はてなキーワード: 美術館とは
旦那のグループLINEに回ってきた、町内の育成会の人が作ったらしいチラシに、とてつもない敗北感を覚えた。
田んぼと畑と寂れた神社しかない典型的など田舎の自治体の草むしり写真が、よくぞここまで加工したな!と感心するくらいの美しいグリーンに囲まれた自然風景に。
しかも写真を装飾するデザインがまた、シャレオツとしか言いようのない出来で。
web制作会社に2ケタの年数勤めてもデザインの4文字とは無縁のせいでコーディングしかできないお荷物コーダーには、色々と刺激的だった。
学生時代、5教科の成績も良くはなかったけど(特に理数系は壊滅的)、更に悪かったのが書道に図工に家庭科に音楽に保健体育。(音楽はリコーダーのみ)
「私ぃ、5教科以外だけ成績良いんだよね!」というよくある自虐が、本気で自慢にしか聞こえないくらい。
ピアノを3〜4年習ってもバイエル卒業できず、中学校では美術部・高校の選択授業では美術を選んでも尚画力もデザイン力も学年ビリ。
中学校の生花クラブなんて、毎回毎回先生に「全部」無言で生け直しされ、何が良いとも悪いともアドバイスさえもらえなかったっけ。(ちなみに他の生徒はアドバイス交えて少し手直しされる程度だった)
成人して、親の美術館通いに時々付き合うようになり、その現象にも納得した。
絵でも彫刻でも、何なら水族館の魚でも、本っ当になんの感想も浮かばないのだ。
何か感じるものが見つかれば、と思いつつ眺めはするものの、心の中ではFacebookの「いいね」を連打しているだけ。
綺麗だとは思うものの、何が綺麗とかどの部分が印象に残ったとか、人に語れる具体的なものが一文字もない。
そりゃ、理解できないのに生み出せるはずないわな。
いつも寝るときに抱えてる毛布。いまだに指しゃぶりが治らない(もう治す気もない)のでそれとセットで。
「あっちの電気つけて」って言ったら「あっちですか?」って聞き返してくるアレクサ好き。
宇宙を探索するゲームのサントラ。Spotifyにもあるから聞いてみて。Travelersって曲がすごく好き。
山形のお米。美味しい。
カッコいい。外骨格を付ける前の状態もすごく好き。最近電池入れてないけど。
中本の北極とか好き。辛すぎて途中で味が分からなくなるけど。カレーとかよりは辛い汁物が好み。
何でも読む。ジョジョは4部が好き。最近すごいなって思った漫画はカラーズと明日ちゃんのセーラー服。
綺麗な線をみるとドキドキする。アニメ制作会社はボンズが好き。
ゲーセンでも家でも。好きな曲もいっぱいあるし、いろんなタイプの音ゲーを遊んでる。
夕暮れ時。夕日と夜が一緒に見れる時間帯らへん。
紙に印刷されてる読み物が好き。文字を一つ一つ追っていく感覚が気持ちがいい。
もともとなんとなく始めた水泳部。いつの間にか水の中にいることが好きになった。泳ぐのは遅い。
一人でも飲むし人とも飲む。一人でスマホいじりながら味を楽しむのも好きだし、わいわい人と飲むのも好き。
Undertaleというゲームに出てくるイヌ。うざい。しかしかわいいので好き。
すごくおいしい。どうやったらあんなにおいしい紅茶ができるんだろう。
昔学校に併設されてた文具屋で買ったんだけどいい色が出る。もう買えないので残りを大事に使ってる。
実は実際に見たことがない。でもすごく大きい生き物というだけでロマンを感じる。生き物としてのデザインも好き。
海に行くときはいつも鎌倉。水族館にもいく。去年サーフィンに初挑戦してすごく楽しかった。
いつもありがとう。ゲームがへたくそだけどそれでも楽しく一緒に遊んでくれるからこっちも楽しい。
立体物のアートにはあまり興味がないけど絵画は好き。よく展覧会に行く。
どれも好き。あんなにわくわくさせてくれるPVはスマブラじゃないとできないね。
言い方が悪いけど人の生活を覗くのが好き。たまに「こんな丁寧な暮らし出来るか!!!」ってなる。
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やったー!
肉は柔らかくなるしおつまみにもおかずにも合う。美味しい。
小学生の頃から焼き肉屋に行けばタン塩ばかり食べていた。歯ごたえがたまらない。
手が塞がるのが嫌で長いこと使ってる。トラックのカバーに使われていたという素材でできているので丈夫。
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ジェンツーペンギンも飛び切り可愛い。しかしアデリーペンギンのちょっとあほっぽいフォルムもたまらない。
早いうちに止めさせた方がいい。自分はならなかったけどやはり出っ歯になるしあまりメンタル的にも良くないと聞く。
思い出したら追記していく
友人達が私の目の前を歩いている。楽しそうに話しながら。私はその後をついていく。広い歩道に出たので、反対方向への歩行者を確認してから横に並ぶ。会話に相槌を打つ。ねえ邪魔になるよと言われる。私は後ろに下がる。2人が並ぶうしろを歩く。
私はどこでも通行者の邪魔をしてしまうらしい。博物館や美術館へ行く。列に並んで展示物を見る。導線を遮っていると注意される。あれすごいねと胸の前あたりで展示物を指差してみる。指なんか出してつつく気?触っちゃだめじゃんと注意される。
また別の友人だが、待ち合わせで人混みの中にその人を見つけて手を挙げて合図した。なんどか待ち合わせして、ナチ式敬礼の真似をやめろと言われた。
以来、手を振るのがこわい。
何故だかいつもひとりになる。いつの間にか会話から弾かれてしまう。いつの間にかフォローが切られる。いつの間にか誘っても断られ、同じ場所を別のひとと訪問される。目の前で、極端なときには私を挟んですわって頭越しに、私には分からない会話をされる。私が薦めても本も映画も舞台も展示も流されるが、別の人からだとすぐに反応する。
特定のひとりではない。私の友人は皆が皆、知り合った当初はともかく、いずれこうなる。そして、互いに面識もないのに、××さんだから仕方ない。と口を揃えて言う。こうも大勢が言うのだから、私に非があり、原因があるのだろう。そこははっきりと明確だ。
レスポンスが返らなくなった友人に、まただ。とまず思った。なにを私はやったんだろう。質問に答えた。不明な点があったからこちらから質問した。そこで途切れた。事務的なやりとりだったはずだ。どこがおかしいのか。DMのログを見てもわからない。
最近、他人と話すのがおそろしい。このひとだっていつか半笑いで××さんだから。と言うのだろう。私を介して別の私の友人と仲良くなって、その友人とふたりで談笑しながら歩くのだろう。ある日突然、Twitterのアカウントをブロ解するのだろう。そのたびにいいとしをして泣きたくなって途方に暮れるとわかっているのに、それでもあのひとと話したい。怖くてさみしくてどうしてよいのかわからない。
俺は全く芸術のことはわからないのだが(アニメで例えると、ラブライブとアイドルマスターの見分けがつかないくらいわからない)、なんとなく美術やってる奴がかっこいいと思って
胸には架空の芸大の名前、ネームプレートには自分の名前がはいってるやつ。
それを着て美術館に乗り込み、わざと人気のない絵の前で立ち止まってた。
人の流れをせきとめながら、人が近くを通る時を見計らって、
友「ああ・・特にあの構図」
俺「お前と同じ分野だな。どうだ?超えられそうか?」
友「さあな・・・・」
こんな感じのやりとりを繰り返した。
いや、やってみたいんだよ
死ぬまでにせめて15センチ角くらいのキャンバスでいいから油絵で何か書いてみたいよ?温泉街の陶芸体験みたいにさ
全くやったこと無いし美術館で油絵をチラ見してなんかデコボコしてんなーってくらいの認識しかないけど色の話に戻るとさ、
小中学校の頃の図工の嫌な記憶しかないんだよね絵の具を混ぜてくとどんどん汚い色になって、
とりあえず塗るかーって画用紙にペタペタしても乾かないうちにやるから画用紙はふにゃふにゃになるしなんか茶色とか緑の腐ったみたいな色にしかならないし
影とか作るのに暗い色とか要るんだろうけど、絵の具ってどんなやったって私にはきれいな色あいが作れないっていう学習性無気力を義務教育で学んじゃってるんだよね
文化次元の低い教育資本しか出会うことがなかった不幸ともいえるんだけど、
ともかく絵の具と油絵の絵の具が一緒かどうか知らないけどとにかく色が汚くなるから絵を書くのが嫌いなんだよ
あと手よごれそうじゃん?
この場を借りて恋を手放させてください。
短い間でしたが、ありがとうございました。
今思い返すと、デートらしき事は1度もしませんでしたね。ピクニックとか水族館とか美術館とか、そういった場所に行きたいと思っていましたが、結局言い出せませんでした。
コロナで世間が騒いでいる時に人が集まるような場所に行きたいと言ったら、引かれてしまうと思ったのです。
それに、例えば蔦屋書店で制限時間内にお互い相手に読んでもらいたい本を購入した後、どこかのカフェで紹介し合うなんて、子どもっぽいと思われそうで言えませんでした。今冷静になってみれば付き合ってもいないのにそんな事するの、変ですね。
返信が来ないのが気になって、ネットで色々な記事や動画を見ました。
そこには「好きなら睡眠時間を削ってでも返信する。よって脈ナシ。」という見解と、「LINEを業務連絡手段としてしか見ていないのが男性なので恋愛感情と既読スルーは無関係。よって脈アリの可能性も十分にある。」という見解の大きく2つがありました。
私はどちらも説得力があると思いました。そして自分の状況を当てはめては、落ち込んだり、気長に待ってみようと思ったりを繰り返していました。
でも迷いを繰り返すうちに、結局はケースバイケースだという事に気付きました。
画面の向こうの知らない人が「これは脈アリ!」と言ったって、何の意味もないんです。大切なのはあなたの気持ちであって、世の中の意見とか、傾向とか、ましてや私の希望なんてどうだっていいんです。
ただ、そのあなたの気持ち、それを知らせてくれない事にはどうしようもないんです。
目を見つめてみたり、軽く腕にタッチしたり。どんな人がタイプなの?と聞いてみたり、私の好きな人は何を考えているかよく分からなくて…と本人に相談してみたりもしました。
自分としては結構グイグイいったと思っています。世の中にはもっと大胆な方もいると思います。だけど私はお酒の力を借りてもこれが精一杯でした。
あなたの反応は、拒否する訳でもなく、むしろ好意的とすら捉えられるものでした。
そう、会っている時のあなたはとても楽しそうに見えました。思い切って言えば、私に気があるんじゃないかと思うほどでした。
私はあなたの話を聞きたいって思うんですけど、次の約束はしてないじゃないですか。LINEは来ないじゃないですか。……
こうして書くと、私はあなたの事を一日中思っているような恋する乙女に見えるかもしれません。
あなたからのLINEを待ちながらも、仕事をちょっと丁寧に仕上げてみたり、遠方の友人とZOOMで遊んだり、旅行の計画を立てたりと思いのほか充実した余暇を過ごしているんですよ。
私は、あなたの真面目で紳士的でどこか謎めいている所が好きでした。手が届きそうにないくらい、背も高くて頭が良くて、大人っぽくて。
正直、なぜ私じゃダメだったのか分かりません。でも、思いつく限りの反省をして次に活かします。
次、誰かに好いてほしいと思ったら、
グラスの水を注ぐ係を死守します。
前の恋人の話はしないし、聞きません。
お化粧は薄めを心がけます。
私が頑張った話をするよりも、相手の頑張った話を聞き出すようにします。
あなたが挫けそうな時に傍で支えたり、全部ぶっ壊したくなった時に静かに見守って落ち着いたら一緒にやり直したり、あなたを傷付ける人がいたら先陣を切って殴り込みに行きたかったです。
さよなら。
とてもいい片思いでした。
家族が転勤族だったため故郷の定義は難しいけれど、2度目の滞在となる今の場所にはなんだかふる里のようなものを感じる。
東京以外の暮らしは不便だなんて話がよくあがるが、私にとっては今の暮らしのほうがよっぽど便利である。
映画、カラオケ、水族館、美術館に銭湯と、娯楽や文化施設はなんでもあるし、ヨドバシもある。
以前よりも家からの距離はどれも近くなって、自転車や徒歩ですぐいけるようになった。(コロナであまり出かけていないけれど)
以前はクレカが使えない店が多かったけれど最近はPayPayに対応した店が増えてきたし、Uber Eatsの加盟店も増えているようだ。
東京でも渋谷や池袋、銀座のような中心地に住んでいたらなんでも近くにあったのかもしれないけど、バカ高い家賃を払うか鳥小屋みたいな家に住むかの選択を迫られるのは皆さんよくご存知だろう。
中心地から少し離れたところに住むとなると、どこに行くにも電車で移動しなければならず、なかなか大変である。
以前に自分が住んでいた家の近くは食事処やカフェがあまり多くなく、すぐに飽きてしまった。
とはいえ開催されるイベントの多さと、人と仕事の多さは東京が一番なのは間違いないだろう。
東京に住むより前、毎年2,3回は東京に行っていたことを思い出す。
東京以外の友人も多いけれど、東京に住む友人も多くなってしまったので、今後はもっと頻繁に訪れるかもしれない。
給与も上がったし、今の場所での暮らしに満足しているといいつつもこうやって東京との比較をしてしまうのには、東京とそこに暮らす人々への恋しさがあるのだろうなぁ。
名古屋は最初は家賃は3~4割は安いけど、しばらくすると飽きてきて「あー東京戻りたい」という気持ちでいっぱいだった。
それなりに通勤便利な自宅の最寄り駅だけどコンビニとファミレスしかない。
自分は電車通勤だけど、車通勤の人が多くて飲みに行く文化が薄い
(これは勤務先によるだろうが)
でも、2年経って車を持ったら意外といろんなところ行ける
あれ?新たな世界?となってきた。
休日に都会の方に行くことがまた減った。ショッピングモールか大きな公園とかね。
高卒でも製造業に入ればそれなりの給料らしい。35歳で600万とか。
なんだ住みやすいじゃんって。
過密じゃないし地震とか水害も少ない。
先週末は人多かったからそのうち増えてくかもしれないけど。
人気ないけど、これで大阪とか神奈川みたいに人工密度が増えたら良さが半減するから
このままでいてほしい。
とある水族館の飼育員が紹介されたニュースを見て、イケメン飼育員はいいのに◯◯女子は駄目なのか!と紛糾している人がいるが
「女子」はただ単に性別が女性という意味しか持たないはずなのに清楚で可憐で美少女という意味も内包しているイメージがついてしまっている
なので「◯◯女子」というのはそのラベルを貼られることにより、自分がブスだという自覚がちゃんとある人まで勝手に「あなたがミスコンに選ばれました!!」と無理やりステージに上げられ、じろじろ見回されて「何がミスコンだ!全然美女じゃねえだろ!!身の程を知れ!!」と罵倒されるような居心地の悪さがあるのだ
美少女コンテストにエントリーするなんておこがましいことなんか一切考えていないのに、美術館に絵を見に来ただけなのに、「美術館女子」というラベルを貼られることにより「美術館のキャンペーンガールコンテストにエントリーしに来た女」のように見られ審査対象になることへの不快感
美術館女子に限らず「◯◯女子」への反発はそういう心理から来ているのではないだろうか
少なくとも私はそうだ
私が女子高生の時はブスなのに女子高生という肩書きを背負うのが苦痛で仕方なかった
女子高生というのは長い睫毛を少し伏せて気だるげに携帯ポチポチしてミニスカと黒髪ロングストレートの似合う美少女でなければならないはずで私のようなキモヲタデブスが名乗っていいものではないのに高校に進学したら女子高生にならなければならない
◯◯女子だけではなくて女性にまつわる色々な言葉、例えば巨乳なんかもそうだと思う
胸の大きい人向けのブラジャーやシャツを扱った専門店ができたというニュースを見て、巨乳美女を見放題!と反応していた人がいたが
なぜ美女が来ると思うのだろう
ボディービルダーが努力を重ね胸板をパンプアップさせるのと違ってほとんどの巨乳は言ってみればただ「生まれつき胸の腫瘍が大きい」だけの人であり、大きなサイズのブラを求めるのも足が大きすぎる和田アキ子がわざわざ大柄な外国人男性用のブランド靴を取り寄せるようなものと同じである
だから巨乳と言ってもとんでもないデブやブス、おばあさん、レズビアン、幸せな家庭を築いている二児の母とか、しまむらに靴下を買いに行くのと同じでただ単に買い物をしたいだけの色々な人間が客として来店するだけなのに勝手に巨乳=自らの意思で男を誘うイキモノ、ナンパOK、美女、などのイメージを付随させる
そもそも「女」と聞けば勝手に美しいものと勘違いする男性が多すぎる
国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら。
菅木志雄
宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館は美術館ではなくて、美術館を詐称する展示場なんだが。
いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。
棚田康司
円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。
皮緞帳は粗大ごみにしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?
田根剛
中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出のお仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。
おもしろいパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。
印象うすい
さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。
古典の方は見応えあるよ。念のため。
【追記】
「古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。
仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性、宇宙全体などと宗教的・歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。
洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああいい作品を見たなあと。
それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?
川内の写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃんと選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。
花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市立博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹は西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。
棚田の作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。
いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。
mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが
刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの。
今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。
ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。
会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。
そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典の作品としっかり向き合おうよって思う。
前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。
他の作家と違って、この人は作品を制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。
立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽の位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野の国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日はロダンの地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。
だから今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体は評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。
正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだから。しかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。
まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明をスピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像に向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。
さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般に仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。
出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。
もう1つは、冨嶽三十六景のパロディ「ちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品を元ネタの北斎作と並べて展示していた。
北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしまう現代っぽさの対比が興味深い。
それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。
でもね、「和紙にインクジェットプリンタ」なんだよ。実物見る意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。
伝統×現代アートという切り口から、伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました
ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。
このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。
もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分がターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。
乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入り。モダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。
この展覧会に行った理由は蕭白。蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。
新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的に蕭白と言えばこうのって作品で大好き。
宣伝動画のなかで横尾は、人間の本質・魂の表現が蕭白の作品の中にこめられた重要なメッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。
行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的に個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。
yama_bousi 現代美術で自分が好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング、藤城清治氏、あとドールの世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。
マッチングアプリのプロフィール、実家暮らし感を醸し出したものから無難なのにしたら、反応全然違って笑った。
勉強しないとなのに、現実逃避にゲームしている。それも、やりたいからではなくて、現実逃避からだから、全然面白くないし、ひたすらイライラしていた。
ゲームやって苛々するのってこんな感じだったなと、久々に思い出した。
そういう人たちが世の中には常に一定数いるのも知っている。
昔の俺はそうだった。
今も気を抜くとそうなるということだ。
人間なんてそんなもんだ。
大人でも、仕事とかあるから理性的な大人のロールを演じられているだけで、仕事や家族といったものがなくなったら、堕落するんじゃないかな。
現実に人を動かすのは、高尚な夢や理想ではなく、三代欲求などマズロー的に上位のものからでしょう。
そんなだから俺は、趣味は美術館巡りとか抜かす気取った女とは絶対に相入れないのだ。
宇宙飛行士になりたくて院とかその道をひた走っていった知り合いがいたが、低次元の欲求が満たされているからこそ、そんな高尚な道をひた走れたのだろう。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 65 | 6893 | 106.0 | 31 |
01 | 41 | 4597 | 112.1 | 39 |
02 | 38 | 6534 | 171.9 | 57 |
03 | 28 | 4934 | 176.2 | 44 |
04 | 17 | 2129 | 125.2 | 73 |
05 | 19 | 1291 | 67.9 | 57 |
06 | 33 | 4925 | 149.2 | 29 |
07 | 57 | 5237 | 91.9 | 43 |
08 | 77 | 10841 | 140.8 | 60 |
09 | 111 | 10205 | 91.9 | 50 |
10 | 189 | 16442 | 87.0 | 56 |
11 | 144 | 17070 | 118.5 | 76 |
12 | 209 | 16739 | 80.1 | 49 |
13 | 195 | 14202 | 72.8 | 44 |
14 | 139 | 18579 | 133.7 | 44 |
15 | 148 | 18215 | 123.1 | 47 |
16 | 170 | 15211 | 89.5 | 47.5 |
17 | 193 | 14462 | 74.9 | 40 |
18 | 153 | 12069 | 78.9 | 39 |
19 | 158 | 14369 | 90.9 | 36 |
20 | 163 | 16781 | 103.0 | 37 |
21 | 117 | 13537 | 115.7 | 44 |
22 | 162 | 14984 | 92.5 | 40 |
23 | 105 | 13481 | 128.4 | 41 |
1日 | 2731 | 273727 | 100.2 | 46 |
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「ドローイングの可能性」展で山部泰司の作品と。「見た瞬間に、『すごい』と感動させられた作品です。鮮やかな色と力強い筆づかいに圧倒されます」 山部泰司《3000の流れの丘》2015(部分)(許可を得て撮影しています)