俺は愛情の有無の判断に、「対象の人間が死んだら、きちんと悲しみを引きずれるか」、と常に自分に問いかけるようにしている
死んだその一瞬は、人間誰しもが「あーあ」「もったいない」と言った類の気持ちが込み上げてくるものだし、そういった悲しみの感情が出ることも反応として当然あるだろう
だからこそ、その感情の継続こそが重要だと俺は思っていて、社会生活をまともに送れなくなるほどに打ちのめされるのは論外としても、実質それくらいの感情の強さがないことには、人間として真に愛情を持っていると言い難いのだと理解している
両親の時はそれに失敗したので、定期的なセックスに至るまでの相手が自分の観測範囲内に入ったときは、必ずそうして本当に自分はその人間を愛せているのかを確認する
そうでないなら、一瞬の悲しみなんてすぐに消え去るし、顔も声も名前も思い出せなくなっていくものだから、すぐに分かる
偽りの気持ちを抱いたまま、表面上だけ愛を囁くのはあまりに不誠実だと思うし、そうやって条件をクリアした後に得られる感情こそが愛なのだろう