?をまとめてみた、備忘。
家事などは義母さんなどに家事などを外部化でき、負荷軽減につながる。
旦那さん側は一番イージー、一人暮らし状態なので自由度が高い。ただ奥さん側の実家は新生児対応で大変なので負荷のギャップが大きくなる。
通える範囲であれば週末は泊まりで行くなどして新生児対応に慣れておいた方がよい、実家から帰ってきたときに慣れていない状態になるし、新生児対応の大変さを共有していた方がきっとHappy。
Aよりは難易度が高い、家事と新生児対応をどれだけカバーできるかが重要。
子の中で難易度を分ける変数はきっと、①ミルクか母乳か?、②男性の休暇がどれだけ取れるか? 夜間対応と家事をどれだけ巻き取れるかが重要ポイント、以下は早い段階で旦那さん単体できるようになっておくといいと思った。
ミルクか母乳かで奥さんの負荷レベルが異なる。周囲の意見・奥さんの体調・ポリシーなどあるのでそこを優先しつつ、仮に完全母乳としても一部ミルクで補うなどできると負荷軽減につながる。
どうしても睡眠不足になるが、奥さんがひたすら睡眠不足になるか、夫婦ともに睡眠不足になるかの違いでしかないので、少しでも奥さんの睡眠時間確保に尽力する方がきっとHappy、でも2人とも倒れたら元も子もないので、そこだけは注意。
これは旦那さん側の育休取れるかどうか、生まれる直前でなく半年前くらいから調整しておくとよかったと後悔。取れるなら3食、掃除洗濯など頑張る、取れないなら、家事代行でも冷食でもお金で負荷軽減できるのであれば、お金で解決。
などなど、上記だけがすべてじゃないし、N=1のサンプルだし、奥さん側や有識者から見たらあんぽんたんなこと言っているかもだし、きっと「うちは違うそうじゃない」があるかもだけど、前向きなナレッジが溜まっていくと嬉しいな。
どーなんだろ。今のなろうはそんないいもんじゃないと思うから、あんまり批判されてるのを見ても擁護されてるのを見てもピンと来ないな。
俺はなろうは2008年ごろから読んだり書いたりしてる。準古参だと思う。最近はほぼ見てない。
昔のなろうは転生ものばかりではなくてもうちょっと多様だった。
というかそもそも昔はなろうは二次創作が覇権をとっていて、それがにじファンに移行した。今はにじファンも閉鎖されたが。
まず異世界転生ものはArcadiaでゼロの使い魔あたりから爆発的に主流になったと自分は考えている。ArcadiaというのはWeb小説サイトだ。今もある。
自分はArcadiaや2chのSSまとめでゼロの使い魔関連を読んでいたのが始めで、自分でもゼロの使い魔の二次創作を書いたりした。ハルヒで初アニメを見て衝撃を受けてアニメにどっぷり浸かりゼロの使い魔を見て、やがてラノベに移行しラノベを買いまくって読み漁り、飽きたのと金が無くなってWeb小説に突撃した形だ。
余談:Arcadiaは個人で運営されているサイトで、今はギリギリメンテされている状態で過疎っている。自分がArcadiaにどうやってたどり着いたか覚えていないが、いろんなランキングサイトを辿ってWeb小説を探す過程でたどり着いたはずだ。当時はインターネットのチャットのコミュニティなどがあり、そういうのも含めランキング化するサイトがあった。ケータイ小説の恋空なんかはこれの少し前の話で、前略プロフィール全盛期の頃の話だ。この頃の書き手の事情はあまり知らない。
話が逸れたが、自分はゼロの使い魔以外でもラノベっぽいWeb小説や二次創作を読んでいたりして、蒼の混沌とかしーくれっともーどとかリオラートとか絶望の世界とか、やる夫SSを読んだりしていて、当時はたいへんお世話になっていた。
ゼロの使い魔より前もエヴァなどで憑依ものとかあったようだが自分はゼロの使い魔やハルヒしか知らなかったのでそればかり読んでいた。
ゼロの使い魔は異世界転生の舞台として非常におもしろく、キャラも使いやすく自由度が高かった。ルイズが召喚するサーヴァントを平賀サイト以外にすることで、いろんなキャラを異世界に飛ばすのが流行っていたはずだ。ルイズというのは、いわゆる暴行型ツンデレヒロインだ。
それで、なろうで二次創作が全面的に禁止されるまでは結構二次創作があったはずで、おもしろく読んでいた。
会計の専門家がゼロの使い魔世界に転生して異世界で会計無双する話とか、そういう話もあった。
幼女戦記なども、もともとはArcadiaで連載していて、リリカルなのは由来の二次創作だったはずだ。そのあとなろうに移行していた。自分はリリカルなのはは全然知らないが、魔法つながりで二次創作だけ読んでいて、二次創作が異様におもしろかったのでなぜか根幹のストーリーは知っていて、時空管理局などの概念も獲得している。二次創作のWeb小説から入ったので、アニメやエロゲの絵を知ったのは相当あとだった。
他にもHxHの二次創作なども膨大にあり楽しく読んでいた。ドラえもんなんかもありカオスだった。架空戦記ものもあった。ゲート自衛隊あたりもその流れだと思う。自衛隊架空戦記ものはwikiがあって、そこのものはほぼ全部読んだ記憶がある。
そんな感じで楽しく読んでいたのだが、なろうで二次創作が禁止されたのが分岐点だったのだと思う。にじファンも閉鎖になり、二次創作を発表できる場所が極端に少なくなった。
なろうでは、ゼロの使い魔の転生設定からゼロの使い魔オリジナル設定部分が抜けたファンタジーが根幹となり、さまざまなシステムが考案されていたように思う。
今でもそうだとは思うが、おもしろいなろう小説は世界のシステムがおもしろく斬新で、かつキャラクターが魅力的であることが多いと思う。悪役令嬢ものや追放系だったとしても。
余談だが自分は悪役令嬢ものはスタイリッシュざまぁがとてもすきだった。
そしてなろうは徐々に悪役令嬢ものばかりになり、最初は斬新でおもしろかったが徐々に「ん?」と思い始め、追放系が増えたぐらいからだんだん供給が微妙に感じられてきた。
現実逃避ものが多くなり、こう言いたくはないが自分も年をとったのか読む気が消えていった。自分は社会的には追放系とは一致せず普通に働く形になっていたので、「追放系読む人は現実からWeb小説に逃げてるだけでしょ」と思うようになり、その発想のせいでWeb小説で楽しめなくなり、なろうで楽しめなくなった。それでもオール・ユー・ニード・イズ・吉良などは凄まじくおもしろかったが。
そんな感じでなろうにはたしかに重厚長大な小説やおもしろいライトノベルもたくさんあるけど、ランキングに上がってくるのはマス向けのものが多く、裾野は広くても良いものが見つけにくく、なろう全体としての評価は微妙でも全然いいと思う。
作曲者がいる以上、作曲者がどう弾いてほしいのかという観点での考察は必要でしょ。
たとえ当時流行った、似たような曲の中の生き残りでしかなかったとしても、どういう音楽として流行り、どういう特徴があるのかみたいな分析というか、勉強は必要だと思うよ。
それが回り回って、結局は作曲者の意図に沿うことにもなると思うし。
だからチャールダーシュが「自由度が高く奏者がいくらでもアレンジできる」と言ったって、それはちゃんとロマの音楽とか文化とかを調べたうえで言ってるのか?って話でもある。
そんで特に日本人のプロが弾くチャールダーシュは、作曲者の意図に沿っているか、ロマ音楽を勉強したか、いずれの観点から見ても相当に怪しい。
はっきり言えば我流のアレンジで弾いてるようにしか聴こえない演奏が多いんだよ。
そのくせ同じジャンルのラロとかチゴイネルワイゼンは、めっちゃリスペクトしてガッツリ取り組む、その感覚がどうにも嫌なんだわ。
「チャールダーシュは自由度が高く奏者がいくらでもアレンジできる曲で、実際余興として弾かれるケースが圧倒的に多い時点で本格的なクラシックじゃないので、それを以て奏者のクラシックの演奏能力は測れない」
この話の後半の「奏者のクラシックの演奏能力」ってところの解釈の問題なんだろうね
「音大出てクラシック界でやっていくいわゆるクラシックの人たち」にとっては伝統的な解釈の上に成り立つ曲のアナライズが超重要なんだと思う
慣習としてチャールダーシュは自由にアレンジされる曲で、つまりクラシックの人たちが「クラシックの演奏」のくびきから解き放たれて「音楽の演奏」をしがちな曲ということだよね
これくらい同人界隈にいると同人誌やイベント、サークル文化の変遷やら事件やら、まあ色々なものを見て来ている。
歴が長くなると昔と今を比べたがる人も多くなる。
「最近の同人誌は無味乾燥なものが多い、あとがきすら無い」というご意見を見た。
「これこれこういう構成でこういうものを載せたら同人誌になる」
というセオリーがある程度出来上がっているし、非常に作る敷居は低くなっていると思われる。
(ここでこの作り方についての昔話をすると長くなるのでまた別の機会に)
昔の同人誌は作り方や指南書が少なく、(マニアックな雑誌の特集ではあったとは思う)参考が既に同人活動している先輩からの伝え聞き・先方の同人誌のみという時代も確かにあった。
自由度はあったと思う。凄かった。
「凄かった」というのは昔は悪い意味でも凄い本が多かったのだ。
自分が見た例をいくつか紹介する。
・「表紙は完成しているのに中身(本文)が未完成」
今同人誌を買っている人でこれを見た人は殆どいないし、今こういう本ほぼ見ないと思われる。良い時代になった。
昔は「イベントに合わせて本を出す」事に意義があったのと表紙で判断して購入する(しかない)環境であった為、表紙だけ綺麗に仕上げて中身は下書き状態(ハンターハンターの下書き掲載…と言えばわかる方も多いだろうか)で発行している本もあった。
・「表紙と中身(本文)が別ジャンル」
マジであった。
流石に丸々別ジャンルという本は少なかった(あったんだよ…)が〇ジャンルの表紙で〇の話の後に急に「今ハマっている×ジャンルの漫画・トーク」が挟まっているとかは割とあった。
・「書き手の近況や同ジャンル者同士の対談や語りのPが何Pもある」
極めるとこれだけで本を出しているサークルもあった。
今より作者のアイドル性が高かったように思う。トークが面白いと「サークル●●のトーク」だけで価値があるのだ。
因みにこのトーク内容はジャンルに関するもの…では無く作者の近況だったりする方が多かった。
Twitter(X)でこの文化はほぼ絶滅したと思う。良い時代になった。
・「本文内にサークル紹介・次回イベント参加情報・既刊宣伝がある」
これで5~6P、いや下手すると10p以上は使っているサークルもあった。
NAVIOやPixivはTwitter(X)は無い、個人サイトさえ無い時代なのである意味当然なのだが、自分のサークルの活動状況を知らせる媒体が限られており、発行物に含ませるしかなかった背景もある。
実際にサークル紹介Pは作っておけるので、コピーのコピー(データでは無く実物のコピー)を延々してそのPだけ画質が悪くなっているのもまあまあ見た。
「新刊は●●Pと書いているが、このサークルは宣伝Pが大体6Pぐらいあるから、実際の漫画・小説は〇〇Pか…」という悲しい推察をしながら買った経験をしている人は自分だけでは無いと信じたい。
当時はまだ問題性が周知されておらず黙認されていたが今やるとアウトの事例。
「他漫画のトレース」というのは例を挙げると「ジョジョの漫画の絵やコマ割をそのままトレースして髪型や服装だけジャンルキャラクターに変換させてジョジョの名場面をジャンルキャラに喋らせる」というものだ。
ファンロードという雑誌の「今月の見たいものand見せましょう」というパロディ企画で用いられたり、朝目新聞でこのようなパロディはファンアートとして有り、広く用いられている為、
これもだいぶ議論の余地はあるが、上記の例に沿うと「ジョジョの漫画の絵柄のみを似せて描き、ジャンルパロディとして自分の考えたストーリーを描く」なら現在でもまあまあ見かけるし、問題にまではなっていない。
「同人誌のタイトルに歌のタイトルを使う」迄は著作権侵害に当たらないが、歌詞や楽譜は音楽の著作物になる。
https://www.riaj.or.jp/f/leg/copyright/music/qa_internet.html
イメソンとして歌詞丸々書いたり漫画小説内で使いまくった同人誌多かったよマジで。
今は歌詞を引用するにしても、ちゃんとジャスラックに許可を取って歌詞使っている同人誌を見た。強い。
他ヘイト創作や特定キャラへの過度なネタやらまで列挙すると個人の好みの問題になるので取り上げない。
勿論挙げた中の例でも「それが好きで買っていた」人もいるだろう。