はてなキーワード: 失言とは
がいる限り自民の勝ちは揺るがない。そして負けてるのに分断戦法を取るバカ左翼は永遠にいなくならないので永遠に自民の勝ちは揺るがない。
分断戦法ってのは対抗勢力に投票した人をバカにすることな。それでバカにされた人は絶対左派に投票しないから。その作戦は敵をどんどん固定していってるだけだから。
お前らはそれに対してネトウヨはもっとひどいって言うんだろうけど、ネトウヨは今勝ってるからな。
敵対勢力を悪く言うことは味方の結束も強くなるしモチベーションも上がるから、敵も味方も固定する行為なわけ。だから敵味方の移動をしにくくなる。
勝ってる時にやれば勝ちを固定して有利になるし、負けてる時にやれば負けを固定して不利になるに決まってんじゃん。
まあでもこれを読んだ人が仮に止めてくれたとしても、そういう奴は無限にツイッターとかにいて一部は失言とかもするから、それがリツイートされて左翼は全員そうみたいな感じにレッテル貼られて負けるだけだから。
同じジャンル内のひととモメて一騒動あったりしたので、誰かの役に立つかもしれないと思ってメモしときます
長くなりそうなので先にタメになるかもしれない要点だけまとめると、
・相手が正しいような気がするときでも、第三者の意見は聞いたほうがいいかも
あたりです
ブラック企業的な感じでもご参考になるかもしれませんがどうだろう・・・
Aさんはそのジャンル内(Xとします)では発言力のある人でした
私はXについて呟いたのがAさんに拾われてそのジャンル入りしたのもあって、特に仲のよい方だったと思います
TLでもおしゃべりしますし、そのうちDMでちょっとディープな萌え語りもしたりしだして、私は親しくしているつもりでしたし、他の方からAさんと個人的なやり取りがあったとはうかがってないので、恐らくAさんにとってもそうだったのではないかと思います
あれ?と思い出したのは、DMでのやり取りで、まったく無関係の別ジャンル作品をゴリ押しされるようになったり、他の方の陰口みたいなお話をたびたび振られるようになったころです
もちろん私は仲のよいAさんのお話でしたので、適度に相槌を打ったり、おすすめされた作品を見てみて感想をお伝えしたりしていたのですが、
そのうちちょっとした言い回しや普段の態度を窘められるようになっていきました
私は自分でいうのもほんとなんなんですけど、割と調子に乗りやすくて失言が多いタイプです
なのでAさんのいうことはごもっともだと思い、ご指摘をうける度に謝罪と感謝をお伝えしていました
しかし、なんど謝罪を繰り返してもまた別のことでお叱りを受け、けれどDM間でのやりとりなので表のTLでは顔に(?)出せず、そういうことが数ヶ月続くと、息苦しくなってもきました
丁度Xではないジャンルに興味が向いたのもあり、同じジャンルに流れていたフォロワーさん(Bさんとします)とも少し仲良くなったりしつつある頃でした
ある夏の日Aさんが、普段DMで送ってこられるお叱りを、もう我慢の限界だと仰ってTLで直接アイツはこんなやつだと連投されたのです
既に何度も謝罪した内容でしたが、やはりAさんの指摘はもっともだと思っていたので、DMと変わりなく(寝耳に水だっただろう他のフォロワーさんへの説明もこめてやや丁寧に)謝罪しました
その場ではお許しいただけましたが、やはりDMでのご指摘は激しさを増して続き、日に日にエスカレートしていくそれをもうどうしていいものかわからなくなってきました
その段階でもやっぱりAさんが間違ってるとは思わなかったのですが、もはやこれは私のいたらない謝罪では火に油を注ぐだけなのでは?と思い、
夏の一件で心配して「また何かあったら相談してね」とDMをくれていたBさんに、告げ口のようでAさんに申し訳ないと思いつつ、事の次第をご相談して一緒に謝罪文を見ていただくようになりました
やはり私は失言が多いタイプなので、この言い回しはよくないんじゃないかな、などとBさんに教えていただくことでより誠実な謝罪文を作れるようになり、事態は収束するんじゃないかと思っていました
甘かったです
Aさんの攻撃(もうここまでくると攻撃の域でした)は寧ろ激しさを増し、その頃はもう毎日毎日謝罪を繰り返す日々でした
一度TLに流したからか、DMでもTLでも攻撃は続き、私はBさんとご相談の上でアカウントを消すことにしました
しかし、別ジャンルでBさんや他の方と交流していた場所にわざわざご登録してまでAさんは追いかけてきて、謝罪を要求し続けました
私はもう何に謝っているのかもよくわからず、それでも謝れば許すと仰られるので睡眠時間を削って謝罪し続けましたが、謝っても謝ってもまた別のことを掘り返し攻撃し続けられ、今思い返すとかなり鬱状態だったと思います
結局、Aさんから見える全てのアカウントを消し、Bさんたちとの個人的な交流だけするようになりました
オタクのはてなブログは長いって本当ですね、すごい読みにくい。でもどうかけばいいのかわからないのでとりあえずまとめていきます
結論からいって、特に夏の一件以降のAさんの行動は、その様子を見ていたBさんやXジャンルで一緒だった人から見てもかなり異常なことと映ったそうです
既に謝罪し続けている個人に謝ってない謝れといい続けてて怖かった、というのは後にある方から聞いた当時の様子です
ということを踏まえて、
なんでそんなに悪化したんだろう?というと、
・私がとにかく謝罪に徹したのが悪かった(Aさんの正しさを裏付けて助長させた)
・やりとりがDMだったのも悪かった(かなり悪化するまで他の人が介入しなかった)
・それらを踏まえて、Aさんに自分が正しいと思い込ませてしまった
私はもっと普通に仲のよかったときに、対等になれるよう努力すべきでした(それでAさんを逆上させていた可能性も否めませんが)
最初に上げた要点でいうと、
→その関係が不健全であっても誰も指摘できないので、助長する可能性が高いです
・相手が正しいような気がするときでも、第三者の意見は聞いたほうがいいかも
→もっと早くAさんの攻撃性に気付いていたら、そこまで悪化せずにいたかもしれません
→これはAさんから見てですが、Aさんが自分の正しさを信じてあの夏の日に糾弾したことにより結果としてAさんの攻撃性が露見して孤立してしまっているためです
長くなりましたが、ひょっとしてどこかで同じようにもめてるかもしれない誰かの何かの役に立てばいいなと思います
余談ですが
これは当時のやりとりを見ていたBさんが、或いは裁判沙汰警察沙汰になるかもしれないからとお勧めいただいたからで、つまりそのくらい悪化していたためです
私はこのスクショを怖すぎて直視できず、めったに使わないフォルダに、サムネでも決して見えないように厳重にマトリョーシカフォルダにして保管していますが、それでもまだ消してはいません
私は未だにDMの通知が怖くて、別ジャンルでの交流のシンボルに使われていたある記号も怖くて、引いてはあらゆる通知が怖くてたまりません
もし仮に、私が誰か一人を殺害しなければならないとしたら、Aさんを選ぶだろうなと思います
実は未だにAさんのことは嫌いではないのですが、それでも小中学生のころいじめてきた男子でも、死刑を逃れた許しがたい凶悪犯罪者でも、他の誰でもなくAさんを選びます
Aさんが嫌いではなくても、ただひたすらに怖いからです
Aさんが死んだという確信が得られるまで、この恐怖から逃れる術はないと思っています
勿論仮定の話ですが
そういうわけで、もし貴方が自分が正しいという確信を持っていて、間違っている誰かを正したいとお思いであっても、追い詰めすぎないよう注意されたほうがいいと思います
今、とあるヨーロッパの国に住んでいる。地元の友達はいるものの、日本語ですらコミュ障の私にとって外国語での意思疎通はいくら言語が上達してもなんだか苦手意識がある。留学生とか駐在さんとか日本人はみんな志が高くて正直自分とは違う人種のような気がしてやはり気後れしてしまう。
そんな中で中国人の友達ができた。彼女は日本で高校・大学を卒業しているため、日本語がペラペラで、感覚もなんだか近くてすごく仲良くなった。
彼女の国に興味を持った。中国語を少し勉強し始めたりとか、中国の事を調べているうちに中国にすごく惹かれるようになった。いつか数年住んでみたい。そう思うようになったころ、Twitterで香港デモの情報が流れてくるようになった。ひどいと思った、それより理解ができなかった。
その仲の良い友達と、もう一人の中国人の友達にデモのことを聞いたけれど二人とも「香港市民はデモに迷惑している、デモ隊が先に警察を刺激している、中国と貿易戦争中のアメリカが中国に不利なニュースを流してる」と言っていて、ほとんど信じかけた。そもそも私はあまりアメリカに良い印象を持っていないこともあり……
しかし一応香港人数人に聞いたら、聞いた相手が若者だったからか、Twitterで見かけたような意見を言う人ばかりだった。「中共は言論の自由を奪おうとしている、それに抵抗して香港は闘っている」などなど
Twitterでウイグル人が弾圧されているマンガが回って来て読んだ。少数民族弾圧のことは聞いたことがあったけれど、想像以上に悲惨だった。ホロコーストじゃないか……。
中国人の留学生たちは自由にインターネットが使える環境にいてもなおGoogleではなく百度を使うし、InstagramはやらずにWeiboをする(人によるけど、傾向として)。国を出てもなお偏ったニュースばかり読んでいるし、ウイグルの弾圧のことなんて知らない。何が言いたいかと言うとつまり、友達にも中国人にも悪い印象があるわけではない。生まれたときからマインドコントロールされているのだと思う。
中国政府のあまりに暗い闇というか、怖い。行きたかった気持ちもあやふやだ。仲の良い友達が何を考えているのか不安になる。
不注意な私が中国で失言してしまったら捕まったりするのだろうか?それとも、さすがにそこまでではないのだろうか……?中国の悪い噂がすべてアメリカのでっち上げならいいのにと思うけれど、そうじゃないとも分かっている。
最近、サヨ界隈だけではなく、韓国なども日本ではなく安倍政権を非難するようになった。
本来であれば、もっと失言が欲しいところであるが、なにやら慎重である。そこそこのバランス感覚でうまく綱渡りをしている感じである。これは良くない。靖国参拝とかして大炎上していただきたいものである。
あの憎っくき安倍晋三をやっつけた首相の支持基盤が弱ってしまう。
このまま、安倍晋三の体制を引き継いだところで地盤はゆるゆるである。他が居ないという恐ろしいカリスマ性で10年近くももっている政権である。次の政権はやり辛いと思う。
そんな訳で多分次の首相も自民党だろうが、今のうちに安倍晋三が嫌われるだけ嫌われないと困るのだ。
とりあえず、N国との繋がり辺りが暴露されるといいんだけどな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1390765
上記記事の人気ブコメでid:syo_bkm のコメントが興味深かったので書く。内容は以下の通り。
黎明期に「VtuberはYoutuberと違ってスキャンダルを起こさないのがメリット!」と鼻息荒く解説していた奴らの阿呆さよ…
(ちなみにスターが大量にもらえてよほどうれしかったのか別のまとめサイトにおいても全く同じ内容のコメントを残している。そちらでもそこそこスターをもらえているようだ)
で、このブコメについて一つだけ指摘しておきたいことがあってそれはずばり「それはV界隈の一般的な認識ではない」ということだ。
まぁもちろん広大なインターネットでそういう風に発言していた人間が一人もいなかったとは言わないが、確実にV界隈で一般的な認識ではなかった。
むしろVtuberに対する理解の浅さを露呈する言説である。ということは指摘しておきたい。
(ところでid:syo_bkm のいう「黎明期」とはいつのこと指しているのだろうか。キズナアイデビューとVtuberブームには2年ほどのブランクがあり、キズナアイ以前にもVtuber然とした活動が散見されていることも含めると、氏の指摘する黎明期がいつの時期を指すのかは正直分からないが、発言の内容からしてVtuberブームの始まった2017年末から2018年初頭ごろと推定して以下の文章を書く)
さて、ではなぜ「VtuberはYoutuberと違ってスキャンダルを起こさないのがメリット!」というのがV界隈で一般的な認識ではない。と断言できるのか。
その根拠となるのは悲しいかな。V界隈での「スキャンダル」の多さである。
スキャンダルを「」で記したのは、いわゆる身バレや顔ばれなど本来であればスキャンダルと呼ばれないような事象でないことに対しても、V界隈ではスキャンダルとして扱われていたからだ。
のらきゃっとの放送中に中の人が顔が映し出されてしまうというハプニング放送事故
などが挙げられる。
また、ブーム初期から活動するキズナアイ、電脳少女シロ、ミライアカリ、輝夜月に関しては担当している声優探しの記事が出回っており、今でも人気Vtuberについて検索すると「中の人は誰?」という記事は必ず出てくる。(ブーム初期からは時期はずれるが月ノ美兎の中の人が出演しているとされる動画がニコニコ動画でランキングに乗るといった現象も起こった。)
また決定的なスキャンダルというわけではないがのじゃおじとこねこますはtwitterでしばしば炎上騒動を起こしていた。
Vtuberが放送中に失言をしてニコニコ動画に切り抜きが上がり炎上する。というのも今ではすっかり日常茶飯事になってしまっている。
こういったブーム初期の段階から、今に至るまで「.LIVE告発漫画騒動」「バーチャル蟲毒」「ゲーム部プロジェクト騒動」などなど様々な「スキャンダル」はV界隈に付き物だった。
最もこれらの騒動を「この程度はスキャンダルではない」という人もいるかもしれない。特にVtuberに興味のない人からすれば「なんだそれ」といったレベルの話もあるかと思う。がこれらは間違いなくV界隈では「スキャンダラスな話題」として扱われていた。(こういう内容を列挙するとまたぞろしたり顔で「これだからV界隈は」などという声が聞こえてきそうだが、そういったマウンティングを相手にしていては話が本題からずれるので今は無視する。)
そもそも論になるが、それこそ「中の人がいないからスキャンダルを起こさない」と評された存在である、初音ミクという存在を知っている人間からすれば、
中に人がいるVtuberという界隈で「スキャンダルを起こさない」などと認識するはずもない。
初音ミクが「絶対にスキャンダルを起こさない」と評された根拠は「中の人がいない」からだ。
二次元キャラクターと音声ソフトで構成されたその存在は生きている人間のアイドルが起こしうる「恋愛」「暴言」「共演トラブル」などなどのスキャンダルを起こさない。起こしようもない。
それこそ昭和アイドル的価値観である「○○ちゃんはうんこしない」も初音ミクに対しては真実である。音楽ソフトには生理現象もない。
げっぷもおならもしないし、病気もケガもしない。するはずがない。だって彼女は人間ではないのだから。
いくら二次元キャラクターの仮面をかぶり。キャラクターの設定を纏おうとも、そこには「中の人」がいる。
Vtuberは意識も感情も生理現象もある人間が行うコンテンツである。
当然の話だ。バーチャルを冠しようがYoutuberはYoutuber、どこまでいっても人間が主役のコンテンツである。
そのことを考えれば、そもそも「Yotuber」と比較して「Vtuber」がスキャンダルを起こさない。という理屈自体が意味不明なのだ。
二次元キャラクターの仮面をかぶっていることはスキャンダルを起こさないことは何一つ担保しない。
いくら二次元の仮面を被っていようとも「中の人がいる」Vtuberには常にスキャンダルの可能性があったし、視聴者側もそのことに意識的であった。
バ美肉勢といういわれる。いわゆる男性が美少女キャラクターのアバターを使用して活動する形態のVtuberに対して
ここで視聴者は感じている「安心」とは、「恋愛スキャンダルが起こりえないこと」に対する安心感であることは明白である。
このようにVtuber界隈はスキャンダルを起こさないどころかむしろ、常に大小さまざまな「スキャンダル」と共に歩んできた界隈である。
そしてそのことはVtuberブームの初期から自明のことであった。
では「VtuberはYoutuberと違ってスキャンダルを起こさないのがメリット!」と「鼻息荒く」解説していたのは誰なのか。
https://president.jp/articles/-/28847
近年、ほぼまったく「スキャンダル知らず」で、かつ人気絶頂の理想的なプロモーションキャラクターが、次々と誕生しています。その名も「VTuber」
バーチャルYouTuberとは?バーチャルYouTuberの基本を解説(2018/12/19)
https://appli-world.jp/posts/1984
Vtuberとは?動画・映像で収入を得る仕組みとビジネスとしての今後(2019/02/08)
最近耳にするVtuberとは一体何?特徴から実際の企業事例まで徹底解説!(2018/10/02)
https://video-academy.jp/blog/platform/youtube/5759/
今さら聞けないVTuberとは?!マーケティング担当者から見たVTuberの現状と展望(2018/07/10)
https://90seconds.jp/videotechonline/marketing/what-is-vtuber/
「黎明期」でもなければYoutuberとの比較でもなくて恐縮だが、主にマーケティング関連の記事で言及されていることが多いようだ。
Vtuberブームにいっちょ噛みしたかった人たちが企業に耳障りのいい記事を書いた結果なのか、あるいはV界隈の運営側が吹聴している可能性もあるが推測の域を出ないことは言わないほうがいいだろう。
と、思っていたら、このような記事を見つけた
スキャンダルと無縁のVTuberが企業の新たな“広告塔”になる(2018/06/14)
https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00134/061200056/
この記事はエクシヴィ 代表取締役社長の近藤“GOROman”義仁氏に対するインタビュー記事。有料記事なので何を根拠に「スキャンダルと無縁」と言っているのかは分からない。(さすがにこの記事を読むためだけに日経クロステックに会員登録する気にはならない)
ただ日付も一番新しく(今ならブーム初期と言えなくもない時期か)、タイトルに「スキャンダルと無縁」と明記していることから「Vtuberはスキャンダルを起こさない」という言説の出元の可能性は高い。(内容を読んでいないのでこれもまた推測だが)
この近藤“GOROman”義仁氏はVtuberの運営サイドの人のようだ。
であるとすれば「Vtuberはスキャンダルを起こさない」というの「鼻息荒い解説」は
実際にはVtuberを売り込みたいサイドからの宣伝文句として喧伝されていたというオチになるのであろうか。
これからVtuberを売りこんでいこうとする人の「Vtuberはスキャンダルと無縁」という無邪気な発言は今改めて聞くと少し哀しいものがある。
ところで真に情けない話なのだがid:syo_bkm のいうような比較対象を「Youtuber」に限定して「スキャンダルを起こしにくい」と解説してるような言説は結局見つけられなかった。
twitterか何かで言っている人がいたのであろうか。
もしid:syo_bkm にご教示いただければ幸いである。
どうもMidasファンです。
もう少し左翼に好意的に言っておくとこの件(「消すぐらいならやるな」と憤慨してるひとがいるように)「政治は政治でちゃんとやれよ(天皇制を打倒したいなら『表現の自由w』とか言ってないで現実で打倒しろ」につきる。めざすべきはあくまでも現実世界での天皇制廃止ないしは社会改革であって展覧会で「これがボクたちの考えた芸術です」は単に『表現w』の世界へ逃げこんでるだけ(「現実では何も変えれない」敗北宣言にこれも等しい。
このへんの不純さ、不誠実さが(右翼のみならず)いわゆるノンポリのひとたちの嫌悪感を誘ってるのは疑いないので。結局「歴史上の人物だから問題ないですよね」がいまだに大失言だと気づいてないのはそういうとこ。「これは表現の自由だ」が『政治』になりうるためには当然ながらそんな2代まえなんかの肖像いくら燃やしてもアクチュアリティのかけらもないわけで(「歴史上」は「ノーカン」でしかないので)いまの天皇を燃やすべき。ところが令和の陛下が犯した悪行といえば柏原芳恵にラブレター書いたのと嫁の生理があがってオトコみたいなツラになったくらいしかないのであってその責任を問おうにもポイントがみつからない(お人柄もいいらしいし。
「2代まえのひとだから(歴史上の人物なので」と『表現の自由』だけを切り分けようとするほど政治的には効力を失ってしまうというジレンマがある。「いいかな?」とか言ってる場合ではないのである。かんたんにいうと今回の件が決定的にダメなのは(ちまたで言われてるような)「芸術の政治化(本来はニュートラルであるべき美術の世界に稚拙なプロパガンダ芸術をもちこんだ」からではなく逆「政治を美術化した」から。
政治の美術化とはいうまでもなくファシズムの最も簡潔な定義なので。政治を美術館での鑑賞の対象にするとは現実世界の矛盾を一見みんなで共有してるようでその実は単に審美的な判断をくだすだけ。くり返しいっとくが政治をギャラリーでの鑑賞の対象にして「考えさせられました…」とか言ってるのは現実改革をあきらめたしるしでしかないのである。政治を展覧会のネタにしてはならないとはそういうこと。
たぶんガイジンさんには今回の「表現の自由」いったいなにを争ってるのか全く理解できてないと思う。ちなみに「表現の自由がー」必死に言ってる連中もこれが極めて日本的な『どこに由来してる』か自覚してない。
(まさかと思うかもしれないが)この『表現の自由』はいわゆる『朝日的な』もの(サヨクん)ではなくルーツは雑誌『ぴあ』にある。町山が「はあ…昔の『ぴあ』はよかった…」言ってたのを軽くみてはならない。日本の68年以降の文化史ではそれまで『朝日ジャーナル』を小脇にかかえて歩くのが学生さんヤングのひとたち『かっこいい(政治意識がある』と言われてた。雑誌『ぴあ』はまさに『朝日ジャーナル』の次にあたる。朝日ジャーナルにかわってこんどは『ぴあ』をかかえて歩くのがかっこいいヤングの条件(ちなみに朝日ジャーナルのまえは『平凡パンチ』とか)になった。『ぴあ』がかっこよかったのはいわゆる『情報誌』だったから。
ロードショーから場末のポルノ歌舞伎展覧会にいたるまで情報を『差別』せずフラットに扱った最初の例が雑誌『ぴあ』。フラットに扱うとは『価値判断をしない』。ただしこの『価値判断をしない』がくせものであって…「町山さいきんクソサヨクになっちゃってどうしたの…(脳に毒がまわったのかな」ふしぎに思ってるひとも多いが情報のコンテクストにおける『価値判断しない』は結局は「愚弄する(冷笑する。もちあげない」なので津田やあずまくんにしてみれば「まさかこんな反発くらうとわ…」なのもまあわかる。あの「歴史上だから、まいっかと思って」もホントだったら慰安婦像つくったひとにむしろ「ふざけんな!」言われてるべき態度。
慰安婦像つくったひとは(わたしにいわせればデタラメもいいとこだが)マジで「日本人よ…はんせいしろ」思って(たぶん)あれつくってるので。津田やあずまくんがやってた「表現の自由」実はそこまでの政治性はない。
雑誌『ぴあ』が今週おこってるいろんなイベントをおもしろおかしく無差別にとりあげれたその点において表現が自由だった(ロマンポルノのとなりにハイソな演劇が並んでてよかったね自由な社会で)くらいのニュアンス。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。
高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに「侮辱だ」思うのもまた自然なことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに「侮辱だ」思うのもまた自然なことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。
みんな(とくに憲法がくしゃとか)大いに勘違いしてるけどこれ要するにそういうことなので(どうしてこんなかんたんなことがわからんのだという感じ。なぜそうなるかというとつまるとこ『インダストリー』のもんだい。たとえばこんかいあずまくんいきなり前言ひるがえしたりして「なんなのこのひとは…(このていどのこと最初からわかれよ」思うひともたぶんたくさんいるはずだが別に彼らに一貫したものなどありはしないので、こないだまで河村disってたはずのあずまくんいきなり「津田がわるい」になるの丸山ぎいん「みなさんNHK受信料はらうのは国民のぎむ」からの「NHKぶっこわす!」入りと全くおなじ。
インダストリーの問題とはすなわち文化産業の問題であり雑誌『ぴあ』の「表現の自由」が成立してたのはみんなが中産階級だと思ってたから。永六輔とか旧NHKこうした平等な社会の構築に焦点あわせてたしこの環境の産物。こうした文化産業の仕組み(従事してるひとたちも含めまだ巨大なインフラが半ば廃墟と化しながら残ってる)いまどきこれでやってけるはずない(もう残念ながら時代おくれ)と誰もが思ってるのは確かなので。
若干専門的な話でしめとくと(もうネットにたくさんいる情報産業のひとにとっては常識だろうが)おどかすようですまないがこれからは「情報をフラットに」ではなく「差別と排除」の時代なので(あれこれいってもムダ。差別と排除とはゲートキーパーが誰をはじくか決めてその(誰でもゲットできるはずの)情報へのアクセス権がそのひとの社会的な地位をしめすアレ(要は「ブロックだ!」「不可視にする!」みなさん楽しそうにやってるやつ。
表現の自由なんかよりそっちのほうがよっぽどだいもんだいじゃないの?wという感じだが世の中よくできたものでホントに重要なことは展覧会のテーマになんかなったりはしないのである(みんなのメシの種になってるから。
SF。
日本の本州から見て太平洋側に、面積が日本と同じかやや大きい島国で、同じように東アジア人の顔をした国民が多数派。
"お前"も良くないけど、妻のちょっとした失言や失敗に罰金100万円も課す旦那がいたら絶対モラハラ認定だよね
しかも喧嘩の上での発言で、子供自身に「ママが悪い」と指摘され最終的に認めてしまう位、自分側にも非があった訳でしょ
3DSバキバキ騒動の頃から何も変わってないhttps://t.co/6Hivma3tyf— kouei_sy521 (@kouei_sy521) August 3, 2019
今ヤフーニュースに出てます!
インタビューにも答えてるので良かったらご覧ください〜♪https://t.co/ZjTmuryU8w— 龍たまこ (@ryutamako) August 4, 2019
「ごめんくださーい」
俺たちは見舞でツクヒの自宅を訪ねた。
第一発見者なら、ツクヒを轢いた車を見ている可能性も高いだろう。
「来てくれて、ありがとうねえ」
「おカマいな~く、おナベな~く」
それにしても、意外といいとこ住んでんだなあツクヒのやつ。
部屋の中も小奇麗というか、品がある。
マメに掃除しているのか、それともハウスキーパーってやつがいるんだろうか。
他人の家を訪ねたときの独特な臭いもしなくて、するのは消臭剤の匂いだけだ。
出てくる茶菓子も気取っているというか、突然やってきた俺たちにポンと出せるレベルじゃない。
仲間のシロクロが、目的も忘れて菓子を食べるのに夢中になっている。
だけど親御さんたちは、そんな不躾な態度を気にせず接してきた。
「あの子を呼んでくるから、もう少し待っててね。怪我はもう大丈夫なんだけど、恥ずかしがってるみたいで」
「いやあ、学校で上手くやれているか心配だったけど、見舞いに来てくれる友達がいてホッとしたよ。あの子、学校のことは全く話してくれないからね」
あいつの親とは思えないほど物腰が柔らかくて、子供思いのマトモな人たちだ。
その意外性も気になるところだけど、今はそんな場合じゃない。
ツクヒがくると面倒そうだから、そろそろ本題に入ろう。
「そういえば、まだ見つかってないんですよね。ツクヒを轢いた車と、運転手」
単刀直入に質問するんじゃなく、話題に紛れ込ませるようにしていく。
「そう、なんだよね……」
被害者の親にとってはセンチメンタルな話だから、あまりズケズケと聞くものじゃない。
ガキの俺たちにだって、それくらいのことは分かる。
それで心象を悪くしてしまうと、聞き出しにくくなるしな。
「うん……今も何食わぬ顔で、どこかで車を走らせているかと思うと気が気でないよ」
「そう、ね……警察には早く見つけ出して欲しい、ね」
言葉を選んでいるのか、それとも出てこないのか、ところどころ詰まらせたテンポで喋っている。
それほどにツラい出来事だったのだろう。
「あの子が遅刻する~って言いながら忙しなく出て行ったから、車で送ってあげようと後から追いかけたら……」
そうしてやり取りを数分続けていくと、いよいよ聞きたかった部分を話し始める。
俺は前のめりになって尋ねた。
「轢いた車を見たんですか!?」
しかし、返ってきた答えは他の人と同じだった。
ここまで色々動き回って、何の成果も得られないのは初めてだ。
この人たちすら知らないんだったら、もうツクヒに期待するしかない。
ただ、あいつがここで喋ってくれるような気はしないから学校で聞こう。
それでも喋ってくれるとは思えないが。
俺たちは肩を落としつつ、この場はひとまず適当な理由をつけて退散しようとした。
「私、思うんだけど、運転手が見つかったところで大して意味ないわよね。ツクヒの不注意が原因なんだし」
「え?……」
得られた情報が肩透かしだったものだから、気が緩んでしまっていたらしい。
元々、思ったことが口に出やすいタイプだが、この期に及んでそれ言っちまうのかよ。
「おい、タオナケ!」
タオナケも失言にはすぐに気づいたが、取り繕うのが面倒くさくなって開き直った。
「危険を顧みず車道に突っ込んで、それで案の定ぶつかっただけ。それで“こっちが傷ついたので、悪いのはそっちだ”なんて当たり屋のゴロツキでしょ」
「よすんだ、タオナケ!」
「挙句、信号機がないのがダメなんだってことになったんだけど、あんな場所で轢かれるなんて普通ありえないし。あったところでって話よ」
俺たちは慌ててタオナケを止めようとする。
確かに俺たちも内心思っていたことだけど、ツクヒの両親がいる前でそれを言ってしまうのはマズいだろ。
親に言われたわけだが。
昔から親の言葉の軽さ、口論になり感情が高ぶるとかんたんに罵詈雑言を人に浴びせるところが嫌いだった。
そして、感情が落ち着くとへらへら薄笑いを浮かべながら「ごめんね~…でも、(以下、『お前があんな事言うから=言わせたお前が悪い』という要旨の言い訳が続く)」
と軽く謝ってくるのがもっと嫌いだった。
自分の価値観ではそれは謝罪ではないし、本気で悪いと思っている人間の言葉ではない。
本当に自分が悪いと思っている人間は『ただ謝る』だけではないのか。
そしてそれを受け入れるかどうか、許すかどうかは謝罪を受けた人間の裁量であり、許せなかったとしても仕方がない。
それを「謝ってるのになぜ許さないのか」「家族なんだから許せ」と謝っている本人が憤るのは筋が違うのでは、と思う。
今回、『言うからには相手と絶縁する覚悟で言うべき』と自分には思える罵詈雑言を浴びせられた。
(具体的には『お前は犬畜生以下だ』と言われた)
その言葉だけはどんな理由があっても言うべき言葉ではないし、どうしても許せないと思ったので、
翌日、案の定へらへらと薄笑いを浮かべて『ごめんね~でも…』と形だけ謝ってきた親に対して
『謝られても許せない、自分にとってはそのレベルの言葉だから』と言ったら、
てっきり許されると思ってたのか、またつらつらと言い訳を連ね、
挙句『許せないならどうするんだ』『家族ならどんな失言や暴言があっても謝ったら許すべきなのに』『哀しい』と自己弁護を繰り広げてきた。
どうするのかなんてこっちが教えてほしい。許せるものなら許したいが、尊厳を踏みにじる言葉を言われて許せずに苦しんでるのはこちらなのに。
昔から何度言っても何度伝えても、親とは言葉に対する考えかたが違いすぎて、全く価値観が噛み合わなくて苦しい。
全くこちらの主張を理解してもらえず、自然化け物を見るような目で親を見てしまう。
それが気に入らないらしくて『どうしてそんな目で見るのか』と、『哀しい』と捨て台詞を吐いて、謝罪に来たと言いながら自分の傷をしっかり強調して帰っていく。
年老いた親に対して取るべき態度ではないのかもしれないが、だが、言われた言葉を思い出せば怒りと失望が沸き起こり、とても許せそうにない。
せめてしばらく時間を置いてほしいのに、『謝ったんだからさあすぐに許せ、許せないなんてこちらが傷ついた、哀しい』という親の態度にまたどうしようもない気持ちになる。
他人だったらこんな人間とは絶縁できるし二度と近づかないで済ませられるのに。
親とは死ぬまで互いにわかりあえないことは確定だし、言われた言葉はずっとわだかまりとなって燻り続けるだろう。
親なんて他人だからそれも仕方ないとわかってる(親からすると『親子でも他人』という価値観も受け入れられないらしい)が、それでも付き合っていかなければいけないのがしんどい。
諦めはある程度ついてきているけれど、まだ親に何か(理解)を期待しているのかもしれない。
毒親をもつ他の人々はどうやってこういう気持ちと折り合っていくのだろうか、よければ教えてほしい。
追記:
トラバしてアドバイスくれた人ありがとう。正直『うんち』って言われるだけだろうなって思って吐き出したから、マジレスもらえて嬉しかった。
>親なんて基本クソ~
あとから、『オレが犬畜生以下ならてめえは犬のクソ以下だ!』って言ってやればよかったなって思った(笑)。言われた時は頭が真っ白になって、『そっか、犬以下か…』としか返せなかったのが悔やまれる。
段々、ああ自分はあの言葉にめちゃくちゃ傷ついたんだなってわかってきて怒りが湧いてきた。でもそれを言ったら親と同列になるから言わなくて正解だしこれからも言わないだろう。
色々とあるんだけど、書いて突きつけたところで親は『そんなこと覚えてない』『そんなつもりで言ったんじゃない』って言って終わるんだろうと思うし、
それでまた失望するのも疲れるし、読み返すたびに怒りが戻ってくるだろうからこっちがしんどいなって思ってしまうんだ。怒りの感情を持続するってきついな。
言いたいことはわかるし、自分にも頑なな部分があると思う。
相手の価値観を絶対に間違ってるなんて断罪はしないし、自分が絶対に正しいとも思っていないけど、
『それは自分の価値観では許せない』って線引きは誰にでもあると思うし、親にだってあって当然だと思う。
『それは自分には許せない』って自分なりの倫理の基準を持つことは普通なんじゃないかって思うんだけどな…相手の全てを許して受け入れることはできないよ。聖人じゃないし。
親じゃなきゃFOでさくっと終わるんだけど。ただせめて、『自分は相手にとって許しがたいことを言ったんだ』って自覚くらいは持ってほしいなってさ…
自分の『(親を)許せそうにない』って言葉は、親からすれば『許せない言葉』なのかもしれないって自覚はあるよ。
ところで、増田は『犬畜生以下』って言われても『ごめんね☆』で許せるのか? 心広いな…菩薩か。
>距離を置くように~