母は神経質で物に当たるし、他人の目を非常に気にした。
父は笑わせるつもりで言った言葉はモラハラ発言で、気まぐれで怒鳴りつけたかと思えばおもちゃを買い与える不安定な親だった。
私もネガティブになった。公園にいたら知らない年上の女に絡まれたり、小学校デビューから陰湿かつスパルタそうな教師に怒鳴られたり、同級生に物を盗まれたり、トイレに閉じ込められて出れなかったのを信じてもらえなかったり、散々な目にあった。
私が小4の頃、変わった教師にあった。ポジティブが素晴らしいという本を教室に置き、ゲーム脳というものを信じて学級通信にそんな話を書いたり授業参観で語ったりしていた。
私の家は手伝いや勉強をしても理由こそ謎だが怒るとゲームを捨てるといい出すので、母がそれに影響を受けないかとても心配だった。
母は口からゲーム脳とたまに言うがあまり変化はなかった。しかしこの時にポジティブという宗教にさらにハマってしまったのかもしれない。
この親は根が大変ネガティブなのだが、ポジティブを崇拝することでおかしくなったのだ。
誰かが悪事を働いてもそれを咎めず、むしろその人間のいい所を言うのだ。
テレビ上で悪人だろうと、実の娘を泣かせた相手だろうと、娘に唾を吐いたもの者であろうとだ。
私の前で私が名前を言ってる(方向が名前につくのでその度に言っていた)いじめっ子の名前を出して褒めた時に、私はとても失望した。今も私はそれを憎んでいる。
しかし身内にはそういうそぶりはなく、むしろ性格が悪いと言われたり、ちゃんとしろと言われたり、可哀想な人だと言われたりした。
悪事を行動で判断するのではなく、家族かそうでないかで判断する母の本で、自分を傷つけたものを否定してもらえず、受け取り方が悪いみたいな話をされ、言われたことを幻聴だと信じてもらえなかった。
常に無価値観と罪悪感が私の中にあって離れなくなった。
ポジティブというのは私を咎める凶器として昔から固定されてしまい、今の私は不安障害やフラッシュバック、パニックで泣かずに一日を終えることすらままならなくなった。
医療の場にあるポジティブな発言というものや、熱血という名の冷静さを欠いた医師に怒鳴られたり、否定してくるカウンセラーなど、足を運べば運ぶほど人がますます怖くなった。
ポジティブになれと言われるほど暗い気持ちになりポジティブを投げかける人間はみんな乱暴で冷たく、ポジティブを見てもネガティブな心境にあっても私は苦しむようになってしまった。
ポジティブに対してノイローゼになってしまった私には、ありきたりな物語も電車の広告も、格言も、自己啓発な発言も、傷つくもので、誰にも相談出来なくなった。