その人が亡くなったときにどれだけの人が哀しんでくれるか、も指標になるかもしれませんね。
という主張の方もいるでしょうね。
本当にそうでしょうか。
たとえば、人気絶頂のアイドルが不慮の事故で亡くなったら大勢の人が哀しむと思います。
不謹慎ですが、死刑になることで喜ぶ人もいるのではないでしょうか。
このように人にはそれぞれ存在価値があって、そう考えたとき私の価値はマイナスだと思えて仕方ないのです。
それがつらくて苦しい。
これを読んでいる方には、私が「存在価値」なんていいだすのをみて、普段から他人を見下しているろくでもない人間だ。
そんな風だから、存在価値がマイナスだと思われるかもしれませんね。
ごもっとも。
私には人を見下したりへりくだったりする汚い部分があるのかもしれません。
なぜ、そのように考えるのか。
自分では気が付かずにいましたが、中学生のころにイジメに遭い、イジメっこたちを「あいつらは最低の人間だ」と見下すことで精神の安定を図ろうとした…。
そんな青春時代が影響しているのかもしれません。
もっと踏み込んで語らせていただくと、いじめられた原因は私にあります。
というのも、当時の私は勉強でノイローゼになっており、常にぶつぶつと独り言をつぶやく気持ち悪い人間でしたから。
クラスメイトの立場にたてば、そんなやつ気持ち悪くて攻撃したくなっても仕方ないですよね。
両親がね。学歴始業主義でとにかく勉強しろ、とうるさかったんです。
なんのために勉強するのか?
いちばん大切なそこを教えてくれずに、ただただ自分が低学歴で苦労したから勉強しろ、と無理やり自室に閉じ込められました。
大人になってわかる。
勉強以外の遊びの経験がどれだけ、その人を輝かせるのか。身に沁みてわかってしまうのです。
となると、もう劣等感で押しつぶされそうで仕方なくなってきます。
私なんていなくてもいいんじゃないかと思うと泣けてきて。