はてなキーワード: 哺乳類とは
返信ありがとう神、ざっくりそんな気はしてたよ。
哺乳類の中でも人間は特に子育て期間が長いと思うんだけど、それは何故なのだろう?
脳の発達に時間がかかるのかなー
好き好んで毎月流血してるわけでもないし、ホルモンバランスで気分や眠気のムラがあるのも
男性より体格が小さい事、じゃあ同じウェイトの男性ならいい勝負できるのでは?と思って腕相撲挑んでも瞬殺される事も
望んでそうなったわけじゃない。
学生時代に清掃のアルバイトした時、やっぱり自分は男性よりもパフォーマンスが悪いと思った。
高い所に届かなかったり、男性なら1回で運べる荷物を2回に分けたりね。
仕方がないんだけどやっぱり悔しかった。
そもそもの体格と筋力差が不平等だから女が圧倒できる確率はめちゃくちゃ低いのに
体格は平等じゃない。
だとしても刃物はNGでパイプ椅子はOKとか、なんかレギュレーションが必要だよね。やっぱねーわ。
かと言って男性に「女には無条件に優しくしろ」って強要するのもなんか違う。
どんな女も殴ってはいけませんってのも…いやそれは女に限らず人間を殴るのはだめだ。
別に必ず優しくしなくてもいいが、女でも弱者を殴る人間はうんこだ。子供に対してとかね。
逆に女の方が優れてる事ってなんかある?
女性のほうが共感力が高くてケア労働に向いてるとか言われるけど
今の世の中の結果としてそうなっちゃってるだけって気もする。
女の体は子を産み育てる事に特化しすぎている。
自分が女で良かったと思うことは、個人差はあるだろうけど性欲が弱めな事くらいだ。
お互いに好きな相手ならセックスは良いものだけど、そうじゃないなら別にこの先ずっと無くても良い。
特に誰からも望まれはしないとは思うけど、私も望まないし期待もしない。他者あっての事なので。
…という感じで諦めがつく程度の性欲だ。
ネットで見かける、叶わない性欲に頭が支配されている人は苦しくつらそうだ。
今のスペックのままで男に生まれていたら私も呪いを吐いていたかもしれない。
そこで神に聞きたいんだけどさ
大抵の哺乳類、性別でこんなに体格と筋力が不平等なのはマジでなんでなん?
それと性欲の強さの違いもさ。
この差って必要あった?
神、なんでなの?
ほんと頼むわ神!
こわくてこわくてたまらない。
そう分かってるのに、Twitterで流れてきた出産のルポルタージュ漫画を読んで泣いてしまう。
少子化が社会問題になって子育てが大変とか、女性の働き方とか、学費が高いとか、「子どもを作れ(ら)ない」理由をよく聞くようになった。
いやいや、育児っていうかその前に、出産がこわすぎる。わたしはどう頑張ってもこのハードルを乗り越えられる気がしない。
10ヶ月も内蔵圧迫されるだけでもこわいのに、陣痛から何時間も(10時間とか!)激痛で叫び声をあげながら、うんこを垂らし、股を切られ、胎のなかのものを自力で出す。
Twitterにいくつもルポルタージュがあがってる。壮絶。同じ出産はなく、どれも戦場のように迫力がある。
人間の出産はとりわけ身体への負担が大きいらしい。二足歩行とか、脳の巨大化とか、人間らしさをつくった進化の歪みが「出産」にのしかかる。
人間はデカくなった脳みそで早いところ出産の負担をテクノロジーでどうにかすべきだった。いまは全然間に合ってない。人工子宮もないしお産の大変さはほぼ変わってない。
妊娠・出産に耐えきれず死ぬイメージがかなり明確にある。確定している痛みがこわすぎて自ら命を断つんじゃないかと思う。
そう話すと「そんなの一時的なものだよ」「こわがりすぎだよ」とさとされる。古くから案ずるより産むが易しと言われてきた。
でも、ちょっと考えてほしい。高所恐怖症でバンジージャンプをこわがるひとや、閉所恐怖症でエレベーターに乗れないひとに無理矢理すすめたりしないだろう。
こわいことや痛いことを避けるのは当たり前じゃないか。
無痛分娩もあるにはあるが、日本の普及率は2割に留まる。そもそも麻酔科の医師が足りていない。無痛分娩する予定だった友達は、破水がはじまった曜日に先生がいなかったので麻酔を受けられなかった。そんなのギャンブルじゃん。
はやく妊娠できない年齢になりたい。出産の可能性ゼロになりたい。子宮の摘出とかは痛いから嫌だ。子宮に避妊用の器具を入れるのも痛いから嫌だ。なんなら乳がん検診のマンモグラフィーも痛いから嫌だし、子宮頸がんのワクチンも痛いから嫌だ。
それを「甘え」だとか「痛いのは当たり前」と思うひともいる。子どもをもったり健診を受けたりするために、痛い思いをする男性がいるか。どうして女性だけこんなに痛い思いをしなければいけないのか。
出産した女性を心の底から尊敬している。男性は命をかけなくても子どもが持ててよいですね。
育児休暇とかそれ以前に、女性だけが妊娠も出産も授乳も生理も避妊もなにもかも辛すぎるのをやめてくれ。
進化したくなかった、卵生に戻りたい。
アニキサスは、寄生虫の一種で、白い糸状の体長約15ミリの寄生虫(線虫)です。
アニキサスは、海洋に生息する哺乳類の胃に寄生している生物ですが、幼虫の時期は魚介類に寄生しています。アニキサスが寄生している魚介類を生や加熱が不十分な状態で食べると、生きたアニキサスが胃に入って激しい痛みなどの症状を起こします。これをアニサキス症と呼びます。
アニサキス症には、自覚症状のない緩和型と激しい腹痛や嘔吐を伴う劇症型があります。この違いは過去に感染し、すでに感作されているかどうかによるものと考えられていますが、まだ不明な点も多いです。
アニキサスはヒトの体内に入ると約1週間で死んでしまうので無症状の方もいらっしゃいます。アニキサスは、内視鏡で除去することができます。
わからんでもないが、哺乳類の場合は粉ミルクという代替品が無い限りは授乳は母親がするしかないし、出産には適正年齢があるのも事実だし、あんまり大袈裟に全部否定すると逆に反発されるだけじゃないですかね。
人間として生きている以上、癌になる可能性を0にすることはできない。
もちろん、大型哺乳類の遺伝子研究と応用研究が発展して癌の発生自体を抑制することができるようになる可能性も0ではないが、それは難しいだろう。
つまり癌自体を発生させるのではなく、発生した上で既に治療の難しい状態となった癌をいかに制御するかが鍵になる。
例えば、これまで「余命1年」と宣告されていたであろう状態の癌でも、生活の質を下げることなく10年間は生きられる状態になったとすれば、癌による悲劇を減らすことができる。
「それでも10年経ったら死ぬんじゃないか!」と言われそうだがそれは癌に限った話ではなく間質性肺炎、腎不全、糖尿病にも言えることだ。10年間あれば十分に家族との時間を過ごし、やり残したことも少なくなるだろう。
今年度で俺の初期臨床研修が終わる。そしたら再び地元を離れて母校に帰り、発生学の研究を行なっている講座に入る予定だ。
市立図書館とSAPIX、鉄緑会にて鍛えられたこの俺の頭脳があればね。
それではまた会おう。
以前「これから出生率を上げるのはかなり厳しい」という文章を書いたことがあったので、この機会に乗じて投稿します。
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戦時中は全体の半数ほどあった第一次産業が、平成17年では5%、つまり10分の1ほどに減少しています。
https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/sokuhou/03.htm
農家にとって子供を産むと言うことは明確な動機づけがありました。
しかも、その労働力は、学力などの「投資」を行う必要がありません。
ですが、現在、日本の労働構成の多くを占めるサラリーマンにとってみれば、子供を産む動機づけが農家などよりは低いのは否めないかと思います。
つまり、昔の農村部の人にとって子供は「資産」であったものが、現代の人にとっては「投資対象」になってしまったということであるかと思います。
また、そうして第一次産業が減少することで、人々が地元から離れ、都市部に移動します。そうすることで核家族が増えたのも、ひとつの要因かと思います。
核家族になる前は、子育てを祖父母、近所の親戚、近所の人たち等で負荷して、その負担を分散させていましたが、核家族になってその負担が親に集中してしまった。そうなると以前のように多くの子供を育てるのは物理的に困難になるでしょう。
ちなみに、人間は閉経後の寿命が他の哺乳類に比べてかなり長く、「おばあさん」の存在があるのは人間だけだそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%95%E3%82%93%E4%BB%AE%E8%AA%AC
次の原因としてあげられるのは、「見合い結婚の減少」ではないかと思う。
お見合いが減少した理由として考えられるのは、若者が農村部を出ることで、核家族が増え「ご近所付き合い」や「親戚付き合い」等が減少したこと。価値観の変化で「自由恋愛」の価値観が向上したことなどがあるかと思われます。
では、なぜ「見合いが減ったことで少子化になったか」の理由です。
恋愛結婚は、個人の自由意志で結婚できると言う側面がありますが、もう一方は「弱肉強食の世界」であると言う側面を持ちます。
https://neputime.com/wp-content/uploads/2020/07/20200722_1.jpg
これはマッチングアプリの縮図を表したものですが、だいたい現実もこんなもんかと...
つまり所謂「非モテ」の人たちは、ある程度の妥協をしないと結婚することは結構難しくなっている。
しかし、「じゃあ妥協して結婚しよう!」と簡単にそうならないのが現実ではないかと思う。
テクノロジーや娯楽が発達した現在、結婚せずとも有意義な時間を過ごす方法はたくさんあります。
「独身貴族」と言う言葉があるように、むしろ結婚しない方が幸せに暮らせると言う考え方も一理あるでしょう。
以上のように、少子化になっていったのは、元は「第一次産業が減少したのがそもそもの始まり」と言えるかもしれません。
しかし、それも元を正せば、18世紀にヨーロッパで起こった産業革命が起源と言えるでしょう。
つまり、少子化は世界の歴史の流れの中での必然の出来事なのかもしれません。
https://president.jp/articles/-/49555
この記事によれば、原因のひとつとして「子供の死亡率の改善」を上げています。
つまり、「子供の死亡という不幸な出来事が減ってきたことが結果的に少子化につながった」と言うことです。
「幸福を追求した結果、少子化につながった」とは皮肉なことです。
以上、まとめるとこうなります。
②技術の進歩や、娯楽の充実、個人尊重の流れが少子化を加速させた
②に関してですが、別に個人の尊重を否定しているわけではありません。
そもそも、価値観に絶対は無く、時代や文化や環境など様々な要因によって変わるということを言っておきたい。
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以上
多くの日本人の意識が「個人の尊重より国の発展が大事!」みたいな「そういう空気」になったら少子化は止まる可能性はあると思うよ。よっぽどの事だと思うけど。
2ヶ月目の時の記事はこちらから。2ヶ月目との違いがわかるので、先に読んだ方がより楽しめると思う。
普通に眠れるようになってきた。赤ちゃんは放っておいたら、夜10時くらいから朝8時くらいまで寝てる。だけど、奥さんはおっぱいが張るらしく、朝5,6時くらいに赤ちゃん起こして、母乳をあげてたりする。
よだれまつり開催中!
うつ伏せにすると顔をあげるのだが、その時によだれが垂れまくる。
バスタオルを引いてるけど、バスタオルが滲む。すごいぞよだれ。自分の服にもよだれが付きまくる。よだれに抵抗がなくなる。
よだれは基本そこまで臭くないけど、たまに、チーズみたいな発酵臭がする。たぶん母乳やミルクが発酵してるんだと思う。
生後1ヶ月くらい、右側を向き続けた結果、頭の形が歪んだ。
1ヶ月経ったあとに、歪みに気づいて、ドーナッツ型まくらを試したり、背中側にタオルを入れて、向き癖を直そうとしたりしたが、相変わらず、頭の形は歪んでいる。
ただ、相変わらず歪なんだが、ましになってきたような気もする。
ちなみに、首の筋肉が発達するにつれて自由に頭の向きを変えられるようになったからか、向き癖は無くなった気がする。
縦抱きすると泣き止むから、歩き回る必要がなくなった。嬉しい。
あとは、うつ伏せ顔上げモードにしてあげても、泣き止むようになったりした。
まぁとにかく泣いたら、抱っこしたり、姿勢を変えてあげれば泣き止む!これは楽ですわ。
3ヶ月位から、割りと便秘気味で、2~3日に1回うんこする感じになった。
その分1回の分量が多くなって、おむつを重ね引いて、交換する方法だと、うんこが新しいおむつに付くようになってきた。
日に4回くらい。概ね授乳時に交換って感じ。
赤ちゃんが大きくなり、ミルク量も増えたので、250ml哺乳類買った。
ちなみにピジョンのスリムタイプ哺乳瓶は1200円くらいする。
最初は乳首がゴム臭がした(僕からしても臭かった)から、嫌がってたけど、重曹で漬けたり、セスキソーダで煮たり、したことで改善した。
あと使い込んでいくうちに、臭いも減って、飲んでくれた。
ピジョンのスリムタイプ哺乳瓶の乳首と互換性があって、付け替えたりできるので、臭いで嫌がったらピジョンの乳首をつけるっていう運用ができた。
なので、ChuChuベビーの哺乳瓶は2つ目にが丁度いいかも。
主に僕のせいなんだけど、哺乳瓶の洗い忘れが多発していて、次の授乳タイミングで哺乳瓶の洗い忘れに気づき、慌てて消毒液に哺乳瓶を突っ込むという過ちを何回も繰り返していた。
どうにか解決できないか?って思って解決方法を考えてみた結果、「ミルク前に15分タイマーを掛ける」方法に気づいた。
まぁ、15分ってのは授乳時間に合わせて変えてもらえれば良いんだけど、タイマーが掛けると、忘れちゃっても、タイマーが鳴るからそのタイミングで哺乳瓶を洗えばOK!
あ、この方法はスマートスピーカーがないと、タイマーセットがめんどくさすぎるので、スマートスピーカーは買った方がいいと思われ。
新大久保の駅はエレベーターでの移動がめちゃめんどい。一回登って、さらに降りる必要ある。
新宿駅はエレベーターの位置がわからりづらい、かつ、階段しかないところがあって、一回階段をベビーカーを降ろした。だるかった。
お風呂に入れると、バスタオルで拭くのとかめんどくさいし、着替えさせるスペースないしで、絶対キッチンで沐浴させた方が楽。圧倒的に楽。
これからもまだまだ、限界までベビーバス使ってお風呂にいれてく予定。
箱根に2泊3日で行った。意外といけたが、途中途中で、ショッピングモールの授乳室や赤ちゃん休憩室にお世話になった。
体重計に身長計、立ち掴まりスペース(+身長測れる目盛付)、おむつ交換台が8台くらい、奥に授乳室、授乳用のお湯サーバー、無料あかちゃん相談室、めちゃ豪華だった。
アップリカのコランハグって抱っこ紐を、ハードオフにて750円で売ってたの見つけて、クーポンも駆使しながら、500円で手に入れた。うちは基本的にベビーカーを使ってるから、今のところ旅行でしか抱っこ紐は使ってないが、いい感じな気もする。まぁ使わなくなったらメルカリに出品かな。
ジモティーで無料でゲットした。いやぁジモティーは本当に良いサービスだなぁ。
車持ってないけど、車を借りる時とかにチャイルドシートが必要になるから、ハードオフとかのリサイクルショップとか、メルカリをみてたのだけど、ジモティだと0円で譲ってくれるってのがあって、譲ってもらった。凄いよなぁー。ジモティ。
まだハイハイもしていないので使えないのだが、とりあえずジモティーで1,000円で出品されてたので、ゲットした。ジモティーありがてぇ。
沢山貰った。お祝いで沢山くれるので、自分では買わなくてもOKかもしれない。
現時点ではオーボールが人気。(てか、今のところそれでしか遊べない感じ)
とりあえず、食おうとしてる。消毒をどれくらいの頻度ですればいいかがわからんが、2~3日に1回くらい消毒してる。
ボタン無いタイプのロンパースが良いことに気づいた。服着せやすい。
ボタンタイプだとボタン止めるのちょっとだるい。数が多いとめんどくなっちゃう。
紐タイプも止めるちょっとだけだるい、あと紐タイプははだけるから、赤ちゃんがめっちゃ食って、よだれまみれになる。
キャスター付きのベビーベッド使ってたんだけど、あやす時とか、赤ちゃんの様子を見る時に、ベビーベッドに体重掛けてたら、ネジ穴がぶっ壊れて、キャスターが取れちゃった。
なので、鬼目ナット買って、ベビーベッドにドリルで下穴開けて、修理した。
可愛さが記録更新してるのよなぁ。
あとよく見る赤ちゃんのデフォルメ絵って本当なんだと思った。くちびるはとんがってるし、ほっぺたはポてってしてるし。かわいい。
椅子型に変形できるし、テーブル付けられるので、離乳食にし始めたらまた活躍しそう。
ボッタクリだと思ってたが、意外とお得商品もあって、百合子のこと見直したわ。
今まとめてるのだけど、どれがお得か調べたので、後々記事をアップしたいと思う。
ワクチン打つ時に、赤ちゃんを泣かさないようにあやしながら、注射を打つお医者さんのショート動画がよくバズってるけど、別に泣くの1分くらいで泣き止むし、あの技術無駄だなぁって思う。なんていうかインスタ映えだなぁって感じがする。
注射を打つ時は、ゆっくり焦らず打ってほしいと思う。どうせ1分くらいで泣き止むし。
周りの人に話を聞くと、動き回りだしてからが、大変さの本番らしいので、楽しみに待つことにする。
今言いたいことは、概ねこんな感じです。
ではまた、2ヶ月後くらいに会いましょう。
コメントでみんな「2.5億ってw先すぎw」みたいにナメてる人多かったけど私は今年の夏すらこれ以上暑くなったら死ぬか死んだ方がマシなのではと思ったけどみんなは余裕だったのか…
2億5000万年後にはすべての陸地が超大陸に衝突し、それによって温暖化が進み、哺乳類が絶滅に追い込まれると、新しいモデルは示唆している。
科学者チームは、哺乳類にはあと2億5千万年しか残されていないかもしれないと予測している。
研究者らは、今後 1 世紀にわたる人為的地球温暖化を予測したモデルと同様の、未来の世界の仮想シミュレーションを構築した。地球上の大陸の移動や大気の化学組成の変動に関するデータを使用して、さらに先の未来を予測した。
チームを率いたブリストル大学の古気候学者アレクサンダー・ファンズワース氏は、「地球は暑くなりすぎて、私たちを含む哺乳類は陸上で生きられなくなるかもしれない」と述べた。研究者らは、太陽の明るさ、大陸の地理の変化、二酸化炭素の増加という3つの要因によって気候が致命的なものになることを発見した。
天文学者は、太陽が着実に明るくなり、約76 億年後には地球を飲み込む可能性があると予想している。
太陽が地球にさらに多くのエネルギーを与えると、地球の大気は加熱され、海洋や大陸からより多くの水が蒸発する。水蒸気は強力な温室効果ガスであるため、さらに多くの熱が閉じ込められる。20億年後には海が沸騰してしまうほど高温になるかもしれない。
ファーンズワース博士は、遠い将来、大陸が地球の周りをどのように移動するかを予測する研究を見つけた。
地球の歴史の過程で、その大陸は衝突して超大陸を形成し、その後一部が分裂してきた。最後の超大陸であるパンゲアは、3 億3,000 万年前から 1億 7,000 万年前まで存在した。この研究は、パンゲア・ウルティマと呼ばれる新しい超大陸が今から2億5千万年後に赤道沿いに形成されると予測した。
ファーンズワース博士は、古代地球のモデルを構築して過去の気候を再構築した。彼は自分のモデルを使って、パンゲア・ウルティマでの生活がどのようなものになるかを確認するのは興味深いだろうと考えた。彼は最終的に訪れた気候に驚いた。
「この世界はとても暖かかった」と彼は言った。
研究者らは、考えられるさまざまな地質学的および大気条件下では、パンゲア・ウルティマは現在の大陸よりもはるかに高温になることを発見した。急激な変化の原因の一つは太陽だ。1 億1,000 万年ごとに、太陽から放出されるエネルギーは 1% 増加する。
しかし、超大陸が事態をさらに悪化させるだろう。まず、陸地は海よりも早く温まる。大陸が 1 つの巨大な陸地に押し込まれると、気温が急上昇する可能性のある広大な内陸部が存在することになる。
パンゲア・ウルティマは、海から遠く離れた広大な平地を含む地形のおかげで気候にも影響を与えるだろう。今日の地球では、雨水と二酸化炭素が山や丘の斜面で鉱物と反応し、海に運ばれて海底に落ちる。その結果、二酸化炭素は大気中から着実に除去される。しかし、地球がパンゲア・アルティマの本拠地になると、そのベルトコンベアは速度を落とすだろう。
もしパンゲア・ウルティマがパンゲアのように行動すれば、二酸化炭素を噴出する火山がちりばめられることになるだろうとモデルは発見した。地球深部の溶けた岩石の乱流の動きのおかげで、火山は何千年にもわたって膨大な量の二酸化炭素を放出する可能性があり、これは気温を急激に上昇させる温室効果ガスの爆発だ。
現在、人類は化石燃料から毎年400 億トン以上の炭素を放出し、地球を温暖化させている。地球温暖化が止まらずに続けば、多くの種の絶滅につながり、人類は地球上の広範囲で高温多湿に耐えられなくなると生物学者は懸念している。
パンゲア・ウルティマについて、ファーンズワース博士と彼の同僚は、おそらく私たちのような哺乳類にとって状況はさらに悪化するだろうと結論付けた。研究者らは、パンゲア・ウルティマのほぼすべてが、哺乳類にとって生存できないほどの高温になる可能性があることを発見した。哺乳類は大量絶滅によって消滅するかもしれない。
ファーンズワース博士は、少数の哺乳類がパンゲア・ウルティマの辺縁にある避難所で生き延びる可能性があることを認めた。「北辺と南辺の一部の地域は生き残れる可能性がある」と彼は言う。
それでも、哺乳類が過去6500万年にわたって享受してきた優位性を失うだろうと彼は確信していた。
平等から階層へ、男女平等から著しい男女不平等への転換は、一般に農業と関連しており、このことはグレーバーとウェングローにかなりの問題を突きつけている。彼らは選択に関心があるため、唯物論的な議論を避けたり、環境が人々の選択を条件づけ、制限する方法について考察したりすることに固執しているようだ。
農業は、約1万2千年前から世界の多くの場所で独自に発明された。狩猟採集民は食料を共有し、持てる以上のものを所有することはできなかった。しかし農民たちは定住し、畑や作物に投資するようになった。そのため、一部の人々が自分の取り分以上の食料を手にする可能性が生まれた。
やがて、凶悪犯やいじめっ子の集団が集まって領主になることもあった。窃盗や略奪、家賃、小作料、労働力の雇用、税金、貢納、什分の一など、さまざまな方法でこれを行った。どのような形であれ、このような階級的不平等は常に組織的暴力に依存していた。そしてこれこそが、ごく最近まで階級闘争が対象としてきたものなのだ。
農民は狩猟民族にはない弱者だった。彼らは自分の土地、畑を開墾し灌漑するために費やした労働、そして作物の貯蔵に縛られていた。狩猟採集民は離れることができた。農民はそうではなかった。
しかし、グレイバーとウェングローは、農民が余剰を生産し、蓄えることができたからこそ、階級社会、搾取、国家、そして偶然にもジェンダーによる不平等が可能になったのだという、この物語に立ち向かった。
2012年、考古学者のケント・フラナリーとジョイス・マーカスは『不平等の創造』という素晴らしい本を出版した。彼らは、世界のさまざまな地域で農業がどのように不平等をもたらしたかをたどっている。
しかし彼らは、その関連性は自動的に生じたものではないと主張する。農業は階級を可能にしたが、多くの農民は平等主義の社会で暮らしていた。農業の発明と階級の発明の間のギャップは、数世紀単位で測られる場所もあれば、数千年単位で測られる場所もある。
フラナリーとマーカスはまた、地元の凶悪犯や領主が権力を掌握しても、後に打倒されることが多いことを、注意深い実例を通して示している。多くの町や都市では、エリートが考古学的記録に現れ、その後何十年も姿を消し、また現れる。事実上、階級闘争は決して止まらないのである[5]。
ジェームズ・C・スコットフラナリーとマーカスの壮大な比較研究は、人類学を根本的に変えた1954年のエドモンド・リーチの著書『ビルマ高地の政治制度』や、アナーキスト政治学者であり人類学者でもあるジェームズ・C・スコットの研究において先取りされていた。[2009年、スコットは『統治されない技術』(An Anarchist History of Upland Southeast Asia)を出版した。同書は数世紀にわたる東南アジア全域を対象としている。
スコットは、平原の王国の稲作農民の多くが丘陵地帯に逃亡したことに関心を寄せている。彼らはそこで、「焼畑」移動耕作者の新たな民族集団として再出発した。彼らの中には、より小さな階級社会を作り上げた者もいれば、階級を持たずに生活した者もいた。そのすべてが、下の王国や国家からの絶え間ない奴隷化や軍事的襲撃に抵抗しなければならなかった。
ある意味では、グレイバーとウェングローはリーチ、スコット、フラナリー、マーカスの仕事を土台にしている。ウェングローは結局のところ、フラナリーとマーカスが要約している考古学の変化の一端を担っている。そして『万物の黎明』には、スコットの影響が随所に見られる。
しかし、グレイバーとウェングローは、一方では技術や環境と、他方では経済的・政治的変化との間にある、他の著者たちの結びつきを好まない。
フラナリー、マーカス、スコットの3人は、テクノロジーや環境が変化を決定するのではない、と注意深く述べている。それらは変化を可能にする。同様に、穀物農業の発明が自動的に階級格差や国家をもたらしたわけではない。しかし、それがそうした変化を可能にしたのである。
階級関係と階級闘争技術と環境の変化は、階級闘争の舞台を設定した。そして、その階級闘争の結果が、平等と不平等のどちらが勝利するかを決定した。グレーバーとウェングローはこの重要な点を無視している。その代わりに、彼らは常に、そのような変化を即座に必然的なものとする段階論の粗雑な形式を問題にしている。
この生態学的思考に対するアレルギーが、彼らが人類の進化に関する新しい文献を扱おうとしない背景の一つであろう。
これらの文献はすべて、人類となった動物たちが、自分たちの住む環境、自分たちの身体、競合する捕食者、自分たちが発明できる技術、生計を立てる方法に対して、どのように社会的適応を築いたかを理解しようとするものである。偶然にも、彼らはその生態系と状況に対処するために平等主義的な社会を築いた。それは必然的な結果ではなかった。しかし、それは適応だったのだ。
一方、グレーバーとウェングローは唯物論者ではない。彼らにとって、生態系や技術について考えることは、彼らが望む選択や革命を不可能にする恐れがある。例えば、古代メソポタミアに関するスコットの本が、特に穀物農業が不平等をもたらした物質的な理由を強調しているため、彼らが満足していないのはこのためである。
これは些細な問題ではない。私たちが今直面している気候危機は、人類が新しい技術と新しい環境に適応するために、社会をどのように変えていくかという問題を浮き彫りにしている。平等や人類存続のための政治は、今や深遠なまでに唯物論的でなければならない。
グレーバーとウェングローが環境や人間存在の物質的基盤にほとんど関心がないことは、これまで見てきたとおりである。
同じように、彼らは階級という概念や、階級関係や階級闘争についての議論をほとんど宗教的に避けている。グレーバーは確かに、そしておそらくウェングローも、階級関係と階級闘争について理解している。彼らは、階級が何をするのか、そして実際、自分がどの階級の人間なのかを知っているが、階級関係を社会変革の原動力として扱うことはできないし、また扱おうともしない。
これと同様に目を引くのは、グレーバーとウェングローがジェンダーの社会的構築に対して関心を示さないことである。彼らはミノア・クレタ島における母系制のほぼバコフェンを再現する一方で、女性は養育者であり、男性はいじめっ子であるという家父長制的なステレオタイプを散見する。
不平等は常に私たちとともにあったというのが彼らの主張であるため、グレーバーとウェングローは、人類の性別による不平等の起源についてほとんど何も語っていない。
男女関係の進化については、基本的に3つの学派がある。まず、進化心理学者たちであるが、彼らの主張は非常に保守的である。ジャレド・ダイアモンド、ナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーは、不平等、暴力、競争は人間の本性の基本であると主張する。彼らは、男性は進化によって他の男性と競争するようにプログラムされているため、強い者が女性を支配し、より多くの子どもをもうけることができるからだと言う。これは残念なことであり、幸いにも西洋文明はそのような原始的な感情を部分的に手なずけてきたとピンカーは言う。
偉大な生物学者であり、トランス活動家であるジョーン・ラフガーデンは、こうした考えを『薄く偽装されたレイプ物語』と正しく表現している。このような議論は実に忌まわしいものであり、そのためだけにグレーバーやウェングローが否定したのは間違いない。
非常に長い間、フェミニスト人類学者の間では、第二の学派の考え方が支配的であった。この学派もまた、女性と男性の間の差異を本質化し、女性と男性の間に何らかの不平等があることをあらゆる社会で当然のこととして受け入れていた。
私たちが支持するのは第3の選択肢である。歴史学、人類学、考古学の記録に顕著な特徴がある。人々が経済的、政治的に平等な社会で暮らしていたほとんどの場合、女性と男性も平等であった。また、経済的に不平等な階級社会が存在したところでは、そこでも男性が女性を支配していた。
私たちにつきまとう疑問はこうだ:なぜなのか?
グレーバーとウェングローはこの問いに取り組んでいない。彼らは性差別について何の説明もしないし、男女関係がどのように、あるいはなぜ変化するのかにも関心がない。しかし、彼らは性差別主義者ではない。彼らは何度も女性抑圧の事例に触れているが、それは一過性のものである。彼らの関心事の中心にはないのだ。だから、私たちには印象的な一致に見えるが、彼らにとっては蜃気楼なのだ。
グレイバーとウェングローの説明の重要な部分は、農耕と階級的不平等、そして国家の出現との関連を軽視しようとする決意のもと、階級的不平等や戦争、さらには奴隷制さえも存在した狩猟採集民のグループに焦点を当てている。考古学者は彼らを「複合狩猟採集民」あるいは「複合採集民」と呼んでいる。
グレバーとウェングローは、先史時代の人々が無国籍で平等主義的であったか、暴力的で不平等であったかのどちらかであったという証拠として、これらの人々を取り上げている。それは証拠が示すところとは違う。[7]
典型的な例は、フランツ・ボースによって研究されたクワキウトル族と、カナダの西海岸、コロンビア川とフレイザー川の近隣の人々である。この川と海岸では、莫大な数のサケが遡上していた。限られた数の隘路や漁場を支配する者は、莫大な余剰を蓄えることができた。コロンビア川のギャレスがその一例だ。少人数で10万ポンドのサケを獲ることができた日もあった。
それは例外的なことだった。場所によって差はあった。しかし、沿岸部や河川全域にわたって、サケの資源が豊富であればあるほど、考古学や文献記録には階級間の不平等が表れている。富の不平等はしばしば極端であった。また、これらの人々は複雑な軍事技術を持っており、大勢の戦士を乗せ、数人で何カ月もかけて作るような大きなカヌーを使っていた。
事実上、農民が田畑に囚われていたように、これらの人々は漁場に囚われていた。そして農民と同じように、サケ漁師たちにとって貯蔵は不可欠だった。考古学上の記録を遥かに遡ると、彼らの骨や歯を調べると、年間の食生活の40%から60%がサケからもたらされていたことがわかる。サケは数週間しか獲れないので、その食生活の大半は乾燥サケによるものだったに違いない。
農民と同じように、環境的制約と新技術が階級社会の可能性を開いていたのだ。こうした過程は、『万物の黎明』にはまったく見られない。そのかわりに、50年前の学部生がクワキウトル族について語った、浪費的で貪欲なポトラッチの饗宴の民という、お決まりの説明がなされている。この説明は、その後の膨大な研究成果を無視している。
天然痘と梅毒で人口の6分の5を失い、金鉱探鉱者によって征服され、そして蹂躙され、最終的にはカナダ政府によってポトラッチの宴が禁止された人々の中で、あの無秩序な宴は、権力にしがみつこうと必死だった支配階級によって管理された伝統的な生活の祭典であったことが、今ではわかっている。深い物質的な悲劇が、非合理的な茶番劇として語られている[8]。
西海岸の漁民だけが「複雑な採集者」だったわけではない。世界中には他にも例がある。しかし、それがいかに少ないかは注目に値する。さらに考古学者たちは、現在より7,000年前より古いものはひとつも見つかっておらず、14,000年前より前に戦争があった証拠もない。
複雑な採集民の数が少なく、その起源が新しいのは、技術の問題かもしれない。確かに、カリフォルニア沿岸のチュマシュ族が不平等と戦争を発展させたのは、紀元600年以前に大型の外洋用板カヌーの建造を習得してからである。
彼らは「複合型採集民」の第三の例として、フロリダ南部のカルーサ族を選んでいる。ある意味では、これらもまた、支配的な首長、戦士、階級格差、奴隷制度、高価な戦争用カヌー、海の哺乳類、ワニ、大型魚の漁業に依存する漁民であった。
グレーバーとウェングローは、カルサ人を「非農耕民族」と表現している。しかし、彼らが認めているように、カルサの漁民はもっと大きな政治の中で支配的なグループであった。他のすべての集団は農耕民であり、カルサ人の支配者に大量の食料、金、奴隷にされたヨーロッパ人やアフリカ人の捕虜を貢納していた。その食料によって、カルサ族のエリートたち、そして300人のフルタイムの戦士たちは働かずに生活することができた[10]。