はてなキーワード: 男性差別とは
https://anond.hatelabo.jp/20210505030506
例えば、同じ障碍をもつ障碍者をみたときに、対象が男性なら「障碍者の犯罪の話を持ち出して防犯を促す」が、対象が女性なら「障碍者の福祉の話を持ち出して公助を要求する」という態度は、男性差別である
注意すべきなのは、上記は(男女以外は同条件であることから)あくまで「男性差別」であって、ここまでの説明だけでは、あえて「弱者男性差別」とラベルする意義はない
あえて「弱者男性」が強調される理由は、男性差別が、「男性の強者性(加害性)」を理由として、正当化されてきた、容認されてきた、または見えづらくなっていたことが背景にある
男性の強者性・加害性は、パターナリズムやホモソーシャル、あるいは生得的な力の強さなどを根拠に持つが、故に、それらから利益を享受していない(あるいはそれらに抑圧されている)男性には「男性の強者性」は男性差別を正当化する根拠たりえない
「弱者男性差別」における「弱者男性」とは、常に「ホモソーシャルにおける敗者男性(男らしさから降りた男性と言ってもよい)」の意味であり、障碍や性自認などの軸における「弱者」の意味ではないことに留意が必要である
つまり「弱者男性差別(弱者男性差別批判)」は、「男性の強者性」によって正当化される男性差別(権利獲得運動と言ってもよい)の対象に、「ホモソーシャルにおける敗者男性」を含まないでほしい、という主張が主題であると言える
よって、「弱者男性への差別とは何か?」に対する回答は、「男性の強者性を根拠として、ホモソーシャルの敗者男性が被る不利益全般である」となる。具体例としては男性差別全般が基本的に該当するが、「弱者男性」を対象に含まないように丁寧に留保された言説は含まれない
弱者男性について「何が差別かわからない」という無知者が多いので、とりあえず金銭面の例だけ記載しておく。
あと働くことが苦手な男は女性と同じようにケア能力高めて家庭で生きればいい(例:専業主夫)みたいなことを、
日本の社会福祉制度を知らずに話す頭お花畑フェミニストも多いので、知ることによって日本の社会制度の改善につながることを期待する。
差別が残るものとして代表的なのが税金の寡婦(夫)控除と遺族厚生年金がある。
後者については
https://financial-field.com/pension/2020/06/09/entry-79101
とか参考にして欲しいが、ざっくりいうと男は遺族厚生年金を女性より受け取りづらく
受け取っても額が少ない
前者については、やっと2020年にひとり親控除として改善されたけど、
女性に対しては「夫と死別した後婚姻をしていない人」については寡婦控除が以前のまま残っていて、
男に対しては妻と死別しただけで、税金上控除があるという話にはならない。
で、もっと重要なのが寡婦控除がつくと、住民税が非課税となる所得の水準が上がる。
自治体にもよるけど、ざっくりいうと額面収入で100万ぐらいまでが一般的な住民税非課税となる収入の水準だが、
寡婦控除がつくだけで凡そ額面収入200万まで非課税となる水準が上がる。
日本の福祉は住民税非課税となると非常に恩恵が増えるように作られているが、これだけで男は適用されにくく女は適用されやすくなる。
その上遺族厚生年金は非課税所得だから、これだけならいくら収入があっても住民税非課税になる。
なので高齢者の女性一人暮らしで割と余裕があるのはこのタイプの可能性が高い。
もちろん住民税非課税なので、国保や他の公的サービスも住民税非課税者として金額が算定される。
一方男の場合は死別では寡夫控除なんてつかないから、まずこれらの恩恵にあたることはない。
同じ金を100万もらっていたとしても、税金を負担する者と非課税世帯として福祉の恩恵に預かる者がいるのが日本である
(「住民税非課税」であることを金銭給付の基準にすることがいかにおかしいかもこれでわかるだろう
社会福祉協議会のコロナの特例貸付は住民税非課税だと返済免除になるが、男は収入100万あったら免除にならないが
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これを、男性の方が不安や心配事が少なく生きられるというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ、男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分が男なら自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。…
…これは「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ここ数週間のネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、それは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって満足しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿やすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主要な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性被害者の方が多いですが)」「腕力が強くて静止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、真っ向から対立しますから。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
これに近い話題は、今までも男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは悲惨な女→男セクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、その根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆になっている、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」は信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係、恋愛、経済、ジェンダーロール、弱者男性論が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されていることが困窮してはじめて露見するなど、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われるとか、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
・そこら辺にある家族イラストとかで、ママと子供が楽しそうだけどパパは荷物持ったりして汗かいてる、みたいなの
→パパ一人だけ大変な思いをして当然、みたいな前提を感じていい気がしない
→そもそも困った行動を問題にするのじゃなく人物を揶揄して話題にするのがどうかと思うが、
「おじさん」という単語に揶揄の意味を乗せるのは「おばさん」を揶揄するのと同じくらい良くないと思う
→ダメでしょこれは
・「男のくせに」「男ならこうしろ」みたいなの
→これもダメでしょ
→論外
・女性なら貧乏旅行でもある程度ちゃんとした宿を取らなきゃいけないけど、男性は最悪野宿でもOKみたいなの
→これは男女どっちの差別かちょっと悩むけど、男だって野宿したら強盗とか遭いやすくて危ないよねきっと?
・女に手を上げる男は最低!みたいなの
→男にだって上げちゃいかんし、女が男に手を上げるのだってダメ
→これは自分で経験してないしよく分からない… でも男だから育てられないはず、女だから育てられるはず、という先入観は良くないよね
→よくないけど、こういうの出席する男性が増えてきたら自然とこれは無くなりそう
あと、外国の人が日本で色んな体験をしてみた、みたいなエッセイ漫画で、婚活の場で男性だけ年収を書かされる(女性は趣味とかを書く?)のは凄い差別的だって作者の人が言ってた。婚活はしたことないから知らないけど、それはそうだよな、と思った。ちなみにその作者も女性ね。
まあこうやって考えてはみたけど、やっぱり当事者じゃないと見えないことが多そうだなと思った。
これはわたしの話ですけれども「モテないオトコの欲求不満の解消」に必要だったのは「オンナの再分配(!)」なんぞではなく長年にわたるセルフネグレクトを自覚し解消することでした。
冷蔵庫を重曹で磨くと綺麗になってうれしいとか、自炊すると美味しいとか、そこに救いがありました。
「自分を自分で救うことができる」という事実を大概の男は認めたがらないか、認めると負けだと思ってしまいます。
恋愛なんてコミュニケーションの最上級なわけで「わたしたち」にまだそれは必要ないのですよ。「相手」を必要とする難しいことの前に自分でやれることはありますよ、と思うわけです。
弱者男性問題の解決に必要なのは雑誌クロワッサンだとわたしは確信しています。「家事が軽くなる道具と工夫」とか「冬の食卓ラクしておいしい97品」とかがモテない男性を救います。
https://twitter.com/travis02130213/status/1387926737435037696
※ツイ主は男性なので「またクソフェミ女の男性差別ガー!」は通用しないことに注意。
女は物じゃないんだから男側の意見だけではどうにもできない以上、結局、男を救うのは男しかいない。
女に関わらず、自分を磨き、一人で静かに一生を終えればいいと思う。
男の汚れは男の内だけで解消する訓練をしよう。
そこは、せめて「男性専用もお願いします」であって、「女性専用は男性差別!フェミガー!リベラルガー!パヨクガー!」はどう考えてもおかしい
ましてや、女性専用スペースに乗り込んで「法律上は男も利用できる!だから俺のやってることは間違ってない!」という行動に移るのは逆効果であるとはやく気づいてほしい
世の中のほとんどの女は、男がフェミニズム的な基準を満たすことを男選びの条件にしないし、本音のところでそんなに興味がない。これが現実だ。
以前、マクドナルドで一時サラダとかヘルシーなメニューが出たが、あまりに売れないので、元のジャンクなラインナップに戻したら、売り上げがV字回復した、という事があった。実態として、欲しいものは綺麗事じゃない、ということだ。実際、ゴリゴリの体育会系の男を捕まえて、DVに悩まされる女が後を立たない訳だが、そういうパターンを取る女はなかなか居なくならない。
マクロ的に女が変わらないのだから、男視点で見ると、フェミニズムに従う利点は特に無い。だから、対女性の戦略として、「旧来の価値観」のオプションを捨てるのは単なるバカだ。専業主婦希望とか、マッチョ好き、旧来の男らしい男を求める女を落とすためのオプションはキープした方が良い。
男性視点では、フェミニズムに従う事で、戦略やパートナーの選択肢が大幅に失われる。だから、処世術として口先では男女平等を尊重するふりをしながら、心の中では無視するのがベストなのだ。
基本的に男性に求められるリソースを多く持つ、男らしい個体ほどモテる(社会的地位、力強さ、会話力、経済力、学歴など)。これがマクロ的に見た現実だ。会話力に関する比重は上がっているが、価値観としては昭和以前と変わらない。そのマクロ的な傍証が上方婚に関するデータだ。女は自分より優れた男を求め、劣った男を求めない、という事だ。これは、すももの調査データが出る前から変わらない(「結婚の社会学」にも似たデータがある)。
それどころか、そもそもフェミニストが「男らしさに縛られない男選び」を徹底できていない。フェミニズムを主張しながら、旦那は優秀なオス、という欺瞞に満ちたフェミニストはゴロゴロいる(興味深い事に、そういう人は口汚いオタク批判も行ったりする)。少なくないフェミニストがパートナーに関するデータを語りたがらない事もそう。つまりは、フェミニストですら、自分の異性選びにフェミニズムを使うつもりなど毛頭ない、という現実を強く示唆している。
ジェンダーフリーの世の中を実現する、最強の方法は、女性がその価値観に共感する人間だけをパートナーにする事だ。フェミニズムはこのことをもっと本気で女性に広め続ければ、間違いなく世の中変わるよ。男はフェミニズムを理解しないとモテなくなるし、フェミニストの男からしか子供は生まれなくなるから、効果は抜群だ。ま、フェミニストは何故か女性に対しては何も言えないヘタレだから、こんな当たり前のメッセージを主張することすら、ほぼ絶望的だけどな🤣🤣🤣
せめてフェミニズムでご飯食ってる奴ぐらいは、フェミニズムに同意しない奴とは絶対にセックスしないし付き合わないと、みんなで宣言したらどうかな。それがお仕事でしょ?ま、無理だと思うけど🤣🤣🤣
フェミニズムは、女性起点の運動であるが、その正当性は一般に、宗教的な価値観(キリスト教における平等の概念)や憲法(14条など)をベースとしている。性別によって人を差別してはならない、という考え方だ。
そして、フェミニズムは20世紀末に思想として広がり、部分的ではあるが定着してきた。性別によって差別される、という事が不合理である、という考え方は相応に合理的であるため、広まったこと自体は理解できる。
ところで、人に倫理や道徳を守れと言う人間は、往々にして倫理や道徳を守ることを嫌う。道徳を守れと主張しつつ、スキャンダルから醜く逃げ回る保守政治家が少なくないように、性別による差別をなくせと叫ぶフェミニストの多くは、言い訳をしつつもトランスジェンダーに対して頑なに差別を行う。往々にして非フェミニストよりも言い訳をつけて苛烈な差別を行う。性別の平等を主張する本人は、性別による差別(本人の中では区別)をやめたくないのである。
さて、弱者男性論に戻ろうか。
不幸にもフェミニズムに共感してしまった男は、ふと、何も果実がない事に気付く訳だ。おめでとう。コロナ自粛に従って外出を我慢している人と同じで、報われないけどな🤣🤣🤣ま、コロナは今後変異種が出るからガチで身を潜めた方が良いけど。
たまたま、共感した男が強者側の男性であれば、強者として女にモテる。しかし、そうでなければ、モテない事になる。残念でした。ちょっと格下の(自分より劣位の)女にどんどんアタックして、たくさん経験積んだ方が、結果として女性と上手く話せるようになって、幸せに暮らせるんだけどね。フェミニズムのような縛りプレイだと、そもそも成功にたどり着けるのか疑問🥺他のところで頑張れば、弱者男性入りを回避できるかもだけど。。
「男らしさ」と相関性の高い競争で負けた男、それが弱者男性だ。そして、女は、もちろんフェミニストも、負け犬には非常に厳しい。フェミニズムに従う負け犬より、フェミニズムに従わない勝ち組が大好きなのだ。
フェミニズムへの幻想を捨て、リアルの果実を得ていくべきであろう。
ikanosuke 女の多くは別にガチガチのフェミニストでは無いし、現適齢期世代において価値観の合わない相手と結婚するのは少数派だと思うが…?ノイジーマイノリティだけを見て全体を想像してない?
おっしゃる通り。
女の多くは別にガチガチのどころかフェミニストと相容れない価値観を持っている。だから、女の価値観と合わせようとすると、フェミニズムは忘れた方がうまくいく局面が多い、という事。「レディーファースト」とか、過去のベタな価値観を引用した方がうまくいくことが多い。フェミニストを自称する女子と付き合っている時であっても。
daisya 社会的地位、力強さ、会話力、経済力、学歴…自分は男じゃないけどこれ全部欲しいわ。そういやはてブで見掛ける女性って既婚者ばっかかも。そんなもの目指せる世の中じゃないと割り切ったのか。
はてブに若い世代はあんまり来ない傾向はあると思う。本質的にSNS以前の思想に基づくサービスだから仕方がない。
yodogawa-kahan 交際のエサに結婚や扶養を入れなければ、フェミニズムも両方の性的欲望の解消も両立可能なのを、わざと外しているのか。思いつかないのか。
そもそも男からすると、フェミニズムと何かを両立する必要がないんだよ。フェミニズムに共感するメリットすら皆無だから。本文読んでからコメントしようぜ。
warulaw 結婚や恋愛などのパートナー選びは、効用(一緒にいて楽しい=会話力や容姿)とリスク軽減(トラブっても助けてくれる=経済力や精神的安定)の足し算ってだけの話。フェミニズムは関係ない。
「効用(一緒にいて楽しい=会話力や容姿)とリスク軽減(トラブっても助けてくれる=経済力や精神的安定)」の中に、ジェンダーに基づく要求がたっぷり含まれているもんな。ジェンダー込みで相手を選ぶのは当たり前だから、フェミニズムでガタガタいうのはおかしい、というのはよくわかる。
HanPanna 男尊女卑を維持したいという結論に、弱者男性を利用するのはやめろ。/弱者男性論とはかくの如く「女」か「フェミ」が主題。弱者男性の苦しみはどうでもよく、フェミに対抗する為に逆に"男らしくあれ"と迫るのだ。
「男尊女卑を維持したい」じゃなくて、「男尊女卑が(女によっても)維持されているから、フェミニズムに共感するのは無駄」と言っているだけだ。フェミニズムは無能だし、カチカチに硬直した構成員しかいないから、もう期待するな、という風に解釈してもらっても結構。男も女も、フェミニズムで女は変わっていない、という現実をちゃんと見ろ。男尊女卑の維持には、男だけでなく女も加担している。女が変わらないと、男も変わらない。女にアプローチしたら「男らしさ」を求められる現実が常にあるんだ。選ばれる側の男がそれに合わせて、男尊女卑を維持しているのは、自然なことだ。
それどころか、そもそも、フェミニスト女ですら本当にフェミニズムが大事と思っているかどうか、疑問に思うことが多い。「ダイエットしたい!」と言いながら高カロリーのものを食いまくる奴と同じように見える。(フェミニストですら、競争の勝者ばかりをパートナーに選ぶあたりで爆笑してしまう)。やっぱり本音では「優れたオス」が好きなんでしょ?
弱者男性という切り口は、そこの欺瞞を暴いているんだよ。「劣った男は嫌いなんだろ?」って。「優れたオス」の定義は人それぞれだから言い逃れの余地が大きいが、「劣ったオス」は、モテていないという結果ベースで判断できるから、「優れたオス」ほど定義にブレが生じにくい。
そして、多くのフェミは、この問題にまともに答えることができなかった。切断処理(フェミニズムは関係ない)で逃げた。それどころか、激しく罵倒するコメントが相次ぎ、増田が憎しみに満ちたエントリで溢れた。これは予想を超えていたが、それだけ「劣ったオス」が嫌いな女、それもフェミニスト女が多いということだったのだ。
フェミニスト女ですら、「優れたオス」が大好きで「劣ったオス」が大嫌い、ということであれば、そりゃ世の中変わらない。男としては激しい競争を生き抜かなきゃならなくなる。女が言っているフェミニズムなんて、マクドナルドのヘルシーメニューよろしく、話半分に聞いた方が良い、となる。弱者男性は憎まれるだけだから、あらゆる手段を使って強くなれ、としかいうことができない。
そして、今回の流れで、フェミニストが人のことを指摘することしかできない奴ら、ということがよくわかった。ま、当のフェミニスト女が、男に求めるのと同じ規律で自分を律していないのである。SDGsに従うと宣言しておきながら、言い逃れの効かない男性差別を開始したABCクッキングには爆笑したが、つまり自分を律する覚悟がない奴らというのは、そういうものだ。
君も、フェミニズムに問題だらけなのはきっと気付いているんだろうけど、それでも「フェミニズムには関係ない」と切断処理をするための言い訳を作り出して、見て見ぬふりをするんでしょ?知ってる。だってフェミニズムは無責任な体系だから。
それ以上の意味はない
スズムシが、カブトムシのために木にミツ塗るなら、土にキュウリとカツオブシ置いてくれなきゃ差別だろ!って騒ぐのは頭おかしい
女性優遇のサービス、女性だけ安い金額、ってのは男性差別じゃなくて、そうやった方が女性が金払うからや
女は女同士が群れて話題にして、本来は興味もないし来るはずもなかった友達を連れてきてくれるから、話題になりやすいサービス、誘いを断る要素を見つけにくいサービスを展開するんやわ
女の金が欲しいだけや
この店はポリコレ完璧だし平等だからぜひここに行きたい、とか思う人はいないのよ
男相手に儲けたいなら、限定シリアルいり、とか、特別仕様の金加工、とかで金払わすんや
男が気に入りそうな限定品ばっか商品化して、女用はダサピンクばっかなのは女性差別だ!って騒いでも知らんのよ
男女は性質も好みも違うんよ
それを利用して、金払わせようとしてるのは差別でもなんでもない
差別じゃなくて、男女はほんまに違うんや
中小企業勤めなためか男性差別の経験は少ないが(開発者がほぼ全員実装してるのに全くやらない女性やほとんど仕事しない女性は居たが評価も低かった)、男女共同参画に使われている税金は国が傾くというか本来日本が成長する分の多くを無駄遣いしてるようなものとは感じてる。
差別はマジョリティからマイノリティに行われる社会的なものであり、女性差別が解消されるまで男性差別は存在し得ないらしいから、そんな自省的ムーブは絶対に発生しないぞ。
差別が無くなることはあり得ないので女性差別がゼロになることはないわけで、つまり男性差別の存在が認められる未来は絶対に来ないぞ。
この件。
https://anond.hatelabo.jp/20210423151119
ブコメを見ると、元増田が批判されている意見が多めのように見える。
女性差別を無くすからといって、男性差別をしていいわけではない。ジェンダーギャップが無い世界を目指そうという話。
男性差別をしても「でも今まで男性優遇だったよね?」という言葉が免罪符になるわけではない。それを許容したら性差別がこの世から消えることはない。
当たり前すぎてトートロジー的な理屈になるが、性差別のない世界を作るには差別される性があってはいけないわけだ。
「目には目を」というはるか古代の感情で動いても世界は良くならないのである。
一つ自分の体験を話そう。自分は、控えめに言ってもIT系有名企業に勤めている。ここでも「女性比率を上げよう」と声高に叫ぶ女性がいる。
「ジェンダーギャップを無くそう!」「性別で差別されない会社にしよう!」
「性別と言っても様々なジェンダーがあるから、そういう人も受け入れる会社にしよう!」と。
うんうん、そうだね。そういう会社にしたいと強く願う。ここまでは良い。
しかしその直後、その女性が「だから女性支援団体に寄付しましょう!」と言って、全員ズッコケた。目的と手段がめちゃくちゃである。
当然これはロジックがめちゃくちゃということで寄付案は却下された。
これはあくまで自分が体験した一例であるが、ジェンダーギャップを無くそうとする思想が女性優遇につながってしまう思考をしてしまうケースは多々ある。
そのためには「女性差別をやめよう」と啓蒙するだけではなく、「男性を差別を許容してはならない」といった考えも一緒に啓蒙していかなければならない。
雑な煽り文。真剣に憂いている業界人ならこんなことを喧嘩口調で言わないよ。細かく指摘しておくけどどうせ読まねえだろ。元増田以外の人向けに書いておく。
リベラルの言う「ジェンダー平等」は「ジェンダーレス」だ(みんなオトコオンナみたいになれってことか!)というのは典型的ネトウヨの言い草。事実としてジェンダー「レス」を主張するような人は、いたとしても一般的なリベラルではない。「平等」と「レス」は全然違う。こんな言葉がさらっと出てくるあたり、元増田の素性がうかがわれる。
公に語られることは少ないがこの一件はハイレベルなエンジニアの中で「性別ではなく能力で優遇すべき」と思わせる一件となった。
「誰も知らない事情をなぜか僕チンは知ってる」系の物言い。これも既視感ある。元増田は業界事情に通じた「ハイレベルなエンジニア」(自称)なのかな(皮肉)。
日本のみならず世界的にIT業界はリベラルな思想の人々が多い業界とされている。それは体感的にもその通りなので、ここではこれを真として扱う。
周りの人がみんな左寄りに見えるとしたらその人はどういう人なのか。元増田は自分自身がリベラルよりだとは一言も言ってないし言わない。たぶんそうではないからだ。
そもそも元増田がアファーマティブ・アクションについて全く理解していない(あるいはそういうフリをしている)のは置いておくとしても、
とまで言うなら、〇〇が支配する「〇〇優遇の社会」で〇〇が「平等」な選別をしたら結果として「差別温存」にしかならないことくらい分かるわけで(たとえば〇〇に、白人、と入れても、日本人、と入れてもいい)この物言いは明らかに僅か数行の中で矛盾をきたしている。そんな差別的な状況を覆して「平等な社会」を追求する強制的介入の一手段が「アファーマティブ・アクション」だ。
男性は優遇されて「きた」から「不遇な目に遭う」のではなく、まさに今現在優遇されて「いる」から女性も同様に目に見える優遇をしないと「フェア」ではない、というのがアファーマティブ・アクションのポイントである。今ある優遇のことをさらっと過去の話にするところなど、実に卑怯だ。
少なくとも「平等な社会」をうたい文句に、現に行われている「アファーマティブ・アクション」をやり玉に挙げるなら、「じゃあ他にどうやって今ある差別を解消するの?」という問いへの答えがないと全く説得力がない。もし「それを考えるのは僕の仕事じゃない」と言うなら、少なくとも、それを考えて実際に行動してる誰かさんの仕事にケチをつけるのは控えるべき。元増田の言ってるのは、「僕ちんの狭い観測範囲におけるお気持ち表明」に過ぎないコドモの理屈である。いい大人がこういう見解を垂れ流すのは、情けないを通り越してもはや「邪悪」だ。
政治好きには元来男性が多く、従って政治家界隈の代議士にも男性が多い。そこに近年のジェンダーレスの流れが来ており、「男性が多いのは女性差別である」という号令の元、女性優遇文化が跋扈している。
女性というだけで当選されるし、評価も甘い。これは特定の自治体だけでなく普遍的に発生しており、「同じ能力なら男性より女性」という事態が発生している。
当然実害も発生している。有名所では国政政党のうちの一政党が、とある有名第三セクター担当者に女性代議士をアサインした。この女性代議士は政策立案能力は高くないことは国会図書館の憲政資料などから明らかだった。にもかかわらず「我々の政党は女性代議士も活躍しています」というアピールのため有名第三セクターの担当者になり、その第三セクターは目も当てられない品質になった。公に語られることは少ないがこの一件はハイレベルな代議士の中で「性別ではなく能力で優遇すべき」と思わせる一件となった。
「男性限定弁論大会」「男性のためのキャリア相談会」のようなものはまず無いし、そんなものを開催するとなったらバッシングされるだろう。しかしそれらの女性版は実在する。明確な性別による区別が政界には存在している。そのように人を性別で区分けをしていながら、もう一枚の舌で「私たちはジェンダーによる差別が無い世界を目指しています」と言うわけである。何が何やらわからない。
日本のみならず世界的に自由主義陣営はリベラルな思想の人々が多い政界とされている。それは体感的にもその通りなので、ここではこれを真として扱う。だからこの政界は男性含めほとんどの人々は性差別を無くそうと本気で考えている。しかし女性は女性であることの権利を活かし「女性限定○○を開催しよう」と言うし、能力を棚上げして男女比を50:50に持っていくために「女性を採用しよう」と言うし、男性代議士も協力して稼いだお金を「女性支援団体に寄付しよう」と言うわけである。これに反対すると「男性はこれだから」「女性差別主義者」「保守思想」といったレッテルを貼られてしまう。だから誰も女性優遇措置には反対できない状況が続いている。
我々男性代議士が望むのは、性別によって優遇不遇されることが無い世界である。性別に関わらず能力が優れた人が高い給料をもらい、昇進する世界を求めている。しかし実態はその真逆を行っており、ジェンダーギャップの少ない世界にしようと声高に叫ぶ人たちが女性優遇をしているのである。
皮肉ってわかってるか?
コンピュータ好きには元来男性が多く、従ってIT界隈の技術職にも男性が多い。そこに近年のジェンダーレスの流れが来ており、「男性が多いのは女性差別である」という号令の元、女性優遇文化が跋扈している。
女性というだけで採用されるし、評価も甘い。これは特定の企業だけでなく普遍的に発生しており、「同じ能力なら男性より女性」という事態が発生している。
当然実害も発生している。有名所ではGAFAMのうちの一社が、とある有名OSSの担当者に女性エンジニアをアサインした。この女性エンジニアはエンジニアリング能力は高くないことはGitHubの履歴などから明らかだった。にもかかわらず「弊社は女性エンジニアも活躍しています」というアピールのため有名OSSの担当者になり、そのOSSは目も当てられない品質になった。公に語られることは少ないがこの一件はハイレベルなエンジニアの中で「性別ではなく能力で優遇すべき」と思わせる一件となった。
「男性限定プログラミングコンテスト」「男性のためのキャリア相談会」のようなものはまず無いし、そんなものを開催するとなったらバッシングされるだろう。しかしそれらの女性版は実在する。明確な性別による区別がIT業界には存在している。そのように人を性別で区分けをしていながら、もう一枚の舌で「私たちはジェンダーによる差別が無い世界を目指しています」と言うわけである。何が何やらわからない。
日本のみならず世界的にIT業界はリベラルな思想の人々が多い業界とされている。それは体感的にもその通りなので、ここではこれを真として扱う。だからこの業界は男性含めほとんどの人々は性差別を無くそうと本気で考えている。しかし女性は女性であることの権利を活かし「女性限定○○を開催しよう」と言うし、能力を棚上げして男女比を50:50に持っていくために「女性を採用しよう」と言うし、男性エンジニアも協力して稼いだお金を「女性支援団体に寄付しよう」と言うわけである。これに反対すると「男性はこれだから」「女性差別主義者」「保守思想」といったレッテルを貼られてしまう。だから誰も女性優遇措置には反対できない状況が続いている。
我々男性エンジニアが望むのは、性別によって優遇不遇されることが無い世界である。性別に関わらず能力が優れた人が高い給料をもらい、昇進する世界を求めている。しかし実態はその真逆を行っており、ジェンダーギャップの少ない世界にしようと声高に叫ぶ人たちが女性優遇をしているのである。
【追記】
話を理解してない人が多くて困る。男性が優遇されてる会社や時代ではあることは認めるよ。
だからといって男性差別したらダメでしょう。我々は平等な社会を追求すべきであって、
「男性は優遇されてたから不遇な目に遭うべき」のような理屈は通らない。
それは都合が悪いから無視か?弱者男性の声は聞くに値しないのか?
お前らの正義感は歪んでる。
【追記2】
僕は高校生の時に満員電車で男に痴漢されてからゲイを嫌悪していて常に警戒しているのだけど、これはどうやら正しくない態度らしい。
自分の傷を見せてもいいかなと思えるくらい親しくなって信頼した相手に、過去の痴漢被害とゲイ嫌悪の感情を告白すると、
「そういうの表に出すのは良くないよ。ゲイへの差別を広めるから。悪いのはあなたに性犯罪をした男一人だけで、ゲイ全員じゃないでしょう?」
とことごとく説教されてきた。
「電車で男から痴漢された女性が男性一般を警戒するのは別に差別でもなく普通のこととされてるよね? 女性専用車両なんてものまであるんだから」
「女性専用車両に乗ってる女性は『男は痴漢の可能性があるから警戒してます』と公に表明しているも同じだよね? 口では言ってなくても、『公共』交通機関で男のいない場所を選ぶという行動で」
「僕のようなトラウマを持った人間のためにノンケ専用車両(ゲイ排除車両)を是非作って欲しいと思ってるけど、この主張は差別になるのか?」
(乗客の脳をスキャンして性指向を判定できる技術でも発明されなければ実現は不可能としても)
こうやってまくし立てると、返ってくる反論はだいたいが、
「だって女性はほとんどみんな痴漢被害を受けてて大きな社会問題だから」
というものだった。
「じゃあ、ゲイから痴漢被害を受けた男は数が少ないから社会から無視されていい小さな問題なのか? 痴漢被害者男性というごく少数派よりも、ゲイへの配慮の方が優先されるのか? 男性個人が犯した性犯罪は男性一般の問題として被害者女性が糾弾して良いのに、どうしてゲイ個人が犯した性犯罪をゲイ一般の問題として被害者の僕が糾弾したらいけないんだ!?」
と再反論まですると、相手は傷ついた顔をして黙ってしまうので、
「ゴメン、なんか言い過ぎたよ。昔辛いことがあったから聞いて欲しかっただけなんだ……」
と誤魔化して話を終わらせてきた。本心では、ただ聞いて欲しかったのではなく、「あなたのゲイ嫌悪は正しい」と同意して欲しかったのだが。
毎回そうなるので、もう人には話さないようにしている。
この文章を書いた理由も、フラッシュバック的に被害にあった時の恐怖と被害を告白しても他人に認めてもらえなかった(逆に加害者のゲイを擁護された)悔しさが蘇って、吐き出さずにいられなかったからだ。
女性専用車両を引き合いに出したけど、僕の言いたいことは「女性専用車両は『男性差別』だから不当だ」というものではない。
男性から性的被害を受けた女性が男性一般に対して警戒や嫌悪や怒りを表明して、さらに被害を受けないように社会に求めることが正当であるとされているのと同程度に、
僕のようなゲイから性的被害を受けた男性がゲイ一般に対して警戒や嫌悪や怒りを表明して、さらに被害を受けないように社会に求めることが正当であると認めて欲しいということが言いたい。