はてなキーワード: 署名とは
配信者なあぼうがストーカーに婚姻届を勝手に出された件が話題だがなんで勝手に出せるのか解説する。
●内容が間違っていても受理される
提出される婚姻届は8割が内容が間違っている
→ほとんどの人が○丁目○番○号を適当に書いてるし余計な建物名とか付け足してる
・父母の氏名
→親の離婚後の氏名知らない、絶縁したので書かない、死んでるから書かない、違う文字で書く
内容が間違っていることを理由に不受理にしてたら8割不受理になってしまう。
だからその他欄に職員が正しい内容を書き足して修正したものを事務処理する。
筆跡が似てるのに受理されたことが話題になってるが、例えば「夫の住所」「夫の本籍地」「夫の父母の氏名」は夫以外が記入しても問題ない。
2人仲良く窓口に持ってきた婚姻届でも「字が下手だから奥さんにほとんど書いてもらった」みたいな人が多い。
署名欄のみで筆跡を見分けるのは難しい。
あと住所も住民票通りに書いてない人が多いが、生年月日と氏名と住所町名と番号まで合ってたら実在していることが分かるから受理する。
さすがに両方間違ってたら無理。たまにいる。頼まれて証人になったけど個人情報知られたくないから適当に書いちゃう人。
今回の事件は夫の本籍地で提出したので戸籍謄本不要だった。まぁ婚姻届偽装するような相手なら、委任状偽装して戸籍謄本窓口で取ると思うけど。
初婚の人の場合親の戸籍に入っていて、ほとんどが地元が本籍地だから
有名人やストーカー被害者は不受理申出をしていることが多い。本人が窓口に来なかった場合は、不受理申出が出されてないかを本籍地の役所に確認をしている。ストーカー被害者は不受理申出を活用してほしい。
●本人が窓口に行かなくても出せる
本人が署名してたら、窓口に持ってくるのは友達でも良いし、郵送でも可。
●字が書けないなら署名欄も代筆で良い
病気で字が書けない人もいるので、そういうときには代筆して、欄外に「○○だから○○が代筆したよ」みたいに理由を書けばOK
●なんでそんなに簡単に出せるの?
婚姻する権利を保障するため。不正防止のハードルを上げたら提出が難しくなる。
身分証明書持ってない人とか、漢字が書けないとか、事情があって2人揃って窓口に行けない人が多い。
この日に婚姻したいという権利を保障するために提出のハードルを下げて、不受理申出制度や婚姻無効裁判や刑事罰などの制度を作って不正を防止してる。
窓口に出るのは会計年度任用職員(非正規)と正規職員が半々くらい。その正規職員も配属されて5年未満の人がほとんど(市役所の職員は3年〜5年で全く関係ない部署に異動するから)
官公庁がTeamsを公文書にするためにスクショを撮るとかいう話を聞いて分かるように
メールで送った文章を印刷して証跡として保存しておく、とかいうのもその考えに基づいている
メールの最初に「〇〇様 いつもお世話になっております」とか書いたり末尾に署名を書いたりするのも同じだ
Toに書いてある、Fromにも書いてある、署名するなら電子署名しないと意味が無い、といくら言っても分かってはくれない
こういう考えの人の何割かはチャット=手紙の延長だとも思っている
読んでるくせに全然返事をしない、やたら長い文章を送信してくる、1行レスができない、などなど
使いこなせていないだけでなく、彼らにとって送った文書・送られた文章は立派な手紙だと思っているので証拠・証跡として残しておくべきだと思っていて
なんならその証拠を使って大事な仕事を進める、みたいなことをやるので害悪でもある
ちなみに決まってこの手の人はタイピングが遅く、とにかくテキストを書き出すことができない
「Web会議で打ち合わせをしましょう」と言って会話ベースで無いと話が進まないのだ
彼らにとって会話は証拠を残しておかなくても良いものだが、チャットは証拠を残しておくもの(手紙)だと思っている
打ち合わせのWeb会議を繋いでも「少々お待ちください。こちらで検討します」と言ってミュートにし
向こうのチームで相談してから回答する、みたいな官僚的なことをやる奴すらいる
決まって録音される
一方で実はLINEは会話としての地位を築いていて手紙だと思っている人は少ない
スクショ等で証拠を残したりしたとしても、それは会話を録音しているのと同じ状態だと思う人が多い
なので企業内でもコミュニケーションを効率良く進めるためにLINEを導入しているところは多いし
SlackやTeamsではないのはそういう理由なんだと思っている
LINEに情報を渡したくない、という理由で某大手通信会社が「LINEに代わるチャットアプリを!」とか言って独自のチャットアプリを開発してて
チャット=手紙だと思っていた人にとっては意味があることだと勘違いしたようなのだが
逆にチャット=手紙だと思っていた人には結局は手紙だと思われている
噂で聞いたが結局は社内でもメールの代わりとして使われていてチャットとしては機能しておらず、そもそも使っている人が少ない、とのことだった
2011年5月 第20回日EU定期首脳協議で、日本がSPA及EPA交渉プロセス開始に合意
2017年7月21日 ボリス・ジョンソン英国外務・英連邦大臣が安倍首相と会談。SPA及EPA交渉と日本から今後も投資が続くことを歓迎するとの発言
2018年7月17日 第25回日EU定期首脳協議で日本が日EU・SPAに署名
2022年7日7日 ジョンソン首相パーティスキャンダルで辞任を発表
2023年6月15日 貿易赤字22カ月連続 5月は1兆3725億円
2023年7月 他方、イスラエルは貿易するほど赤字になっている(変わりに直接投資を受けているだろう)
埼玉で、とんでも条例案が県議会の委員会で自民、公明の賛成多数で可決された。10月13日の本会議でも可決される見通しとのこと。
改正条例案の内容は、小学3年生以下の児童の養護者は住居などに児童を残して外出することを禁じ、4~6年生については努力義務。罰則規定は設けず、虐待を受けた児童を発見した場合、速やかに通告・通報すること義務がある。
定義も決まっておらず、条文がザルでこのままでは運用に耐えないし、罰則規定もないので、埼玉県のエレベーター条例や徳島県のゲーム時間制限条例と同じように無視しておけばいいと思う。一方で、改正案提出を主導した自民党党議員団団長の田村琢美県議は、報道によると、将来的には罰則を設ける意向も示したため、罰則を設けられた時が県民としては本気で戦う時だろう。もっとも、県民に遵法意識があるから議論になるのであり、条例が成立しても無視する提案は県民の遵法意識を低下させることにもなり懸念点はある。
戦い方について
ネットで署名活動が始まっているが、ちょっとポイントがずれているように思う。もっと廃止にできる可能性あることをやるべきだろう。
罰則が設けられた段階にはなるが、地方公共団体の定める条例の制定範囲は国が定める法の範囲内である必要がある。テレ朝の報道によれば、憲法学者の名古屋市立大学大学院・小林直三教授は「条例の文言上、広範に外出等を制限するのは過度な制限であり、憲法違反の疑いがある」と言っている。とはいえ、誰が憲法訴訟をするのかという問題がある。
埼玉県議会議員選挙は、今年の4月に終わったばかり。任期は4年なので、しばらくは落選させられないし、4年後には風化してるだろう。
地方自治法に基づき議員を解職させる方法がある。いわゆるリコール。その議員を選出した選挙区の有権者の一定数以上の署名を集めることで解職請求をすることができ、その選挙区での住民投票を行った上で過半数の同意があった場合に失職することになる。県議会の自民党・公明党議員全員のリコールは現実的ではないので、誰かに特定する必要がある。その議員の選挙区で署名を集める必要があるので、全員が参加できるわけではない。
条例の制定に関して、県知事に異議があるときに県知事が理由を示して再議に付することができるもの。再議の結果、出席議員の3分の2以上の多数で再度賛成で議決されてしまうと、県知事は何もできない。ただ、これはあまり使われていないらしい。議会と対立することになるので、世論の後押しがないと県知事も難しいだろう。
5)報道に期待
夕刊フジの10月7日付の報道によれば、自民党県議団内では「国政を目指す一部の幹部が『全国初』で実績をつくろうとしている」という意見もあるようで、これが事実であれば、マスコミにこの幹部が誰かを特定してもらい、報道してもらうことだろう。ある程度のプレッシャーになると思う。
6)他県に引っ越し
持ち家のない家族は、身も蓋もないが、他県に引っ越すのが最も現実的だろう。行き先は、差し当たり、ライバルの千葉あたりどうだろう。
7)結論
引っ越すのが一番簡単なのは明らかだが、翔んで埼玉がヒットしたくらいの県なので、埼玉愛があるのだろうから
是非実行力の高い方法を試して欲しい。
注意:この予想は、あくまで2023年9月28日時点の情勢からの予想です。
#STOPインボイス の署名受け取り拒否と、自民党に署名を渡す事に成功した人が語る「自民党に署名を受け渡すことの難しさ」 - Togetter
2023年9月25日(月)の晩に首相官邸前で行われた「首相官邸前 STOP!インボイスデモ」というデモについてのまとめです。
2023年10月1日(日)から、インボイス制度という税制が導入されます。
これは、2016年11月18日(当時:与党-自民党)に国会で成立した改正消費税法によって、2023年10月1日(日)からの導入が決定された制度でした。
つまり、2023年10月1日(日)からの導入は2016年12月前には既に決定事項となっていた事でした。
そもそも、インボイス制度は何故誕生したのか?
インボイス制度の誕生のきっかけは民主党政権時代(2009年~2012年)に遡ります。
2010年6月、当時の内閣総理大臣の菅直人(かんなおと)は、社会保障の充実や雇用創出、財政再建のためには消費税を5%から8%、8%から10%と段階的に引き上げざるを得ないと判断し、消費税の増税について言及しました。
その後、2011年3月11日に起きた、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)、この震災の復興等で、2012年以降に民主党政権は予想していたよりも予算を多く支出する必要に迫られる形となり、2011年8月30日より、菅直人の後を継いで総理大臣となった野田佳彦の下、2011年12月29日に、「消費税を2014年4月に8%に、2015年1月に10%に増税する」とする民主党案(この際に、インボイス制度の導入も民主党案内で提案)を出すに至りました。
2012年12月の衆議院議員選挙で民主党が敗北し、再び自民党が政権を獲る事になったものの、民主党政権時代に消費税の増税に関する法律は成立してしまっているため、消費税の増税は避けることができなくなっていました。
2014年4月に消費税が5%から8%になった後、安倍政権下で、景気が復調してきた事等も踏まえて、8%から10%への引き上げは2014年11月(2015年10月→2017年4月に)と2016年6月(2017年4月→2019年10月に)に二度延期された後、2018年10月には予定通り2019年10月に税率を10%に引き上げるこが決定され、2019年10月に消費税は10%に引き上げられました。
\この、2019年10月の消費税率10%への引き上げの際、仕入税額のなかに標準税率10%と軽減税率8%の2種類の消費税が混在する形(複数税率制度)となり、2016年11月18日に成立した改正消費税法によって、複数税率制度に対応するために消費税を10%に引き上げた後、2023年10月1日からインボイス制度という制度が導入される事が決定しました。
言わば、インボイス制度は、「民主党(現:立憲民主党)」と「自民党」の共同作業に寄って導入が決定された制度となります。
ここまでの流れを踏まえてお聞き下さい。
・インボイス制度の導入は2016年11月時点で決定していた
・それなのに、制度が実施される直前のここ数か月になるまで、反対派はデモ等を行って来なかった
・制度が実施される1週間前になって、署名の手渡しを行おうと首相官邸前に押し掛けた
これで署名を受け取れというのが無理のある話でしょう。
そういう疑問の答えが前述のまとめには書かれていました。
インボイス制度の実施直前の「中止が絶対に無いタイミング」でデモを行う事自体が、左翼系政党(立憲民主党、日本共産党、れいわ新撰組、社会民主党)の「仕事やってます」アピールなんですね、これ。
こういうのを見ると、左翼系政党(立憲民主党、日本共産党、れいわ新撰組、社会民主党)って駄目だなと思います(個人の感想です)。
特に立憲民主党の議員、先にも言いましたがインボイス制度は、「民主党(現:立憲民主党)」と「自民党」の共同作業に寄って導入が決定された制度です。
それなのに、自民党と一緒にインボイス制度の導入までの道を作った責任を取って他の左翼系政党(日本共産党、れいわ新撰組、社会民主党)から非難される立場にならず、他の左翼系政党(日本共産党、れいわ新撰組、社会民主党)と一緒に政府・自民党を非難している立憲民主党は、特に信用に値しません。
さて、「左翼系政党(立憲民主党、日本共産党、れいわ新撰組、社会民主党)が信用ならない」という話をここまで書いてきましたが、ここからは「日本維新の会と、大阪維新の会にも信用ならない部分が有る」という話を書くことになります。
2025年に開催予定の「大阪・関西万博」の会場の準備が悲惨な事になっているそうです。
元々、「大阪・関西万博」の誘致が決定した時は「1250億円で会場は建設できる」という試算だったのが、2020年12月に「1850億円必要です」となり、ついには、2023年9月26日に「2300億円かかります」と発表されています。
これについては、色々と思う所が有るので、いずれ別に記事を書きたいと思いますが、この予算の増額に対して、大阪では大阪維新の会(と日本維新の会)に対する非難の声が徐々に増えているそうです。
かと言って、大阪市民は、自民党や立憲民主党(と日本共産党・社会民主党)等も余り好きではないという人が多い土地柄であるそうで、次の国政選挙が行われるタイミングに寄っては、右翼(自民党)と左翼(立憲民主党・日本共産党・社会民主党)と維新とで浮動票が割れて大阪は大荒れするかも知れません。
国民民主党とれいわ新撰組辺りは、それぞれの党首がうまく立ち回れば浮動票を取り込める可能性が有りそうな気がします。
当記事主は、与党系(自民党・日本維新の会・国民民主党)寄りの立場ですが、それでもこれに関しては日本維新の会を非難せざるを得ないと思っています。
しかも、余分にかかる費用の負担を国に求めている辺りに、「本当に開催するのか中止するのかを、一度立ち止まって改めて考えて欲しい」と思わざるを得ません。
大阪・関西万博の問題が話題になっている大阪で、2023年9月24日(日)に、東大阪市の市長選挙と市議会議員選挙が行われました。
前回、2019年9月29日(日)に行われた東大阪市長選挙の投票率は38.91%だったのに対し、
今回、2023年9月24日(日)に行われた東大阪市長選挙の投票率は39.86%と、上がっています。
前回・今回共に現職の野田よしかずさんが当選しています。ただ、野田さんは前回は、自民党・公明党の推薦を受けて出馬していたのが、今回は大阪維新の会に入党し、大阪維新の会の候補として出馬していました。
そして、当選してはいるものの、投票率は上がっているのに、得票数が前回よりも約8000票ほど減るという結果になっていました。
更に、東大阪市議会議員選挙では、大阪維新の会は14名の候補を立てていたのですが、3名が落選して、11名の当選という結果になっています。
僅かながら、維新離れしている傾向が見て取れます。
そして、今回の東大阪市議会議員選挙では、得票数の上位6位に、大阪維新の会の候補者達に混ざって、参政党の候補者が1名当選していることと、当選者の中では下から10番目の得票数ですが、れいわ新撰組の候補者が1名当選していることが注目点と言えると思います。
僅かに、僅かにではありますが、大阪から始まった政治団体である維新の会(大阪維新の会&日本維新の会)から、離れて行っている人がいるのではないかと考えられます。
インボイスデモと東大阪の選挙に見る、今後の政党勢力推移予想②に続きます。
これは仕事で疲れ切っていた若くて馬鹿な私が、云年越しの真実に打ちのめされる話かもしれない。
どこか嘘かもしれないし全部本当かもしれない。ただただやりきれない気持ちだけで書く。
この日記を一行でまとめると下記の通りだ。
業務時間外に書いた云十万字の小説の権利が、一切自身になかったことを知った話、である。
* * *
学校卒業後に就職したのは小さな小さな編集プロダクションだった。執筆も編集者がやるタイプの編プロだった。
ニッチな界隈の本を細々と出していた会社で、今はもう存在しない。
好みの分野を扱うことが多かったので仕事自体は楽しく、担当していた界隈がにわかに盛り上がったときは激務に次ぐ激務だったがかなりのやりがいを感じていた。
編集者のいいところは、自分の関わった商品が本屋という身近な場所に陳列されて、しかも奥付に自分の名前が載ることだと思う。
「私はこれを作ったんだ」という実感は激務を忘れさせるほどの麻薬だった。
+
会社にはいろんなタイプのオタクがいて、コミケにサークル参加するような同人作家も在籍していた。
スタッフが創作者であることは仕事に生かされ、それが会社の強みにもなっていた。
私もそんな創作者のひとりだった。小学生のころから二次創作小説を書いていたような、生粋の創作する側のオタクだ。もちろんコミケにサークル参加したことがある。会社でも小説を書くことは隠していなかった。
前述したとおりいろんなオタクが集まっているのはこの会社の強みであり、取引先からも面白がられていたので、何かとそれは話題にあがった。「あなたは何のオタクなの?」という感じの雑談から、私が小説を書くオタクであることは取引先にも知られていた。
+
ある日、上司に呼ばれて席まで行くと、「小説を書いてみないか」と言われた。
とある人の半生が面白いので、脚色を加えて小説にする企画があるのだが、書き手(ライター)が見つからない。
そういえば御社に小説を書く人がいたよね? ――と、取引先からお声がかかったらしい。
素人の思い出話を物語として成立させるには、筆力のほかに構成力も必要になってくる。
小説が書けて、編集者の視点も持っている人にお願いしたい、というのが私が選ばれた大まかな理由だ。
「人生何が起きるかわかんねぇな」と思いつつ、正直先方の正気を疑ったが、特に断る理由もないので「自分でよければ」と答えた。
そして、企画が動き出した。
+
当時私は中堅の社員で、後輩の教育も任されており、わりと大きな継続企画も抱えていたので、まあそこそこ忙しかった。
そこそこ忙しくはあったが、後輩に任せられることは任せ、溜まりに溜まっていた有休を無理くり使い、執筆作業に当てた。
徹夜もよくしたし、午前中にネカフェで執筆して午後から出社、終電後まで働くみたいなことも多かった。
執筆はすべて業務時間外にしていた。これは単に会社にいると仕事が降って来るので落ち着いて書けないし、原稿料をもらうからには切り分けねばと思ったからだ。
会社を空けることが多くなり、雑用や確認作業が頼みにくいと上司からはよく嫌味を言われた。
+
通常の仕事に加え、睡眠時間を削りながらの執筆、「自分で書くのだから」と資料作成・装画周りにも関わり、とんでもなく忙しくはあったがやりがいも楽しさも感じていた。
初稿が上がり、大勢の人の目が入り、製作も大詰めというときだった。
上司が、軽い調子でこう言ったのだ。「著名は原案者だけにするかも」と。
反射で「私の名前が載らないってことですか?」と尋ねると、「そういう案も出ている」と言われた。
忙しくて頭の回っていなかった私は、ただただ「そんな話が出ているのか」とショックで、会話はそれで終わりになったと記憶している。
(デスクに座ったまま、ぽろっと言われたくらいのノリだったように思う)
その日の夜になってようやくだった、「いや、私の名前が載らないのはおかしくないか?」と怒りが湧いてきたのは。
+
前述したとおりこの本は、とある人物の半生を脚色して小説化するというものだ。
当然、この「脚色」は私の創作である。些細な話題を膨らませてドラマチックにしたり、つなぎになるエピソードを創作して物語を盛り上げた。
たとえば登場人物の紹介をするのに、設定にある特徴から勝手にエピソードを作ったりした。
こうした追加エピソードについては、原案者からも「まるで本人を知っているかのような描写で驚いた」とお褒めの言葉をいただいている。設定から妄想を広げるのは二次創作同人屋の得意分野だ。
そう、この小説は相当私の「創作」が含まれているのだ。それなのに何故、ゴーストライターにされてしまうのか。
+
怒りのまま、とはいえギリギリビジネス文章に落とし込んだ形で、私は上司と出版社の担当者にメールを書いた。
個人のアドレスから送ってやろうかと思ったがそれはやめた。不審なメールとしてはじかれたら元も子もないからである。
要は「私の名を出さないのなら、創作部分をすべてカットする」という内容だ。原案者が著者なら創作部分は生まれなかったはずだから、という理論だ。
私のガチギレぶりにめんどくささを感じたのだろう。私のペンネームは原案者と併記されることになった。
ガチギレメールについて上司から小言をくらったが知ったことではない。私のやることなすこと気に食わない上司の文句などすでに聞き飽きていた。
今思えば原案/著で記載されるべきだったのだろうが、この後の出来事を考えるとこの時からすでに事は動いていたのかもしれない。
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発売後、今度は社長に呼び出された。社長と総務の前へ、何事だろうと寝不足の頭で棒立ちになっていた。
私個人と出版社の契約でなく、会社と出版社で契約を結び、入金された印税の中から褒賞として私に支払う形にする、という通達だった。
当時二十代半ばの私は、この言葉の意味をよく理解しないまま、印税がもらえるならいいかと了承してしまった。
ここがすべての間違いであったのだが、そんなことは当時の私が知る由もない。
その後、若い私にとってはそこそこの額の執筆料をもらったが、当然のことながら重版などかからなかった。
なんやかんやあってその数年後、いろいろ限界を感じた私は逃げるように辞職した。このままでは飼い殺される、という危機感が一番強かった。
同じ家に暮らす家族から「最近顔を見ていないけど元気?」とメールが来るような日々だったのだ。
それなりに「できる社員」として取引先にも認められていたので、おかげで再就職は比較的スムーズに進んだ。
* * *
それから結構な時間が過ぎたころ、なんと前述の本のメディアミックスが決まった。
私がそれを知ったのはネットニュースでだった。
起き抜けのTwitterTL巡回中、見覚えのあるタイトルが目に入って一気に目が覚めた。それは結構な規模のメディアミックスで、有名な人も参加するプロジェクトだった。
スタッフクレジットの「原作」欄には、原案者の名前しか書かれていなかったのだ。
とはいえ、今も同人活動をしている身としてはあまり名が売れてほしくない思いもあり(商業活動をしているわけでもない)、それについてはそこまで怒りも湧かなかった。
何よりかにより私が衝撃を受けたのは、原作欄に掲載された書影から私の名が消されていたことだった。
ぱっと見た瞬間、変だと思った。画像の一部に雑な加工の跡があったからだ。何故加工されているのか、よく見たら名前が消えている。そういう順番での認識だった。
なんだかんだ長く出版界隈に居座っているので、画像加工については見慣れている。本職デザイナーの手にかかれば、あたかも初めから存在していなかったような「画」を作れることも嫌というほど知っていた。
その書影の加工は、どこから見ても素人仕事で、スタンプツール連打したんだろうなって感じのものだった。私でももっとましに作れる。
加工者が誰であれ、私の名は意図的にその画像から消されたという事実に変わりはなかった。
+
少し前に好奇心から知財の本を読んでいた私の頭には、人格権、翻訳権、氏名表示権などなどいろいろな言葉が浮かんでいた。名を消されたことに関する影響も危惧していた。
それと同時に、ずぅっと謎だったけれど、見ないふりをしていた疑問も浮かんでいた。
私の印税ってどうなっているんだろう。
前述したとおりこの本はほとんど広告が行われていなかったため、重版など夢のまた夢だと思っていた。だから、それまで考えないようにしていた。
メディアミックスされるとなると話は別だ。
この時私は打算的にものを考えていて、名前を消した理由を尋ねるところから入り、この本に関する私の権利について確認を取ろうと思っていた。
正しくない書影を掲載したという非が向こうにはあるので、多少強気でかかって話を引き出せると思ったのだ。
微々たる額でも印税がもらえたら御の字だなと考えていたのだ。なんたって印税契約をしていた会社はすでに倒産していた。
担当部署に直で聞くのが手っ取り早いが、権利に関する問題であるし、内々で片付けられても困る。よそを巻き込んで大事にしてやろうと思ったのだ。
結果、私は惨敗することになる。
なんと、当時の担当者がライツ部に異動になっていたのだ。こんな偶然があるのだろうか。
+
この本が出たのはもうずいぶん昔の出来事で、だから、当時を知る人がもう社内におらず、だから、私と連絡が取れず、だから、書影から名を消していたのだろうと、そう思っていた。
問い合わせのメールには、連絡が取れないから名前を消したのだろうか、だとしてもこんな雑な方法で消すのはどうなのか。何故名前を消したのか理由を知りたい。権利にかかわる問題をはらんでいる恐れがあるためライツ部に連絡をした。製作時も記名に関してひと悶着あったというのに残念だ。そんなようなことを書いた。
当時を知る人がいない前提の文面だ。
だというのにどうだ。その担当者は私が転職したあとも仕事のやり取りがあり、だから、私の連絡先は知っていた。なんなら携帯番号も知っている。
連絡しようと思えばいつでもできたはずだった。
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返信には、非常に軽い調子でこう書かれていた。
「先方に間違った画像を送ってしまった(入稿前のものだったのかも?)。今正しいものを送ったので即時修正されるはずだ。今後の重版に関しても名前が消されていることはないので安心してほしい」
製作に関わっていた私が、そんな画像が存在しないことくらい知っているだろうに、そう、本当に軽い調子で書いていた。
誤魔化すつもりなのだ。公式サイトに私の名を記載しないが故、書影との差異を出さないように雑に消したのだろう。バレないとでも思っていたのだろう。これだけ対応が早いということは、この人が本件に関する責任者なのだろう。
つまり、あの時私の名を本から消そうとしていた担当者が、私の名を表紙から消したのだ。
+
大事にしたかったのにならなかった。この時点でもう打つ手はないなと感じつつ、「当時を知る人がいるとは心強い!」とよいしょしながら、本書の権利について尋ねた。
念のため最初からメールの署名からは電話番号を消していた。電話では余計なことを口走ってしまう可能性があるし、丸め込まれる恐れがあるからだ。諸々のことを文章として残しておきたかったのもある。
この時点ですでに、職務著作という言葉が頭をよぎっていた。簡単に言うと、業務で制作した著作物の著作権は会社に帰属するというものだ。
わざわざ業務時間外に小説を書いていたが、契約を会社に委ねてしまった時点で私は著作権を放棄したことになっているのだろうなとほぼ確信していた。
とはいえ契約先である会社はすでに倒産しているわけだし、そこはどうなっているのだろう。この際だからという気持ちでいろいろ疑問をぶつけてみた。
会社在籍中は印税の一部は会社から支払われることになっていると聞いたが、という話も伝えていた。
(誤魔化そうとしているのは明白だったので、雑な加工については「画像の送付間違い」ということで流した。一応修正前の魚拓は保存している)
+
結果、分かったことは以下のとおり。
・著作権は原案者のみが所持、会社とは業務委託の契約しか結んでいない。
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はあ、つまりだ。
職務著作どころでなく、はじめっから私の権利は知らんところで放棄されていたのである。
ずいぶん話が戻るが原案/著表記にしなかったのは、こうすると私が著作者として確立してしまうからだったのでは?みたいな気持ちもある。
こんなめんどくさい人間を絡めるといろいろやりにくいと思われたのだろう。事実暴れてしまった前例もある。
そしてこの本がいくら売れようと、印税が入るのは案件ノータッチの元社長の懐だ。
結局、知識のある人間が得をするのだ。悪いのは無知な私だ。目の前の仕事で目を回していて、いったん持ち帰るということができなかった、仕事に疲れ切っていた若くて馬鹿な私なのだ。
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いろいろ教えてくれたことに感謝はしつつ、とはいえ雑に私の名を消した恨みは募っていたので、最後っ屁のつもりでやり取りの最後はこう締めた。
「本来の書影に書かれている名が意図的に消されていると、『この消された人物は何者なのか』と無為な詮索にさらされる危険性がある。それが一番の懸念だった。もう二度とこのようなことが起こらないよう留意してほしい」
シンプルに名前が消された怒りもあるが、この危惧もあった。メディアミックスに際して名を消された著者。もし、私がこのペンネームで商業活動をしていたとしたらどう思われるだろうか。
消されるだけのことをしでかしたのではないかと思われる危険性は高い。これは信用問題になってくる。
それに、今のネットの「面白そうなおもちゃ」に対する残虐性は認識しているつもりだ。自分が掘り出した“真実”を喧伝し、当事者を炎上させる。何かあったら嫌だ、と身構えるのは致し方ないと思われたい。
とはいえ、これを読んでいるような人なら理解してくれるだろうが、出版社のこの手の人間には理解されないだろう。
それでも、もう二度とこんな雑に人の存在を消さないでほしい、という訴えは届いてほしかった。
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この件に関して、私は別に詐欺にあったわけでも、法を犯されたわけでもない。ただただ無知で、己の権利に鈍感だっただけだ。
手痛い授業料だと思っている。このエントリーは半ば逆恨みだし、書いてすっきりして忘れたかったのかもしれない。炎上させたいわけではない。
自分の無知で痛い目にあった私ができるのは、二度と同じ過ちを犯さぬよう、そして後進たちが同じ轍を踏まぬよう努めることだけだ。
提案は一度持ち帰って調べろ、即決するな。とくに寝不足のときは危険だ。
教訓として、とりあえずこの一連についてはいたるところで語っていきたい。
なんせ、私と出版社は(ついでに元社長も)、なんの契約も交わしていないのだから。
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ほんの少しだけよかった話をする。なんと印税をもらえたのだ。
印税契約を譲渡した元社長の現会社から連絡があり、お小遣い程度の収入を得た。夢にまで見た不労所得である。
連絡をくれたのが元総務の人だったので(元の会社の上層部がそのまま現会社に移っていた)少し話をしたのだが、出版社の担当者の話題は一切出てこなかった。私とその人がやり取りしたことは知らないようだった。出版社から入金があったので粛々と対応した、という感じだった。
献本は送られてこなかったので自分で買った。初版と第二版の年月日を見比べると渇いた笑いが漏れた。ずいぶん長い時間がかかったものだ。
メディアミックスについてはとくに興味も湧かず、とはいえ周囲から話題を聞くこともないので、爆死も盛況もしていないのだろう。
自分はもう死のう。
さっき長く親しんできたSNSのアカウントも削除して、人間関係を消去した。
そのあと自分でしたのもおかしいけれど、亡くなった年長の友人にLINEしたことだった。自分のスマホに残っているそのアカウントに《そっちはどんな感じですか》とか《そっちでも遊んでください》とかLINEしてる。バカみたいだけど意外とこれが落ち着く。
でも意気地の無い人間だから、どこかで自分のことを誰にしっていてほしいという気持ちがあります。その誰かは知らない人でも十分だ。というか、知らない人の方がいい。
なので、これまでの想い出語りをしたいと思う。自慢話とか愚痴かもしれないけれど、まあ、死ぬときぐらい好きに書かせてほしい。
ひとつは仕事がある程度までできたこと。就職はできなかったけれど、フリーとしてそこそこ仕事はできたんじゃ無いかと思う。
30歳のときに初めて自分の本が出せた。全ての本は国会図書館とに残されると聞いていたので、これでようやく自分の証しができた、と思った。
子どものころから身体が弱く、1年間通じてまともに学校に通えなかった。勉強もスポーツもできなかった。ずっと家に居てすることもなく、ただ本を読んでいるだけの少年だった(ネットもゲームもない時代です)
そこの読書量が、あとあと効いたのだと思う。喘息はしんどかったけれど、神様はちゃんと居場所を用意してくれるんやなと思った。
ただこれは体験してみて自分の感情に驚いたのだが、本が出たとき寂しかった。風呂無しの小さなアパートで頑張ってきて、その頑張りを見ていてくれた女性がいなかった。私は人生の伴走者がほしかったのだ。苦労して苦労して、なにかを達成したときドラマなら「ゃったー」と拳を突き上げるのだろうけれど、現実には寂しさと安堵しかない。
40歳を過ぎて結婚できたことは、本当に嬉しかった。テーブルに並べられた彼女が作った晩ご飯を初めて見たとき、やっと自分も人並みの人生が送れるのかと涙が出た。
ただ私は人への想像力か欠けていて、彼女にいろいろ迷惑をかけてしまった。浮気とか借金ではなく、経済力です。だぶん彼女は私に過大な幻影をみたのだと思う。自分の名前で何冊も本を出したり、書いた記事が雑誌に署名入りで載っているから、業界以外の人は「すごい」と思うのだろう。ただ私は彼女か期待するほどの書き手ではない。私もずるいところがあって、彼女の期待をあえて否定しなかった。