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はてなキーワード: 中二病とは

2017-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20170613110221

死ねない体になったこともないのになんで死ぬことが良いみたいな結論に総じてなるのかが理解できない

中二病だと思うけど誰もツッコミいれないよね

エッセイ漫画とかレポート漫画とかは読めるけど

ねとらぼと揉めてる漫画家とか、ど根性ガエルとか、中二病自分語りっぽくて途中で読むの辛くなってやめた。

ブラックジャックによろしくの作者が書いてた漫画業界残酷物語みたいのはまだフィクションからいいけど、自分主人公ノンフィクションでやられると痛々しすぎる。

普通に支持してる人もいっぱいいるから、ああい感性の人、世の中にはいっぱいいるんだろうな。

2017-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20170608013203

社会人版の中二病というか

より普遍的には慣れ始めてきたところが一番怖いってやつかな

2017-06-07

意識とは何か その2 意識物体から生じるのか

その1 http://anond.hatelabo.jp/20170602204654

動物意識はあるのか」という問いは出来ても、「人間意識があるのか」と問うのは難しいだろう。自分意識があるのは実感として分かる。しか自分以外の人間は、知性あるように見せかけているだけの、分子機械人形であり、意識はなく、自分だけに特別意識がある、と考えるのは、おこがましく、中二病である

同じように、知性があり、「思考している自分存在する」という認識に達し、自分について考えているコンピュータを見た時に、「こいつは知性があり、自意識があるようにも見えるが、所詮見せかけである意識があるのは人間だけであり、計算機とき意識はない」と断ずるのも、同様におこがましいように思う。計算機にも意識自意識は生じうる。

これは特に根拠のある話ではなく、「おこがましくない考え方をするならば」ということに過ぎない。しかし、その1でやったように、意識機能として定義するならば、存在することは疑う余地がないように思う。

そうでない定義採用しようとするならば、ではそれは何なのかという問いが生じる。「AI意識があるのか分からない」といった場合意識がどういうものか分かっていないので、それが存在するか分からない、というのが大方のところではないだろうか。しかし、なんだかわからないものが、あるのかないのかわからないのは、ごく普通のことである

意識がどういうものなのか理解できれば、意識存在自明となる。意識について詳述し、定義することで、人の脳は、意識という存在を納得し、受け入れるようになる。

存在を見たことがない、たとえばエルニーニョ現象とか、フェーン現象と同じように、意識という現象も、存在を詳述することで、実際に見たことはなくても、人は受け入れる。だから、その1で私は、意識について詳述し、物理現象として定義した。

そして意識存在を納得したならば、物体から意識が生じるのを、受け入れることになるだろう。あなたは非宗教国家日本で、現代科学文明の一員として生きているので、物理現象に、魂のような、科学説明できないものが介入することを拒むと思う。全ての物理現象物体から生じている、と考える世界観から離脱する気がないならば、意識物体から生じていることを、認めざるを得なくなる。

意識について考えている時、それに付随して出てくる問題として、感覚とはなんなのか、というのがある。物体感覚が生じるのか、という問題である

あなたが感じている感覚は、あなたが感じているのであるから存在することは自明である。そして、「すべての現象物体から生じる」という世界観に留まるならば、物体感覚が生じていることを、受け入れるしかなくなる。

犬や猫のような動物が、感覚を感じていることは、見れば分かるだろう。しかし、たとえば石を蹴った時に、石には神経がなく、痛みを認識する脳も、「痛い」と言う口もないので、痛みを感じているようには見えない。

他者感覚意識と同じように、観測できないので、現代人が存在を納得して受け入れるには、物理現象として記述する必要がある。たとえば、感覚は、五感のような感覚発生器官からの刺激を、情報処理していく過程で発生するものだ、と考えるのが自然だろう。神経が刺激され、ある種の電気パルスが発生すれば、痛みを司る脳の部位に電気パルスが流れ、痛みを感じる、といった感じだ。

計算機には感覚が生じるだろうか。今行った定義から見れば、感覚は生じているはずである。今は感覚器官、カメラマイクなどの入力に対して、適切なリアクションを返していないので、計算機には感覚があるようには見えない。しかし、刺激に対して機械的反応ではなく、計算機判断を行い、人間レベルまでいかなくても、動物レベルの適切なリアクションを返すようになれば、計算機感覚が生じているように見えるようになる。そうなれば、計算機感覚が生じるのが納得できないという、今の人間が持っている違和感も、大部分が氷解するはずである

現代人が存在を納得するためには、物理現象として記述し、それを受け入れることが必要である。そして、その描写が正しければ、判断予測に使える。私は、私がその1で書いた意識定義が、そんなに間違ってるとは思っていない。人の意識について考える時に、この定義を使えば有用だし、予測も出来るだろうと考えている。(たとえば、言葉を口に出さずに考え直すことが、知性の発達を助ける、とか、カラスがクルミを道路において、車に轢かせて、中身を取り出して食べるのは、論理的思考した結果ではない、といったようなことだ。偶然落としたら食べられたので、また落とすようになったり、他のカラスが落としてるのを真似した、といった程度のことである

唯物論世界から出る気がないならば、物理現象に絞って考えることで、思考節約でき、また予測など出来て役に立つので、オススメである

2017-06-06

年をとると意図せずとも差別する側に回ることが多々ある

なかなか悩ましい。

具体的には独り身の独身貴族だったころと家族子供ができてからでは価値観が大きく変わる。特に子供」という自分よりも大事存在ができると昔のように能天気に寛大な対応は取れない場面が多々ある。

わかりやすいたとえだと、たとえば福島産の農作物である震災から6年以上たって除染もしっかりできていると散々報道されているのに、いまだに「放射脳」と揶揄される行動で福島産の農作物を忌み嫌う傾向がネットでも見られる。

これは子供ができる前だったら純粋軽蔑してたのだが、子供を育てる身になるとなかなか悩ましい。俺個人福島産の食材を食べることにはなんら抵抗がない。ただ何も雑念なく自分の子供にも与えられるか?と問われると正直悩む。頭では「市場に出回っている食品安全」だとわかっていても、わざわざ数ある選択肢の中から福島産のを選んでそれを子供に与えるのか?というジレンマがある。

正直現時点でわざわざ福島産の農作物を選ぶのは、いまだに風評被害に苦しむ福島農家応援しようという気概が一番の動機だろう。だからそれを自分で買って自分だけで食べる分には何の問題もない。でもそれをわざわざ意図的子供に買い与えて食べさせるのは、逆に親のエゴなんじゃないか?というジレンマが生まれしまう。

性犯罪児童虐待前科がある人間についても、以前はどんなにひどい罪でも刑務所で罪を償った以上はちゃんと彼らが社会復帰できるように協力するのが大事だと純粋に思っていた。しかしいざ自分にも子供ができるとやっぱそういう前科者には家の近所に住んでほしくない。できれば欧米のように顔写真つきで位置情報ネットで公開してほしいと思わずにいられない。

これらの感情を「気持ちはわかるけど差別」といわれてもしょうがないと思う。少なくても「自分がしてることは家族を守るための社会的区別差別じゃない」なんて思い上がった台詞をはかない人間であり続けたいとは思う。ただ人間というは自分より大事存在ができると、それを守るためには差別する側に回ったり、時には犯罪を犯すこともいとわないものなのだなと痛感する。なぜ世界宗教という存在が生まれたのか最近よくわかる。

こうの史代の「夕凪の街 桜の国」という漫画被爆者差別されるシーンがある。でもそれは被爆者を忌み嫌うというより、自分たち大事な娘が被爆2世の男性結婚したら悲しい思いをするんじゃないか?生まれてくる孫は大丈夫だろうか?という娘を思う親心からまれ差別なのがとても印象的だった。ときには同じ被爆者でありながら、自分の息子には被爆者結婚してほしくないといったシーンもあった。中二病風にいえば「愛が差別や憎しみをうむ」というやつか。

大人になるというのは思ってたよりもしんどいものだな。

2017-06-04

映画『ローガン』を受け入れられない(ネタバレ注意)

考えれば考えるほどこの映画が無理。


まず私は、X-MEN映画ファンです。アメコミ未読です。

ブライアン・シンガーX-MEN1から好きでした。

X-MEN2も大好きです。


でもファイナル・ディシジョンで死んだ。


あのときは、『こんな中二病展開をX-MENでやるな!やりたきゃ他の映画でやれよ!』と思ったものですが、

まさかローガンでも似たような心境になるとは思わなかった。


あんなに絶賛されていて、見るのをとても楽しみにしていたローガンなのに。

見た後の心境としては、

社会派西部劇がやりたいなら他の映画でやってくれ』

でした。


私は、少年ジャンプのようなX-MENが好きだった。

スコットやローガンやジーンやストームが、それぞれの能力を活かして戦い、最後には、暗闇はあるけれど、希望もあるという終わりを

見せてくれるX-MENが好きだった。

それはファーストジェネレーションになっても変わらず、若きマグニートープロフェッサー、ビーストミスティークが、能力を活かして戦う。

娯楽作の中にリアルを落とし込み、暗闇はあるけれど、希望はある。そういう終わり方を見せてくれた。

だけど『ローガン』は、ガラッとトーンが変わる。

娯楽の中にリアルを入れるのではなく、リアル路線の中に娯楽を入れた。

まるで社会派西部劇だ。パンフレットでは『許されざる者からインスパイアが語られていたけれど、まさにそう。

娯楽としてのアメコミ映画から社会派へ転身しようとした。

(付け加えると、シビルウォーはかなり現代問題を取り込んでいたけれど、それでもまだあれは娯楽作品だと思う)


そして、社会派への転身のために、学園のキャラたちは殺され、しかもそれを行ったのがプロフェッサーであるという、救いのない設定になっている。


この設定、『ローガン』のためですよね。

閉塞感や、誰も助けに来ない、救いのない雰囲気を作るためだけに、ほかのキャラを殺したよね。


そもそも

ミュータント世界中で生まれているはず。世界中の人々の飲食物に薬を混入して、ミュータント発生を防ぐなんて不可能だろう

・もし、可能であるとしても、遺伝子学を専門とする教授が何も気づかず見過ごしたのはおかしいだろう

ミュータント誕生率が減少する一方なのに、X-MENは何も疑わずに看過したのか

・それに教授テレパス制御が聞かなくなったら、フューチャーパストのように『他人の声が無差別に聞こえる』となるのが普通

・力を信奉するマグニートーに対して、力の制御を教えるのが教授だったのに、その教授を力の暴走人殺した設定にするのが不快

・だいたい、アポカリプス覚醒したフェニックスがいれば、教授暴走を抑え込めるはずだろう


……等々のツッコミどころはあるんですが、設定の矛盾に関しては、X-MEN映画ではよくあることなので、まだ飲み込める。

ただ、そのすべての矛盾が、『ローガン』という映画の救いのない空気を作り出すための踏み台になっているのは無理。


学園のキャラたちを殺して、教授人殺しにして、それで『ローガン』という名作を作りましたと言われても、受け入れられない。



……といっても、監督ヒュー・ジャックマンも、こういった批判理解してるだろうとは思います

パンフレットに、ヒューのインタビュー

『(『ローガン』で一番気にしていたことは)あらゆる抑制を解いて、このキャラクター(ローガン)に取り組むことだった。』

とあって、やっぱりそうなのかと思いました。


この映画は、ローガンというキャラクターのためだけに作られた映画で、

そのために、今までのお約束はすべて無視した。それが『あらゆる抑制を解いて』ということだと思う。


もちろんそこには、映画年齢制限だけでなく、

ミュータント各自能力を活かして戦うという展開

マイノリティへの差別など、現実問題を加味しつつも、あくまで娯楽作品という路線を崩さな

などのお約束を捨てたことも含まれているんだろう。


これはローガンというキャラのことだけを深く掘り下げて、ローガンというキャラのことだけを最大限に描くために作られた映画だ。


これが映画正史にならないことを祈る。


でも、ヒューがウルヴァリンから引退を表明している以上、次作はこの『ローガン』を踏まえてのものになるんじゃないかと思ってしまって

それが怖い。

2017-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20170526120355

それ(黒歴史)を客観的に読めない時点で未だに何らかの中二病を患っている

2017-05-25

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論:場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかい単語容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフ研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞データベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイト自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します

たとえそれが個人的談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学研究なら普通は発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞投書欄分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿分析発言者特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄り発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

=何が言いたいかというと、確かにあの論文研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答ボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生研究助教准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

  • リンク先で言われている「社会調査」の例
  • 今回の調査は「ネット上に公開された小説分析
    • なので仮にあてはめるとするなら「図書館に行ってLGBT団体の機関誌を調べてどんな人がどんなことを書いているか分析する」に相当する
      • 普通、そういう調査をするに際して、当該団体の許可は要りません(その団体の会員にしか配られなかったので、その団体が所有する図書館でしか読めません、というなら別だけど)。当たり前だよ、侵襲性がないんだもん。今回のは、その文献調査で知り得た情報をどのように扱うべきだったかという話でしょ。何度も言うけど発表された二次創作を無断で分析するのは原理的にはやっていいんですよ
  • なのでこれは、医学や文化人類学社会学フィールドワークとは根本的には違う話です
    • それらの学問では、患者さんや調査対象の人たちに時間を割いてもらって、必要とあらば彼らの社会に住み込むことによって、個人情報も含めたデータ提供してもらいます。侵襲性が高いというのはそういうことです。それらの学問では調査すること自体が彼らに迷惑をかけてしまうことになるんです。だからちゃんと事前に許可を取ったりしないといけない。でも、インターネットで公開された文章を検索したり、図書館雑誌を探したりするだけなら、調査対象に迷惑はかかりません。だから調査対象にいちいち許可を取る必要なんてありません。ただ、それによってセンシティヴな情報が得られることもあるし、それは研究発表のときに注意しないといけない、という話

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館雑誌バックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:nt46

医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん

カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

id:ajtpyomkptm

二次創作研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。

前例はあります

今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究もっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。

まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。

あとこれ言うと揚げ足取りなっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします明治文学研究とかルール違反百貨店や~。

追記

これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。

2017-05-23

ASUS Zenbook3 Deluxeめちゃちゃ欲しい

macbookもどき中二病パソコンと言われるASUS Zenbook3だけど、

やっぱりちょっと小さい。これの一回り大きいDeluxeが出ると聞いてめちゃくちゃ欲しくなった。

Windowsユーザーとしてはこれを買わない手はない。

2017-05-18

中二病という言葉が有名になった今、そうならないように意識するから

中二病の内容が変わってそう

2017-05-11

全日本中二病選手権

自分特別な力を持った特別存在と思っているやつを全国から集めて大会を開きたい。

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170510090422

しろ子供っぽいものは恥ずかしい」「エログロ暴力満載だと大人っぽくてかっこいい」と言う感覚中高生くらいの子限定のものでは

童話っぽいものも素直に楽しめる事こそ、子供(というか中二病)を卒業した証じゃないか

http://anond.hatelabo.jp/20170509221327

古代萌えアニメだって恋愛要素での俺tueeeに過ぎないから、ラブひなの浦島景太郎感情移入してたし、いわゆる青春時代は人付き合いよりもスレイヤーズ魔法詠唱を覚えることに時間を賭してたからいまだに中二病だし黒歴史バーゲンセール毎日開催中だよ。

2017-05-09

最近アニメについて思うこと

どう思いますか?

最近最強主人公が減り、オタク感情移入やす主人公が増えてきてますね。

そんな現在アニメの傾向に、僕はオタクに媚びすぎでは?と思ってます

一昔前のアニメ

SAOや劣等生、ノゲノラに代表される、いわゆる俺tueeeストーリー

(正直この言葉自体インターネット気持ち悪い部分が出てるのであまり好きではない)

この手のストーリーでは視聴している最中視聴者主人公感情移入し、気持ちよく視聴することが出来ます

実際、僕も中学生の頃はこの手のアニメにドップリハマっていた時期もありました。

しかし、この感情移入が生み出した負の遺産があります。それは「中二病患者」です。

古代文化「萌」を嗜むオタクであれば、俺tueeeではなく、ヒロインに目が行くので中二病にかかりにくかったはずです。

しかし、問題は、俺tueee時代からオタクになり始めた世代です。オタクになり始めた初期は特にストーリーに影響されやすいため、インパクトの強い「俺tueee」で人格形成されていきます。これが「中二病」に繋がっていくのでしょう。

しかし、中二病というのは一時的病気で、熱が冷めると突然今までの自分の行動が「黒歴史」に変わっていきます。この世代感情の変化が現在アニメの傾向につながっていると僕は考えています

現在アニメ

エロ漫画先生俺ガイル、冴ヒロ2期、これらのアニメ現在アニメの傾向を良く表していると思います

中二病卒業すると流石に「俺tueee」が「痛く」思えてくるので、アニメの好みも変わってきます

そこで制作側は次のジャンルに切り替えてきます。それは「主人公オタク」という新たなジャンルです。

表面的なアニメとしてのジャンルは変わりませんが、主人公キャラクターが大きく変わっています

中二病患者SNSで群れを作り、様々なオタクコミュニケーションを取っているため、オタクの特徴を熟知しています

その中二病時代感覚くすぐり感情移入やすい「オタクキャラ」は一定層のオタクに好評でした。

(たとえそのオタク主人公現実とかけ離れていたとしても…)

また、この頃からオタク定型句のようなものが固まってきたためそれをアニメ側が使う様に成りました。

これが気持ち悪い

オタクアニメの間には明確な壁があり、両者が客観的視点で互いを見るべきだと僕は思っています

オタクアニメに近づこうとしたり(中二病)、アニメオタクに近づくと(主人公オタク化)現実世界観アニメ世界観に大きな影響を与えてしまます

そのため、純粋ストーリーとしてアニメを見ることが出来なくなってしまうと僕は感じています

互いに不干渉であった「萌」はその点今よりも良かったのでは無いでしょうか?

まとめ

アニメ制作方針として、視聴者を掴むための「主人公オタク化」はとても上手い方法だと思います

しかし、それで世界観曖昧にして、作画で誤魔化すのでは本末転倒ではないでしょうか。

僕は「純粋ストーリー」と「かわいいキャラクター」と「ブレない世界観」の3つが揃ったアニメを求めています

あなたはどんなアニメを求めますか?

http://anond.hatelabo.jp/20170509002108

それ中二病ですわよ あなた発症遅いですのね

本なんていくらでもジャンルあるのに

洋楽以外は音楽じゃないみたいなのとまるっきり同じですわ

2017-05-08

[]CHAOS;HEAD NOAHvita版)

ひどい中二病ゲーだった

悪い意味

前半のキャッチー事件オタク描写はよかったけど、後半のニトロゲーっぽいとってつけたような能力バトル、造語、設定の超展開オンパレードには辟易した

ほんと中二が書いたみたいな感じで、黒歴史そのまんまって感じだった

シュタゲはそれを作中でネタにしてたレベルだったからまだよかったけど、こっちは最初から最後まで全力中二病でつっぱしった感じだったから、すげーきつかった

ゲジ姉とかいうロボノで出てきたワードがでてきてちょっとおっと思ったりはしたけど

ルート分岐もめんどくて無駄に何週もしてしまった

skipはそこそこすぴーど あったけどめんどいもんはめんどい・・・

xbox版は目で追えるレベルskip速度だったらしいから、周回前提のこれでそれはすげーきつかっただろうなあ・・・

あとvita版は立ち絵が切り替わるときにいちいちひっかかってもっさりする(残像が残ったり)のがすげー気になった

こんなん普通にやってて気づくレベルだと思うのになんでなおさなかったんだろう・・・

ギャルゲー立ち絵の切り替えでもたつくとかマジで最低ラインにも達してないわ

17時間くらいだったけどskipしたりで実質読んでたのは13時間くらいであとは何度もskipしてた時間かな

あと主人公ボイスが吉野個人的にはshirobakoおちゃらけモヒカン制作進行のほうを思い出してしょうがなかった

うーんこれは失敗だったなあ

まらんかった・・・

2017-05-07

『ササキ』って名前だけど

この『佐咲』って漢字名前を見たときは、「ササキって名前もカッコよくなれるんだぁ…」とちょっと感動した。


佐々木』とか『笹木』とかよりも明らかにまとってるオーラが違う気がする。


『ササキ』もカッコ良くなれるのなら『サトウ』とか『タナカ』とかもいけるのかな?




[追記]

自分でも何とか『ササキ』をカッコ良く出来ないか考えてみたが、結局こんな中二病全開な『鎖裂』しか思い浮かばなかった。

『佐咲』ほどピッタリはまっている感じがなく、全体的に画数が多い感じが無理に背伸びして外側だけ強く見せてます、って感じがなんかカッコ悪い。

よくある名字をカッコ良く、そして違和感なく見せるのって以外と難しいと感じた。この2つをクリアしている『佐咲』はレベルも風格もササキ界のトップに君臨してもいいように思う。『サトウ』や『タナカ』のトップに関してはもう少し意見が集まったら考えたい。

2017-04-23

自分の設定

オンラインゲームの顔を合わせない相手向けに自分の設定を考えている

[

独身、男、年齢不詳オヤジ

ゲームアニメが好き

英語がそれなりに得意

飛行機の操縦とかもできる

外資系IT企業勤務で過去10年の海外出張は200回近い

柔道初段

合気道初段

剣術:FF14に例えるならLv20くらい

[

いい年して未婚なのには訳がある。

長く付き合った初恋相手がいたが、当時25歳のアメリカ留学中に「日本へ帰ったらプロポーズするんだ」と

フラグを立ててしまったために、オレが帰国する前にその人は死んでしまった。

それ以来誰も本気で好きになったことがない。

[

設定なら女子大生とかにした方が楽しそうな気もするがネカマは無理だった。自分が混乱して疲れるだけだ。


なんかトラックバックが付いてる. . 。そういうときは追記でいいのかな?

増田のやり方よくわからん

[

この設定をそのまま話そうとは思ってなくて、こういう背景で話をするのですよ。

ファンタジー抜きの、物理的に可能中二病的願望を追求したらこんな感じになった。

ボロを出さず、照れもしない自信あり!

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170417221924

いかにも春から環境が変わった若者特有

なんとなく上の人を否定してかっけーwwなタダのイタイ文章じゃん。

逆にこれでなんの目的で何を釣ろうと解釈できるんだ。

中二病小説に変な勘ぐりとかやるのと同じように、いちいちこういう手合を真面目に考えてたらキリがないぞw

すまんトラバ先間違えた。

2017-04-16

件の彼女

愚痴垢のフォロワー愚痴案件さんと言うのは、1番仲が良い女の子のことである

中学校高校と同じところに進んでいて割と初期から今までずっと仲良くしている。相談したりされたりするような間柄だ。周りから見ても「親友」じゃないの?と言われるような感じの。(最近だと親友って死語なのでしょうか)

しかし実は___とかそういうことではない。ないから困っているのである。その子自体はとても好きなのだがどうしても好きになれない部分が正直言って多すぎるのだ。

そもそも「つまりそれって嫌いなんじゃねえの?」と自分でも考えてみたのだが、やはりそういうことではない。

嫌いな要素と同じくらいかそれ以上に好きな要素も多くて、総合的には好きなのである

しかしそれが嫌いなところを相殺してくれる訳ではない。シーソーの片側には確実に「嫌いな部分」が存在したままなのである(例え下手)。

そして「嫌いなところ直してほしければ本人に言えば?」という点についても考えた。

これについては「別に直してほしい訳じゃない」と言うしかない。

嫌いだから直せ💢というのは簡単かもしれないが嫌いなのは自分だけかもしれないし、自分にそんな権利はそもそもないのである。(反対派が声高に言うことによって本来多いはずの賛成派が消されていくのってTwitterとかでよく見かけますよね(小並感)。)

昔のプリキュアに「相手の機嫌ばっかり伺って大切な事を言えないのは本当の友達って言わないんだよ!(意訳)」と言われそうではあるが、友達を失うリスクを犯してまで本当の友達を得る必要性をあまり感じない。

「直してほしい」と「穏便に仲良くしたい」を天秤にかけた結果後者が勝っているのである

自分1人がこの気持ちを外に出さなければ彼女もまわりも穏やかに過ごせるだろう。

ここまで長々と言い訳を書き連ねてきたのだが、結局言いたいことは本人には到底言えないので愚痴ます、ということである。次回からのんびり哲学的なことを考えずにぐちぐちしたい。中二病混じりな文章で確実に黒歴史確定だが吐いていきたいと思う。学校だと頭弱いキャラなのでこんなこと絶対言えません。

2017-04-09

テーィン文化の中でも特に低年齢のものけが若者文化」であって

大学生文化も若手社員文化も全部中高生から見たら年寄り文化なんだ、

みたいな思想根底としてるらしき理論最近良く見るけど

大学生年寄りに分類してしまうあたりいかにも若者勇み足って感じがするし

いろいろとキツイ中二病と同じようなものを感じる。

「オッサン文化」呼ばわりすれば否定として上質みたいな感覚がまずアレだし

その批判のために20代をオッサンバサン呼ばわりするってのは以上ではないのか。

2017-04-07

インターネット

ピーヒョロロ

鳶ではない。ダイヤルアップ接続の音だ。

初めてネットしたのいつだっけなと、月がきれいを見てふと思った。

あぁ中学生の時だ。もう20年も前になる。

当時オアシスが好きだった僕は、Be here now以降全く情報が入って来ないことにもどかしさを感じ、姉が親に買ってもらったパソコンを借りてoasisホームページに直接アクセスすることにした。

IEを開いて、カリカリタカタ音を立てながらゆっくり読み込まれ表示されるページを見た時に、私は発狂する程興奮した。

セカイを手に入れたと。※

中二病だったんです!

その後私は目を盗んで色々なページを見ていたのですが、その当時好きだった漫画二次創作サイトを、姉の履歴から発見してしまったのです。

私はそのページを見て発狂しました。※

※近所の人に心配されました!

思い返してみれば、小学校の低学年の時にカップリングに目覚めていた私なので、そういったサイトを見て興奮しないわけなかったのです。

そして、その時感じた興奮は、偉大なる先人に会えた喜びだけではなく、誰も来ないような場所で目を盗んで分かる人だけで楽しむ、というある種の特別感だったのです。子供の頃秘密基地で見たエロ本とか、親の目を盗んで吸った煙草とか、お酒とか、何か大人になった気がしました。

しかし、それから直ぐにインターネットが出来ない状況になり、気が付けば20歳になっていました。

その時は携帯から二次創作小説投稿出来る魔法のiらんどフォレストが全盛期だったので、そこでこっそり楽しむことに喜びを感じていました。

だがしかし、今度は仕事私生活が忙しくなり、数年間そういった活動から離れることになりますしかもその時パソコンを持っていなかったので、あのこっそりアングラ感をしばらく味わうことはありませんでした。

そんなこんなで2006年。私は自分お金無駄に性能の良いパソコンを買い(ネットしかしないのに!)、電脳世界自由に飛び回りました。

翌年iphoneが発売されると、益々ネット上での活動?は活発になりました。ツイッターもその頃始め、やはりその当時はこっそりアングラ感があって随分と楽しかったです。

でも今は違いますインターネットは昔以上に全世界を繋げ、情報の発信源となっています。最早テレビ必要ではなく、スマホタブレットさえあれば様々なコンテンツサービスを楽しむことが出来ます

あのダイヤルアップ接続の間に感じだダイブ感※

※例えが色々ブレているけど気にしない!

はもうありません。どんどんオープンになっていきます

「それにしても、ネットは広大だわ

この言葉を呟いた草薙素子さんの気持ちがよくわかります

はいえ実生活では奥さんに怒られ、中間管理職として奔走する日々なのです。

これから先、色々な世代から色々なカルチャーが生まれるんだろうな。

酔っぱらいの戯言

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170405230327

別な女に巨乳を求める女って

プロフィールに「生物学的には女」とか書いてしま思春期オタク女子とか

私は他の女が巨乳でも嫉妬なんてしないのよ!を強調したいのが斜め上に行った中二病女子くらいでは

本当に巨乳が好きなんじゃなくて、「女だけど巨乳が好きな特別なワタシ」を演じたいだけ

そういう時期を卒業したいい年こいた大人になって、他の女の乳のでかさに言及する女なんか見た事ないし

いたら痛い人だと思われるだけでは

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