はてなキーワード: 河童とは
子どもと一緒に見るようになった幼児用アニメや番組が思っていたよりもずっと面白くて完全にハマってしまった。
まず「おさるのジョージ」。子ザルが色々やって周囲の大人が大騒ぎする話なんだけど、子ザルの保護者の黄色い帽子のおじさんが本当に優しくって懐広くってもう大好き。彼のジョージに対する態度は見習いたい。
「花かっぱ」。頭から花が生える河童の話、っていうとよくわかんないと思うんだけど、軸になるストーリーとして彼の頭に生えるある花を狙っている勢力があって、その勢力のドタバタがとにかく面白い。というかがりぞーとあげるちゃんなんだけど、がりぞーの変装のクオリティが低すぎて「なんでみんな気付かないんだよ!!!!」って子どもと大笑いしてる。
「シャキーン!」。これ、多分昔で言う進め電波少年みたいな立ち位置だと思うんだけど、番組の中の小コーナーのクオリティが超高くてやたら面白い。番組内番組みたいのもあって毎回見逃せない。
「お母さんといっしょ」。これは王道だと思うんだけど、大人としてはむしろうたのお兄さんお姉さんとか体操のお兄さんお姉さんの人間関係の方が気になって、この人たち職場恋愛とかしたら大変なんだろうなーと思いながら見てる。
他にも、ひつじのショーンとかおじゃる丸とかみいつけた!とか、今やってるのもあれば終わっちゃったのも色々あるけど、とにかく幼児用番組面白い。というかEテレが面白い。超楽しい。
https://anond.hatelabo.jp/20171016202910
の4つ目です。
https://comic.pixiv.net/viewer/stories/22913
その芸能会復帰に合わせた手記のゴーストライターとして、本人から指名された売れない小説家が主人公。
「なんで俺が?」と怪訝に思いながらも、彼女の話を聞く中で距離は縮まっていき……。
と、あらすじだけを読むと平易な内容に見えるものの、描き方が圧倒的。
女優・真咲遥の天真爛漫さと冷たさを上手く絵に落とし込み、密度の高い内容をテンポよく読ませるのは染谷先生の力量あってこそだと思う。
2冊読み終えた後にはいい邦画を1本見終わった後のような感覚を得られる素晴らしい作品。
https://viewer-bookstore.yahoo.co.jp/?cid=840990
虫愛づる姫君をテーマにした昆虫ホラー『エンブリヲ』の小川幸辰の描く、民俗学に着想を得た河童バイオレンスホラーアクションマンガ。
作者の地元でもある千葉のニュータウンを舞台に、原住民である河童たちと、土地の有力者との軋轢が徐々に広がっていき・・・という、
どこか「平成狸合戦ぽんぽこ」を想起させるようなストーリーライン。
まさにこの人にしか描けないであろう内容と、描線の古っぽい手触りが上手くマッチしている。(女の子の描き方は大分変わってましたが。)
本当は5巻くらいで読みたい内容が2巻にまとまっており、2巻のジェットコースター感が凄まじく読後に謎の爽快感が残る。
https://viewer.bookwalker.jp/03/3/viewer.html?cid=2b96f115-5160-44ee-a6bc-9750a0817bb0&cty=1
妹に連れて行かれたライブをきっかけに男性アイドル「ハピネスハニー」にどハマりしてしまった男オタクの日常を描いた作品。
「好きなものは好きでいいんだ!」ということを全力で肯定してくれて、読むたびに清々しい気持ちになる。
メイン曲が「チュルチュルうっど〜ん」という最高のセンス。
こんなに面白いのに2巻が出ておらず作者さんのツイッターも止まってしまっていてとても残念。
http://www.moae.jp/comic/hyoujounocrown
クアドラブルアクセル(4回転半ジャンプ)に挑む主人公と、彼に影響を受ける冷静なヒロインを描くフィギュアスケートマンガ。
この伸びやかな線でスポーツマンガを描きあげた事自体素晴らしい。
ロマンを追い求める主人公と、ソツなく演技をまとめるヒロインの対比と物語の中でのバランスが良い。
ジャンプの解説もわかりやすくて、フィギュアスケートの見方が多少なりわかったのも個人的には良かった。
https://www.alphapolis.co.jp/manga/official/798000187/1907
おっかない魔女に恋心を持たれてしまった女義賊を描く、中世ヤンデレ百合ダークファンタジー。
ヤンデレ側と受け入れる側の心情それぞれに説得力があり、それぞれの正義を貫こうとするほどにボタンの違いで最悪の展開になっていくのが最高。
売れれば続刊が出るとのことなので、お気に召したら買ってみてください。
https://comic.pixiv.net/viewer/stories/16119
高校の頃から片思いしてきた本命の親友と、彼の代わりに抱いている今のセフレが入れ替わったら?という作品なのだけど、
タイトルの通りでそう単純な話ではなく、予想を裏切って展開した後の最終話がストレートに良くて普通に泣くという。
自分の抱いていた愛情は何だったのか?を問う、繊細ながらも重厚な作品。あととにかく絵がきれい。
https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_AM01000002010001_68
友人が隠れオタクであることを偶然知り、彼が持っていた同人誌を馬鹿にしてしまい、
その場にいたオタ仲間の少女・ハイジにビンタされてしまうところから物語は始まる。
脳筋テニス少年を主人公に据えた同人青春マンガといった趣で、誓がオタクの側に歩み寄り、
同人制作に触れる過程の中で描かれる誓の人間関係の再構築と、それぞれの姿勢で二次創作というものに向き合うキャラクター達は見るべきものがある。
上で挙げている『ハピネスハニー』にも通じるところはあるのだけれど、好きな作品を好きと言うことを全力で肯定してくれる作品だと思う。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049550329
語り継ぐべきジャンプGIGAの遺産。1巻、全4回を無駄なく研ぎ澄ませた作品。
スポーツならなんでも器用に「こなせて」しまう主人公が、男性の鬼門とも呼ばれる薙刀と出会い、選び取るまでを描く。
ストーリーが濃密でありながらメインキャラ以外の作り込みや台詞にも手抜きなく、とにかくマンガとしての完成度が高い。
マンガってやっぱいいな!と思わせてくれる。
今年はこんな感じで。
恥ずかしながら彼女がいる。
違う部署だったがたまたまきっかけがあってよく話をし、お互いオタクだということで話も弾みアニメを見てたら手を出してしまった。俺が先輩で向こうが後輩。年も入社も二つ下だ。
後輩に互いの外見を説明すると、まず自分は取り立てて特徴のない顔をしてる。たまにお笑い芸人のキャラの薄い人に例えられたりもする。
向こうは有り体に言って痩せてるオタク女。顔は主観的な評価で全くもって可愛くはない。電気消せばノーコンテスト。エラは出てるし、一重だしたまに化粧が下手。
じゃあなぜ付き合ったと言えばメンヘラビッチに捨てられて訳のわからぬ状態であったことや、手を出した責任感やらタダでセックスできなくなる損失感とか正直に申して褒められたものじゃない。
そういう妥協と勿体無さで今に至るんだけど最近思うのは妥協すると相手の欠点が心の中でカバーできない。
わがままに振り回されてご飯連れていったり、電車で3時間かかる所に連れていかされたり、挙げ句の果てに理不尽な怒りぶつけられたり愚痴の掃き溜めにされたり、せっかく買ったプレゼント壊されて直せよと言われたり。主観的に話してるので嫌でも恣意的だし、誇張表現は出ちゃうんですけど。
妥協という前提があるとどうしても「妥協してこれかよ」って思っちゃうんですよね。ブスは性格美人みたいな都市伝説ほんとうに伝説なんですね。まだ天狗の方がリアリティあるなと思います。今なら河童に尻子玉取られます。
ツイッターにでも書いとけって話なんですけど、ソシャゲのフレンドにさせられてハンドルネームからツイッターアカウントバレてるみたいで書けないんです。馬鹿みたいでしょう?笑えますよね。許してください。
結論から言うと顔とかじゃなく妥協はやめて理想に生きるのが一番メンタル的に気持ちいいということです。理想が高すぎとか言われても気にしないで生きてってください。
道の駅やまだに行きましたわ!高速バスがこんなマニアックなところに停まるなんて驚きでしたわ!
やまだでかきラーメンを頂きましたわ。元祖だとかなんとか言ってましたがラーメンに牡蠣が突っ込んであるだけな感じでしたので他の牡蠣の産地でもなんかありそうな感じでしたわ。
やまだは割りとどうでもよくて、本命の鯨と海の科学館に行きましたわ。こちらは3.11震災後しばらくお休みでしたが17年7月15日再開していましたわ。海全般や山田の海とかいろいろと展示がありましたが、やはり目玉はほたて河童!『山田湾のカキやホタテなどの海の恵みや美しい景観をいつまでも見守る心やさしいカッパということで、山田町商工会が作ったマスコットキャラクターです』エロ目でしたわ。
本当の目玉はマッコウクジラの骨格標本ですわ。骨格なので目玉はありませんでしたわ。
世界最大級らしいですわ。17.6メートルもあるらしいですわ。わたくしの10倍はありますわ。10倍ですわ10倍
そして展示出口外の売店コーナーにはなんと水槽がありましたわ。いや水槽があることは知っていましたわ。サ……サ……
本当はこの後にかきラーメンを食べて買い物をしていましたわ。
そして到着したのが鉄の歴史館ですわ。
確かこの館がある釜石でその昔に日本初の西洋式の製鉄所を作ってそのまま製鉄の街になったとかなんとかだった気がしましたわ。サ……サ……サバはいませんでしたわ。いる余地がありませんでしたわ!いる余地がありませんでしたわ!
つい先日、イナズマイレブンの新作である「イナズマイレブン アレスの天秤」が放送された。
それに伴い、今朝、「イナイレ好きの友人がパラレルは無理、と強く否定していた。何故か理解できない。」というような内容のツイートが回ってきた。
私も今作のパラレルは受け入れられていない。改めて考えると何故なんだろう。具体的にどこが受け入れられないのか、文字化できない。ので、下に考えをまとめるために自分の考えを書いてみた。
イナズマイレブンはそもそも超次元サッカーと言うだけあって、現代が舞台のファンタジーみたいなものだ。サッカー自体が超次元なのは勿論の事、神(笑)や宇宙人(笑)に始まり、河童に天使に悪魔、GOに行くと未来人に恐竜、宇宙人(本物)…なんでも出てくる。
その中に新作とはまた違うパラレルの話も実際にある。サッカーがない世界を元に戻す、という内容だ。
個人的にそこの話は大好きだ。最高。
では何故今回のは受け入れられないのか?わからん。強いて言えば、すでに見終わったあるべきストーリーが歪められているから。かもしれない。
それだ。今書いて思った。多分そこが原因だ。
イナズマイレブン元々の主人公である円堂守が出会うべきであった人との出会うべきシチュエーションがないものとされている部分が納得できないんだ。
それが原因で大切な思い出がないものとされているわけだ。そこが嫌。
もしこうだったら?という話は大好きだ。もし双子の片割れが生きてたら?もし本当の子供が生きていたら?最高だ。凄く気になる。二次創作ならな! そう、二次創作なら最高だ。ぜひとも見たい。
しかし、それを公式にされると「???」となる。何故公式でそれをやる? おとなしくGOの後とか、無印とGOの間とかの世界観で新作作って。
自分は面倒くさい女オタクにプラスして腐女子でもあるが、公式で狙ってる描写をされると萎えるタイプの腐女子だ。隣に並べておいてくれる程度が一番好き。下手に何かさせようとしないでほしい。
今回の話もそれに似ているのかもしれない。
あれだ、イナズマイレブンGOはもう広げられないからイナズマイレブンに戻ろう、みたいな感じも気に食わない。イナイレもGOもどっちも大好きだが、GOをそういう扱いされると腹が立つ。
いや、もちろんそんな意図じゃないのかもしれないけど。
まあ、確かに宇宙まで行ったあとに何するんだっていうのはあるかもしれないが。天空にでも行けばいいんじゃないかな。なんかそんな話も出てたんだっけ。知らないけど。
とにかく、公式に好きな作品が邪険にされている感じがしてしまうのだ。面倒くさいオタクを舐めないでほしい。
多分これ、私がストーリー、キャラクターに異様に感情移入してしまうせいもあるのではないだろうか。
可哀想な過去があったにしても、それがそのキャラクターを形成する要素の一旦であり、なくてはならないものだという認識をしているんだろう。
手軽にいじってはいけない部分だと思っている。
そこに触れられているから、新作に嫌悪感を感じているんだろうな。
嫌悪感?とはまた違うだろうか…?
いや、しかしなるほど、自分はよくある二次創作っぽい公式と、好きな作品をないがしろにされている感じが嫌なのか。
今書いていて納得した。
元々二次創作みたいな公式は嫌いだったけど、確かに今回の新作のコンセプトがそういう風な感じなのかもしれない。主観だけど。
まあ、わかったところでどうしようもないわけだが。
私にできるのはイナズマイレブン アレスの天秤を視聴し続けるか視聴をやめるかの二択だ。
めんどくさいオタクではあるが、自分が気に入らないというだけであれこれと騒ぎ立てるつもりはない。この文章が騒ぎ立てていると思うなら訂正させていただきたいが、この文章は自分の感情を理解できないクソ腐女子が、自己の感情を理解するために書き出しているだけの独り言である。ご容赦いただきたい。凄く長いけど。
さて、戻ろう。視聴を続けるかやめるかという話だ。
私はイナズマイレブン、イナズマイレブンGO共に大好きなイナズマイレブンファンだ。そりゃあ、見るに決まっているだろう。そりゃあ見るさ。
少し上に戻ればあれこれと新作の気に食わない部分を言ってはいるが、逆に言えば上にあるところだけ気に食わないわけで、基本的にイナイレ大好きな私にとってはワクワクする内容ばかりだった。意地でも見るよ。
というか見た。
結果、最高に面白かった。きっと毎週見る。
内容に関してはネタバレになるため触れないが、イナイレらしいような内容だった。好き。ありがとう。上の部分は許さないけど。
簡単に言えば、少なくとも私のようなオタクはそんなものだ。面白ければ自分の不満点なんてどうでもいいのだ。もやもやして素直に楽しみづらいだけ。
イナズマイレブン アレスの天秤には是非、こんなめんどくさいオタクを黙らせるような素晴らしい作品になってほしいと思う。面白ければ何してもいいよ。と私は思ってる。
欲を言えば、パラレルであるということをこんなめんどくさい思考回路のオタクに納得させるような内容であってほしいとも思うけど。
ここまでノンストップで書いてきたわけだが、自身的には自己の考えがまとまって非常に満足した。こういう長ったらしい文章書くの大好きなの。とても満足。いい加減終わるか。
ここまでもし読んだ方がいたらお疲れ様でした。
田んぼの間を走って県道に出て、古びたスーパーの駐車場を横切り高校周辺の路地に入る。
ランニングしている野球部員がふざけて追っかけてきて、少し気持ちがほぐれた。まだ自分も高校生ぐらいに見えるだろうか。
駅の裏に自転車を止めて、地下道を通る。貧乏そうな老人が一人横切り、私の前を歩く女子高生は
とか話してる。
何となく自分が笑われたような気持になって、早足で彼女たちを追い抜いた。
芥川の「河童」を借りた。少女終末旅行に出てきたので物語と何か関係があるのか気になった。
高校。通信の高校に通っていたことがコンプレックスで、実際高校生活ってどんな感じなのかなって思って色々想像したりした。
行きたいなら努力して行ってみれば良いのだけど、自分のやりたいことに対して何も自信が持てなくて、自分が活かされる場所を求めようともしない。
案外不幸になっても平気で生きてしまって、でもある日大切な人から「あなたはそれで満足なんだね」って言われたら
「本当はやりたいことも、欲しいものもあった。でも諦めるしかなかったんだ、こうするしかなかったんだ」
って叫びたくなるのだと思う。
絶望のどん底でやっと楽になったのに「損だ」「得だ」と囃したてられるのが堪らなく苦痛で、
でも決して現状に満足しているわけではなくて、でも何で何もしないのかよく分からない。
「成長」って何なのだろう?
スーパーにも学校帰りの高校生がちらほらいた。しばらく店内を徘徊してアーモンドチョコとナタデココグミを買った。
それほど食べたいとも思わなかったが買っておいたほうが得なのかなと。
帰ってから買ったお菓子を食べたが一度に食べてしまい苦しくなってしまった。
夢に小学生の頃のいじめっ子が出てきた。逃げようとする彼の胸ぐらを掴んで
「これから度々、心の中の後ろめたい気持ちが、後ろ暗い過去が、チクチクと顔を出して、お前を苦しめ離さない」
と言ってやった。
2度寝して起きたのが11時半。
夏といえば、やはりホラーですよね。
でも、私はホラーが苦手。遊園地のお化け屋敷すら無理だし、深夜2時~5時の間は絶対に風呂に入らない。
あ、そういえば「顔を洗ってる時にだるまさんがころんだっていうと後ろに出る」から気をつけろろよ。
そんなホラーが苦手な私が愛してやまない「コワすぎ!」シリーズについて語りたい。
映像制作会社のディレクター・工藤仁(大迫茂生)とアシスタントディレクターの市川美穂(久保山智夏)、そしてカメラマンの田代正嗣(白石晃士)からなる取材スタッフが、視聴者から送られてきた怪奇映像を元に取材を行い、取材を進めるうちにスタッフも怪奇現象に巻き込まれるというストーリー。監督の白石晃士は脚本のほか、撮影をかねてカメラマン役として出演している。
このコワすぎ!シリーズの魅力の一つに「ディレクター・工藤仁」の傍若無人さがある。
ネタバレになるので詳しいことは言えないが
・怪奇現象が起きた時、真っ先に殴りにかかる。
・犯罪行為に安々と手を染め「日本では売れなくても海外では売れる」などと発言する。
・有能霊能師の静止を振り切って怪奇現象と対決する。
最高の人間だ。
続編の「超コワすぎ!」もでているが、彼はただの嫌なやつになっているので、「コワすぎ!」のみに絞り話をする。
このシリーズで最高峰にホラー。未だにこれは自分も苦手。後に非常に活躍するアイテムはこの章で入手する。
ただし、これをみないとコワすぎ!シリーズは始まらない。絶対に見るべき。
この章も非常に大切で、最終話につながる伏線を多く含む。絶対に見るべき。
FILE-02からつながりのある3章。この章も普通にホラーというかパニック物として怖い。
この章はそこまで大切ではないが、FILE-02を見た人なら絶対に見るべき。
霊能力者の存在がこの章から出てくる。コワすぎ!の概念として大切な事実が含まれる。
絶対に見るべき章の一つ。
この章では、後の劇場版につながる大切な要素がいくつもでてくる。白石監督お得意の霊体ミミズもでてくる。
この後の事をかんがえるとこの章を見ないなんて選択肢はない。絶対に見るべき。
シリーズのクライマックス。ホラー描写も多く、謎が謎を呼ぶ展開に君はついてこれるか?
絶対に見るべき。
最終章。まさにシリーズの仕上げ。散りばめられた伏線、謎を回収していく。
ちなみに白石監督の他のホラー「オカルト」を見ているとより一層楽しめる。両方絶対に見るべき。
なんと、ニコニコ生放送で、全シリーズの一挙放送が8/17に予定されている!絶対に見るべき。
絶対に見るべき。
なかなか分かりにくい国会の委員会の開催のルールについて少しご説明します。
これが大前提です。閣法の場合は、政府が提出する法律を、国権の最高機関である国会に審議をお願いすることになります。与党は勿論、野党もそういう位置づけです。なぜかというと憲法第41条で定められている通り、国会が唯一の立法機関だからです。内閣は、国会に頭を下げて審議をお願いしているわけです。そして基本的には過去のどの内閣も、野党にも議論に参加してもらうための努力をしています。なお国権の最高機関という言葉の意味に関しては優先説は美称説で、国民に一番近いという意味で単に名称上そのように読んでいる、というのが多数説だと思われます。統括機関説は現在では多数見解ではないので、別に国会が政府より偉い、という訳ではないとするのが一般的。これは当然に政府、内閣が国会より偉いことも意味しません。
規則上委員会の開催日程を決めるのは委員長です。しかし慣例上委員長は、公平中立にふるまう事とされており、実際は委員の互選によって(実際には議院運営委員会で定められた割振りに応じて各会派が決まった人数を推薦する)選ばれた理事によって構成される理事会が委員会の開催を協議します。ここも慣例上、委員会の開催は、理事会の全会一致によって決められることになります。これはただの慣例ですが、与野党が互いに「貸し借り」をすることで、全会一致の努力をします。たとえば与党は、野党が追及したい総理大臣入りの質疑、野党理事の地元での地方公聴会の開催などの提案をしながら、委員会の開催を打診します。それに対して野党は、参考人招致や証人喚問、集中審議などを要請して、理事の間でお互いの条件を出し合いながら開催を模索することになります。特に大事なのは、与野党の筆頭理事間の交渉です。これはいわゆる取次ですから、お互いの立場を尊重して、お互いのメンツを立てあいながら慎重に交渉が行われます。「森友の事を聞くな」という条件で首相入りをお願いした田村憲久厚生労働委員会の筆頭理事と、柚木道義筆頭理事間の例でいえば、田村さんとしては、お願いベースであっても、首相入りについては譲ったのだからわきまえてほしかった、というような気持ちが出た結果だといえますし、柚木さんとしては「常識的な範囲で行なう」と答えたと報道されていましたが、これはすれ違ったまま拙速に審議入りしたので、お互いの信頼関係が崩れたわけです。いったんこういう状況が起きると、委員会の開催は普通はいったん止まります。お互いの信頼関係が正常化するまで様々な交渉を行う訳です。また今期の中川政務官の不倫や今村復興大臣の失言のような、政務三役の不祥事があった場合も慣例的に、質疑が止まります。政務三役というのは法案を委員会に付託し、法案の審議をお願いしている立場なので、常にその資質が問われている、という理解です。
普通はこういう時は国対委員長同士で交渉が行われます。森友の事を聞いたので強行採決したあの件に関しては、結局国対委員長の竹下亘議員が、謝罪することで、野党のメンツをたて、さらに野党案の審議をするという譲歩を行うことで、審議が再開されました。こういう貸し借り、というのが政治の世界では大事な話になっています。国会対策委員長というのは大事なポストで、各委員会の日程も含め、実質的な国会の運営を決めています。規則的には議院運営員会が担っているのですが、国対委員会という党の機関が「本国」と呼ばれ、議院運営委員会は「出先」と呼ばれるように、本質的には国会対策委員長同士の交渉が一番大事になっています。ちなみに国会対策委員会の基本的な役割のもう一つのものが、議員の派遣です。これはバカみたいな話なんですが、委員会の開催は委員の過半数がいないといけないことになっています。しかし委員を務める国会議員も複数の委員会に出席していたり、その他の政治日程により参加できないこともありますので、その空いたスケジュールに一年生議員を中心とした暇な議員を派遣する役割を担っています。国対委員長の管理が甘いと、頻繁に定足数割れが起きます。今国会はすでに3回ほど定足数割れを見た気がします。委員会審議の際に、野党委員から「定足数は足りていますか」と聞かれることがよくありますが、出席率わりーなーという嫌味なわけです。実際に割れていたら委員会が成立していなかったとみなされますので恥なわけです。話がそれましたが、国対委員長同士でもうまく交渉がまとまらないときは幹事長の出番です。幹事長が出てきても話がまとまらないときに、審議拒否が起こる土壌が生まれるわけです。
ここに裏技があります。慣例を破って、理事会の合意抜きに、公平中立に運営するという与野党の申し合わせを無視して、委員長が開催を宣言することです。これをやると与野党の信頼関係は最低ラインまで落ちます。与党がどうしても通したい、なんとかあと数回の開催をしたい、というときに使われます。ふつうこれを使うと野党はヘソを曲げますので、割と奥の手です。通常でいえば、国対→幹事長まで行く話です。ベジータ戦での3倍界王拳ぐらいには。4倍程ではないと思う。今回の共謀罪法案では、衆参両院の法務委員会では、職権ではない開催は衆院の最初の2回だけです。残りは全て職権で開催されています。これは異常事態です。普通なら審議拒否一直線コースです。
野党が何を求めても与党が反応しないとき、信頼関係は地に落ちているけれども、それでもどうしても法案を通したいとき、与党は委員会質疑を開催し、野党は出席を拒否します。これを「空回し」といいます。何の質疑も行われず時計だけが進んでいくからです。これが狭義の審議拒否です。今期民進党は、参考人招致をしても無視され、資料請求しても無視され、集中審議を要求しても無視され、予算委員会の開催を求めても無視され、委員会は職権で開催され、政府参考人の登録を委員長に行われ、かつてないほど愚弄されているわけですが、それでも出席拒否をしていません。例えば自民党が野党時代に、特例公債法を人質に審議拒否をしたときは、当時の野田政権は空回しをやりました。安倍政権でもTPPや安保法制の時にありました。私は出ても出なくても同じなら、出席拒否して、同メンバーで国会前で演説をする、市民との公開討論会をする、などでもやってみればいいじゃないかと思っているので、別にそのことを褒めるつもりはないのですが、先日の安倍総理のラジオ発言に反発して、「審議拒否も議論の妨害もしていない」と言いたい気持ちはよくわかります。現民進党執行部は審議拒否をしてみても、与党は屁の河童で空回しして来るだろうし、そうした時に読売、産経などを中心に大きく非難されることを恐れているのだろうと思います。しかし無抵抗で審議に出席して、「十分な審議をした」というアリバイ作りに加担しているということも自覚していただきたいし、そういう意味で厳しい目で見ている人もいるとは思いますよ。
保守速報やら痛いニュースやらが「審議拒否」と言っているのは、先決事項である不信任案の採決による休憩、流会、与党側の不祥事に伴う、竹下国対委員長の出した譲歩条件による流会、さらには交渉段階での発言しかありません。このレベルを仮に広義の審議拒否としましょう。今期国会に関しては、そういう意味での広義の審議拒否は与党側の方が多く行っています。野党側は3月からずっと予算委員会での集中審議を求めていますが、与党はほぼ全てを無視をしています。また重要な参考人、昭恵夫人や前川次官などを交えた集中審議も無視しています。さらに質問にまともに答えない、資料を提出しない、和泉補佐官や北村滋明内閣情報官らの政府の高官の参考人要求も理由なく拒否しています。また財政金融委員会も野党が求めているのにもかかわらず、森友学園のことを聞かれるのを嫌って開催が流れ続けています。ここで大事なことは、与党が法案を通すために、審議を要求することと、野党が法案の疑義や政府要人の資質をただすために必要な資料を要求したり、参考人を招致したりしたうえでの審議を要求することの間には本質的な差がないということです。ですから野党の「審議拒否」をあげつらう方々は、ぜひぜひ与党にも「資料を出せ」、「参考人を呼べ」、「集中審議で方をつけろ」とおっしゃっていただければと切に願う次第であります。
私はハゲである。そしてほんまもんのハゲになりつつあり、ハゲではなかった時代がある。
遺伝子的に見ても、どの角度から見ても禿ない要素はない遺伝子である。親父もハゲているし、祖父もハゲている。母方の伯父も叔父も禿ている。ハゲの遺伝子の塊である。
ちなみに書きにくい話だが、我が息子はハゲのサラブレッドである。なにはともあれ30までに結婚することを推奨したい。
こう書いているとハゲであることを克服しているように見えるであろう。でもそうではないのだ。ハゲはじめて8年足らず。まだまだ、自分がハゲていることを乗り越えていない。その証拠にここまで書いていて、けっこう心が痛む自分がいる。ハゲである自分を見つめるのは、小学校の頃に不細工である自分に直面し絶望したそれに近い。
『ハゲであるという事実』は不思議なことに『ハゲててもいいじゃないか』という合理的な思いとは別次元のところにあるようだ。コレによる傷はなかなか癒えない。そして残酷なことに小学校教諭である私は、このハゲである自分と常に対峙させられ、ハゲである自分を十分に活かしきって生きなくてはいけないさだめにある。
たとえば、教卓で漢字ノートの丸つけをしている。すると目の前の比較的親和度の高い女子が真面目に「先生、ハゲを見るのが心苦しいので顔を上げて頂けませんか」という。申し訳なさそうに。だが言葉を知らないストレートな表現で。
たとえば階段。あがっていった先で子どもが待ち構えている。何も言わないがハゲの心は「ハゲで笑われるのではないか」と思う。実際笑われたというオヤジ殿の過去経験を聞いたりする。
高身長の自分は河童ハゲなので、下から見上げられてもハゲが分かりにくい。だが、上から覗かれると無残だ。ギャップも激しい。
そうするとどういう対策を取るか、が重要となる。そう、ここからは「ハゲ教員のハゲ教員によるハゲ教員のための生き方」だ。まさに秘中の秘。大学では教えてくれないハゲの小学校教員の正しい身の処し方だ。
まず方向性として隠すのはよくない。ほんとに隠してはいけない。
子どもたちは思うだろう。
「隠すほどに気にしている、ハゲ程度で。大人のくせに。頼りないハゲだ」と。
これは教員として致命的である。『お前ら禿たことないくせにハゲの苦しみが分かるのか!隠せるものなら隠したいのは人の情!』そう言いたい、叫びたい気持ちをグッとこらえて、あえてさらけ出していこう。ハゲを。しょうがないのである。ハゲだから。心にグサグサくるけれどあえて戦う。なぜならハゲは性癖でも性格でもなく、単なる身体的な特徴だからだ。結構な数の男がなるものだからだ。隠してはならぬ。
教員として、その姿は見せねばならぬ。
次。
その上で叫ぼう。
「先生は自分がハゲているという事実に傷ついている」と。「なぜだか分からぬがハゲるということは結構心にくるものだ、君らに分からないかもしれない。先生にも分からない。子どもの頃に自分が特別ではないと感じたあの時のような、あの絶望感にも似たものを今、先生は現在進行形で味わっているのだ」と。人間として当たり前の情が先生にもあるのだ。こうして傷つきながらも先生はそれを隠さない。その姿勢を感じて欲しい!!との心意気で。
子どもたちはドッカンドッカン笑いながらも「ん?もしかして本当に傷ついているのかな?」と思い始める。
ここからはハゲを積極的に前に押し出していき、ガンガンハゲネタで攻めていく。理科の光の実験のときは「先生は鏡なくても大丈夫」とか、暑い日差しのときは「先生は帽子被らないとハゲが日焼けして皮がめくれるんだよね」とか、テストの時間にシーンとした中で「ペチンペチン」と頭を叩いてリズムをとってみたりする。
ポイントはその度に酷く落ち込んで見せることだ。「またハゲをネタにしてしまった」と。たまに学級通信で「ハゲをネタにしているけれど、言いながら結構傷ついているんだ」とかサラッと書いておく。
そのうち子どもがきっと言う。「先生ははげー」と。たぶんかまって欲しくて寂しくて何とかこっちを見て欲しい、そんな子が言う。たぶんあんまり能力がない、コミュ能力も含めて。
そういう時は「そうだね。とっても傷ついたよ。○○君が先生を傷つけようとした気持ちはちゃんと受け止めたよ。うん痛かった。」と悲しい目をして伝えてあげよう。怒ったりしてはいけない。淡々と。静かに。理由はハゲを隠さない理由と一緒。
たぶん、二度としてこない。もし繰り返したときは周りの子が止めはじめる。
ネットで調べていたら「ハゲ」と「チビ」は同じ漢字が当てられるらしい。「禿げ・禿び」である。そんなネタを見ていたら、ついうっかりハゲを自撮りしてしまった。
森の中だった。スコップで腐臭のする死体を穴に埋めていた。死体は少なくとも2つあった。まだ肉が残っており、腐臭を放っている。顔をしかめながら土を被せ続けた。
並走していた旅客機が、浮力を失って黒煙をたなびかせながら墜落していった。追っていた数機の飛行機もまた謎の墜落を遂げた。
通信機器の異常があった。そのロットで製造された通信機器全てがダメだった。私たち歩兵は混乱した。しかし、作戦の進行はもはや止めることができない。
そう思うや否や味方の戦闘機から榴弾を食らった。敵もろとも掃討されることになったらしかった。
狐の嫁入りの参列した。そこでは、河童の肉の刺身が振る舞われた。人間が食べて良いものと悪いものがあるらしく、河童の刺身は食べることができた。