人の脳は脳細胞同士が連結、通信しあうナイーブな電気パルスから離れ、高次思考を言語で行うことに成功した。それが人間と他の動物の間にある知性の差であり、ナイーブな電気パルスのイミテーションにすぎないディープラーニング人工知能が未来永劫知性に達しない理由でもある。
人は言語により思考し意思決定し、本を読んで学習し脳をプログラミングすることも出来る。言語は電気パルスを離れ安定したテキストデータとして脳に貯蔵しておくことも出来、それを外部に文書として記述することで知識を共有し後世に伝えることも出来る。
脳は各部が機能を持ったパーツとして存在していて、特定の箇所を傷つけると特定の機能が消失することが知られているが、各部位で行われた電気パルスによる思考の結果は高次脳領域で言語データとしてエンコードされ、意識に送られる。意識は言語データを受け取り、口に出すかどうかを決定する。口に出さない場合は心に思うだけにする。そして必要な場合言語データをループバック回路に送り返す。ループバックされた言語データは新たに入力された感覚器官からの電気パルス信号とともに再び脳に入力されて処理され、また意識に言語データとしての処理結果を返す。
意識的思考というのはつまり、脳から出力された言語データを何度も脳に送り返すことで言語データを熟成させるプロセスのことだ。思考自体は意識が行っているわけではなく、脳細胞が電気パルスによって行っている。意識の働きは脳から出力されてきた言語データを評価し、口に出すかどうか、あるいは思考を継続するために脳に送り返すかどうかを決定している。そこで流れた言語データは電気パルスにデコードされ記憶領域に複製されていて、後から思い返すことが出来るため、そこに意識の流れが出来、時間感覚や自分が意識を持ち生きているという認識が生じる。
脳内の思考活動は脳内で閉じていて、外部からは存在が実証できないため、意識があるとかないとか自由意志があるとかないとかいった問題が生じているが、意識はあるし自由意志もある。意識は考え続けるか、考えるのをやめるか決定し、自ら行動を変化させることが出来るので、自由意志が存在するといえる。もちろんそれは決定論と矛盾しない。
追記:つまり実際の思考を行うのは各部位で行われる電気パルスであるが、意識はその言語化された出力を脳に戻すことで何度も思考をループさせ、それによって思考を高度化させている。その機能は、「言葉を口に出すかどうかを決定する」回路から進化したもので、「思ったことを口に出さずもう一度考える」という能力を獲得したことが、人と動物を分けた、という話。意識は言葉を口に出すかどうかだけでなく、言語で思考した内容を実際に行動に移すかを全般的に制御出来るが、言語によらない思考から発生した行動は制御できない。それが、意識は言語を処理する機能だという証拠になるだろう。
追記2:「自分には意識があるという実感がある」というのが不思議な感じがするのだろうが、事実として意識はあるし、実際に脳内で行われた思考の結果である、出力されてきた言語データの内容を記憶していて思い出すことも出来るから、自分はずっと意識を持ち生きているという実感があるのは当然である。意識はそういう機能だからだ。それは幻覚でも何でもない。
追記3:動物に意識はあるかという問題について。動物に意識はない。ハイデガーいわく「動物は私と言わない」というが、「私」が「思考している」という文を組み立てられるだけの言語的複雑さを動物の脳は持ち合わせていないので、「思考している私が存在する」という認識、つまり意識の認識に動物は至れない。
追記4:計算機が「私」や「思考している」という概念を理解し、「思考している私が存在する」という認識に至る可能性は当然ある。ディープラーニング人工知能の延長線上では無理だと思うが。
追記5:この機構が計算機上のニューロンだけで成立するかという話。まず、電気パルスを言語データに変換するアルゴリズムは、人類のDNAにハードコードされている。人の知性はニューロンに由来するのではなく、DNAに由来する。人間より脳細胞が多い動物はいくらでもいるが、人間のように知性がある動物は他にはいない。人間という生物種全てに知性が存在する以上、その人間を定義するDNAに知性の根幹があるのは疑う余地が無いだろう。人間であれば基本的に言語を操る力を身につけることが出来る。それは人類のDNAに言語を操る基となるプログラムが記述されているからだ。
だからこのシステムに必要なのはディープラーニングによる学習ではなく、DNAの解読だ。学習は動物であれば誰もがしているが、言語を自由に操れるのは人間だけだ。学習からは言語にも、知性にも到達することは出来ない。学習によって知性や言語を得ることが出来るように、脳細胞を構成しているDNAが、知性の発現のための必要条件となっている。
しかし、DNAを解読して得た 電気パルス⇔言語 変換のアルゴリズムが、計算機上のニューロンもどきで実行できるかはまた別の問題だ。適用できたとすれば、この機構は計算機上のニューロンでも実現可能なはずだ。
DNAの解読以外で、ニューロンに知性を発生させるメカニズムを実現するのは不可能だと考えている。大自然が何億年とかけて最後に到達した脳というハードウェアのプログラミングに、人類が独力で到達できるとは思えない。
追記6:なぜそれが意識であるといえるのか、について。それはもちろん、あなたが意識であると考えているものがなんであるのかによる。私は「人に動物にはない知性がある理由」と、「人が自分の思考している内容を言語で理解し、そこから『思考している私が存在している』と認識している理由」について語った。あなたの意識の定義がそれに含まれないのなら、もちろんそれは、あなたの考える意識が存在する理由にはならない。あなたの考えている意識がどのようなものであるのか聞いて、それについて考えてみたいと考えている。
追記7:私が「意識は脳の外部にあると規定している」という指摘があるが、それは当たらない。脳はただ情報を処理し、その処理した結果として「思考している私が存在する」という当たり前の事実を見て、私には意識が存在すると認識しているだけだ。脳の中の通常の情報処理過程、たとえばそこに石がある、とか、そこに月が浮かんでいる、とかと同じように、「思考している私が存在する」のを見て、「私には意識がある」と人は結論している、と私は規定している。
追記8:言語を伴わない音楽や絵画を通じても、情報処理過程は変容する。視覚、聴覚の情報処理は意識的情報処理によらず変化する。その変化によって、新たな音や色彩に対する感覚を得て、それを言語化し、意識することができるようになることもある。それは意識の変容ということが出来るだろう。
言語を伴わない芸術から深いショックを受け、寝込んでしまったという経験が私にもあるが、それは意識を経由せず直接脳の情報処理過程を揺さぶることで発生したのだと思う。それにより脳内の情報処理過程が大きく変わってしまったり、トラウマになってしまったりということもよくある。それを意識の変容ということも可能だろう。
追記9:チンパンジーや鳥類等のコミュニケーションについて。上にあるように、私はチンパンジーや鳥類が伝えようと思ったことをやめて心に思うだけにすることはなく、思考がループしないので知性に到達できないのだと考えている。もちろんそれだけでは足りず、自分の思考をより正確に言語で表現し、言語情報を受け取ってその思考をより正確に再現出来る個体が、狩りのコミュニケーション等で有利になることで、言語能力の高い個体が子孫を残していく。思考⇔言語の変換で損なわれる情報が少ないほど、ループの中での思考も正確さを増し、複雑な概念の理解に到達できる。それを言語表現する進化の過程で、複雑な発声を獲得し、それを聞き取る聴覚も発達していく。
複雑な発声や聴覚を獲得する前は、思考を言語で表現しようとして歌を歌っていたのではないかと妄想している。人類は歌でコミュニケーションし、脳内の独り言も歌で行って思考をループさせていたのではないか。歌を歌うと気持ちいいのはそのころに培われた本能に由来しているような気がする。頭の中で歌が流れて止まらなくなる現象もその辺に由来しているのではないか。
追記10:囲碁AIについて。AIはコンピュータだから、囲碁のようなゲームが強いのは当たり前である。何も絶望することはないように思う。グーグルの子会社が仕掛けているのはHypeだから、真に受ける必要はないと考えている。彼らがそのHypeを本物だと主張するなら、囲碁AIのソースコードを公開するべきだ。
追記11:思考のループに言語はいらないのではないかという指摘について。脳内の何百億という脳細胞で発生している電気パルスは、そのままではループさせることは出来ない。言語に一旦エンコードし、それをもう一度デコードして、思考の再現を行うことでループしている。また、思考の内容を言語として記憶し、思い出して思考を再開することで、移ろいゆく電気パルスによる無意識の思考とは違って、同じテーマについて何度も長時間考えることが出来、思考を深めることができるようになる。
追記12:夢について。夢は動物も見ている。動物や人間の脳内では出来事が記憶されている部分があり、そこに電気パルスが流れると追体験する。人間の場合でも、それが嫌な記憶だとふとしたきっかけで蘇り、叫んだりしてしまうのだが、そういう意識でコントロールしがたい無意識的な思考だ。睡眠中にはそこに電気パルスが流れて出来事が蘇り、いろいろな出来事が繋がった追体験が起こる。そうして出来事と出来事を並べて、因果を繋ぎ、ある出来事の後に起きることを予測できるような形で整理している。それによってパブロフの犬のようなことが動物でも起きる。しかし、出来事を並べるだけで、言語的な論理性を持たなければ、たいした知性には到達できない。
追記13:意識とは、言葉を口に出さずにもう一度考える回路から発達したもので、思考の内容を言語として受取り、もう一度考えるため脳に戻すことで思考を深化させる機能だ。そのループの中で言語能力が高まり、「私」が「思考している」という概念を獲得し、「思考している私が存在する」という文が脳内で紡がれて意識に送られた時に、意識は己の存在に気づき、自意識を持つ。
追記14:匿名ネットのレスバトルで見られる、用語を適当に用い、反論のように見えるが無意味な文を書いて、無意味ゆえの反駁不可能性から自分への反論を避けつつ、用語の意味を知らず文が無意味と気づかない人には、相手の論に反論できているように見せかけようとする手法が私は大嫌いである。
こちらにちゃんと書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170607213657
コラッ!バカなことばっかり言ってないで勉強しなさい!
その1 http://anond.hatelabo.jp/20170602204654 「動物に意識はあるのか」という問いは出来ても、「人間に意識があるのか」と問うのは難しいだろう。自分に意識があるのは実感として分かる。し...