はてなキーワード: 男性差別とは
「男女平等な世界が良いと思っている人は、みんなフェミニストです」
と誰かが言っていたけど、実際にアクティブに活動している人は、どちらかというと男性が嫌いにしか見えない活動家みたいな人が多い。
女性だから、という立場で「言ったことの正当性」を問われれば詭弁で逃げて、
男性が何か指摘すれば、差別主義者扱いをするから、同性である女性が指摘してあげなきゃならないけど
彼女たちは、女性の声にも耳を傾けない。ゆえに自浄作用がない。
客観的な立場から見て、逆に男性差別主義者にすら見える人を止められない。
そんな集団だから、一般で平和に生きたい普通の女性である自分はフェミニストにはなりたくない。
寡婦控除>性別は関係ないよ。今年からひとり親控除に変わったよ。
厚生年金第三号被保険者>性別は関係ないよ。専業主夫も対象だよ。
女性労働基準規則>撤廃して女性に第1条〜第4条の就労を開放しろって言ってるのか、男性にも第1条〜第4条の就労を制限させろと言ってるのかわからない。
逮捕率・数>数は犯罪数に応じてるんだから差別じゃないだろ。検挙猶予率は女性も上がってるよ。男性の逮捕を手控えるべきなのか?
死亡率・数>これ弱者男性じゃなくて男性って生物の問題だろ。オスはちょっと多く生まれてちょっと早く死ぬんだよ。男性のヘルスケア水準を底上げするべきなのか?
命の保護のための予算額、案件数>母子保健に関わること以外で具体的な事例を挙げてくれよ。
マッチングアプリや結婚相談所での学歴/年収要件>企業側の判断による自由かつ必要な設定項目だろ。逆にそれ書かない結婚相談所って想像できるか?
その他、具体的な形をもたないふわっとした男性性の要求>具体的な形をもたないふわっとした女性性の要求だってたくさんあるだろが。
いろいろな意味で自己中心的すぎる、視野が狭すぎる。>「といった種々の面で、社会制度と慣習において「男性全般」が差別されているので、言ってしまえば弱者男性というより男性が弱者」
タイトルの通りだ。フェミニストにはよくアンチフェミから「男女平等を謳うなら男性差別にも声を上げるべきだ!」という批判が投げかけられる。しかしこれは的外れと言わざるを得ない。
アンチフェミは「フェミニストが男女平等主義なら男性の権利についても考えるべきだ」と考えているようだが、これは間違いだ。男女平等を掲げることと女性の権利拡大を掲げることは矛盾しない。なぜならそもそも現代日本が男尊女卑国家であるからだ。男性が±0だとすると(実際は数々の優遇があるのでプラスだとは思うが)、女性は女性であるだけで社会的に抑圧されて、数々の偏見や加害に苦しまなければならない。つまり権利的にはマイナスだ。そこにプラスして男性と同じ±0に持っていこうとしているのがフェミニストだ。これを「女性をプラスするなら男性も同じ分だけプラスしろ!」というのはおかしい話だ。そもそも男性はマイナスではないしプラスする必要がないのだ。マイナスである女性を男性と同じになるようにプラスすること、女性の権利だけを考えることは男女平等には違いないし、決して女性優遇ではない。
アンチフェミはよく男性差別もあると言っているが、それは正確には女性差別によって生じた"差別コスト"だ。女性専用車両やレディースデイがよく例としてあげられるが、そもそもこれらは男性による女性への差別や偏見、加害によって生まれたものだ。女性専用車両は、性犯罪被害者のほとんどが女性であり加害者のほとんどが男性であるという現実があるから導入されているのだ。レディースデイも、正社員女性の給与が男性の75%程度、平均年収だと女性は男性の半分程度という現実があるからこそ存在している。男性が女性を虐げてきたからこそ、その穴埋めをするための差別コストは存在している。
だからアンチフェミが男性差別と呼ぶものをなくしたいのなら、まずは女性差別を解消しなければならない。女性差別がなくなることによって男性の生きづらさも解消されるだろう。フェミニズムは結果として女性だけでなく男性も救う主義なのだ。
そもそも、男性は強者、女性は弱者という現実があるからこそ元の作者である女性活動家も抑圧され、男性への抵抗として過激な作品を発表せざるをえないところまで追い込まれた。
senbuuさんもこのように言っている。
差別はマイノリティが標的の場合しか成り立たないよ。男女だと女性がマイノリティ。だから「男性お断り」でも男性差別にはならない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4666961341665668706/comment/senbuu
男性研究者が女性を標的にした場合は差別になるが、女性活動家や女性研究者が男性を標的にした場合は差別になりえない。
これは、仮に女性が男性差別を行おうと意図して発言した場合ですらも、自動的に差別の認定要件から外れるということだ。
このような例もある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3336122
オビオルスさんによると、米国側から「ふさわしくない」と連絡があった。翻訳者としての能力が問題視されたわけではなく、23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。
マイノリティの作品は同じ属性のマイノリティにしか微妙な意図が伝わらないからだ。
話題のSCUM Manifestoという作品も、日本語で広めるには同じ属性の誰かが翻訳を担当するしかなかった。
納得していただけたでしょうか。