はてなキーワード: 無期懲役とは
小山田何某の炎上を発端としてオリンピック関係者が何人か燃えている件について。
別に小山何某の過去のいじめを擁護する気はさらさらないが、氏の過去の全ての業績を無視してオリンピックもNHKの番組も何もかも解任しなければならないことなのか?
日本の法律には時効もあるし少年法もあるのだ。過去の行動を、しかも未成年の学生の頃の行動を中年になってから断罪して社会的地位を根こそぎ奪い取るという所業は、とてもじゃないが法治国家のやることとは思えない。
雑誌のインタビューは成年になってから行われていて反省していないと言う人もいるだろうが、それすら20数年前の話だ。刑法だって無期懲役以上の刑でなければ時効は20年以下である。
そもそも20数年前の雑誌のインタビューを根拠に「反省していない」はないだろう。適切に発言者の意図が伝わっているかどうかなど当時のインタビュアーにすらわからないほどの年月が経っている。発言の語尾に(笑)をつけるかどうかなんて編集者のさじ加減でしかないのだから。
今の小何某が本当に反省しているかどうかはどうでもいい。根拠の希薄な理由で、現在の仕事を瑕疵なくこなしている人間の地位を不当に奪っている今の現状はただの私刑だということが問題だ。
インタビューと同時期に警察とカーチェイスして飲酒運転で逮捕された男がお昼のワイドショーでこの問題を他人事のように取り上げているが、坂何某が世間に断罪されて降板する気配は無い。私刑とはそういうものだ。罰する基準などなく、その対象は世間の雰囲気とそれを扇動するものの意図によって決まる。
想像力の働く人間ならば、過去の言動を何十年もあとに掘り返して社会的私刑を下す世間の所業を目の当たりにして、パンとサーカスの一環として捉えるよりもいつかそれが自らに牙を剥くことをこそ恐れるべきなのではないか?
ここ数日のSNS上では過去にいじめられた経験のある人間が、何某に個人的怨嗟という名の社会的五寸釘を打ち込んでいる光景に溢れていた。しかし彼ら全員がただ純然たる被害者として生きてきたとはとても思えない。人が誰かに抑圧されると他の弱者を抑圧することで精神の安定を図るというのはよくあることだし、現在進行形で虐げられている者こそ自分よりも下の立場の者に優しくはなれないものだ。自分を含め誰しもが被害者でありうるし加害者でもありうる。
むしろ自分はいつも被害者で、加害者になったことなど生涯で一度もないと考えている者が一番まずい。ここ数日SNSで腐るほど言及されていたように、「加害者はいじめを忘れるが、被害者は死ぬまで覚えている」のだから。
今回の何某の社会的焼死を容認するのならば、自分が立場ある地位についた瞬間にそれらをすべて唐突に失うリスクについても真面目に考えるべきだろう。この業火には誰しもが焼き尽くされる危険性があることを忘れてはならない。
Qから10年後、シンジは週刊誌で働く記者になっていた。芸能人のゴシップばかりを追う日々に疑問を感じており、地道に事件取材を重ねても、「ネタにならない」と上司にボツを食らい続ける日々が続く。
そんなある日、取材の一環で東京拘置所に収監中の死刑囚となっていたトウジに会いに行くシンジ。久しぶりに会う旧友に対し、トウジは面会室のアクリル板越しに、誰にも話していない3つの余罪について告白すると言われる。
上告中の身であるトウジがなぜそんな不利になるようなマネをするのか理解できなかったシンジ。その疑念に対し、「どうしても許せない奴がシャバにいる」「そいつがシャバでのうのうとしていることが許せない、そいつを追いつめて裁きたい」とトウジは言う。
シンジはトウジとの面会記録をまとめ、上司に見せるが、「死刑囚が余罪を告白するなんて、犯罪小説のようでできすぎている」と言われ、本格的に取材に入る許可は下りない。しかたなくトウジの依頼を断りに行くシンジだったが、反対にトウジの熱意に説得され、個人で調べ始めることになってしまう。
次第に取材にのめりこんでいくシンジ。無精ひげを生やしながら事件を追い続ける様子は次第に鬼気迫るものを帯び始める。
調査の結果判明したのは、トウジの犯罪の裏にはすべての犯罪の絵を描いていた黒幕が存在すること、その人物は保険金殺人、死体遺棄等、一連の犯罪行為を指揮したうえですべての罪をトウジになすりつけ、自身はのうのうと逃げおおせている、という事実だった。その人物は、「先生」と呼ばれていたという。
事件の裏付けを取ったシンジはひげ面のまま出社し、上司に取材の成果を突きつける。上司はそれを誌面に載せることを許可し、記事は社会的に大きな反響を呼んだ。
やがて警察も本格的に再捜査に乗り出し、ついに「先生」が検挙されることになる。裁判の結果、判決は無期懲役となったが、立件できたのは保険金殺人のみだった。
落胆を隠せないシンジをさらなる衝撃が襲う。審議には収監中のトウジも証人として喚問され、その過程で、トウジが自らの死刑執行を先延ばしするために「先生」を巻き添えにしたこと、その走狗としてシンジを利用したという事実が判明したのだ。
…「先生」を検挙するために常軌を逸した執拗な取材に身を投じたシンジ。物語の最後、面会室でシンジと会った「先生」は、アクリル板越しにこう言った。「ひとつ教えてやる。私を殺したいと一番思っているのは、被害者の遺族でもトウジでもない」。そして、こつ、こつとシンジに向けた人差し指でアクリル板を叩くのだった…。
発達障害の増田や人間がブログやこことかで「発達障害の問題は自分がされたら人一倍痛がって悲しむが、他人が痛がって悲しんでいるのが脳からして理解できない」からだなんて開き直って特性を言ってたが
そんな危ない奴それこそ、マトモに稼ごうと思えば現代では殺し屋かテロリストかイスラム国の戦闘員くらいしか適職ないからな
かろうじて数字に強そうだからってITに雇い入れたら数年でIT業界も懲り懲りでコミュ力重視がさらに加速しただけだし
そんで発達障害の分際で人並み以上になりたいのになれないと社会に憎悪して糖質拗らせる犯罪者予備軍化をネットで醸成していってるご時世だが
でもこういう特性って古代とか中世の戦争とかでは重宝された特性なんだろうなって思うんだよな
発達障害のキチガイって良心なんかまるっきり持ち合わせてないし理解できないから、人に対して危害を加えることに何の躊躇いもないし、アイドルグループとかフードルとか地下アイドルみたいなのに粘着して一度恨んだら常人を越える集中力でターゲットに粘着してナイフでめった刺しにして警察に捕まったり、暗殺キメたりストーカー化して不法侵入とか強姦かまして警察に逮捕されて死刑か無期懲役なんて事件だって過去結構あったし
発達障害御用達の撮り鉄とか、電車脱線直前の妨害行為しまくった挙句に、それを止めに来た人らに暴れまくって、平気でピストル腰に下げた警察官にさえ喧嘩売ってるわけじゃん
ITでも国家権力に喧嘩売る系の発達障害犯罪多発してたわけだし
そういう意味では、冷戦時代のソ連とかアメリカみたいに、国が養成してテロリストとかにしたら、国益的に役に立つんじゃないだろうかって思うんだ、こういう他人に害しかなさないゴミにも生産性を付与する方法考えるのが、これからの産業振興に大切なんじゃないか?
判決を下す裁判官や裁判員の心理的負担を考慮して日本も終身刑を導入して欲しい。
もし自分が裁判員に選ばれたとして、酷い殺人だし死刑がお似合いだけど、被告と弁護士は冤罪を訴えていて万が一という可能性もあるし、冤罪でなくても自分の判断で人を一人殺したというのは寝覚めが悪いので、死刑判決を出すのはできればしたくない。かと言って、一つ軽い無期懲役にすると、20代の犯人が30年ほどのお勤めを果たした50代の無敵の人として社会に解き放たれるのは再犯しそうで怖すぎる。
その点、終身刑ならば、(遺族は復讐感情で死刑を望むとしても)赤の他人としては危険な殺人犯が死ぬまで社会から隔離されるという効果は死刑と同じで、冤罪を訴えてるなら獄中闘争がんばってね~と気軽に刑務所に送り出せる。殺人犯を国が一生養うコストも自分は許容できる。
別に死刑残したままでも良いから、自分が裁判員クジに当たる前に終身刑を導入してください。職業裁判官や死刑執行する刑務官だって助かると思う。