はてなキーワード: 怨念とは
なんたることだ! 再発防止策が必要だ!
……とはいっても、『テラスハウス』で人死にが出てもリアリティショーをやめずに平気で『バチェラー』や『バチェロレッテ』を放映していた面の皮が京極夏彦の本くらい厚そうなTV業界の皆様に再発防止を求めるのは、タリバンの方々に女性の尊重を求める以上の難事であることは間違いなく、今後とも安易なドラマ化による原作レイプは引き起こされ続けるだろうし、売上に目が眩んだとか最高級の桃のように押しに弱いとか赤ちゃんはコウノトリが連れてくると信じているほどに純朴だとか色々な理由でドラマ化を承諾する原作者も後を絶たないだろう。この事件が製作側に何がしかの変化をもたらす、ということは、明日『ミナミノミナミノ』の続刊が出版されるくらいにはありえそうもないことだ。
ただし、読者の目線は、ファンの反発は、オタクの実写化に対する態度は、変化するだろう。より正確に言うと、いっそう厳しく硬いものになっていくだろう。
これまでの原作レイプに対するオタクたちの反対というのは、イメージと違うとか原作ではそうじゃないとかこのキャラはこんなこと言わないとか先輩がスパゲティを食べてるなんておかしいとか、言ってしまえばお気持ち表明でしかなく、それによって引き起こされた悲劇といっても、原作者に眉を顰められたりなかったことにされたりするのがせいぜいで、最大の悲劇は裸になったアイドルがいいひとだったせいで連載が終了したことです、という、まあファンがグチグチ怨念をネットの海に垂れ流す程度のささやかなものに過ぎなかった。
ところが、今回は、原作者が自ら生命を絶つという最悪の事態になってしまった。
好きなシリーズの続きが読めなくなったどころではない。もう二度と彼女の新作を読めなくなったのだ。
リアリティショーと同様に、原作レイプでも人が死ぬ。TV業界の人たちはそんな些事を気にも留めないのかもしれないが、業界の外にいる人間、ただ純粋に作品を楽しんでいたいだけの人間からするとたまったものではないわけで、今リアリティショーに対して「なんでそんな死人が出るような番組やってんだよ」という声が徐々に高まっているように、今後、「なんでそんな死人が出るようなドラマ化やってんだよ」という批判の声はより大きくなっていくだろう。だって我々は、まさか人死にが出るなんて思ってもみなかったんだから。
もちろん表現の自由というものがあり、ガイガーカウンターを使って女児を手籠めにする漫画の出版が自由であるべきなのと同じように、恋愛リアリティショーや原作レイプTVドラマといった類の下世話な番組を放映するのも自由であるべきで、自キャラを選挙に動員することに躊躇のない国会議員さんが「業界団体(や場合によっては議員チーム)で検討する組織体を作るべき」とか言ってたのはお前表現の自由はどこ行ったんだよという感じになってしまうのだが、原理原則論からいえばこれらの番組を法的・社会的に咎め立てすることはできないだろう。
だから。せめて我々は、彼らがやったことを忘れずにいよう。事あるごとに蒸し返そう。彼らが原作を蔑ろにした作品を世に出す度に、「お前ら前に原作レイプで漫画家を死に追いやったよな。なんも反省してないの?」と言い続けよう。それは弔いのためではない。彼女はそれを望まないかもしれない。ただ、増田は、二度と原作が踏み躙られる光景を見たくはないし、原作者が苦悩する姿を仄聞するのは嫌なのだ。
別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学の説明の外にある現象……思念、怨念、呪い、妖怪
死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか
「祟りは信じていない。しかし祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる
「祟りは信じていない。しかし何か起きたときに祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる
では龍であればどうか
「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか
実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神の実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう
いや、これは本当に自信が無い
ルールだから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし
シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう
これは例えば江戸時代や明治時代の史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかいう記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話
箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎をバカにする言い回し
これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか
それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか
また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回しも存在する
この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……
南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい
そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ
こういう言い回しがある時点で当時既にお化けの実在は信じられていなかったのでは?と感じる
でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ
お化けや妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?
当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい
江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査)
しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?
竜巻あたりも同じ話だ
明治時代の錦絵に竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある
貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室
その絵には
怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり
という文も添えられている
この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか
「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか
あるいは「あれこそ龍が昇天するときの現象だ」という文意なのか
「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」という論文によると、
との記述がある
ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に
なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥の王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。
というフレーズがあるようだ
だいぶ古い!
やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで
グリフィンなんかはこれより少し後の時代に実在を否定する人が出てきたようだ(しかし実在派から反論を受けている)
『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
グリフィンの実在を否定した作家のトーマス・ブラウンに反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。
グリフィンは想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物が存在するからである。アコスタ[スペインのイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランスの探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である。
そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ
なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ
こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果
---
しねふくさん
嫌いではない。左翼的な欲求の下にそこそこまともな知性ん感じるため。名前なんて読むの?
やすまるさん
善人を目指そうとしてろくなこと思い付かなくて嫌韓ネット右翼が反転したみたいになってる感じ。マンガの感想とかは悪くない。結構読解力が変なことがある。 名前の意味なに?
くいっくぱすとさん
嫌いではない。
でもやすまるさんより頻繁に読解がおかしい。なんでそうなるねんみたいな記事の読み方をしてることが多くて、左翼とかそういう問題なのか良くわからなくなる。名前が英単語なので覚えやすいところがえらい。
いかまるさん
嫌い。上の人達が彼等なりの左翼へ向かう意思があって左翼やってるのと違い、この人は左翼に誉めてもらえるコメントを考えてるだけって気がする。
ぐるぐだすさん
判定不能。かつてはてなスタートップだったのにいま全くつかなくなってる謎の人。なんか愚痴とか恨みみたいなコメントになったからか。名前の意味なに?
じじーさん
好き。怨念妄念がすげえだけで正気に戻ると知的な人だと思う。たまに正気に戻ってる。無印銃夢のノヴァ博士みたい。
特に大事にもされてなくて廊下の人形用の小さい椅子に座らされて埃をかぶったままになってた。
子供の頃の俺はそのフランス人形が怖くて、絶対に目を見ちゃいけないと思ってたし、その姿を見ることすら怖がってた。
ばあちゃんの家に泊まった日は、トイレに行くためにその人形の前を通らなくちゃいけなくて心の底から嫌だった。
それから数年たち、ばあちゃんが亡くなって、遺品の整理を手伝いに久しぶりにばあちゃんの家に行った。
片付けを手伝っている最中、例のフランス人形が廃棄ゾーンに突っ込まれているのを見つけた。
その時はさすがに怖さを感じるような年では無かったのでふーんって感じだったけど、夜に自分が泊まる部屋にいるとだんだんムラムラしてきて、ふとあのフランス人形のことを思い出した。
呼吸が荒くなっているしなぜか痛いほど勃起している。
あの怖くて直視すらできなかった人形が、今は無力に俺の手の中に収まっている。
恐怖で俺の心臓を握り潰そうとしていた相手を、完全に征服したかのような、強烈な快感で俺は目覚めてしまった。
ギンギンに怒張して熱を持ったそれを人形のスカートの下に差し込むと、やってはいけないことをしている興奮が背筋を貫く。
あんなに恐ろしかった存在なのに、あられもないポーズにしたり、亀頭を顔に擦りつけ、がまん汁を長い髪でふき取っても相手は何も出来ない。
愚息に人形を跨らせるように乗せ少し上下させるだけで果ててしまった。
行為が終わった後、フランス人形が少し恨めしそうな目をしているような気がしてさらに興奮した。
完全に空っぽになるまで満足した後、諸々の証拠を隠滅し、人形をゴミ山の深くに隠した。
これまでの人生で一番興奮した一夜だった。この日から俺の性癖にははっきりとした輪郭が与えられた。
呪いの人形(っぽい不気味な人形)をめちゃくちゃに犯すこと、それが俺の性欲を支配している。
その後、ヤフオクや最近はメルカリを漁っては古ぼけたちょっと不気味なフランス人形を探している。
最初はそのまま楽しんでいたけど、ある時からさらなる興奮を求めて、最初にある儀式をするようになった。
そう「ひとりかくれんぼ」だ。
詳しくはググってほしいけど人形を使った一種の降霊術のような遊びでインターネットでは結構有名な都市伝説だ。
検索すればいろいろと怖い話を見つけることができるが、俺はこれまで実際に怪奇現象が起きたことはない。
儀式はいろいろな手順があるんだけど、最後に使用したぬいぐるみを燃やして終わらせるらしい。
俺はもちろん燃やさない。
フランス人形というのはざっくりした言い方で、実際には頭身の高いファッションドールや子供が遊ぶための頭身の低いもの、胴体までビスク(陶器)で出来たものから顔手足だけビスクのものなど色々ある。
おすすめなのは頭身が低く、顔手足だけがビスクで腕や胴体は布地に詰め物が詰まっている物。
なんでかっていうと、股から布を裂いて、胴体の詰め物を適当に掻き出し、代わりにオナホを詰めるのに適しているから。
怨念の籠っていそうな人形をオナホに改造しているとき、一体あたり平均2~3回絶頂に達する。
もし人形に魂があったら俺を絶対に許さないだろう、そう確信できるだけの凌辱を尽くしている。
休みの日は全裸になって人形をパンパンに膨張したペニスに装着することで、ペニスケースにして生活している。
ベルトで軽く固定すると動きやすく、より人形の存在感を肌で感じられるので良い。
むしろ人形を探したり改造したりするのは楽しいし、性欲も完全に満たされていて肌ツヤも良い(と思う)。
別に呪われたいわけじゃないけど、あくまで呪いの人形らしさに興奮している身としてはその緊張感が失われつつあるのを、最近は少し残念に思っている。
最終的には釘の刺さった藁人形に興奮するようになってるかもしれない。
後半より前半に力が入ってるのよほど怨念あるな
ロケット系個人勢Vtuberの宇推くりあ氏が、宇宙開発利用大賞のPRキャラに就任しました
内閣府、広報に“VTuber”起用 宇宙開発利用大賞のPRキャラに「宇推くりあ」が就任 - ITmedia NEWS
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2310/13/news129.html
H3ロケット打ち上げ(失敗)の同時視聴や、イプシロンS地上燃焼試験(爆発)の現地実況で知った方からすれば
ロケットへの知識も情熱も配信時間も本物なのは把握済みであろうから、驚きではなく納得感しかないのでは?
個人的に印象に残ってるのは、スターシップ打ち上げ試験の同時視聴で
https://www.youtube.com/watch?v=D56n3d7vAXc
打ち上げ時の噴射が強力すぎて発射台付近を掘り崩してしまい、飛散した破片が当たったのかクラスターエンジンの数基が点かなくなり
高度30kmを超えたあたりで回転を始めたため指令爆破に至ったもの
花火で終わったものの発射台の強度試験と、打ち上げられたこと自体が十分な成果として
管制室で立ち会ってたイーロンマスクが一人だけ微妙な顔していたことと
テレメトリの消えてるエンジン図と、地上からのカメラで捉えたエンジンの様子が全く同じで感心したのを覚えてます
発射台付近は想定以上に破壊されておりスペースX社に安全対策ちゃんとしろと当局から怒られが発生したような記憶
さて、タイトルの本題なのですが、PRキャラ就任のTogetterのブコメになにやら不穏なものがありました
VTuber宇推くりあが内閣府宇宙開発利用大賞PRキャラクター就任 「個人勢が内閣府案件」に驚きの声も - Togetter
https://togetter.com/li/2240597
[B! Togetter] VTuber宇推くりあが内閣府宇宙開発利用大賞PRキャラクター就任 「個人勢が内閣府案件」に驚きの声も
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2240597
https://b.hatena.ne.jp/entry/4743531899566109231/comment/mouseion
ステマ禁止法制定されたんじゃなかったっけ。この手の内閣府案件って大体中の人が内閣府関係者な事が殆ど。というのも個人情報保護の観点から完全な素人Vチューバーってあり得ないんですよ。高市早苗氏の知人では。
2.この手の内閣府案件って大体中の人が内閣府関係者な事が殆ど
3.というのも個人情報保護の観点から完全な素人Vチューバーってあり得ないんですよ
4.高市早苗氏の知人では
されましたね10/1から施行ですねドラゴンボールもダイマですもんね
それを持ち出すということは本件PRキャラ起用がなにがしかステマ規制に引っかかるものであるという指摘ですね
まだよくわからない
2.この手の内閣府案件って大体中の人が内閣府関係者な事が殆ど
え、そうなんですか?
つまり、宇推くりあ氏は実は内閣府関係者であろうという指摘ですね
なんだかわからない
3.というのも個人情報保護の観点から完全な素人Vチューバーってあり得ないんですよ
ここが一番の難問
おそらく、インボイス登録をすると身元がバレるからVtuberには都合が悪い
結局、素人ではなく事業者系Vtuberとなるので完全な素人=個人勢Vtuberではない
いかがでしょうか
仮に個人勢Vtuberが個人事務所立てて表向きに名前出るのは事務所代表、だとしても
V活動で主な収入を得ているプロであっても、個人勢Vtuberだと思うんですけどね
完璧で究極の素人Vチューバーでなければならないと暗い怨念を燃やすV小町みたいなのがいるのでしょうか
4.高市早苗氏の知人では
1.2.3.を前提として、高市早苗氏の知人ではないかとの指摘
なんで?
そらまた安直な
1.ふたたび
高市早苗氏が、内閣府のPRキャラにこっそり知人を起用したのではないか
という主張だと見えてきました
事実だとしたらステマどうこうじゃなくて利益供与に当たるのでは
何らの根拠なく、高市早苗氏と宇推くりあ氏を利益供与の間柄だとはてブ上で指摘するのは
想像の翼を広げるのは結構なことですが、その翼で他人を傷つけていないかときどき
立ち止まって考えるとよろしいと思いますわ
それではごきげんよう
総務省も、SNS上での誹謗(ひぼう)中傷対策を呼び掛ける動画と特設サイトに、VTuberの「壱百満天原(ひゃくまんてんばら)サロメ」さんを起用
【特集】SNS等の誹謗中傷 | 安心・安全なインターネット利用ガイド | 総務省
https://www.soumu.go.jp/use_the_internet_wisely/special/sns/
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
酒のツマミになる話で「河童に一つだけ質問出来るとしたら何を訊く」という大悟の問いかけがあった
なんだろうな…
「人類の敵ですか?」
かな
でも、牛とかも襲うから人類だけの敵ってことは無いだろうな(生物全体の敵?)
「尻子玉抜く理由はなんですか?」
の方が良いかな?動物や人を襲うのは遊びの一貫の様に感じる。「食べる為」とかではなさげ(つーか肉食なのか?胡瓜好きとか言ってるからベジタリアンな可能性もあるよな。藻とか喰ってそうだし)
あ、
「なんで亀の甲羅を背負ってるんですか?(防御するなら頭部にすべきなのに何故背中?ファッション?)」
の方が良いかな?
水死した人の怨念とかだっけ。中華系由来とかもあるかな(そもそも日本オリジナルの妖怪ってなんだろうな?)
まあ、色々な由来があった気がする。自分は折口信夫の本なんか読まないから、たぶん京極夏彦かなんかで読んでるんだろうけど
いま、wiki見てきたけど「土木に従事した(合羽橋の由来になった)」ってのもあった。そうだそうだ。そんな話も読んだことある!
妖怪ってそういった「何かしらの存在意義・理由」を持ってるよなあ
人間からするとわけわからん悪戯したり人命を脅かしたりする存在だけど、なんか意味あるんだよな
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokusai_kappa.jpg?uselang=ja