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五輪関連イベント、雨の中「手話通訳」続ける女性に報道陣からも心配の声 - モデルプレス
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mdpr.jp/news/detail/2665631
ブコメがことごとくズレているような気がしたので自分なりにまとめる。
https://www.youtube.com/watch?v=JYQS1w9C4iI
このイベントは東京都のオリンピック・パラリンピック準備局が主催したものなのだろうか?(モデルプレスの記事だとそれすらもわからない。僕は詳しいことを調べる気力はない)
動画を見るとそんなに「痛々しい」と言うほどではない。だが、実際に見たら痛々しいのかもしれない。スタッフやカメラマンでもレインコートを着ていない人も多いけど。うーん・・・。
モデルプレスによると手話通訳は「中継用」という事になる。そうなると、映像の写りが一番大切なのだろう。
立ち位置が問題になってるわけで、通常手話通訳の立ち位置はこんなものなのかという事が気になり、ググって手話通訳者のブログを読んでみた。すると、「司会の横にいる」という位置取りは良い場所と書いてあった。基本的な場所なのだろう。なんだって基本が一番。基本は良いものだ。
① 司会者の横を手話通訳の定位置と定め、ここに照明が準備されて、手話通訳者が常にここに入る方法。これは、司会者の横で通訳をすることになるので、全体の進行がわかりやすい良い場所の一つになります。
まず、常時傘の下にいるというのは難しそうだ。
ブコメでもあるように、手話通訳者は黒やネイビーの服を来て手話を見やすくする人もいるぐらいで、傘という要素が入るとなお複雑になる。身体の動きの邪魔にもなるだろう。
(ちなみに、NHKの手話ニュースを見てみたが明るい服装の手話通訳もいるようだ。手話通訳=暗いというイメージを払拭するためかもしれない)
では、出番があるまで傘に入り、出番が来たら傘から出るというのはどうか。
だが、手話通訳さんや司会者さんの出番は多いし、誰かに傘を持ってもらっていちいち出入りするのは大変そうだ。
しかも前述したとおり、カメラマンも他のスタッフもレインコートを着ていない人が多い程度の雨なので・・・、判断は難しい。
コロナ対策的によくない。見てわかるようにテントは狭いので二人を入れると密になる。
さらに、司会者さんは話すことが多いため、当然飛沫も飛ぶ。コロナ対策的にソーシャルディスタンスをとった方がよい。
となると、判断が難しい。むしろ、狭い中でやってたら「こんな時に密でなにやってんの」と叩かれていたのでは・・・?。
最初に話した通り、手話通訳さんの立ち位置には技術上の制限がある。
そういえば、昨年の首相会見時、首相から手話通訳さんを離していた事が批判されていたな。
逆に、東京都はすぐさま改善し、都知事会見でもすぐ隣に手話通訳さんを配置をするよう改善していた。
これまで見てきた問題も舞台にテントが2つあれば解決だ。手話通訳さんも入ることができる。
だが、ここでも問題が発生する。
・カメラの構図が変わるので考え直さないといけない(余分なものが映るかもしれない)
・背後の「OLYMPIC TORCH RELAY」が隠れる(文字情報が隠れるのは大きい)
ここで司会者さんと手話通訳さんが「なーに、これぐらいの雨ぐらい打たれますよ」と言ったらどうする?うーん・・・
正直、今出てる情報だけでは事情がわかんなくね・・・?と思うんだが。
どうしてモデルプレスの記事の少ない情報だけで、ブクマカたちは躊躇なくハンマーを振り下ろせるのだろうか。僕にはまったく理解ができない。ぶっちゃけ、イベント運営もナメてるし映像中継もナメてるし手話通訳もナメて(ry
しかも「手話通訳だけじゃなく司会者の人も気にしろ」みたいな明後日の方向で盛り上がってるし・・・。
ソース動画の24:45あたりから27:21まで小池百合子都知事がスピーチをしている。
テントは密ではないため、その中に入って小池都知事の横で通訳をしてもおかしくない場面であるにも関わらず、手話通訳さんはテントの外にいる。
これはちょっと謎なんだよなあ。ぶっちゃけ小池氏をクローズアップで抜きたいからじゃないのぉ?って邪推しちゃう。クローズアップになると当然通訳は映らなくなるのでワイプで映さなければいけない、だが近くにいてワイプで映すのは変。整合性をとるためにテントの外に配置した、ぐらいしか理由が思い当たらない・・・。まあ、でもなんか技術的な事情があるのかもしれないですね。ないのかもしれないけど・・・。
なおこの「言い方悪いけど」は上司の口癖で、これさえ前置きに使えばそのあとの発言は全て許されると思っている。
上司は社内トラブル対応をするのだが、トラブルを起こしたのが外国人だと急に呼び捨てにする。
冗談のつもりなのだろうか。意味がわからない。言い方悪いけど死ねばいいのにと思う。
上司は女性に対して「言い方悪いけど仕事ができない」と堂々と言う。私は女なので普通に不愉快で、一度意を決して指摘した。「これは統計や事実に基づいた区別であって差別だと思われるのは心外だ、上司にそんな口をきくな」とクソ不機嫌になられた。ゴミかよ。言い方悪いけど。
文脈を知らねーが、上司が電話口で「言い方悪いけど障害者ですか?」と言っているのが聞こえた。
テメーの自己紹介か?
百歩譲ってその質問に正当性があるとしよう。せめて「悪いけど」と思ってる声色で話せよ。詰問口調で言う言葉じゃねーんだよ。せめて「何かご病気をお持ちだったり…」とか、気をつかった喋り方はできねーのかよ。該当の方が例え本当に障害をお持ちの方だったとしても、その聞き方はマジでゴミ人間だよお前。死ね。死んでくれ。こう言っちゃ悪いけど死ね。本当に心の底から見損なった。
他にもいろいろ思うところがある。
新入社員のことすぐ「難しいと思う」と成長させる気がないような評価を下すくせに、自分の評価してる人間が評価されないと「なぜそんなことを言うんだ、努力を認めないのか、おこがましい」などと言う。お前鏡見たことある?
部下を叱ってるときに「叱ってるわけじゃないよ」「凹まないで」と言う。気遣いに見せかけた自己愛連射だ。これで自分を優しいと思ってるんだから救えない。
人の趣味に口を出し、自分がいかに情報に金をかけてるかを語る。その情報を聞いてもいないのに数時間単位で語ってきて(勿論勤務時間内だ)、「これ本当は○○円の価値がある情報だから」と言ってくる。
テメーのせいで滞った業務を片付ける時間分赤字ですけど?何言ってんの?話長えんだよ。
もう本当に嫌いだ。大っ嫌いだ。クソ上司としか周囲に紹介できない。
それでも別に尊敬する部分が全くないわけじゃなかったんだよ。でもそれにあぐらかきすぎだよ。ふざけんなよ。舐めんな。
上司は恐らく寂しいのだと思う。
一人暮らしで奥さんもおらず、その割に人と話すのが大好きだ。自分の得た知識を披露したくて仕方がない人だ。容量よく話をまとめる方法を知らないから、1から100まで全部しゃべる。それを聞いてくれる友達はみんな結婚したり転職したりで、今は相手がいないのだという。だから業務中にしゃべる。とても楽しそうにしゃべる。でも私は仕事をしにきているのであって、上司の話を聞きにきてるわけじゃない。
それでも頑張って話聞いてきたけど、ここのところ本当に口が悪い。聞いていて辛い。しんどい。ストレスが尋常じゃない。おまけに話が長い。つらい。つらい。
本人は差別的な発言をしてるつもりじゃないんだろうけど、私には耐えられない。
わざわざ日本に来てまでうちの会社で働いてくれる外国の方になんで敬意を持ってくれないの。
もう本当に付き合い切れない。
死んでほしい。
でも、「最近口悪いですよ」とは言えない。
上司は友達がいないし味方がいない。なんと私が恐らく部署で一番気を許している相手だ。コンビとさえ思われている。前は「苦手な上司だけど信頼してもらえるのはありがたいし、期待に応えられるように頑張ろう」と思ってたけど、今回ので完全に情が切れた。
もう知らないよあんたなんか。
私に心閉ざされたことも知らず、いつもみたいに接しては「冷たいなあ」と凹んでろよ。指摘なんかしてやらねーよ。絶対論破しようとしてくるの目に見えてるから。だるい。てめーにそこまで時間と感情割いてらんない。せめて長文で愚痴打つのでせいいっぱいだ。わかりあいたいなんて思えない。無理。
口の悪い対応は誰にもしない。
でも心の底ではお前を嫌悪しているし見下してるし、死ねと思いながら接してるよ。
あーあ、世の中やってらんねー
なおこの「言い方悪いけど」は上司の口癖で、これさえ前置きに使えばそのあとの発言は全て許されると思っている。
上司は社内トラブル対応をするのだが、トラブルを起こしたのが外国人だと急に呼び捨てにする。
冗談のつもりなのだろうか。意味がわからない。言い方悪いけど死ねばいいのにと思う。
上司は女性に対して「言い方悪いけど仕事ができない」と堂々と言う。私は女なので普通に不愉快で、一度意を決して指摘した。「これは統計や事実に基づいた区別であって差別だと思われるのは心外だ、上司にそんな口をきくな」とクソ不機嫌になられた。ゴミかよ。言い方悪いけど。
文脈を知らねーが、上司が電話口で「言い方悪いけど障害者ですか?」と言っているのが聞こえた。
テメーの自己紹介か?
百歩譲ってその質問に正当性があるとしよう。せめて「悪いけど」と思ってる声色で話せよ。詰問口調で言う言葉じゃねーんだよ。せめて「何かご病気をお持ちだったり…」とか、気をつかった喋り方はできねーのかよ。該当の方が例え本当に障害をお持ちの方だったとしても、その聞き方はマジでゴミ人間だよお前。死ね。死んでくれ。こう言っちゃ悪いけど死ね。本当に心の底から見損なった。
他にもいろいろ思うところがある。
新入社員のことすぐ「難しいと思う」と成長させる気がないような評価を下すくせに、自分の評価してる人間が評価されないと「なぜそんなことを言うんだ、努力を認めないのか、おこがましい」などと言う。お前鏡見たことある?
部下を叱ってるときに「叱ってるわけじゃないよ」「凹まないで」と言う。気遣いに見せかけた自己愛連射だ。これで自分を優しいと思ってるんだから救えない。
人の趣味に口を出し、自分がいかに情報に金をかけてるかを語る。その情報を聞いてもいないのに数時間単位で語ってきて(勿論勤務時間内だ)、「これ本当は○○円の価値がある情報だから」と言ってくる。
テメーのせいで滞った業務を片付ける時間分赤字ですけど?何言ってんの?話長えんだよ。
もう本当に嫌いだ。大っ嫌いだ。クソ上司としか周囲に紹介できない。
それでも別に尊敬する部分が全くないわけじゃなかったんだよ。でもそれにあぐらかきすぎだよ。ふざけんなよ。舐めんな。
上司は恐らく寂しいのだと思う。
一人暮らしで奥さんもおらず、その割に人と話すのが大好きだ。自分の得た知識を披露したくて仕方がない人だ。容量よく話をまとめる方法を知らないから、1から100まで全部しゃべる。それを聞いてくれる友達はみんな結婚したり転職したりで、今は相手がいないのだという。だから業務中にしゃべる。とても楽しそうにしゃべる。でも私は仕事をしにきているのであって、上司の話を聞きにきてるわけじゃない。
それでも頑張って話聞いてきたけど、ここのところ本当に口が悪い。聞いていて辛い。しんどい。ストレスが尋常じゃない。おまけに話が長い。つらい。つらい。
本人は差別的な発言をしてるつもりじゃないんだろうけど、私には耐えられない。
わざわざ日本に来てまでうちの会社で働いてくれる外国の方になんで敬意を持ってくれないの。
もう本当に付き合い切れない。
死んでほしい。
でも、「最近口悪いですよ」とは言えない。
上司は友達がいないし味方がいない。なんと私が恐らく部署で一番気を許している相手だ。コンビとさえ思われている。前は「苦手な上司だけど信頼してもらえるのはありがたいし、期待に応えられるように頑張ろう」と思ってたけど、今回ので完全に情が切れた。
もう知らないよあんたなんか。
私に心閉ざされたことも知らず、いつもみたいに接しては「冷たいなあ」と凹んでろよ。指摘なんかしてやらねーよ。絶対論破しようとしてくるの目に見えてるから。だるい。てめーにそこまで時間と感情割いてらんない。せめて長文で愚痴打つのでせいいっぱいだ。わかりあいたいなんて思えない。無理。
口の悪い対応は誰にもしない。
でも心の底ではお前を嫌悪しているし見下してるし、死ねと思いながら接してるよ。
あーあ、世の中やってらんねー
飯を食いながら眺めていたら、途中で泣いている自分に気がついた。
彼らの年頃だった自分を思い出していた。
踊っているうちの一人に何故かその頃の自分が重なって見えたのだ。
もちろん彼らのようなアイドル性もないし、ダンスだってうまくない。
垢抜けた見た目どころか、ひと目を避けるように暮らしているくらいには陰気な生活だった。
もう25年以上前の話だ。
自分が周りと違うと強烈に理解したのは、小学校5年生のときだ。
それまで親友だと思っていた友達と喧嘩したときに、「韓国に帰れ」と言われた。
こいつは何を言っているんだろう。帰れとはどういう意味なのか。自分はここで生まれてここで育った。なぜここにいてはいけないのだろうか。
もちろん韓国にも帰るような場所はないし、在日が一部の韓国人からキョッポと言われてバカにされていることも知っていた。
考えても考えても意味が理解できず、しかし、今まで垣根なんてないと思っていた親友から、底の見えないような深さで線が引かれていたことだけは理解できた。
それから自分が韓国人であることを、知人に教えることはなくなった。
中学校に上がって、同じく在日の同級生が早々にいじめに合うようになった。
自分は隠し通していたのでいじめられることはなかったが、でもいじめを止めるようなこともできなかった。
ある日親戚のお通夜でいじめられている同級生とばたりと出くわしたことがある。
なくなった人を通じて、遠い親戚だったようだ。
相手は信じられないと言った顔をしてこちらを見ただけで、一言も会話はなかった。
それからは学校で彼の顔をまともに見られなくなってしまった。いじめは卒業まで続いた。
皆が進路の話をし始めた頃、自分は漠然と高卒で働きに出るのだと考えていた。
一度兄に進学の相談をしたら間髪入れずに返ってきた言葉は、「俺らが就職できる日本の企業なんてない」という言葉だった。
パチンコで財産を築き上げたいとこだけが、有名大学に通っていた。
法事で親族が集まるとやれ同胞が暴力事件に巻き込まれただの、やれあいつが際どい仕事でどれくらい稼いだだのそんな話ばかりだった。
彼らは居場所がないなりに居場所を作ろうと必死になっている。しかし、その必死さが返って居場所を奪われる原因にもなっているのだろうと思いながら眺めていた。
そして、これから自分が生きていく世界にも、居場所なんてないのだろうと漠然と考えていた。
高校に進学はできたが、放課後はすべての時間を家の仕事の手伝いで消費した。
手伝いが終わって帰るのは日付が変わる頃で、何度学校に遅刻しても両親は何も言わなかった。
当然大学に進学できる学力はなかった。勤怠不良に加えて沢山の赤点があっても卒業できたのは、教師のお情けであるのか、お荷物を手放したかっただけなのか知る由もない。
ただ、目立ちたくないという気持ちだけで生活していたので、問題と言えるようなことは一切起こさなかった。
仲の良い友だちがいなかったわけでもないが、いつもとても大事なことを隠している後ろめたさがあったので、問題を起こさなかった代わりに関係を深められるような相手もいなかった。
小中高含めて、卒業してから同窓会というものに参加したこともなかった。表面上の案内以外の誘いが来るようなことも、当然なかった。
ただ自分が在日韓国人の家庭に生まれたということだけで、常に後ろめたさと一緒に生きるしかなかった。
何かで人に知られれば、いつ平穏が失われるかびくびくしながら10代を過ごした。
目立つことなんてもってのほかで、何かに打ち込むようなこともなかった。
そもそも放課後はすべて家の仕事で費やして、一日500円程度もらえる小遣いを休日に一人でゲーセンで浪費する生活だった。
唯一ゲーセン仲間とだけは、あだ名で呼び合うことで身元を明かさないで済む気軽さがあった。
もちろん通り名で生活しているので、名前くらいで本籍がバレることもないが。
ゲーセンの、ゲームの腕前だけが評価されるその場限りの関係が、自分にはとても心地よかった。
テレビの中で踊るBTSの一人が、妙に当時の自分と重なって見えた。
もちろん、何もかもが違いすぎるほどに違う。そもそも彼らは在日ではない。
ただ、少し癖のある髪型や、目元やちょっとしたときの表情が少しだけ重なって見えたのだ。
いや、恐れずに言うなら、当時の自分が化粧して同じ衣装を着たなら、見た目だけで言えば割と似ているかもしれない。
そう思えると、まるでそのメンバーが、もしもの世界を生きている自分のように思えてしまった。
どこかで間違えれば、自分にもこんな光り輝くような人生があったのだろうか。
あのとき、いじめを恐れずに在日であることを公表して、通り名ではなくて本名で生活していたらもっと自由に生きることができたのだろうか。
今となっては何もかもが遅く、しかし、今の日本で、韓国の若者たちがこうして受け入れられている現実が、自分は何もしてこなかったにも関わらず、少しうれしく思えた。
悲しかった。嬉しかった。言いようのない気持ちが心から湧いて出た。
澄んだ涙とどす黒い涙が決して混ざることなく同時に流れ出したような気がした。
家の仕事は全てなくなり、住んでいるところを追い出された。
すでに家庭を築いていた兄弟から支援を受けつつ、両親と狭いアパートで過ごした。
それからフリーターから肉体労働から、高卒でもある程度稼げる仕事を転々として、今の会社に拾ってもらえた。
職種は伏せるが、当時は底辺と言われた業種ながら、健全化が進み今では一つの市場として認められている業種にいる。
色々あったが、ここまで帰化する必要のない人生を歩んでこれた。
韓国人であることに誇りなんてないが、日本人になる必要もなく生きてきた。ただそれだけのことだ。
自分が生きていた頃に比べれば随分と選択肢は増えているだろう。
当然今までも韓流ブームはあった。
しかし、今までと違うのは、メディアが作り出そうとしている中高年向けのブームではなく、若者が主体となって作り出された、メディア後追いのブームだという点だ。
これからの世界を作り出していく若者たちに韓国人が受け入れられているという現実に、今までにない、どこか安心感にも似た嬉しさがある。
「プロセカ勢はマジミラに来るな」って主張する古参ボカロファンと
そんな意見を批判する古参ファンの意見の衝突が起きてたのを側から見てた。
「入口はなんであれボカロファンに違いはないんだから受け入れろ」
実際問題、プロセカを入口として新しいボカロファンは増えたんだろうと思う。
何から入ったにせよ、初音ミク始めボカロファンであることに違いないなら
積極的にマジミラや、その他イベントにも参加すればいいと思う。
というか界隈の盛り上がりのためにもしてほしいと思う。
ただ「プロセカ勢のマジミラへの参加を否定する古参ファン」の批判ではなく、
「プロセカをやってない古参ファン/プロセカを受け入れられない古参ファン」まで批判するのは
どうなんだろうなぁと一連のツイートを見ていて思った。
当人も呟いていたが、初音ミクやボカロには様々な愛し方がある。
故にプロセカから入って初音ミクを好きになりました!という人も、
プロセカはやってない/苦手だけど初音ミクが昔から好きです!という人も
いろいろな形の「好き」があって然るべきだと思うし、その好きの気持ちに差をつけることはできない。
恐らく「プロセカをやってないor受け入れられない古参ファン」を叩いてた人も、
あくまで「プロセカをやってないor受け入れられないだけでなく、プロセカから入ってきた新規を批判する古参ファン」を叩いてたんだろうとは思う。それは正直批判したくなる気持ちはわかる。
実際、一方的に新規批判・プロセカ批判をするだけの声の大きい古参ファンは害悪だとは思う。
ただ、多くの「プロセカはやらないけど自分なりの愛し方でボカロを応援してます」という人たちは、
一連のツイートをそんな風には見てくれない。
「プロセカをやってないor受け入れられない」こと自体を批判されてると思うだろう。
一応一連のツイートで「あくまでプロセカ勢を批判する古参ファン」と書かれてはいるが、
断片的に一部のツイートを見た人には伝わらないだろう。
これには些か問題がある。
この主張だって「初音ミクには様々な愛し方がある」と言うのであれば、矛盾してることになる。
もちろん「自分の考える初音ミクと違う」からやらない、という人もいるだろうし、
音ゲーが苦手だからやらない、やってみたけど肌に合わなかった、飽きた等理由は色々だろうに。
本来なら「プロセカやそれらの新規ファンを批判する古参」はダメだ、という主張だったはずなのに、
このような言い方をしてしまっては「プロセカも受け入れられるファンこそ真のボカロファン!受け入れられない奴らはそれより下!俺はすごい!」とマウントを取ってるようにしか見えない。
これでは、プロセカが苦手な層はさらにプロセカに嫌悪感を抱いてしまうし、
今までそうでなかった人にまで「プロセカ推してる層苦手だわ…」と思わせてしまう恐れがある。
1人の大きい声が界隈一括りとして見られるなんて珍しいことでもない。
それ以外の言葉が強すぎて良さが伝わってこないどころか悪い印象を与えてしまってる。
(少なくとも自分は悪い印象を受けた。)
一度自分のツイートを冷静に見返して問題がなかったか改めた方がいいと思う。
「まだボカロはプロセカの範囲でしかわからないけど、でもボカロを好きになりました!楽しんでます!」も、
「古参ファンだけどプロセカ楽しんでるよ!もちろん楽曲もいっぱい聴いてるよ!」も、
「プロセカは苦手だからやらないけど新曲は追ってるしボカロが好きだよ!」も、
「プロセカはやらないし楽曲も好きなものだけを聴いてるけど、ずっとボカロが好きだよ!」も、
どれが正しくてどれが間違ってるなんてないし、優劣なんてないんじゃないだろうか。
そんな風に個々の楽しみ方ができるし許されるのが初音ミクやボカロの魅力の一つだと個人的には思うが…
ボカロ古参ファンというならこの辺りを肌で感じてそうな気もするが…“初音ミクを好きならプロセカをやれ”なんて意見が出るのかと少し不思議だった。いやこれも決め付けか。すいません。
余談だが、この主張をしてる人はやたらと「KAITOやMEIKO(とルカ)界隈はプロセカのおかげで盛り上がった!プロセカのおかげで曲やイラストが増えた!」と言ってるが、本当にKAITO、MEIKO、ルカ界隈を追って見ててそう言ってるのだろうか。
確かにイラストはプロセカのファンアートとして増えた気はするしいいことだと思うが、
楽曲はプロセカへの書き下ろしのことを言ってる?書き下ろしが来たことで投稿数が再生数がと言ってる?
本当にニコニコ動画やyoutubeで日々彼らの新曲をチェックしてて増えてる!と言ってるなら申し訳ないが…
どうにも新しい曲がどんどん投稿されています!というようには思えないな。
マジミラで数曲できるようになったのも〜と言ってるが、
現状ではあくまでアニバーサリーだから、というところで数曲披露しているだけで、
一通りにアニバーサリーが終わった後のマジミラで演奏曲数が増えたらそうなのかもしれないけどね。
とにもかくにも、
趣味は人間観察という渋谷の1回の青信号の時に一気に50万人が横断するでお馴染みのスクランブル交差点に何人かいそうな趣味でさ
例えば!
連絡先を交換した人とこれから先なにをすればいいの?
何を連絡するの?って思うのよ。
やれば出来るんですよ、やれば。
ほれ!っていって、
人差し指と中指で挟んだ名刺をしゅっと投げてきゅうりを真っ二つにするワザは出し惜しみしているって言う話しだし
カード投げの名手と言えば
ビー玉のお京ならぬカード投げの瞳と言えば、
詳しくは割愛したいところ。
ハインツのトマト缶を見るとあの画家の名前を思い出してやまないし大和撫子でもあるわ。
て言うかもうキャッツって言ってるじゃない!
そのキャッツの娘のハインツが投げるキャッツカードとハインツのトマト缶どっちが勝つと思う?
でね、
カーンって音が鳴る缶だけにって。
お後がよろしいようで!
てけてんてけてん
てけてんてけてん
いやいやまだまだここで終わるわけにはいかないの。
キャッツ缶にはキャッツカードが投げても刺さらないのは承知の事実で、
ツナ缶をパカッと開けた瞬間
餌か!?って条件反射するモンプチプレミアムを彷彿をさせるはごろもフーズの缶の開けるときのサウンドは
猫ちゃんも騙せるほどの
通称分けて聞こえると久保田とシノブって2人いることになってはいない
あの缶のパカっってなる開けっぷりの音は猫をも騙せると言えば問答無用で
香り箱の最高級のカニかまぼこを今年の夏のお中元にはお世話になった人に贈りたいと思うの。
夏の元気なご挨拶!ってね。
人差し指の先を少しなめて高く空につきだして掲げると
そうゴルフの「マスターズ」で優勝してくれたグリーンジャケットを持っているダスティン・ジョンソンさんに教えてもらったの。
うとうと、うとうと
いけない!ついうとうとしていたわ。
寝ちゃうところだった!
え?なにこの緑のジャケット?
ふすまの向こうでコタツに入りながらどん兵衛をすすっていたわ。
もうここは大黒摩季さんか小比類巻かほるさんのどちらでもいいの。
問題はそんなんじゃないの。
もう愛よ消えないでもう!うふん!って。
そこで目が覚めたの、
緑のジャケットも掛かっていなかったし
あれは夢だったんだなって。
こたつの上のどん兵衛もまだ蓋が閉まったままで調理する前の状態。
さて、
どん兵衛でも食べるか。
ヤカンに水を入れてお湯を沸かそう、
ことことこと、
なかなか沸かないわね。
テファール欲しいわテファール!
秒で沸くやつ。
そこでまたはたと目が覚めたの!
夢の中で夢を見ていて、
その夢が覚めないと夢の中に閉じ込められているから独楽を回して独楽がずっと回っていたらそれが夢の中だ!って確かめるの。
くるくると回りかけると思ったら、
ひっくり返って軸の方を下にして回る
これも夢かもねって。
もうなんだっていいわ、どちらでもいいし
ここはメトロポリタン美術館の大貫妙子さんでないことは確かなんだし
きっとあそこのメトロポリタン美術館の食堂の
メトロナポリタンって駄洒落みたいなスパゲッティのメニューが一番人気とかまた笑ってしまうわ。
そんなことを話していたら、
ラ王が出たときあまりの美味さから全国のラーメン屋さんが潰れちゃうんじゃないかって心配していたって話を
今や本当にどうでもいいことのようだわ。
そう言っている間にお湯が沸いたから
どん兵衛作って食べるわね!
うふふ。
お昼出れっか分かんないので、
非常食として梅おにぎりも常備しておいているのでだいじょびです。
ひんまなときは暇なんだけど
まあ忙しいことは有り難いことでもあるわね。
2日か3日ぐらいはそれ飲んでもつんだけど
大量に作る麦茶はやっぱり大量に作らないと美味しくないような気がするわ。
だんだんと暑くなってきたので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最初は教則本とかに習うわけで、正解があることのように思えますが、
ずっとやってると正解なんてないことに気付くわけです。
教則本は大量にあるし、PixivとかTwitterにも人体はこう描け、骨格や筋肉を意識しろ、
単純に売れてるとか、多くの他人を感動させてる絵がそんなに凄い絵ばかりか?
というとそんなことはないわけです。
でも、一本線を引いては、これはなんか違うな、と思ってアンドゥ、リドゥを繰り返していたら、
だから、なんかよく分からんけど、多分これが今の自分のフィーリングに正しいからいいや、と思って、
えいや!と線を引いていくしかない、
ガンガン線を引いて、線を一本一本除去する勇気がなければ練り消しでぼかして消してみるとか、
そんな感じで、なんとなく、で進めていくしかない、
というのが絵を描いているときにいつも思うことの一つです。
楽器も同じです。
別に完コピしなくても、速弾きしなくても、大まかにフレーズを掴んで弾くとかでもいい、
というか、プロの人でもコンサートやライブで全曲完全に弾くのは疲れるとか、
そこは適当にアドリブで弾いたり、疲れたから手を抜くぜー、みたいな弾き方があるわけで、
要はコード進行とかから外れなければどう弾いてもいいわけです。
多分、人生も同じです。
間違って外れた音を弾いてしまっても後悔しても仕方がないので考えない。
社会学は哲学と同じ善だの悪だのバイナリゲームのお遊戯の一種なのでいいかげん学問になるかお遊びのままでいるか進む方向を選ぶべき
学び問う、問えるだけの情報整理と定義とそのための集積、それらと分け隔てなく接し理解するための時間を費やす学び、それらを合わせて学問
学問によって定義ができる情報群ができたとき、その情報を応用できる手段にしたものが論
多くの意見や情報や視野を集める学びを会す場をつくることが学会でそれを基軸に題名をつけるなら学、何々学
あつまりもしてないし意見も聞かないし問うに情報が整理されていない、ただ罵倒するためだけにつけた蔑称で独自の定義を披露する社会学はそれらのどれにも少しもあてはまらない
学問という文字から大きくそれた「社会学」なんてものはもう言葉遊び
西暦何年~何年までとする それ以外は「社会学以外からの引用や参照や比喩」として理解できる 逆に範囲内に言及する場合は学会の方針に沿う
実在した人物や組織の名前をそのまま使い、個人的な評価をその名前を付け合せて妙な名前を都度生成しない
結果や行動について集積、分類するために評価基準を定義する 大虐殺なら評価基準は人数なのか方法なのか効率なのか等 それにより救われた人数や伸びた産業はどう評価するか等
・共有する
これが一番問題なのだろうけど、定義基準ができたとしてそれを利用できなければ意味がない
現在の社会学は他の社会学者が歌ったポエムにアンサーポエムを返したりしているだけ
社会学が学問として学が成り立ったとしたら次のような表現方法ができるはず
「ナチス」という一時期に存在した集団がとった行動の評価は「100(例として作った数字なので意味はない)」
これはAの時代のBという状態にあったCという組織や、同系統の例を定義上の要素で評価採点した方法による D論 の評価
のようになるべき
善だった悪だった悪だが民衆に好かれた、当時の価値観としては善だったが、などただの時系列を無視した正確性を欠くジャーナリズムでしかない
正確性も欠いているし時系列も現在とのつながりが話題性以外になく、善とか悪とかの価値観に巻き込まれた関係者の人数分布や思想の強度を行動や現象で数字化して比較するわけでもなく個人が判断しただけ等となると愚の骨頂
事実、現時点において何らかの問題を解決するのに歴史的な事象や統計にある手段を用いようとしたところで社会学のなにが方法としてだせるのか
「全員強制参加の隠し芸大会はパワハラの一種であり、法律によって禁止されるべき文化だ」
日本が高度に経済で成長しているとまだ信じていた頃、私は小学校に通っていた。
そして私がいわゆる高学年の頃、教師はやや熱血漢で、今で言う陽キャであり、小学生は誰もが陽キャだと信じている人だった。
ある日彼は
「お楽しみ会をやろう。皆が1回ずつ芸をやるんだ」
と口にした。
『うぜ~~。クソデカ宿題をノータイムで投げつけてきたぞアイツ』
となっていた。
その雰囲気を肌で感じとるうちに私はこう思ったのだ。
『どうせ皆やってこないから何も用意せんでも皆で怒られればええやろ』
と。
そして本番が始まった。
・小芝居
・組体操
・一輪車
・クイズ
・モノマネ
などの芸を次々と披露していく。
『さすがにそろそろ誰も出てこなくなるだろ』
と信じながら、残り人数が減るにつれて冷や汗がたれてきた。
『なぜあの陰キャまで……つうかアイツらの一輪車って隠し芸でもなんでもないがありなのか?つうかバク転って……毎日やってるがいいのか?』
そうして最後に3人が残り、吊し上げが始まった。
「Aくんがまだ残ってるよね?」
「Bくんもいるよ順番を早く決めなよ」
「Cくんやった?」
何かを察した教師はその3人を中央に立たせ、淡々とこう告げた。
「緊張しちゃってるんだな。じゃあ次のクラス会のときにやってくれればいいから」
私のクラスは週1でクラス会と言う名の中規模なホームルームがあり、遠足の班を決めたり学級裁判をしていたのだ。
これが意味する所は、
『これから毎週お前達が芸をするかしないかを追求していくからな』
である。
「じゃあ、A・B・Cは芸をやってくれるかな?」
なるほどね。
それぞれが10:1の不利なメンチ戦を仕掛けられたじろぐ中で、Aが手を上げ、そっと前に出てくる。
教壇に向かって歩み出てて、お互い無言で教師と場所を入れ替わる。
見えない……。
とはいえなんだかんだ手品っぽいことが行われているので、彼の雰囲気をクラスが察し身振り手振りに合わせて声が上がる。
元々緊張しいのAは最後にはプルプルとなりながらも手品を終え、無言で自分の席に歩みだす。
そして、私達2人に向けて注がれる視線を、3分間下を向いて耐え続けると。
「じゃあ次のクラス会でやってくれよな。次の議題は」
一週間ごとの晒し上げタイムが定番となったまま冬休みへと突入していった。
もはやクラスの全員は我々2人をある種のレジタンスとして認定し、教師はその状況に対して淡々と追求をするだけとなっていた。
「じゃあ冬休み中に芸を考えてくれたよな。B。C。」
もちろん、何もない。
私とBは特に仲が良いわけでもなく、遊ぶグループも違うので口裏合わせのようなものは一切なく、ただただお互いが純粋にやるのが面倒くさいから何も用意してきていないだけだった。
『2人で組んでなんかやればいいじゃん?』
という話題が私に振られることもあったし、教師が私達に個別で言ってきたこともあった。
だが2人で組もうがなんだろうが、そもそもやりたい隠し芸がない。
今になって考えれば簡単に「犬と飼い主」や「二人羽織」等の定番コンビ芸を1時間ぐらい練習してさっさとやればいいだけだと思えたろうがとにかくその頃の私達は違ったのだ。
季節は巡っていき、やがて春が来て、私達は卒業していった。
卒業式が終わった後、クラスにそっと集められたとき私はなぜか。
『まさかここで、隠し芸の話はしないよな?』
と思いながら教師の話を聞いていた。
話が頭に入らない。
隠し芸の話をするなと祈ることと、そう祈っていることが察せられないようにするので精一杯で何を言っているのか聞こえなかった。
この話はここで終わる。
ただこんだけの話であるが、あの日3人揃って晒し上げられたときの空気は今でも忘れられない。
ちなみに中学生の頃、私は隠し芸を2つ身につけることになる。
それを使って大学時代はコンパをし、社会人になってからは飲み会でいきなり振られた時に披露したりもした。
なお、ものすごく評判が悪くてどちらも大失敗に終わっている。
隠し芸文化はクソだ。
以上だ。
オチはない。
あのさ、
最初番組の始めに今日のピアノの人ですって登場して紹介するシーンがあってポロン~って一節弾くんだけど、
あのときに
足元映ってないけど裸足みたいな。
てーかそんなの笑うわ!
あれのEテレテレビ体操のピアノの人紹介大喜利とか考えると結構私ツボるわー
ベタだけど今人気の人だと、
ラジオ体操をしたくて見ていたら、
日替わり体操が尺が長めで、
ついにいよいよ本編のラジオ体操始まった!って思ったらラジオ体操第2から始まるんかーいって
第1は最近しない流れなのかしら?
あと公園とかでさ
年配のベテランの人が自分で開発した体操の動きをしている人ってあるじゃない、
あれはきっと彼らが長年追い求めた身体のあちこちを伸ばすための自分で開発した体操なので、
その人のオリジナル体操はその人にしか効果が無いって思うのね。
公園でそういったベテランの独自に編み出した体操をしている人を見ていると、
なかなか自己開発旺盛な人とか多くて
本当にたまに公園とかでのんびりしているとそう言った光景が目に飛び込んでくるから、
でも、でもよ
まず基本と思ってラジオ体操ちょっと見てみっかーって3日経ったんだけど
やっぱり自己開発のオリジナル体操の動きを編み出すのはなかなか難しそうよ。
あと
ピアノの話しに戻るけど、
あの一節だけをピアノで覚えたら、
とりあえずは格好がつくじゃない?
私あれやりたいわあの一節のやつ。
でもやっぱりピアノの達人から見たらおぼつかない一節を披露しても
見破られるかも知れないわね。
そう考えると
ピアノの達人はあの一節を弾いて見極めて上手いか下手かを判定するのかなーって思うのよ。
譜面を見てない人が多くって、
あの人達の頭っていったいどうなってるのかしら?って思うわ。
松下奈織さんのライブにもなぜかよく招待券が3回ぐらい当たってみたことあるんだけど、
あれはきっとお嬢様のライブに空席をあるわけにはいけない!って
残った席を何となく興味のあるひとに
分け与えてる席だと私は思ってるので
自慢出来る唯一の話でもあるわ。
私は譜面が読めないけど
でもそれだけ読めても卓越したピアノ技術が付くとは限らないし、
ああいうアーティストの人は楽譜見ないですごいなぁーって思うのよね。
私も何か自慢出来る卓越した技術とか特技とかあればなーって思うのよ。
まあ卓越してるか分からないけど、
ここでよく披露している、
飛び込み前転は得意な方かなー。
でもそれができてもねーって感じよね。
また何かテレビ体操のピアノの人を紹介する大喜利で面白いものを考えたら披露するわね!
うふふ。
昨日買ってまた食べ損なった夜を朝に持ち越した
鉄火みあふれる鉄火巻きです。
2位鉄火巻き
1位納豆巻き!
そんでさキュウリ巻きあるじゃない、
かんぴょう巻きとか食べたら本当に顎が外れるぐらい美味しいからね!
スイカの8分の1カッツのヤツを買いたいんだけど、
器のパックに入ったカッツスイカを買ってカッツスイカウォーラーにしがちなんだけど、
あれも上手い具合ラッピングしてあるのがあって、
もうすでにラッピング自体に取っ手が付いている物はそのまま持って帰りやすいから
あ!この人スイカ買ってワンハンドスタイルで持ち帰っててカッコいいなーって
片手のワンハンドスタイルでホットドッグ食べて街を闊歩してる!ってやつをスイカでやる!みたいな格好良さがあるわよね。
みんなにスイカ買ったことを見せびらかしているようでちょっと恥ずかしくもあるけど、
まあスイカに取っ手が付いてるととても便利よねって話しで、
とってもが付いてるスイカだと嬉しいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
文字通り受け取ったら「肌の感覚で陛下の気持ち読み取れる妄想癖のある長官が、聞かれても無いのにその妄想を披露している。完全に頭がおかしい」ってことになっちゃうからね
「兵十のおっかあは、床(とこ)についていて、うなぎが食べたいといったにちがいない。それで兵十がはりきりあみを持ち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎを取って来てしまった。だから兵十は、おっかあにうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら、死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらをしなければよかった。」
上記はごんの思考である。その辺の増田よりも知性も思いやりもある。
ごんには知性があるのだから兵十は撃ち殺すべきではなかった。
知性がある生き物を撃ち殺す日本人はやはり野蛮だ。
ところで、兵十というと思いだすのが2012年に披露された声優豊崎愛生さんの「Hey Jude」である。
冒頭の「Hey Jude」があまりに「へいじゅー」だったため、ネタにされまくった。
Google検索でも「へいじゅー」と打つとトップに豊崎愛生の動画が出てくるほどだ。
その過程で豊崎愛生さんのことを揶揄して豊崎兵十と呼ぶようになった。
もちろんGoogle検索で「豊崎兵十」と調べると豊崎愛生の動画が出てくる。
謂れなき非難を受けないように明言しておくが豊崎愛生さんは狐を撃ち殺してはいない。
「Hey Jude」自体も闇の深い曲でジョンレノンとオノヨーコが不倫関係になりジョン夫婦間の関係が最悪になってしまった結果、不安定になったジョンの子供をかわいそうに思ったポールが作ってあげた曲らしい。
最低だよ、リンゴ。