はてなキーワード: 披露とは
昨日は午前中病院に行き、その後ネカフェにシャワー浴びに行き、昼から半日友達と遊んで、夜は男の人と会って日付変わる頃家に帰って、信じられないくらい行動的な1日だった
病院ではそろそろ薬を減らしてもいいんじゃないかと言われて慌てて拒否した
脳内多動も全般的不安もずっと前から続く先天的な特性で、唯一それを抑えられる抗うつ剤は一生飲んでいくくらいのつもりだった
長期間飲むと飲まないのと同じになってくるのかな
それでも止めるなんてまだ考えられないな
病院終わった頃に前回の男から連絡来て、迷ったけど夜一緒に食べることにした
これがセックス前提だったらめっちゃやだなー、でもスペックでしか見てない私と性欲でしか見てない相手、人間性をぼやっとしか見てない同士お互い様だしそれがまさに東カレだよな、と思いながら一応ドラスト寄って神田のネカフェまで行ってシャワー浴びたり色々整えた
すごく癒やされた 心が潤った
お昼食べて、買い物してカフェ行って沢山喋った
その子が前男の子とデートしたーいって言ってたのを思い出して、男の子と遊ぶのってやっぱり楽しいの、と聞いてみた
やっぱり楽しいんだって 女の子と遊ぶのとはまた違って、会う前に髪や化粧を整えるときのときめきとかを話してくれた
えー!そうなの!とかはしゃぎながら、うっすら罪悪感を感じもしたけど、そういう感覚を知らないのは本当だから別にいいのか
ただ男の人と2人で会ったことある?って聞かれて、無いって嘘付いちゃった 駄目だわ
別れ難かったけど、次の約束が迫ってたので別れた
駅前に着いて初めて、まともに顔も覚えてないことに気づいた
手を振ってきた人を見て、ああこの人だったかも、と思い出した
普通に傘を差そうとしたら、一緒の傘に入るのが普通だったぽくて入れてくれた 全然自分で差すんだけどな
目星をつけておいてくれたお店が2軒ともすぐ入れなくて、看板が出てたお店になんとなく入ってみたらなんと貸し切りだった
でも俳優さんのサインとか飾ってあって、いい感じのおじさんが説明しながら料理出してくれるいい感じのお店だった
ずっと貸し切りで静かで性的な話しづらそうで相手はちょっと残念そうだったけど、料理がめちゃくちゃ美味しくて超当たりのお店だと思った
なんとなく学生時代の話とか、なんとなく職場の話とか、そういう話しながらおいしいごはん食べてそれでいいのに
日和って弱いのしか飲まなかったから、全然酔ってないですね〜笑って言いながら傘差したらじゃあもうちょっと飲も、って傘閉じられた
本気で2軒目行くと思ってた 初心だな
差してもらってる傘に入って腕を回されたら驚くほど自分に主導権が無かった
男といるときに迷うことは男の意思に従うことと同じだと前回学んだのに、改めて自分の非力さに驚いた
半分本気で動揺しながら、半分悔しかった
私に性的興奮があるとすれば、それは非日常的なシチュエーションと相手を喜ばせることへの快感で、脱がされてる時がピークなんだなと思った 本番はもう早く終わんないかなって思いしかなくなってしまう そう思いながらかわいこぶってる
疲れた!長い!セックスなんてもうしない!って思いながら、前も同じこと思ったのに…って虚無になった
私が人肌を感じるのは家族だけなのに、抱きしめられて横になってるときこれは人肌じゃん、と思った 人肌を全身で感じることなんて子供の頃に両親や祖父母に抱きかかえられたりしたときしかなくて、確実に家族愛に結びついたものなのに、性行為でそれが生じるのか
性行為が夫婦間の行為であり子作りの行為であることを考えれば矛盾は無いのかもしれないけど、私の中ではまだ家族愛と性欲は同時に存在できない
例えばこの腕の体温に家族愛を感じる日が来るかもしれないということか、試しに一回そう思って素直に体重を預けてみようか、とか考えてたらどこを触ってほしいとか言われて何もなくなった
男ってもしかして女も男と同じくらい性欲があると思ってるのだろうか
初心でいることが喜ばれるのは2回目までくらいかなと薄々感じた 今はあんなに可愛い可愛いと言われて抱きしめられていても、私がいつまでもセックスに主体的にならなければ繋ぎ止められないだろうな
でもセックスに積極的になることだけはどうしても無理だ それは自分に完全に嘘をついてる どうしても無理
好きな人だったら違うのだろうか 仕事頑張る姿とか見たらもしかしたら好きになるかもしれないのに、夜しか会わない関係の時点で破綻してる
いろいろ考えながらオリックスのユニフォームを着たポンタのぬいぐるみを見つめすぎてポンタの顔がゲシュタルト崩壊した
仲良くなりたい気持ちがあろうとなかろうと、とりあえず話すなら「ポンタはオリックス着てるのに壁にはベイスターズのユニフォーム掛けてあるの、どっちも応援してるの?」みたいな話がしたい ここ触って欲しいとかもう一回やりたいとかそういうことばっかり、疲れちゃう
それでも関係を切らないのは学歴と学歴に由来するまともさが切るには惜しいから 最悪 だけどお互い様だよ
普通に結婚したいだけなのに、そのためにはセックスに積極的にならないといけないのだろうか それともこれは普通の恋愛とは全く違うものだから一緒に考えちゃいけないのか
相手は何の目的でこういうことしてるんだろうか 性欲処理だけかな でもそういう私はなんのためにやってるんだろうか
普段いろんなことを考えてるだろうに私には性的なことしかしないし話さないの、性欲処理目的なのは明らかなのにな
性行為には男は視覚的興奮を、女は精神的な繋がりを求めるって本当そうだな
新しい学校のリーダーズのスズカちゃん、めっちゃ好きだ…
世の中の大半のグラドルは見た目以外にほぼ能のないアンポンタンである。したがってグラビアDVDもお決まりの定番シチュエーションで構成されているものがほとんど、なのだが。
たまーに、ちょっとした特技を持っている子がいる。
モデルが何らかの特技を持っている場合、その特技はグラビア作品の中で積極的に取り上げられる。たとえばチアリーディングやダンスの経験者は比較的多いようで、そういうモデルさんの作品ではキレキレのダンスが披露されるのが定番だ。もちろん、なるべく胸がよくはずむような振り付けがなされる。
たとえば大川成美はソフトボールが特技で、ウィキペによると中学時代に全国大会でMVP、高校時代に国体出場というガチ経歴。作品でも野球をプレーするシーンがたびたび出てくる。バット捌きやボール捌き(比喩ではない)は堂に入ったもので、ノックしている姿は普通にカッコイイ。早いテンポであげられるトスをすべて芯でとらえている。
日向泉はテニス強豪校の出身で団体全国優勝の経験もあるガチ勢。
ちなみに経験の有無に関係なくグラビア作品にはテニスのシーンはよく登場する。スカートが短くてかわいいコスチュームが多いし、動けば胸がよくはずむし、「汗をかいたから」と服を脱がせやすいからだろう。
だが、日向泉の作品では様相が明らかに異なる。まずモデルの目の色が違う。キャピキャピ感皆無の真剣なガチトレを見せられるのである。
いずれの作品にも言えるのは、こうしたガチスポチャプターは「グラドルがスポーツを楽しんでいる場面」ではなく、「選手がとんでもない露出で練習している場面」として楽しめるということ。これは興奮しますよ。
そしてもうひとつ、アスリートなので肉体が引き締まっていてとても美しい。この要素もたいへん高ポイント。
https://www.afpbb.com/articles/-/3404532
IthacaChasma V側もそうだし、投げ銭する側もそうだけど、承認欲求は麻薬だと思う。ソシャゲも同様で、承認欲求のビジネス化がえげつないほど洗練されていくのは怖い。
こういう月並みなこと言ってる奴もそうだけどさ、遊びへの解像度が低すぎるだろww
1対1で接待してもらえるキャバと違って、VTuberは10000対1だから承認欲求は全然満たされないんだわ。
話聞いてもらって承認されたいならキャバやコンカフェ行くっての。
新衣装のお披露目配信とかでスパチャが飛びまくってるのを見るに、祝儀として投げられてるケースの方が多いんじゃないか。
接待してもらうなら1セット30分4000円くらいのガールズバーのが断然コスパいいって。
この辺の違いがわからない遊びに疎い奴が「キャバクラw」と言ってるんだろうなあ。
女遊びを知らないのも水商売を貶めてんのも、なんかダサい男だなと思う。
未成年者への不適切な注目を喚起するような活動(体の不自然な捻じ曲げや ASMR(聴覚や視覚への刺激によって得られる、心地よい反応や感覚を楽しむ動画)など)を披露するもの。
ASMR=「聴覚や視覚への刺激によって得られる、心地よい反応や感覚」でいいのに
どうして「を楽しむ動画」を後ろにつけちゃったのか
そもそも「体の不自然な捻じ曲げ」と「○○を楽しむ動画」が並列してるのも変じゃないか?
前者を「体を不自然な捻じ曲げた動画」にするか、後者の「を楽しむ動画」の部分を消すかすべきだろう
「を楽しむ動画」を消すかどうかで、文章の意味が変わってしまうけど、本来のASMRの意味を考えると
消す方が妥当なんだよねえ
大阪の人って自分たちは笑いとらなきゃいけないっていう謎の自意識あるけど
別にそんなの求められてないよ
社交辞令で「なんか面白いこと言ってよ」とか言われることは稀にあるかもしれないけど
別に笑いなんか実際のところは求められてない。最近そういうのはハラスメント扱いにすらなっている。
なのに社交辞令を本気にして張り切っちゃう田舎者っぷりがダサいんですよ。
出身地の祭りの踊りを話題に出されて、社交辞令的に褒められたら
調子乗って田舎の踊りを人前で披露しちゃうような感じで見ててキツイ。
そういうのが恥ずかしいって言われたんだと思うよ。
そらみんな面白いですねー。って言ってくれるよ。珍獣が踊ってんだから。
身内としては身内に珍獣がいるのが恥ずかしいんだよ。
トイアンナが、弱者男性は性格が悪いから助けるのが難しいという話をしている。
それを弱者男性達は、女もそうだろ!女は救われるのに差別だ!と噛み付いてる
有川浩の人気シリーズ「図書館戦争」の別冊Ⅱに水島というキャラクターが登場する。
郁の後釜で柴崎の同室となった女子。容姿は地味。性格は卑屈でコミュ障でKY。友達は少ない。真面目なだけが取り柄だがそのKYなまでの真面目さで柴崎に疎ましがられる。そして卑劣な犯罪に手を染め、供述で痛い勘違い女ぶりを披露し、誰からも共感されない惨めな悪役として終わる。想い人である手塚(柴崎とくっつく)からも「気持ち悪い」と言われてしまうのだ。
その散々な描かれ方に、水島気持ち悪い嫌いという声に混じり、同じく地味でコミュ障を自称する女性読者から「水島同情論」が聞かれたりする。(私もその一人だ。彼女達の発信を読むまでは、作中の嫌われ者水島に同情し柴崎に対して僻む自分を認めたくなかった)
しかしその同情論は、あくまで卑屈で真面目なだけに大それたことはできないはずの水島に対してであり、卑劣な犯罪に手を染めた勘違い女の水島に対してではない。正直私も、卑屈な筈の水島が自分が手塚に愛されてると思い込み、柴崎に対してあれ程固辞していた呼び捨てをしながら嫌悪と侮蔑を容赦無く露わにする様は、これまでの水島のキャラとちぐはぐな印象を与えた。「有川は嫌いなタイプをとかく貶めたいがためにキャラに合わなくとも悪者にすりゃいいと思ってんじゃないか」とすら思った。
でも水島の供述を読んでいると気づいた事があった。柴崎の言動全てを悪く受け取り、「柴崎はズルい」「美人だからって」「チャラチャラしている。手塚さんに相応しくない」と僻む様が、「真面目で不器用で善良な俺達がモテず、悪いイケメンヤリチンチャラ男DQNばかりがモテる」と僻む、ネットの自称弱者男性に重なったからだ。
そう考えれば納得できる。「ネット上のおまえらと現実のおまえら」のように、水島も影ではいくら柴崎を悪し様に言えても貶められても面と向かってはおどおどするしかない。真面目なだけが取り柄で、恋愛面でも真面目に努力してきたつもりの彼女にとって、美人で簡単に手塚に近づける柴崎の存在は「ズルい」と思えたのだろう。
よく弱者男性は女性の「気持ち悪い」「キモい」という言葉に過剰反応し、「クラスの女子にキモいと言われたことがある。キモいという言葉許すまじ」と抑圧体験を振り翳す。しかし、忘れないでほしい。男女逆だってあるのだ。手塚が水島に「気持ち悪い」と言ったように。それが作中では正しい言葉であるように。
「若い女性に多い自殺願望☆地味な女子は負け?『別冊図書館戦争2』と座間9遺体・殺害された女性被害者について」
すもも氏は、「非モテ女は高望みだ」というが、水島も確かに想い人は手塚というハイスペックなイケメンなので、高望みといえる。
一方で、コミュ障KYゆえに友達は少ない。柴崎らメインキャラも、もちろん彼女らを操る作者の有川浩(女性作家)も、水島を疎ましがり見下している。
弱者男性の不幸が異性に好かれないことなのだとすれば、弱者女性の不幸とは、同性に見下されて友達がいないことなのではないか?
そういえばわたモテのもこっちも、タイトルではモテないことを重視しているようだが、それ以上に友達を欲しがっていた。今は友達に囲まれているようだが。
弱者男性は結構同性に同情される。強者男性も弱者男性と根底は同じ人がいるのだろう、モテない弱者男性に同情する人が多い。
弱者女性は誰からも見下される。同性からも異性からも。穴モテはするかもしれないが、女性にとってはそれだって見下されている内だ。
女性作者は作中の弱者女性に容赦ない。ちびまる子ちゃんのみぎわさん前田さん、サバサバ女の網浜さん辺りを見てもわかるように。「勘違いブス女」を嘲笑うyoutubeの漫画動画を女性が作っていて女性に人気なように。
そういえば、図書館戦争で障害を持ちながら理解ある彼くんを手に入れた例としては鞠江ちゃんがいた。
でも彼女だって、顔はいい。抱えるハンデも発達障害や精神障害ではなく、同情されやすい身体障害である。鞠江ちゃんも多分、強者女性の仲間入りだ。
柴崎や手塚のような、顔が良くて優秀で皆に好かれる強者女性や強者男性は正しくて幸せになれて、一方水島のような弱者女性(や弱者男性)は悪役で惨め。残酷な程の対比は、水島タイプの弱者女性を益々卑屈にさせる。有川浩はこれに限らず、男女共に対してマッチョ主義な所がある。主要登場人物大抵顔が良いし。
弱者女性や弱者男性はその境遇ゆえにコンプレックスを抱え、性格がひねくれているかもしれない。好かれないのも仕方ない。弱者男性のお友達になると言ったエマワトソンも手に追えないだろう。では、彼ら彼女らが救われる方法はないのか?
【シン・ウルトラマンのネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】
現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。
ところで、その感想や叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの。
別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体は全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロースの名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミの言葉をネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味の考察をちょっぴり披露させてほしい。
1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学や思想が「西欧の文明における思考と、アジア・アフリカ・中南米の未開文明の思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術や文化の面での進歩史観や優越感、啓蒙思想や資本主義と結びついて植民地主義や覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身の人類学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後の思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想にもつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。
内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明が進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明的思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義、特に西欧の文化を中心とする思考、科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。
「文化を構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているかを研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。
ザラブにしろメフィラスにしろ、コミュニケーションの初手は「自分の科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感と無力感……謂わば絶望によって人類を心理的に支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。
物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷、植民地、後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。
宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定を行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。
使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマンの意思や感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステムを自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から『文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。
そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人、他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。
逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドなメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力や政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。
しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類の歴史の悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通の地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン。
自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンをヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったからなのだ。
結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。
というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがリピアくんの人格形成や思想信念の確立に寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロースの思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。
そもそもリピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明は構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。
文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。
・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品に意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ
・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ
以上
本人は事故でケガをしたという認識はあるが、自身の能力に障害を負ったとは思っておらず、病識がない。
しかしながら実際はボロボロで、事務はほぼできない。でも権利・人権の主張は一人前だとかなんとか。
本人にフォローを与えたことがある人たちは、エピソードの披露に余念がない(ほぼ悪口としか思えないが)。
私は勤務している事業所が違うので、そんな状況をただ聞いているだけなのだが、それでもいたたまれない気分になる。
---
本当なら、事故後にちゃんと観察して、そこから検査と診断を経て、本人にきちんと病識を持たせて、自立訓練など受けさせ、リハビリののちにゆっくりした社会復帰の方法を検討すべきだったと思う。
事故のときは見過ごされたのか、直後は軽度すぎたのか、近年悪化したのか、はたまた本人や親族が認めたがらなかった(病識を持たせるのに失敗した)のかはわからない。
親族は、事故のとき何もしなかったのだろうか。今はどうなのか。
関係者の勧めで過去に精神障害者保健福祉手帳の交付を受けたことはあったらしい。勤務する上での助言もなされたとか。しかし手帳交付の2年後、本人は手帳の更新を拒否したという(精神の手帳は2年更新)。
---
上層部は、本人が自己退職するように仕向けているといううわさを聞いた。
本当にいたたまれない。
なんというか、こんなん今更よく恥ずかしげもなく披露できるなとしか思えねえんだけど
お前が好きかもしれないジャニーズや男声優の「BL営業」と同じ
(そういやあっちの界隈も男女交際が発覚すると、「匂わせ」とか言ってやたら叩くよなぁ女が女ばっかり)
あくまでファッションでしかないという了解があるからこそ、あんな感じで気軽に消費できる
そもそも若者だからってみんながみんなお前の言うところの「新品のモラル」っていうか、意識高い系のノリについてってるわけじゃねえの
だからね、もしガチレズの奴がガチで事実婚とかして、挙げ句に社会派面なんか始めようものなら
おそらく大半は「お、おう……」ってドン引きよ
いや貴方がどうって話じゃなくて、私が結構前から抱えている疑問なんだ。
この場を借りて、みんなの前に披露させてくれ。
男性が女性Vtuberと仲がいいと、『チャンネル登録解除』なのに。
女性が女性Vtuberと仲良くしてると『てぇてぇ』になる。どうして?
女性同士だってセックスするし、関係者以外立ち入り禁止の雰囲気になることもある。
可能性の大きさが違うというなら、男性がその女性Vtuber を性対象として見ている、って可能性と、女性がレズビアンの可能性、どっちが大きいってことになってるのか。
一般的には不明瞭だろうし、確率をそのまま特定個人に当てはめるのは、統計的差別という有名な誤謬にあたる。
LGBT をまったく知らない老害ならまだしも、Vtuber のような新興のエンターテイメントには、最新の価値観にアップデートされた若者が寄ってくるはず。
彼ら彼女らが新品のモラルを持ち合わせてるにも関わらず、レズビアンの可能性が考慮されていないのには違和感がある。
私は、何か勘違いをしているだろうか…?
彼氏も作るな できれば好きな男も
俺のいないコミュニティで男と親しくなるな
その子が他の男に奪われるのはめちゃくちゃ嫌
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/62d41c9b3e91c996e666a3067bc1b46e7a078f59
まずこのブコメに引っかかった
でもまぁ「殴る方が悪い」は当然なのでそこまで強く引っかからなかった
id:rocoroco3310 仮に外から見て分からない障害があるのなら、それを口頭で説明すれば良いだけ。注意の仕方が悪かったのかもって、殴る方が何倍も悪いでしょう。訓練受けた成人男性から未成年者への暴行なんて、擁護しようがない
でもこういうツッコミがあって、これはこれで当然だよなって思ったら
id:tonkotutarou このニュースの本筋とは逸れるが、「外から見て分からない障害があるなら、口頭で説明しろ」って、そこそこ無茶苦茶なことを言ってるな。
理解出来てない人がいる
id:wuzuki id:tonkotutarou 氏、一体どこが無茶苦茶なんだ……?
id:pokepirk 見えない障害について口頭で説明することのどこが滅茶苦茶なんだ?別に詳細は言わなくても注意された時に「障害がある」っていうだけですむと思うが。
逆に聞きたいんだけど
この注意って「あなた、健常者に見えるけど座る権利はあるんですか?あるなら理由を述べよ」って聞いてるようなもんじゃん。失礼過ぎるだろ。
なんでそれに「私は障害持ちなんです」って答えなきゃいけないんだよ。
そもそも座るのなんか障害が無くても「暑さがキツくて調子が悪い」「乗り物酔いでしんどい」くらいでも座って良いわけだし。
東方の原曲は自作の同人ゲームBGMで、作者の神主ことZUN氏は多分昔からSC-88Proとかの良い音源を使ってDTMしてたとは思うんだけど、結局はMIDIなわけよ。
楽譜はかなり技巧的で複雑怪奇なんだけど(実際自分が作曲したものを聞いてもらうためにゲームを作りはじめたと言ってた)、音自体はMIDI音源をサンプリングしたにしては(良い音源使ってるから)だいぶリッチに聴こえるとは言え、結局は一人で作った打ち込みサウンド感が滲み出てるわけ。通になるとこのDTM感こそZUN作品の味だと分かるものの、普通の人は「すごい個性的な曲だけどなんかちょっとリアルじゃない」と違和感をおぼえる具合。というかピアノもドラムも人間業じゃないしベースも大抵和音で鳴ってる。
だから、このなんかヤバい曲を俺らのバンドで再現してみよーぜ!だとか、この聞いたことないくらいメロディアスなBGMに歌詞つけて歌ってみましたわ!みたいな、二次創作欲が刺激される原曲でもあった。そして神主も二次に寛容だった。
アニメMADみたいな、基本商業流通している洗練された作品を切り貼りして面白おかしいナンセンス動画を作り、こっそりネットのオタク内で楽しむ方向ような方向の二次創作とは真逆だったわけ。
ボカロというのは、クリプトン社などが公式として一次の権利を持つ商業モノではあるけども、楽器ソフトとしての音声データとその声の主というキャラ設定だけが一次設定としてあるにすぎない。
そこに不完全性というか、むしろユーザーの創意工夫によってキャラの世界観を作ってくださいねとする商品なわけなので、これも東方のように二次創作欲が刺激される元コンテンツなわけよ。
それでボカロPと名乗る多くはアマチュアのDTMerたちが、言ってしまえば楽曲を披露したくってゲームを作ったZUN氏のように、自作曲を公開していくわけ。
でもそこはアマチュアなりの編成の拙さがあったり、ボーカルもボカロという普通の人が聞くとケロケロと聴こえる萌え声風機械音声にすぎないわけで、「すごい癖のある曲だけどなんかちょっとリアルじゃない」と違和感を覚えてしまう具合。
なので三次創作として「××(ボカロ曲)歌ってみた」とか「演奏してみた」というのが生まれてくる。
これが大手アーティストの曲とかだと少し抵抗や遠慮、あるいは権利面の危うさから一歩踏み出す人は減ってくるところだが、ボカロだとボカロ曲作者自体が自分たちと同じ同人音楽畑の人間だということが分かるから、抵抗が減る。
【オレオレFC】主力に明暗…松岡らは実戦復帰で軽快な動きも、FW吉田は負傷で途中交代
オレオレFCは22日、愛知県内でFC中京と練習試合(45分×2本)を行い、3ー2で勝利した。試合は1本目は1ー0。2本目は2ー2だった。 この試合は新型コロナウイルスに感染し、戦線を離脱していたDF松岡、本田、フェリペ・ラモスに、コンディション不良で離脱していたFW吉田やMF相馬が実戦復帰。松岡らは軽快な動きを披露した一方で、吉田は1本目の14分で足を痛めて交代した。
DF陣は完調をアピールした。松岡は左サイドバックで先発出場し、1本目の32分にPKを決めるなど、軽快な動きを披露。本田はボランチでピンチの芽を刈り取り、フェリペもセンターバックであわや得点かという強烈なヘディングシュートを見せた。
“凱旋出場”となった松岡は「動きは悪くなかった。(復帰してから)調子は悪くない」とうなずき、復帰が有力視される25日の札幌戦に向けては「(起用は)監督が決めることですけど、出る事になれば、勝利に貢献したいです」と意気込みを口にした。試合を見守った相田満博監督は「(3選手とも)動きは悪くなかった」と評価。札幌戦については「(先発で起用するかは)月曜日からのトレーニングとコーチと相談して決めます」と話した。
一方、吉田は1本目の14分に相手と接触。右足を痛めた影響で途中交代となった。相田監督は「骨折ではないと聞いている」としながらも「病院で検査すると思います」と心配そうに話した。