はてなキーワード: ノイローゼとは
ニュースで小学校の教師が10歳の小4児童に対してパワハラ、モラハラしてるのを見てると教師って何のためにいるのか分からなくなる
小学校だと同級生と上級生、そして一番上が教師という順序になる
こうしてみると視野は狭いし、もう少し外の世界へと行かなければ広げることが難しい
教員は毎日教える以外の雑務等で圧倒的ブラックで私立の高校みたく急にリストラもされる
しかもその教員を志望している人まで減っている傾向にもあるからこっちも人手不足
そんなブラックな状況でまだ子どもとはいえ生徒に暴力、暴言でストレスのはけ口になってると不登校になるのはあり得るし
ニュース沙汰になればその問題教員のクラスであった場合、安心して行かせた方がいいか心配になる
俺も小6の時に大体40~50代の担任から人格を傷つけるモラハラに近い威圧を掛けられたこともあった
その時自殺のことしか考えられなかったけど、なんとか終始ノイローゼになりながらも1年間我慢していた
最近やたら死を美化するというか美化するために死を利用するみたいな風潮を感じる。
問題を生きている間に解決して、少しでも良く生きていこうってのが普通じゃない。だって、その問題は別にその人で終わるわけじゃなくて繰り返し現れるものでしょ。一時楽になっても、またすぐに同じ問題に直面する場合の方が多いじゃない。
死とは嫌なもの、目を背けたくなるもの。でも、確実にあるもの。死は美しいものじゃないし、かと言って何か言葉や数字で誤魔化していいものじゃない。ひとつひとつ受け止めるしかない不条理でしょ。
こういう人って、実は事前に策を打とうっていうんじゃなくて、集団的な死を待ち望んでない?
ほーら、やっぱり、っていいたいんじゃないかな?それはノイローゼですよ。少し休みましょう。
死については、考えるというよりは周りにそういう事がなさすぎるのが問題なのかもしれない。ニュースで伝えられる死はすでに言葉になってしまっているから。
第7話
マスダ:いわゆる水着回ですね。
シューゴ:実のところ楽なんだよな。制服や私服のときより線が少なくなるから。
マスダ:受け手も求めていて、作り手も楽ができる。ウィンウィンって奴ですね。
シューゴ:というか、普段の格好が線多すぎるんだよ。キャラデの奴、なんで作画の事情を考えないんだ。原作者とファンに褒められたからって調子乗るんじゃねえ(笑)
マスダ:ははは(笑)
シューゴ:それにしてもこの場面、冷静に考えてみると変だよな。
マスダ:予想外なデザインの水着に主人公が憤っているシーンですね。お約束の。
シューゴ:『ちょっと~、なによコレ~』って、何で着てからそんなこと言うんだ(笑)
マスダ:ああ、確かに。着る前に気づかなかったんでしょうかね(笑)
マスダ:で、入浴シーン。テレビ放送とかだと修正されていますが、円盤のほうはそういうの無くなっていますね。
シューゴ:無修正だが、思っていたほど過激ってわけではないなあ。
マスダ:まあ、湯気が多少薄くなっている位ですかね。
シューゴ:ここらへんは入浴シーンでのお約束みたいなもんだな。スタイルがどうとか、触りあいっこだとか。
マスダ:ただ、『女子ダベ』ってこういうのは茶化したがる作風ですよね。ややメタフィクション的。
シューゴ:ただその上で、結局はお約束に収束する構成だし、かえって会話シーンが冗長になっているキライはあるよな。
マスダ:そうさせないように、色々と工夫しているわけですね。
シューゴ:んー……そうなんだが、作っていくと不安になっていくんだよな、こういうのって。方向性は間違っていないはずなのに、本当にこれで受け手は満足できるのかなって。
マスダ:シューゴさんは一時期この手のアニメを連続して作っていましたから、若干ノイローゼ気味だったとか?
シューゴ:かもな。多くの同ジャンル作品に関わっていくと、いずれ同じ作品にしか見えなくなってくるんだよな。細かな差異はどうでもよくなって、こだわりすら薄れていく。坦々と作っていくしかなくなる。
俺になついて、うざいくらいまとわりついてたのに、あんまり寄り付かなくなった。
なぜか台所で飯を食ってるときだけ膝にのってくるけど、それ以外はよりつかない。
家具の隙間とかテレビの裏でじっとしてるようになったけど、それもなくなって、居間や寝室には入らなくって、台所か玄関にしかいなくなった。
抱いて寝室に連れて行っても走って逃げる。
仕事から帰ると、玄関でゴロゴロしてお腹を見せて可愛さアピールしてたけど、お迎えもなくなった。
朝は明るくなるとベッドに起こしにきてたけど、それもなくなった。
今朝起きてベッドの上であぐらをかいてぼーっとしてたら、猫が駆け寄ってきて膝に乗ってきたわ。
番組中、ADHDの子がなぜ授業に集中できないのか、その時、彼女は何を考えていたのかの解説をしていたのだが、小学生の頃の私を見ているような気分になり、ネットを徘徊してADHD自己診断チェックや、その特徴を読み漁った。
・片付けが苦手
・物をすぐ無くす
・集中が持続せず人の話をあまり聞いていない
・ケアレスミスが多い
・飽きっぽい
・独り言が多い
・話が飛躍する
などなど、けっこう当てはまる。
(時間が守れない、約束を破る、座っていると立ちたくなるなどは当てはまらないが。立ちたくはならないけど揺れがち)
ADHDっぽい傾向が顕著に出ていた小学生の頃、番組を見たことで思い返すとあれが本当に辛い時期だった。
すぐ気が散るので先生の話が聞けない→ゆえに宿題や明日持っていくものなど聞いてない→当然、宿題はやってないし、忘れ物も山ほど→先生に怒られる→男子からバカにされる(女子は何故かかばってくれた)→すぐ泣く→余計にいじめられる
という毎日だった。
あの当時は本当に、人の話を聞くことも、勉強の仕方もどう行えばいいのかが全く分からなかった。
集中しなさいって言われても、集中の仕方なんて皆目分からないし、思考があちこちに行ってしまうことをコントロールすることもできないし、そしてそれを説明できないし。
ついでに、歯磨きをしなかったから虫歯だらけだし、お風呂も湯船に浸かるだけ。ランドセルや机からカピカピのパンが出てくる始末。
ここまで書き出すと親が呼び出されてもおかしくない気がするが、おそらく先生は私に関心が無かったのだろう。
私が授業を妨害するわけでも、誰がに暴力をふるうわけでもないので、放置されたのではないかと推測する。
では、家で問題にならなかったのかと言うと、私の兄がアスペルガーでそれこそ学校で問題を起こしまくっていたため、私の問題など取るに足らないものだったのだろう。
母はしょっちゅう学校から呼び出され、教師から「○○くんのために授業が進まない」などと言われていたそうだ。
当時は発達障害が今ほど問題になっておらず、母はノイローゼに、兄は引きこもりになった。
ちなみに父は外に女がいて家にほとんどいなかった。
そんな環境だったこともあり、本当に誰も私を見てくれていなかったって未だに思っている。
毎日先生に怒られ、男の子からいじめられるのは辛いし、本当は学校になんて行きたくなかった。
そこで思い切って母に「学校に行きたくない」と訴えたところ、「あんたまでそういうこと言うの勘弁してよ」と言われて、それからひたすら我慢して登校した。
プリントも教科書も入れっぱなしのランドセルはとても重く、虫歯は痛く、頭は臭かった。
先月派手に転倒して顔を縫ったあたり、ものすごくそそっかしいことに間違いはないんだな。
これまでだって知らなかったことだから別に分からないままでいいんだけど、ただ、あの辛かったころの私に手を差しのべてあげたいな。
一緒にお風呂に入って髪を洗ってあげながら、学校で何があったのか聞いてあげたい。
今、そういう救いが必要な子に何か出来ることってないのかな。
集中力と根気が続く限りだけど、考えたいなあ。
本当に辛かったもん。
凄く長くなったので一言でここに表すと努力する力を含め将来への生きる自信がない。
セックスの頻度は週に2〜3回。
旦那はあと数年で精子の劣化が始まる年齢と言われる歳にもなる。二人きりの生活が楽しいので寂しくも感じる。旦那さんは自分の子孫ができることが嬉しいものだと私に説明をしてくれた。発達障害の遺伝の可能性も気にしていないらしい。
旦那の喜びを奪うわけにもいかないが、子供が出来れば家事すらギリギリの不器用な自分に子育てが増える、金銭的負担も増える。寂しいのが建前に見えてしまい悲しくなるほど、自分は子育てなんてキャパオーバーだと嘆いてるのだ。
頼れる家族はいない。親は無自覚だが祖母に入れられた宗教(カルトでない)の思考で出来ており、神の部分を世間や一般人に置き換え整合性の全く人は尊いと言いつつ、家族全体にはモラハラだらけ。私は無意識に罪悪感を感じて生きるようになった。小学校入学頃から対人恐怖になっていた。子供に合わせていい者ではない。旦那の方もよくないようで、酷い過干渉で逃げてきたらしい。
私はわかってくれる旦那一人で満足なのだが、旦那は子もいる家族を作りたいらしい。
子作り目的になってから私は安定剤を漢方薬にしてもらっている。その間に全く関係ないが婦人科に行った時には、排卵されてるのがカメラ?に写っていたが、まだ妊娠しないのである。
こんな時も頭に「貴方がそんな暗いから子供が逃げていくのよ」という母の言いそうな言葉が自動再生されるほど自分はポジティブにならなきゃいけないことに対して異常なノイローゼになり参っている。
自分が変わればいいと頭の声がずっと巡っており、生きてるだけで常に頭に説教めいた言葉が再生されるのだ。頭の中が常に自己啓発本の朗読をしていると言っていいだろう。
カウンセラーも通い、人を変えてみたりも何度かしたが、怒鳴られたり、否定され、その都度話を聞いてもらってるのに我侭だ失礼だと親から冷たく言われ、加えて認知療法しないと一生幸せになれないと脅しのような発言をされたり、治療のことを考えたり行ったりすること、それを思い出すことでより精神的に追い詰められてしまい、もう説教の一言にも耐えられなくなってしまった。
一年前に親から離れたのに今も思い出せば目の前の家事すら手につかなくなる。向上心がなくてはならないと言われる状況なのに、向上心が最も私をパニックに陥れているのだ。
精神医療を先にと提案されることを何度も想像したが、もうどうしたらいいのかよくわからなくなっている。世間的な美徳とされてるものにノイローゼの私には何が落ち着くものになるのだろう。
旦那の幸せを思うと本当に自分は旦那の前から消えなくてはならない。
頭の声を消すために曲を聴けば頭を酷使し、眠れば悪夢を見る。とても一人で生活できる者ではないのは確かだ。こんな自分に悲劇のヒロインぶってると一部増田は言うだろうし、実際昔母に言われた。母が常に一部増田のような発言をする親なのだ。
親の愚痴になりかけているが我慢出来ないことは事実であり非常に情けなく自己嫌。子供の頃から散々自信を持てと言われたが、何かすれば必ずパニックになる私には家事が限界だった。自分の今のポンコツな現状が限界であるし、発達障害の特性だからとか、ベストを尽くしていると医者や旦那は言ってくれる。私はその言葉に甘えているのか?と優しい言葉をかき消すこの正論のような頭の言葉を私はどうしたら良いんだろう。
少し前までの私は、常に焦燥感と緊張の中にあった。
寂しい人間だと思われたくなくて予定を作り
家に帰ればぐったりと疲れていた。
「誰も自分のことなんて気にしてない」と、何度心の中で繰り返しても無駄だった。
少し変わった行動を取るだけで、陰口を叩かれたり、笑われたりした。
たとえば声がひっくり返っただけで
前髪を切りすぎただけで
ラケットの振り方が変なだけで。
今思えば下らない話だ。表立ったイジメとかじゃなく、ただの噂程度。でも当時は監視されてるような気分だったのだ。
自分では気づいてないけど他人から見れば変なのかもしれないと、歩き方さえ気になったこともある。ノイローゼじみていた。
友達にダメなところを指摘してもらって、自分なりに直しても笑われるから、友達のことも疑うようになった。
本当は心の中で、変だと思ってるんじゃないかとか。
一度疑ってしまえばその後に新しく出来た友達や恋人に対しても同様だった。完全に信じるということが、できなかった。
だけど今やっと、他人にどう思われてもいいやと思えるようになった。
自分の中にこびり付いていた自意識過剰が、やっと、剥がれ落ちてくれた。
知らない人ととも自然に目を合わせられるようになった。
服屋の店員に話しかけられたとしても、息が詰まる思いをすることがなくなった。
自信はまだそれほど身についてないけれど、とりあえずマイナスから0程度にはなった。
仕事でもプライベートでも、あまり細かいことを気にしなくなった。
死にたいと思うこともなくなった。
治るまで随分と時間がかかってしまったなぁ、という気がするし、
色んな面で人より遅れをとってしまった気もするけど
まあいいや、と思う。
私は私に合ったペースで、焦らずゆっくり生きていこうと思う。
差別とはその対象を構成する何らかの身体的特徴,性格,出自,思想,その他肉体/精神を問わない何らかに対しそれをあげつらうことだとする。
一方,区別はその対象は同じだが,そこに線引きをする,ということに差別との違いがある。
たとえば,遊園地におけるアトラクションの身長制限は安全上の「区別」であり,これを「差別」と捉える人はまず居ないだろう。
また,男女でトイレを分けることも,身体的特徴からくる排泄行為の違い,及び盗撮などの各種犯罪行為を抑制するための「区別」と捉えることができる。
しかし,差別と区別を分ける本質的な線引きは存在しない。なぜなら,何らかの発言や措置をどう捉えるかは個人によって大きく異なるからである。
たとえば,(文脈にも依存するが)「バカ」と言われて喜ぶ人もいれば,烈火の如く怒る人もいる。電車やバスにおいて席を譲るにしても,
「私がそんな年寄りに見えるか!」と怒る人は少なからず存在する。
では,なぜ男女でトイレを分けることが「区別」で,人種によってトイレを分けることが「差別」とおそらく一般には広く認識されているかと言えば,
それは圧倒的多くの人,つまり世間がそう考えているからに過ぎない。世間や時代が変わればその境界は大きく揺らぐだろう。
たとえば低身長でも完全に安全なアトラクションが導入されたとして,そのアトラクションに対し「120cm未満の身長のお子様はお乗りになれません」という
ルールがあれば,119cmの兄は121cmの弟を逆恨みし,これは差別だと断じるだろう。
ここで重要なのは,ある発言を「差別」と受け取るか,「区別」と受け取るかはそれを言われた本人にしか決定できない,ということにある。
つまり,「ヘイトスピーチ」が世間を構成する人の殆どが差別的だと捉えたとしても,「ヘイトスピーチを行う人は差別主義者である」という発言を
ヘイトスピーチを行う人がその発言は差別だと認識する限りにおいて,「差別は常に行うべきでない」という前提があるのであれば,
「ヘイトスピーチを行う人は差別的」だからと言ってそれを「差別」することはできなくなる.ここにパラドックスが生じる。
これらから導かれる1つの思想は,「他者に危害を加えない限りにおいて,あらゆる思想や言動は許されるべきである」という自由主義的発想である。
この思想に従えば,「他者に危害を加えない限り」ヘイトスピーチも,反ヘイトスピーチも共に許容されるべきである。
ここで,「他者に危害を加える」ということがどこまで含むかをよく考える必要がある。
仮に,「反感を覚える」ことまでも「危害を加えられた」と定義する場合,反感を覚えるかはやはり主観によるため,
原理的にあらゆる思想・言動を規制することが可能となる。従って,ノイローゼになったとか,躁鬱病になったといったような
より別の基準を設ける必要があると考えられる。ここにはまだ議論の余地がある。
そもそも,なぜ議論が必要かというと,人間の発想・思想は不完全であり真理ではない,という理由が挙げられる。
従って,あらゆる批判を相互に許し,良いところは伸ばし,悪いところは修正を図ることで真理に近づくことができる,というのが
自由主義の考え方である。しかし,自由な批判を行うためには論理的な思考能力,互いの尊重,感情的発言の極限までの抑制などが
必要となる。それらの能力はどこでどのように身に付けるべきなのか。
義務教育において教え込むことで,非常に長期的視野に経てば数世代交代する頃には「大多数」がそのような能力を身に付けることが
可能になると考えられるが,そもそも,論理的な思考能力を身に付けるべきというこの自由主義的発想そのものも常に正しいと言えるのか,
批判の対象でなければならない.そのような対象を義務教育によりある意味では洗脳のように教え込むことは,所詮は多数派による
現体制の維持に繋がる行為であり,自らその必要性を強く感じ,そのような能力を獲得することが望ましい。
しかし,その必要性を感じるには,論理的思考能力が必要である。それはどこで身に付けるのか。
最近,このようなことをずっと考えている。
2017/04/14 10:52 Typo修正.劣化版ミルというよりも完全にミルの考えそのもの。
2017/04/14 10:52 ミルは『自由論』において多数派が小数派を多数決で圧殺することを無効化するため,
立場によらず,是々非々で相互批判を可能にするために「他人に危害を加えない範囲であればどのような自由も許される」という原則を提示している。
ただし,この前提として「分別がある」ということを挙げ,子供と発展途上国はその例外だから教え込むしかないと言っており,
この前提はたしかに現実的な前提ではあるものの,私は懐疑的立場を取っている。
「分別」はどこで付くのか.たしかに小学校の頃はないとしても,大学生ならついていると言えるのか。高校生はどうか?
また,この自由主義が「多数派」にもしなったとき,教育によりその体制を維持するというのは自由主義による「圧政」ではないのか?
2017/04/15
追記した。またね
真冬だろうが前ぶりもなく出てきては電気の周りをくるくる飛ぶ。
特に秋が酷くて、窓閉めてても中はいってくるし、網戸に10匹近くくっついてた時はノイローゼなるかと思った。
まじでなんなのあいつら。
母は神経質で物に当たるし、他人の目を非常に気にした。
父は笑わせるつもりで言った言葉はモラハラ発言で、気まぐれで怒鳴りつけたかと思えばおもちゃを買い与える不安定な親だった。
私もネガティブになった。公園にいたら知らない年上の女に絡まれたり、小学校デビューから陰湿かつスパルタそうな教師に怒鳴られたり、同級生に物を盗まれたり、トイレに閉じ込められて出れなかったのを信じてもらえなかったり、散々な目にあった。
私が小4の頃、変わった教師にあった。ポジティブが素晴らしいという本を教室に置き、ゲーム脳というものを信じて学級通信にそんな話を書いたり授業参観で語ったりしていた。
私の家は手伝いや勉強をしても理由こそ謎だが怒るとゲームを捨てるといい出すので、母がそれに影響を受けないかとても心配だった。
母は口からゲーム脳とたまに言うがあまり変化はなかった。しかしこの時にポジティブという宗教にさらにハマってしまったのかもしれない。
この親は根が大変ネガティブなのだが、ポジティブを崇拝することでおかしくなったのだ。
誰かが悪事を働いてもそれを咎めず、むしろその人間のいい所を言うのだ。
テレビ上で悪人だろうと、実の娘を泣かせた相手だろうと、娘に唾を吐いたもの者であろうとだ。
私の前で私が名前を言ってる(方向が名前につくのでその度に言っていた)いじめっ子の名前を出して褒めた時に、私はとても失望した。今も私はそれを憎んでいる。
しかし身内にはそういうそぶりはなく、むしろ性格が悪いと言われたり、ちゃんとしろと言われたり、可哀想な人だと言われたりした。
悪事を行動で判断するのではなく、家族かそうでないかで判断する母の本で、自分を傷つけたものを否定してもらえず、受け取り方が悪いみたいな話をされ、言われたことを幻聴だと信じてもらえなかった。
常に無価値観と罪悪感が私の中にあって離れなくなった。
ポジティブというのは私を咎める凶器として昔から固定されてしまい、今の私は不安障害やフラッシュバック、パニックで泣かずに一日を終えることすらままならなくなった。
医療の場にあるポジティブな発言というものや、熱血という名の冷静さを欠いた医師に怒鳴られたり、否定してくるカウンセラーなど、足を運べば運ぶほど人がますます怖くなった。
ポジティブになれと言われるほど暗い気持ちになりポジティブを投げかける人間はみんな乱暴で冷たく、ポジティブを見てもネガティブな心境にあっても私は苦しむようになってしまった。
ポジティブに対してノイローゼになってしまった私には、ありきたりな物語も電車の広告も、格言も、自己啓発な発言も、傷つくもので、誰にも相談出来なくなった。
その人が亡くなったときにどれだけの人が哀しんでくれるか、も指標になるかもしれませんね。
という主張の方もいるでしょうね。
本当にそうでしょうか。
たとえば、人気絶頂のアイドルが不慮の事故で亡くなったら大勢の人が哀しむと思います。
不謹慎ですが、死刑になることで喜ぶ人もいるのではないでしょうか。
このように人にはそれぞれ存在価値があって、そう考えたとき私の価値はマイナスだと思えて仕方ないのです。
それがつらくて苦しい。
これを読んでいる方には、私が「存在価値」なんていいだすのをみて、普段から他人を見下しているろくでもない人間だ。
そんな風だから、存在価値がマイナスだと思われるかもしれませんね。
ごもっとも。
私には人を見下したりへりくだったりする汚い部分があるのかもしれません。
なぜ、そのように考えるのか。
自分では気が付かずにいましたが、中学生のころにイジメに遭い、イジメっこたちを「あいつらは最低の人間だ」と見下すことで精神の安定を図ろうとした…。
そんな青春時代が影響しているのかもしれません。
もっと踏み込んで語らせていただくと、いじめられた原因は私にあります。
というのも、当時の私は勉強でノイローゼになっており、常にぶつぶつと独り言をつぶやく気持ち悪い人間でしたから。
クラスメイトの立場にたてば、そんなやつ気持ち悪くて攻撃したくなっても仕方ないですよね。
両親がね。学歴始業主義でとにかく勉強しろ、とうるさかったんです。
なんのために勉強するのか?
いちばん大切なそこを教えてくれずに、ただただ自分が低学歴で苦労したから勉強しろ、と無理やり自室に閉じ込められました。
大人になってわかる。
勉強以外の遊びの経験がどれだけ、その人を輝かせるのか。身に沁みてわかってしまうのです。
となると、もう劣等感で押しつぶされそうで仕方なくなってきます。
私なんていなくてもいいんじゃないかと思うと泣けてきて。
治療も落ち着いてきたので社会復帰がしたくなって転職のことを考え始めた。
考えれば考えるほど不安でいっぱいになる。
まだまだ調子の悪い日がある。
朝も安定して起きれない。
もし始まってみて駄目になってしまったら?
そもそも受け入れてくれる会社はあるのか?
自分には数年のんびりした会社での社会経験があるだけで手に職があるわけでもない。
時短でできる仕事は、在宅でできる仕事は、残業の少ない仕事は、病気に理解のある仕事は。
頼れる手当も、親戚もあても、ない。
考えれば考えるほど、眠れなくて、涙が止まらなくなって、なんでこんなことになってしまったんだろうとそればかりが頭の中を巡る。
とにかく動かなくてはと焦って入れた面接も、転職エージェントからの急かした連絡も考えるだけで苦しくなる。
理想の自分の姿と現実の体力も気力もなくなっていた自分の姿の差に愕然とした。
どうして普通の人ができていることができないんだろう。
現状を相談していたらどんどん涙が溢れてきてしまって、いい大人なのにはずかしい、すみません、ごめんなさいと謝った。
そしたら、職員さんがこう言った。
謝らなくていいんですよ。何も悪いことをしているわけではないんですから。
ありがとうって言いましょう。
働き出した未来の自分のことを考えているから不安を強く感じるのだと思います。
今できることを考えましょう。
どんな仕事を探すにしても、まず履歴書や職務経歴書がないとどこにも応募できないですからね。
気にしていることをカバーできるように自分の強みをアピールできる書類を作るところから始めましょう。
未来のことは未来に考えるとして順番に、一緒にやっていきましょう。
ノイローゼのように求人検索していた私は少しだけ気持ちが晴れた気がした。
スーツのサイズがぎりぎりで休んでた間の運動不足で得たデブさ加減が猛烈に気になる。
就職より先に痩せたくなってきた。
http://anond.hatelabo.jp/20161124161016
これのブコメで「俺は心地いいけどなあ」「うるさくてゴメンね><」
「増田の方が病んでるんじゃない?病院行けば?」みたいなこと書いてる人たち、
まず間違いなく元増田が苦しんでいる打鍵音が正確に伝わっていない。
伝わらないのは仕方ない。ノイローゼに追い込まれるような打鍵音は一度経験しないと絶対にイメージできない。
とは言え「一日中不規則なリズムで部屋のドアを乱暴にノックされる苦しみを想像してください」と言えば
大体の人がその辛さを想像できるのに、ドアがキーボードになった途端軽んじられるのはどうしてだろうか。
たぶん、キーボードの不快な打鍵音を端的に表す擬音が存在しないのが悪いのだと思う。
少なくとも元増田が苦しんでる音は正確には「ガチャガチャ」なんて平和なものではないはず。
カッ!バチバチ!カカッ!バチバチ…バチッ!ッターン!ダダダダダ!ぱちっ!カカッ!バチバチバチ!!
みたいな感じだと思う。うーん、あの耳に刺さるような勢いのある音がうまく表現できない。
咀嚼音でいうところの「クチャクチャ」のように、分かりやすく不快感を共有できる擬音が欲しい。
という訳でお前ら何かいい擬音があったら教えてください。
たまに思い出してはウジウジ引きずってる、高校の頃の話です。どっかに供養すればすっきりするかなと思って、ちょっと書いてみます。
これでも大分削ったんですがだらだら書いてると長くなってしまいました。お暇なときにお読みください。
嫌味に聞こえるかもしれないけど、私は勉強しなくても授業をそれなり聞いてればテストの点は取れるような、要領の良い人間だった。
周りの評価は、別に直接言われたわけじゃないけど「優等生」だった。生徒からも教師からも多分そう思われてた。
校則はきっちり守るし。授業態度良いし。成績も良いし。コミュ障で地味な根暗だから、ツンとしたつまらない真面目ちゃんって思われてんだろうな。
私は「怒られること」が嫌い、というか、恐怖すら感じる。小中で何度か理不尽にキレられたトラウマからなんだけど今はそれはどうでもいい。ともかく怒られるということが怖かった。
校則守って授業ちゃんと受けてれば怒られることはないでしょ。だから真面目だった。ちゃんとルールは守るべきだとかそういう使命感?正義感?みたいなのは、別にない。私は本当は優等生なんかじゃなかった。
それで高校でも授業ちゃんと聞いてたら、さっき書いたように要領がいいから、テストの点は勝手についてきた。
それでますます私には優等生イメージがついた。そのせいか、私は教師たちからバリバリ期待された。
私が通ってた高校は、俗に言う「自称進学校」で、教師たちはみんな私を大学に行かせたがった。
でも私は大学に行きたくなかった。
私は勉強が嫌いだああああ!!!キャンパスライフも待ってなくていいぞおおおおお!!!
興味のあることの勉強なら楽しいけど、興味がないことの勉強ほど私にとっての苦痛はない。
私は両親も、複数いる兄もみんな高卒だったから大学に行くっていうイメージがそもそもなかった。大学は将来なりたいものがしっかり決まってる人が行くみたいなイメージだった。私は特になりたいものもないので、高卒で適当に事務職とかに就職する気満々だった。
あと、私の家は貧乏な方で、大学に行くお金を用意するのはキツかった。親は優しいから何も言わないけど、私も早く稼いで親に楽させてあげたい気持ちがあった。
じゃあなんで自称進学校に来たのかというと、家から近い高校を適当に選んだら自称進学校だったんですよ。馬鹿ですね。
そしてこれは私の性格の面倒くさいところなんだけど、周りが抱く私の「優等生」のイメージを裏切りたくなかった。というより、そのイメージを壊したときの周りの目が気になった。なんというか、目立ちたくなかった。勉強サボって、成績が落ち、優等生ちゃんが急にグレた!とか思われたくなかった。
今思えば、別に落ちぶれても大して何も言われなかったと思うけどね。自意識過剰なんだよね。
おかげでガンガン成績が上がった。周りの評価も期待も上がった。
2年の担任は、私を大学に行かせたくてたまらないようで、公務員になるって言っても聞いてくれなかった。
勉強したくないとは言いにくいので、お金がないと言い訳すると、奨学金がどうのとか、高卒で公務員になるより長い目で見れば大学に行ったほうが得だとか、出来るんだから進学しろとか言われた。
若干ノイローゼ気味になりつつ、じゃあ第二希望として大学を考えときます、と言った。担任は嬉しそうだった。
そして何を隠そう、3年の担任、これがタイトルにある大嫌いな教師です。
今書いたらそういえば2年の担任もひでぇや!と思ったけどそれまで忘れてたほど3年の担任が嫌い。でもタイトルにある通り、尊敬してたんです。
あの人の授業、本当に分かりやすかった。今までのどの教師の授業より一番分かりやすくて、面白くて。得意科目だったこともあるけど、一回テストで満点をとったのはどう考えても彼の授業が良かったから。
とても頭が良くて、言ってることはだいたい正しいと思えたし、本当に理想の教師像で、尊敬していた。
公務員目指すと言うと、ちょっと残念そうな顔されたけど一応応援してくれた。
そして迎えた公務員試験……
いくつか受けたけど全滅でした。あのね、いくら勉強できてもコミュ障は公務員なれない。
もしこれを読んでくれてる人で公務員目指してる人がいたら、適性試験の勉強はそこそこにしてとにかく対人能力を鍛えて。そして面接の練習をたくさんしてください。健闘を祈る。
それでも私は懲りずに、浪人して来年また公務員目指そうと思ってた。だって給料いいんだもん。休みも多いんだもん。
担任は、専門学校ならまだ間に合う〜とか言ってやはり進学を勧めてくる。
しつこいんですねこれが。でもその時は私はまだ彼を尊敬してたので、進学も視野に入れるようになりました。
じゃあどうせなら自分がやりたいことを考えて、向いてない公務員じゃなく、何か将来の夢を作ってそれを目指してみようかな…と思うようになった。
そして考えて、決めた。私はパソコンが好きだからプログラマーになろう!と。
安直に見えるかもしれないけど、いや実際安直だったかもしれないけど、プログラマーという職に実は前から興味はあった。適性もそれなりにあると思ってた。でも、絶対なりたい!!ってほどでもなかった。大学行くくらいならならなくていいや、って感じ。それほど、大学に行って勉強ってのが私には地獄に思えた。
でも進学進学言われるし、じゃあいっそ情報系の専門学校に進学してちょっとなりたいと思ってるプログラマーを目指してみるか、と思った。
基本勉強は嫌いだけど、興味のあることの勉強なら楽しめるはずだし。
そして調べた。実家の近くに、情報系の専門学校があるじゃないか!
パンフを見ると、わあ楽しそう!C言語や、他にもいろいろ情報系のことが学べるようだ。これなら楽しめそう。プログラマーになれそう。レベルも低めで、まあ私なら余裕で受かるだろう。ここにしよう!
嬉々として担任に報告した。ここ行きたいです!とパンフを渡した。
お望み通り進学してやるぜ…と、したり顔で職員室に行った。
もう私は既に進学したつもりになって、これから学べるいろんなことに思いを馳せていた。
担任に怒られるまでは。
私が選んだ学校は、レベルが低いことからも推測できるけどあんまり良くない学校で、情報系のくせに就職先は花屋とかホテルマンとか情報関係ない場所ばっかりだった。
私はパンフの楽しそうな授業内容のとこだけ見て浮かれてて、就職先のところを見てなかった。
「何でこの学校選んだの?」
私は怒られるのが怖いんだ。
泣きそうだった。実際目に涙が溜まってた。よく耐えたと思う。
「プログラマーになりたいって言うけどプログラマーなんて高校生でもなれる」
「そもそもプログラマーが何か分かってるのか。お前はよく分からないものを目指しているのか」
「C言語なんて俺でも出来るし今は使われてない。今はjavaの時代だ」
「授業が楽しそう、で学校を決めていいのか。大事な進路なのにそんな適当に決めていいのか」
尊敬してたんですよ。彼の言ってることはだいたい正しいと思ってたんですよ。
そんな尊敬する、いつも正しい人に、全否定されたんですよ。キレ気味に。恐怖ですよ。これ書いてる今も、ちょっと泣いてる。それくらい怖かった。
だけど、恐怖と同時に少しずつ苛立ちも覚えてきた。
適当に決めたって。確かに今思えば適当だったかも、安直だったかもしれないけど、私は私なりに考えてあの学校にしたんだ。お前らが進学進学うるさいから!自分の興味のあること、学びたいことを考えたんだ!!!
こっちの気も知らないで。何をもってして私が適当に進路を決めたと言ってるんだお前は。勝手に決め付けるな。私の思想をお前が!勝手に決めるな!!
あとこれは今だから思うことなんだけど、プログラマーを、C言語を、馬鹿にするな!!!
当時は詳しくなかったことは事実なので、そうなんだ…って鵜呑みにしたけど、今なら言える。
プログラマーは立派な職業。それを高校生でもなれる底辺職みたいに言って。お前が使ってるスマホもパソコンも洗濯機も電子レンジも全部全部プログラマーがプログラミングしてるから動いてるんだ!!
C言語も大事な言語。お前の言うjavaだって構文はCから引き継いでんだよ。馬鹿にするな。馬鹿にするな!!
こんなこと言われたせいで、私はjavaが嫌いになったよ。javaに罪はないのに。javaは便利なのに。あいつのせいでどうしても好きになれなくなってしまった。javaって聞くだけで思い出して、涙が出そうになる。
怒りが募って、もう、嫌になった。
そんな時に降りかかってきた、
「何でそんなに大学進学が嫌なの?」
「勉強が嫌いなんです」
これをはっきり言った。
そうしたら、呆れたようにため息を吐かれた。
「じゃあもういいよ。お前の人生だし。勉強から逃げたいなら逃げれば?」
そうさせてもらいます、とは言えなかった。言いたかったけど。そんなこと怖くて言えなかった。
もうこのままどこにも進路決定せず卒業しちまえと思った。
2年で散々勉強させといて、まだ私に苦しめというのか。
甘えだって言いたいのか。
こんなことなら。
テストなんて白紙で出せば良かった。授業なんて寝てればよかった。
そしたら誰も、私に、進学しろなんて言わなかった。
数週間後、担任が、私が選んだ学校より就職先もしっかりした専門学校のパンフを持ってきた。
そこでは私の興味のある、情報系のことも学べるようだった。
そこに行くことに決めた。
それで今、その学校の2年生です。
就職先が決まりました。来春から晴れてシステムエンジニアになります。
結局あの人が正しかったんです。
あのまま意地はって自分で選んだ学校に行ってればC言語学んで花屋にでもなってたんでしょう。
あのまま意地はってどこにも行かず卒業してたら最悪ヒキニートにでもなっていたことでしょう。
私が間違ってたんですよ。私が勝手に逆ギレしてたんですよ。そうですよ。
でも、正しい、正しくないは置いといて、私にとってあの人の言葉の一つ一つは私のトラウマになったんですよ。
先生。
この学校を勧めてくれてありがとうございます。
でも、私、