はてなキーワード: 社会党とは
最近の若いのはリベラルが悪いリベラルが悪い言うけど、バブル時に無駄に地方に金をばらまいて浪費したのも、バブル崩壊時にはまだ余力があったのに目先のことだけ考えて年金問題を先延ばしにしたのも、「景気が良くなったら全て解決する」って大嘘こいて小手先の改変だけで改革を終わらせたのも、派遣をやっちゃいけない製造業まで解放しちゃったのも、少子化問題を女性が悪い家庭で何とかしろ若者は結婚しろで終わらせたのも全部自民党なんだよなあ。
今金握って各派閥のドンになってるお年寄りは行動成長期からバブルまで恩恵にどっぷり浸かったヤツばかりだからね。
第二党の存在感が張り子の虎でしかなかった社会党にも大いに責任はあるだろうが、根本は経済界と癒着し続け、長い間行政・司法と馴れ合ってきた自民党が悪い。
どんだけ煮え湯飲まされたかを思うと、絶対に自民党には投票できない。
バブル期~バブル崩壊時に自民党のお偉いさんがメチャクチャ無責任だったか知らない若い奴の物知らずにも苛立つけど、それよりも今40代~30代後半であれだけ就職難で苦しめられておきながら自民党を支持するようなのには怒りしか感じない。
https://twitter.com/goeland_argente/status/825881166334996481
Cinq idées reçues sur le “nouveau” Front national
フランス語はそんな上手くないし、フランスの政治には全然詳しくないのでひどい訳です。
どんどん誤りを指摘してください。補足してください。何ならもっといい翻訳をつくってください。
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モンペリエ大学とパリ政治学院の政治科学の助教授であるアレクサンドル・デゼは、『問題になっている「新しい国民前線」』の中で、ステレオタイプに反して、国民戦線については、新しい点よりも昔から変わらない点の方がはるかに重要であることを示した。
2014年の選挙での国民戦線の戦績が良くなったことは否定すべくもない。しかしながら、そのことを過大評価してはならない。アレクサンドル・デゼは次のことを思い出すように促す。地方選挙において、国家的レベルと結びつけて考えるなら、1995年のときのように、票の4.7%しか獲得していない。これらの結果を、2012年の大統領選挙の時の人口10000人以上の都市におけるマリーヌ・ル・ペンの結果と比較してみよう。そうすると、今回の地方選挙の結果は、票数に関してはいくらか劣っているものだと言える。ヨーロッパ選挙に関していえば、かつて聞かれたように、29.4%のフランス人が国民戦線に投票したのではない。棄権を考慮に入れるならば、有権者の10%だけである。
奇妙にも、県の選挙の結果は、彼らの前進を示している。ただ、世論調査での高い予想のせいで、この結果は過小評価されている。国民戦線の候補者は43の県で1位であり、1107の小郡(canton)で、降りずに留まっている。
これらの結果というのは、国民戦線を彼らのスローガン通りの「フランスの第一党」とするには不十分なものである。アレクサンドル・デゼは、国民戦線の存在感というのは、市町村レベルでは副次的なものであり、地域圏(1880人の議員のうち118人、議長は1人もいない)・県(4108人の議員のうち62人、議長は1人もいない)・国会(577人の代議士のうち2人)のいずれのレベルでも甚だ不完全なものである。党員の数について言えば、国民戦線には42000人の活動家がいるが、その数は依然共和党と社会党よりも少ない。
2011年1月にマリーヌ・ルペンが国民戦線の党首に選ばれてから、「脱悪役(dédiabolisation)」という戦略が実行されるようになってから、エリゼ宮(※大統領官邸)への道のりは既に引かれたのだ、という声がしばしば聞かれるようになった。しかし、全くそうではない、とアレクサンドル・デゼは静観している。「この読みはメディアの大多数によって共同でつくられ引き継がれたことによって認められているのだから、政治的なフィクションの領域に属するような話である。」
国民戦線は、国政の責任者に至るまでには、おそろしいほどに枠組みを欠いている。他の党との「融和」を誇示するような最近のいくつかの手がかりのうち、いくつかはあまりに短い間であったし、あるいは、内部で問題視されていた。さらに、権力の扉は国民戦線に対して無情にも閉じられたままであるだろう。選挙制度上の理由で、今まさにそうであるように、国民戦線は政治的に孤立したままでいるだろう。「この孤立は、2回に分けての多数決投票が影響力をもつ政治システムのうちでは、権力への道を妨げる最大の障害物になる。」
国民戦線は他の党と同じような党になったのだろうか? マリーヌ・ル・ペンによってなされた刷新というのは、本当に党の顔を変えてしまったのだろうか? アレクサンドル・デゼによれば、これらの疑問への答えは改めて否定的なものである。マリーヌ・ル・ペンの就任の前と後での国民戦線の戦略、プログラムとその支持者を比較して語るところでは、「マリーヌの国民先生とルペンの国民戦線の間には、新しくなったところよりも十分多くの変わらないところが多い」のである。脱悪役? 国民戦線の歴史は、絶え間なく更新される脱悪役の試みの歴史である。したがって、右派へと国民戦線が差し出す手のうちに、あるいは、立派な風貌を打ちだすことによって新しい支持者を集めているとされている周辺的なさまざまな手段のうちに、新しいものは何もないのである。
プログラムに関していえば、国民戦線は常に自らの基礎に立脚している。反体制的批判、国家の特恵、国家の防衛、欧州連合の拒否、ユーロ圏からの離脱、失業と不安の原因と見なした上での移住の拒否である。反リベラルへの再定位は1992年に遡るが、マリーヌ・ル・ペンの社会的な演説は、連続性を担っている。
リーダーシップに関して言うと、マリーヌ・ル・ペンは、彼女の父親のイメージとの対照によってそのメディア上のイメージが形作られている。「このような対照性が推測されていることは、国民戦線に新しく投票するようになった人が、自らの投票を正当化するために持ち出されるような、最先端の議論になっている」とアレクサンドル・デゼは語る。しかしながら、言説における一連の相同性や、マリーヌ・ル・ペンが自分の父親について反対を示さなかった機会を列挙するこの研究者によれば、マリーヌ・ル・ペンと彼女の父親との差は、思われているよりも微々たるものである。例えば、2014年5月に父ルペンが「エボラ殿下」の介入が「人口爆発」と移民の問題を解決しうると主張した時、あるいは、彼が2015年1月に「私はシャルリーではない。私はCharlie Martel(※イスラム教徒のヨーロッパへの進出をイベリア半島までで食い止めた8世紀フランク王国の王)だ」といったとき。これらはいずれも、議員の免責特権の恩恵を被ることはなかった(「人種的憎悪の扇動」として彼女を追及することは、現在進行系で行われている)
最後に、その組織図に関して、「粛清」という幻影を生み出しながら、党によって過激すぎると判断された特定の諸個人を排除した。しかしながら、アレクサンドル・デゼが述べるところでは、「国民戦線は過激な極右のグループや活動家たちと、緊密な関係を維持している。」コゴラン市(Cogolin)の国民戦線の市長は、GI(Génération identitaire)の共同創設者であるジュリアン・ランゲラ(Julien Langella)を広報担当として2014年に起用した。ボーケール(Beaucaire)の国民戦線の市長は、GIのスポークスマンであるダミアン・リュー(Damien Rieu)を、市の広報部長補佐として任命した。二つの例を挙げれば十分だろう。
元増田が叩かれすぎて少し気の毒なので擁護しておくと、現状は「1ヶ月使い放題コース/4000円」の選択肢しか無いのは厳しいかもね。
1回づつ課金するコースも用意しておいたほうが不公平感は湧きにくいかと思う。
ただし1ヶ月延長保育使い放題で4000円は破格の安さだと感じるので、「ボッタクリ」呼ばわりは違和感があるな。
「ボッタクリ」みたいな極端な言葉をむやみに使うのは長谷川豊の「~を殺せ」と同じでオツムが足らない人という印象を読み手に与えるよ。
あと、杉並世田谷が育児環境最悪なのは昔からなので、わざわざそんな所に住んでる情弱乙、とも思う。区長が社会党なんだから諦めろ。
JR北海道がヤバいということで、分割民営化がおかしかったのではみたいな議論が出ているから、分割民営化の経緯の要点を書くぜ。
まず「民営化」の方。
そもそも国鉄は独立採算制であり、要するに税金で運営されていたわけではない(ここ勘違いしてる人がとても多い)。しかし、それでありながら経営の最終決定権は国にあったので、だいたい以下のような具合になった(数字はてきとう)。
自民党「これを作るように」
(数年後)
「政府が金は出さないが口は出す」というどう考えてもヤバい体制であり、これなら「金は出されないが口も出されない」民営の方がマシやんけ、というわけである。これは国鉄できた当初から予見されてたことであり、産業能率会議(昔そういうシンクタンクがあった)なんかは、50年代・60年代に2度にわたって「これ将来絶対破綻するから、分割民営化しないとヤバいって! せめて、公社のままだとしても口を出されないシステムに改革しなきゃ!」と政府に提言していたのだが、まあガン無視された。
要するに国鉄民営化は、50~70年代の政権与党の無策の尻拭いであり、「中曽根ちんが国労つぶしのためにやった」なんていうのはそれを糊塗するためのおためごかしに過ぎない(早川タダノリとかフジヤマガイチとかの有名なリベラル系アルファツイッタラーがこの見解にガン乗りしてるのは謎だが。君ら本当はネトサポなのでは?)。中曽根ちんは確かに国労嫌いマンだけど、第二次中曽根内閣で運輸大臣に分割民営化反対派の細田吉蔵を据えるなど、民営化に関して途中まで党内風見鶏に徹してた人でしかないし、国労は80年代には主流派(社会党右派)・非主流派(社会党左派)・反主流派(日共)の内部対立がひどくて(その結果が86年修善寺大会よ)往年の力なかったから、民営化なくても崩壊しそうだったやないか。分割民営化のせいで国労が崩壊したというのは、原爆投下のせいで日本は負けたと言ってるようなもんで、最後のひと押しを過大評価している。スト権ストの大敗北がミッドウェー、マル生粉砕が南部仏印進駐とみるべきじゃないですかね。マル生粉砕の成功が致命的な失敗やでほんと。
これは、当時の国鉄が極端な東京中心・地方軽視主義だったことへの対策である。いやほんと、国鉄時代の時刻表をJR後の時刻表と比べてみれば分かるんだけど、国鉄時代の地方のダイヤってスッカスカだぞ。あと東北地方とかが本当にスピード遅くてさあ……(国鉄はローカル線用に、うんこみたいな性能でスピード出ない上に排ガスがひどく、排熱管のオーバーヒートが原因で発火しやすいので安全性もクソという、褒めるところのない内製エンジン積んだ車両しか入れなかった。地方民の利便性より内部の論理が優先されていたんである。JRになったら海外メーカーの高性能エンジン積んだ新車を積極的に導入したのでめっちゃスピード上がった)。別に今のJRだってそこまで地方を大事にしているわけではないが、国鉄との相対評価でいえばめっちゃ大事にしてる(各社でバラつきはあるが)。組織がデカくなると、何をやるにも本社の顔色をうかがうようなことにどうしてもなるという話ね。
というわけで、各JRはある程度小さめに分割しようという話になっており、実際当初は本州を5分割(東北・上越・東海道・山陽の各新幹線沿線と関西&北陸)した8分割案が有力だったのだが、線路を共有する東北・上越分割の難しさなんかがあって、予定よりも会社の規模が大きすぎる本州3分割になったのだった。東海については、名古屋を大阪の下につける本州2分割案には名古屋政財界からの非常に強い反発があったため、当初の予定に近い形で割った。
で、こうしてできたJR各社の経営状態には差があるわけだが、別にここを何も考えていなかったわけではない。本州3社には国鉄の債務を渡して利子で苦しんでもらい、3島会社には債務どころか逆に「経営安定化基金」という補助金的なものを渡すことでバランスを取ろうとしたわけである。よく「JR北海道が赤字になると分からなかったのか」ということを言う人がいるが、「赤字になることが分かっていたのでその対策もしたのだが、それでもダメになってきた」が正解である。
諸々の詳細については、今では『戦後史の中の国鉄労使』『国鉄最後のダイヤ改正』などいろいろといい参考文献が出ているので、気になる人はそういうのを読んでね。
ちなみに今後のJR北だが、まあ厳しい。再国有化や上下分離を言う人もいるが、国も道も沿線自治体も沿線住民も、そこまでしてローカル線を残したいとは思ってないだろうしなあ。交通弱者の話にしたって、「バリアフリーとかにまでは手が回らないローカル鉄道に金を投じることが、その金をバスや福祉タクシーなどの補助に全額ベットするよりも交通弱者に優しいと、お前心の底から断言できるの?」という話になる。鉄道が交通弱者にも十分優しいのは都会の話であり、みなバスの強さを過小評価している。インフラは税金で維持されるべきだが、いつでも鉄道がベストかは本気で考えなきゃいけないところだぞ。中標津や音更、中札内など、鉄道が廃止されてからの方が街が栄えてる例というのも道内にあるしな。
幻に終わった「経世会200人構想」ってのはそういうものだった。
当時の衆院は中選挙区制で選挙区が130あったので、全部で1人ずつ当選させれば衆院だけで130人。
合計200人の大派閥になったところで自民党割って、当時仲良かった公明と合流して二大政党制を樹立、というのが金丸信と小沢一郎が考えていた青写真。
そこまで進む前に、経世会分裂と金丸巨額脱税(離党後の新党に備えるための資金を貯め込んでいたのだが脱税は脱税だ)によって挫折したが、小沢一郎らが離党して一応政権交代は起きた。
ここから2,3回は非自民政権下で予算編成して、自民系の地元利益誘導予算を止めて自民党を日干しにして勢力を削る、というのがベストストラテジーだった。当時の自民党は100人規模で離党予備軍がいたので、兵糧攻めした上で何らかの名分が立てば切り取れたはずだった。
が、迂闊にも、統一会派形成を社会党に諮らずに進めたら政権基盤がガタガタになって最後は自社さきがけ政権という奇策に敗北。
本題に戻ると、与党にしか人材がいないのは、日本の政治家は官僚機構を操縦する必要があるのに、霞ヶ関経験値は原則として与党議員しか積めないせい。
民主党時代の小沢一郎が「大連立」を構想したのはそうやって一度政権に入って霞ヶ関経験値を民主党議員に積ませないと政権交代したら詰むと分かっていたから。
急に政権が来たので
2000年代前半
2000年代後半
メンバーの経歴考えたらそこまでお花畑な政策言わなさそうなのになんで昔の社会党みたいなことになってるの?政権交代可能な2大政党って何だったの?2000年代前半まではマニフェストで政権公約の具体化だとか、あえて消費税増税で財政再建だとか現実的なこと言ってたから候補者の演説聞いたり、真面目に選挙の選択肢として野党候補を見てたけど、最近ははなから選択肢にならない。特に政権交代経験して、現実見てるはずの民進党議員が解せない。まさか与党に反対しとけば一定の票数取れることが分かっちゃったとかなの?有権者をバカにしてるの?それとも有権者がバカなの?
北海道江別市西野幌にある「道立増田投稿者養成センター」の歴史は古く、明治2年に開拓判官島義勇が建白した「匿名筆録掛創設ニ関スル建白」にその淵源が求められる。
その後、初代北海道庁長官岩村通俊の時代にその必要性が認められ、明治20年に「庁立増田所」が札幌の創成川沿いに設置された。
当時は札幌農学校の講師が教授役を務めた。吏務員としての素養を高めるとともに人の気をひく匿名の文章を如何に作るかについて、北海道開拓というプレッシャーの中、日々を研鑽を積んでいた。当時はインターネットは無く、増田専用の文書を回覧し、開拓使に勤める吏員が印鑑を押下することによってブックマークとしていた。有名な職員の押印はやはり注目を集めた。岩村も自らが創設した部局とあって積極的なブックマークを行ない、出身の薩摩ネタ(「何言うちょっかわかりもはん」かが決まり文句)が職員の笑いを誘った。
ブックマークを多く集めた文書は翌日以降の函館新聞(のちの函館毎日新聞)や小樽新聞に掲載された。現在と同じく、文書にはウケ狙いのもの、政治や社会に関するものがあり、それに対する道吏員のコメントは新聞読者の注目を集めた。時に道政の指針となるような匿名文章やブックマークがあり、北海道における増田は、開拓を進める上で次第に重要性を増していった。
明治44年の後の大正天皇の行幸に合わせて「庁立増田所」は発展的に解消。「庁立匿名記事錬成所」と改められ、その機能が増強された。すなわち、道庁以外の要人にも押印の権利が与えられたのである。現在の雨竜町に大農場を経営した蜂須賀茂韶(しげあき)や、清水町に広大な土地を所有した渋沢栄一ら、北海道に土地を所有したり工場を経営する政府要人のブックマークが認められるようになった。このように北海道開拓の傾向性と同じく、北海道における増田についても官の強力な資本投下により推し進められた側面が強い。
大正年間の北海道庁長官宮尾舜治もまた名物ブクマ家であった。ほとんどの記事にブックマークしたため、彼の部下が空気を読んで同じくブクマ。その結果糞増田が多くエントリされ、増田の質が多いに低下した。これは第一次大戦の好景気を経験した道民のデモクラティックな感性を大いに刺激し、増田改善運動が各地で起こった(釧路での原勝治の運動が著名)。これに対する宮尾の名言「糞増田もまた増田」は、今でも道民の記憶に遺されるものであった。
戦時中は統制政策のもと増田の文章は時の第一次東條内閣により圧力をかけられた。しかし増田家やブクマ家は当局に面従腹背、うまいことごまかした文章やブクマを行ない、ネタや時局批評を織り込んだ。こうした官製でありながら反体制的な場としても機能したことについては、言論の自由を考える上でも高い評価を得ている。
戦後の民主化により、昭和23年に「庁立匿名記事錬成所」は解体。野幌の現在地に民間資本による「北海道匿名記事養成所」が設置。講師以下執筆者、多くの職員に至るまでを公選とすることで、増田のさらなる民主化が図られた。残念ながら諸般の事情や資金面での苦慮により昭和29年に増田執筆者公選制度は頓挫。北海道は重要性を再認識し、再び道立への移管がなされた。戦後北海道では漁業や鉱業が盛んであり、そうした労働者に関する増田文が多くを占め、時代の潮流になった。時の社会党党首佐々木更三をして「北海道に労働者あり増田あり」の評言は、現在でも北海道増田左派を中心に語り草になっている。近年では現北海道長官の高橋はるみ萌えネタが多くを占め、歴史の長い北海道増田界隈にも、萌えの波が押し寄せていることは今更贅言する必要性もないだろう。また北海道十一区中川侑子代議士のスキャンダラスなネタや増田小説(えっちな)も定番になっている。「増田所」設置の明治20年から130年の歴史が経過しようとしている。北海道匿名世界をリードした増田。これからさらなる飛躍を祈ってやまない。
学校の日本史では、天皇家の外戚になったことで藤原氏が進出したと習う。藤原道長が顕著な例で、娘を次々に天皇家に嫁がせて世継ぎを生ませることに成功した。運にも左右されるが政務を牛耳る方法は如上の通り。
1000年後の日本では、自民党が政権を握った。自民党は選挙制度のもとでどのように政務の支配を実現したか。それは、自民党は選挙で投票する先がだいだい自民党しかないように社会を作り上げたのだ。かつての二大政党であった社会党はしぼんだ。社会党の後、二大政党を作りだしたかに見える民主党はダメだ。もともと自民出身者が作ったもので根本のイデオロギーは同じなのだ。
「どこに投票しても同じ」にしたことが自民党の成功の要因だ。選挙で戦う以外に、自民党はこうした闘争を経て政権の牛耳を執っているのだ。道長のやり口が姻戚制度のもとで根深いのと同じように、自民党のやり口も選挙制度のもとでは根深い。
細川政権でわかったのは、社会党に与党は出来ないということだった。
何かと政策に対して原理主義的に主張をし、まだ足場の固まってない政権基盤を崩しまくっていた。
村山政権では自民党がうまく御していたけど、社会党の態度軟化を見れば、足場の硬さからくる交渉力の差だったのは明白だった。
だから交渉力をつけてから政権につかなければ、スグにまた崩壊するのは目に見えていたのに、鳩山政権でもこりもせずに同じ現象が見て取れた。
今度は社民党だったが、政権基盤を盤石にしたい民主党首脳部は社民党に配慮した結果、沖縄で大ゴケし、その後の崩壊は目を覆うばかりだったと。
正しい政策判断をするには政府内の情報が欠かせないのに、その殆どが自民党内部にしか無かったということ。
自民党は部会を作り、そこに官僚が積極的に関与して長い時間を掛けて政策を練っている。
そうやって、内部調整をしてから表に出さないと、組織としてのまとまりに疑問符は付けられるし、国民からウソを言っているように見られると。
それが故のグダグダは、かなり見てきたよね?
この問題については、事前に解消する動きはあったと思う。
多分だが、小沢一郎あたりはその辺を熟知していたので自民・民主の大連立を目論んだのだろう。
じゃぁどうすればいいのか。
このまま自民党に任せる案が一つ。
しかし、いざという時に替えがきかなくなるリスクがつきまとう。
他は大連立をしてからの政界再編か、もしくは野党の部会にも官僚が積極的に参加できるように部会に法的根拠を与えるか…。
どれもイマイチ。
女性の社会進出を進めようとする世の中の動きに対して厳しい反対意見を言っているのは老害的思考の男性と現在既に成功をしている女性たちのような気がする
老害男性や女性より能力が劣っていることを認めたくない負け犬男性が妨害をしようとする意見は「ばかじゃね?」で叩かれるけど
意外に成功している女性からの反対意見というのは尊重されたりなるほどとオピニオン・リーダー的扱いをされていたりするからめんどくさい
何十年も前になるけど、社民党(その頃は社会党だったかな?)で「マドンナ旋風」なんてのが起きた
そのあとには「小沢ガールズ」とか
冷静になってみれば「マドンナ」とか「ガールズ」とか、実際にそれに当てはまる人たちの顔ぶれを見ると「へ?」みたいに思うんだけど
政治の世界という枯れたおっさんが9割の社会においては40~50代くらいの女性でも十分「ピチピチの女性」扱いになっちゃうのだ
マスゴミのせいとか宣伝戦略とか個人への攻撃とかそういうことを言いたいのではなくて要するに
それだけ仕事ができる女性という枠組みの中でのいわゆる「女性らしさ(笑)」のレベルが低かったってこと
40~50代くらいの見た目的にいまいちな人でも「若くて美人な私」の地位にいることができたわけ
じゃそういうマドンナだかガールズだかが実力だけで男どもを押しのけていったかというと全然そうでもなくて
結局どっかの場面で「女」を売ってうまいとこのし上がっていったっていう側面もあるわけよ
政治家だけに限定すると誤解を生むので、それだけじゃなく女性として管理職になった人とか起業家として有名になった人とかもまぜて考えてほしいのだけど
そういう人たちの中にあったのは「他の専業主婦で幸せを感じる女どもと私は違う存在よ」って自負と
同時に「男性ばかりに囲まれている女性なんだからそれなりの扱いを受けるべき」って甘えのダブルスタンダード
本人たちは認めないか開き直る(そうでもしなきゃ上には行けなかったなど)とかするだろうけど
結局はそういうこと
そこで政府の方針として女性管理職とかを一定数必ず入れるようにするなんてことが起こるとどうなるか
わかると思うけど社会進出する女性の「女性らしさ(笑)」のレベルが上がっちゃう
それまでは高い仕事能力と女性であるということの2つでのし上がってきた女性たちにとっては
自分よりも能力は低いけど見た目の女性らしさレベルが高い人が同じ土俵に上がってくるというのは大変な脅威になるでしょ
仕事の能力じゃ絶対社内・組織の中では負けないって思ってるブ女が、
これからは仕事能力と別のオシャレとかメイクとか美肌とか痩身とかそういう力もないと負けちゃうかもって思ったらそりゃ怖いさ
数十年前のアイドルが顔さえよければよかったのに
今のアイドルは顔のよさに芸術的センスやトークのおもしろさとかいうプラスアルファがないと生き残れなくなってる
同じような例はいくらでもある
今既に地位のある人は「私達だって苦労したんです!今の人は楽をしすぎてる!」とかよく言うけど
はっきり言って同じ20代前半くらいでも求められるスキルは今の方が全然高い
さっきの例は裏返せば、これかれ社会進出をしようと思う女性なら
仕事能力だけじゃなくて女性らしい見た目とかセンスとか繊細さとか色んな物を求められてそれで勝負しなきゃいけないってことでもある
老害思考を持っているのは男性よりも女性の方がよっぽどタチが悪い
安倍首相、自衛隊を「我が軍」 参院予算委で述べる:朝日新聞デジタル
見ていると、問題が「我が」にあるのか「軍」にあるのか(あるいは両方なのか)、人によって見解が違うようだ。
b:id:rna 海外に自衛隊は軍隊じゃないなんて思ってる国あるのかな。Forces の前に Self-Defense て付けただけで。長年のタテマエを守らない意図には警戒は必要だけど、いいかげん身のある議論しなきゃいかんのでは。
b:id:xKxAxKx いや、実質軍隊なんだけれど、それでもこの発言を「問題ない」とか言える人がいるのが怖いと思う。
b:id:FantasyZone3 で、何が問題なの?具体的な被害は?「建前を守ろう!」という話なら分かる。ヒステリックに憲法九条を守ろう!と言っているのはネジの外れた人間にしか見えない。
b:id:cider_kondo そういえば、戦車を特車と呼んでいた謎の慣習には何か建設的な意味があったのだろうか? Attackerを「支援戦闘機」と呼ぶことが、何か平和に繋がったんだろうか?
b:id:takashi1982 従軍経験のあった自民党議員や罹災経験のある社会党議員ら先人たちがギリギリの所で築き上げ、守ってきたものをアッサリ破壊する「保守」とはいかなるものだろう。自己満足の為の政治に成り下がっている。
b:id:Vorspiel 「我が」の部分はまあいいんだけどさ、最高指揮官な訳だし。でも建前で話すのが役目の人でしょあなたは…
b:id:ROYGB 自衛隊が軍でないというのは日本国内におけるお約束なのであまり良くはないかな。
b:id:elephant1974 「現行憲法を守る気は無いし現に守っていない」と言っている訳で、コレで失脚しないとかあり得ない。まぁ失脚しないんだろうけども。右派の人たちもいい加減ちょっとヤバいんじゃないかくらい思った方が良いよ。
「軍」についての議論を抜き出してみたが、要は「タテマエ」をどうするかである。では、本当のことを言ってしまった者はどうなるべきか。
そう考えると、天皇機関説事件も似たような事案だ。当時の天皇は「神」だとされたが、心の底から「神」だと認識している国民はどのくらいいただろうか。しかし、一たび公の場で「天皇は単なる人間だ」とでも発言しようものなら袋叩きにあった。まさにホンネとタテマエである。天皇は神でなければならないのと同じように、自衛隊は軍隊ではいけないのだ。