はてなキーワード: ワンルームとは
いまは まわりに 親切な人が増えた
だけどよ ひっでぇことするやつなんて いくらでもいるという現実を見てきた
あした ショッカーに改造されるやつだっている 底辺なんてそんなもん せめて 楽に
どうしたらいいか教えてほしい
極小ワンルームでもいい安定したい
なんかさ、死刑宣告とかだったのかな
ひとりぼっちの天涯孤独なんて、いじめ殺して死んじゃったほうがいいというひとがいても
どうにもならん
話しかけられている気がすると おちつかなくなるまで
精神が摩耗し始めた
そろそろリモートで買った2万円のg気安代々液晶を会社からもらって作業をしている人が視力障害発生
だが、報告なんぞするわけもなし 眼科医?いやー最近 自宅でパソコンを使用で使っていて
ビフきみが、社長に返り咲けなかったよ・・・きみを正しい歴史にもどしたかった・・・
カンフーおじさんは まだこない・・
手品でしんだチョウがよみがえるところでも見せられたんだろうね
パンデミック化するまでに16日で6万倍32日で40億倍
小児性愛=男性 、という図式ばかりフィーチャーされがちだが、実は小児性愛の問題は男性に限ったものではない。
むしろ、隠れた小児性愛の問題は「女性」の側にこそ潜んでいる。
男性が若いアイドルばかり追いかけまわしていると思っているようだが、実は女性もまた、若い男性アイドルを追いかけまわしている。
例を挙げると、ジャニーズJr、神木隆之介、羽生結弦・・・etc (実際にはキリがない、というのもこの世には「男児」の水着イメージDVDなるものもあるからだ。)
彼らがまだうぶな少年だったあの頃、あのあどけない笑顔を性欲丸出しでおっかけていたおばさん達の表情を自分を決して忘れない。自分の息子を見つめる母親のような顔で彼らを応援するが、常識的に考えて"赤の他人"であるはずの男児にあんなに大挙して群がるはずがない。あの頃の自分は詰めが甘かった。
なぜ将棋の藤井聡太に若き日の羽生結弦ほど女性ファンが集まらないのだろう。単に将棋に興味がないだけだと思っていたが、しかし奴らはフィギュアスケートのルールすらほとんど知らないのだ。(もちろんマナーも)
はなはだ疑問である。
彼女たちは自分の汚らわしい性欲に過ぎないものを、まるで母性であるかのように"正当化"するのだ。
そういえばこの間も、ある成人女性が小学生男子との淫行で逮捕された事件があったが、普通に考えてあれは立派な"虐待"だ。
アホなネット民たちは「うらやまけしからん」などと笑い話で済ませていたが、本来ものの分別のない小学生に性行為を強要した場合、精神医学的に考えてどんな傷害(トラウマ)を残すかわかったもんじゃない。
世の中には一定数の"ショタコン"女がいるわけだが、もし自分に小さい息子がいたとして、そんな奴らが大勢いる保育園に子供を預けるわけにはいかない。ここは安全な男性に預けたいところだが、どういうわけかどの保育園も潜在的ショタコン欲求を持つ女性の保育士ばかりが大勢を占め、未だ男性は排除される流れになっている。(われわれは一体どこに愛する息子を預けたらいいんだ!)
自分は昔、母親と風呂に入っていた時に、母親にペニスを触られたことがある。あの時の母親はただ笑っていたが、今考えると鳥肌が立つような不快な体験だった。あれ以来母親を憎悪するようになり、自分は母親を徹底して忌避するようになった。自分はその時のことを誰にも何も言わなかったが、言えば性的虐待の件数としてカウントされたのだろうか?また、同じような経験をした男性は、潜在的にどれほどいるのだろう。性的なものであれ、お受験教育的なものであれ、それは等しく"虐待"ではないのか。
(考えてみれば、母親と恋人関係のような息子がたびたびテレビで報道されるが、あれも考えてみれば母親の"支配下"におかれ、もはや抵抗する気力を失った(無気力な)憐れな息子に違いない)
現実と妄想のつかないのはむしろ女性の方で、彼女たちはむしろ現実の男児に加害をなす恐れがあるのではないか、という問題をここに提起しておく。
「成人男性→幼女」の構図ばかりを心配していたら、気が付いたら女がショタを苦しめていたではないか。
願わくば彼女たちが、主にショタドールなどの現実の人間ではない架空の"物体"や、または腐女子のような高度な妄想技術を磨いてその危険かつ屈折した性欲を日常的に解消してくれればいいのだが……。
(追記)
どうせ興味ないだろうけど自分の子供時代の話をもう少しだけするが、自分は母親のせいで異性との付き合い方が分からなくなったと言っても過言ではない。小学校4年生のとき、女子からバレンタインチョコをもらい、その日母親に隠していたが、いつの間にか鞄を漁ったのかすぐに食卓の上に置かれていた。
中学の卒業式の夜、学ランの第二ボタンがないことを上目遣いのいやらしい目で家の暗い廊下で問い詰められた。
高校生になっても通学の自転車を漕いでいると母親が車で自分を見つけ、「誰と話してたの?」と頓珍漢な詰問にあう。
学校で女子に話しかけられてもどうせ深い付き合いになれないし、女友達になるにしてもそんなものが成立するとも思えない。
しかしこの頃から自分の母親と、学校の女子というものが、同じ「女」であることを強く感じ始める。
同級生の女子もまた、男子という人間に対して同じ女同士の友達とは違う対応を明確にとり始めるわけだが、その下心のようなものがどうも見え透いて自分でもなぜか分からないが拒絶反応が起こり始めた。
どうにも自分の母親と、目の前で気さくに声をかけてくれる女子の猫なで声が頭の中で共鳴し、嫌な思い出を引き出すのだ。
これは一体誰の責任なのだろうか?俺の心の問題なのか?俺の心が女性の侵入を許せばただちに問題は解決して、今頃、子供を作り幸せにやっていたのだろうか?分からない。しかしそんなあっさり心の問題を解決してしまえるような奴が子供を幸せにできるとも思えない。俺の精神の成長を止めたのは誰だ?俺か?俺だけなのか?あいつ(母親)は関係ないのか?猫なで声で接してきた同級生の女子は関係ないのか?じゃあ人間が一人で成長できるなら他人なんか要らないな。相変わらず都会のワンルームアパートで孤独にこんな匿名記事で愚痴を吐き出すしかできない。
ミソジニーなんて言葉があるが、どうせモテない奴の僻みだろなどと世間ではいうが、女性嫌いになるのはいろんなパターンがある。自分の場合はそれだった。一般的なこととして当てはまらない、統計的にマイノリティだ、だからこれとこれは別の話だというのかもしれない。
じゃあフェミニズムって一体何のためにあるんだ?
フェミニズムとは一人一人が固有の体験において様々な問題について打ち明けることのできる思想だったんじゃないのか。
では俺の場合は何に当てはまるのだろうか。俺は男性だ。男性のためのフェミニズムってあるのか?少なくとも自分は知らない。少なくとも多くのフェミニストはそんなものは無いと言うだろう。
自分がもし、女に産まれてきたとしよう。そうすると多分、今度は自分の父親に性的虐待をされていたんじゃないかと思えてくる。多分99%そうだろう。パソコンの履歴に「ロリコン 動画」などと検索するような奴だ。おまけに頭もものすごく悪い。まったく自分は男に産まれてきてよかった。じゃなきゃ今頃、風呂場で体中をまさぐられていたことを、今でも時折思い出しては発狂していただろう。いや、しかしこれも仮定の話に過ぎない。というのもそれを想像している自分はあくまで男だからだ。あんな父親に性的虐待されてる自分なんてゾッとする。多分訴訟沙汰になっていたかもしれない。でもどうだろう、それでも女の子だった場合の自分は、それでも無理やりにでもその時自分は愛情を感じていたのだと心を誤魔化し続けていたのかもしれない。
もしそんな自分がいたとしたら、男がいうところの論理的思考なんてできないまま大人になり、ひょっとするとメンヘラになるか過激なフェミニスト気取るか高いところから飛び降りていたかもしれん。男にモテてもモテなくても多分まともな人間関係が保てなかっただろうな。(この場合父親によって男性嫌いになっていることになっているが、もちろん母親との母娘関係においてまた別の問題が生じ、異性関係に支障をきたしたことだろう。あの母親はそういうやつだ。みんなは俺の両親については何も知らないかもしれないが、俺は"よく知っている"。奴らはそういう人間だ。どうせ互いの見た目(ルッキズム)だけで何も考えず結婚したのだあの馬鹿どもは。)
しかし今現在男である自分にとっての問題は、結局未だ母親によって受けたトラウマが癒せず、女性というものを理解できず、成熟した精神というものの内在しない二次元のアニメキャラにしか興奮できないということだ。
特に幼女のような見た目のキャラか、どっかで献血のポスターになってそうなありえないくらい異常に発達した巨乳の童顔キャラかだ。自分もまた父親とまったく同じ種類の性的快楽を感じているのだろうが、それが自分に向けられた性欲ではなく、男同士で連れションしている感覚で、そこには男同士の明確な暗黙ルールに基づいているためにこいつは全く自分とは別の人間だと安心できるのだ。五感も精神もすべてが何一つこいつに同調しない。
自分がもし、古代ギリシャのスパルタのような男だけの社会で厳しく育てられていたらすべては解決したのだろうか。
昭和の価値観でマッチョでホモソーシャルな奴らと共につるみ、「女なんて適当にあしらって子供だけ産ませときゃいいんだよ」とアドバイスされ、それに付き従い悪く言えば適当だが、良く言えば寛容な心で 結婚→出産 までのコースをサクッと潜り抜け、子供も5人ぐらいサクッと産ませて国家安泰って感じでよかったのだろうか。しかし今は何もかもがセンシティブだ。(コロナでわかったことは、一人の人間の命が昔に比べて遥かに重すぎるということか。)
自分は現実の女に興味がない。本当に電車での痴漢冤罪が怖い。そんなに男が嫌いなら、男の前に姿を現さないでほしい。
願ったりだ。そんな人間も当然のようにいる。しかしそれでももし、男だとか女だとかレッテル貼らずに一人の人間として対等に向き合う覚悟があるのなら、話ぐらいは聞いてやる。そしてそういう奴の言うことは、大抵「もっともだ」と自分は頷くだろう。
全ての問題は、男も女も、異性にしろ同性にしろ互いをモノとしてしか見てないところに原因があるような気がしている。
つまり自分が様々な問題を混同しているように見えるのだろう。確かにそのことについて自分も常に考えている。
しかし被害者とはそういうものだ。論理性などない。自分の感情をまとめることなど自分一人で到底できない。
あらゆる問題を混同したまま巻き込み、感情だけで片付く問題ではもちろんないが、論理だけで片付くとも到底思えない。
また、論理と感情を上手く整理できる人間がいるとも思えない。すべての問題は置き去りにされたまま勝手に次のステージに進む。いつだって冷静なふりをしている人間は次のゲームに乗り遅れる。ここからが心臓でここからが肺だとか、冷静にメスを入れることのできる奴だけが偉ぶって問題を"上"から片付けようとするが、現役のスポーツ選手にとっての実感はどれも等しく見分けがつかないほど連動しているってことだ。皆様は自分こそが上手に魚や牛を捌けるとマウントを取り合っているようだが、今自分のポジションはそのまな板の上の魚や牛で、あなた達が捌こうとしているものは実は"人間"で、そしてそのまな板の上の"人間"は自分なのだ。あなた方は私の身体の中身を知っているようでいて知らない。もちろん私にもわからない。私にわかるものは私が知っているものすべてであり、それを経験しているのは私だけなのだから。当然私はカウンセリングにも行ったし、いろんな人の話も聞いた。しかし結局誰にも共感できない心の構造を持っているのだ。なぜなら「この私」の経験は「この私」だけのものであり、経験していないものとそもそも共感などできないのだから。
だからこそ私は二次元の女の子を性的に愛する。あるいは精神が未熟な「ショタ」や「ロリ」や「犬」や「猫」に同情するし、共感する。
なので自分が男だからという理由だけで「ショタ」の立場だけに立つなどと勝手なミスリーディングはしないでほしい。
「ロリ」の苦しみは「この私」の苦しみだし、「犬」「猫」の苦しみも「この私」の苦しみだ。
ぶっちゃけると、男だろうが女だろうが、ショタだろうがロリだろうが犬だろうが豚だろうが誰が何に性欲を感じるかなんてもはやどうでもいい。等しく等価だ。性欲はただの性欲であって基本的に汚らわしいものだ。
そして現実の生き物に迷惑かけたくないから、自分は二次元に逃げた。
そしていつか大量の幼女ドールと巨乳ドールを専用の部屋に集めて飾ってやる。
白人と黒人の問題にせよ、どこからが白でどこまでが黒か奴らに分かっているとも思えない。
各々が各々の定義を持ち出して、勝手に"冷静に"まとめようとするが、どうせまた数十年後に奴らは同じような原因でデモをするだろう。
そもそも論理性だとか合理性だとか、そんなものが現実にどこまで通用するか、またそのようなものの合意もあるようでいて実は無い。なぜならそんなものは感情的な動物と化してしまったものには理解できないからだ。
ちょっとした軽い気持ちでこの文章を書き始めた自分だったが、結構数稼げたんじゃないかと思う。
君たちはこの文章をちゃんと読んでいるのか?それとも部分的に自分が反応するところにだけ反応しているだけなんじゃないのか?しかし実際のところ、多分そういう読み方しかできないような構造が出来上がっているのだろうなとも思う。
どうやら君たちのいうところ、自分は何らかの「被害者」のようだ。なので言わせてもらうが、自分のような「被害者」は実はどこにでも潜んでおり、たまたま自分が上手く言葉で説明できたに過ぎない。目に見えない自分のことを、どこまで真実を言っているのかわからないかもしれない。しかし今回の黒人のデモにおいて思うのは、発端となった殺害された黒人も、案外"不注意"だったのかもしれん。というのも奴が問題を起こさなければ(例え正しかろうが間違っていようが)このような全米を巻き込んだことにはならず、平穏に暮らし、コロナに対する犠牲者の数をいたずらに増やさなくても済んだのかもしれない。
自分がもし黙って何も投稿せずにいたら、ひょっとすると「ショタ」の問題などそもそもどこにも存在していなかったのかもしれない。
「被害者」は1人もどこにも存在せず、「ロリ」だけが被害を受けていることになっていたかもしれない。などと考えるのはただの自惚れかもしれん。しかし実際会ったことのないやつらに同情されても、結局同情という言葉だけが一人歩きするだけで、自分の情動に何のリアクションも起こさないのだ。この記事はただの自分のメモ帳みたいなものだ。ひょっとすると、本当は何の虐待も受けていなかったのかもしれない。すべては俺の誇大妄想で、あの時の自分の母親は彼女なりに自分に尽くそうと不器用に振る舞っただけだったのかもしれない。戦争体験者の証言もそうだが、いつも当事者の体験が一体どんなものだったか分からない。お前は「被害を受けたのだ」とレッテル貼られても、それでどうしろというのだ。金は動くが心は何も変わらない。
しかし冒頭を読み返すと女を煽ってるような気がする。奴らにも辛い経験が当然あったわけで申し訳ないと思うが、しかしいずれにせよ人間はそれを「乗り越え」ねばならんのだ。(これでまとめた感を作ってみました)
このような追記に追記を重ね、よくわからんただの歪なだけの文章を取り出して、それこそお前の精神構造を表しており、お前という人間の真理(心理)の一側面を表しているだなどとなんと精神科医とかはほざきそうなもんだが、ここまで書いてみて、君たちを鏡のように使ってみても、全然自分という人間がわからない。自分の母親だけが、自分に影響を与えていて、それだけで自分を構成しているとも到底思えない。とはいえ自分は結構いろいろなことも経験してきたからだ。
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
なんか盛り上がってるから書いちゃった。
40平米ぐらいあるから猫と男一人が暮らすには十分。
朝は食パンとコーヒー、昼は1000円以内で外食、夜は自炊したり外食したり。月にかかる食費は5~6万。
特別贅沢することもない、酒も飲まないし。肉が好きだから肉は無駄にいい肉を食べることが多い。
ただコンビニと自販機で買い物することはあまりない、純粋の割高でもったいない気がしてできない。
特別な出費があるとすれば、友人の誕生日とかにご馳走してあげたりとかぐらい。
車とPC。車は唯一の浪費趣味。好きだから仕方ない。都内に駐車場付きの家借りてるのもそのせい。ローンはない。
PCは新しいパーツが出たらとりあえず買う、少しいじってヤフオクに出すからあまり金はかからない。
昔犬も飼ってたけど、犬より金がかからない印象。ペット保険代入れても出費としては月1万ちょい。
海外旅行が数少ない趣味。年に2回ぐらいは海外旅行に行く。一人だから1回あたりかかっても20万ぐらい。
一時期残高増やすのが趣味になって1000万まで貯めたけど、そこでクリアした感じがして車買ったりなんなりでここまで落ちた。
年60万は貯めるようにしてる。
倹約家の母と浪費家(…というかその場のノリや勢いで金を使ってしまう)の父に育てられた。父はそこそこ名の通った会社に勤めていたけれど、若い頃の給料はそんな高くなかったし、母は専業主婦で結婚してすぐに私と弟が産まれて育児に追われることになったので、あまり贅沢はできなかった。
父方と母方の祖父母が、何かイベントがあれば援助してくれたのか、七五三とか入学式とかでそんなに惨めな思いをした記憶はない。が、母が自分のために洋服やアクセサリーを買い揃えていた記憶もないので、子どもにはそれなりのものを用意しても、自分は我慢していたのだと思う。
私と弟がある程度大きくなってからはパートなどで働き始めたので、その気になれば多少は自分の好きなものを買ったりできるようになったのではないかと思うのだが、母がショッピングを楽しんでいる姿を見た記憶がない。同居していた父方の祖母が「好きな洋服でも買いなさい」と時々お金やら商品券やらを母に渡していたけれど、結局お歳暮やお中元などに使うぐらいで、むしろ「おばあちゃん(祖母)は金で人の心を買おうとしている」と怒るばかりであった。
そもそも高額な洋服やアクセサリーに興味がないようだったけど、それならそれで、他の自分の好きなことに使えば良かったのに、そういうこともしなかった。逆に父は友達などに流されやすく、飲み会やらゴルフやらに誘われれば可能なかぎり付き合い、欲望のままに買いたいものを買った。が、中途半端にケチで、いい歳になっても安い腕時計を買ったりしていた。あと、営業マンなどの美味しい言葉に乗せられやすく、立地は良いがかなりボロいワンルームマンションを買わされて不動産投資なども試みたが、たぶん損をして安く買い叩かれて終わったと思う。
お金の使い方について、私は母が正しく、父がアホだと思って育ったが、経済を回すことを考えると、深く考えずにホイホイお金を使っていた父のような存在は世の中に必要だったんだなと思った。コロナ禍で人々が外出しなくなり、お洒落や化粧のニーズも減り、飲み屋で何も考えずに金を使う連中がいなくなって、世間の雲行きが怪しくなっている。
今まで出かけても極力高額な買い物を避け、贅沢な食事もあまりしなかったけれど、幸いなことに今も普段と同じお給料をもらえる立場なので、ある程度使う方が世のため人のためになるようだ。まだ10万円の給付金も請求していないが、もらったら気持ちよく使いきるべきなのだろうと思う。独り身で将来が不安なのでついつい貯金に走りがちだけど、扶養家族がいなくて自由がきく分、意識してお金を使った方が良いのだね。今までの価値観を簡単にはひっくり返せないけど、敢えてお金を使うということの必要性を知った気がする。
料理のスキルがいくらあったとしても、自分のご飯を自分で作るのが苦手だ。
どんなおいしい料理を頑張って仕込んだって自分しか食べる人がいないのであれば、ほとんど無意味。
スーパーの刺身と揚げ物、キャペツの千切り、納豆、カップの味噌汁。
餌の繰り返しに気が狂いそうになるから、ストロングゼロで頭をラリらせて寝る。
時々テイクアウトを買ってみたり、ウーバーイーツで頼んでみたりもしたけども
どれもこれも、やっぱり美味しくない。
狭いワンルームで胡座かきながら食べるテイクアウトのヴッフブルギニョンなんて
食べることが趣味で生きがいの独り身中年にとって、コロナは地獄だ。
人に会えないのがしんどい。
家から一歩も出ないストイックな缶詰生活ではなく、緊急事態宣言後もスーパーやコンビニの買い物はしいてるんだけど、4月からついぞ外食もしていないし、リアル空間で人との会話なんて3日に一回、店員にpaypayが使えるかどうかを尋ねるくらい。
朝のランニングも「呼気が怖い」とかいろいろ言われるのが面倒くさいので、部屋の中の筋トレだけにしてしまった。
独身で仕事部屋も分けられる在宅勤務、大して困ることもない日々の中でも、平坦すぎる日々には飽きてきて、仕事中は別モニタで銀座や秋葉原のライブカメラを流してる。
外出自粛の東京でも、ライブカメラ越しの渋谷スクランブル交差点では結構人が歩いているし、夕方に買い物に出れば、商店街のたこ焼き屋では仕事帰りっぽいOLが談笑しながらたこ焼きをつついている。
出勤せざるを得ない人からしたら、毎日電車に乗ってるのに外食が危険だなんてリアリティがないだろうし、ワンルームで料理なんてしたことないって人もいるだろう。
引き篭って生活が成り立つ立場の自分はまだ恵まれてる方だと思う。
夜、オンライン勤務のチャット越しに後輩の相談を受け「なんで長々と相談に載ってるのか。人の面倒を見て過度に思い入れを持ってしまうとロクなことがないし、在宅で会社の人間関係の悩みから距離を取れるので、スーっと撤退していくつもりだったのに、何をやっているんだ」と思いながら、仕事を片付けた24時、夜の街にむかって自転車を滑らせた。
暖かくなってきた最近だけど、夜中に自転車に乗っていると、まだ少し肌寒い。
みんながもう寝る準備を始める時間、誰とも話さず、コンビニにも入らず、自転車からも降りない。
これくらいの外出は許してよ。
日本橋に通りかかると、建設を一休みせざるを得なくなった大型施設。
今、この状況で見ると意地悪なジョークみたいだ。
どんな未来を建設するつもりだったのか、1ヶ月後はどうなっているのかな。
止まっている建築現場だけではなく、動いているのもあって、歩く人もいない夜中の現場を警備員が警戒している。
信号待ちの間、5mほど先で咳をする警備員にすこしドキッとする。
でもこれで感染するなら、もう夏まで感染を防ぎ切る自信はない。
金曜の夜なのに車もまばらで、信号待ちの自転車や人も2〜3人しかいない。
気分は済んだので内堀をぐるっと回って引き返す。
紛らわしいネーミングで2年前に開業した東京ミッドタウン日比谷も、こんなことがなければもっと華やかな春を迎えていたんだろう。
月にむかってゴジラが吠えている。
東京は海から来た巨大怪獣じゃなくて、海外からやってきた目に見えない小さなウィルスに静かにメチャクチャにされているよ。
こんな地味な破壊活動に先を越されるなんて、ゴジラにとっても忸怩たる思いに違いない。
部屋に帰って、またライブカメラを見る。
数時間前はこの画面に映り込んでいたに違いない。
チャットユーザーに外出を説教されてると思ったけど、エロコメントに興じるユーザーばかりだった。
もうすぐ梅雨の季節がきて、そのあとは夏。
皆さんご存知の通り、コロナウイルスの恐ろしいところは、その多くが無症状でありながら他人に感染させるステルス性です。
みなさんは基本家にいるときはマスクを着用しておりますでしょうか?できれば付けたほうがいいかもしれませんが
多くの方はマスクを着用していないと存じます。もちろん皆様は部屋の除菌などかなりのレベルで気を付けているとは思いますが
多くの場合換気はノーマークだと思います。そこで、日本建築学会の意見を参考に換気についてもチェックしてみましょう。
実は日本は世界有数の換気機構が普及した国です。古い家では風通しが重要視され、新しい家では建築基準法等で
換気関連はかなり厳格に規定されております。 たとえば換気関連の法律が2008年に制定された韓国は、ヨーロッパやアメリカと
比較しても比較的死亡者数が少なくなっております。アメリカはどうでしょう。たとえばキッチン換気扇を見てみると、アメリカは
空気を換気せさせるというより油の捕集に重点を置き、汚染空気は屋内循環しても良いのです。これは家の広さや気候の影響もあるので
一概に遅れているとはいえないまでも、コロナにとってはマイナスです。
死亡者が特に多いイタリアでは機械換気の普及率は約1割です。ドイツでさえ3割程度です。日本は同じ条件の換気設備なら7割弱程度です。
トイレなどのダーティーゾーンについては日本の換気設備普及率はほぼ10割となります。
コロナ対策では部屋内を負圧に保つ第三種換気が重要になります。これは現代でもローコスト住宅に採用されており、一番普及率が高い手法です。
省エネ性能ではハンデを抱えますが こと、コロナ対策では最強の効果を発揮します。第三種換気が確保できないのなら扇風機も有効な方法です。
皆様の部屋ではどのように対処すればよいでしょうか。
ワンルームならキッチン換気扇をつけっぱなしでもありだと思います。 部屋に換気扇があるなら換気扇はつけっぱなしがよいでしょう。
エアコンは換気機能がないので注意が必要です。特に次亜塩素酸ナトリウムを多用する除菌をする場合、換気をきちんとしないと、却って肺を痛めます。
https://www.tachibana-akira.com/2011/01/1800/3
金融危機とそれにつづくハイパーインフレで、私の実家も妻の実家も、祖父母が年金だけは生活できなくなった。そのうえ父と義理の父がリストラされ、路頭に迷ってしまった。それで田舎に3軒の家と農地を格安で購入し、一族が肩を寄せ合って暮らすようにしたのだ。同じようなケースはほかにも多く、日本は大家族制に戻りつつあった。
東京駅前には、赤ん坊を抱いた物乞いの女たちが集まっていた。その枯れ枝のような細い腕を掻き分けて改札を通り抜けると、5000円のビールとつまみを買ってあずさのグリーン席に乗り込む。平日は都心のワンルームマンションで単身赴任し、週末に家族の待つ田舎に戻る生活を始めて1年になる。
プルトップを引いて、冷たいビールを喉に流し込む。この週末は、失業した妻の弟が、いっしょに暮らせないかと相談に来ることになっている。娘の進学問題も頭が痛い。将来に不安がないわけではないが、泣き言はいえない。いまや一族の全員がわたしを頼っているのだ。
中国語やハングルやアラビア文字のネオンサインが、新宿の夜空をあやしく染めていた。青白い月を眺めながら、いつしか浅い眠りに落ちていた。
以前から「都心は一人で生きやすい」的な言説はよく耳にしてたけどさ、いざガチで引きこもる必要性が出た時に都心だと多くの人の生活に無理が出るんじゃないかって思う。
今自分は地方都市で引きこもりライフを全力でエンジョイしてるんだけど、都内の詐欺みたいにギリギリの間取りした7畳ワンルームとかでこれやれって言われても出来る気がしない。友人が言うには都心だとちょっと散歩しようにも皆同じこと考えてるから場所によってはただの道にも人が溢れてたりするらしい。公園なんて言わずもがな。テレワークとネットスーパーとリングフィットとあつ森は都心でも(職種によっては)実現できるけど、家から少しだけでて人のいない場所で散歩するとか、リビングと仕事場を分けるとか、ベランダにちょっと出てボーッとするとか、そういう「ちょっとした余裕」みたいな、でも今はかなり重要とされてる概念は結構なお金が無いと実現できなさそう。
まあ皆俺みたいな貧乏じゃないってのでFAなんだろうし、都心の問題ってよりは貧乏の問題なんだろうけど、人が多い場所はより一層世知辛い世の中になりそうだなぁって勝手に心配してる