自分はもう死のう。
さっき長く親しんできたSNSのアカウントも削除して、人間関係を消去した。
そのあと自分でしたのもおかしいけれど、亡くなった年長の友人にLINEしたことだった。自分のスマホに残っているそのアカウントに《そっちはどんな感じですか》とか《そっちでも遊んでください》とかLINEしてる。バカみたいだけど意外とこれが落ち着く。
でも意気地の無い人間だから、どこかで自分のことを誰にしっていてほしいという気持ちがあります。その誰かは知らない人でも十分だ。というか、知らない人の方がいい。
なので、これまでの想い出語りをしたいと思う。自慢話とか愚痴かもしれないけれど、まあ、死ぬときぐらい好きに書かせてほしい。
ひとつは仕事がある程度までできたこと。就職はできなかったけれど、フリーとしてそこそこ仕事はできたんじゃ無いかと思う。
30歳のときに初めて自分の本が出せた。全ての本は国会図書館とに残されると聞いていたので、これでようやく自分の証しができた、と思った。
子どものころから身体が弱く、1年間通じてまともに学校に通えなかった。勉強もスポーツもできなかった。ずっと家に居てすることもなく、ただ本を読んでいるだけの少年だった(ネットもゲームもない時代です)
そこの読書量が、あとあと効いたのだと思う。喘息はしんどかったけれど、神様はちゃんと居場所を用意してくれるんやなと思った。
ただこれは体験してみて自分の感情に驚いたのだが、本が出たとき寂しかった。風呂無しの小さなアパートで頑張ってきて、その頑張りを見ていてくれた女性がいなかった。私は人生の伴走者がほしかったのだ。苦労して苦労して、なにかを達成したときドラマなら「ゃったー」と拳を突き上げるのだろうけれど、現実には寂しさと安堵しかない。
40歳を過ぎて結婚できたことは、本当に嬉しかった。テーブルに並べられた彼女が作った晩ご飯を初めて見たとき、やっと自分も人並みの人生が送れるのかと涙が出た。
ただ私は人への想像力か欠けていて、彼女にいろいろ迷惑をかけてしまった。浮気とか借金ではなく、経済力です。だぶん彼女は私に過大な幻影をみたのだと思う。自分の名前で何冊も本を出したり、書いた記事が雑誌に署名入りで載っているから、業界以外の人は「すごい」と思うのだろう。ただ私は彼女か期待するほどの書き手ではない。私もずるいところがあって、彼女の期待をあえて否定しなかった。
JCの真似かよきっっっっっっしょ
自虐風自慢の類じゃん
私は人生の伴走者がほしかったのだ 彼女が作った晩ご飯を初めて見たとき、 こんな解像度低い嘘ってある?エピソード記憶持ってない痴呆???