はてなキーワード: 独自とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd8419415de12d4b2a9fd356d376f5e4104d5831
別ソースでは「あった」と言う話も出てきているのだけどね。
ただしそれがあろうがなかろうが、現にアメリカは他国の主権を侵害したうえで、実質的な平和を担保しているわけで、そうしたアプローチがレアルポリティークにおいて必ずしも非とされるわけではないし、独自にロシア側が問題視することも当然あり得るだろう。そもそも国際法の法廷に於いて一国どころか一国の指導者も軍事力の担保なしで裁けないのは、イラク戦争の事例で明らかなので、法理でどうだと言っていること自体がナンセンス。ロシアが納得できるかどうか、ロシアが納得できるかどうかを無視できるかどうか、そこの話をしているのだからね。
核持つって言ったって独自に開発なんてできるわけないんだから、アメリカ様に貸してもらうことになる
果たしてアメリカ様が日本の総理にボタンまで貸してくれるかどうか、というのが一つ
沖縄でやんちゃな少年たちの一般社会への再接続をサポートをする仕事をしているのだけれど、沖縄の若者文化というか何と言うか、端的に言えば不良少年たちは沖縄の独立を望んでいない場合が大半だ。
現在沖縄の若者は米軍基地が非常に身近なためかファッションから音楽までアメリカ由来のHIPHOPスタイルを非常に好み、沖縄の米軍関係者を親に持つアメリカ籍少年たちとコミュニケーションを取って生活をしている(ここで言うコミュニケーションは血を伴うものも含む)。
つまり、アメリカのバッドボーイズ/バッドガールズスタイルを日本の不良スタイルへと集合させた本土とはちょっと違う不良スタイルへと昇華させている。
アメリカのスクールカーストが稀に話題となるけれども、バッド少年たちはスクールカーストへ組み込まれていない例外層であり、何故かと言えばバッド少年層と喧嘩になれば拳銃が出てきたりして子供同士の喧嘩とはまったく言えなくなってしまうからである。
だから最上位であるジョッグやクイーンであってもバッド少年層とは距離を起く。ジョッグやクイーンが最終的に求め憧れるパワーとはヒーローのパワーであり、バッド少年が求める文字通り何にも縛られない自由になるためのパワーなので求めるパワーの質が違うのだ。
そうアメリカ籍の少年から聞いた。
はてなで話題になる沖縄の話と言えば、米軍基地と沖縄独立を絡めたものであるが、はてなで取り上げられスターが付くブコメにはかなりの偏りがあるし、おそらく・・・というよりはほぼ確信的に沖縄の大部分の若者から支持が得られないものだったりする。
少なくとも沖縄の若者からすると米軍基地へ直接雇用されれば安定職だし、出入り業者へ就職してもそこそこ良い待遇を得られることが確定する。
それ以外の就職口の大半が沖縄は3次産業ばかりが発展してしまった土地柄なので観光のための施設店舗を作り整備する土建業か、観光飲食そのものを扱うサービス業なので低賃金なのだ。
つまり、沖縄の若者からすると割の良い就職口である米軍関係を沖縄の外へ出すなんてのは害悪以外なにものでもなく、口々にその手の話にはほぼ間違いなく一笑に付してしまう。
はてなの一部の人には微妙な感情を持つことになるだろうが現代の沖縄で「少年から大人になる≒就職口として米軍関係を検討する」ということを意味する。
それでも米軍関係者による暴力事件がという考えが巡ってしまう人も居るだろうけど忘れないで欲しい。沖縄のやんちゃな少年たちの存在を。
今さら沖縄在住の人に説明するまでもないことだが、知らない人へ説明するならば「不良というものへどういうイメージを持っているか?」をまず考えて頂きたい。
私は不良のイメージの一部に「不良は大人に迷惑を掛けるもの」というのがあるし、多くの人もそうだろう。そして「沖縄では迷惑を掛ける大人の対象に米軍関係者すら含まれている」としたら察しはじめる人も出てくるのではないか。
沖縄発の犯罪事件の報道には偏りがあるのはご存知だと思うし、米軍関係者による無意識なアジアへの差別思想ももちろんあるだろうが、あれだけ成人式で騒ぐ沖縄のやんちゃな少年たちがなぜ普段から報道されず、警察により行き過ぎた取り締まりなどセンセーショナルなことがないと取り上げられないのは不自然だと思わないだろうか?そう偏っているのである。
一部の沖縄県警や一部の米軍関係者が沖縄の若者へ当たりが強いのは、そういったやんちゃな少年たちの存在が少なからず関係していると言って良いし、米軍関係者が暴力事件を起こしたとき何故か喧嘩相手の詳細がわからないのはその喧嘩相手は実はそういうことなのだ(少年法の絡みや報道慣習・自主規制もあるだろうけど)。
ほかにも米軍の治外法権の絡みから、何らかの事件を沖縄内で米軍関係者が起こしたとき捜査権は事実上早い者勝ちになっちゃってるというのもある。
本土の人からすると意味がわからないだろうが、米軍関係車両が交通事故を起こしたとき捜査するのは先に事故現場へ到着した警察もしくは米軍関係者がするという運用が事実上されているのだ。
まぁだからこそ責任割合で1:9みたいな感じで米軍関係車両が悪いとなってしまっても米軍関係者が先に事故現場へ到着してしまうと責任割合の概念が吹き飛んでしまい損してしまった経験のある沖縄県民が少なからず居るのだ。
逆パターンももちろんあるわけで米軍関係者からすると治外法権はなんとしてでも手放すわけにはいかないってのが現状だろう。
そんな様な状態であっても沖縄の若者、特にやんちゃな少年たちにとって米軍基地は大事な存在だ。
やんちゃな少年たちの沖縄流HIPHOP文化の根拠は米軍基地にあるわけで彼らの青春そのものだし、何よりも大人になると大事なパートナーとなるからである。
そして、その文脈と同じ様に沖縄独立は沖縄の若者、やんちゃな少年たちにとってありえないのだ。
HIPHOPと言えばやはり立身出世なストーリーだ。地元の多くの人たちからそのスタイルが独自のものと認められ評価され人気になって行き、都会で全世界で成功者として大金を稼ぐ。
沖縄のやんちゃな若者にとってのニューヨークとは本土の東京であり、決して那覇市ではない。
本土で沖縄芸能人が過去に人気となったことがあるけれども、沖縄の若者からすると沖縄芸能人はシイジャア(先輩)である。
その当時のスタイルはHIPHOPではなかったけれども、沖縄の若者、特にやんちゃな少年たちはシイジャアに憧れて東京を目指している。自分のリリック・フロウが世の中を席巻することを夢見ている。
それをすることが難しくなる沖縄独立を沖縄の若者が支持するか?と言えば支持するわけがない。
なので沖縄の若者は「沖縄独立は老害の世迷いごと」「アイツら中国から金貰ってる」「共産主義はダサい」と口々に言って意見がほぼ一致している。
ちなみに沖縄の多くの若者は学術的に沖縄独立や共産主義を理解していないがスタイルとして沖縄独立や共産主義をダサいと言っている。
生活へ密着する文化がアメリカ志向、大人になっての就職もアメリカ志向なのが今の沖縄の若者であり、そんな沖縄の若者の事情を無視して今の大人たちの思想信条や都合によって沖縄独立論を語ると、今の大人が引退した数十年後は逆に取り返しの付かないことになっているだろうと私は予測している。
補足情報として今の日本の音楽シーンでは徐々にHIPHOPが興隆しているけれども、本場アメリカの影響を強く受けた沖縄流HIPHOPの東京進出志向もあると思っている。
それがどういうことかと言えばHIPHOPの派生系「TRAPスタイル」の流入も東京で起きているということを意味している。
TRAPスタイルについては「TRAP 歴史」などでググって貰えればわかるだろうけど、ググるのが面倒な人へ端的にイメージだけ伝えると「違法薬物がかなり強く影響しているHIPHOP」だ。
このように端的なイメージだけ伝えると悪い印象しか与えないだろうが実際に悪い。どれくらい悪いかと言えばトランスやサイケデリックなどと肩を並べられる、もしかしたらそれよりも悪いほど悪い。
このような音楽を聴くなと言っているわけではないが、その文化へ濃密に自身の子供たちが浸かっているような気配があれば親は警戒したほうが良いとは思う。
違法薬物がなくともトランスやサイケデリックのスタイルは踏めるようにトラップもまた踏めるはずなのでトラップやドリルに傾倒する若い子たちは今すぐに違法薬物が伴っているコミュニティと縁を切るように強く言おう。
キミのスタイルは魂の選りすぐりのスタイル キミの魂よりクスリ クスリのスタイル 騙しのスタイル クスリより魂 楽しいスタイル キミのスタイル 騙しのクスリより楽しい選りすぐりの魂のスタイル
慧眼だったと思う。
ウクライナにひどい言い方になってしまうが、最初に侵攻してきたのが日本でなかったことは
日本にとって不幸中の幸いだった。
俺は文章を書くのが好きで、なぜ書くかというと支配するために書いている。
これは自分の動機を色々な意味で乱暴に表現した言い方だけど、実際この通りで、俺は世の中のたくさんの物事がよくわからなくて、それを自分の言葉で自分自身のために説明し直すことが俺にとっては対象を屈従させたことと同じなので、それが理由で書いている。
一種の、そういう暴力的な方法でしか、この世界にある意味不明さと向き合えない。とにかく俺は「わかりたい」のだが、いまは、まるで真逆のことを言う。
「説明を受けてようやくわかった」
「感じていたもやもやを(自分の代わりに)うまく言語化してくれた」という意見を最近よく目にすることがあって、それを見かけるたびに、正直言うと少し嫌な気持ちになる。
俺自身が「わかる」ために言葉を並べることに憑かれているし、俺が書いたものを読んだり講義を聞いた人に「説明上手ですね」と言われると身もだえるほどうれしいので矛盾しているのだが、本当に、そんな簡単に「わかって」いいのか? と心のどこかで思っている。
俺はそれが怖い。
「わからない」のは不安だし、「わかる」ことで参加できること、貢献できることが世の中にはたくさんある。
というか、ほぼそれしかない。この社会で「わからない」やつはお呼びでない。仕事でも議論でも。そういう風にできている。
「わからない」と正直に言える者が機能するのは、学校の授業のように教える側と教わる側が明確に区別されているか、その共同体が何か重大な問題をはらんだまま、よほど硬直している場合だけだ。
そして、それも結局、みんながよりよく「わかる」ための経緯の一つとして回収されていく。
多くの人は「わからない」を早く手放したい(俺のように、場面によってあえて「わからない」にこだわってトリックスターを気取らない限り)。
「わかった」人も、他の人にも「わかって」欲しい。だから、「わかる」は増加していく。
それはある意味で、みんな同じになっていくということだ。
俺だって普段は「わかりたい」と思っているし、「わからせたい」とやっぱり思ってるけど、それでも、みんな一緒になっていくことは怖い。
きれいごとを言えば、「わかる」が他人と同じになっていくことだとすれば、「わからない」ことには唯一無二の価値がある。「わからない」「わからない」とずっとわめいていることにこそ、その人だけの価値があると思う。
もちろん、その人だけに価値があるというのは、その人が自分で作った独自の貨幣と同じで、何の役にも立たない。まあ、でもいいじゃないか、と言いたい。危うくて、でも、おかしくて愛しくていいじゃないか、と思う。
俺が「わかる」ことに、どこかの誰かの生死がかかっているとしたら、俺は「わからないといけない」。
俺が「わかる」ことに、俺の大事な人の生死がかかっているとしたら、俺は「わからないといけない」。
遠いところからやってきた誰かが俺に銃を向けたとき、俺がどうしていいか「わからない」と言ったら、その人は俺を撃って先に進むだけだろう。次の誰かを撃つために。
それでも、俺はみんなが「わかった」というのが怖い。
このとき、「その『わかった』が間違ってたらどうするんだ?」という疑念と(星新一の『殉教』のような)、みんなが一つになっていくユートピアへの根源的な恐怖(人類補完計画的なものへの嫌悪感)は区別しないといけないだろうし、「なんだろうと、とにかく怖いから、そんな簡単に『わかった』って言わないでくれ!」という俺の稚気も別物だろうけど、俺にもよくわからない。
今回の件はみんな「わかってる」らしい。俺も、それで正しいと思う。
でも、じゃあ、みんな「わかってる」なら俺だけ「わからなくて」いいかな?
つまんなかった。
話題になっているから見たけど「凄い長いストップモーションアニメだね!凄いね!」で終わってしまう。
モルカーは人間の愚かさと可愛さの塩梅が楽しかったけどジャンクヘッドはそういうのも特にないよね。
もうちょい具体的に考えてみるか
ストップモーションとしての品質は高い。でもそれ以上がない。CGばりの最新映画と比べると画面に安っぽさを感じる。意図的に安っぽくしているんだとしてもそれが画作りの面白さに繋がりきれてない印象。最初は物珍しさで凄い気がするけど30分ぐらい見るともう退屈になってくる。同じような質感、同じような小道具、同じような証明の当て方、物珍しさという作品が持つウリがどんどん失われていく。ジオラマ作りにおいて光源や影の効果をコントロールしきれておらず作品全体の縮尺が分かりにくくなっているのも減点ポイント。
作品として最低限。完全に自主制作映画レベルでしかない。圧倒的にマイナスと言うほどではないが加点要素は皆無。ただ、作品内で使われている独自言語が単なるハナモゲラ語でしかないのはちょっと寂しい。モルカーのプイプイは聞いてるだけで可愛くて幸せになれたが、この作品のモニョモニョ喋りはただ無意味な音声がそこにあるだけ。
場面転換を繰り返すにあたって違和感が発生しないようにする程度の意味しか感じられなかった。シーンNとシーンN+1の接着剤の連続といった感触。ポストアポカリプス的な雰囲気を作ることには成功したがそれを物語として展開することが出来なかっった印象。
感じは出ている。ただオリジナリティは見受けられない。受け手が既に持っている既成の概念を利用して作品内での説明時間を節約することに意識が向きすぎている。10分のアニメであればこれで正解なのだろうが2時間近くの映画にするならもうちょっと作品内で独自の世界を広げてよかったのでは?
でも世間じゃこれが80点ぐらいの作品として扱われているんだよなー。
不思議ー
キシダとか、親ロシアのシンゾーとか、そういう方に票が集まるんだよね…
まあ、ウクライナがこうなった今であっても、じゃあ原潜を調達しましょう、
とはいかないだろうというか、おカネとかね…
あと、原潜に核、大陸間弾道ミサイルはセットでないと意味がない
つまり、日本が完全に焼け野原になったとしても、日本の原潜が地球上のどこかに潜伏していて、
日本の国土の上に核ミサイルがあっても、それを破壊すればいいんであって、
地球上の公海のどこかの日本の原潜が敵国にミサイルを撃ってくれれば、
抑止できなかったとしても、逆転というか、一矢報いることぐらいは可能になる
だから、沈黙の艦隊よろしく、原潜と核を米国に提供してもらいたいわけだけど、
ウクライナがこうなっても難しいかなぁ、という気がしないでもない
日本が独自で核を管理、更なる改良のための核開発、研究もセットでなければならない
プーチンは戦略核に非常に前向き、肯定的なのは以前から知られているので、
気軽に核攻撃をしてくることは想定できる
人命はともかく、サリンのような毒ガス、戦略核は都市単位の制圧に向いている
そういった手段に躊躇しないことはソヴィエトの性質から想定できていたわけで、
じゃあ導入したいのでくださいで終わる話でもないという…
まあ、遅すぎたね
Google検索死んでる→からの、まとも検索というオルタナギャグがブクマ集めている。
「Google検索は死んでいる」がバズったので「まとも検索」を作った。:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:オルタナティブ・ブログ
で、思ったんだけど、YahooJも裏側はGoogleだから無視するとして、他にGoogleの代わりにできそうなエンジンってBingとかDuckDuckGoあたりだよね。
この二つって、本当に独自クローラーで集めてるのかな? 実は裏側はGoogleの検索結果を使ってるような気がしないでもない。
というのも、最近、俺が作った某サイト(独自ドメイン)があるんだけども、これはまだどこからもリンクされてない。つまり自分以外は誰も知らない状態。
で、Googleのサーチコンソールにだけは登録した。数日後にGoogleのクローラが来た。そんでインデックスされた。
ここまでは想定通り。
この段階では検索エンジンが異なるBingやDuckDuckGo等で検索しても当然結果には出てこない…と思ったのだが、試しにサイト名で検索してみたらなぜか結果に出る。
アクセスログを見てみても、自分のアクセスとGoogleクローラのアクセスしか記録されてない。BingボットやDuckDuckGoのクローラは来ていない。
自分が使っているブラウザ(Chrome)にはDuckDuckGoなどの拡張機能も入れていない。
つまり、BingやDuckDuckGoには「俺が作ったばかりの某サイト(独自ドメイン)」の情報はまだ一切ないはずなのに、検索したら表示されるという状態。
これって、Googleの検索結果を利用しないと不可能な芸当だと思うのだが…?
なんでこんな現象が起こってるんだろう?
詳しい人いたら教えて。
先ず何が駄目ってチェーンの概念が酷い
現在MTGが採用しているスタックに比べればチェーンは割と単純だが、複雑な要素を処理できないという欠点がある
例えば打ち消すには直前のチェーンブロックに直接チェーンしなければならない
これは例えばチェーン1のサイクロンにチェーン3で魔宮の賄賂を発動できない事を意味する
一見してシンプルだが優先権が絡むので発動できるかどうかをチェーンの順番に依存するのはプレイヤーの思考を圧迫しやすい
また後述のタイミングを逃す要因にもなるのであまりよくないシステム
ではこの召喚を無効にする効果を発動するにはどうしたらいいのか
実はモンスターを場に出すことを宣言した場合、擬似的にフィールドとも手札やエクストラとも言えない場所に置くこととなる
神の宣告などはこの中途半端な状態(古文書には謎空間とある)のモンスターに対して発動している
そして召喚が無効になり破壊されるとフィールドや手札から離れた扱いにならない
MTGでは呪禁などという形で相手の効果や能力の対象にならないという効果がある
遊戯王にも効果の対象にならないという永続効果があるが、これはあくまでも発動時に対象に指定できないという簡易的な耐性だ
故に相手の発動した対象を取る効果にチェーンしてそのモンスターに対象をならない効果を付与しても、既に対象になっているのなら効果は適用される
代わりに破壊されないなどは耐性として適用されるので、遊戯王における対象という言葉は非常に使い勝手が悪い
遊戯王では空打ちができない
例えばフィールドにモンスターがいないのにブラックホールを発動することは出来ない
ただ、多くのTCGではコストと条件さえ合えばそういった物は使えるし、たとえ意味が無いとわかっていても対象に出来たりする
しかし、例えば通常モンスターという効果を持たないモンスターに対して無限抱擁を発動することができないのが遊戯王の仕様
一部が駄目でも可能な限り処理を行うことができず、「この状況で効果を発動できるのか」という場面が非常に多い
ようはジャッジ泣かせだ
もちろん空打ちがよくないことを招くこともあるが、そもそもマナなどの共通コストがないがために1ターンの行動制限が実質存在しない遊戯王の欠点がここに表れている
こんなところばかりが規制されるの辛い
極めて説明が面倒くさいが、元々は一部の無限ループを塞ぐための処置
その無限ループをさせないように発動条件を満たした後で何らかの処理が挟まるとタイミングを逃す仕様としてしまった
いわゆる「時と場合の違い」にあたる
「~したとき、~できる」はその間に別の処理が含まれるとタイミングを逃してしまうのだ
だがその後に「~した場合、~できる」はタイミングを逃さない仕様を生み出した
これは意味が無い
なぜなら無限ループを行えない仕様に変更したのに、文言を変えれば抜けられるようにしているのだ
最初にルール改定を招いたカードをその「場合」に変更したなら、それだけで無限ループが達成できる
もし別のカード同士で同じような状況が発生したなら、場合も規制されることとなるだろう
正直論理的ではない
前置きとして、今回の炎上については意見が両極に分かれている印象がある。
そうなっている理由の一つに、「人権」という言葉をカジュアルに使っていたかどうかという違いがある。
ここでいう人権とは、当然法律で解釈されるような人権ではなく、勝敗を決めるゲームに参加する上での必要最低限の条件という意味で使われている。
ゲーマーは「そんなことすら知らないでゲームに参加するなよ」という牽制を込めてこの「人権」という言葉を好んで使うのだが、そこには多少の侮蔑やらエリート意識的なものが最初から組み込まれていることは否定できない。
つまりこの「人権」という言葉がカジュアルに使われていることもそれを擁護するということも、今の世の中的には容認されるべきではないよねというのがまずこの議論の始まりにある。
結論から言えば、この言葉のカジュアルさは容認されるべきではない。
個人の配信であっても言語が翻訳されて世界中に発信される世の中において、突然飛び込んでくる「human rights」という言葉はセンシティブすぎるといっていいだろう。
やり方に問題はあったが、この一件にてゲーマー界隈で「人権」という言葉がカジュアルに使われることへの終止符となった。
仮に世界的なトッププレイヤー(彼女もプロゲーマーの中ではかなりメジャーではあるが)が、海外の選手相手に挑発的な言葉として使っていたらどうなっていたかと考えれば、今回の一件は小さな犠牲で済んでよかったとも考えられるだろうと自分の中では結論づいている。
実は、ここで語りたい問題はそこにはない。
それ以上に深刻なのは、プロゲーマー、ひいてはesports産業自体の地盤の危うさにある。
自分の立場を明かすことはできないが、esports関連事業に半身以上を突っ込んですでに笑えない程度には資産を投げ売っている人間の一人と考えてもらえればよいだろう。
全てのプロゲーマーが抱える危うさとは、ずばり「生殺与奪の権利がほぼ100%他人に握られている」ということにある。
そしてこれは、いわゆる一般的になプロスポーツプレイヤーとの一番の大きな違いでもある。
その違いとは、一般的なスポーツと違って、全てのゲームがすべからくメーカーの著作物であるという点にある。
つまり、権利者の許可なくしてプロは一切の活動ができない。=プロゲーマーとしての生命は権利者の一存によって握られているといって過言ではないのだ。
例えば一般的なスポーツであれば、誰が大会を開こうともその観戦料を取ろうともどこかに許可を得る必要なんてない。
プロプレイヤーは自らの得意な競技において自由な経済活動を行える権利を持っている。
(もちろんスポンサードとの契約内容や、公認大会のほうが集客力が高いなど、自由度と収益は相反する関係にあることのほうが多い。)
極端な話をしてしまえば、プロ契約を失った後でもそのスポーツを使って自由に経済活動を行うことが許されているのだ。
そのゲームを使って少しでも収益を得たいと思うのであれば、必ず権利者の許可が必要になる。
つまり、どれだけそのゲームの実力があったとしても、権利者が首を縦に振らなければ一切の利益を得ることも許されないのだ。
これからプロゲーマーを目指す人間は、まずこの点について考えてみてほしい。
esportsの世界においても、トッププレイヤーでいるための犠牲と投資は一般的なプロスポーツと大差がないところまで来ている。
それなのに、権利者の一存で全てが奪われかねないプロゲーマーという職業をそれでも選ぶべきかという点についてはよくよく考えてほしい。
そしてこれは、業界を盛り上げるべく関連事業においても同じことが言える。
クリアすべき法的な問題ですらまだまだ山積みだというのに、ゲームの権利者の一存で事業の存続すら危ぶまれるような事業に誰が投資できると言えるのだろうか。
自分はもう後には引けないところに来てしまっているが、メーカーの活動を見ている限りはesports自体を盛り上げたいというよりは自らの利権を独占したいという行動のほうが当然目立っている。
権利を守ることで成長してきた業界だから仕方ないことだが、それ故著作権ヤクザと言われてしまうのも仕方のないことだろう。
そう考えれば、今回の一件がゲームそのものが持つイメージに対してどのよな影響を及ぼすかも無視することはできない。
自分の知る限り、今回話題になった彼女がプレイする鉄拳というゲームは、とある名物プロデューサーによって運営・管理されている。
鉄拳というゲーム自体がコミュニティによって支えられてきたゲームであるし、彼自身もコミュニティとの関係性を大事にすることで鉄拳をここまで成長させた腕利きの人物でもある。
問題の引き金となったプロプレイヤーはそうした鉄拳コミュニティの中心にいて、内外に多くのファンを持つ存在でもあり、その点だけを考えれば寛大な判断が期待される。
しかし、世界中で課題となっているダイバシティ化について、ゲーム業界も、そしてこの鉄拳シリーズもいち早く取組んで来た事実がある。
登場キャラクターたちを見てもらえればわかるが、かつて日本ローカルな偏見の塊でしかなかった登場キャラクターは、まさにダイバシティを体現するかのようなキャラクター達に置き換わっている。
いわゆる市場のグローバル化による経営判断でしかないかもしれないが、他業界よりもダイバシティ化に対して過敏であることは事実だ。
その中において、容姿による差別発言を人権という言葉を用いて行ってしまったことの罪は重く、たとえそれが本来の意味を持たない慣例的な単語であったとしても、簡単に看過できる問題とは言えないであろう。
今現在、当プロデューサー含めメーカー側からは特に動きは見られないが、動く立場にないことにしてこのまま動かないのではないかと個人的には思っている。
いずれにせよ、これら問題において、簡単に自業自得で切り捨ててよい話ではないということだ。
双方契約書を交わし、打ち切りに該当する違反行為があれば打ち切ることができるのが契約の自由だからだ。
従来のプロスポーツと違って、あくまで一企業の著作物を扱う上でのプロ契約となれば、当然プロ契約側に著作物の許諾についても含まれるべきであり、もし仮に契約打ち切りの理由が著作物のブランドを著しく傷つけたからとなってしまえば、これは事実上の永久追放と言えてしまうからだ。
先述した通り、トッププレイヤーとして居続けるための犠牲と投資は並のものではない。
いくら一つのゲームを極めた立場だとしても、例え同じ格闘ゲームというジャンルであっても、トッププレイヤーに上り詰めることは不可能といっていい。
(一般化できる能力はもちろんある。しかし、トッププレイヤー達はそれらを持ち合わせた上で、そのゲーム独自でしかない知識や情報による攻略で競い合っている。)
つまりは、プロゲーマーの解雇は、単純に失職するだけでなく、過去積み上げてきた経験と実績全てを失うことと同じなのだ。
残念ながら、これがesportsを取り囲む現実であり、最も解決すべき課題に他ならない。
それに比べたら業界がこれから取り組もうとしているセカンドキャリア問題が風前の灯にすらなってないのは皮肉以外の何ものでもない。
今後、esportsのような一個人が突然プロになるような世界において、「人権」に限らず、翻訳が難しいセンシティブなスラングは今後使うべきではない。
今回は直接的な相手が目に見えていなかったことは不幸中の幸いであり、これをきっかけに「人権」という言葉がこうした場面で使われなくなるなら結果的には良かったと思われる。
ただ、プロ契約打ち切りも仕方ないと言われると、それは疑問だ。
なぜなら現状においてプロ契約打ち切りは文字通り永久追放にもなりえてしまうからだ。
その原因は、ゲームがどこまで行こうとも一企業の著作物に過ぎないからであって、こんな権利者の気持ち次第でどうにでもなるような産業には誰だって金も時間も投資しようだなんて思わないほうが普通だ。(自分は異常だと自覚がある。)
自社の権利を守ろうとすればするほど、産業の成長を阻害するジレンマを解決しない限り、esportsに明るい未来はこないと断言してもいい。
今回の炎上については、発言そのものよりも背景にあるオタサーの姫とかアンチの存在なんかが大きいけど、だからといって芸能人ほどのタレント性がない人間が突然今まで積み上げてきたもの全てを奪われて無職になっていいかと言われればそれは疑問。
プロチームもクビにして終わりじゃなくて、esports産業が抱える問題が端的に表れた一件として中にいる人は皆で解決しないとこの業界まじでやばいよ。
ちげーんだわ。
今回の件がプロ追及になるかどうかは全然どうでもよくて、いつでもゲームメーカーのお気持ち一存で永久追放できてしまう仕組みが危ういといっているんだわ。
仮にも「鉄拳プレイヤー」っていう一企業の商標を背負ったプロの行動に、版元がコメントするってことはそういうことなんだよ。
これは設備を投資する側にも言えることで、メーカーのお気持ち一存で数千万って投資が吹っ飛ぶような事業に誰が金出すんだ?って話なんだわ。
そんなのお互いの利害がしっかり一致できているようなずぶずぶのエンコ企業しか出さねーだろ。
それで市場の健全な成長ができるか?そういうことを言っているんだよ。
スポーツ選手や芸能人が明らかな不祥事で姿を消すのとはわけが違う。
例えば野球のルールについて批判しても思想の違いだって受け入れてくれるチームはあるかもしれないけど、ゲームでそれやってメーカーに睨まれて許諾を得られなくなったらどのチームも拾ってやることはできないんだよ。
(くどいけど、今回の話は別。その理由の妥当性に関係なく、そういうことが起こり得る仕組みに問題があると言っている。)
「あれ?こちらからのお願い聞いておかなくて大丈夫ですか?じゃぁ許諾取り消しますね。」が、簡単にできる世界に、夢と希望に溢れた子どもたちをどうやって預けられるんだよって話だよ。わかれよ。
だからこそ、スポンサーではなく、チームとプロ契約を行う場合は著作権に対する許諾も含めるべきで、許諾に対しての教育や啓蒙もセットにしたほうがよいんじゃないってことだよ。
あぁーあ。そういうことをユーザーとメーカーとの間に入って権利問題を解決してくれるようなプレイヤーや各メーカー同士で作られた中立的な団体があればいいのに(棒
追記2
ごめん。もう一回ちゃんと書く。
今回は(今の所)メーカーが許諾させないとは言ってないし、おそらく言わない。
だけどプロチームはいつそのゲームを扱えなくなるかわからない状況にいつでも怯えてなくちゃいけないのは事実。
たった一つのきっかけで育ててきたプレイヤー全員無職になることだってありえるってこと。
今回の契約解除までの早さだって、それを勘ぐりせざるを得ない。(本人の素行が今までも相当にひどかったのは知っている上で。)
もちろん普通のプロスポーツだってあり得ることだけど、極論出してきてどちらも一緒は詭弁。
もっと話を単純にすれば、家庭用ゲームの許された利用範囲っていうのは、本来は個人利用のみっていうのが現実。
当たり前のように配信して収益を得ている人がいるけど、あれだって権利者がいつだって理由なく止めることができる。
もちろん経営判断ですぐにそんなことはしない。
頑張って強くなってファンも増えてきてこれから収益化だ!って思った矢先、何の説明もなくそのゲームが扱えなくなることだって十分に起こり得るってこと。
そんな危うい状態で人生かけてまでプロストリーマーになろうなんて思えるか?
著作権を放棄しろなんてことは言わないけど、最低限プレイヤー側の権利も保証しようよっていうのがこの話の全て。
ゲームを作った人間に著作権があるのは当然だけど、ゲームをプレイした人間の時間にだって権利があっていいだろ?ってことはこれからもっと議論されるべきだよ。
Jesuって団体ができたときはそういった権利者とプレイヤーの間に立って紛争回避と権利保護のガイドライン化を進めてくれるのをまじで期待したんだよなぁ。今でも彼らにしかできないと思ってるけど。
それと例えばプロ野球でも永久追放されたら終わりというけど、野球の場合は野球教室を開く自由は残ってるけど、ゲームの場合はそのゲームを使った教室を開く自由は残らない。
著作物の商用利用全てを権利者によって禁じることができるから。
他には個人としての大会参加資格があるとして、その賞金については景品表示法の問題が関わってくるから一概に言い切れないけど、一般的なスポーツなら受け取れるけどゲームだと受け取れない場合も出てくる。
というかゲーム大会で高額賞金を出すこと自体が今の所出演料という雇用契約以外に事実上無理なので、結局無理。
それを特に理由なく権利者の一存で行使できる状況の上にプロシーンを作り上げることに無理があるって思わないならもう勝手にしてください。
ごめんな。なんか俺の例えが悪かったんだろうな。
例えば、漫画の描き方でもプログラミングの言語でもものづくりのための技術でもいいんだけど。
今話題の業界でプロになるために学びませんか?って言われて、お金と時間つかって一生懸命学んで、いざお金儲け始めようとしたら「今まで学んできたものは私共の著作物なので一切の商用利用は許可しません。」って言われたらどうする?っていう話なんだよ。
自分の飯の種が突然誰かの権利でしたって言われて使えなくなるって知ってたら最初から身につけようなんて思わないだろ?
今のesport業界はそれがいつ起こってもおかしくない状態なのに、プロゲーマー!賞金大会!って騒いでるのおかしいっておもわないか?
それは学ぶ場を提供する側にも言えることで、育成施設作ろう!って投資して全部準備が揃った状態になってから突然「許諾しません。」とかってことが起こり得るということなんだって。
メーカーに確認しろって思うかもしれないけど、そんな個別のケースに対応するわけないし、回答するとしたら「許諾しない」以外ないのよ。
今のプロシーンで活躍する人たちは、みんながそういう不安定な土台の上にいるんだよってことを、今回の件をただ批判して契約解除で大勝利!って話で終わらせてほしくない気持ちでつづりました。
刀も寿司もガラパゴスが生んだのだから、江戸時代の頃と同じように日本は鎖国して独自の文化圏を作ればいい
少し前にmacOSはLinuxではないとTwitterで話題になりました。その際に
といった内容のTweetを見かけたのですが「元になったのはBSDではなくMachなんだけどな~。昔を懐かしみつつ、調べながら何か書くか」と思いつつ、面倒になったので記憶のまま適当に書くことにしました。
Machは当時一世を風靡していたマイクロカーネル設計を採用したOSで、BSDとは全く違うOSです。
ただしBSD互換機能を利用していたユーザーは、内部に関心が無ければ
といった印象を持っていたのではないでしょうか。互換機能としては成功なのですが。
macOSのもとになったNeXTSTEPはMachを改造して始まりましたが、現在では別物であると考えるべきです。
macOSは直接にはMachから派生したもので、BSDではありません。ただし
など、BSDと誤解させる点があるのは確かです。
上記のUnix → BSD → Mach → NeXTSTEP → macOSではソースコードを利用しながらOSを作って行ったため共通の部分がありますが、これらとは全く関係無く独立して開発されたものです。
しかし現状ではNode.jsやPythonなどでプログラムを作ろうとした場合にシェルで使うコマンドはmacOSとLinuxでは共通するものも多く